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言葉

 いつもこの言葉といふものに戻つて来る。それは誰でもさうであるのに違ひないが言葉といふもの、この場合は日本語をその反対に少数の専門家が研究に用ゐる材料と考へて他のものが知つたことでないとする時に例へば国語審議会のやうな話にならない機関が設けられることになる。それが日本語でなくても一国の国語をその道の専門家が研究の材料と見るのは当然のことであつて又その研究が無意味なものと決つてゐる訳でもない。併しここに専門家といふものが忘れ勝ちなことが一つあつてそれはどういふものでも専門的な研究の対象になればそれそのものでなくなるといふことである。このことは虫ピンで留められた昆虫の死骸からも類推される。或は仮にその昆虫がまだ生きてゐるのを顕微鏡で覗いてゐるのでもそれを覗いてゐるものの眼に映るのはその研究の対象であるその昆虫の一部でこの昆虫が自然の法則に従つて生きてゐるのと全く違つたものである。

 併しかういふ実状とは反対の見方を先づ取り上げたのは我が国ではさうした見方があるのみならず(むし)ろそれが一般に受け入れられてゐる感じがする為で言葉の話をしてゐるのであるから言葉のことから余り離れてゐることは出来ない。その専門家といふのも或る意味では可笑しいので言葉は誰もが使ふものであり、その効果を収めるのもさうして誰もが使ふ言葉であつてそれ以外のものでない時に言葉に就ての専門家といふのは他のものから言葉を奪ふのに近い。そして言葉は誰もが使つてゐる。又それ故にこれを使ふのに熟達することにもなるので或る具合にしか言葉が使へないといふこと、例へば医者が医学の領分に属してゐないことに就て何も言へないといふことはその人間がどこか不具であることを示してゐる。我々は医学でもその他どういふことでもただその為にだけ言葉を覚えたのでない。又それはあり得ないことで我々は先づ人間に育つて行く上で必要なことを言葉で表すことを覚える。

 それで人間に育つた後はどうなのか。その人間を取り巻いてゐるのは他の人間であつてそれとの交渉で人間は生きて行く。その時に言葉はその効果を収めるか或は言葉の用ゐ方に未熟な所があればその人間に挫折を来すので言葉の働きといふものをこれ以上に簡単に示す例が直ぐには思ひ付かない。又これは言葉の簡単な用ゐ方の例を示したのとも違つてゐる。ここには言葉を用ゐること、従つて言葉といふものの一切があるので人間が人間との交渉で言葉を有効に用ゐることに言葉といふものの働きは尽きる。もしさうでなければ詩はどういふことになるのか。或は上手に話をして老人を炉端から子供をその遊びから引き寄せるといふのはそれ以外のどのやうな言葉の働きに属するのか。このことは就職に際しての口頭試問にも及んでゐてここで見逃してならないのはその詩、物語、及び人生上の行動といふ三つの場合に言葉が違つた具合に用ゐられるのでなくて(いづ)れも同じ言葉を用ゐるといふことであり、その成否が同じ一つのその用ゐ方に掛つてゐるといふことである。

 詩人が言葉を別な具合に用ゐて詩を作ると思つてはならない。さういふ考へで詩の積りで作つたものがどのやうなものか我々は知つてゐる。それは相手になるべくいい印象を与へることを望んで言葉を選ぶのと同じで詩から就職試験の面接に至るまで言葉は作為を許さない。或はそこで許されるのは言葉といふもの自体に即してのものだけで従つてそれは作為でなくて言葉を見詰めて言葉に耳を澄ますことである。それ故に就職試験でもこの手続きを取らずに用ゐられた言葉は空疎に響き、これが文章ならば文章の体をなすに至ることがない。それで我々は我が国での演説といふものにいや気が差してゐる。これはさういふのが演説であるといふことに少しもならないので人間が言葉を用ゐることに熱を入れた時代にはその言葉は人を動かせて尼将軍の一言は鎌倉の武士達を行動に駆り立てるに足りた。それとも外国の例を引かなければこのことも納得出来ないのだらうか。外国ではそれはペリクレスの時代からある。

