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いなッく、あーでん物語

 英国の海岸に絶壁の何処(いづこ)からともなく立列(たちつらな)つて来て途切れた隙間に、ひとつの漁村をなした処があります。黄色い砂の浜辺から向ふを眺めると、狭い波止場(はとば)の辺に、赤瓦の家根(やね)がひとかたまりと、苔の蒸した古寺とが見えます。

 これから一本町をなだらに登つた処に磨機(うすじかけ)の水車が高く空にそびえてゐます。此後(このうしろ)往古(むかし)ディンス人が砦を築いた趾の残つてゐる高台(たかだい)があり、其高台が擂鉢形(すりばちなり)に凹んだ中に、蒼々とした榛樹(はんのき)の林が繁茂してゐて秋の木の実の熟する時分、山遊(やまあそび)の人がいつも(こゝ)へ集ります。

 百年の昔この浜に帆綱の(きれ)、古網、(つめ)のさびた(いかり)泊船(かゝりぶね)、何くれとなく打捨(うちすて)あるが中に三人の子供が遊んでゐました。小娘の名はエニイ、リイとて村で評判の器量よし、フィリップとは、水車屋(つきや)の一人息子、(ほか)にイナックと云ふは、いつぞや冬の難船に孤児(みなしご)になつたとかの木訥(ぼくとつ)らしき水夫の子でした。

 この三人はいつも砂を握つては、城を築き、寄せ来る波にたわいなく打壊されるを眺めたり、行く白波を追ひ詰めてはまた追返される其小(そのちひさ)な足跡を、毎日浜辺に付けたり消されたりしてゐました。絶壁の下へ打込む怒濤のあけた狭い洞穴へ這入(はい)つては、此三人がまま(ごと)をよくしましたが、イナックが一日御亭主になれば、翌日はフィリップが御亭主になりました。しかし細君(さいくん)になるのはいつもエニイでした。時としてはイナックが一週間も続けて御亭主になつて、「是は僕の家でエニイは僕の妻だ。」と威張ると、フィリップが「僕のにもしなくッちやいやだ。代りがわりにしやう。」と云ひました。喧嘩をすれば、どうしても骨節(ほねつぷし)(たくま)しいイナックの方が(かち)でした。するとフィリップは憤怒(いかり)の涙を眼に一杯溜めて、「君憎いことをするなア。」と大声揚げて叫びました。こんな時にはエニイが貰ひ(なき)をしながら、「あたしの事で喧嘩しちやア困りますよ。そんならふたりのおかみさんになりましやう。」と云つて(なだ)めました。

 さて楽しかつた子供の折も、春の曙のほのぼのと過ぎ行き、昇る旭日(あさひ)の壮年は心情の更に温まると共に、二人ともひとへにエニイ(ぢよ)(おもひ)をよせました。

 イナックは明らさまに(おの)が心を通じましたが、フィリップは黙して深く情を潜めました。乙女は却つてフィリップに深切に見えながらも、イナックに恋して居りましたが、これは我知らずの恋で、人にさうかと尋ねられでもしたら、(いな)んだ位でしたらう。イナックは飽迄(あくまで)節倹をして、自分の漁船を買取つて、エニイを(めと)る準備をしやうと、常に固く決心してゐましたが、万事都合よく行きまして、いつしか、イナックほど運強く、大胆で、危難に懸つて用心深い漁師は、浜続きの漁村にとてもないといふ位になりました。それ(ばか)りでなく、一年間ある商船に乗組んで、水夫の業に充分熟達し、すさまじき怒濤の(あぎと)から、人の命を救つたことさへ三度もありましたから、みんなに()く思はれて居ました。かくて二十一歳になるかならぬに、自分の船を買つて、水車へと坂になつてる細い町の中途へ、エニイと一処に世帯(しよたい)を持つ積りで、小奇麗で可愛らしい家を定めました。

 時は秋の夕まぐれ、今日こそはと云つて、若手の誰れ彼れが、小籠大袋を手に手にひつさげて、榛実(はしばみ)拾ひの大遊山(おほゆさん)(ゆき)ましたが、フィリップは折ふし病気であつた父の看病で、一時間も人に後れて行きました。小山へ登つて林へ這入り、凹い方へダラダラと下る処で、フト見た二人はイナックとエニイとで、手を取り合つて腰かけて居ましたが、イナックの大きやかな眼と、日に焼けた顔に、いとも清浄な熱愛の光が輝いてゐました。フィリップは一目見て、はや(おの)が情運の(つき)を認めました。それから尚も親み合ふ様子に顔を脊向(そむ)けて脇道へ曲り、あとは笑ひぞめく中に、自分ひとりは()がくれて、人知れず限りもなき痛苦を味ひ、やがて家に帰りながらも、心ばかりはあこがれて得も云はれぬ恨を担ひました。

 そこで此二人は目出度(めでたく)婚姻をして七年といふ嬉しい年月を過しましたが、共に働く健康はあり、互に相愛して居りましたから、実に幸福な年月でした。其後に子供も出来ましたが初めは女の子でした。イナックは総領の赤子の泣声が耳に這入ると共に、どうぞ及ばん限り節倹し、双親(ふたおや)に勝る教育がして遣度(やりた)いといふ立派な望を起しました。

 二年経つて又男子を儲けました時には、其希望がますます堅固になりましたが、妻にとつては、イナックが荒い沖へ出て居たり近村を廻つてあるく間、淋しさを慰めるものは子供(ばかり)でした。そしてイナックの使ふ白馬や、磯臭い籠の中や、自分の浜風にさらした顔は、たゞ市場斗(いちばばかり)でなく、丁度()の高台の後になつてゐる、門がまへのお屋敷にさへ知られる様になりました。

 然るに人事は総て変化を免かれぬ処から、此幸福な境界も、(いさゝ)か変つて来ました。此小さな港から三四里離れた処に、モット大きな港が(あらた)に開けまして、イナックは時々陸を通つたり、または船に乗つたりして其処へ行きましたが、ある時此港に錨を(おろ)してゐた間、帆柱を登らうとして、(あやま)つて足をすべらせ、落ちましたが、人々が集まつて抱き起して見ますと、憐れや足の骨が一本折れて居ました。其まゝそこで療治をしてゐますと、家では妻が二男を挙げましたが、これはよわよわしい子でした。それのみか、商売がたきさへ出来まして、物事が自然不如意になりました。

 イナックは沈着で、信仰の厚い人ではありましたが、為す事もなく安閑と、寝床(とこ)について居る間に頻りに疑惑と憂鬱の暗鬼に心を悩まされて、子供は哀れにも其日ぐらしに落ぶれて、寵愛の妻は乞食(こつじき)とまでなり果てる未来を、(うつゝ)に見るが如くに想像しましたが、さういふ時は「此身は如何(いか)に成り行くも、妻子のみは何卒(なにとぞ)救ひ賜はれ」と祈願をこらしました。

