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「三角橋」より

《目次》

 三角橋

 

 瓜 男

 呼ぶ声

 

 三角橋

踏ん張って ペダルを漕ぐ

傾斜四〇度ほどの

三角橋を 渡りきれば

母に奇跡が起きると願かけて

橋の上まであと少しというところで

見えない何かに引っ張られるように

後退りする

仕方なく下りて 自転車を押す

(お母ちゃん ごめんね)

若者たちが

立ち漕ぎをして追い越していく

私達おばさんだって

母だって

踏ん張り斜めになりながら

前へ前へと

漕ぎ続けた時代があった

振り返ることなんてできない

風と対になったり 逆らったりして

ひたすら歩んだ

(お母ちゃん 年には勝てないねぇ)

走馬灯のように巡る原野で

-楽しいことなんかなかった

と泣く母

その一生を

幸せな時もあったと

塗替えなくてはならない

思い出の小箱を開けては

黄や緑のハンカチを次々と出す

母の為なら

鳩だって出して見せる

手品師の私

(お母ちゃん 時間がないよ)

三角橋

あとどのくらい 

往き来できるのだろうか

季節は 虫の音に変わった

闇へと

ブレーキをかけずに

一気に下りていく

                    *傾斜四〇度は心の坂

 

 対

ほ 

の字に唇をすぼませ

別れ際に手渡された桜桃を頂く

男の手によって摘まれた

それは  

対の形で

百あれば百の

千あれば千の

響きを空へと奏でていたのだろう

わたしは耳をふさぐ

わたしは目を瞑る

 

今頃 男も

明るいまどろみの淵に腰かけて

乳首を含むように

桜桃を食べているのだろうか

 

-二人寄り添って

約束のない

またの逢瀬が 

                ぽと り  

雫となって消え入る

 

 瓜 男

縁側で西瓜を食べていたら 急に男がやって来て

傘を貸してくれという

見上げれば空は曇りながら明るい

-瓜みたいな男だ

訝る心を読み取ったのか

男は西の空は真っ暗で 三〇分もすれば雨が降ると説明する

色とりどりの傘のなかから 骨の一本折れたビニール傘を手渡した

-ありがとう

男はにっと笑って帰って行った

一呼吸おいて

今度は誰のまわし者か 蟹顔風の男がやって来て

とうとう現場を押さえたと 自信ありげにポラロイド写真を見せた

だんだんに浮き上がってきたのは 傘を手にした先ほどの男だった

後ろに半分ドアから覗いている私の顔もあった

突然の登場に怒る私に 蟹男は畳みかける

貴方達の不倫現場を押さえるのに 生まれ変わり死に変わりしました

瓜みたいなあの男 思い返せばあの笑いにかすかな記憶があった

くどくどと口から泡だてる蟹男を突き飛ばして私は走った

空は先の男の言うとおり真っ暗で 肩をドミソ ドミソと雨が降り出した

どうしても男にあわなければ

いくつもの角を曲がると 家並みの中に橋があった

川は水かさを増し蛇の背のように激しく動いていた

人目を避けひっそり二人で暮らしたのは 一年ちょっと

あれは前世かそれとも 新聞の切り抜きのように浮かんでくる

果たして男は私と知って傘を借りに来たのか

雨は激しくなるばかりで視界がきかない

男はいったいどこに行ったのか

私もまた 黒い傘をさし男を待っていたあの日の私に戻れない

 

 呼ぶ声

千鳥が淵を歩いてみた

道なりにゆるやかなカーブを曲がると

どんぐりがたくさん落ちていた

ひときわ大きな実を拾ってみると

手がその重さに驚いて足を竦めてしまう

見上げれば マテバシイ

その木々は戦没者たちの墓に立っていた

未明 タクシードライバーは

無数のどんぐりが千鳥が淵を目指して

車道を横切るのを見たという

無理に車を走らせようとすると

一つひとつが 人型となって

恨めしい目で見るのだという

 

どんぐり コロコロ

どんぐりは土に還れない

コロコロ どんぐり

斜面を駆け抜け

お池に入って 一安心

千鳥が淵の水の下で

静まれ 静まれ

どんぐりが

イキタイと

ひしめきあっている

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2011/05/22

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沢 聖子

サワ セイコ
さわ せいこ 詩人。1948(昭和23)年、東京生まれ。主な詩集は、『裏庭の椿』、『雪蛍』など。

掲載作は、詩集『三角橋』(2008年10月、土曜美術社出版販売刊)より、自選した。

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