 併し人間が違った目的には言葉を違つた具合に使ふと考へることに錯誤の一切の原因があるやうに思へる。いつから始つたことなのであつてもそれ故に政治家が演説する時も何かを言ふといふことよりもこれから演説をするといふことが先に頭にあつてその結果がどういふものか改めて言ふまでもない。それが江戸時代の三馬の浮世風呂に(けり)子と(かな)子が出て来るのはその当時既に言葉を使ふ目的によつて言葉の使ひ方を変へてゐたのでなくてその頃までに和歌が詩でなくなつてゐたことを示すものに過ぎない。又ここで文語体と口語体といふやうなことを言つても文語体は当時少し改つた言葉の使ひ方をする時の日用の形式だつたのでその意味では今日のフランス語にも英語にも文語体はある。併しその口語体といふのを使ふのが普通のことになつてからの我が国では文語体がなくなつたのを補ふ積りなのか何にでも先づ言葉を使ふ目的を考へてそれに合つてゐると当人は思つてゐる言葉の使ひ方、或はその部門ではそれが合つてゐると決つた使ひ方をすることになつたのでそれ故に最近まで綜合雑誌の巻頭論文は読めないものと相場が決つてゐた。

 併し読める読めないの尺度からすればどういふ形で言葉を用ゐたものでも読めないもの、それをただ読むことで楽むといふことが出来ないものの方が読めるものよりも遥かに多いといふのは現状に就ても言へることでそこに難しいことを扱つて言葉を用ゐたものは簡単には読めないといふ観念が働く。又誰もが同じ具合に言葉を用ゐたならばその結果は平板であつて個性がある言葉が楽めないのではないかといふ危惧も顔を出す。併し言葉を用ゐるといふのは誰でもと同じにでなくてただ言葉を用ゐることなのであり、それをどういふ具合にかは自分が使つてゐる言葉がその性質に即して教へてくれる。その限りでは誰だらうとさういふ風にしか言葉は用ゐられないものなのである。又読むものを楽ませるとか個性とか文体とかいふのは言葉を用ゐることを知つた上でのことであつて正確に用ゐられた言葉はそれを読むものを楽ませる。その個性とか文体とかいふのも言葉を用ゐることに熟達してからのことでその個性その他を得てからも言葉に対して考へるのはそれを得る前と同様に言葉といふものの性質でなければならない。

 その意味では誰もが同じ具合に言葉を用ゐる他ないのでそれは誰もが言葉を用ゐることに掛るよりも先に言葉があつたからである。そして言葉をさういふものと認めてそのやうに言葉を用ゐるものは我が国では今日でもまだ少ない。それよりも先に何の為に用ゐるかが邪魔をするといふのは言葉よりもその目的の方が上位にあると考へるからなのであるが哲学でも小説でも政治演説でも言葉が別なものに変ることはなくてその言葉を用ゐて哲学で一つの命題を述べることでも集会で人に呼び掛けることでもをしなければならない。それが煙草屋で煙草を買ふ時の言葉と違ふ筈だと考へる所から錯乱にも増して平板とお座なりが生じる。又さうして乱用された言葉は、何の効果も収めることがない。併し煙草屋でも道を聞きに寄つたのでなくて煙草を買ひに来たのであることを相手に解らせるだけの言葉は用意して置かなければならないのである。又哲学者と呼ぶに足りるものはその言葉を使つて哲学の論文を書く。

 併し言葉に就てかういふ解り切つたことをそれが一定の地域の特殊な事情でまだ解り切つてゐない為に蒸し返してゐるのでは言葉に就ての話を進めることが出来ない。どこだらうと構はない国の若い物理学者に論文を見せられて少くともその文体のよし悪しは解る筈だからといふことでそれを言ふことを求められて驚いたことがある。その文体といふのは言葉が正確に過不足なく用ゐられてゐるかどうかといふことである。一体に科学といふのはそれが理論的な性質のものになるに従つて数式と図形に重点が置かれるのでそれだけ言葉から遠ざかつて行くものと考へてゐた所がその数式と数式の間の言葉に過ぎなくて人間と物理学ならば物理学を結び付けるのに現在でも必要なのであることをその時知つた。又それが言葉である言葉でなければならないのは勿論のことであつて我々が聞かされるのに馴れてゐるやうな政治演説、或は見付けてゐる種類の刊行物の記事で用ゐられてゐるものでは物理学の論文も書けない。

