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牧場(まきば)の外へ

「訴えてやる!」

 田村は生ぬるいビールを飲み干した。会社を辞めてまだ一週間。公園に外灯がついた。

 勤めて一年も経っていない会社からクビを宣告されたばかりだ。経営が悪化したことに伴うリストラ。四十八歳の働きざかり。

 二十年以上も勤めていた会社で次長までなった頃、自分の先が見えたと思っていた。

 年収は六百万位で良い方ではないが、中小企業としては仕方ないだろう。妻と子供三人の五人家族。生活は楽ではないので妻は近所の部品組立工場でパートとして働いている。

 田村は二十年間健康食品の販売会社でそれなりの営業実績を上げてきたと自負している。ライバル会社の役員がそんな田村に目をつけて年収八百万円で誘ってきた。

 とりあえず支度金として現金で百万円を渡された。領収書は要らないと言う。新商品を発売することになったのでその責任者になってくれとの要請だ。成績によっては年収八百万円に更に報酬金が追加されるという好条件。

 健康ブームの追風も吹いている。チャンスだ。田村は会社に退職届けを出した。

 会社では社長以下役員や数名の部下も慰留してくれた。簡単な送別の宴を開いてくれ、円満退社。二ヶ月後に新しい会社に入社した。雰囲気が暗い。

 田村が辞表を出した頃と比べて追風がやんだ、というより少し向かい風が業界全体に吹き始めてきている。どうも活気がない。新商品の販売計画も遅れているようだ。

 営業部部長代理の肩書きで当分担当者と得意先まわりをすることになった。

 販促強化運動の大義名分をつけての営業部隊の尻たたき役だ。それなりのノルマの達成が必要。今更ながら転職を悔んだ。

 しかし後戻りはできない。妻にも子供たちにも夢のある話をした。妻はパートの仕事を辞めて家事に専任する予定になっている。

(やるしかない)田村は頭を切り替えて早朝会議を召集し、徹底的に営業会議をやった。入社二~三年の若手社員の数名が退社。田村のやり方についてゆけないというのがその理由。

 営業成績は伸びるどころか前年比を大幅に下回っている。田村をスカウトした担当役員は業界全体が悪いからと田村を慰めにかかる。ところが、他の役員も入った会議となると態度が変わる。代理店からの返品やらクレームも多くなってきた。窓口の女子事務員では対応できず、田村もクレーム処理に出かけることが多い。一人で苦悩する田村。家庭では妻がパートを辞めて子供の塾通いの予定が作られている。

「あなたの会社大丈夫?」

 夕食の後片づけをしながら妻が話しかける。

「お隣りの奥さんも仕事辞めたんだって」

 明るい声で言っている。健康食品の販売の仕事をしていたと聞いていた。

 田村は聞こえないふりをしてテレビのスイッチをつける。

 テレビで百年に一度の大不況、大企業の解雇のニュースが流れている。

 チャンネルを切り替えるとお笑い番組。笑い声だけが空しく響く。

 夕刊を手にしたが、やはりリストラ関係のニュース。

 田村も今日、十五名の営業部員を十名にするよう担当役員からリストラの指示が出ている。経費削減の一環としての人員整理。

 新商品の発売計画も中止。会社そのものが危機的状況である。

 営業成績を伸ばす見込みが立たない状況からして、反対もできない。高校受験を控えている長男が塾から帰ってきて、黙って自分の部屋に入った。

 例年よりも桜が一週間も早く咲いて、東京は初夏から夏になる気候が続く。

 季節までが速度を上げている。隅田川も白い夏の光を集めて流れている。

 川沿いの遊歩道を散歩する中田の足も重い。川沿いの陽ざしを避けて緑の木陰を求める。ゆっくりと歩くが、酸素の薄い空気は病み上がりの体にこたえる。

 近くのS病院で大動脈瘤の手術をして三本の人工大動脈の装填(そうてん)で生命の(きずな)をつなぎ止めている中田にとって、動物以上に酸素には敏感になる。濃度もわかる。炭鉱のカナリア以上に鋭敏になっている。隅田川沿いの遊歩道の右手にあるガーデンにつながる階段をゆっくりと上る。

 上りきったところの大理石風の造りのテーブルに座って息を整える。

 さわやかな風が階段を上ってくる。同じ空気でも風になると酸素が増える。

 科学的根拠はないだろうが中田にはそう感じられる。

 病後の中田は左脳で考えることをしないで右脳で感じる生活を大切にしている。できれば左脳の働きの全てを停止、右脳だけで感じる世界で暮らしたかった。

 中田の大動脈瘤の原因も結局はストレスとの診断。ストレスのない生き方の選択として右脳的人生、自然体の生き方をしようと心がけている。中田の九死に一生の生還後に、百年に一度といわれる未曾有(みぞう)の世界大不況の波が日本にも押し寄せてきた。

 中田の命と引き替えに。正確に言うと、中田は生き返ったという認識よりも生かされたと思っている。生かされた理由を探しての散歩。三本の人工大動脈の絆がいつまで持つか? 余命は? 寿命と言えば納得できる。

