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アポカリプス雑考

 目 次

:はじめに

 1.黙示と啓示の違い――アポカリプスとは

 2.訳書で検証する

 3.啓示について

 4.黙示と啓示は同義語か

 5.黙示文学の背景

 6.「黙示録」のなりたち

 7.「黙示録」と書誌

 8.訳語『ヨハネの黙示録』誕生の背景を推理する

 9.「黙示録」の和訳を比較する

 10.映画と「黙示録」

 11.日ユ同祖論とは

 あとがき

(目次および文中、正式書名は『ヨハネの黙示録』、それ以外は「黙示録」と略した。)

 

  はじめに

 

 新約聖書の巻末にある「黙示録」=「アポカリプス」(注:説明は後述したが、本編では「黙示録」を指す汎用英語のカタカナ表記)にはこういう読み方もある。二、三カ国語に通じるマルチリンガル、あるいはその上の少なくとも数カ国語の原書を読めるポリグロットを目指す外国語学習者にはすすめたい。「黙示録」の翻訳の底本が同じなら、短編の「黙示録」は対訳学習にかっこうの分量である。そして何より、話がおもしろく興味が長続きしよう。昔の聖書の翻訳者あるいは研究者、注解者は苦労を重ね、複数の外国語を身につけ、言語比較を通し文化背景を照射していった。

 「黙示録」をかびくさい時代錯誤の古典としてとらえるか現代的な解釈可能の書とみるかというのも鑑賞ポイントである。後者の立場に立つと、現代に通じる今なお生き続けるメッセージが読み取れるし、現代的意義も生まれてこよう。「黙示録」はそういった奥の深い考えさせられる書なのである。情報や知恵が満載の大百科全書「聖書」のダイジェスト版でもある。聖書の寄せ木細工とも言える。また頭の中で組み立てるジグソーパズルかも知れない。ただ完成見本はあくまでも一人一人の心象の中にあって、できあがりはイエスの幻影、光か影、神の捕捉などなど、心持でいかようにも千変万化する。

 

 1.黙示と啓示の違い――アポカリプスとは

(注:文中「ギリシア語」でなく「ギリシャ語」とあるのは引用文献のママ)

 

 まず新約聖書がギリシア語で書かれたということを念頭におかれたい。「黙示」はギリシア語のアポカリプシス(ギリシア語のラテン文字表記でapokalypsis.英語ではアポカリプスapocalypse)の訳語であるが、これはもともと「啓示」(英語のrevelation)が原意である。動詞アポカリプト(apokalypto) は、英語の offに相当する apoと、英語のcover に相当するkalyptoからなり、「覆いをとりのぞく」(reveal)、「暴露する」「物の姿をあらわにする」ことで、聖書では「秘密の意味、奥義を啓示する」という意味になる。聖書(新約聖書と、七十人訳聖書というギリシア語による旧約聖書)のギリシア語を含む古代ギリシア語は現代ギリシア語とは、語義がだいぶ異なるが、このアポカリプシスは古代から新約聖書時代、中世をへて現代まで元の意味をそのまま残している希少例となる。(『ギリシア語・英語レキシコン』では、パレスチナのガダラ出身の哲人フィロデムス(AD70頃)の著述に「隠された井戸があらわになったこと」と名詞で用いられている) 。聖書ギリシア語に用いられてきたことが長寿の秘訣であるかもしれない。

 現代ギリシア語でも頻繁に用いられる動詞アポカリプトは、たとえば「犯罪の事実を明らかにする」とか「情事を暴露する」といったように、ごく日常的に用いられる言葉である。また「黙示録」をさす名詞アポカリプシスは、一般語を小文字で示すのにたいして、大文字になる。(ちなみに、『新約聖書ギリシャ語辞典』(玉川直重) では、動詞アポカリプトに「心に内的に示すこと」と注をつけている) 。

 ややこしい話で恐縮だが、大事なことなのでしばらくご辛抱願いたい。ギリシア語のアポカリプシスの原意には「啓示」以外の意味はないのに、日本では訳語として「黙示」と「啓示」とに使い分けされているのである。おかしくはないか?

 その前に、「黙示」の音読みも気になる。いくつかの国語辞典によると、「黙示」は「もくし」もしくは「もくじ」とあるが「もくし」の方が通りがよいので、「地獄の黙示録」は「じごくのもくしろく」と読みたい。「啓示」は「けいじ」が普通だがこれも「けいし」とも読むと書いてある。

 小学館の日本国語大辞典を引いてみた:

「もくし [黙示](「もくじ」とも)。暗黙のうちに意思を表示すること。はっきり言わないで、間接的に意思を表すこと。

*小切手法13条「黙示の契約に従ひ之を振出すべきものとす」。隠された真理を開示する意。特にキリスト教で、人が、その才能や知識で測り知ることのできないことを、神が特別の方法により、人に示すこと。(比喩的に用いて)直観的にある原理や考え方、方法などを知ること。」とある。

 では、 [啓示]はどうであろうか。:「けいじ [啓示] (「けいし」とも)。よくわかるようにあらわし示すこと。神が人間に対して、人の力ではとうてい知ることのできないような事をあらわし示すこと。キリスト教では、被造物(自然) によるものを一般啓示、キリストによるものを特殊啓示と呼ぶ。」とある。

 

 おかしいと言うのは、ギリシア語や西欧語――そしておそらく他の聖書翻訳言語でも――では、明らかに「啓示」つまり「啓き示す」という意味しかないのに、日本語では同義語ではない「黙示」という訳語と混用していることだ。「啓き示す」と「黙して示す」とは、どうしても同じとは思えないし、また適宜使い分けるのはいかがなものか。

 矛盾の故事とは言い切れぬが腑に落ちないとするのは考えすぎであろうか。ここに、よく言えば鷹揚、円滑自在、手厳しい見方をすれば、無定義で曖昧模糊な日本語文化の一面を見る思いがする。

 少し踏み込んで言うと、聖書世界のうち、『ヨハネの黙示録』でアポカリプス(ギリシア語のアポカリプシスと同義の英語で汎用。以下、特にギリシア語のアポカリプシスと区別しない場合は「黙示」「黙示録」を指す)は「黙示録」「黙示」、ほかの文書では「啓示」、動詞形では「啓示する」と訳出されているのである。動詞で「黙示する」という訳語にはお目にかかったことがない。聖書研究者、翻訳家諸氏も同じ疑問を感じたはずであるが、指摘されたことはない。

 聖書関係の訳書を読むと、(1) 黙示(啓示) と括弧でくくるか、(2)文脈から一つの語義しかありえぬケースでも、それも一つのセンテンス内で、「黙示」「啓示」と使い分けている例もある。くわえて、アポカリプスに「黙示」と「啓示」の別ありと論じていることもある。

 『ヨハネの黙示録』という術語は定訳となっているので変えるのは難しいが、いつまでも「黙示」と「啓示」を無理に使いわけるのはやめ、思いきって「ヨハネの黙示録」ではなく昨年のエヴァ現象(テレビアニメ「エヴァンゲリアン」ブーム)で少し知られてきた「アポカリプス」としてみるのも手ではないか。西欧語で論文を書く際に、黙示の意味を特別に強調し補注する以外は、筆者が「黙示」つまり「黙して示す」と「啓示」を分けているとは思いにくい。

 この問題提起を――少なくもこれまではあまり疑問がもたれなかったのであろう――瑣末とみるか否かは人それぞれで、めくじら立てるまでもないのではと言われればそれまでだが。しかし、かりに、日本語への翻訳解釈行為を通して原義が少しでも曲がっているなら、いかかがなものであろうか。

 この「黙示」と「啓示」の問題については、日本的な意味合いの「以心伝心」、つまり沈黙を醇風美俗とする中国から漢字を借入した後変化した日本語の独特の文化的・思想的背景があり、また、西洋からの借入訳語に漢語をあてた経緯で、語義の解釈を見過ごしていった消化不良があるように思える。筆者はむかし数年、欧米の工業技術、サイエンス関係の研究書、実験記録、規格を専門翻訳した経験を持つが、それら専門テキストには完璧な術語の定義が大前提であった。聖書はそんな堅いものではなく文学ジャンルではないかと言われれば口を閉じるしかないが、あえて揚言する。好みとは別の論議である。

 ちなみに、筆者の手元にある数カ国語の「新約聖書」中の『ヨハネの黙示録』のタイトル及び冒頭の句で「黙示」のニュアンスの訳はひとつもない。香港発行の繁体字の聖書「聖経」には「啓示録」とある。他方、邦訳聖書で「黙示録」としていないのは、ギリシア語原典に忠実な翻訳である「新世界訳」(正式名称は「クリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳。1973年、1985年版。ものみの塔) の「ヨハネへの啓示」だけである。

 ただ、解釈の上では黙示的ニュアンスがないとも言い切れない。しいて言えば、定義の上で明確な使い分けをしているかどうかであろう。

 

 プロテスタント系神学者が書いた『平和の黙示…旧約聖書の平和思想』(木田献一著。1991。新地書房)という本の一文を紹介したい。

 

「啓示はラテン語でrevelatioであるが、ギリシャ語ではapokalypsis(注:原著はギリシア語表記)である。ギリシャ語やヘブル語では、神の啓示はもともと黙示であり、隠されたものの覆いを取り去ることである。覆いが取り去られても、黙示は直ちに万人に明らかになるのではない。神の支配の下に生きる者には明らかでも、神の支配を否定する者には、逆に暗黒と謎を深めるものでしかない。

 もともと、ラテン語の〔動詞〕 revelareは、ギリシャ語のapokalyptein(注:原著はギリシャ語表記)と同じく、「覆いを取り除く」の意味であるが、われわれにとって〔名詞〕revelatio とapokalypsisのニュアンスは、歴史と共に大いに変化していると思われる。「啓示」はキリスト教会の強権によって承認された教えを意味するが、「黙示」はそうではない。…(中略)…「正典」としての聖書は、そのあらゆる次元において聖なる文書であり、教団にとっての規範とされる。…(中略)…「正典」の中で、神の平和は覆われてしまっており、それを読み取るには、聖書の隠された真理の覆いを取り除くことが必要とされる」。

 

 これでは、ユダヤ教(旧約聖書)やキリスト教(新約聖書)の唯一神(およびイエス)が、啓示ではなく黙示をしていたと誤解されかねない。訳語「黙示」の術中にはまっているように思える。たとえると、「雨の降る日は雨天である」風なら、あほくさで済ませてもいいが、「雨の降る日は雨の降らぬこともある」といったややこしいことになると話は違ってこよう。ただ、筆者が言うのは信仰ではなく「語義の誤った解釈」(twisted or biasedinterpretation)のことであって、日本人が用いる、オリジナル(インドのパーリ語などの原仏典)とはいささか趣を異にする漢訳仏典の例を思い出してほしい。

 