 読めるとか読み易いとかいふことを我が国では余り聞かされることがないが或る動物学の本の英訳に就てシリル・コノリイが激賞してこれは大部の原文を読める文章に直したのであるから原文にも優るとどこかで書いてゐたのを憶えてゐる。それは通俗的といふことでなくてそれならばその粗雑に本を読むことに馴れたものは付いて行けなくてそこに難しいと易しいの区別を見直し、又考へ直す余地があつて通俗的なものが読み難いのが読書人、本を読むことに馴れたものである。そこで言葉が正確に用ゐられてゐることを求める人間のことであるがその言葉は煙草屋で煙草を買ふ時と変らない言葉、又その正確といふのは人に道を教へるにも望まれる正確である。或る言葉が同じその言葉でありながら煙草を買ふのにも就職試験に合格するのにも(てこ)の原理を説明するのにも用ゐられるといふことがここでは大事なのでベルグソンが書くものに特殊な言葉が殆ど出て来ないことが我々の注意を惹く。又それはドイツのものを除いてヨオロツパの哲学の凡てに認められることである。

 英国では経済学が発達した。そして英国の優れた経済学者に就て一様に言へるのはその何れもが名文家であるといふことで科学の反対にかういふ言葉に頼る部分が多い学問ではこれは当然のことと考へられるが殊にその人達が経済学を誰もの知識であるべきものと見てゐたことがこれは言葉の用ゐ方からその経済学そのものにも働いてその論理の展開を精緻にした。それが誰ものものといふ建前は経済学だけのものでない。一体に哲学の堕落はドイツ人がこれを特殊な人間にしか許されてゐない絶対の真理を求める仕事と考へたことから始つてゐてそれを救つたのがフランスのベルグソンだつた。ヴァレリイの指摘を待たなくとも普遍的なものを求めるのが専門的な仕事である訳がないのである。又それ故に哲学上の特殊な用語を作つたのもドイツ人だつた。それを使つても煙草も買へないのであるからこれは哲学の領分から人間の世界が外されたことになる。

 言葉だけでなくて或る目的にはそれに向いた特殊な人間がゐるといふ考へ方があつてそれで詩人は夢想に耽つてばかりゐて商人は銭勘定に明け暮れしてゐるといふやうなことが大して怪まれもしないでゐる。併し人間はどういふ素質でもを一応は備へてゐるものなので後はそのうちのどれを、或は幾つを選ぶかであり、もしそのうちの一つに著しく恵まれてゐるといふことがあつてもそれで他のものに全く欠けてゐるならばその人間は不具である。又どれだけどういふものに恵まれてゐても人間にとつてなくてはならないのが人間であることなのであつてこれは詩人にも商人にもその他人間が生きて行く上で取る形ならば何にでも当て嵌る。既に人間であることがどういふことにも増して大事なのである。その時に或る人間が何をするのに優れてゐるといふのは二の次の問題であつてそれとは逆にその人間がすることに従つてこれを分類するといふのは初めから人間といふものを無視して掛つてゐることに他ならない。

 これは誰でもが何をするにも全く不向きでないといふことでもある。或は少くとも大概の人間がすることを大概の人間がしてゐるのでその中に言葉を用ゐるといふことがある。誰でもが言葉を用ゐるのでその巧拙は全く言葉といふものの用ゐ方の巧拙に掛つてゐる。誰の商売が何であるから言葉を用ゐるのが上手であるとか拙いとかいふことはなくてこれは人間であるものの銘々が自分の経験に即して身に付ける他ないことであり、さうでないことを言葉といふものが誰もが用ゐるものであることが許されない。そこには特権のやうなものがなくて的確に言葉を用ゐれば人を動かし、それに動かされるものが誰とも限らないのである。さうして人を動かすのが商売である人間といふものがあるだらうか。前に小説とか詩人とかいふことを言つたのであつてもそれと商売、身過ぎ世過ぎとは切り離して考へなければならないので金で言葉を探すことは出来ない。又小説を書くものでも詩人でもないものの言葉も人を動かし、さうして人を動かす言葉に種類はないのである。