 不安と感じたら不安が不安を増幅する。命を感じれば寿命、考えれば不安だ。

「中田先生です……ね」三十代後半と思える女性が声をかけてきた。超一流を誇る月刊誌の編集担当者だ。大不況時代のリストラについて経営者側とリストラされる労働者側にインタビューをする「百年に一度の大失業時代」の特集記事を企画している。そのインタビューの約束をしていた。

 タワー棟にあるホテルの展望レストランやインタビューのための部屋ではなく、この場所は中田が指定した。風の立つ場所の方が話して疲れないからという理由による。

 ほとんど人もいない、時々木々のざわめきが聞こえる静かな環境にある、中田の好みの場所の一つだ。

 テープレコーダーがセットされ、インタビューが始まった。

「先生は二十五歳で独立されて、会社をお作りになって四十年以上も社長をされてきたと伺いましたが、今回の大不況によるリストラ大失業時代について経営者としてどうお考えですか?」

 労働者側の立場で経営者に責任をどう感じるかと問うようなやや批判的な雰囲気がする。アメリカに端を発した大不況。サブプライムローン、リーマンショック、新自由主義、フリードマン教授の唱える資本主義に結局神は下りてこなかった。

 グローバルスタンダードという超大型の仕掛けのイルージョンに踊らされた日本。中田は自説を話した。

 企業の存在価値。ステイクホルダーの利益のバランスを崩し、会社は株主のために存在するといった考え方が新自由主義の名のもとにシステムとしてできた。株主訴訟も大々的に報道されている通り。経営者の経営意欲の喪失(そうしつ)。会社と社員の絆の断絶、それ以上に人間の情との決別。

 現役経営者の口から語れない内容もある。

「今は無理だろうが、一年も経てばよくわかるだろう。しかし合成の()(びゅう)の結果のシステムであることに気づく人が何人いるかだ」編集者が首をかしげた。

 日本人一人ひとりが暗黙の了解のもとに、しかも無意識のうちに、このシステムの構築者であり当事者となっていることを知っていない。

 自由という美名のもとに(ひそ)かに生息する魔物の姿を見ることもなかろう。

 インタビューのテープ起こしをしても、中田の言う誤謬について記事になることはない。右脳で読み解く人がいない限り。

 専門の経営学者の頭脳では読み解くことは難しいだろう。日本人の、否、人間の感情の奥深くDNAとして刻み込まれてものの正体はわからない。インタビューは一時間程で終わった。

 あとは中田が書いている経営ブログを読んで参考にするよう編集者に伝えた。

 記事ができ上がったら見せに来ると言って編集者は帰って行った。疲れたというより空しさが中田を襲う。多分この記事はうまくまとまるだろうが、誤解されたりミスリードされたりするような結果になる危険性もある。

 活字や学者の話に疑いをはさむことなく妄信(もうしん)する(くせ)は日本人特有のものだ。無意識に、作り上げられているシステムにいとも簡単に組み込まれる。それで安心している。外国から見たら滑稽(こっけい)に見えることも知らず妄想の上のベッドで惰眠を(むさぼ)っている。おめでたい民族だと外国の友人から指摘されたこともあった。中田もジョークで、

「国債を売って暮らすから大丈夫」と答えた。ジョークではなく本気で考えるべき時かも知れない。特集記事が不安と迷いを生じないか心配。

 田村は労働基準局に相談に出向いた。

「不当解雇」だと主張する田村に、

「一ヶ月以上も前に解雇予告をされて、会社規定にも特に問題ないようだから、もし言い分があるなら労働審判に依頼した方が良い」とにべもない。ボランティアが特別に開いている相談所、労働弁護士に相談しても不当解雇撤回を勝ち取ることは難しそうだ。仮に認められても会社に復帰することが現実問題として可能なのか。復帰した後の会社の将来は……。田村の前に大きな壁がいくつも現れてくる。田村の人生の全てを押し(つぶ)す勢いで迫ってくる。

 まだ家族には話してない。話せないのが今の田村だ。

 ビールの空缶を握り潰してベンチを立った。公園の隅の植込み近くにビニールシートが見える。ホームレスが二~三人いる。

 急に風が冷たくなった。外灯に蛾の群れが集まっている。物音一つしない静寂が田村の更なる不安を(あお)る。

 若い男女が公園の入口付近のベンチのところに来た。激しく口論をしているようだ。

 女は「返せ!」と激しく迫っているが、男は「待ってくれ」の一点張りだ。

 どうも金銭のもつれのようだ。

 公園のベンチは本来、人が休息をしたり、若者が愛を語り合うところだった。

 田村の若い頃の会社も年二回の社員旅行をしたりと、仲間との絆があった。

 気がついてみたら、いつの間にか公園のベンチも会社も人間の魂の抜け(がら)になっている。会社にもこの公園のベンチにも再び魂が帰るところはない。田村は愕然(がくぜん)とした。