 『ヨハネの黙示録』には1:1(第1章第1節)の冒頭で名詞アポカリプスが一度登場するだけである。

黙示(啓示) 的意味については、あとは、たとえば、15:4についてはRSV(Revised StandardVerison. 最高水準の英訳といわれる改訂標準訳) では、‘for thy judgements have beenrevealed.’「あなたの正しい裁きが、明らかになったからです」(新共同訳)となっているが、この「明らかになった」の部分はギリシア語では‘ephanerothsan(phaneroon「知らせる、示す」の受け身形) ’である。 

 

  2.訳書で検証する

 

 さて、新約聖書の他の文書に出てくるギリシア語の名詞アポカリプシス、動詞アポカリプト(ほかにapokalyphinなど)等の訳例はどうであろうか。

(以下、手引きとして、新共同訳に拠る新約聖書の書名と略称を挙げる。本文引用の各書名に続く番号は、該当書の章・節を示す。例:黙1:1=ヨハネの黙示録第1章第1節):

 マタイによる福音書:マタ

 マルコによる福音書:マコ

 ルカによる福音書:ルカ

 ヨハネによる福音書:ヨハ

 使徒言行録:使

 ローマの信徒への手紙:ロマ

 コリントの信徒への手紙一:一コリ

 コリントの信徒への手紙二:二コリ

 ガラテヤの信徒への手紙:ガラ

 エフェソの信徒への手紙:エフェ

 フィリピの信徒への手紙:フィリ

 コロサイの信徒への手紙:コロ

 テサロニケの信徒への手紙一:一テサ

 テサロニケの信徒への手紙二:二テサ

 テモテへの手紙一:一テモ

 テモテへの手紙二:二テモ

 テトスへの手紙:テト

 フィレモンへの手紙:フィレ

 ヘブライ人への手紙:ヘブ

 ヤコブの手紙:ヤコ

 ペトロの手紙一:一ペト

 ペトロの手紙二:二ペト

 ヨハネの手紙一:一ヨハ

 ヨハネの手紙二:二ヨハ

 ヨハネの手紙三:三ヨハ

 ユダの手紙:ユダ

 ヨハネの黙示録:黙

 (旧約聖書については後出の引用例が少ないので略称は用いない)。

 

*『新約聖書ギリシャ語辞典』(玉川直重)の語義分類では、動詞apokalyptoは、(1)「現れる」(受け身形。touncover)マタ10:26、ルカ12:2、(2)「示される、啓示される」(to becomeevident)ルカ2:35、ヨハ12:38、ロマ1:17、18、(3)「(隠されていたものを)表す、示す」(toreveal)マタ11:25、27、16:17、ルカ10:21、22、一コリ2:10、14:30、ガラ1:16、エフェ3:5、フィリ3:15、一ペト1:12、(4)「(前には存在しなかった栄光、救い、審きの日などが)現れる、来る」(受身形。to appear)ロマ8:18、一コリ3:13、ガラ3:23、一ペト1:5、5:1、(5)「(隠されていた人が)現れる」(toappear)ルカ17:30、二テサ2:3、6、8、となっている。

(注:原文丸数字は文字化けしがちなので括弧数字に改めた)。

 

*新共同訳では、訳語は以下のとおり(時制、肯定否定、受動能動等の違いはある)。

(1)マタ10:26(現されないもの)、ルカ12:2(現されないもの)、(2)ルカ2:35(あらわにされる)、ヨハ12:38(示されましたか)、ロマ1:17(啓示されています)、18(現されます)、(3)マタ11:25(お示しになります)、27(示そうと)、16:17(現した)、ルカ10:21(お示しになりました)、22(示そうと)、一コリ2:10(明らかに示してくださった)、14:30(啓示が与えられたら)、ガラ1:16(示して)、エフェ3:5(啓示されました)、フィリ3:15(明らかにして下さいます)、一ペト1:12(啓示を受けました)、(4)ロマ8:18(現される)、一コリ3:13(明るみに出されます)、ガラ3:23(啓示される)、一ペト1:5(現されるように)、5:1(現れる)、(5)ルカ17:30(現れる)、二テサ2:3(出現しなければ)、6(現れる)、8(現れます)、と訳されている。

 

*RSVを見てみよう。

(1)マタ10:26(not revealed)、ルカ12:2(not be revealed)、(2)ルカ2:35(maybe revealed)、ヨハ12:38(been revealed)、ロマ1:17(is revealed)、18(isrevealed)、(3)マタ11:25(revealed)、27(to reveal)16:17(notrevealed)〔否定形〕、ルカ10:21(revealed)、22(to reveal)、一コリ2:10(hasrevealed)、14:30(revelation)、ガラ1:16(to reveal)、エフェ3:5(has now beenrevealed)、フィリ3:15(will be revealed)、一ペト1:12(was revealed)、(4)ロマ8:18(tobe revealed)、一コリ3:13(will be revealed)、ガラ3:23(be revealed)、一ペト1:5(to berevealed)、5:1(to be revealed)、(5)ルカ17:30(isrevealed)、二テサ2:3((unless)……is revealed)、6(may be revealed)、8(will berevealed)、となっており、すべてギリシア語の動詞apokalyptoと同義の英語reveal(一つだけ、名詞のrevelation)と訳されている。

 

* ギリシア語と並ぶ西欧古典語のラテン語訳を調べでは(NESTLE-ALAND, 1994。該当変化語だけを抽出)。

(1)マタ10:26(non rivelabitur)、ルカ12:2(nonreveletur)、(2)ルカ2:35(revelentur)、ヨハ12:38(revelatum)、ロマ1:17(revelatur)、18(revelatur)、(3)マタ11:25(revelasti)、27(revelare)、16:17(nonrevelabit)、ルカ10:21(revelasti)、22(revelare)、一コリ2:10(revelati)、14:30(revelatum)、ガラ1:16(revelare)、エフェ3:5(revelatum)、フィリ3:15(revelabit)、一ペト1:12(revelatum)、(4)ロマ8:18(revelanda)、一コリ3:13(revelabitur)、ガラ3:23(revelanda)、一ペト1:5(revelari)、5:1(revelanda)、(5)ルカ17:30(revelabitur)、二テサ2:3(revelatus)、6(reveletur)、8(revelabitur)、となっており、すべてギリシア語の動詞apokalyptoと同義のrevelareの変化である(なお、表題は“APOCALYPSIS IOANNIS”とアポカリプシスを用いている)。

 

* 次に中国語訳――香港の『聖教』も参照しておきたい(中国語と日本語とでは漢字の字義が少し違うので含みおき願いたい。該当語を適宜抽出、繁体字を常用漢字に直した)。

(1)マタ10:26(隠蔵的)、ルカ12:2(隠蔵的)、(2)ルカ2:35(掲露)、ヨハ12:38(彰顕)、ロマ1:17(啓示)、18(啓示的)、(3)マタ11:25(啓示)、27(啓示的)、16:17(啓示的)、ルカ10:21(啓示)、22(啓示的)、一コリ2:10(啓示)、14:30(啓示)、ガラ1:16(啓示)、エフェ3:5(啓示)、フィリ3:15(清楚地指示)、一ペト1:12(知道)、(4)ロマ8:18(顕明)、一コリ3:13(顕露)、ガラ3:23(顕示)、一ペト1:5(将在……実現的)〔この部分の訳だけが直接啓示を示すものでなく、前後の文脈上で「救済が(将来)実現しようとしている」と意訳されている〕、5:1(顕示的)、(5)ルカ17:30(顕現的)、二テサ2:3(出現)、6(出現)、8(出現)、と訳されている。

 

* 和訳では唯一「ヨハネへの啓示」としている「新世界訳」(1985年版)ではどうであろうか。

(1)マタ10:26(覆われているもの)、ルカ12:2(秘められているもの)、(2)ルカ2:35(暴かれる)、ヨハ12:38(示す)、ロマ1:17(啓示されている)、18(表し示されています)、(3)マタ11:25(啓示された)、27(啓示する)、16:17(啓示した)、ルカ10:21(啓示された)、22(啓示する)、一コリ2:10(啓示された)、14:30(啓示があるなら)、ガラ1:16(啓示する)、エフェ3:5(啓示されている)、フィリ3:15(啓示してくださる)、一ペト1:12(啓示されました)、(4)ロマ8:18(表し示されようとしている)、一コリ3:13(表し示される)、ガラ3:23(表し示される)、一ペト1:5(表し示される)、5:1(表し示される)、(5)ルカ17:30(表し示される)、二テサ2:3(表し示されてからでなければ)、6(表し示される)、8(表し示されます)。「啓示」もしくは同義語の「表し示す」になっている。

 

 インド・ヨーロッパ語族のギリシア語、英語など、シナ・チベット語族(あるいは孤立語)の中国語、朝鮮語・アルタイ諸語の系統とも目される日本語の違いが少し把めよう。新共同訳とほかの和訳――前述「新世界訳」を除く――では、『ヨハネの黙示録』の冒頭にある以外は、一つも「黙示」とされてはいない。写本はそれぞれに異読(または異動)があり、同じ底本でも訳者によって翻訳が違ってくる。翻訳、とくに語義の特定が難しいことがお分かりいただけたか。また、各文書を複数の人が翻訳した場合の、訳語の統一・整合の問題もあろう。それと重訳(ギリシア語から英語をへて和訳されたもの) の信用度は完璧ではないのでは、ということだ。

 それにしても、一つのギリシア語アポカリプシスに「黙示」と「啓示」の両義があるのだろうか。そして使い分けが。そして『ヨハネの黙示録』の一つの名詞だけが「黙示」と訳された理由は?

