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我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す(抄)

電子書籍への抵抗勢力たらん

 風雲急を告げるとはこのことだ。電子書籍である。アマゾンキンドルの成功は、長く商品としては成功しないと言われてきた携帯読書端末を一気に次世代デジタル製品の主役に立たせた。一つ成功するとわかればあらゆる会社から似たようなものが発売されるのは世の常。アメリカのコンシューマーズエレクトロニクスショーでは携帯読書端末の新製品が大量に発表されたという。そしてアップルからは満を持しiPadの発売である。もうこの流れは押しとどめようもない。これに対応するように、出版界の動きも急である。アマゾンは9.99ドルという低価格でコンテンツを売り出している。これは新刊の半分以下の価格らしく、読者は当然飛びつくだろう。これでも出版社へのコンテンツ料支払いが充分にあるので出版社は損をしないようになってはいるらしい。

 それでもさすがにいくつかの出版社はこうした動きを苦々しく思っているようで、英国マクミランのようにアマゾンに叛旗を翻す例も出てきている。日本でも「電子書籍出版社協会」が起ち上がり、出版社が電子書籍の主導権を握ろうとしている。このままアマゾンのような動きが拡がっていくと、電子書籍のコンテンツベンダーが出版社を抜きにして著者と直接契約しかねないからだ。出版社には編集という機能があり、すべての本は著者と編集者の共同作業でできあがっていくと出版社は主張する。編集がなくては本というコンテンツは商品として完成しない。だから、古いコンテンツといえども電子書籍ベンダーにあっさり渡してしまうわけにはいかないのだ。

 さて、我々印刷会社にとって電子書籍は脅威以外のなにものでもない。紙に印刷しないのだから、電子書籍製作にあたって、印刷会社はまったく蚊帳の外だ。もちろん電子書籍ベンダーや電子書籍システムのソフトウェア構築といった仕事を印刷会社の仕事としてしまうことは可能だ。可能だが、そんなことができる印刷会社がいったい全国に何社あるというのだろうか。このままでは印刷業界、少なくとも出版印刷業界は壊滅である。

 このままでいいはずはない。一つは電子書籍ビジネスの中で我々が何をやるべきかもっと真摯に考える必要があるだろう。後からふりかえれば「なんだそんなことでよかったのか」というような市場がかならず電子書籍にもあるはずだ。印刷会社としてできることと電子書籍の特質を徹底的に検討し、メシのタネにしよう。

 そして、もう一つ、このまま座して死を待つぐらいなら、抵抗勢力になってやろうではないか。本は印刷会社が作った。グーグルがスキャンして溜め込んだ書籍コンテンツの大元も結局その版面は印刷会社が作ったものだ。著作権の関係から版面については印刷会社はなにも言えないなどと、あきらめる必要はない。ありとあらゆる法律を駆使して徹底的に言うべきことは主張しよう。主張して訴訟している間は、電子書籍陣営も法律論議に手間をとられて電子書籍化の速度が落ちるはずだ。

 そして読者に訴えかけよう。「紙の本の魅力」をもっと声高に宣伝しよう。本には表紙もカバーも腰巻きも見返しも扉もある。そうした全体が本なのであって決して本文だけではない。そして本は読むのにデバイスが必要ない。本は本という媒体がそのままプレーヤーでもある。電池も電気もいらない。読者に紙の本の魅力を再認識してもらえれば、電子書籍の売り上げは落ちる。売り上げが落ちれば高い金を出版社に払ってまで、配信しようとはしない。結果として電子書籍の人気はいつまでたっても高まらないはずだ。

 もちろん、こうした抵抗も蟷螂(とうろう)の斧なのは百も承知。長期的に紙の本が電子書籍に対抗するのは難しいだろう。しかしちょっとでもその普及を遅らせれば、その間に印刷業界のビジネスモデルを転換させることができる。