 外灯が無人のベンチを冷たく照らしている。

 迷い鳩が一羽外灯の光の中で(えさ)(ついば)んでいる。赤い目から涙が落ちているようだ。

 田村は我が家に帰る気力を失っている。

 探してもどこにも帰り道がない。

 奈落の底に落ちてゆく自分に酔っている。

 絶望のどん底に見る快感の瞬間。

 定期健診のために中田はS病院に来た。

 CT検査のために更衣室で着替えをする。(いか)めしい顔をした四十位と思える男が入ってきた。中田の肩から背中、脇腹に伸びる手術跡を見ると、失礼しましたと深々と頭を下げて部屋を飛び出した。こんな(ほとけ)みたいな中田をどこかの大親分と勘違いしてのことだろう。ドアを開けて検査室に向かうソファーのところで、震えるような目つきで中田を見ている。体のわりに小心な男のようだ。

 こうした(やから)が弱い者いじめをしているかと思うと腹立たしい気がする。

 権力や暴力の衣装をまとい心の弱さを隠して生きている連中もいる。

 検査の結果は特に異常なしの所見だ。

 二階のドーム状の渡り廊下からガーデンへ。階段を下りていつもの遊歩道に出た。

 今日の隅田川は天気も良いから機嫌が良さそうだ。毎日違った表情を見せているが、中田は機嫌の良い隅田川が好きだ。

 カモメも川の流れもCT検査を受けているように息を止めている。木々のざわめきもない大自然の静寂の瞬間だ。

 この静寂の中に聞こえてくる声がある。

 人間はいつの日からこの声を聞こうとしなくなったのだろう。

 若者が乗った四~五台の水上スクーターが水しぶきを上げて近づいてくる。

 再び隅田川は元の流れに戻った。

 対岸には超高層ビルが建ち並んでいる。ビルの中の人間模様は見えてこない。何千人、全体では何万人の人がいる(はず)だ。

 人間のオーラが自然界との接点を持てない空間に閉じ込められている。

 佃煮の匂いが漂ってくる裏通りもある。その(なつ)かしい匂いも歴史の中に埋没する寸前だ。ロボットの居住空間が増えてきた。

 人間の心の住む場所がなくなってゆくことに抵抗する力もない。

 百年に一度の大不況も大失業時代も、超高層ビルのように巨大なるシステムの中で作り出した人間の作品だ。

 合成の誤謬が生み出した百年に一度の作品だろう。

 出版社の編集女史から電話で取材原稿に目を通すように依頼され、ガーデンに向かった。その前に名前を思い出すために名刺を確認した。今田恵美。

 かなりラフないでたちだ。座って原稿を広げている。追い込みの時期なのだろう。

 渡された原稿を見ると、中田が話した内容が五枚程にまとめてある。

 経営者ならば誰でも話すであろう、当りさわりのない記事にまとまっている。特に可もなし不可もなしといったところだ。誤謬の事は思っていた通り一行もふれていない。二十分程でチェック終了。

「先生、ちょっと待って、お飲物買ってくる」と目の前のコンビニに走る。建物の中にあるが歩いて10メートルほどの近さだ。

 日本茶とアイスクリームのようなものを持って帰ってきた。

 中田に日本茶を差し出すと、恵美はアイスクリームを食べ出した。

 北海道の生まれでアイスクリームは子供の頃は自家製を食べていた、牛乳ではなく山羊や羊の乳を使ったアイスクリームもあるという。かなりのアイスクリーム通。親戚(しんせき)がその牧場を経営しており子供の頃よく遊びに行ってた、と楽しそうに語る。

「先生も召し上がる?」と言ってきたが中田は丁寧にお断りした。

 今回の取材で恵美は、企業やリストラされた失業者を通して大きな矛盾を感じたようだ。頭の整理にはもう少し時間がかかるだろう。中田の言う無意識誤謬のシステムについては興味があるので今度教えて欲しいと言う。仮に恵美が理解して記事に書いても、今は混乱と更なる矛盾(むじゅん)へと発展しかねないだろう。病気の自覚もない患者を治療する医師もいないだろうし、下手すると人権侵害(しんがい)にもなりかねない。失業者自身が生み出している自己矛盾の発散場所としてテロの温床になる危険性すらある。

 それを増長するようなマスコミの言動には注意しないと。

「先生、難しそうな話?」

「そんなことないよ」と言うと、

「綺麗!」と澄みわたった空を見上げた。

 いつものようにカモメが青いキャンバスに白い雲を描いている。

「先生お体の調子は?」中田の体調を気遣う。

「有難う、ところで最近は北海道に帰っているの?」と聞くと、帰っている、今年の夏も帰ると言う。

 羊牧場に行くのが楽しみのようだ。

 人間に従順に従う羊たちが可愛いと言う。羊もペット同様に人間の心を(いや)すのだろう。

「先生がこの間書いた『天国鍋』面白かった」

 と言う。中田が書いた短編の文化パロディを読んだのだろう。

「あっ! いけない、もうこんな時間」とあわてて帰っていった。

 出版業界も厳しい競争の波にさらされている。消えては生まれる波の世界だ。

 恵美には群がらない羊の個性がある。本人はまだそのことに気づいていない。

 公園を出て田村は夢遊(むゆう)病患者の徘徊(はいかい)をしている。赤提灯(ちょうちん)の「名物天国鍋」が目に入った。提灯が田村に手招きをしている。

 吸い込まれるように店の中に入った。

 十人も入れば椅子席はいっぱいになる居酒屋だ。ほとんど満席状態。カウンターの隅に座った。天国鍋とビールを注文する。「天国鍋一丁!」と威勢のいい声がする。天国鍋の説明書を手に取ってみると、全ての食材が天国につながるものとか……。