  3.啓示について

 

 良書として評価の高い『聖書思想辞典』(仏文の和訳。三省堂)から「啓示」についてポイントを要約する。カトリック神学者らが執筆したこの本では、「黙示」と「啓示」は区別していないばかりか、「黙示」のニュアンスを行間から読み取ることも難しい。

 「*「旧約聖書」では、神が啓示を行うのは、神が人間の言葉では表現できない存在であることに由来する(ヨブ記42:3) 。

 

*人間には、自分で自分がわからなくなるような時がやってくるが(詩篇73:21~22)、自分だけではその謎を解くに必要な光明を見いだしえない。それで、自力では探り知ることのできない神秘に近づき(ダニエル書2:17~18)、「神の栄光を見る」(出エジプト記33:18)には、隠れたことがらもすべて支配されておられる方(申命記29:28)のほうに向かう必要がある。が、神は、人間が神に向かうよりも前に、まず自分のほうから積極的に人間に語りかけるのである。

 つまり、神はもともと「隠れた神」(イザヤ書45:15)ではあるが、必要に応じて、人間に何かを示すということである。この意味では神は自己顕示であり、人間は神が自身を顕示されることによってのみ、神を知ることができるのである。(筆者注:とすれば、「啓示」は「顕示」であり、「黙示」ではないのである。)

 

*「新約聖書」になって、旧約時代に始まった啓示が完成する。新約では、啓示は、多数の仲介者を通して伝達されるのではなく、啓示の源でありしかも対象であるイエス・キリストによってのみ行われる。

*啓示には三段階がある。まず、イエス自身によって使徒たちに伝えられる段階。次に、使徒たちによって、ついで聖霊のみちびきのもと、教会(人々が集まる教会組織)によって人々に伝えられる段階。第三は、人間が信仰による認識にかわって神の神秘を直接に観想するようになり、啓示が最終的に完成される段階である。

 

*新約聖書では、「啓示する」(ギ:apokalypto)以外に、類義語として「示す」(ギ:phaneroo)、「知らせる」(ギ:gnorizo) 、「照らす」(ギ:photizo) 、「説き明かす」(ギ:exegeomai)、「見せる」(ギ:deiknuo,deiknumi)、あるいは単に「言う」(ギ:lego)などの動詞が用いられているが、これは、神の言葉・福音・信仰の奥義を構成する「啓示」を宣教し、教えているのである。

 

*黙示録

 『ヨハネの黙示録』は、字義上からも啓示をさす(黙1:1)。黙示録は、旧約聖書に要約されている啓示と、これを完成したキリストの啓示の出会いから生まれた。著者はこの二つの源泉から、「教会は逆説的にも迫害を通して世とサタンにたいする神の勝利を表わしていかなければならないという、自己の歴史的定めを明らかに知ることができる」ようにまとめあげたのであった。かくしてイエス・キリストの啓示は著者ヨハネを通じて、世界にあまねく顕現されたのであった」。

 

  4.黙示と啓示は同義語か

 

 いのちのことば社の『聖書辞典』(昭和36年。プロテスタント系)は、よくまとまっている辞書だが、黙示と啓示についてこう説明している:

 

「*『ヨハネの黙示録』の黙示と訳された原語は啓示の原語と同一であるから、黙示は啓示の同義語と考えてよい。ただし、一般に啓示が黙示文学と関係して用いられるときは、黙示といわれる。

*「黙示」。ヘブライ語のハーゾーンの訳語(サムエル記上3:1、歴代誌下9:29)で原語の意は、「見ること、とくによく見つめること」の意。ヘブライ語のヤーラーの訳語(ハバ2:19)で、原語の意は「教えること」。ギリシア語のアポカリュプシス(ママ)の訳語(黙1:1)で、原語の意は「おおいを取り払って裸にすること。すなわち、今まで知らなかった霊的真理を明らかにすること」で、これは聖霊の超自然的な大能によることである。

* 「啓示」。ギリシャ語のアポカルプシス(ママ)、ラテン語のレヴェラティオ。ヴェールを取り去ることの意。

 

*旧約においては「啓示」は名詞として一度も用いられていないが、その動詞形が「秘密をもらす」という一般的な意味の場合(箴言11:13)、特に人間に対して神のみ指示されている意味で用いられる場合(申命記29:29、イザヤ書22:14、ダニエル書2:19、22、28、アモス書3:7)」

 前出引用中の「黙示」について旧約聖書のヘブライ語と「七十人訳聖書」のギリシア語訳では、ともにギリシア語のアポカリプトは用いられてはいない。英訳もそれぞれ、vision(s), say となっている。

 どうやらこれには、ヘブライ語の原典から訳された旧約聖書、ギリシア語原典から訳された新約聖書、また、ギリシア語訳の旧約聖書、世界にあまねく広がる英訳など欧州言語の翻訳聖書の翻訳、重訳上の問題に加えて、日本語の「黙示と啓示」の混同・混乱があるようだ。また「黙示と啓示」の境界線があいまいなままになっているのである。

 前述の他の日本語の辞典、研究書もそれぞれ解釈が異なっており、黙示と啓示の混同がうかがえる。その背景には神学的、聖書解釈上の立場によって解釈が異なるという別の問題もあろう。が、「黙示」という言葉は新約聖書の最終文書の『ヨハネの黙示録』の表題として初出する表現ではあるものの、旧約聖書における「預言文学」あるいは「啓示的文学」の諸文書を「黙示文学」として、さかのぼって分類、定義していったことで、日本語の「黙示」と「啓示」の不明確な区別がさらにあいまいになったとも言えよう。

 日本語では「啓示」と「黙示」を同義語として用いてもいるし、区別しても使っている。そこで、同義なら用語の統一がほしいし、また慣例として区別して用いる場合は、前提としてはっきりした定義が必要になろう。

 

  5.黙示文学の背景

 

「黙示文学」について説明しておこう。

 

* ヘブライ文学

1907年版の‘Everyman’s Library’の『古代ヘブライ文学』(‘AncientHebrew Literature’4巻)には、ヘブライの古代文学つまり旧約聖書の原型が次のように分類されている。

 * モーセの五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)

 * 歴史書前部(ヨシュア記、士師記、サムエル記上下、列王記上下)

 * 歴史書後部(歴代誌上下、エズラ記、ネヘミヤ記、マカバイ記一、二、エスドラス書一)

 *預言書(アモス書、ホセア書、イザヤ書、ミカ書、ゼファニャ書、ナホム書、ハバクク書、エレミヤ書、エゼキエル書、イザヤ書二(捕囚の預言)、オバデヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書、ヨエル書、ゼカリヤ書(9~14) 、ヨナ書、バルク書(エレミヤの手紙を含む)

 * 黙示文学(ダニエル書、ダニエル書補遺(アザルヤの祈り三人の若者の讃歌、スザンナ、ベルと竜) 、エスドラス書二)

 * 詩書(詩編、哀歌、ソロモンの歌)

 * 知恵の文学(箴言、ヨブ記、伝道の書、信仰者の修正、ソロモンの知恵)

 * 説話(ルツ記、エステル記とエステル記の残り、ユディト記、トビト記)

 テーマ別分類の一例をあげたのだが、いまわれわれが手にする旧約聖書とは文書名に若干の違いがあり順列がかなり異なることに気づかれたであろう。ユダヤ教で成立した二十四書からなるヘブライ原典と、のちに七十人訳聖書をへて編集され、新約にたいする呼称として旧約聖書と名付けられた三十九書の聖書とは構成が違う。また、この分類では成立順に並べることが難しいこともあって、テーマ別に分ける方法がとられている

 

*黙示文学とは

 あとから分類定義されたという点では、黙示文学は旧約聖書と同じである。新約聖書の『ヨハネの黙示録』の「アポカリプス」のただの一語をもって、旧約にさかのぼり「黙示文学」(英語では Apolayptic literature)の範囲を設定したのであった。当然そこにはジャンル分けのほかに文学史としての分析もでてきたが、もともとが不明確なままの定義であるので、定説にいたらない部分が多いことも確かである。

 それとこの他に、「黙示録」(apokalypse)が啓示文学(revelatoryliterature)の一ジャンルとする説もあり(J.J.コリンズ「黙示文学」(アポカリプス。p9)、他に「預言文学」という別のジャンルもある。

 今いわれている黙示文学をかいつまんで説明すると......

(1) 前三世紀から新約時代に至る後期ユダヤ教の中にとりわけ「啓示」(アポカリプス)を重要視する一つの運動があった。そしてその流れの中で、何冊かの旧約聖書中の文書を、その運動の所産として、のちにキリスト教が文学思潮として定義した。

(2)黙示文学の命名については、『ヨハネの黙示録』の冒頭に一度しかでてこないギリシア語アポカリプシスから用語が作られ、それを『ヨハネの黙示録』からヘブライ語(およびアラム語)で書かれた後期ユダヤ教文書に遡及し、また『ヨハネの黙示録』前後の時代の文書にあてはめたのであった。キリスト教の成立を含め、旧約聖書と新約聖書に接点を求める、言い換えると後期ユダヤ教の「啓示」「終末論」「メシア待望論」がキリスト教の発生に大きく影響を与えたかどうか......そこにミッシングリング(失われた環) としての黙示文学の存在が浮かびあがったのであった。さらに原始キリスト教と黙示文学(黙示思潮)が密接な関係にあったことからしても、『死海文書』を黙示文学に位置づけることも可能である。

(3)黙示文学の範囲設定は難しいが、ほぼ定説になっている最初の独立文書は『ダニエル書』(前二世紀中ごろ。旧約)である。聖書正典に含まれる黙示文学書はこの他に、新約では『ヨハネの黙示録』、『マタイによる福音書』24章、『ルカによる福音書』21章、『マルコによる福音書』13章の「神殿の崩壊を予告する」ほかの黙示文学的断片があげられる。また、後期ユダヤ教の黙示文学に影響を及ぼした文学の祖型を初期ユダヤ教文学に求めるなら、それも黙示文学の範囲に含めることもできる。「エチオピア語(第一) エノク書」「スラヴ語(第二)エノク書」「ラテン語(第四) エズラ書」「シリア語(第二) バルク黙示録」「ギリシア語(第三)バルク黙示録」「ヨベル書」「アブラハムの黙示録」「モーセの黙示録」「モーセの遺訓」「レビの遺訓」などである。ほかにキリスト教文献では「ペテロ黙示録」「パウロ黙示録」がある。

(4)1900年前後には、黙示文学研究は「宗教史学」のもとで、ユダヤ教の発生から当代のキリスト教までの宗教史全体の中の一つの流れとしてとらえられていた。また、それ以前からとくに、イランのゾロアスター教とのかかわりが研究されてきた。

(5)黙示文学が現れる以前の預言者による書は一般的に「預言文学」とされる。預言者は、はじめは口頭で預言を伝えており、文書の形になったのはほとんど後で、それがまたのちに「預言文学」と定義された。これにたいして「黙示文学」は信仰者に読ませるか聞かせるために文書に残されたものであった。

(6)預言そのものである預言文学にたいして、黙示文学は、旧約聖書にあるイスラエルの有名な預言者の口を借りて語られる「事後預言」によって終末預言の成就の正しさを立証する。また黙示文学はふつう、旧約聖書の著名な人物の名前を借り、「幻」を伝達媒体として書かれることが多かった。(注:上記説明は複数の専門書に拠った)。

 かくて、黙示文学の枠組みを決めるのは難しいし、初期のユダヤ教文学を現代的解釈によってきっちり分類するのはやや危険である。というのは、原初の神の啓示まで黙示文学を拡大すると、原点がかすむことがありえるし、また、預言文学と黙示文学の線引きも不明確であるからだ。

 別に、説教文学というジャンルがあって、ふつうは中世あたりからのキリスト教の教理問答や聖書教育の過程で育っていった説教語録をさす言葉である。説教が、もともと文学的要素をもちえたのは古今東西あるていど普遍的なことであった。今、カトリック、プロテスタントの別なく、教会壇上からの説教を聞くと、厳粛の中にできるだけ美しい調子で語りかける伝統が長年にわたって生きていることを感じる。