 我、抵抗勢力たらんと欲す。だいたい印刷業界はなめられている。電子書籍をビジネスとして成立させようとするなら、印刷業界に仁義を通してもらいたいものだ。

活版を知らない子供達

 新入社員に印刷の歴史を説明していてあらためて思い起こした。もう活版を廃止して二〇年近い歳月が流れたのだ。もちろんこの新人たちは活版を知るわけがない。たぶん、話にも聞いたことがないだろう。「活字文化」という言葉はあるにしても、その本来の意味など知る人ももう少ない。

 表題。もちろん、「戦争を知らない子供達」のパロディである。今、ウィキペディアを叩いてみると、「戦争を知らない子供達」は一九七一年にレコードが発売されている。戦後二五年目ほどの歌だったことがわかる。二五年つまり四半世紀もたつと、世代が入れ替わり、前の時代のことを知らない子供達も成長する。前の世代が、戦争の頃は大変だと言っても、戦後に生まれた子供達にとってみれば、生まれる前の話。直接の戦争体験ができるはずもなく、それはお話として歴史として聞くしかないということだ。

 我が社は活版の廃止が比較的遅かったから、活版組版最後の日は一八年前だったけれど、そのころでももう活版は事業の中心ではなかった。一般的にいって活版が印刷の中心から消えて、そろそろ四半世紀になる。最近の新入社員にとっては活版はまさしく私の講義で聞くだけの存在になりつつある。というより、説明されても活版の原理そのものがぴんとこないらしい。少し前までは、学校でそう習うためか、かなり若い世代でも印刷といえば活版のイメージが強く、「現在の印刷は活版じゃありませんよ、コンピュータで作っていますよ」と繰り返さねばならなかった。印刷工場見学に来た子供が思っていた工場とあまりにイメージが違うので、とまどいを隠せなかったのを思い出す。

 今では、印刷会社に入社してくる者でさえ「活版? 何それ?」の世界である。もちろん、活版を知らなくたって、今の印刷会社で生きていくには困らない。技法的にも、活版とコンピュータ平版印刷はまったく切れている。活版で身につけなければならなかった知識とコンピュータ平版印刷で必要な知識が一致するところは多くない。

 だが、活版は歴史として奉っておくだけでいいものだろうか。鉛活字の重みをもう一度思い出してほしい。少なくとも五〇〇年間、鉛活字とそれによって作られた大量の本が文化を支え続けたわけだ。そして本の流通と知識の拡散から、宗教革命が起こり、市民革命が起こった。つまり近代が始まったのも活版があればこそなのである。書物の流布による知識の蓄積ということがなければ、新しい思想の普及も科学の発達もなかった。蒸気機関も原子炉も飛行機も活版によって世界中にその技術が伝えられ、普及した。現代の豊かな生活はすべて活版のもたらした知識の大量複製によってもたらされたのだ。我々印刷人はそのことを誇りにすべきだし、もっと自慢してしかるべきだとも思う。

 もちろん、知の蓄積を担う役目は活版がなくなり、コンピュータ平版の時代になっても印刷業が受け継いだわけだが、鉛の時代とはその重みが違う。鉛の時代は印刷しか文化の伝達を担えなかった。今や、テレビやラジオ、そしてインターネットがある。文化の伝統の中で、どうしても印刷の比重は大きくない。

 今、印刷人はインターネット革命の前で翻弄されている。インターネット広告費が新聞広告費を上回ったという。すでに雑誌広告はインターネットのはるか後塵を拝している。こんな環境の中、ともすれば、印刷こそ文化の中心であるという矜持さえ失いかけている。単なる産業。単なる職業と成り果てている。だからこそ、活版を忘れてはならないのだ。ずしりと重い活版が文化を支えたという事実と我々はその後裔だという誇りを忘れてはならない。このことを、ことあるごとに新入社員に語ろうと思う。活版を知らない子供達には、活版のことを語り続けねばならない。それが活版とコンピュータの時代の両方を生き抜いた我々世代の務めだと思うのだ。