 これを商売とする見方もある。それは外観はそれが商売である人間がゐるからであるがその人間が作るとか書くとかいふことをするのがそのまま金を稼ぐことにならなくて繰り返して言へばこの二つを一つに結ぶことは出来ない。又もし出来るならばそこに人を動かす言葉はないと見た方が安全である。又これも繰り返しになつても人を動かす言葉は誰にも得られるものであつて又その多くが得てゐるもので或る状況に即して的確に用ゐられた言葉が人を動かす。又それは人を人と結んでこの投合、或は融和がなくて人間は生きて行けないのである。それが人間を生きて行かせてこの生きて行くといふこと位普通なことはない。特に人を動かすといふ程のものでなくても言葉にはこの働きがあつて普通のことをするのに必要な普通のものが言葉なのであることを思ふならば言葉を特殊なもの、その用ゐ方まで特殊な専門家に任されたものと見ることの迷妄がどこから来たものか解らなくなる。

 併し言葉がさういふものであることはその働きを誰もが知つてゐるだけでなくて誰もがそれにいや応なしにさらされて生きてゐるといふことでもある。或は言葉と人間のうちで人間の方が先に地上に現れたと見る他なくても人間が言葉を得てからといふものこの二つの間に相互に行はれる作用が続けられて来たのでその結果に就てまだ余り考へるものがない。その考へるといふことが言葉なしでは人間に出来ないことなのである。或は人間は言葉を得てこれによつて考へを進めることに馴れた後は言葉は人間のみならず人間が考へるといふこととも一つになつて一般には感じることが考へることと別なものであることになつてゐても人間は寒さを感じても寒いといふ言葉が頭に浮んで自分が感じてゐることに就て納得する。又それ故に人間は言葉を自分のものにすることにも努力して来た。それは精神の自由を図る為にでもあつて言葉が自由に用ゐられるものになるに従つて精神の働きも自由になる。

 その自由を精神の働きに与へるものが言葉であることは精神の世界が言葉に支へられてゐることであつて従つてその世界の拡りは言葉の世界の拡りと一致し、この二つは同じものであるとさへ見られる。もし精神の方がなくなればその精神にとつて言葉もなくなるといふことを別とすればであるが精神が言葉に働き掛けるものならば言葉も精神に働き掛けてこれが先に行はれて精神が働き始めるのが普通である。これは誰の場合にでもであつて精神を働かせるのが商売といふことはない。我々が言葉と暮してゐるといふのはさういふことである。又その言葉は我々以前からあつたものであるからその働き掛けに応じ切れないといふ事情が生じることもあつて学校で所謂、教育を受けたものが自分がそこで覚えたこと、聞いたことに毒されるのも新聞を毎日読まずにゐられないものがそこで読んだことに振り廻されるのも言葉がその原形を留めないまでに符牒に近いものになつてもまだ精神に何かの刺戟を伝へる力を持つてゐることを示してゐる。

 これはその程度の力にも負ける程精神が脆弱ならばの話である。普通は我々が言葉の圧力に堪へられなくなるといふことは先づない。又堪へられなくなつたのが各種の精神病患者なのであるが我々も絶えず言葉の働き掛けを受けてゐて又それが我々の暮しの一部でもある。それが我々が考へる、感じるといふことをする動機にもなつて冬といふ言葉が与へられてゐなくて我々に冬が来たのを感じることが出来るかどうか疑しい。又鴬の声を聞いて先づ我々が思ふのが鴬といふ言葉である。それはその言葉を知つてゐれば鴬を聞かなくてもいいといふことでなくて我々は世界にゐてそれと我々の間に我々の精神の世界が介在し或はその媒介の役割を果し、さうしてその媒介をするのが更に具体的には言葉の形を取る。これは我々の認識の材料になるものも言葉であるといふことでそれが言葉でない時には我々の五官に訴へて来るものがそのまま言葉で表せるまでに我々に明確に掴めたのでなければならない。

