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藪を這う

 食べるものもことを欠き、急激に私の状態が悪化した。

 いつの間にか私は何年もあちこちをほっつき回っていた様だ。

 私は、歓楽街が懐かしくて、再々そこに行っては、色々な所をよくさまよっていた。知り合いのママが見ても私と気づくものはもう既にいないだろう。髪や髭がぼうぼうで貧しい生活をしていた。寝る所は、不動産屋時代に見つけていた山の麓の谷間にある三坪ばかりの小屋であった。人が出入りする所とは違い、田畑が荒れて藪になっていた。意外とこの附近は季節の変化に関係なく温暖なので、長い間住んでいると居心地がよくなっていた。歓楽街と山を行き来し、残飯をあさっては小屋に持って帰り、保存食とし、食べたい時に口に入れている日が続いた。

 ある日腹痛が起こって二週間近くも寝込む羽目になり、やがて食べるものが無くなっていた。起きることが辛かったが、脇の谷水を飲んだらうまかった。よく見ると、珍しく蛇が泳いでいたので、突然に捕まえ、頭を切り落とし、がぶついて食べてみたら、粘り気があって、カレイの刺身のような味がして美味しかった。初めての経験で病みつきになりそうだと思った。

また枯れ草を束ねて仕上げた枕で眠ってしまった。起きるとまた蛇が食べたくなったので山肌を這う様にして探したが見つからなかった。夏の終息を控え、そろそろ冬眠仕度をしているのだろうかと思った。

苦しくなってきて、五メートルばかり転げ落ちただろうか、落ちた所にミミズが這っていた。素早く捕って口に入れた。少し苦かったが、脇の谷水を飲んだら治った。

 また二日ばかり寝ただろうか、気分がよくなり、歓楽街へと足を運んだ。着いてからゴミ箱をあさっていたら、ゴミを取りに来る業者が私を睨んだ。

 不意に、

「こらッ こらッ! どけッ どけッ!」と、言って私を突き倒した。

 上に見える天の星を恨めしく思った。

 男が私を上からずっと見ている。私は腹が立ってきたが力が無いので対抗することが出来なく、暫く起き上がることさえできず苦痛であった。

 男が言葉を発した。

「た、滝沢さんッ!」

「え、えッ!」

 私は何事かと思ったが、顔に切り傷があるのでヤクザかと思った。

「誰だあんたはッ!」

 力を振り絞って言った。

「黒川ですよ」

「なんだと…」

「チェッ ちがうかッ」

 男はちがうかッと言って罵声を浴びせ次のゴミ箱へと向かいゴミの処理をしていた。

 確か滝沢と言えば私かもしれない。最近頭が痛いので自分の名前も忘れていた。しかし、黒川と言う男は誰だろうかと思いながら、さまよって小屋まで帰って来た。すぐによたよたと体が沈み込んだ。知らぬ間に外は薄暗くなり、日が暮れていた。いったい何時ごろになったかと思ったが、時間の感覚は私には最早無く、草枕に身をゆだね、すぐ寝込んでしまった。

 暫く経ったのだろうか、目が覚めかかった。体の下の腰の方が気持ちよく、何かぐるぐるとくすぐったい気持ちがした。横に寝返ると蛇が二匹薄っすらと見えた。意識をし始めたからかどうかは定かではないが、しかし、どのみち夜でもよく見える様になっていた。頭が三角形であったので、まむしであった。すぐ捕まえようとしたら逃げてしまい、無性に腹が立ってむかついてきたので、這って脇の谷に行き水をたらふく飲んだ。

 段々と目と頭が少し冴えて黒川という男のことを考えていたら次第に分かりかけてきた。しかし記憶がすぐ薄れて頭の中は真っ白に戻る繰り返しをしていた。また考えていると、そういえば、確か顔に切り傷があった事を思い出した。誰だったんだろうかと深く考え込んだ。