 かく祈つて居る間に、元イナックがつかはれた船長で、イナックの心底を見ぬいて、信用して居た人が、不運に陥つた有様を伝へ聞いて、見舞に来ました。さうしてイナックに相談をかけました。自分の船がいづれ数週間のうちに、支那へ向けて出帆する。所が水夫長が一人不足して居る。就ては貴様行く気はないかとの話。聞くイナックは心を籠める祈願が叶ふたと思ふては、少しも猶予せず、悦んで承知しました。

 さてかうなつて見ると、不運と思ふたことは、暫し太陽の光明をかくす雲霧のやうに思はれて来ました。併し又た思ひ直せば、自分の留守になつた跡の妻子はどうならうかと、心配して来ました。そこでイナックはとやかう計画(はかりごと)をめぐらしましたが、彼の漁船を売り払ふといふより外に、考も出ませんかつた。がまた船を売るとなると、どうやら惜しまるゝ様で、此船の中で荒浪をしのいだことが、いくたびだらうなどゝ思ひまはしました。実にイナックが船の工合を知つて居ることは、馬乗が其馬の工合を知り抜いて居ると同じ事でした。併しどうしても此船を売つた代を資金(もとで)に、漁村に(むき)さうな品物を仕入れ、エニイに商売を始めさせ、帰るまで暮しを立てさせて置かうと思ひつきました。自分は行く先で商法をなし、都合によつては一度といはず、二度も三度も航海を試み、貯金して帰り、今より大きな船を遣ふ様になれば、利益も随つて充分になり、暮向(くらしむき)に余裕も出来てくれば、器量よしの子供はみんな教育もされる、さうして家族団欒の楽しき日を送るとしやうと、イナックはかく心に決断しました。

 そこで先づ家へ帰つて見ると、まだ顔の色のわるい妻は、此頃生れた脆弱(ひよわ)な赤子に添乳(そへぢ)して居りましたが嬉しい声を立てゝ走り寄り、細々した幼児を夫の手に渡しました。イナックは抱きとつて、親子の初対面に、手足を撫でて見たり、重量(おもさ)を試みたり、あやしたりしましたが、此日はまだ心に(あま)る計画を妻に打開ける勇気は出ませんかつた。

 翌日始めて夫の志を聞くエニイは、婚姻のかための指輪を嵌めて以来(このかた)、始めて夫に反対しました。と云ふて決してグドグドと云ひさからひをするのでなく、只涙ながらに

「キット(わざはひ)(もと)になると(きま)つて居ますから、わたしや、子供を思ふて下さるならば、こんど行くのは、どうぞ思ひとゞまつて。」

 と、夜昼言葉を尽くし祈るやうにして、頻りに頼みました。併しイナックは自分のためではなく、何も妻子のためと思へば、気強く妻の諌めも空にして、哀を催しながらも志は曲げず、終りまで持ちこたへて仕舞いました。

 さてイナックは、とうとう使ひなれた漁船を売払ひ、エニイの商ひする代物(しろもの)の仕入もなしはてて、(とほり)へ向いた表の座敷へ商物(あきなひもの)を並べる棚、戸棚をこしらへることにかゝりまして、出発する前の日まで鉄鎚(かなづち)(よき)捩錐(ねじきり)、鋸などの音絶間なく、細軟(きやしや)な家居の震れ動くまで、一日働くのを聞くエニイは、自分の処刑場(しおきば)の出来るを見る心地がいたしました。是を終ればイナックは、また狭い新店の棚、小棚へ商物を詰め並べる奇麗さ細やかさは、トント木の枝に花をならべ、種実(たね)を籠める造化の手にも較べられる様で、さて注意も充分行渡り、始めて一息つき、かく終りまで妻子の為に働いたものが疲れ果てゝ二階にのぼり、翌朝まで熟睡いたしました。

 イナックは至つてさえざえして、大胆に出発の朝を迎へ、エニイの色々物案じするも、連添ふ妻の苦労と思へば格別、さもなければ少しも苦になりませんかつた。併し、大胆で信仰の篤い丈に先づ(ひざまづ)いて、()奥妙(あうめう)にして、神聖な己れを忘るゝ愛情に満されて「己れは如何に成行くも、妻子には祝福を授け玉へ。」と祈願し、さて妻に向ひ

「エニイよ、此度の船乗は神の恵で、必ず一家幸福の(もとゐ)となるだらうと思ふから、おまへはどうぞ家の内を奇麗に暖かにして、帰りを待つて居ておくれ。おまへが思ひつかぬうちに帰つて来るから。」といつて側に寝て居る赤子のつゞらを軽くゆすりながら「さうして奇麗で細軟(きやしや)な此赤んばうも、弱い丈尚更可愛さが増す様だが、今に膝へ載せ、外国の話をして聞せて嬉しがらせる事があるだらうよ。サアサアおまへも別れる前に気をとりなほし、嬉しい顔を見せてお呉れ。」と云つて慰めました。

 此通り、夫が未来を頼母(たのも)しさうに語るのを聞いて、エニイも些か望が起らないでもなかつたのですが、イナックがさらに厳粛な話にうつり、船乗のならひとて、神の摂理とか、天に任せるとか云ふことを説教めかして、質朴に説くのを聞くエニイは、耳に聞いて耳に止まらず、丁度水さしに清水を受けさせながら、いつか水汲んでくれた恋人のことを思つて聞く耳もそらになり、水のこぼれるも知らぬ里の乙女の様でした。終には口を開いてかういひました、

「イナックさんあなたは、お怜悧(りこう)で物知りなあなたは、私がかう申さば、可笑しいやうですが、わたしは今日あなたにお別れ申せば、またとあなたのお顔は見られないと覚悟をして居りますよ。」

「イやおまへがわたしを見なくとも、おれは結構おまへの顔を見るよ。アノネ、おれが乗る船は(いついつと日を云ひ)確かに此港を通るから、さうしたらおまへ望遠鏡(とほめがね)を借りて置いて、おれの顔を覗いて今案じたことを笑つて仕舞つてお呉れよ。」といふは云ひましたが、立つ間際になつて「エニイよ、気を軽く持つのだよ。さうして心を確かにしておいで。おれはどうでも行かなくつちやならないから、なんでも子供を大事に、家の始末をよくし、おれのことは決して苦労にするぢやない。若し苦労になる事があつたら、其時こそ神さまにおたのみ申すのだ。それほどたしかなことはないのだ。考へても見るが好い、何処の果にもおいでなさる神様ぢやないか。たとひおれが海の果迄逃げて行つたとて、此神様のお眼を忍ぶことは出來ない訳、渺々(べうべう)とした大海だとて、神さまの創造(おつく)りなされたもの、矢つ張り御支配うちではないか。」といつてイナックは立上り、(しを)れてゐる妻を、自分の丈夫な腕に抱き〆め、何事かと吃驚して居る子供に接吻しましたが、彼の赤子は昨夜発熱でむづかつた