 この台詞、電算写植だDTPだと盛んに旗をふってた二〇年前の私にプレゼントしたいなぁ。

色の道は険しい

 色の標準さえ決まっていれば、色校もなにもいらないという「ターゲットカラー」という概念がある。日本中たとえばジャパンカラーというターゲットを基準として定めておけば、違う会社同士でもそれを元にカラーのデータから同じ色を表現できるということだ。こう書くと当たり前のようだが、これはきわめて難しい。コンピュータの画面発色基準、色校正の発色基準、インキの発色基準とそれぞれ違うからだ。まったく違う発色のものを数値だけで合わせるのは無理というもの。今でも、ほとんどの印刷会社では、こんな客観基準なんかに頼らず、印刷職人が色校正とにらめっこして色を合わせている。

 ただ、グローバル時代になるといやでも対応せざるをえない。海外ではそもそも職人芸が発達していないので、色はとにかくターゲットカラーで決めようとなってきている。とある海外のクライアント。入稿してきたデータには色校などついていない。色校を欲しがるのはきちんとデジタル工程とカラーマネジメントが確立していないからだと言わんばかりの入稿のしかたである。しかも、ターゲットはジャパンカラーであるわけがない。相手は日本じゃないんだから、標準が「日本の色(JAPAN Color)」というのは期待する方が無理だ。案の定、「SWOP」というのが、そのターゲット指定だった。調べてみると、世界には主に三つのターゲットが存在するらしい。一つはジャパンカラーだが、あとはアメリカ中心のSWOP、もう一つはヨーロッパ中心のEuro Colorである。

 ターゲットが決まっていたのならあとは簡単。SWOP基準で刷ればいい……はずなのだが、だんだん恐るべきことがわかっていくのである。まず、日本ではSWOP準拠のプロセスインキ(4色インキ)が手に入らない。ターゲットカラーという奴、つまるところインキの標準化の問題である。たとえ製版段階で完璧な調色をしたとしても、違うインキを使えば違う色になってしまう。これは理の当然だ。だから、ターゲットがSWOPならSWOPのインキが手に入らなければどうにもならない。どこか探せばあるだろうと思っていたがそんな単純なものではなかった。SWOPのインキは日本では手に入らないというのだ。

 インキというのは含有化学物質の基準が厳しい。本は子供が舐めるかもしれないと言われたら本を刷るインキにどんな厳しい基準をつけられたって反論のしようもない。そしてこうした安全基準が国によって違う。SWOPインキを日本で輸入するとすれば、大変煩雑な手続きが必要で、とてつもなく高価になってしまう。百歩譲って手に入ったとしても、毎日ジャパンカラー標準のプロセスインキで大量の印刷物が流れていくなか、SWOP標準のときだけインキを全部入れ替えるなんてことは、現実的ではありえない。

 考えた結果、SWOPの色特性をジャパンカラーの色特性に変換するプログラムを書けばいいのではないかと思いついた。デジタル世代にふさわしい発想の転換と思っていたが、やはりここもインキの特性を完全に再現することは無理ということがわかった。DDCPやトナー系のプリンタではそういう近似するオプションもついているが、オフセットに関してはインキ特性の壁がどうにも立ちはだかってしまう。いいアイデアだと思ったんだが。

 ここにいたって原点にもどることになった。同じデータをジャパンカラーとSWOPで刷った場合、どれだけ違うのかを確かめてみることにした。SWOPインキは手に入らないから、DDCPで比較してみる。正直言って、あまり違っているようには見えなかったが、実際に測ってみるとやはり違いはある。

 最後にできること。SWOPで作ったDDCPを色校正代わりにして、ジャパンカラーで刷るということだけだ。現実的な判断としてはしかたがない。

 もちろん、諸兄。ご指摘したくなるのはわかってます。これでは印刷機オペレータの負担が大きすぎて、ちっとも色の標準化のメリットが出てこない。第一DDCPとはいえ、紙の校正を使ってるから、ターゲットカラーを使っている意味がない。わかっているのだが、それしかない。何か現実的な方法があったら教えていただきたい。

 色の道はどこまでもどこまでも険しい。

DDCP

 Direct Digital Color Proofing オフセット印刷とカラープリンタでは発色の構造が違う。そこで、オフセットの発色機構にできるだけ似せた出力をコンピュータから出力させようとしたのがDDCPである。色校正には色校正専用の印刷機があったが、運用がきわめて高価になってしまうため、DDCPが使われるようになってきた。もっともカラープリンタの性能も上がっており、最終的にはカラープリンタの一部に吸収され消滅するだろう。