 やっと思い出した。あれは、私が建売住宅をしている頃完成時に家の掃除をお願いしていた小さな清掃屋の者だ。そうに違いないと思った。あの男はヤクザと関係していたが、人情のあるやつだった。清掃代金が五万円のところを二万円でもいいですよという男だった。よくやってくれた。だが、私も彼にはよく歓楽街に連れて行っておごってやった。またある時仕事に行き詰って資金繰りが悪いので二十万円貸してくれと言って来たので、私はポンと三十万円を返さなくてもいいからと言って融通してやったこともあった。しかし、流石にあの男は苦労人だけのことはあってたいしたもんだ。落ちることもなく黙々と働いている様ではないか、それに比べて私は何なんだ。獣だろうか。落ちるところまで落ちたものだ。自業自得というしかないのだろうか。

 あれは確か十四、五年前にもなる。バブル全盛期の時代が少しはっきりと思い出されてきた。

 不動産屋をやっていた時だ。自分なりにコツコツと地道にやってきたつもりだった。建て売り住宅やビルを次々と造っては売っていた。地元ではかなりの事業をしていた。信用もついてきて銀行もちやほやしてくれていた。しかし、それにうぬぼれずに着々と前に進んでいった。そのうち四千万とちょっと蓄えが出来たので、銀行の支店長が、積極的に融資の話を持ち掛けてきて借りてくれという。事業資金以外は必要が無かったので、私はなかなか聞き入れなかった。だが、とうとう説得力のある言葉に負けてしまった。それは、アパート暮らしでは、人がこれ以上信用しないと言ったのだ。終いには自前の邸宅暮らしへと気分が高まり、支店長が薦める土地を買う事になった。諸経費等を二千万位上乗せして借りてくれと言ったが、それは受け付けず七千万を借金し、一億弱の邸宅を造った。

 車は何でもよかったが、大きな家を造ったので、それに似合う車がよいのではと、また支店長が口を出して来て、それが知っている所の車屋を家によこした。私は断わり続けたが、とうとう国産のボロ車から一千万弱のベンツに乗り変えていた。

 私は酒が好きだったので、歓楽街に部下を連れてよく飲みにも行くようになっていた。また銀行員へもよく接待したものだ。

 カラオケで唱うことが好きだったため、段々と上手になり、みんなをよくしびらせたこともあった。特に四十歳前後の女性には何故かもてた。それは同年配でもあったし、金もあったからだろう。そんな生活も長続きはしなかった。三年ぐらいして突然に弾けた。バブル崩壊という事件に遭遇したからだ。

 妻が私を罵りつづけた。しかし、私はそれには耐えられてきた。妻に悪い事をしている後ろめたさがあったからだ。二年位踏ん張っただろうか、どうにもならなくなってきて、妻と子ども二人を路頭に迷わす羽目になってしまった。妻が激しく私を罵るのでとうとう大喧嘩になり、毎日まいにち口喧嘩が耐えない日はなかった。暴力沙汰にもなり、警察がやってきた事もあった。半年後に妻に離縁状を叩きつけられ、八歳の長女と五歳の長男を引き連れて実家に帰って行った。別に追う気にもなれなかった。金の切れ目が縁の切れ目だったのだろうか。私は何故かせいせいしていた。

 銀行への借金返済も二年位滞ってきていた。この邸宅を売るとしても億近くかかったものが、約三分の一位にしか売れない。もし売った場合は、借金だけが利息や車代も含めて五千万円近くも残る。そうこうもがいている内に蟻地獄に入った気分になった。支店長がやってきて売却の話を薦めたが、すぐには売る決断が出来なかった。暫く考えて売る気になったが買主がいなかった。裁判所から差し押さえの通知が来て、その内競売されてしまった。かなりの抵抗を示したが、国家権力に負けた。そしてついに、路頭に迷うことになるのであった。

 明くる日の午後、蛇を探したが見つからなかったので、土を掘ってミミズを捕って食べたら今度はコリコリとしていて、蛇と違った貝のような味で美味しかった。少し喉がいがらっぽいので谷の水をたらふく飲んだら治った。