あと、すやすや寝入つて居るのを、エニイがおこさうとしました。イナックは(わざ)と押止め、「イヤ起さずに寝かして置くが好い、無心の赤子がどうして今日の事など覚えて居るものか。」と云つて寝てゐるまゝ接吻しましたが、エニイは我子の前髪のちゞれ毛を一と房剪(はさ)み切つて、夫に渡しました。イナックは終りまで身を離さず、これを持つて居りましたのです。さて今は(いそが)はしく包をとり上げ、跡見返りながら立去りました。

 夫がそれと名指した日が来て、エニイは云はれた通り、望遠鏡を借りましたが、これは何の甲斐もない始末でした。或は眼鏡を眼に合せ得なかつたゝめか、又は眼が潤んで、手が震へた(せゐ)か、夫の姿をそれと認めることが出来ませんかつた。そしてイナックの方では、甲板の上でしきりに手を振つてゐる(うち)に、時間も船も共に過去つてしまひました。

 エニイは白帆の(さき)が、遥に水涯(みづぎは)に呑まれてしまふまで眺めて居りましたが、(つひ)に泣き乍ら立去りました。して此時の別れを、死別(しにわかれ)の如くに歎きはしましたものゝ、進まぬ我意(わがこゝろ)()めても、夫の申置(まうしおき)に從はうと致しました。併し元来商家に育てられたのでなければ、商法上狡猾(こす)い掛引も出来ず、まして嘘はつけず、掛値(かけね)などすることも出来ぬ処から、商売も自然繁盛しませんでした。さうしてイナックになんと云はれやうかと掛念(けねん)しながらも、困難で切迫した折は元直(もとね)を欠いて商ひした事が、一度ならずありましたが、それをまた苦にして、尚々気を屈し、悲しくもなりました。さうして待てども来ぬ音信(たより)を待ちわびつゝ、覚束かなき暮らしに安からぬ日を送りました。

 さて病身に生れた三番目の児は、慈母の手に及ぶ丈けの介抱をうけながら、尚だんだん弱くなりまして、処用(しよよう)でエニイが留守勝のためか、又は薬餌(やくじ)の手当がとゞかぬ故か、或は薬礼の心配から、医師の診察を省いたせゐか、何故か暫時煩つてゐて、エニイがそれと気が付かぬ間に、はや、籠の鳥の俄かに逃れる如くに、幼子の罪なき霊魂(たましひ)は飛び去つてしまひました。

 さて(はうむり)を済ました其週の終らぬ中に、イナックの出発後はまだ一度も足踏せぬフィリップが、エニイの幸福を願ふ信実な心に、これまで疎遠(そえん)に打過た事の(とがめ)られる様に思ひ、「けふこそは尋ねて見やう。いくらかの慰めになるかも知れぬ。」とて先づ家の表座敷を通り、中の仕切を二度三度(おとな)ひましたが、開くものもないので、かまはず這入つて見ました。内に坐つて居たエニイは、子供を葬つて間もないこと故、愁歎(しうたん)の心重く、人と顔を(あは)するさへ厭はしくて、背向(うしろむき)になつてさめざめと泣いてゐました。そこでフィリップは立つたまま口籠つて、

「エニイさん、私はおまへさんに頼むことがあつて来ました。」と云ひました。

「わたしの様な悲しく不仕合なものにお(たのみ)とは。」とエニイの余り沈んだ答に、少し気後(きをくれ)がして間がわるいと、慈悲心とに(こもご)も襲はれながら、()はれぬ坐に直つてかう云ひました、

「わたしは、こゝの御亭主が気にかけて居られたことを相談に来たのです。おまへさんが、イナックさんを御亭主に見立(みたて)なすつたは、実によく見立てなすつたと、わしはいつも噂して居るので、イヤイヤなかなかしつかりした人で、自分の心にかうしやうと思へば、必ず押通すと云ふ気前。今度自分の身には楽しみでもない船旅に御座つて、おまへさんたちに淋しいくらしをさせると云ふも、元はと云へば子供たちに両親に(まさ)つた修業がさせ度いばかり、決して見物三昧(ざんまい)に遊びあるく訳ぢやない。サアそれが望みの門出とすると、留守の間に折角の学問(ざかり)が過ぎてしまつたあとへ帰られゝば、どの位残念だか知れぬわけ。また万一死んで居なさるとしても、子供たちが馬の子か何かのやうに、野放しになつてゐると知られたら、口惜いに相違ない。さてそこでエニイさん、おまへさんとわたしとは、子供の(うち)から知り合た友だち中だから、亭主は大事、子供は可愛いと思ひなら、こゝでわたしに世話をさせるがいやとは云はれまい。わたしは金はあり、生活(くらし)はゆつたりして居るから、何の遠慮も入らぬが、それともイナックさんが帰りなすつた上で、金を(つぐな)ひ度いならそれでもよし、兎も角、あの二人の子供を学校へ遣らして下さらぬか、お頼みといふはこゝです。」

 聞いてエニイは顔をそむけたまゝで、

「わたしは余り悲しいので、心も取り乱してゐますから、あなたに顔を合すさへ恥かしく思ひます。(しか)しあなたのお(いで)の時は、悲しくつて泣いたのが、今泣くのは御深切に感じての涙です。イナックは確かに生きて居ると、心によく分つてゐますから、キットお金丈でも御返し申す時節は来ましやう。御恩(ばか)りは金銭と(ちが)つて御返し申すことは出来ぬほどです。」

「そんなら私の云ふ通りにさせて呉れますか。」と云はれて、エニイは始めて立上り、こちらを向いて、涙の一杯溜つた眼で、フィリップの飽迄(あくまで)深切な顔を見詰め、フィリップの手をシッカリ握ると其儘(むかふ)へ這入つてしまひました。フィリップはそこで一安心して帰りました。

 それからフィリップは二人の子供を学校へ入れ、入用(いりよう)な書物を買つて()つたり、万事自分の子供のやうに、真実身に染みて世話をしました。併しエニイの為を気遣つて、逢ひたさにはやる自分の心を()めて、(しきゐ)をまたぐ事さへ稀でしたが、子供たちに預けては、贈物を度々しました。其贈物と云ふは、野菜とか菓物(くだもの)とか、壁にからまつて居る、其時々のばらの花とか、又は野兎とか、時には始終絶間なく音たてゝ、高く廻転(まはつ)てゐる水車の粉(など)でしたが、粉をよこす時は、是は(こまか)だから上げると云て、慈恵と云ふ名のつかぬやうにしました。

 併しフィリップに、エニイの心持が少しも分らなかつたと云ふものは、エニイがフィリップに出遇ふ時は、真に難有いと思ふ心も塞がつては、口籠つて礼一言云はれなかつたからでした。が小供らにとつては、フィリップが此上もない好い人で、フィリップを見懸さへすれば、どの様な遠くからでも走り寄つて、嬉しさうに迎へるフィリップに嬉しさうに挨拶しました。さうしてフィリップの家へ(いつ)ても、機械場へ行ても、二人は家同然自由なことをして居て、悪い事につけ、善い事につけ、面倒見て呉れるフィリップを煩はす様になり、抱きついたり、一処に遊んだりして、おとつさん、おとつさんと云つて居ました。