 我々の精神の世界、或は我々が常に接してゐるのがその精神の世界なのであるから我々がゐる世界は言葉で出来てゐる。昔或る人が木を見ればそれが木だと思つてしまひにはそれがいやになると言ふのを聞いたことがある。それが自意識でこれが過剰になることも我々を精神の疾患に導き得る。併し普通は我々は木を見て木といふ言葉が頭に浮ぶのをその度毎に意識せずそれでも我々がしてゐるのは木といふ言葉を頭に浮べることなのである。その木を感じるのか考へるのかといふのはここでは詮索する必要がないことである。併し同じことであるのを考へると称しても感じると言つても我々はそれをするのに常に言葉を用ゐてゐて一般に考へると呼ばれてゐることをする時には自分から言葉の領分に乗り出して行く。或はそれは迷ひ込むと言つてもいいのでこれは我々のうちで誰もがすることであつて外観はさういふことをするのが商売の人間だけのことでない。我々が言葉を用ゐるのであつても我々の精神の世界をなして我々を取り巻く言葉はその中から適当なのを選べばいいといふものでなくて我々の考への形を取る言葉をどうにかして探し出さなければ我々の考へは考への形を取るに至らないのである。又それは我々が考へるといふことをするのに掛けて未熟であるからでなくて人間にはそれ以外に考へる方法がない。

 そして進んで考へるといふことをしなくても我々は言葉に取り巻かれてゐて見方によつては貫かれてゐる。それは我々の敵でなくて我々にとつて最も親密なものであり、これがなくては一日の朝を迎へることも出来なくて或る時もし人間が母といふ言葉を知らなかつたならば自分の母である女をどう受け取るだらうと思つたことがある。それが女であることも明確でなくなる。又当然のことながら言葉は記憶とも結び付いてゐてそれが喚起されるきつかけになるのが五官を通して得た印象であつても言葉がその印象に即して群つて来てその印象を受けた時の状況が再現する。それで煖房に石炭を投げ込む音が鉄道の駅で聞いた汽車の車輪を金槌で叩いて廻る音と重なるのである。又言葉は言葉の記憶も呼んで或る一連の言葉の韻律だけが耳に付いて離れない時はそれは大概は(かつ)て耳に響いた他の一連の言葉に属するものと同じなのでそのうちにそのもとの言葉も戻つて来る。

 それで我々は言葉と暮してゐる。我々が故郷に戻つてそこの町並、或は山野を懐しく感じて又現に自分が住んでゐる所に帰つて来るといふやうなことも多分にその間も言葉が働いてのことで我々は言葉を離れて何かと行動してその後で必要に応じてそれを言葉で表すと思ひたくても我々が刻々に自分がしてゐることを自分に対して言葉で表してゐるのでなければ自分が或ることをしたことにならない。それが文章の体をなす言葉でなくて断片的なものであつてもそれが母とか故郷とか寒いとか暑いとかいふ言葉でそれが繋つて我々がしてゐることを構成する。それは言葉になる程度に意識に上らなくては我々がしてゐることも意識しないからで又そのしてゐることに方向を与へるのも言葉の働きを通してである。例へば長い間一人で暮してゐるものはよく一人言を言つてそれは話し掛ける相手がなくても人間は自分には話し掛けないでゐられないからである。それが頭の中でだけですまない時は一人言になる。

 さうするとどうしてもこれは我々が言葉に拘束されてその圧制から離れられずにゐるといふ風に受け取れてそのやうなことはない。先づ人間が現れてそれが言葉を得てこの二つが互に働き合つて育つて行つた。そこにある関係は敵対とか支配とかいふやうなものでなくてもし人間からその最も大事な部分を分離するならばそれは言葉であるかも知れないのである。尤もこれはかういふ場合に部分とかそれを分離するとかいふことが言へるならばであるがそれよりも寧ろ人間が言葉に貫かれてゐるとか取り巻かれてゐるとかそれが人間の一番大事な部分であるとかいふことよりも人間が言葉とともにあるとするのが当を得てゐる。それ故に人間がゐる所には言葉があつて外国に行く時にはそこの言葉を身に付けることがそこにゐるのを感じるのに何にも増して必要な条件である。そこの人達はそこの言葉を使つて自分達がゐる場所に落ち着いてゐてそれが余りにさうなのでこれが言葉の為であるのを考へもしないでゐる。