 あの男と会って三日位経っただろうか。夕方に歓楽街へと足が向いた。この山の谷間から街までの距離が一里半から二里位あるだろう。歩く途中のゴミ箱は全部と言っていいほど覗いてみてはあさって行った。ふと道路横の溝にお札が見えたので、急いで足を運んだら、溝に足を取られ、倒れてしまった。目尻のところを切っていた様だ。血が流れてきた。右手を見ると千円札をつかんでいた。段々と嬉しくなってきて、何に使おうかと思いながら歩いていたら歓楽街に辿り着いた。タコ焼きの匂いが何ともいえなかったので、屋台に近付いてお兄さんに一箱くれと言ったら、「だめッ だめッ!」と、言って私を追い払った。そこで私はズボンのポケットから千円札をちらつかせてもう一度そこへ行ってみたら、今度は機嫌がよく売ってくれた。すぐ近くに腰を下ろして一つ食べてみたら熱かった。何か飲もうと思ったら、自動販売機が近くにあったので、小さい缶ビールを買い、久しぶりの舌鼓をした。食べ終わって帰ろうかと思っていたら、この前の男がゴミを処理していた。私は今更この男と会うつもりは毛頭もなかった。だが、黒川が私のところに近付いて来て尋ねた。

「この前の…」

「いいや、違いますよッ。ただの浮浪人ですよッ」

 黒川は私の顔をじっと見て口の方を見ていた。

「いいや滝沢さんに違いない、ホクロが…」

 黒川は私の口のほとりにある大きなホクロを見つけて確信したようだ。

「黒川さんほっといて下さいッ」

 力を振り絞って言った。

「た、滝沢さんッ!」

 黒川は私の前に土下座をし、頭をアスファルトにつけ、涙を流しながら昔のお礼と詫びを言った。そして、今の事情を訊いて来たが、私は話さなかった。その内、ここで話していても(らち)があかないと思ったらしく、家に来て仕事を手伝ってくれと懇願された。だが、もう私は身も心もぼろぼろ状態なので、この場はきっちりと断わった。しかし、黒川はしぶとく私を説得にかかった。私は四、五日考えさせてくれと言った。黒川は居所を教えてくれと迫ったが、頑として教えなかった。それで黒川はしびれを切らしたらしく四日後にまたここで会って欲しいと言った。私はひとまず頷いておいた。

 帰り道、色々と考えることがあった。

 山の中に入って行くと腹が痛み出した。小屋に辿り着くと、途端に便意をもよおした。食べつけない物を食べたから腹が怒ったのだろうか、下痢になっていた。その日は疲れてすぐに寝込んでしまった。

 三日位ぼうっとしていただろうか。腹も治って来た。藪の中へ這いつくばって入っていき蛇を探したが見つからなかった。相当の時間を潰したので、もう小屋に帰ろうと転げて下っていたら大きな蛇が岩の側で舌をベロベロと出していた。すぐに捕まえようとしたら、飛び掛かるような格好をして出て来た。暫く睨めっこをしていたら蛇は逃げていきそうだった。もう一度手を出したら威嚇してきた。よく見るとまむしだった。私はその後ろに回ろうと考え、じわじわと体をずらした。突然私は蛇の首を押さえた。まむしは口を大きく開け、助けてくれと言っている様だ。尻尾を左手に巻きつけ、右手で首を絞め、脇の雑木に蛇の口をあてがったら、口から汁が流れてきた。毒だろうと思った。暫くして、木から離し、まむしの尻尾を取り、地面に叩き付けた。ぐったりしたので、近くの小石を見つけ頭を砕き胴体だけにして持って帰った。

 笑いが止まらなくなった。笑いすぎて腹が痛くなった。谷水を飲んだら治ったので、早速まむしの皮をむき、白身にした。すぐに塩をつけて食べたら魚のカレイの味がして美味しかった。

 二日後にまた藪の中へ這って行った。相当な時間をかけて蛇を探し回ったが見つからなかった。とかげの大きいのがいたので、素早く尻尾をつかんだ。右手に尻尾だけが残った。それの皮をむいで、口にほおり込んだら鶏の味がして旨かった。

 転げて小屋に戻ってきて、何かぼうっと考えていたら黒川の顔が、浮かんでは消え、消えては浮かびを繰り返した。だが草枕で眠りに就いた。

 夜が明けたので、藪の中へ入って蛇を探したが見つからなかった。雑木の中に西日が差す時間になってきた。小屋に戻ってその横を見るとハエがかたまっていた。よく見ると下痢をした便のところへ集まっていた。何か見ていると腹が減ってきた。