 色々と講釈が書いてある。週刊誌の切り抜き記事もはさんである。

 この居酒屋の経営者の知人が書いた文化パロディ『天国鍋』からこの天国鍋を考えついた。

 生ビール付、一人前九百八十円の値段で支店でも大人気だ。肉や野菜や魚介類、まさにちゃんこ鍋スタイル。味つけは塩、しょう油、味噌とお好みで各自自分で行うこと。これが天国鍋のルール。

 味噌としょう油で自分で味つけをした。これがいける。田村は少し元気を回復した。

 少し落ちついたので周囲を見まわすと、レジ横に店長代理募集のはり紙がある。

「残業手当有り」の文字が目に飛び込んできた。今時、残業手当? 田村がこの会社に入社することになったきっかけだ。面接を受け、採用された。田村の新しい人生のスタート。まだ家族には話していない。

 田村は店の閉店後社長と二人きりになった。会社は有限会社で、三年前に社長が脱サラして店を開き、現在、新川と月島に二店あるという。最初の店は五十七歳の時に少ない退職金と国金(国民生活金融公庫)からの借入れでまかない、現在会社はやっと黒字になったところ。業界全体が不振の中で地元客を中心に前年売上げを上回っている。五店舗位まで増やして年間三億円位の売上げに持ってゆきたい。そのために田村にも協力して欲しい。一緒にやろうと熱く語りかけてくる。

 残業代はきちっと支払うが、その分は会社の株式に投資してくれと言う。田村も株主として会社の経営に参加してくれという誘いだ。

 宮仕えのサラリーマンと違って、君も経営者だと言う社長の言葉に田村はじーんとくるものを感じた。自分も経営者か。田村は家族に全てを話す意を決した。外に出た。星空を久しぶりに、何十年ぶりか記憶にない程久しぶりに見た。今までと違って八丁堀のマンションまで歩いて十分もかからない。交通費と時間の節約になるし、残業も気にならない。田村は天国鍋で奈落の底から這い上った。遠い世界にあった星が自分に近づいてきた。

 田村の不安と迷いが夢と希望に変化した。

 居酒屋の社長から中田に電話が入った。

 天国鍋の売上げが順調なことと、残業代持株方式のアイデアに感謝の言葉を述べる。

 新しいパートナーの入社が決定したこととこれからの夢を相談したい、店の方はまかせられる人材が見つかったので、いつでも中田の都合に合わせると言う。

 中田の方から電話することにした。

 不安と悩み、迷いからの脱出のためのインセンティブ、この社長なら実現できる。

 これならば合成の誤謬の間違いは起こさないだろう。自力本願の夢と希望がある。

 大不況の闇の中にもひとすじの光明が見える。天国鍋のご利益(りやく)はあった。

 恵美から電話が来てガーデンまで来ると言う。

 天国鍋の話題が出たので夕方に時間を決めて居酒屋に行くことにした。

 社長にもその旨電話を入れておいた。中田と恵美が店につくと一人の男が出てきて、社長から聞いてましたと丁寧な挨拶をする。

 田村と中田と恵美の最初の出会い。

 田村は中田の書いた『天国鍋』を読んでいるらしく、続編を書いてくれと言うのに恵美も賛成している。恵美はネタも持っているとさかんに勧める。

 中田はある考えがひらめいた。

 恵美に続編を書かせることだ。

 先生ご冗談を、と言いながら満更でもなさそうだ。これで二作目の誕生だ。田村もグラスを持ってきて三人で乾杯。

 社長がやってきた。まだ店の開店まで少し時間がある。恵美と中田のために店を早く開けていた。恵美への挨拶もそこそこに早速夢物語へ。これからの事業にかける夢、田村が入ってきたので社長の夢は更に(ふく)らんだ。

 今計画書をまとめているからでき上ったら見てくれと言うが、中田は半年位後の方が良いとアドバイスをした。

 天国鍋の味の研究もさることながら、この店にはまだまだ問題点がある。話題性だけでは本物の店にはなれない。やんわりと社長に注意して店を出た。外はまだ暮れていない。

 隅田川のほとりに出た。水面は迫りくる夕闇の中でキラキラ輝いている。

 手摺(てすり)にカモメが整列している。

「先生、天国鍋あまりお気に召さなかったようですね」恵美も同じようだ。

「やはりパロディと現実の世界のギャップはあるよ。あれが合成の誤謬の味だよ」

「そうね……」恵美も笑っている。中田の言うことをかなり理解している。

「今回の大失業時代の特集も、先生の批評は同じこと言っておられるわ」と大笑いしている。

 失業者一人ひとりは正しいことを言っているがどうも全体の行く道が間違っている。

 天国鍋の味つけは客自身がやるという中田の決めたルールを親切心から味つけを田村がやってくれた。その結果恵美が見抜いたとすれば、今更中田が特に教えることもなかろう。

 主観や思い込みに客観の目が入ることで結果が天と地の開きになることが多い。

 川沿いに古めかしいというよりひなびた古風な喫茶店がある。コーヒーでも飲もうと入った。マスターが読んでいた新聞をたたんで注文を聞く。最近では滅多にお目にかかれない四人用のレトロ調のソファーに腰をかける。