 此通りイナックが、段々忘れられると共に、フィリップが気に入られて来ました。さうしてイナックの面影は、小供等の記憶の中には、朝ぼらけのおぼろな頃、遥か彼方を見えた姿の、段々(かす)かになつて、果ては消失せるやうでした。さうかうするうち、イナックが家と本国とを跡に見てから、いつの間にか十年の年月が飛び去つてしまひ、その便りとては、未だに()もありませんかつた。

 ある夕暮のこと、エニイの子供が人を連れ立つて、林に榛実(はしばみ)拾ひに行きたがりまして、折ふしエニイも一処に行くことにしました。それから粉屋のおとつさんにも行つて貰ひたいとて、機械場へ立寄つて見ましたら、フィリップは花粉にまみれた蜂のやうに、粉だらけになつてゐる処でした。「サア一処に入つしやいよ」と云はれて、初は断りましたが、余り子供が引張る、見ればエニイも一処でしたから、笑ひながら、其意に任せて、とうとうみんなと行きました。

 やがて半分道も来た頃、林がなだらに下る処で、エニイは疲れに堪へず、

鳥渡(ちよつと)こゝで休ませて下さい。」と(かす)かに云ひました。そこでフィリップも他事なく一処に休んで居る間、子供等はおとなを跡にして、嬉しさうに大声揚げて、霜枯れ初めて居る(はん)の木の中へ割て飛込み、下へ廻つて散ぢりになり、ビッシリ実の附いた細枝(さえだ)の、物惜みぶりなのを曲げたり、折たり、呼合声(よびあひごえ)を林中に鳴り渡らして、面白さうに騒立てました。フィリップは此時エニイの側に坐つて居て、エニイと一処に居ることさへ忘れて、考へてゐたことは、いつぞや丁度此処で、手もなく、自分の生涯を傷つけられた(おもひ)で、人知れず、木影に逃込んだ心細い時の事でした。それでもしまひに実直な心の現れてる顔をあげて、

「エニイさん、あれをお聞きなさい。子供たちの嬉しさうに騒いで居る声を。」と云ひましたが、一言も返事をしませんかつたから、又「エニイさん、どうだね、くたびれてるかね?」と尋ねて見ましたが、エニイは此時また両方の手を顔へ押当(おしあて)てゐました。フィリップはこれを見て、少しいらだち気味で、唐突(だしぬけ)に、

「モウ、おまへさん難船したんでしやう。イヤそれにきまつて居ますわ。おまえさんもいつまでもさうくよくよしてゐなさらぬが(よい)ではないか。あげくのはてがおまへさんまでが()い人になつて、子供たちを本当の親なし子にしなすつたら、どうしなさる。」と云はれて、エニイは

「私はほんにそれまで考へが及びませんかつた。がどう云ふものか、子供たちの声を聞いてムヤミに淋しくなりました。」と云ひました。

 フィリップは此時少し近く寄り添つて、かう云ひました、

「エニイさん、わたしの心に、久しい前から考へてることが有りますが、何頃(いつごろ)からそのことが心に起つたか、自分でも分らない位です。併しかう云ふことは、キットいつか知れるものです。(まづ)、エニイさん、おまへさんが十年前に別れなさつた人は、まさか今迄生て居なさりさうな道理はありますまい。サアそこでわたしは、おまへさんに話があるのだ。わたしはおまへさんが貧乏しなすつたて助ける人のないのを見て、真実気の毒です。だが今の分では思ふ様にして上げることが出来ない……女と云ふものは、兎角察しの()いものだと云ふで、おまへさんも多分モウ分りましたらう、わたしがおまへさんを女房に欲しいと云ふことが。わたしはおまへさんの子供の親父になつて上げたい。子供たちは私をモウ親父のやうに思つてくれてゐるやうに考へる。さうして私も自分の子同然可愛く思ふ。それにおまへさんがわたしの女房としつかりきまれば、お互に今迄幾年も心細い、覚束ない年月を送つたけれど、まだまだ神の御恵で、これから人並な幸福が来るだらうと思ふのだ。マア一ツ考へて御覧なさい。わたしは金はあり、親類厄介は一切なしと云ふので、これからおまへさんたちの世話に力を(いれ)るばかりです。増しておまへさんとわたしとは子供のうちからの友達で、それにわたしがおまへさんを思つてゐることは、久しいことで、おまへさんの知らんことです。」

 聞いてエニイは、やさしくかう答へました、

「あなたはわたし共の家にとつては、一方(ひとかた)ならぬ恩人です。わたしは神様も必ず御照覧あつて、あなたにお恵のあるやうに祈つて居ます。併しあなたへの御褒美は、わたしの様な不仕合なものではいけません。そして一度人を深く慕ふたものが、又(ほか)の人に情を移すことが出来ましやうか。イナックを愛したやうに、どうしてあなたをお愛し申されましやう。あなたはマア私にどうしろと仰しやるのです。」

「わたしはイナックさんの次に愛して貰へば、それで沢山です。」とフィリップが云ふのを押遮り、何か急に恐ろしいことを思ひ出した様に、

「フィリップさん、マアマア少しの間待つて下さい。万一イナックが帰つて来ましたら……それは帰りもしますまいが……兎も角モウ一年待つて下さい、一年と申しても大して長いことはありません。そして一年中には、わたしも物事が分つて来ましやうから、お頼みですよフィリップさん。モウ少し待つて下さい。」

 フィリップは悲しさうに、

「エニイさん、わたしはおまへさんのお蔭で、一生待つたやうなものですから、モウ少し待つのは、なんでもありません。」

「イヽヘ、いつまでもとは決して申しません。(たし)かに一年丈とお約束を申しました。キットです、一年待つのは、あなたに計りぢやない、わたしも同じことぢやありませんか。」

 フィリップが「いかにも一年待たう。」と返事をしました。そこで二人とも、だまつてしまひましたが、フィリップが、不図(ふと)見上て夕日の残が、高台の上の()(とりで)にかゝつて居るのに気付き、夜に入つて(ひえ)ては、エニイのために悪いと心配して、呼声を高く林の中へと送りました。子供たちは手に手に拾つた実を重さうに持つて、急いで上つて来ました。そこで一同は連れ立つて山を下り、港へ来ましたが、フィリップはエニイの家の戸口へ止まつて、挨拶する時、静かに、

「エニイさん、わたしがおまへさんに話をした時は、お前さんが心細がつてゐた時で、わたしがわるかつたのだ。わたしはいつもおまへさんに約束がしてある心もちだが、おまへさんのはうは決して無理にと云はないから自由におしなさい。」とかう云ひましたが、エニイは泣きながら、