 自然と歓楽街へと足が向いて、いつものコースを辿っていた。やっとのことでネオン街に差し掛かると光がまぶしく感じた。歩いていると黒川の姿が見えた。この前に会ったところだ。向うも私の姿を見つけたらしく、私はビルの陰に身を隠した。暫く潜んでいたが、見つけられてしまった。

「滝沢さんッ!」

「あ、ああ…」

 黒川は私の手を握り、肩を軽く叩いた。近くのトラックの所まで引張って行かれて、むずかる私を助手席に押し込めた。今更逃げるわけにも行かなかった。黒川の顔を見ると安心した様に運転していた。話し掛けてきたが話はしなかった。もう相当な距離を走ったみたいだ。着いた所は国道に面している大きな土地でトラックが十台くらい並んでいて、プレハブが三棟あり、そのうちの一棟に連れて行かれた。事務所らしかった。

「ただいま…」

 若い女性が三人いて、中年の男が二人いた。男が汚らしく見えた。

「社長おかえりなさい?」

取り巻いている女性が私を見て顔を背けた。

 黒川はここの社長をやっているのだと気づいた。黒川は応接間に私を押し込んだ。隣の事務室で女性の声が飛び交い何やら騒いでいる様子で、その内黒川が怒鳴り声を上げている様だった。間も無く黒川が若い女性を連れて来て紹介してくれた。私は困った事になったと思ったが、どうすることも出来なかった。黒川が事務員に何か食べる物は無いかと言ったが、今はありませんがと言った。黒川が私に訊いてきた。何が食べたいかと、私は早くここを出たかったので何も要らない素振りを示した。黒川は困った顔をしていた。

 私は不意に言葉が出た。

「へ、蛇を下さい」

「な、何!」

 黒川はびっくりした顔をして、

「もう一度言ってくれ!」

 と、言った。

 暫く考えても蛇が食べたかったが、

「コーヒー…」

 と、言ったら黒川いや社長は機嫌がよくなっていて、事務員に寿司をと、言っていた。

 社長の黒川が上手に私に話してくるので、次第に私は言葉を取り戻していた。

 黒川は何かを察したらしく私のプライベートのことは訊いてはこなかった。それで私は安心した。しかし、この坐っているソファーは黒色の皮でフワフワとしているが、何年ぶりだろうかソファーに坐るのは、少々くたびれる。応接間のまわりを見渡したら質素な感じで神棚がポツリとあった。黒川が神の所へ行って手をパチパチとやって頭を下げた。その内女性がやって来てテーブルに寿司のにぎりを二箱とビールを持ってきた。私の喉がごくりと言った。黒川は丁重に言った。

「まあ、何もないですが、どうぞ…」

「あ、ああすいません…」

 黒川はグラスにビールを注いでくれたが、この前下痢をしたので少しだけ口をつけた。寿司は腹が減っていたので、がつがつと食べてしまった。何か少し変な気分になったがすぐに我に返った。黒川は隣のプレハブ宿舎に今日は泊って行って下さいと私を説得した。いやであったが、その言葉に従った。宿舎に私を連れて行き、一人の男を紹介してくれた。この男は臭い感じがした。見ると一升瓶の酒をらっぱ飲みしていた。黒川は押入れからフトンを取り出して敷いてくれた。疲れているだろうからと言って私を早く寝かせようとした。暫くすると社長は去って行った。私は慣れないフトンと枕に身をゆだねたが寝ることが出来なかった。やはり私には草枕が似合うのだろうか。隣の男が独りごとを言いながら大きな声を出していた。何か泣いている姿に見えた。

