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吉良義周の諏訪流し

目次

  評定所の呼び出し

 泉岳寺から仙石邸に移された赤穂浪士一同は、武器を没収され簡単なお調べを受けたものの手厚く遇され一晩をぐっすり眠った。総勢四十六名、藩主浅野内匠頭も霊ながら共に討ち入ったとして赤穂四十七士である。

 翌日大石内蔵助ら十七名は肥後熊本城主細川綱利の下屋敷に、大石主税ら十名は伊予松山城主松平定直の中屋敷に、武林唯七ら十名は長門長府領主毛利綱元の上屋敷に、間瀬孫九郎ら九人は三河岡崎城主水野忠之の中屋敷にお預けとの達しがあった。

朝食が終わって一息ついた時、仙石邸に細川家からお使番・堀内伝右衛門が迎えに来てまず大石内蔵助以下十七名が同志の方々に挨拶し邸を出たのを手始めにそれぞれの屋敷から次々に迎えの使者が来て浪士たちは散っていった。

 江戸市中の人々は赤穂浪士討ち入りの報に湧き喜んで、だれ言うとなく、

「赤穂の浪士は義のために命を投げ出したあっぱれ武士の鏡。赤穂浪士でなく赤穂義士だ」

と言い出し、それからというもの誰が口を開いても赤穂義士と呼ぶ。

 赤穂浪士の討ち入りに快を叫ぶ巷の声が高まっていたため、今度ばかりはさすがワンマンの将軍綱吉も周辺の人々の声に耳を傾けざるを得なかった。それでも討ち入り当初は、

 ――四十七士の行為は、夜盗と同じ。故に全員打ち首――

と考えていたが幕府のご用学者荻生徂徠が、

「忠は政務の第一、君臣の道や忠孝の道を教えるのに四十七士の討ち入りの行為は分かりやすく役に立つ。事件の真相を人々に正確に伝えることより、封建社会の根本原理である忠孝の道を伝えるために、赤穂浪士の討ち入りの事実を利用した方が良い」

と、その利用効果を言上すると将軍綱吉は打ち首との考えを翻して切腹に変えた。このため赤穂浪士は必要以上に祭り上げられ、逆に吉良側の人々は犠牲を強いられることになった。

 当時書かれた「徳川実記」には巷の噂であると断り書きして、吉良上野介が浅野内匠頭の賄賂が少なかったためにいじめたのが刃傷事件の原因であるとのみ書き、赤穂を祭り上げようとする幕府側の意のあるところを見せている。

 将軍綱吉は、当初打ち首どころか赤穂浪士の助命を考えていたものの、

「赤穂浪士は死ぬことで永遠に忠義の人として伝わります。しかしもし死を免除した場合に、恥をさらすような生き方をする者も出てくるやも知れませず、真に名を惜しむ武士である赤穂浪士の末永い不動の名誉を考えるなら切腹こそ」

の意見を取り入れて、

――旧浅野家家臣四十六名に将軍より切腹を賜る――

との知らせを各屋敷に伝えさせた。当時は将軍から直接死を賜ることはこの上ない名誉であった。二月四日その名誉ある死を赤穂浪士たちに賜わり四十六人はそれぞれお預けの邸で切腹させられた。

 辞世がある。四人のものを擧げる。

今は早や霞が関を立ち出でて

  君ます里の花をいざ見ん   大石内蔵助

極楽の道は一筋君共に

  阿弥陀を添へて四十八人   大石主税

梅で飲む茶屋もあるべし死出の山

               大高源五忠雄

仕合せや死出の山路は花ざかり

               武林唯七降重

 討ち入りの事件後、閉門蟄居させられていた吉良左兵衛義周は元禄十六年(一七0三)二月四日、赤穂浪士が切腹と決められた同じ日に評定所から呼び出された。そうと知った、実父の上杉藩主綱憲から、

――評定所でどんな沙汰を受けようとも驚くでない。さしたることはあるまいと思うが、心を静めて仰せを伺うことだ――

との便りが送られてきた。

 もちろん義周もさしたることはあるまいと考えていた。なぜなら、徒党を組んで行動することは武家諸法度で禁止されている上に、夜盗のように集団で吉良家に押し入り養父であり祖父である上野介をはじめ多くの家臣を殺した赤穂浪士はとがめられても、押し込まれた被害者である義周が咎められることはないと考えていた。

 義周は衣服を整え評定所に向かうため玄関を出るとすぐに足を止め、いつになくしみじみと玄関前に植えられた見事な松の枝ぶりを見た。

「若殿、お急ぎ下さいませ」

と声をかけたのは義周の遠戚に当たる荒川丹波守由定。

「しばらく待つように。急ぎ庭を一巡してくる」

義周は庭を一巡し、ほころび始めた梅の風情を喜び、楽しげにさえずる小鳥の声を耳底に止めてから邸を出た。風もなく冬には珍しく穏やかである。

 江戸城の櫓の白さがいつになく目に沁みるのを不思議に思いながら義周は城内に入った。

 評定所に着くとすぐに呼び出され、末座に着かせられた。

――末座……とは……――

義周がさしたることなしとの自分の思いの甘かったことを悟った時、

「吉良左兵衛義周、その方、さる十二月十四日赤穂浪士討ち入りの際、武士としてあるまじき行為をし、武士道に背きたる段重々不届きであることお調べにより明白である」

「……」

「よって吉良三千二百石の領地お召し上げ、吉良左兵衛義周の身柄は信州高島の諏訪安芸守高虎に預ける。さよう心得よ」

 両手を着き、頭を下げて静かにその申し渡しを聞く義周は、自分でも驚くほど落ち着き払っていた。

――やはり幕府は吉良を潰すつもりであった。ということは流罪は終生か……。この裁き、理不尽である……――

心の深みで怒りが込み上げているのに、表面に出ず自分でも驚くほど無表情である。ただ、故なく斬りつけられ、世間からあしざまに言われ、赤穂浪士に命を狙われたとんでもない境遇に恨み言一つ言わず、少しでもより良く生きようと努めていた上野介の後姿を思い出し、