印刷会社の工場長

 工場長の机の上には書類があふれていた。紙の発注伝票、工程管理一覧表、外注先からの見積書、そして次から次へと訪ねてくる協力会社の営業の名刺。その中で、電話で指示を出したり工場中を走り回って工程調整するのが活気ある印刷会社の工場長の姿だろう。従ってたいていそうだと思うが、中小企業の工場長は今まで現場出身者中心だった。機械そのものやそこで働く人の性格をよく知っていなければ、細かい工程管理や繁閑の調整なんてとてもできなかったからだ。

 ところが、うちの現在の工場長は事務部門出身である。おそらく中西印刷一五〇年の歴史の中でも初めてではないかと思う。事務部門出身者が工場長になったのは、工場長に求められる資質が今までとは違ってきているからだ。二〇年前、電算写植が導入され、印刷の製作現場はすっかりコンピュータ一色となったし、印刷現場もコンピュータによる工程管理がなされるようになって、コンピュータを使いこなせる人でないと、工場長が務まらなくなってきたのだ。加えて、品質管理、環境対応、個人情報保護と、書類を作成する作業がとにかく多くなった。これはもうコンピュータを使いこなし、書類を作成し続けてきた事務部門経験者でないと工場長は務まらない。

 この工場長の机の上が最近片づきだした。今までは伝票類に埋もれていたのに、あまり書類が目立たなくなってきた。不景気で仕事が減ったからか……それもあるかもしれないけれど、もしそれだけが原因だったら大変な事態ということになる。それぐらいの減りようなのだ。

 種明かしは工場長が各種の指示を電子メイルで行ったり、工程管理の伝票を社内LANシステムを使って送るようになったからだ。紙の指示書もいったんスキャニングしてPDFで送っている。こうすることで、机の上の紙が大幅に減ってしまったというわけなのだ。

 紙が減るということのメリットはただ単に机の上が片づくというだけではない。書類の整理が行き届くようになる。契約書などの重要書類は別として毎日の指示書や発注伝票はなかなか整理できない。紙の伝票が生ずる都度、パンチで穴をあけてきっちりファイルに保存すればいいのだろうが、これはなかなか面倒だ。ちゃんとした秘書のいる大会社ならいざ知らず、ファイリングを自らやらざるをえない中小企業ではなかなか伝票の整理ができない。結果として、ファイリングに抜けや重複が大量に起こり、次の年に去年の仕様を確かめようとしても書類が出てこなかったりすることが多い。

 これを紙ではなくて、コンピュータで作れば、なにもファイリングとか意識しなくても自然にコンピュータ内にたまっていく。必要になったら検索すればいい。項目順でも得意先順でも日付順でもファイル名を少し工夫しておけば探すのは造作もない。電子メイルであれば、受発信リストそのものが、受発注履歴としても使える。この便利さに一旦慣れてしまうともう戻れない。手書きを前提とした伝票を見ただけでうんざりしてしまう。私は、元祖パソコンオタクだから当然のようにこの状態になっていたが、工場長は六〇歳にして、この便利さに目覚めたらしい。

 さて、工場長曰く。

「社内報はPDFになって、パブリックのサーバーに載ってますかね」

 なんでも、社内報は会社からの伝達事項が書いてあって便利なのだが、ファイリングをつい忘れて、なくしてしまうのだとか。PDFにして、誰でも読めるパブリックのサーバーにあれば、いちいちファイリングする必要がなくなって便利だという。

「確かに、パブリックのサーバーに社内報のPDFは載せてあるけれど……」

 私は、苦笑せざるをえなかった。

「印刷会社の工場長がそれを言っちゃ、印刷屋はおしまいだよね」

 二人は爆笑したが、その後に吹く風はことさら冷たかった。

電子式年遷宮のすすめ

 実は、国立国会図書館の「日本における電子書籍の流通・利用・保存に関する調査研究」の委員を仰せつかっておりました。先日その報告会をすませたのだけれど、私が担当したのが「流通・利用・保存」のうち「保存」なのだ。印刷屋がなんでまたというところだけれど、「流通」とか「利用」はそれこそ実務関係者が山ほどいるが、「保存」はまだ誰も手がけていないし、これからの産業として印刷屋のメシのタネにもできるのではないかと思って引き受けた次第。