 その内突然、

「皆殺しにしてやるッ!」

 と、言ってわめいていたので、恐ろしくなった。

 とうとう一睡も出来なかったらしくて夜が明けた。壁に掛かっている時計を見ると六時であった。男の顔を見るとぐっすりと眠っている有様であった。

 ガラス窓の外の木に蛇が巻きついていたので捕って来て食べたら何とも言えなかった。

 暫くして社長が部屋に入って来た。

「滝沢さん眠れました?」

「あ、ああ…」

「それは良かった」

「どうも…」

 黒川は私に今日から道路清掃の仕事をしてくれないかと言った。市から請け負ったのだと言っていた。黒川は作業服がとりあえず新しいのが無いのでと言って、よれよれのを出してきて着てくれと言った。そして、朝飯に弁当を持って来てくれた。隣の男が早く食べようやと言った。美味しくなかったが、がつがつと口に押し込んだ。外に出てみると社員が二十人位整列をしていた。黒川は私を皆に紹介した。そして五十歳前後の二人と旭町の公園附近の街区を掃除してくれとのことであった。隣で寝ていた男と一緒でなかったので安心した。その男の二人のうち一人がトラックを運転して旭町の公園がある所へといつの間にか着いていた。どうも寝ていたらしい。すぐに(ほうき)を持たされて道路を掃けと命令された。

 暫くして運転の男が私に、

「お前ッ! このバカッ」

 と、罵声を浴びせた。

 そして、この様に掃くんだと私の手をつかみ教えてくれた。私は言われたとおり掃いていた。慣れないので苦しかった。昼ぐらいになったら、疲れ果てて公園に寝込んでしまった。

「こ、こらッ! おきろッ」

 と、言う声が聞こえた。

 運転の男が私をしかったのだ。

 そのうち、

「これを食べろッ」

 と、言って弁当を顔に押しつけた。私はがつがつと食べた。

 二人の男は私の顔を見て何やら話していた。

 また、寝込んでしまった。

 体がゆれた。

「このおッ! 性根をいれろッ」

 と、言って、足で腰を蹴られた。また箒を持たされて掃除を続けた。暫くして逃げようかと思ったが、黒川の顔が浮かんできたので諦めた。歩いて去って行く人が羨ましかった。若い女性が歩いてきた。私に近付くとさけて通り去った。

 西日が差し出した頃苦しくて倒れてしまった。

「このおッ! 公園で寝てろッ」

 運転の男が叫んだ。

 私は這って公園に入り地べたに倒れた。そして寝ていた様だ。

「おい! 起きろッ」

 運転の男が私の頭を蹴って起こした。

 いつの間にか作業場に帰っていた。

 黒川が、いや社長が私を見つけると、

「お疲れ様でしたッ」

 と、頭を下げた。

「あ、ああ…ありがとうございました」

 皆が帰った後社長が応接間に招いた。社長の顔が恐ろしく見えてきた。

 しばらくして事務員が寿司二箱をテーブルの上に置いた。

「どうぞ、どうぞ食べて下さい…」

 と、丁寧に言ってくれたので恐ろしさが幾分かはとれた。社長も一緒に箸をつけた。事務員にビールはないのかと言っていたが、どうもないみたいであった。

 黒川は突然に、

「おおッ! そうだッ」

 と、言って、神棚の下にあった一升ビンを持ってきて、これを飲みましょうと言った。また、神の下に行って手をパチパチとやって頭を下げていた。事務員がグラスを二つと烏龍茶を持ってきた。グラスを持たされ、酒をついでもらった。ゆっくり飲みながら寿司の、にぎりを食べて下さいと言った。にぎりの中に蛇の味と同じようなものが美味しかった。

 いつの間にか私はソファーに寝込んでいた。黒川が丁寧に起こしてくれて隣のプレハブ宿舎へ導いた。もう一人の男が(わめ)きながら酒を飲んでいたが、私はいつの間にか寝ていた。

 隣の男が私をゆすったのだろうか、目が覚めると夜が明けていた。弁当を素早く食べて外に出た。皆ならんでいた。昨日のメンバーと旭町の公園の所へトラックで向かった。運転の男はぶっきらぼうにスピードを上げていた。それを見ていたら怖くなったが、いつの間にか寝ていた様だ。

 私は二人の男のサンドイッチになっていた。

「こらッ! 起きろッ」

 顔を運転の男につつかれて目が覚めた。

 スピードを出すので旭町に着いた時はくたくたになっていた。すぐに箒を持たされて尻をたたかれた。通り去って行く人が私をさけていた。

 昼になったのだろうか、運転の男が弁当を私に投げた。

 公園で食べ終わると寝てしまった。

 体に衝撃が走った。

「こらッ!」

 運転の男が私の腰を蹴ったのだ。

 また、箒を持たされて掃除を続けた。暫くして公園の角の交差点の所へと出て仕事を続けた。この場所は市内でも閑静な住宅街で車の往来も少ない。一方通行でもあるからなおさら少ない。私は少々鼻水をたらし、ぜいぜい言っていた。余り寝ていなかったので、夏風邪かも知れない。寒気がした。またここら辺りはいつも住んでいた小屋附近よりも気温が低い。