「イヽヘ、わたしもあなたにお約束が致してあります。」といひました。

 エニイは自分がかう答へてから、いくらもたゝぬうちに、また家の内の用事をしながら、フィリップが、自分の知らぬズット(さき)から思つてゐたと云つた言葉などを、兎やかく心に考へてゐる(うち)に、ハヤ秋が秋へと瞬く間に移つてしまひました。さうしてフィリップは約束のことを催促に来ました、「モウ一年になりましたか?」と、エニィが云ひました。

「さやうさ、榛実(はしばみ)が熟して居ればさうです。外へ出て来て御覧なさい。」と云ひました。併しエニイは又延しました。色々まだ取片付ける事もあり、それに引移ると云へば容易ならぬことでもある、旁々(かたがた)モウ一月の猶予を……約束は動かされぬもの、それより長くとは申しませぬ、一月丈とたつて頼みました。其時フィリップは久しく忍んで待つて居たもどかしさが、心に一杯となつて、声を酒飲の手の様にブルブル震わせて、

「エニイさん、そんならいつでもおまへさんの都合のよい時になさいまし。」と云ひました。

 エニイは、フィリップが気の毒で、涙がこぼれるほどでしたが、まだこれからいろいろ信じられさうもない口実を設けて、のびのびにして置きました。さうしてフィリップの(じつ)のあることゝ、堪忍深いことゝを(ため)してゐた間に、又半年がいつの間にか立て仕舞ました。

 かうして居るうちに、世間ではくだらぬ噂をするものがあつて、かうだらうと目算をつけてをつた事の知れた処から、自分たちの権を侵されでもした様に、気をいらち出しました。あるひはフィリップが本気でなく、たゞ女にからかつてゐるのだといひ、又は女の方で思はせ振に、のびのびにして置くのだといひました。又さうでもなく、フィリップもエニイも、自分の心さへ知らぬ痴者(たはけもの)だとわらふ者もありましたが、中にも()けて邪推が蛇の玉子の様に心に(わだかま)つてる腹黒い奴が、冷笑(ひやか)しながら両人(ふたり)の事について、まだまだ聞苦しいことを云ひふらしました。

 エニイの息子は顔にこそ望む処を現はせ、口へ出しては何にも云ひませんかつたが、娘の方は、「どうぞあのよい方に嫁入つて、家の困難を救つて。」と始終母に迫りました。フィリップの平常(ふだん)壮健(じやうぶ)さうな顔さへ、近頃は物思はしさと、憔悴(やつれ)とで(しか)んで来ましたが、かう云ふことを見聞(みきゝ)するエニイは、見聞くこと皆自分を咎める様に心苦しく思ひました。

 ある夜エニイが、どうしても寝られぬことが有ましたが、其時イナックの生死に付いて、何卒(どうぞ)(しか)とした徴證(しるし)を賜はれと祈願致しました。折ふし暗やみのすごみ恐しく、頻りに胸さわぎがしまして、(つひ)にこらへ切れず、はね起て燈火をつけ、イキナリ聖書を取上げて徴證を見付けたいと思ふて当途(あてど)なしに開いて、フト指を置いた処に、「棕櫚(しゆろ)の木の下」という句が有りました。併しこれらは何の意味もなく、サッパリ分りませんから、書物を閉ぢて寝入りますと、夢にイナックが小高見(こだかみ)の棕櫚の木の下に座つて居て、上には太陽のある処を見て、なるほどイナックはモウ此世の人ではない、安楽な境涯へ行つて、いと高き神を讃美して居るのだ、彼方に見えるのが義の太陽で、棕櫚は天の民が、「いと高き神は讃美すべきかな。」と叫んで道に敷く枝であらうと思つてゐるうちに眼がさめました。そこで直ぐ心を決し、フィリップを呼びにやりました。さうしていきなり、

「フィリップさん、わたしはあなたへ嫁入らないと云ふ訳がなくなりました。」と云ひました。

「さうおまへさんの心がきまれば、両方の仕合(しあはせ)()ふもの。神様の御心にも叶ひましやう。それなら(すぐ)と婚礼するとしましやう。」とフィリップが云ひました。

 そこで両人は目出度(めでたく)婚礼をしました。併しエニイの心はどうも平穏(おだやか)でありませんかつた。ある時は何処から来るともなく、側で足音がするやうであつたり、又どうやら耳について何かものいふ人がある様な心持がしたりして、独りで家に残されるのや、独り歩きするのが嫌になりました。さうして部屋に這入らうとして、取手に手を懸ながら、物おぢしては暫くたゆたふことのあるのは、何の訳だらうと(いぶか)りますと。フィリップは其訳はわしが知つて居る、懐妊して居るものには、まゝさういふ心持のすることのあるものと云ひましたが、さて今度の赤子を生落すと共に、気分も(あらた)になり、子を愛する母の情も一層細やかになれば、フィリップとも充分打とけ、いとゞ(いと)しさが増す中に、奇妙な想像も全く消行きました。

 さてイナックは何処に居つたかといふに、(まず)乗組んで好運丸はビスケー湾で恐ろしい東風に出逢ひ、殆んど転覆される処を漸く(しの)いで、熱帯を越え、喜望峯(きばうほう)辺で揉みにもまれ、兎角出来不出来の天気を侵して再び熱帯の海を切ぬけ、やがて順風(おひて)の来たのを天の助と、見事な島々を安らかにくゞりぬけ、とうとう東洋の港へ錨を下しました。そこでイナックは一商売しまして、当時の市に向きさうな奇妙な代物や、子供等の土産(みやげ)金箔塗(きんぱくぬり)(りよう)などまで買込みました。然るに好運丸の帰り道には好運なく、始のほどこそ風浪の平穏な海に、揺れることさへあるか無しで、船首に附けた彫刻像は、漣波(さざなみ)静かな船路を遥かに眺める事が幾日も続きました。併しその後なぎからならひと変りまして、長い間之を凌ぎおほせたあげくに、大嵐となつて、殊に闇の夜とはいひ、吹廻す颶風(はやて)の最中、ソレ暗礁といふ間もなく、船は一打に砕かれ、乗組の者はイナックと外二人を()けて、悉く沈没しました。夜半から船具や帆桁(ほげた)砕片(こはれ)便(たより)に漸く浮んでゐた三人は、朝になつて或る小島に流れ着きましたが、此島は豊饒でこそあれ、寂莫(せきばく)な大洋中の最も寂莫な島でした。併し、人生を繋ぐ為のみには不足はありませんかつた。軟かな菓物(くだもの)大胡桃(おほくるみ)、滋養分ある草の根などは充分にあり、哀れと云ふ事を除いては、殆んど生活に不自由はない位でした。そこで此三人は、海に望んだ方の峡路(はざま)に寄懸つて小屋を建て棕櫚の葉で屋根を()きましたが、出来たものは半分小屋半分天然の洞穴でした、此処に三人はいとも豊饒な楽園に置れて、永遠の夏と共に日を送りながらも、心には甚だ不満を感じて居りました。