 また、聖文学という分類に入る詩篇は(ふし)に近い調子で読まれたし、雅歌は婚礼時に歌われた。ほかの聖書文書を節づけで朗読したかどうかは分からないが、心地よいのは韻律に近い朗読口調であったはずである。いっそう文学的効果をねらう黙示文学の朗読でも、こういう配慮がなされていたとしても不思議ではない。幻の中に現れる獣や自然現象などに象徴的意味合いを持たせ、効果を耳に強調する朗読があったように思える。

 本稿では、主に旧約聖書にかかわり「黙示」を付した「黙示文学」という定番の日本語の術語を引用したが、これについても当然「啓示」「啓示文学」ではないかとの疑義をはさんでもおかしくはない。

  6.「黙示録」のなりたち

 

* 書かれた場所は

 書かれた場所(あるいは成立場所) についても古来よりパトモス、エフェソの二つに説が分かれる。

 (1) パトモス島説: 「パトモスと呼ばれる島にいて七つの教会あてに手紙を書き送れ」と言われた著者ヨハネの言葉による。

 (2)エフェソ説:ヨハネは孤島パトモスでは囚われの身であったと推察されることから、「神の言葉とイエスの証のために」そこに行ったのでも、そこで書いたのでもないとする。ただ、パトモスで見た幻視をエフェソ(またはエフェソス。現トルコの海岸都市)で書いた、または本に仕立てたともいえる。

 パトモスでは使徒ヨハネが天啓を得て黙示録を記したとされる洞窟跡が観光名所の聖堂となっている。また、かつてのアジア州の首都エフェソは使徒ヨハネが住んでいたとされ、聖ヨハネ教会がある。今、エフェソ劇場旧跡からは海が望めないが、かつては海が指呼の距離、エーゲ海に浮かぶパトモス島(現ギリシア領)も一望できたであろう。使徒ヨハネが思いをはせたような気分にもなってしまう。ちなみにハネムナーらを運ぶのどかなエーゲ海クルーズのルートにあるパトモスとエフェソは直線にして約七十五キロ。

 

*パトモスの洞窟

 著者を使徒ヨハネと仮定した場合、次のような状況が想像できるのだが......。

 幽閉先のパトモスの洞窟でヨハネは何に心を動かされ、書かずにはいられなかったのだろうか。黙示録全編にみなぎるあやしの幻視と呻吟の緊迫感は、布教の地エフェソの書斎で書いたのではなく、幽玄な洞窟牢で書いたとつい想像してしまう。実際の執筆はエフェソであったかも知れないが、天啓を受け構想を練った場所はパトモスの洞窟しかないような気にさせられると言うか......。これについては、「これらの幻視すべては、書斎的な性格をもっている。しかし、これは著者が妄想家だったということではない。黙示録というのは、ユダヤ教においては、伝統的な一つの文学ジャンルであった」(オスカー・クレマン『新約聖書』第5章「黙示録」) という意見もある。彼が言うのは黙示文学の創作のシチュエーションについてである。

 映画「メッセージ」でマホメットがヒラー山の洞窟で啓示を受けたシーンが浮かんでくる......。

 イエスの生誕は古来、ベツレヘムの馬小屋とされてきた。ところが、十五世紀末のイタリアのヴェネチア派の画家ジョルジョーネの「羊飼いの祈り」では、洞窟に生まれたイエスが描かれており、これはディオニューソス、ヘルメス、アポロなど多くのギリシア神話の神々が、大地の子宮(処女の霊あふるる泉)から生まれたという伝承にもかかわるようだ。

 そのような洞窟にあって、いてもたってもいられないような焦燥と自分への叱咤の心理の中で、囚人のヨハネが幻を見、聞こえない声や音を感じたとして不思議はなかった。使徒ヨハネがドミティアヌス帝(AD81~96年)の終わりごろに書いたのであれば、エフェソから流された彼はすでに八十路の高齢。かつての同胞(十二使徒)はみまかり自分が唯一の生き残り、なお、鎖でつながれ手足の自由がきかない幽閉の身とあっては、朦朧として昇華しつつあるような状態で啓示を受け、幻を見たとしても不思議ではない。そういう中である力に動かされ、構想を練ったか、あるいは幻を網裏に焼き付けたのであろうか。

 

* コイネーというギリシア語

 ほかの新約聖書の文書と同じように「黙示録」もコイネーというギリシア語で書かれていると言われるが......。

 新約聖書が書かれた時代(紀元一世紀頃)――ヘレニズム化した聖書世界では、紀元前五世紀頃にアテネで用いられていたいわゆる古典ギリシア語とは違う日常の庶民語コイネーが用いられていた。ヘレニズム化したヘブライ世界にあって、ギリシア文化を尊び、その影響を生活全般に受けていたユダヤ人たちは、昔ながらの母語しか話せないごく低層の人は例外として、ほとんどは必要に迫られてコイネーを身につけていった。近現代で言うと、クレオール語(二つの言語の混合語が母語となったカリブのハイチ語など)とかピジン・イングリッシュ(現地語の影響を受けたフィリピンの英語など)が近いかも知れない。ヘブライ語を話せない人もだいぶ増えてきた。新約聖書はそういう時代に書かれたのであった。しかし、新約聖書の言葉はコイネーをベースにしてはいるものの、実際のところは純粋のコイネーではなかった。著者たちはヘブライの知識を十分に持ち合わせ、ヘブライ語原典、七十人訳聖書(英語表記で Septuagint. 前三世紀ころアレクサンドリアで作られた旧約最古のギリシア語訳)にも精通していたし、ヘブライ的教養を背景にしたギリシア語を用いていたのである。

 文学活動からみると「台湾万葉集」の歌人たちが比較的似ているかも知れない。彼らは、皇民化政策で日本語による教育を受け、ほとんど日本語を母語としているものの、台湾語による生活習慣も身にそなえていた。新約聖書は、ヘブライ語、アラビア語などのセム語の元となった文字を用いるアラム語で書かれた『マタイによる福音書』をのぞいて、そういうギリシア語で書かれたのであった。

 また、旧約聖書、新約聖書に関係する三つの言語、ヘブライ語、アラム語、ギリシア語は親類にあたる言葉でもある。そして、欧州のほとんどの言語も縁戚関係にあるということを理解すると、新約聖書がギリシア語で書かれたこともうなずけるというものだ。

 

*「黙示録」のギリシア語

 著者ヨハネのほぼコイネーと察するギリシア語は、教養人、知識人をうかがわせるものではあるが、文法的にはいただけない部分が多いといわれる。セム語(ヘブライ語、フェニキア語、アラビア語、エチオピア語が属する)の構造が多いことから、ヘブライ語かイエスが話していたとされるアラム語からの翻訳ではないかとの説もある。ただギリシア語が正確な母語でないこと、それと約二千年前の状況を考えなくてはならない。ヨハネを使徒ヨハネとしたら、彼はもともと漁師の出で、学僧ではなかった。アカデミックな教養が身についていなくともおかしくはない。修行や布教の過程で読み書きを磨いていったのであった。辞書も参考文献もほとんどない時代の話である。かたや立派なギリシア語を書いたパウロは学校で学んだくちであった。だから、ヨハネの、口語を変換した文章がぎごちないのは無理からぬところでもあろう。が、ユダヤ教の黙示文学(前出の説明にあるように「黙示」ではなく「啓示」とするなら「啓示文学」)をよく知ったうえで、黙示録を著したとも言われている。また、伝統文学への思い入れが強すぎて、引用、翻案などの脚色も多く、結果的に難解怪奇な書になったともいえる。

 知識に乏しいおおかたの善男善女にとっては、重大な意味がいくぶんか分かるていどでもよかったのであろうし、また分からない方が何となく有り難みが増すということもある。ヨハネがそこらあたりを意識して書いたかどうかは別問題として、幻や象徴といったヴィジュアル・イメージが「世界の終わり」と「新しい世界の始まり」の預言的インパクトを強めたことはたしかであった。

 

* 新約聖書に組み込まれた経緯〔新約聖書と「黙示録」の正典化〕

 旧約聖書と新約聖書をキリスト教徒が区別するようになったのは、二世紀末ころからであった。つまり、ユダヤ教の聖書をイエス・キリストを預言した「古い契約の書」とし、それに対して「新しい契約の書」を位置づけたのであった。ここに「旧約聖書」と「新約聖書」が公式に誕生した。

 新約聖書は最初から、今われわれが手にするような二十七書が合冊されたものではなく、信仰の基準として一冊にまとめられたのは、140~150年あたりとされる。そして、各書を使徒的なものとして認める上でいろいろな意見があり、とりわけ『ヨハネの黙示録』は問題書とされ、公式に認められたのは、現在の新約聖書すべてを正典として公認した397年のカルタゴ会議であった。それで現在の新約聖書の形が整ったのはそれ以降ということになるが、東西両教会が一致して用いるようになったのはキニセクスティン会議(692年) であり、そののちトリエント総会議(1546年)に改めて新約聖書をすべて正典として決定、今にいたっている。

 

〔「黙示録」の正典化の問題点〕

 「黙示録」の正典化の問題とは、終末論を認めた教会が、当時の終末文書の代表格である「黙示録」を新約聖書に入れるかどうかということであり、この問題は、正典化したのちも尾をひいていった。

 たとえば、中世になっても、正典に入れるべきかどうかでかなりの議論が続いた。ということで、「黙示録」は別物という感じをもたれており、写本の伝わり方も独自のものが多かったのである。

 そして、現在でもくすぶり続けていると言った方が正しいかも知れない。うがった見方をすれば、たとえば、岩波訳の新約聖書全五冊で「黙示録」は第五巻に『パウロの名による書簡』『公同書簡』と合冊されているが、別に「黙示録」を表紙の色を変え単行本として刊行しているのも、そういう含みがあるようにも思える。

 さて、広く言われてきた問題点とはざっとこういうものであった。

1.幻や象徴の多さが普通ではなく、またきわめて難解である。

2.異教的要素が少なくない。

3.善悪の二元論が中心テーマであって、善悪相互のかかわりがない......そしてキリスト教徒と非教徒は完全に対立する図式で、かみあうことがない。また、そういったことから、伝道についての興味や示唆が示されていない。

4.ユダヤ教的黙示(啓示) が強く、描かれるキリスト教は「わずかにキリスト教化されたユダヤ教にすぎない」。

5. 著者を特定しにくい。

 

 次に、初期のキリスト教史で「黙示録」が排除あるいは容認された歴史的経緯をかいつまんでおく。

*二世紀末には、「黙示録」は正典としてほぼ受け入れられていた。しかし、小アジアのスミルナ出身でリヨンの監督であったエイレーナイオス(130~200年頃) のように、「黙示録」の正典性をとくに強調しないむきもあった。