 コーヒーと水が運ばれてきた。

「中田先生、私こんど、フリーの編集者になるの」と恵美が言う。会社との話し合いで契約社員になるようだ。独立してもおかしくはない年頃に見える。他の出版社との縁もできるし自分でも色々と出版企画を考えたいようだ。

 雑文程度の協力は中田もできるだろう。

 さっき相談するつもりだったが天国鍋のこともあり相談できなかった。

 編集者だけでなく物書きの道も開けてくるだろうし、中田もそれに期待したい。

 当面天国鍋の続編が楽しみだ。

 その前に北海道に帰り羊牧場で羊たちと遊んでくると喜んでいる。

 S病院から500メートル圏で生活している中田には(うらや)ましい限りだ。

 羊牧場は年老いた親戚の老夫婦が経営していたが、最近では手に余るようになり、リストラにあった息子夫婦が手伝いに来ている。

 どうも老夫婦と意見が対立しているので様子見も兼ねて行くと言う。

 恵美の実家は国道沿いでガソリンスタンドと燃料店を経営しており、兄夫婦が継いでいるものの最近ではやはり経営は厳しい。

 恵美だけがのんびり独り暮しを楽しんでいると言う。明るく言っているが決してのんびりとではないことは中田もわかる。

 中田が元気になったら北海道を案内してくれると言う。中田も一度羊牧場は見たいと思っている。

 羊に限らず動物たちは生きるために、というより単に真剣に生きている。

 人里に下りてくる熊も鹿も猿たちも食料を求めて命賭けで生きている。

 中田が、北海道の熊も鹿も命賭けで生きている、多分動物たちの世界でも百年に一度の大不況が起きていると言うと、

「それに比べて人間社会は……」

 と恵美が話し出した。大失業時代の取材でかなりの若者や失業者にも取材したようだ。

 こうした失業者対策の一環として東京都で農業や介護の道を勧めたところ、あんなきつい仕事は嫌だと興味を示さなかったらしい。

 失業の原因を会社や社会の責任にしている人が多く、取材の空しさを感じたようだ。

 自分の大切な命までも他人まかせ、誰かが守ってくれると思っているようだ。今までずっとそうだったからの思いが支配している。

 政治家も何とかすると言って空手形を発行しているとかなり手厳しい意見だ。

 自分の周りに食べる物がなくなっても誰かが持ってきてくれると妄想をしている。持ってこない人を批判したり、持ってくるふりをする人達に対する取材もしたようだ。

 記事に書けない内容であることは中田も推測できる。だから恵美もフリーの道を選択したのだろう。自由に自分の意見を言える場を求めて。

 しかし実際に恵美のような選択を何人の人ができるのだろう。

 動物の世界では当たり前の知恵だろう。

 自分の食料は自分で手に入れること。これは生きるための最低限のことだろう。

 奴隷制度廃止で自由となった奴隷たちが自由を()てて農園に舞い戻ったように、自由という権利を手に入れて、舞い戻り先を探した奴隷もいた。自由を手にして自己責任で生き抜いた黒人もアメリカ社会にはいる。

 農業社会から情報社会へと産業構造の変化の中でも変化しない他力本願の従属(じゅうぞく)思想がDNAとなって日本人の血の中に流れているとしたら……。暗黙の了解のもとに社会システムができていたとすると……。

 新自由主義のもとに日本は有史以来初めての大変化を起こしている。自由と権利を求めて出戻り先を探してもある筈のない社会に変化している。この現実が見えていない。黒人パワーに見習ったら良い。

 自由の権利を棄てて従属するか、自由を手にして自己責任で生きるかの選択しかない。

 権利を手にしたらその裏には必ず義務がついてくる。自由と責任、権利と義務、これがセットとなっている。自由と権利を()とし義務と責任を忘れた怪物思想が蔓延している社会で合成の誤謬などと言っていても何の意味も持たないだろう。去勢され洗脳された歴史の(あか)を洗い流すことだ。国民の一人ひとりの潜在意識の封印を解くためにも。

「恵美ちゃん、書いたらどうかね?」

「……」恵美は泣いているようだ。

「これからの自分の体験の旅物語として」

「うん……」と小さく(うなず)いている。

「先生はお書きにならないの?」

「僕が書いたら大問題になる。問題論文として槍玉(やりだま)に上げられるよ。右からも左からも。もしかしたら前からも後ろからも敵が来る」

 恵美も中田の言うことが理解できる。確かに日本人の伝統的精神を全否定しているとも受け取られかねないだろう。

 絆も、和の精神も、伝統も、大和魂も、武士道も。

「恵美ちゃんの目を通して、わかりやすく優しく語れば、皆理解するよ」

 合成の誤謬の種子が変われば必ず新しい希望の花が咲くと言うと笑顔になった。

 このことに気がつけば日本丸の進路は正しくなるだろう。国も自由を手に入れ権利を主張する。アメリカに従属することなく自己責任で進路を決めるようになる。自由と自己責任、権利と義務のレーダーが正しく作動するだろう。目に見えない社会のシステム程怖いものはないということは歴史の中にまだ封印されてはいない。