 此三人の中の一人は、まだ子供つぽい若者でしたが、俄かに破船した晩に負ふた傷が原因(もと)になつて、三ケ年の問、(いく)るともなく死ぬるともなく、煩らつて居ましたが他の二人は側を離れず看病いたしました。さてとうとう落命しまして、残る二人は大木の倒れたのを見つけまして、イナックの相手が米国の土人の仕方にならひ、焚火で中心(なか)に穴をくり抜き、棺にするとて我を忘れて働いてゐましたが、猛烈な太陽の熱に(あて)られ、是も(たふ)れて、イナック一人になりました。此通りに二人まで果てるのを見るイナックは、凡て神の(いましめ)と思ひ、忍んで時節を待たうと決心しました。

 かくて日々イナックの眼に入るものは、峯まで森林の茂つた山に、天へ昇る道かと疑はれる蒼々とした芝生のうねうね、しな()掛巣(かけす)の羽の冠、群居る鳥又蟲の彩色(いろどり)(まばゆ)さ、見上る木々をまとふ花のはでやかさ、凡て熱帯地方の好風景は飽迄見馴れましたが、さて見たいと思ふ愛しき人の面影は、一切見ることが出来ず、聞きたしと思ふ柔和な声に代へて、耳に這入るは空を輪に飛ぶ水鳥の叫び、沖に逆巻く怒濤の雷声、天に(そび)ゆる木々の風琴、或は海に注ぐ早瀬の音などでした。イナックは海岸を彷徨するか又は終日海に臨んだ峡路に座りながら、漂流に逢た舟人の白帆を待つばかりでしたが、日を日についで待てども待てども帆と思ふものさへ見えませんかつた。棕櫚や裏白、絶壁の間に紅さす光線が昇る日の前触をするや(いなや)、東の海は一面の火を燃し、其火の頂天に来ると見る中に、はや西の水面はこれがために染る、間もなく天に輝く丸やかな星も出で、大洋の(うなり)も殊更耳立つて来る、兎角して紅の光線が相変らず現れると云ふ様に、月日は他事なく廻転する中に、待詫(まちわび)る白帆は一向に見えませんかつた。

 (うつゝ)にも夢にも物待ちして居るイナックが、時としては、匍廻(はひまは)金色(こんじき)蜥蜴(とかげ)が側に寄つて来るまでに、物案じにくれてゐるうちに、さまざま乱雑な妄想(ばうさう)が自分を襲ひ来る様でもあり、又己が霊魂(たましひ)の身を離れて、天涯の彼方なる故郷(ふるさと)を彷徨する様なこともありました。子供等や其たはむれ話、エニイの事、小な住家(すまひ)の模様、坂になつた通りの工合、機械場、茂つた生籬(いけがき)や淋しい屋敷のこと、自分の曳いた馬、売払つた船、霜月の寒かりし明方、高台の晩景、静かな夕立の折節(おりふし)、枯葉の(にほひ)、黒ずんだ海の低い唸り声、これ等が乱れて心に浮び来ました。

 ある時耳鳴りがする中に、遠く幽かに古郷(ふるさと)(うれし)い鐘の音を聞く気がしまして、自分に何故とも分らず急に飛上つてブルブルと震へました。さうして()の当り自分の縛られてる、美麗(きれい)なれど()て憎き孤島に心が立戻りました。

 淋しさは、実に此人を殺すに十分な力を持つてゐました。併し神に依り頼む人間を、つれなく寂寞に捨て置き玉はぬ神と語りつゝ、漸くに忍んで日を送りました。

 此通りにして、イナックの早くも染むる白髪頭の上に、雨降旱天(あめふりひでり)の時節が交代して、知らず知らず数年を重ねました。(しか)るに自分の家族(やから)の顔を見馴れた故郷の土を踏む希望が全く絶えぬうちに、俄かに此寂寞な境涯を脱することになりました。彼の好運丸に似て、逆風に吹廻され、正路を失つた船が、図らず水を汲まうとして此島に立寄りました。先づ乗組員の一人が霞の立籠た間隙(すきま)から望んだ小島に、山から落る細流(こながれ)のあるのを認めて、水夫を(つか)はしました処が、岸に漕ぎて源を尋ねて走り行く途端に、大声揚げて騒立てる事が出来(しゆつたい)致しました。と見る峡路(はざま)から下つて来る人は、頭髪も髯も長々と伸て、あれでも人間かと思はれるほど顔は日にやけ、衣服(きもの)は異様で、白痴と見える様に不思議に口籠つた物いひで、分らせたさうに、苛立てばいらだつほど尚まとまらず、手まねさへ何か分りませんかつた。併し淡水(まみづ)の流まで人々を伴ひ行きまして、水夫の中へ交つて互の談話(はなし)を聞くうちに、長く束縛された舌も漸く弛みて、自分の趣意も(さき)へ通ずる様になりました。兎角して水樽を一杯にしてから、水夫等はイナックを船へ伴ひ行きました。そこでちぎれちぎれに述ぶる履歴を聞く人々は、始めこそ半信半疑でしたが、段々一同に驚きかつ感動しました。そして終には着物を與へまして、其上無賃で本国迄送ることにしました。併し、イナックはいづれ水夫と共に働いて、沈鬱の習慣を破らうとしてゐました。乗組人のうちでイナックの古郷(こきやう)から来たものはありませんかつたから、問ふても、聞きたいと思ふ便(たより)は少しも分りませんかつた。それより帰途に向ふた船は、速力遅く兎角長びくのが、イナックにはもどかしく思はれました。さうして心ばかりは惰弱(だじやく)順風(おひて)に先立つて、故郷へ飛帰りましたが、いよいよある朧月夜のあとに、草原を越えて吹来る露つぽい英国の朝風が恋人に逢ふた時の様に、イナックの骨身にゾット染み通る時が来ました。其朝船の士官がイナックを憐んで、各々若干(そくばく)の金を出して彼に贈り、浜辺に(はしけ)を下したのは、昔イナックが出船した港でした。

 イナックはこゝで誰とも言葉をかはさず、たゞ家路を急ぎました。併し我家とは何れの家か、正しく自分の家があるのか、ないのか、心に疑を抱きながら、たゞ足にまかせて歩みました。モウ午後(ひるすぎ)にもなりまして、日が()る事は輝つて居ますが、冷々(ひえびえ)すると思ふ中に、()の二つの港が瀕してゐる海から、雲霧が起り立ちまして、見る見る一面灰色の世界にして仕まいました。それ故行先も左右にある野山も、足元の外は少しも見えませんかつた。大方は落葉した一本の木の上に知更雀(こまどり)が悲し気に(さえづ)つて居ましたが、それも露に濡れそぼくれた枯葉の(おもさ)(おさ)れて、鬱陶(うつたう)しさうな風情に見えました。霧雨はますますしげくなり、暗さはますます暗くなる中、フト霧に掻き曇つた光が、ポット顔を出して、イナックは漸く我家近く来たと知りました。