 我々も自分の国にゐてそのことを考へもしないでゐるが我々の周囲にいつも何かあることに気が付いて見廻す時にそこに言葉がある。それ故に常に言葉といふものに戻つて来ることになるので言葉に対する親近が増して行くに従つてそれが人間とともにあるものといふのもまだ言ひ方に不足があることを感じるに至る。もしラスコオやアルタミラの洞窟に壁画を残した人種に既に文字があつてそれを解読することが出来たのだつたならばその文字はどのやうに巧緻な壁画にも増して我々に伝へるものがあつたに違ひないと思はれる。我々が歴史を知るのも主に言葉を通してだからで遺跡があつてもサルディニア島の廃嘘のやうに文字が残つてゐない時、或はエトルリアの遺跡のやうに文字が残つてゐてもこれが解読出来ない時にその建築物や壁画やそれを作つた人達は字の解読その他が進むまでは我々にとつて闇に閉されてゐる他ない。それは人間に就て語るにも我々まで届く言葉がないのである。

 ただ推量して前史時代の人間にとつて太陽は何だつたかといふやうなことを胸に描くばかりである。併し我々にも伝はる言葉が登場して人間の歴史が我々の前に拡ることになるのでそれが普通に歴史と呼ばれてゐるものでなくて漢の時代の心思不能言。腸中車輪転といふ種類の恐らくは俗謡に近いものであつてもこの時代にも旅行するものが車の音に連れて故郷を(なつかし)んだことを知つて孝武帝や霍去病(かくきよへい)がただの名前でなくなる。それが文章の体をなしてゐるものならばなほ更であつてそこで描かれてゐる状況からその状況とその背後にある時代が我々のものになり、それはその言葉が我々の世界をなしてゐる言葉に加へられることで歴史でなくて他のものを我々が求めるならばそれも言葉の形で我々の世界のどこかにあるか或はこれに加へられてそれを拡げる。それがさうであるのは言葉が我々に覚えさせる(したし)みによるものでその為に我々は言葉が描くものにも親み、このことを追つて行く時に言葉とそれに親む自分の区別が付け難くなるのを感じる。

 それは付け難いのでなくて付けられないのである。我々が言葉を用ゐて考へるといふことは我々が探り当てた言葉になることなのでそこまで行かなければ考へがその形を取りもしなければこれを進められもしない。デカルトはその cogito の命題と自分を区別することが出来ただらうか。そしてcogito も言葉であつてそれ以上のものでも以下のものでもない。これは我々が知つてゐてそれに動かされた為に覚えてゐる言葉の凡てに就て言へる。恐らく人間が言葉を得て始めて人間になつたのは一つの目的に向つて進ませることが出来る分身を言葉といふものの形で与へられたからでそれで人間に頭の中で世界を築く道が開けた。それまでは自分でどこへでも行かなければならなかつたのである。併し言葉は道具でなくて人間の分身であつてこれに人間が自分を託すことで言葉は働き、それ故に便宜上これを人間の分身と呼んでも人間と言葉の間に違ひはないのである。誰かが言つたことはその人間である他ない。かうして我々の世界は一層拡つて或る人間でも歴史上の或る状況でも、或は人間といふものでも言葉といふものでもそれを表す言葉がそこにある。

 併しこれは我々の日常の経験を改めて言つてゐるに過ぎない。そこに何も奇異に聞えることはない筈であつてただ我々が余りに馴れてゐることをそのまま言葉で表せば、或は我々が馴れてゐるのとは別な言葉で言ひ直せばそれまで注意が行かなかつたことが出て来てそのことを怪むといふことはある。併し我々の日常の経験に戻つて言葉がかういふものであることで日蝕が起る訳でも煙草の味がまづくなるのでもない。我々が自分といふものを自分の言葉と見るかただの自分と受け取るかはこの二つが同じものなのであるからどちらでも構はないことで何れに決めても我々が考へたり他のどういふことでもをしたりするのに今まで通りであつていいのである。さういふことをするのを言葉は全く妨げない。寧ろそれをいつも助けてゐるのでそれ故に我々は煙草屋に行つて苦労せずに煙草が買へる。ここではただそれならば言葉はどういふ形で我々を助けるかといふことを考へてゐただけなのでそれも教へる為でなくてその位のことは誰でも知つてゐる筈である。