*教会史の父と呼ばれるエウセビオス(260~339年頃)は『教会史』で、もし適当と思われるならば「黙示録」は新約諸文書に加えられるべきである、としたうえで、使徒起源の疑いのないホメログーメナ(第一正典とも呼ばれる) とも、使徒起源がはっきりしていないアンティレゴメナ(「問題の書」の意味。第二正典とも呼ばれる)のどちらにも挙げている。ということは、当時、新約諸文書への正典性についての是非は、文書が使徒に起源することが絶対条件であったのだ。これには、カルタゴの主教キブリアヌス(200頃~258年)が、ヘブルライ人への手紙、ヤコブの手紙、ペトロの手紙一、ヨハネの手紙二と三、ユダの手紙の六書に「黙示録」を加えた七書をしりぞけて以来、アンティレゴメナ(「問題の書」) と総称した経緯があった。

*392年にモプスエスティアのキリキアで監督となったテオドロートス(350頃~428年)は、アンティオキア学派として「黙示録」をしりぞけた。

*西方では、ガイウス(三世紀初頭のローマの長老)が、ケリントス派という異端を創設したケリントスの作としてしりぞけた以外は、一般的に受け入れられていた。そういった状況下、397年の西方教会のカルタゴ会議で「黙示録」を含む現在の二十七書の正典目録が議決された。「黙示録」が認知されたわけだが、東方の事情は違った。東方教会(六世紀に東西分離。1054年に徹底的分裂)では、使徒ヨハネの作ではない「黙示録」をほぼ認めておらず、692年のキニセクスティン宗教会議で東西両教会にたいする新約二十七書が初めて議決されたにもかかわらず、「黙示録」の排除は九世紀まで続いた。なお、正統キリスト教を標榜する東方教会の「黙示録」排除の姿勢は現代でも残存している。

 

〔正典化と書物の形態〕

 正典(カノン)化とは信仰の基準としての認定とも言えよう。ばらばらの文書は「聖書」ではなく、正典化(canonization)されてはじめて新しい聖書として認められたということであった。イエスの時代をへて新約聖書の著者たちが各書を執筆していった経過では、聖書にはいわゆる旧約聖書しかなかったことは言うまでもない。正典を意味するギリシア語カノンはもともと、石屋が用いたものさし棒のことであり、その基準の意味から、信仰の行為の基準である聖書に応用された。

 一冊の冊子本(コデクス)つまり一帖本にまとまる以前は、巻物も多かったし、一帖本を何冊か重ねて背中を縫い合わせる多帖本もあった。そして、紙の素材は古代紙のパピルスから羊皮紙へと変わっていった。羊皮紙は紙ではないからパピルスにくらべて大型で分厚く、重ねる限界はあった。また、写本にかかる手間隙は想像を絶し、かなりの希少品であった。新約聖書の最古写本と知られる四世紀の一冊のコデクスのシナイ写本(羊皮紙)は例外ともいえるもので、多くの写本では、福音書、使徒言行録、書簡は別々であり、「黙示録」はとくに別枠で一冊として独立しているのが普通であった。

 また教会によって、写本の体裁は違っていた。当時、新約聖書に限っても、写本類をほぼ同じ体裁の一冊の本に仕立てることは容易なことではなかった。いま手にする聖書の厚みからいってもうなずける話である。現在の印刷本のような製本のイメージではまったくなかったのである。

 

  7.「黙示録」と書誌

 

 少し時代はさかのぼる。正典はユダヤ教にもとづくものであり、のち旧約聖書とよばれるもののうち最重要の「律法」は前四世紀中、「預言書」は前三世紀中頃、そして「諸書」は前二世紀ごろほぼ公認されたとみられる。そしてヘブライ原典に属する書が正典として公認されたのは、後70~90年のラビ会議であったとされる。それから、70年のエルサレム陥落を契機に、正典を最終決定したさい、キリスト教徒が用いていた諸文書を外典(アポクリファ)と位置づけたのであった。

 アポカリプスと似た響きを持つギリシア語アポクリファは「隠されたもの」を意味する。もともとは「外部にたいして秘すべき書物」をさしていたが、この時点で「異端として排除すべき文書」となった。なお、別に偽典と呼ばれる書は、正典にも外典にも属さないユダヤ教文書をさし、外典がほとんどギリシア語で伝えられているのにたいして、大部分がヘブライ語、アラム語で伝えられてきた。新約にも、正典からもれた外典があり、最近、次々と邦訳が刊行される日の目を見るようになった。

 

*七十人訳聖書

 現在の三十九書にもとづく「旧約聖書」の配列のもととなったのは原典をギリシア語に訳した「七十人訳聖書」であった。そして、使徒時代には、通りがよかったギリシア語の「七十人訳聖書」が用いられることが多かった。

 こういう伝説が伝わっている。前三世紀のこと。ヘレニズム世界にあったエジプト王プトレマイ・フィラデルフスの命により、アレクサンドリアで七十二人のユダヤ人が七十二日間かけてユダヤ教の聖典を訳了した。これがのちにきりのよい七十という数字にしてギリシア語で七十を意味する「セプトゥアギンタ」と呼ばれるようになったギリシア語訳旧約聖書「七十人訳聖書」であった。今、手元にある現代版の印刷本をみると、三分の一ほどの英訳部分を入れ、外典を含めてB-5版で千四百頁にもなる。七十二日にはその後の校正に要した日数は含まれていなかったのだろうが、学者を中心にしてえりすぐったトライリンガル(ヘブライ語、アラム語とギリシア語) らによる突貫作業であったとして、いくらなんでも無理な話である。

 現代日本では、さほど間を置かず新訳聖書が出版されており、初訳ではなくいくらでも参考研究資料がある状況であっても――ただしかえって比較検証するから時間がかかるという見方はある――出版化は少なくとも数年単位であることは間違いない。

 

* 「黙示録」の写本

 まず新約聖書には原本が見つかっていないからテキストは写本類にたよらなくてはいけない。各時代の写本、そして印刷本には異同(または異読)といってテキストに違いがあり、できるだけ年代が古く信用度の高いものを慎重にテキストにしていかなければならない。これが、大変な作業なのだ。ただ、趣味の研究者は別にして、現代まで一千数百年間にわたって、膨大な数の専門研究者のメシのたねになってきたという側面もある。それだけ重要であるという意味でもあるが、写本の数もギリシア語だけでなくラテン語写本も含まれ半端ではないのだ。

 四、五年前、大阪の古書肆(こしょし)(とくに古典籍類を扱う古書店)が芭蕉自筆とする「奥の細道」原本を発掘、発表して大騒ぎになったことがあった。なぜこれが一大事であったかというと、それまでのテキストは原本ではなくて、一番信用度の高いと目される写本をもとにしていたからである。原本が見つかれば、今までの活字テキストを改めなくてはならないのである。むろん教科書は重要対象である。

 近世本よりはるかに古い一千数百年前の話になると、いささか事情が違ってくる。現在残っている中で最古のものは「ヴァチカン写本」という四世紀の写本。「七十人訳聖書」との合冊であるから膨大なものであるが、「黙示録」はおそらく当初からついていなかった。イエスが口伝を残した時代から新約の執筆時代をへて、その後、少なくとも二百年の空白があったのだ。だからこの空白のある新約聖書を疑問視する向きもないではない。ただし、初期の写本類がなくても、膨大な写本類を正文批判(日本の古典でいうところの校合(きょうごう)、つまり各写本類を厳密に系統だて照合することにより、より原本に近いと考えられる正確なテキストを確定する作業が長年にわたって進められ、かなり精度の高いテキストが作られたといえる。またギリシア語写本とは別に、古代ラテン語訳、シリア語訳も重要資料として正文批判に用いられてきた。

 ちなみに研究対象とされてきた新約聖書または各文書の写本類が、どのくらいあるかと言うと、「ネストレ」と呼ばれる最高権威の資料の巻末に綿密に区分けされている写本の分類番号は三千近い数に及んでいる。

 

*シナイ写本

 新約聖書中に含まれる「黙示録」の最古の写本は、先にあげたヴァチカン写本とほぼ同時代と推定される羊皮紙の「シナイ写本」(CodexSinaiticicus)である。四世紀前半の写本で、現在はロンドンの大英博物館に収蔵されている。1933年、ロシア政府から大枚十万ポンドを代価に購入したときは一大ニュースとなったが、もとはドイツ人学者ティッシェンドルフが、1844年、1859年にシナイ山麓にあるコプト(エジプト系キリスト教)の最古のセント・カタリナ修道院で発見したものである。最古写本としての価値を認めた上で、後年の写本類と照合して正文批判がなされている。古い時代の大文字写本では、テキストの句読点が省略されてだらだら続けて書かれるケースも多く、それが、つねに新しい解釈(読み)を生む要因にもなっていた。それで、ギリシア語の印刷本テキストには必ず、アパラトゥスといって主要テキストの異同に関する欄外の注が掲載されており、それをもとに他のテキストとの違いが分かるようになっている。

 

  8.訳語『ヨハネの黙示録』誕生の背景を推理する

 

 そもそも訳語を『ヨハネの啓示録』とすべきところが『ヨハネの黙示録』となったいきさつは、また、どういう背景があったのだろうか。

 『ヨハネの黙示録』の本邦初訳は、1880年の分冊「新約聖書」(1876~1880年にかけて刊行の「翻訳委員会新約聖書」)中の、ブラウン訳になる『約翰黙示録』であった。その後の翻訳はすべて(「新世界訳」を除く。私家版は不明)「黙示録」とされたことから、このブラウン訳が術語「黙示録」の嚆矢(こうし)ではないか。この分冊新約聖書は有名なヘボン博士とブラウン(1807~1886。幕末から明治中期に活躍した米国人宣教師でヘボンの同僚であった、横浜バプティスト教会創設者Nathan Brown)が中心になって訳出したもので、いかにも日本人好みの「黙示録」という訳語が彼らの案かどうかは不明だが、ひょっとすると、新、旧約の担当日本人委員のうち、新約も兼任した奥野昌綱、松山高吉、高橋五郎との合議の妥協ではなかろうか。また、同年末に『引照新約全書』(初の引照付き。米国聖書会社、北英国聖書会社、大英国聖書会社の同版) が刊行された。ちなみに、キリスト教の影響が指摘される清末(1851年)の太平天国で発行された欽定前遺詔聖書(新約聖書)では『ヨハネの黙示録』は「聖人約翰天啓之伝」とあり、洪秀全らが多くの注釈によって「黙示録」の預言に太平天国を適わせようとした(佐伯好郎『清朝基督教の研究』1949。p121)。

 

*推理の補足

 日本で初めて「黙示録」という語が米国人の宣教師を中心に誕生したころの神学者が「アポカリプス」をどう解釈していたか、『聖ヨハネのアポカリプス』(1906。著名な英国の聖書学者Henry Barclay Swete著)という研究書をくってみた。以下抄訳(筆者訳)を紹介する。