 それから心に、さまざまの異変を見るべきことを予想しつゝ、足元の小石に眼をつけて、盗む様にして()の長い通りを下へさがり、とうとう昔の我家へ達しました。こゝはエニイが元自分をいとしがつて呉れて、七年の愉快な年月の間、両人のなかに子さへ儲けた処でした。併しこゝには燈火も人声もしませんから、ビシヨビシヨ雨の中に売家の札がひかつてゐましたから、イナックは、「死んだのかしら、さもなければおれには死んだ同然なのだから」と、独りごちつゝ又下(しも)へとさがりました。

 そこでイナックは彼の狭い波止場へ出て昔馴(なじ)みの安宿へ行きました。この家は見た処があまり傾いて壊れていかにもさびれた有様でしたから、イナックはモウ明家(あきや)かと思ひました。併し元の亭主が死んでしまつた跡に後家(ごけ)のミリアム、レインといふが、かすかな利益をあてに、まだ店を持つて居ました。昔は呑だくれの船頭どもが、寄合ふ場所でしたが、今は折ふし旅人の宿るばかりで、結句静かな家でしたから、イナックは数日こゝに黙つて休息して居ました。然るにこゝの主婦(あるじ)はお人好の話好(はなしずき)で、イナックを長く独りでは置かず、側へ来てはさまざま世間話をする内に、昔とはいたく姿の変つたイナックを、其人とは夢にも思はず、其家の話をすつかりとして聞かせました。それはイナックが留守になつてから、赤児の死んだこと、日増に貧乏になつたこと、フィリップが子供を学校へ入れて世話をしたこと、フィリップが久しくエニイの愛を求めて居たこと、エニイがいつまでも躊躇して居たこと、とうとう婚姻して、フィリップの子の生れたことなどでしたが、聞くイナックは顔色も変へず、身動きもしませんでした。側に見て居るものがあつたら、聞いて居るものよりも話してゐるものゝ方が、一心になつてゐると思ふ位でしたらう。併し一番終りに、

「可愛さうにイナックさんは、難船に逢つて果てたさうです。」と云ひますと、イナックは白髪頭を振り立て、この女のいつたことを、心細さうに口の中で繰り返し、心の中にも、モウこれ迄と覚悟をきめました。併しイナックはエニィの顔が見度(みたく)つてたまりませんかつた。「せめてあの愛くるしい顔を、一目見て安楽にくらして居ると知つたらば、」と始終心に迷つてゐまして、フトある鬱陶(うつたう)しき霜月の夕ぐれ、()の小山に登り、腰かけて下の景色を眺めますと、幾多の感念が心に浮んで来まして、云ふに云はれぬ(かなしさ)でした。其中にフィリップの家の窓から心地よさそうな、燈火(ともしび)の光がテラテラと遠くまで輝きまして、イナックを我知らず其方へ足を向けさせました。これは丁度燈明台の光に狂ひ廻つて羽ばたきしつゝ、俄かに淋しき命を終る水鳥の様な有様でした。

 さてフィリップの家は通りに並んだ町外れにありまして、後は野の方を向いて、(ちひさ)な門と塀とがあり、中には四角な庭と古い(いちひ)とがあつて、此周囲(まはり)には板敷の小道がついて居ました。イナックは真中の小道を(わざ)と避けて、櫟の後の塀に附いて、廻りましたが、こゝから覗き見たのは、イナックの(うれひ)の如きこの上なき憂ある身の避けてゐて、却つて()いものなのでした。棚の上には茶碗や銀の食器が輝いて居る。炉には暖かな火の(たい)てある中に、愉快さうな家族が団欒(まとゐ)して居ました。昔は嫌はれたフィリップが、今は炉の右に坐つて居て、至つて盛んで強壮らしく、赤子を膝の上へ載せて居ました。さうしてそれと同時に、二度目の父に寄り添つてゐる女児(むすめ)は、昔のエニイ、リイよりは丈は高くとも、矢張り母に似て器量よしの総領娘で、今指輪を下げた紐を高く持挙げて、赤子を遊ばして居ましたが、赤子は肥つてくびれた手を出して、取らうとしてはとりそこなひますと、みんなして笑ひました。面白さうに炉の左に赤子の母が、度々赤子の方を見ながら、自分の前に立て居る丈高く強壮らしき男の子を、折々見ては話をすると見えましたが、それは子供を悦ばせるものか、男児(をとこのこ)はほゝゑんで居ました。

 さて死んで甦つた様なイナックが、自分の妻であつて最早(もはや)自分の妻でなくなつたものを見、妻の子にして自分の子でないものが父の膝の上に居て、和楽の(みち)た家族が団欒してゐる中に、己の子供等が美事に生長してゐて、他人であつたものが、自分のかはりに主人の位置を占め、己れの特権も子供等の愛嬌をも占領して居るのを見ました時、ミリアム、レインから何もかも聞いて承知して居ても、見る事の方が聞く事より幾倍も強いものですから、たぢろいでブルブル慄へまして、木の枝にもたれ漸く倒れないやうにしました。そして我知らず声を立てゝ、瞬く間に炉辺の快楽を悉く打破りはしまいかと気遣ひました。

 それ故盗人(どろばう)の様に、踏板の音せぬ様に注意しつゝ、そこを逃れ()でましたが、気絶して倒れてゐる所を見つけられてはと、庭の塀をさぐりながら、辿り辿りて門まで歩み寄り、開くにも閉るにも病室の戸の開閉ほどに心を用ゐて、やがて野原へ出ました。こゝで跪いて祈祷しやうとしましたが、膝が慄へて其まゝハタと倒れ、手の指の湿つた土にめり込んだまゝ祈りました。

「これはいかにも耐へがたい、彼処(かしこ)から救はれたは何故(なにゆえ)であつたらう……アヽ全能の神よ、恵深き救主よ、寂寞たる孤島に我を加護し賜ひし天父よ、猶一層の力を添へさせ賜ふて、我妻なるものに此事を秘めしめ玉へ。我を助けて其平安を破ることなく、之を全うさせ玉へ。我子……我子……我子にさへ言葉をかはすまじきか、アヽ彼等は我を知らず、我彼等と顔を合さば、必ず事を破らん、否々親子の対面すらなすべからず……()の母親によく似たる娘にも、又我が嫡子なる者にも。」と、此時少しく気が遠くなつて、暫くは言葉も考もまとまらなくなりましたが、起き上つてそろそろと(おのれ)の淋しき宿に辿り(ゆく)道すがら、「(つげ)まい、知らせてはならぬ。」と云ふ事の決心を自分の疲れ果てた、心に固めつゝ行きました。

 斯云(かうい)ふたとて、イナックは決して絶望といふのではありませんかつた。其決心と堅固な信仰とが彼を維持しまして、心の信実から捧ぐる祈願は、洋中(わたなか)にある淡水の泉の如くに、其霊魂を死せしめませんかつた。