 天国鍋の社長から電話が入った。

 田村店長と二人で話し合った。

 中田が作った天国鍋の味つけのルールの意味を二人共理解したとのことだ。

「味つけをしてやったら、辛いのすっぱいのと勝手なことを言うが、自分で味つけさせると美味しいと言う」自己責任だと自覚しているから、反省こそすれ文句を言う筈はない。

「素材だけは本物を」とつけ加えた。

 どうも田村が小さな親切大きな迷惑に気がついたようだ。これで天国鍋の味は守れる。

 社長の事業もやっと一歩前進するだろう。

 早目の夏休みを利用して北海道に帰った恵美から手紙が来た。

 案の定老夫婦と息子が対立していたようだ。牧場内の草の成育も良くなく、作業も大変なので羊も含めて牧場を売り払うというのが息子夫婦の考え方だ。

 老夫婦はせっかく先祖から引き()いだ牧場は売りたくないし、今のままでも年金を併せれば何とか生活できると譲らない。

 確かに牧場内には草も少なくなっており地肌をむき出しにしているところも多い。

 それでも国道沿いのかなり広大な土地だ。売れば少なくとも数千万円にはなる。

 観光牧場としての経営方法もある。

 とにかく息子夫婦は従来からのやり方に不満があるとのことだ。

 恵美はその気持ちも理解できると言う。

 恵美が作業の手伝いをして牧場の出入口を閉め忘れた時、一頭の羊が柵から外へ出て広い敷地内で行方不明になった。ところがその羊は夕方には自分で牧場に戻った。次の日は二~三十頭の羊が同じ行動をした。牧場の外へ出た羊は自分たちで餌を食べて夕方は牧場の外から戻ってくる。

 外へ出て自由に牧草を探す数頭の羊を見て他の羊もそれを真似る。

 羊たちは自分で餌を探す野生の本能に目ざめた。牧場の(さく)の中で飼育する永年のシステムを変えれば可能性が見えてくる。

 先生に教えて頂いたことを思い出しながら羊たちの物語を書いてみる。

牧場(まきば)の外へ”羊たちが自由に生きる姿を、永年かけて人間が作ったシステムを自分たちの野生、本能で変えてゆく姿を子供たちに伝えたい。そこに新しい社会システムを作る種を()きたいと書いてあった。

 将来の若者が日本という牧場の中から自由に外に出て自己責任の旅ができるようにしないと、牧場の中の草はもう少ない。

 羊たちは本能的にそれを察知して牧場の中で家畜として飼いならされた習慣から脱皮しようとしている。そこには牧場経営者にできるだけ負担をかけないように自立しようとする堅い意志と優しい心がある。

 そのことを羊たちは語らない。恵美がその語り部となる。

 草のない牧場の中にいつまでも家畜として羊たちを飼育しようとする古いシステムを変えない限り、牧場経営者も羊たちも共倒れになる日は近い。

 羊たちが牧場の外へ出て生きのびる努力をしている。その姿に恵美は今の日本の若者の姿を重ねて見ている。どちらに自立心があるのか? 牧場の中にいた羊たちは少なくなった草を取り合って羊同士のもめごとも多かった。

 柵の外に自由に出入りできるようにシステムを変えたらそれを機におとなしくなった。

 古いシステムで暗黙の了解のもとで束縛(そくばく)しようとするとそこに反発も起きる。

 迷える子羊(こひつじ)たちではなく、子羊たちは自分の道をしっかりと歩いている。

 迷っているのは人間たちだ。それを日本の未来を背負う子供たちに伝えたい。童話『牧場(まきば)の外へ』はそんな恵美の夢を書こうとしている。

 中田がどうしても書けなくて封印しようとした日本社会の背景にある家畜システムの幻想を恵美が童話を通して子供たちに伝える。背景にある真実を伝えようとしている。

 牧場の中にいれば食料が貰える、飼主が草づくりをしてくれる保証がないことを羊たちは本能で見抜いている。

 見て見ぬふりの限界。今の日本人は、日本社会は、誰かがやってくれるだろうとする他力本願のシステムを根本的に変える時に差しかかっている。

 恵美なら書ける。迷える子羊の真実を伝える、立派な語り部になる。

 未来を担う子供たちに明日からでも始めないと。

「ゆとり教育」を受けた「ゆとり世代」が企業に入社してくる。企業では再研修が必要となり、その対処法に苦慮していると報道されている。普通の一般常識人からみると異星人という他ないと(こく)(ひょう)されている。個性重視というがとんでもない結果となっているようだ。単なるわがままだ。十数年続いたゆとり教育は多くの負の遺産を残してしまった。意思疎通(そつう)が困難で打たれ弱く、育てるのにもやたらと手間(ひま)がかかる人材がこれから大量に世の中に出てくる。