 「*アポカリプスは主の天上の生涯を明らかにしており(disclose)、一方、諸福音書は主のガリラヤとエルサレムでの生涯を描いている(paint) 。

*アポカリプスは諸福音書の啓示(revelation) を敷衍している(carry forward) 。

*「アポカリプス」もしくは「イアノイのアポカリプス」という表題は、二世紀末前の初期の写本または巻物に添付されたラベルに見られる。「アポカリプス」は黙1:1に出てくるだけで、同書には二度と登場しないが、序文の冒頭に出てくるということは、疑いもなく古代の表題の存在を示唆している。

*啓示(Revelation) は隠蔽(concealment)と反対の言葉で、秘密(mystery)を隠す(hide)覆い(veil)を振り払う過程である。

*聖パウロの時代には、キリスト教の集会でたまに耳にしたであろう「アポカリプス」という言葉は、予期せぬ言葉であり、語り合う人々の意識をにわかに照らし、そしてにわかに消えた閃光であった。

*「ヨハネの啓示」は、唯一書かれたアポカリプスであり、使徒時代の唯一の預言書であった」。

 この解釈は――今もさほど神学的には変わってはいないが――「アポカリプス」の訳語を選択するにあたって当時、「アポカリプス」を「啓示(revelation)」をおし進めた特別の形式とみたいという考えがあったことは想像に難くない。いかにも「一瞬にして消えそうな、声高には語りえない秘密の開示」という解釈である。こういう背景から、黙読、黙視、黙識、黙聴、拈華微笑(ねんげみしょう)など、禅、仏道のニュアンスを持つ日本人向きの訳語「黙示録」が、神学上の布教の意図にそって本邦初訳され誕生したと推理する。

 ある意味で、基(キリスト教) が参加した神仏儒基混淆の近代文明の開始ではあった。

 ギリシア語・アポカリプシスの解釈にあたって、英語を含むラテン文字圏で、たとえば英語のrevelationという訳語と一線を画す意味のニュアンスが万一付けられていたとしたら、前述のSweteの解釈は訳語「黙示」の誕生の一因ともなったかもしれない。が、『ヨハネの黙示録』が誕生していった当時、「啓示、開示」というギリシア語アポカリプシスの語意が、「神々しい秘密めいた黙示」という意味で定義されたことはないのではないか。それがありえたのは、表題が付されたのち、だいぶ時代が下ってということと考えたい。

 くわえて、日本語の訳語の問題がある。日本語においては「啓示」と「黙示」は「黙示録」という訳語誕生時点から今日にいたるまで、同義ではないのに同義として、また原典では同じなのに訳語で線引きされてきたのである。

 

* 黙示録は声を大にして読むために書かれた

 こういう説明もある。

 

 「この〔黙示録〕の手紙は、個人に向けられて黙読するような手紙ではなく、アジアの教会の礼拝儀式の中で、声を大にして読むために書かれたのである(1:3)われわれは、最初の読者が沈黙して、個々に黙想あるいは当惑し、文書の各ページを読みふける姿を想像すべきではない。彼らは、賛美と祈りの共同体において集まり、礼拝指導者による手紙の読み明かしを聴いたのである…(中略)…この書は、まさにそのような聴き取りをするために書かれたのである。黙示録に含まれている多くのものは、耳や想像力によって最もよく感知できる。心の眼に開示されるからである」(『ヨハネの黙示録』M.E.ボーリング。入順子訳。1994。p31) 。

 

 「心の眼に開示される」というのは「黙示」の意味ではない。この説明からはやはり「啓示されるべきものが開示される」としか読めないのである。

 

*黙示と声

 むかしケント・ギルバートやケント・デリカットが宣教師をしていたモルモン教教典の「聖句ガイド」に、「啓示」にかかわる「声」の説明がある。

「聖典の中では、主御自身あるいは天使の、人の耳に聞こえる言葉を指す言葉がある。御霊(みたま)の声は耳に聞こえなくても、心に語りかけることがある」。

 少し矛盾含みの訳文ではあるが、ここでは後の句について聖書から検証してみよう。はたして、聖書に耳に聞こえない声、つまり「黙示」が記されているのか?

 拡大解釈してかろうじて黙示のニュアンスを伝えうる形容詞のついた「声」は旧、新約中ただ一つであった。

「地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた」(列王記上19:12)。逆に大きな声は黙示録の中でもたびたび登場する。

 良書「聖書がわかれば英語がわかる!」(木下和好。ダイヤモンド社。2001。pp131~132)の中に合点のいく説明があり紹介する。

「”Silence is golden.(沈黙は金なり)“ということわざがあるが、英語の”silence“と日本語の「沈黙」の意味は同じではない。”silence“のほうは、「静けさ」を意味し、たとえば音楽をボリュームいっぱいに聞いているいる人などに”Silence isgolden.“ と注意したりする。それに反して「沈黙」は「何も言わない」ことを意味する。聖書の世界では、大切なことはすべて”declaration”(宣言)で始まる。…(中略)…言葉を発することが、コミュニケーションの前提になっている」。同感である。

 

* 聖書の啓示の始まりと終わり

 旧約巻頭の『創世記』の第一声は「光あれ」、神の最初の啓示であった。次に、エデンの園においてエバに「木の実を食べるな」と言ったのも啓示であった。これが聖書の啓示のはじまりである。合冊された聖書のしんがりをつとめる「黙示録」の始まりも、神がイエス経由ヨハネに伝えた啓示、「イエスの啓示」である。そしてイエスに栄光と力が世々限りなくあるように、つまり「光はいつまでも」と願う。また「黙示録」の結び「主イエスの恵みが、すべての者とあるように」はだめ押しであり、起承転結をセットした聖書全体の総括でもある。例えが悪いが「啓示」の一本じめのようなものかも知れない。

 

* バーバラ・スィーリングの新説

 スィーリング博士は『死海文書』で用いられたペシェルを活用し、『イエスのミステリー』で諸福音書、『使徒言行録』の隠された意味を探り大論争を巻き起こしたが、引き続き『黙示録の謎を解く』(“Apocalypse ofJesus”1996。拙訳、1998、柏書房)では、「黙示録」の歴史的事実を解き明かす新説を発表している。

 「「黙示録」は全体的に組織化、一本化されたシステムに依拠しているが、そのシステムについては、複雑なパズルを十分に組直してみれば解けるのと同じように、見つけることができる。そして出てくる結果は完璧なものであり、「黙示録」の文言にくまなく適用することが可能である」。

 ここで言うシステムは『死海文書』で用いられた聖書の二重の意味を探る解釈技術のペシェルである。まず「黙示録」全体にわたって一貫した法則としてのペシェルがあることを確認、次に外部の人間(アウトサイダー)にとってはまったく曖昧模糊で無意味とも映る内部者(インサイダー)だけに通じる特別の用語を定義、その上で、「黙示録」の全編の解読をおこなった。つまり一見不明確なテキストの言葉がペシェルを体系づける特別な語義を生み出しており、その語義に独特の年代学を併用し、長年埋もれていた歴史的データを掘り起こしたのであった。

 たびたび登場する四つの生き物が登場する場面(黙4:6~7) をみてみよう。

「(4:6途中より)この玉座の中央とその周りには四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面目があった。(4:7)第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった」(新共同訳)

 スィーリングの注解ではこうなる。

「(4:6途中より)午後1時の祈りが前のバルコニーでささげられた。治療行者の長アポロは、祈りをささげた後、彼の平信徒用のランプをそれが暦の昼の位置であるかのように東の柱の上に置いた。続いて彼は西側へ行った。(4:7)四人の福音伝道者(福音書記者)たちは台座にある彼らの場所を占め、平信徒の監督役のペトロは内陣階段の中央に立っていた。ルカは平信徒の改宗者としてその〔内陣階段〕西側に立った。祭司用の頭環をつけたマタイは台座の端まで来て立った。独身者の監督役のヨハネ・マルコは内陣階段の東に立った」(( 原文注 )〔訳注〕) 。

 四つの生き物をはっきりと四人の名の福音書記者にあてている。

 

* ヨエル書

映画「第七の預言」に登場する見習いラビのユダヤ人青年を思い起こす。主人公の女性がどうしても解けない『ヨエル書』(黙示文学的な十二小預言書の一つで黙示文学的な終末の神の懲罰をテーマにしている)の謎をといてもらい、最後の審判の意味を探る筋立。映画の終末の描写はキリスト教によって救済の真の意味が明らかにされたといわれている『ヨエル書』にそったものでもあった。前後二つの顔をもつヤヌス、また切り離されたシャムの双子のような関係でもあるユダヤ教とキリスト教の一面を見た思いがした。

 

  9.「黙示録」の和訳を比較する

 

 聖書の六カ国語の対訳書ヘクサプラのヴァージョンともいえる大変便利な日本語版『日本語ヘクサプラ』という資料があって重宝している。古い稀購本を参照するのはなかなか難しいので、そのまま復刻されている同書の資料的価値は高い。

 一例として「黙示録」の21:9~10、クライマックスの「新しいエルサレム」の場面の訳をみてみよう。ここでは、聖書の和訳の変遷と、各翻訳の微妙な違いだけを紹介するにとどめたい。(なお、旧かな、旧漢字、当て字の一部は現代用法にあらため、適宜ふりがなを(  ) でくくり、発行順に並べた。)

 それにしてもわずか一世紀余の間に、とくに先の大戦をはさんでこれほど日本語が変わったものかと驚かされるとともに、明治、大正の文語がすでに一部の人のための古典の域に入っていることを実感せざるをえない。筆者が多少触れたアジアの言語も西洋流の近代化の荒波をもろにかぶった。日本への黒船来航前にすでに侵略されていた南インドのタミル語、大清帝国の中国語の激変もやはり似た状況であったといえよう。現代中国人で一世紀前の新聞を読める人はかなりハイレベル。ところが英語の場合、たとえば活字の変化はほとんどなく、二百年前の文学作品の活字本でも、われわれは理解可能なのである。旧制の中高生なら、和漢洋三才の教養を基本にしており、日本の古典、中国古典、西欧語の古典をかなり読めた。いま博物館へ行って、難しい漢字を並べた歴史的説明などを見てピンとこない、それで併記してある英語の説明の方が分かるといったこともあるくらいだ。新約聖書の訳本の一断面をみただけでも、こんなことが見えてくる。

 

*(1) 「明治訳」(1880。北英国聖書会社。「黙示録」の本邦初訳) 「ヨハネ黙示録」

 

(9) 末後(いやはて)の七の災殃(わざわい)(もれ)る七の金椀(かなまり)(とれ)る七人の天使(てんのつかい) の一人来たりて吾に語り(いい)けるは(きた)れ我なんぢに(こひつじ) の妻なる新婦(はなよめ)を見せん

(10)われ(みたま) に感じ天使に携えられて(おおい)なる高山(たかやま) に至れり(ここ) にて我に大なる(まち)なる(きよき) エルサレム神の(さかえ)を以て神の(もと)(いで) て天より(くだ) るを示す。