 併し言葉の闇といふものはある。これは多少は説明し難いことであるが一人の人間が一生のうちで知ることが出来る言葉の数には限りがあつてこれを本のことに持つて行つても読むに(あたひ)する本を一人の人間が生きてゐるうちに読み尽せるものでない。又言葉に働き掛けられて自分の言葉を得るといふこともあつてそれも自分に得られるものの凡てといふことは先づ望めないことである時に我々は言葉で築かれて言葉に明るく照された我々の世界の外に言葉の闇が拡るのを感じる。スエトニウスを読まないで死ぬものがどれだけゐることか。又スエトニウスならば構はないにしても中には歓喜を覚えさせる本、言葉があるかも知れなくてそれも読まないならば闇に包まれたままである。曾てはそこに何が隠れてゐるかと思つたものだつた。併しこれは恐怖の状態で恐怖は人間が受け継いだ人間以前の動物の遺物に過ぎない。その言葉の闇もそこに光を当てることがあつて解つたのはただ言葉がそこに隠されてゐることだつた。

 その上に言葉には人間にも増して、或は人間と言葉が同じものであるならば人間にも言葉にも多くを言ふ働きがある。今まで人間が言つたことの凡てを知つてゐなくても知つてゐるだけで自分の世界は築けてそれは言葉で築いたものであるから人間の世界と見て差し支へない。その人間の世界が人間の銘々が築いた自分の世界なのである。アラビアの千夜一夜に或る国王が知識の一切を網羅した辞書を作ることを命じてそれが出来上つた時に冊数が多過ぎると言つてこれが先づ十二冊に、次に九冊に減らされてその挙句に知識の一切が一行に(つづ)められたのが例の神はただ一人しかゐなくてその神の使者がモハメツトであるといふのだつたといふ話が出て来る。それだけの働きが言葉にはある。従つて言葉の闇のことを持ち出したのは余計だつた。又更にここでは主に本に入つてゐる言葉のことを言つてゐるやうであつて少しでも時間がたてば言葉はその形を取る他なくても現に我々は自分の廻りの言葉を聞いてゐて我々の精神は言葉を紡いで休むことがない。

 実にいつもと同じ世界が我々の周囲にある。我々はそれが言葉で出来てゐるものと考へずに育つて場合によつては今に至つてゐて言葉で出来てゐることが解つた所で世界が我々の廻りに拡るものと別なものに変ることはない。又言葉で出来てゐるのでなくてレオパルディに従へばと書き掛けてその efango e il mondo も言葉であることに気が付いた。要するに世界は世界であつて人間にとつてそれが言葉であることはそれが事実さうである時に我々が知つてゐる世界に影響するものでない。或は必ずしもさうでないのだらうか。少くとも言葉の働きがどこまで及ぶもので今までにどういふ結果を生じて来たかを知るには世界が岩石で出来てゐると考へたりするのは思索の範囲を著しく狭めるもので岩石で出来てゐないことが解つてゐても通用しない仮説を立てるのは避けるのに越したことはない。又言葉と世界が我々に与へられてゐる時にどういふ仮説でもを立てる必要があるだらうか。

 それで又言葉といふものに戻つて来る。我々の廻りにあるもの、我々の眼の前にあるものはいつもと少しも変らなくてこれに対する我々の反応の仕方も誰のとも違つてゐない。そこに自分を人間並の人間と考へるのを妨げるものは何もなくて又人間であることも人間並に温く感じられることである。それで友達に手紙も書き、一緒に飲みもして一人でゐる時は眼が街頭に、又窓の外にさ迷ふ。この間に我々の頭は空白なのだらうか。何かが我々を満して働き続けてゐてそれが言葉である。   (了)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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吉田 健一

ヨシダ ケンイチ
よしだ けんいち 批評家・作家・随筆家 1912~1977 東京に生まれる。外交官であった父吉田茂に従い幼少時を仏英中国等で過ごした。河上徹太郎に師事し中村光夫らと「批評」を創刊。戦後、『英国の文学』『シェイクスピア』等の批評が高く評価され、また心豊かな名随筆や、小説も書いた。蜜を掬うようにとぎれないユニークな回旋型饒舌体は、味わえば味わうほど甘い毒の味で鋭い批評を突きつける。

掲載作は、1977(昭和52)年「新潮」1月号初出、吉田健一の文学と思想の一原点を成している。

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