 調べていくと、電子書籍の保存は紙以上に難物だということがわかった。まず、媒体(CD-ROMとかDVD-ROM)をもつパッケージ系電子書籍では物理媒体が長年の保存に耐え得ないという問題がある。プラスチック盤が二〇~三〇年で劣化して読めなくなるというのだ。それ以前にこのドッグイヤーの電子業界のこと、劣化限界の三〇年がたつ以前にハードもソフトもまったく違ったものになってしまって、物はあっても読めなくなってしまう。実際、国立国会図書館で二〇〇三年度に実施されたパッケージ系電子出版物の利用可能性調査では、一九九〇年度以前に受け入れた電子資料のうち、二〇〇三年度当時でも利用可能なものは三%にすぎなかった、つまり九七%読めなかったというショッキングな結果が出ている。

 最近増えているパピレスのようなインターネットサーバーから供給されるタイプのネットワーク系電子書籍はさらにやっかいな問題を抱えている。それはサーバーの滅失が全データの消滅を意味するという点だ。紙の書籍やパッケージ系電子書籍の場合、出版社が火事で焼けようが、台風で倒壊しようが、いったん発売され読者や図書館に渡ってしまった書籍はそのまま残る。これがネットワーク系の場合、大元のサーバーがなくなればすべてのデータが読めなくなる。物理的に滅失しなくても、出版社が倒産したり、倒産しないまでも、事業廃止の事態にでもなればただちにコンテンツは読めなくなる。電子書籍端末「シグマブック」や「リブリエ」に対するコンテンツ提供が中止されたことは、記憶に新しい。まだこれら電子書籍端末サイトの場合、対応する紙の本があったからそれほど問題にならなかったが、今後ケータイ小説のようにデジタルで生まれデジタルで消費される書籍が増えてくれば大問題だ。

 それにネットワーク系でもソフトやハードの進化への対応という問題もパッケージ系と同じく残る。インターネットもいつまでも今と同じインターネットであるとも限らないし、今は隆盛を誇るケータイ機器もこれから先どう変化するか誰にもわからない。

 そこで、私が提唱したのが、電子式年遷宮である。電子式・年遷宮ではない。電子・式年遷宮である。神社が何年かに一度本殿をまったく新しく作り変える行事が式年遷宮だ。伊勢神宮などは二〇年に一度という式年遷宮を持統天皇の時代以来一二〇〇年間も忠実に受け継いでいる。これにならって、電子データもまずは図書館(国立国会図書館がいいだろう)に集めて保存し、媒体が劣化したりソフトが陳腐化する二〇年ごとぐらいに新たな媒体へ移し替え、同時に新しいソフトへの対応も行うというのが電子式年遷宮である。一〇〇〇年後にまで電子書籍を残すことを考えたとき、こうした制度は必須だ。

 そんなややこしいことを考えなくても、プリントアウトして紙で保存すればすむことじゃないかと思ったあなた、確かに紙の本というのはそれ自体がレコーダーでありプレーヤーであるという、希有な特質を備えた優れた媒体だ。要は「本を読むのには本だけあればいい」ってことだ。紙は少々劣化はするが、ちゃんと保存すれば数百年たっても読める。ましてやOSの変化なんていうものもありえない。

 だから「やっぱり印刷だよ」というオチにしたいところだが、マルチメディアコンテンツ(なつかしい!)をどうやって、紙に保存するかという問題に降参だな。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2012/09/05

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中西 秀彦

ナカニシヒデヒコ
印刷会社経営。1956(昭和31)年京都府生まれ。主な著書は『活字が消えた日』(1994年、晶文社刊)、『学術出版の技術変遷論考』(2012年、印刷学会出版部刊)など。

掲載作は印刷学会出版部発行『印刷雑誌』の連載が初出。『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』(2010年、印刷学会出版部刊)より抄録。

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