 私の前に一台の車が止まった。手を振っている。誰に振っているのだろうかと暫く考えていた。まだ手を振っている。私はつられて手を振った。その内助手席のガラスが下って私の目を見てまだ手を振っている。上品で優しそうな女性だ。歳は五十前後の様だ。私はもっと近付いてその女性を見ると、確かに以前親しくしてくれていた女性だった。女性はニコニコ顔で懐かしそうに言った。

「滝沢さんですよね。お元気でいらっしゃいます…」

 名前を思い出せないので訊いてみた。

「ど、どちら様でしたっけ…」

「覚えておられません? △□○☆です…」

「あッ! ああ…」

 私の頭は混乱して、聞いた名前をすぐ忘れた。

 その内運転の男が来て、

「こらッ!」

 と、言ったので、その女性は、

「今度どちらかで是非お会いしましょう」

 と、言って私に一礼し、車が進み出した。

「電話を下さいません? お願いします」

 車は交差点でダンプカーと衝突しそうになったが、過ぎ去った。私は頭を下げていた。

「こらッ! こらッ! 何をしているんだッ早く仕事をしろッ」

 運転の男が怒鳴り声をあげた。

 その内、

「休憩しろッ!」

 と、言った。

 二人の男はタバコをふかしていた。私は運転の男に言った。

「ちょ、ちょっと缶コーヒーを買ってきますんで…」

「ああ、早く帰ろよッ」

 私はコーヒーを飲むつもりは更々なかった。疲れてはいたが、足を早めて都心へと向かった。相当な距離を歩いただろうか、いつもの歓楽街に辿り着いて、暫く道の横で寝転んだ。かなり寝ていたらしい。ネオンの光と雑踏の音で目が覚めた。

 ここではバブル崩壊が始まった時代の悲しさを誘う演歌が流れていたので、昔日の思い出に浸り、胸がふさがった。

 暫くぼうっと車の女性の事を考えていたが思い出せなかった。

 その内ゴミを処理している男が現れていたのでビルの谷間に身を隠した。

 私は近くの公衆電話ボックスに行って電話帳をめくってみた。以前カラオケ友達だった情報誌記者の家へ電話をした。

「はい…松山ですが…」

「もしもし…た、滝沢です…」

「ええッ…た、滝沢さんッ!」

「ええッ! そうです」

 松山は私の行方案じて探していたという。是非会いたいと言ったが、今度にしましょうと言って、今日会った女性の話をした。そうすると、心当たりがあるので調べておくから明日また電話をくれないかと言った。私はお礼の言葉を言って受話器を置いた。

 心臓は高鳴っていた。

 私は昨日黒川社長からもらった壱万円を取り出して途中のスーパーマーケットに立ち寄り食料を仕入れて、小屋にいつもより足早に急いで帰った。

 胸騒ぎがしてなかなか寝つくことが出来なかったが、疲れていたのでいつの間にか深い眠りに就いていた。

 夜が明けると山から這い出て、近くの公衆電話ボックスにしけこんだ。

「もしもし…滝沢です」

「あッ! 滝沢さん あの辺りに二人カラオケ友達の女性がいましたよッ!」

 と、言ってその女性が住んでいる場所を詳しく教えてくれて、名前と勤め先の電話番号も教えてくれた。丁重にお礼を言って受話器を置こうとしたら、今晩どこかでお会いしましょうよと言ってくれた。私はまた電話しますのでと言って切った。外を見てみると若いアンチャンが私を睨んだ。

 ドアを開けると、

「このおッ!」

 と、私に一こと言った。

 私の心臓は高鳴ってきた。

 また小屋に戻ってきて一眠りした。目が覚めると梁の丸太に何かがぶら下がっていた。よく見ると蛇だった。私は力を振り絞りながら飛びついた。蛇の口が裂けた様に見えた。皮をむいで塩をつけてかじった。だんだんと元気が出たので、また山を下りて電話ボックスに入った。暫くすると通り雨でガラスの外が見えなくなった。勇気を出して女性の勤め先に電話をしてみた。