 恵美からの童話が届いた。

童話『牧場(まきば)(そと)へ』

今日(きょう)はみんながお勉強(べんきょう)したことの反省会(はんかいせい)をします」

 お勉強の反省会? 子供たちは不安{ふあん}な表情{ひょうじょう}だ。

(まよ)える小羊(こひつじ)ということば()いたことある(ひと)? 先生も聖書(せいしょ)()んだことあるけど、みんなはどうかな?」

「はあい、ハ~イ」みんな手をあげた。

(よわ)(ひと)たちが困っている」

「自分の行く(さき)がわからなくて(こま)っている」

「おなかをすかして食べ物をさがしている」

親羊(おやひつじ)をさがしている」元気(げんき)にこたえた。

「そんな時にみんなはどうする?」

「食べ物をあげる」

「道を(おし)えてあげる」みんな(やさ)しい子供たちだ。

「みんな良い子ですね」

 子供たちはニコニコ。

「でもそれは人間の思いこみでした。先生、ついこの間までみんなと同じでした。たぶん、みんなのおとうさんも、おかあさんも、おばあちゃんも同じだったと思うよ、たぶん先生が教えたのかな?」

「さいきん、先生が()ったことだけど、先生の知り合いがやっている牧場(まきば)でおじいちゃんが()りたお金をかえせなくて牧場とかっていた羊たちを売って牧場をやめることにしました。でもおじいちゃんは羊たちがかわいそうでなかなか売ることはできませんでした。借金(しゃっきん)取りが来て牧場をとりあげることになり、悲しんだおじいちゃんは病気(びょうき)になりました。羊たちの食べ物である草も牧場(まきば)の中で少なくなり、おじいちゃんも羊たちにえさをあげるために(はたら)くことができなくなりました。

 ある日、牧場(まきば)から一頭(とう)の羊がいなくなりました。その羊は夕方に牧場へ帰ってきました。つぎの日、こんどはたくさんの羊がいなくなり、また夕方牧場に帰ってきました。次の日はもっとたくさんの羊が朝からいなくなりました。そして朝から毎日牧場の羊がいなくなり夕方帰ってくるようになりました。

 ある日、おばあちゃんが羊たちの(あと)をつけてみると、草がたくさんある場所で羊たちが食事をしていました。おじいちゃんを助けるために羊たちは自分で食べ物をさがして、まいにちそこで食べて牧場(まきば)に帰っていたのです。

 おじいちゃんの牧場は羊たちにやる食べ物のお金がいらなくなりもうかるようになりました。おじいちゃんの病気も良くなり牧場を売らなくても良いようになりました。

 羊たちは(まよ)っていなかったのを、人間がかってに(まよ)っているとかんちがいしていたのです。先生もそうです。自分たちで食べ物をさがせる力があるのに、おじいちゃんがいつもくれるから、そんなもんだと思っていたのです。でもおじいちゃんが病気(びょうき)になって借金(しゃっきん)とりに牧場(まきば)をとられることを知って、おじいちゃんを(たす)けるために自分(じぶん)で食べ物をさがしたのです。

 いままでは牧場(まきば)の中でとじこめられていたのがこんどは牧場(まきば)(そと)自由(じゆう)に食べ物をさがせるようになり、おじいちゃんにめいわくがかからないように自分(じぶん)のせきにんで自分の食べ物をさがしたのです。牧場(まきば)(そと)へじゆうにしてもらってどこにでも()けるようになったのだから自分(じぶん)のせきにんでさがしていたのですね?」

「ひつじさんたちえらいね」

「はあ~い」と子供たちは目をかがやかせた。

「それと少しむずかしいかな? 羊たちはおじいさんに(あさ)牧場(まきば)の外に自由に出て食べ物をさがす権利(けんり)をもらったからおじいちゃんとのお約束(やくそく)である夕方には牧場(まきば)に帰る義務(ぎむ)があるのでそれをまもって毎日夕方には牧場(まきば)に帰ったのです。きまりごとをまもる羊たちはえらいでしょう?」

「みんなも自由(じゆう)時間(じかん)は自分のせきにんでお勉強(べんきょう)しないと羊さんたちにわらわれますよ」

「はあ~い」

「あそびに行っていいと権利(けんり)をもらったら、お約束(やくそく)時間(じかん)にお(うち)に帰るというお約束義務(ぎむ)があるけどまもれるかな?」

「はあ~い」と子供たちはすなおだ。

「羊さんたちは(まよ)っていたりしてたのではなくて牧場(まきば)の中にいたから、なんでもおじいちゃんがやってくれるものだとおもっていただけでした。みんなもなんでもおかあさんや先生がやってくれるとおもっていたら羊さんにわらわれますよ。お約束(やくそく)できますね」