 ある時ミリアムに対して「おまへさんの話のあの粉屋の女房は、ヒョット(せん)の亭主が生きてるかと気遣ふ事はありますまいか。」と云ひましたら、ミリアムが「エイエイ可哀さうに、大気遣ひです。おまへさんでもあの人の死んだ処を見たと云つて遣られなされば、ほんに慰めになりますよ。」と云ひました時、イナックが心の中に、「そんなら神がわしを此世からお召しになつたら、知らせて遣らう。それまでは神のお思召を待つのだ。」と思ひました。

 それからイナックは(ほどこし)を乞ふ事を嫌つて、生活のために働き始めました。さうしてしやうと思へば、することは沢山ありました。桶屋も出来れば、大工にもなりまして、或は漁師たちの網をこしらへたり、又は多くも這入らなかつた貿易船の荷のつみおろしなどをして、漸く自分の糊口だけはしましたものゝ、さて自分一人の為の(はたらき)でしたから、とかく希望も勢もありませんかつた。さうしてイナックが帰つてから年月が丁度一廻りした頃に、ブラブラ病が出て、段々弱つて働くことも出来ず、初め家へ引込んでゐたものが、坐つて(ばか)り居る様になり、其後ドッカリ床につきました。

 イナックは此通り自分の身躰の弱り行くのを、却つて快く思ひました。なぜといふに死を覚悟した難船人が、遥かに助船の来るのを見る(よろこび)と少しも変りはありませんでした。死ぬると考へるうちに嬉しき望も起つて来ました。それは自分が死んだら、その時こそ、エニイに終りまで愛して居たと云ふことが告げられると思つたからでした。そこで早速ミリアムを呼んでかう云ひました。

「おかみさん、わしは内々おまへさんに云つて置く事がある。わしが死ぬる迄キット人に(かく)して置くといふ事を誓つて下さい。」

「おまへさん死ぬるとは何事です。キット其内なほして見せます。」としやべり(たて)ましたが、イナックは又一層厳格に、

「おまへさん、どうぞ誓つて下さい、此聖書の上へ手を載せて。」と云はれて、ミリアムは半分気味わるさうに誓をしました。其時イナックは眼を見張つて女を見つめ、

「おまへさんは此町のイナック、アーデンといふものを知つてゐましたか。」と云ひました。

「エイ知つてゐる事は知つて居ましたが、遠くから見た計りでした。ソウソウ、よッくツンとすまして歩いていましたッけが、中々人などにはかまひつけぬ風でした。」

 イナックは静かに悲しさうに答へました、

「今はそれがモウろくろく顔も(あげ)られません。誰あつてかまふものもありません。私はモウ三日と生きて居まいと思ふから云ふが、わしがイナックです。」

 そこで女はビックリして、薄気味わるさうに、

「エイ、おまへさんが、アーデンさんだつて、それは違ひましやう。どうしておまへさんより一尺も丈の有つた人でした。」

 イナックが又言ひました、

「神様はモウわしを此通り平伏させておしまひなすつたのです。わしは悲しさと淋しさとで、此通りやつれたのです。併し二度名をとりかへたあの女、あとでフィリップ、レイに嫁入(よめいつ)た、あの人を貰つたのは、わしに相違ありません。マア坐つて聞いて下さい。」と云つて、船旅の事、難船の事、淋しく送つた年月の事、帰つて来たこと、エニイを余処ながら見たこと、自分の決心したこと、これを今迄守り遂げたことを話しました。其女はイナックの話を聞いて居るうちに、大泣きに泣いてゐて、直ぐ飛び出して、町中にイナック、アーデンの不仕合(ふしあはせ)の事を云ひ広めたくッて堪りませんかつた。けれど約束に縛られて居て恐しくなり、漸く思ひ止まつてゐました。

「おまへさん、せめて子供丈でも見てお死になさいな。サア連れて来て上げましやう。」と云つて、イナックが少したゆたつて居た間に立たうとしましたが、イナックが、

「おかみさん此期(このご)になつて、モウ気遣(きづかひ)をさせて下さるな。どうぞ死ぬまで決心を守らせて下さい。マア坐つてわしが物の(いは)れるうち、よくわしが云ふことに気をとめて聞いて置いて下さい。今からいつて置きますが、わしが死ぬまで、あの人を愛して居て、幸福を祈つて居たと云ふ事と、二人の間に出来た(へだて)を除けば、二人で枕を並べた時も今も、心持は同じ事だといつて下さい。さうして母親にそつくりな、あの娘の行末の幸福を、息の切れるまで祈つて居たと伝へて下さい。息子にも其通り云つて下さい。フィリップさんにも、わしが幸福を祈つて居たと云ふて下さい。あの人だとて、わしの家族の為めを計つたばかりで、決して悪くは思はなかつたのです。もし生て居るうちに、ろくろく見覚(みおぼえ)のない親でも、子供たちが死顔(しにがほ)見度(みたい)といふなら、来ても(いゝ)と云つて下さい。わしは親父にさうゐないのだから。(しか)し、あの人は来ない方が(いゝ)と云つて下さい。それはわしの死顔を見れば、生涯苦にするに違ひないからです。今となれば、後の世でわしを迎へて居るものが、家族の中で一人あります。これがその子の毛で、あの人が切つて(くれ)たので、わしは其後いつも身を離さずにもつて居ました。さうして墓にまで持つて行かうと思ひましたが、考へ直したと云ふものは、あの赤子にはこれから天国で逢ふからです。ですからわしがない後は、これをあの人に()つて下さい。ヒョットしたら慰めになるかも知れず、又わしがたしかに其人と云ふ證拠にもなりましやう。」

 こゝで話を止めましたから、ミリアム、レインが言葉を重ねて、キットと約束しましたが、イナックは又眼を見張つて、念を入れて遺言をモ一度丁寧に述べまして、モ一度約束するのを聞きました。

 それから三日目の晩、イナックが身動(みじろぎ)もせず、真青な顔してすやすや寐て居て、ミリアムが居睡りしながら傍について居る(うち)に、大層海が鳴り出しまして浜辺にある家々に響き渡る位でしたが、此時イナックはフト眼を醒し、起きあがりまして、帆だ! 帆だ! 助かつた! と大手をひろげて叫びましたが、其儘(そのまゝ)倒れて息が絶えました。

 此通りにして雄々しき壮夫(ますらを)は世を去りましたが、葬式は(ちひさ)き港に稀なほど立派でした。

           (明治二十三年一月~三月「女學雑誌」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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若松 賤子

ワカマツ シヅコ
わかまつ しずこ 翻訳小説家 1864・3・1~1896・2・10 現在の福島県会津若松に生まれる。フェリス和英女学校高等科唯一人の第一回卒業生。1886(明治19)年以降若松賤子の筆名で有名な「小公子」はじめ海外作品を典雅な筆で翻訳紹介し読書界に貢献した。明治女学院校長巌本善治と結婚したが数え33歳で惜しくも病没。

掲載作は、1890(明治23)年1月から3月にかけ原作テニソンの詩を小説の体に翻訳し、夫巌本が発行・編集していた「女学雑誌」に発表のもの。この早い時期に言文一致のなだらかな日本語は注目される。