 

*(2)「ニコライ訳」(1901。東方のギリシア正教の日本正教会訳で、現在でも用いている。なお、書名「我主イイスス・ハリストスの新約」(新約聖書)のハリストスはロシア語のキリストのこと。本文中の片仮名を平仮名に改めた。)「神学者イオアンの黙示録」

 

(9) (ななつ)末時(まつじ) の災を満つる(ななつ)(かなえ)を持ちし(ななつ) の天使の一人、我に就きて(いえ) り、(きた)我爾(なんじ)新婦(はなよめ)(すなわち)羔羊(こひつじ) の妻を示さん。

(10)(すなわち) 我を(しん) に於て(おおい)なる高き山に携えて、我に(おおい) なる(まち) 、聖なるイエルサリム、天より神より(くだ)る者を示せり。

 

*(3)「文語(大正) 訳」(1917。米国聖書会社。名訳として根強いファンを持つ改訳新約聖書) 「ヨハネ黙示録」

 

(9)最後(いやはて) の七つの苦難(くるしみ)の満ちたる七つの鉢を持てる七人(しちにん)御使(みつかい)一人(ひとり) きたり、我に語りて言う『来れ、われ羔羊(こひつじ)の妻なる新婦(はねよめ) を汝に見せん』

(10)御使、御霊(みたま) に感じたる我を携えて(おおい)なる高き山にゆき、聖なる都エルサレムの、神の栄光をもて神の(もと) を出でて天より降るを見せたり。

 

*(4)「新共同訳」(1987。日本聖書協会。一番普及している新旧両教合作の聖書) 「ヨハネの黙示録」

 

(9)さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持った七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」

(10)この天使が、" 霊"に満たされたわたしを大きな山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下ってくるのを見せた。

 

*(5)「岩波訳」(1996。新約聖書翻訳委員会・小河陽訳) 「ヨハネの黙示録」

 

(9)最後の七つの災いで満ちている七つの平鉢を持っている七人の天使のうちの一人がやって来て、私と語らってこう言った、「こちらに来なさい、私はあなたに小羊の妻である花嫁を見せてあげよう」。

(10)この天使は、霊に満たされた私を大きくて高い山に連れて行って、聖都エルサレムが神のもとから〔送りだされ〕、天から降って来るのを見せてくれた。

 

  10.映画と「黙示録」

 

*『地獄の黙示録』

 「黙示録」をモチーフにした佳作では、フランシス・コッポラの大作『地獄の黙示録』(1979. マーロン・ブランド主演)がまずあげられよう。原題は 'APOCALYPSE NOW'「現代版黙示録」つまり預言の現代的解釈であった。六十年代末のベトナム戦争のさなか、ウィラード大尉は四人の部下とともに、現地人のカリスマ的存在となって王国を築いたカーツ大佐の暗殺の密命をうけナング河をさかのぼっていく。ポスト・ベトナムの代表的作品であるが、闇を表すカーツ大佐の存在、そして終末......と「黙示録」的テーマは多かった。解釈をめぐって論争があったように、とりようによってはメシア(キリスト)と反キリストを錯覚しかねない難解な映画でもあった。

 

*『第七の予言』(THE SEVEN SIGN. 1988. カール・シュルッツ監督。デミー・ムーア主演)  

 翻案としてはかなり原作に忠実で、ほぼ「黙示録」にそってストーリーが展開する。「黙示録」にでてくる第七の預言(タイトル訳は予言)が成就したさい世界は滅びるという筋。ハイチの死の海にはじまり、ネゲブ砂漠の雹、ジャングルの大量死、血にそまる川、と災いが次々と現実となっていく。そして、第七の預言は罪を背負った赤子の出産。悪魔は、イエスを磔刑に処したピラトの門番カルタフィラスに身をやつしていた。「最後の審判」ののち、デビッドという名の男(ダビデ、つまりイエス)によって救済がもたらされ、希望の光がみえる。ムーアの妊婦ヌードが生々しくやけに目立つ映画でもあった。「救世主が神の怒りを運ぶ」「世界の終末に生き残る者は永遠に生き残る」という台詞にあるとおり、分かりやすい終末論、救済論であった。

 

*『フィッシャー・キング』(FISHER KING. 1991. T.ギリアム監督。ロビン・ウィリアムズ主演)  

 主人公の不用意な発言(一種の予言)によって大量殺人事件が展開するが、ロビン・ウィリアムズのキャラクターを生かした、暗さの少ないヒューマニズムあふれる映画。話はキリストが最後の晩餐に用いた聖杯探索に「黙示録」のイメージをまぶしている。カラフルな四人の騎士が疾駆する幻想シーンは美しく、映画のハイライトでもある。

 

*『第七の封印』(DET SJUNDE INSEGLET.1956. イングマール・ベルイマン監督)

 さすが巨匠ベルイマンとうならされる秀作。まず「黙示録」の翻案映画で並ぶものはない。黒死病(ペスト)の流行する中世は終末的様相を呈していた。......登場人物の設定と小道具の使い方が実に象徴的で「黙示録」の本筋を外していない。軽業師夫婦とその子供のミカエル。死神と戦い最後に勝利する十字軍の騎士と従者。そして第七の封印が解かれ、最後の審判ののち希望が見えてくる。生き残った者たちが静かに「黙示録」を朗読するシーンは神秘的。軽業師の妻が夫に「また夢を見ているのね」とつぶやき、ハレルヤの響きとともにエンディングを迎える。ベルイマンはおそらく、「黙示録」(聖書の巻末) によって神の啓示(聖書) が終わるのではなく、次の「黙示録」(啓示)のはじまりとみたのであろう。それは映画を見る一人一人に与える「再創造」のメッセージでもあった。光と影(闇)をきわだたせる陰影濃いモノクロ映画であった。

 

  11.日ユ同祖論とは

 

 番外として、トンデモ本の一つの背景をさぐることにしよう。ユダヤとフリーメーソンとキリスト教抱き合わせの陰謀説本が絶え間なく書店のコーナーを飾っている。「黙示録」はこういった「ユダヤ禍」「キリスト教の陰謀」「終末大予言」といったあやしげな本の、代表的ネタの一つでもあり、限りなく再生のために利用されてきた。これは日本だけの現象ではないが、クリスチャンの総人口比1%強の日本では目立ちすぎる。そういった諸説が、孫引き、増幅され焼きなおされて出版されている。なぜこういう俗説があとをたたないのか。問題のキーワードは「ユダヤ」にあると思う。トンデモ本もいいとこをついてはいる。それは、ユダヤを軸にキリスト教(黙示録が中心)、フリーメーソンが螺旋状にいつもからみあっているということと、そのからみから生まれる推理に、頭から否定しえない要素が含まれていることである。風とおしの悪い学問の世界、とりわけ神学の世界では、粉飾糊塗経緯とあまりに肥大硬直化した機構ゆえに、換気するすべを失っている。硬直は批判精神の喪失を招く。トンデモ本にも、学問や宗教世界が答えを出さないので、代わって、すっきりしない東西文明の接点の謎、その先の日本人のアイデンティティをよみとろうする試行錯誤的努力があるのは認めたい。彼らには、西洋文明を享受しながら、にわかに近代化し豹変した日本についての大疑問があり、それが分からないままに、「ユダヤ」や「終末」にふり回されているいらだちがある、一方でユダヤやユダヤを根にするキリスト教文明への思い入れがあり、この二つのテーゼがからみあっているのだ。

 ここでは「黙示録」がユダヤやフリーメーソンとかなり近い同類ニュアンスとして巷間使われているという話が前提である。以下の文中には「黙示録」という言葉はほとんど使っていないが、ニュアンスをとらえていただきたい。

 

* 日本・ユダヤ同祖論

 日ユ同祖論とは何か―― 英ユ同祖論の系列

 日ユ(猶)同祖論とは日本人がユダヤ人と同じ祖先を持つという説である。超古代史を巻き込み、学際の垣根をはるかに超える日本人のルーツ探しともいえるこの伝奇ロマンは、明治初めに横浜に住んでいたスコットランド人の古物商、N.マックレオドが初めて唱えた(『日本古代史の縮図』)といわれている。文明開化当時、最も直接的に各種の日本人に接触しえた横浜という地の利を得て、この古物商は、西欧と対比してまったく異質で神秘的な日本に、古代ユダヤのイメージを直観的に重ねていったのであろう。まず歴史そのものが、史実といわれる古物(こぶつ)と、無体の伝承または物語との間に微妙に揺れる、恣意性の高い似而非科学(えせかがく)でもありうるということを認識しなくてはいけないが、過去、多くの歴史が古物商、美術商、探検家、学芸員、宗教家などによって連鎖的、多層的に偽妄(ぎもう)されてきた経緯も忘れることはできない。

 もう一つ、日ユ同祖論を説明する上で、ユダヤ人とは何かという大きな命題が立ちはだかる。「日ユ同祖論」では、ユダヤ人とは紀元前七百年頃、アッシリアの追放により世界各国に離散した「失われた十部族」(イスラエル十二部族、また、第十三支族(カザール王国) 説もある)古代ユダヤ人(あるいはヘブルびと、イスラエルびと)であるという考えである。つまり、単一に近い人種であったかも知れない古代ユダヤ人を、現代のユダヤ人の定義と錯覚しているのである。実際、ユダヤ人とは人種ではなく、おおまかに言うと言語、宗教、習慣、風俗を共通項として持つ集団のことで、「ユダヤ教徒」というのが一番近いのであろうが、そういった定義は無視して、「はじめに古代ユダヤ人ありき」または「はじめに古代日本人ありき」、そして「ホモジーニアス」であり続ける要件を設定しなくてはならない。そして、この独善をごり押しすると、必ず「世界はユダヤ人から始まった」か「日本人から始まった」かということになるのである。まずこのことを念頭に、日ユ同祖論をざっと見てみよう。ここではあくまでも、ユダヤ人と日本人の起源問題をベースに、ユダヤ人とフリーメーソンのワンセットの陰謀説とその教科書役でもある「黙示録」の思想的背景を探る試論展開の一助として、この「日ユ同祖論」を一通り紹介するにとどめておく。

 

*古物商のマックレオドの唱えた説よりはるか以前、英国では六世紀にブリテン人を「神のイスラエルびと」とした古典としての「英ユ同祖論」があり、その後、近世になってからも「失われたユダヤ支族説」が脈々として生きつづけてきた事実を忘れてはならない(英国へユダヤ人が来たのは十一世紀というのが通説)。マックレオドも当然そういう土壌に育った英国(スコットランド)人の一人であった。そして、古代ユダヤ支族の末裔と称される人々が、英国のみならず、アフリカ、中東、オリエント、インド、中国、朝鮮、日本、南北アメリカにいるとされる。

 