「はあ~い」少しはわかったようです。

「みんなも(まよ)える小羊(こひつじ)なんていわれないように自分(じぶん)でかんがえる習慣(しゅうかん)つけようね」

「先生! (あめ)がふったら羊さんたちはどうするの?」「(ゆき)がふったらどうするの?」

 たくさん質問(しつもん)がでました。

「こんどみんなで一緒(いっしょ)に羊さんたちのためにかんがえましょう」

「先生、こんどっていつ?」

「はやくしないと羊さんたちかわいそう」

 羊さんたちはやさしい子供(こども)たちに感謝(かんしゃ)しました。

(おわり)

 恵美の童話を読んだ。難しいテーマを子供たちにわかりやすく書く技術は大変だ。

 わかりやすいことを難しく書く人は多いが、難しいことをわかりやすく書くのは技術が要る。中田も社長時代によく経験した。

 代理店からのプレゼンで一行ですむ内容を数十頁にもわたり延々と書いてある企画書。時間と金の無駄遣い以外の何物でもない。

 恵美の『牧場の外へ』は難しいテーマをわかりやすく表現してある。童話として子供たちの興味をひけば成功だ。

 ゆとり教育による遅れをカバーすることを次の世代に託せる可能性が出てくる。

 しかし日本人の一人ひとりが歴史の中で無意識の中で作り上げた合成の誤謬という主矛盾については恵美の努力をもってしても子供たちに伝えることはできない。大人向けのマンガだったら表現できるかも知れない。

 恵美が東京に帰ってから話そう。

 恵美が帰ってきた。やはり牧場は手放すことになったようだ。息子夫婦もきつい仕事は嫌で札幌に出て暮らすことになった。

 恵美は(さび)しそうだ。恵美の書いた童話の中の子供たちが育つまで何十年もかかるだろう。

 教育でもゆとり教育の美名のもとに失われた十年があった。それを取り戻すには若者たちを日本という牧場の外へ自由に出してやり、自分の力で生きる道を探させることだろう。

 少なくともアジアの各国へ。

 中国だけでも日本の十倍以上の人口がある。日本人の力をもってすれば活躍の場はこれから限りなく広がってくる。

 狭い牧場の中で惰眠を貪りぬくぬくと生活をすることはできなくなっている。

 会社にそれを求めても、国も社会もそれだけのゆとりがない。迷える小羊に見習うことが必要だ。子供たちだけではなく若者たちにこそ『牧場の外へ』は読んで貰いたい。

 中田の考えに恵美は勇気づけられた。

 天国鍋の社長から電話で、中田と恵美を招待したい、新しいアイデアもあるので相談もしたいとの誘いがあった。何でも積極的にチャレンジする社長の姿に好感が持てる。

 自己責任で新しい道を切り開こうとしているのを見て中田も応援したくなる。

 天国鍋の材料は北海道産を調達した。

 味つけは恵美にお願いすることに。

 北海道土産として北海道の味を再現してもらう。材料も蟹や新鮮な魚介類。

 これで商売として採算が取れるのかと思うが今日は社長の(おご)りだ。

 社長のアイデアが披露された。田村の提案のようだ。居酒屋として営業していない昼の時間帯で親子の料理教室として店を解放するという。食材などの勉強もできるので子供たちの食育教育に役立てたい。

 中田も大賛成だ。食材の知識、食事のマナー、栄養のバランス、親も教師も教えられないことが山程ある。

 恵美も興味を持ったようだ。親子で作るスイーツ大会なども面白いと。

 田村も立派な経営者になっていた。

 地味でもしっかりと大地に立って生きる方法を身につけてきた。

 牧場の外へと活躍の場を広げてきている。

 子供たちは恵美の『牧場の外へ』の続編を首を長くして待っている。

 中田が生かされている理由も、中田自身に少し見えてきた。

 人それぞれが役割りを背負って生きている。それを気づかせることが中田の役割りだろう。そんな思いと共に食べる天国鍋の味に(いつわ)りはなかった。

 人の思いと心が味つけされている。味つけの最後の仕上げのコツだろう。

 社長も田村も恵美もそのことを知っている。恵美は子供たちにも天国鍋を作らせてやりたいと考えていた。

 日本人の一人ひとりが悩んだ時に迷った時に食べる自分の天国鍋を持っていたら、それだけでも明るく楽しい社会になるだろう。

 天国鍋教室も面白いアイデアだ。

 百年に一度の大不況を乗り切るには、牧場の外へ出た羊たちの勇気に見習いたい。そこに夢と希望を見出すこと。

 牧場の中での生活のぬるま湯につかっているゆとりはない。「牧場の外へ」出よう。

 皆が楽しいこと、明るい話題をどんどん作ってゆく。そこにこの国の未来がある。

「先生って、ロマンチストなのね」

 恵美が言う。

「この年になってか……」

 恵美は笑っている。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2011/05/22

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嶋川 弘

シマカワ ヒロシ
しまかわ ひろし 1941年新潟県生まれ。25歳でハリウッド映画のPR会社を設立し、40年間社長を務め、2007年に退任。主な著書は、『忘却のかなた』『無人島の残り火』など。

掲載作は、短編集『牧場の外へ』(2009年9月、パレード刊)所収。

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