「も、もしもし…井上さんおられますかッ」

「ハイ私が井上ですが…」

「た、滝沢です こ、この前公園の所で会いませんでしたかねッ」

 井上さんは、

「あ、あの松山さんの記者の連れ…」

 と、言った。

 突然に、

「ここは会社ですから電話をしないで欲しいッ!」

 と、怒り声をあげた。

 また続けて、

「滝沢なんて知らないわよッ」

 と、言って電話をガチャと切った。腹が立ってしょうがなかった。やけくそになって続いてもう一人の女性にも電話をしてみたが、「公園の所では会っていませんが」と、今度は丁寧に言われて受話器を置いた。どうもあの時会った女性ではなかったと確信したが、誰なんだろうと思いながら山を登っていたら、蛇が出てきた。すぐに捕まえ小屋に持って帰ってきて梁の丸太にワラで吊るした。

 暫くの間歓楽街に行くのを止めていた。その必要が無かった。この前壱万円で食料を買いだめしておいたから助かっていた。ふと黒川社長の顔が頭の中をよぎり、頭が自然に垂れた。

 幾日かが過ぎた。

 梁の丸太には蛇が数十匹もぶら下がった。一番乾いていたのを食べてみたら、かりかりして美味しかった。

 旭町の公園に行ってみたい気分になり、残飯をあさりながら歩いて行った。疲れたので公園の角の交差点の所の公園をガードする金網の中で横になり、かなり長い間人を眺めていると、あの車の女性とはちがう怒り声あげた女性が通り去って行った。私はすぐその女を追っかけて走っていた。

 日が暮れて家々の灯りがつき、女の黒い姿がガラスに映った。私の手は震えていたが、拳大の石を握っていた。その黒い女に目掛けて投げつけると、悲鳴とともに女の姿が崩れた。私はおののき足を早めたが、背後でざわめく大きな声がした。

「あッ あの男だッ 追えッ!」

 と、言う声が響いて聞こえ、その内サイレンの音が迫り、心臓が破れそうだったが、いつの間にか小屋に戻って来ていた。

 一息ついてロウソクの灯を点して蛇をつかんだら、手のひらが切れていて、血がそこら中、身体中に飛び散っていて、生臭い感じがした。私はその場に座り目を閉じてなぜか放心状態で、色々と過去の女の事を思い出して居た。元妻や親しくしてくれていた女性はどうして居るのだろうかと、取り止めもなく考えていた。今さら過ぎ去った事を悔やんでも悔やみ切れない自分のふがいなさに少しは憤りを感じたが、もうどうする事も出来ない。一旦幸せな人生から落ちた自分に何が出来ると言うのだろうか。もう私には焦りはない。しかし、心残りはある。最後にもう一度だけでいいから、あの車の女性に会いたい。一体誰だったんだろう。だが、もし会えたとしても何が起こり得るのだろうかと考えていたら、体の回りのざわめきで目が開いた。眺めると、辺りは一面湖の様だ。次第に波が沸き起こっている。一体何なんだろうと思っていると、小屋が渦巻きの中に入ってしまったみたいだ。徐々に少し静まると、次には蛇の群れが草枕に目がけ、しぶきを上げて入り込んでいるではないか、どんどんどんどん川の流れの如くさらさらと集中している。その内、草枕がはじけて蛇枕となり、私はおどろきで、蛇枕の上に卒倒してしまった。

 少し気が付いてしばらく蛇の中でもがき苦しんで居ると、現われた。ああやっと会えた。何と美しくて、膚がすべすべなんだろう。やさしくしてくれた女性の体に包まれた。ふと「滝沢さんお元気でした?」と、幽かに聴こえた。私はその声でうっとりとして眠りに就いた。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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中山 孝太郎

ナカヤマ コウタロウ
なかやま こうたろう 作家 1949年 広島に生まれる。コスモス文学新人賞受賞。

掲載作は「関西文學」平成12年(2000年)2月号に発表。

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