* 筆者は、南インドのコーチンに一世紀後半に住み着いたとされる、あるいはイエスの大工の徒弟・使徒トマスのインド布教当時のユダヤ人末裔とも伝わる白いユダヤ人一族を数年前に訪ねたが、どう推理しても七~八世紀以降の移住としか判断できなかった。インドには黒い肌のユダヤ人もいるという。ただ、紀元前よりあった、インドとアラビア、パレスチナ、地中海世界を結ぶ交易ルート、海のシルクロードが考古学上で解明されつつあるいま、聖トマス伝説、ユダヤ人移住伝承起源もあながち否定できない。ちなみに、近世には南インドのサントメ港、マドラス港と日本の九州などを結ぶ海の交易ルートがあり、聖トマス(ポルトガル語ではサン・トメ)のなまりに由来するサントメ(桟留)織りが日本に伝わっている。

 

*「日ユ同祖論」には「日本人からユダヤ人が分かれた」「ユダヤ人が日本に渡来した」という両説があって、民族主義をはさんで両極に位置するこの二説は、複雑にからみ合っている。ただ、仮説(ロマン)としては「ユダヤ人渡来説」がずっと先で、「超古代史文献」(多くは神代文字〈かみよもじ、又はしんだいもじ〉で書かれた偽書)とされる文献をもとにした説が、必然的に生まれてきたのである。中国の古代キリスト教=景教研究などの堅い学問分野とは土俵が違うといえる。

 

*「日ユ同祖論」は明治後期からキリスト教徒、神学者、牧師によって唱えられ、増幅されていった経緯がある。小谷部全一郎(おやべぜんいちろう)(1867~1941)、佐伯好郎(さえきよしろう)(1871~1965) 、川守田英二(かわもりたえいじ)(1891~1961)らが「ユダヤ人渡来説」の代表的研究家である。キリスト者によって「日ユ同祖論」が展開された意味は大きい。開国後、西欧の思想、つまりキリスト教を背景にした科学、思想を深く学んだのは彼らしかありえなかったからである。日本人の多くは、翻訳、翻案行為を通じて上っ面だけを食していっただけであった。欧米に学び、またキリスト教とユダヤ教の関係を知りえた彼らは、西欧の科学文明とその原点を思い知らされたのであった。当時の最高の知識人であったキリスト者たちが、拭いきれないほど深いインフェリオリティ・コンプレックスを実感したゆえに、――本来はアジアであるが――白人キリスト教文明のルーツの一つ(もしくは唯一の選択肢)でありながら異端視、迫害されてきたユダヤ人を同じ「選民的アイデンティティ」の唯一の同化対象として選択せざるを得なかったのであろう。「日ユ同祖論」とは別の視座であるが、明治、大正期に欧米に学んだ科学者、研究者(多くはキリスト者)の多くが、――当時ミッション系スクールを創設した欧米人宣教師、神父らの影響もあって――霊魂が不滅であるかどうかというキリスト教の核心に、きわめて真摯に向き合っていたことも近い角度から考え合わせてみたい。この伝統は、戦後も続いていて、「日ユ同祖論」の「日本人よりの分派説」を唱えた言霊(ことたま)思想などの超古代史文献研究者には、欧米で科学を学んだ人物または欧米通が少なくなかった。酷な言い方であるが「日ユ同祖論」の根底には明らかに西欧文明にたいする日本人の劣等感があり、それが形を変えて「日本人至上主義」となっているのである。すなわち、劣等感の裏返しには悲しいほどの「大和魂」「純血で天孫民族であるべきとする日本人の顔」が見え隠れする。西欧の科学思想によって立ち、和魂洋才を標榜したはずだが何かを忘れてきたかも知れない、文明開化後の日本人のコンプレックス問題の本質は半永久的に変わりえないであろう。

 

* 上記の三人の他に、やはりキリスト教の伝道で功績のあった酒井勝軍(さかいかつとき)(1874~1940)は特異な「日ユ同祖論」を展開した。ほかには、バイロンやプラトン全集の翻訳で知られる木村鷹太郎(きむらたかたろう)(1870~1931)もギリシア神話と日本神話の比較研究の立場にたち、「日ユ同祖論」の亜種ともいえる説を唱えた。ただ、それは語呂合わせに終始固執した奇説であった。先年、韓国及び日本で「万葉集・柿本人麻呂が韓国語で読める」といった本がベストセラーとして話題になったことは記憶に新しいが、比較言語学の基本ルールを逸脱すれば、こういった説はいつ再登場してもおかしくない。極端な言い方をすると、世界中の言語を語呂合わせ一本で系統化することもできるのである。」

 

*「日ユ同祖論」の中で「渡来説」と逆の「日本よりの分派説」を唱える風潮は先の戦時下に勢いづいた。増田正雄が「渡来説」の代表格としてあげられる。偽書としてつとに知られる「シオン長老の議定書」が帝政末期(大正七年のシベリア出兵)のロシアから持ち込まれ、日本でもユダヤ禍が叫ばれるようになり、フリーメーソンの陰謀説も登場した。これが昭和期になって、ユダヤ禍説は根強いものの「日ユ同祖論」が本格的に出始めるようになった。そして、戦争になれば、反ユダヤ主義をかかげるドイツとの関係もあって、「渡来説」は大いに都合が悪くなったのである。増田は元々親ユ論者であったとされるが、当時はユダヤ人が日本人の祖先でいいはずはなかった。増田は戦後、親ユ的な「日ユ同祖論」に戻ったが、記紀よりはるか万年単位でさかのぼる竹内文書などの神代文書をベースにするユダヤ人を日本民族の支流とする説は、戦後、各種神代文字文書の発掘、研究によって支持層を築き、超古代史ブームがとぎれなく続く状況から、最近の「日ユ同祖論」の一方を支える存在として生きつづけている。

 

* 選民・ユダヤへの潜在的回帰願望

 日ユ同祖論、ユダヤ渡来説論者には、選民・ユダヤへの潜在的回帰願望がある。白人のイメージを持つ選民のユダヤでなくてはならない要件があるとも言えるからだ。「日ギ(ギリシア)同祖論」など一握りの仮説はあったが、ギリシアは人気がないのか、それともとっつきにくいのか――事実は、西洋古典のギリシア、ローマを日本人がほとんど知らないだけであるが――「日ユ同祖論」が諸同祖論の中で他を圧倒している。これはいわゆるアカデミズム世界の話であるが、言語学の面で「タミル語祖語論」が以前よりあるものの、人気も話題も大きくはない。「日ユ同祖論」は、とどのつまり「日ユ同祖論」であるということだ。

 

* 同祖論と国粋主義、民族主義との奇妙な符合

 少なくも戦時中は、「ユダヤ渡来説」は都合が悪かった......。だが、現代は、多くの「日ユ同祖論」者が、何らかの形で、日本の神社、国粋主義(天皇主義) 、言霊思想、民族主義にもかかわっている、と言い切れる。奇妙な構造である。これは劇画的なヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)ともいえる。というのは、ユダヤを巻き込む「日ユ同祖論」そのものが、基本的には民族主義(ナショナリズム)と矛盾するからだ。ふつう言われるのは、俗説としてのユダヤの「ワン・ワールド」構想であり、経済支配であり、これは明らかに「インターナショナリズム」(いまはやりのグロバーリズムと言うべきか)にごく近い。逆に、ユダヤが日本からの分派とするなら、それはそれですでに単一、純血のナショナリズムのパラダイムを超えている。ここが、ユダヤ問題の原点でもある。そして「黙示録」から引用した「終末論」がとりとめもなく、とめどなく抱き合わされることが多い。

 

* 同祖論と日本人的民族主義者

 「日ユ同祖論」者の多くが、神道関係などの国粋主義者(天皇主義者)であると指摘したが、この存在の論理的矛盾を解決する手がかりはユダヤ(および「黙示録」)の存在しかないという皮肉な結論に達する。つまり、「日ユ同祖論者」も「親ユ論者」も「ユダヤ・フリーメーソン陰謀説論者」「キリスト教陰謀説論者」「黙示録終末本執筆者」も彼らのいうユダヤのしつらえた同床にいるのだ。同床異夢ともいえるが、目が覚めると同じ場所にいるというやつだ。それとも、いつもユダヤの夢を見ているなら、同床同夢といった方がよいかも知れない。言い換えると、日本人の「反ユダヤ」「親ユダヤ」の思想が同じ深層心理の流れの中にあるということかもしれないが、問題の深さとユダヤの本質を真に理解していないという証拠にもなる。日本人は某近国にたいして根強い差別感と嫌悪感を持つが、彼らにたいしかつて「日ユ同祖論」的な接し方を肯定したことはほとんどなかったし、いかに歴史的な解明が進んでも「同祖論」の展開への拒否反応が強いという点を考えると、ユダヤのユダヤたる所以(ゆえん)は変わらない。また、ユダヤを俎上に乗せる論理展開の先に、「日本人とは何か」ひいては「貴種流離」「天皇」「差別と被差別」「異人論」といった問題が見え隠れするともいえる。まさに、ユダヤと「黙示録」は、トンデモ本が気づいていない「日本人の合わせ鏡」なのだ。

 

  あとがき

 

 本項を覚書として記したのは五年ほど前。当時、ユダヤ禍の研究書を米国で出版した宮沢正典博士の英語原書(デビッドG.グッドマンとの共著)を読んだ。また、そののち同書の和訳、いくつかの良書も出版されたようだ。いま、振り返り改めてこのテーマを追い求める気持ちはない。ただ、現状を瞥見すると、古事記(ふることぶみ)和歌(やまとうた)祝詞(のりと)や神代文字を原典研究した、古神道・言霊研究家たちといまの孫引き執筆者たちとは素養も姿勢も厳然として異なる。いまは、ほぼ上辺だけが複写され撒き散らされている。先亡、先達氏らは――遠くは太安萬呂、近くは真淵、宣長、篤胤らの流れを汲み、なお神・儒・仏・基・猶について深く真向かい原資料を渉猟、研究に没頭していた。筆者は――本項では触れなかったが――若き日に、岡本安出(おかもとあでる)女史(ドイツ貴族を父に持つ言霊研究家。大正期、米国で成功した実業家、言霊研究家の岡本米蔵氏夫人)らの謦咳に接し、ポール・リシャール翁と親交があり本邦初訳「英訳古事記」を出した在米の井上俊治翁らの思想学識にも少し触れえたが、いずれも帰幽となられた。世界に目を向けていた欧米通の彼らが先の大戦をまたいで――とくに戦後――純日本文化の紹介につとめ、世界平和を希求し行動していたことを書き添えておく。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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森 秀樹

モリ ヒデキ
もり ひでき 翻訳著述 1944年 東京都に生まれる。

掲載作は、1999(平成11)年刊『黙示録を読みとく』(講談社現代新書)の執筆用覚書に一部加筆訂正し、2003(平成15)7月「電子文藝館」のために書下した。

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