――殿の方がずっと理不尽に耐えていられた――

との思いに救われていた。義周に役人が近寄って言った。

「お刀お預かり致します」

義周は黙って両刀をはずし役人に手渡した。武士の身分剥奪である。すぐに、

「諏訪家の者をこれへ」

と、声がかかると呼び出されていたらしい諏訪家の家来二人が出てきた。

「諏訪高島藩に罪人吉良左兵衛義周を引き渡す」

「はっ、確かにお預かりつかまつります」

「立ちませいっ」

諏訪家の家来は義周を囲むようにして先導し、評定所を出た。

 諏訪家の家来は義周に丁重ではあったが評定所の出口には思いもしない罪人駕籠が用意されていた。  

「お乗り下さい」

諏訪の家臣が粗末な駕籠の引戸を開ける。

 義周は促されるままに駕籠に乗った。夢の中にいるようで実感がない。荒川が駕籠のすぐ横に両手を付き、涙ぐんで義周を見あげていたことに気づいたが……。

 噂を聞いて集まってきた江戸市民たちが、

「吉良の出来そこないが……」

「網をはずしてもっと面を見せろ」

などと口々に叫ぶ。諏訪家の武士たちは駕籠の前後をしずしずと歩く。

「ちえっ」

とつばを吐かんばかりの態度で駕籠のすぐ近くを大胆に通った職人風の男が、義周をじっと見て、

若殿、目をお閉じなされ。疲れませぬように」

と優しく口早に言って離れて行く。義周はすぐに目を閉じた。

――今の職人風の男にまったく見覚えはないが……――

と思い続けることが、つらい道行きに耐えさせてくれる。

 とはいえ罪人として道行く人々の好奇な目にさらされることの羞らいは息苦しく、目を閉じているのに無数の視線が遠慮会釈なく体中に突き刺さる。

 やがて駕籠は市ケ谷の諏訪邸に着いた。

 その夜、諏訪家の好意で上杉藩主である父綱憲の口上が義周に届けられた。使者は上野介の受取状を書いた左右田孫兵衛。孫兵衛は義周の前に両手をつき、義周をじっと見た。その目の何とやさしいことか……。

「殿のご口上申し上げます。

――諏訪殿にお預けと聞いて驚いている。領地も没収とのこと、心細いであろうが案ずることはない。遠からず必ずや大赦があり、江戸に帰り、吉良家再興のなる日が来よう。それまでの日々を心おだやかに体に気をつけて過ごすよう。

 諏訪には大きな湖や古い社があると聞いている。旅を楽しむつもりで心穏やかに行ってくるが良い。赦免された暁には上杉藩の邸にて疲れが癒えるまでゆるりと過ごしお家再興を徐々に行えば良い。とにかく父も母も養母も義周の帰りをひたすら待ちわびている。

 諏訪は寒いところと聞く。必ず食事をとるように――」

簡単な口上ではあったが義周は父綱憲の、

――帰りをひたすら待ちわびている――

の言葉にどんなに励まされたことか。

――父上に会える日を必ず迎えねばならぬ――

との思いが、

――命を大切にしよう――

と義周に思わせる。

「かたじけない。仰せ心にしみ申した。再びお目にかかれます日までしばらくのお別れ。父上にも母上にもご養母様にもくれぐれも御身おいといくださいますよう。義周は好きな書など読みしばらくは遊山のつもりで諏訪に行って参ります」

「確かにお聞き致しました。お伝え申し上げます」

諏訪家の好意で義周に逢った孫兵衛はすぐにひそかに裏口から出て闇に消えた。

 義周流罪、諏訪家にお預けと伝え聞いた江戸の人々は吉良憎しとばかり諏訪邸の門前に集まって中をのぞき込もうとしたり、

「吉良義周を出せ、四十七士は死んだのに、なぜ義周は生きている」

「流罪など甘い。死ね」

「義周と同じ年ごろの大石主税は死んだ。義周は何故生きている」

などと声高に叫ぶ。大衆とは味方にすればこんなに強いものはなく、敵に回せば氷より冷たく鬼より強いものなのだ。やじ馬たちはなおも、

「捕らえられていい気味だ」

「早く諏訪へ流せ。義周が息を吐いては江戸の空気が汚れるわ」

などと騒ぎ立てて帰ろうとしない。そんな騒ぎの伝わる縁先に出て義周は天空に光る孤なる月かげをしみじみと見ながら上野介の歌を繰り返し口ずさんだ。

雨雲のこよいの空にかかれども

  晴れ行くままに出ずる月影

名にしおふ今夜の空の月影は

  わきていとはんうき雲もなし

 翌日、上杉家からの要請で諏訪邸から、幕府にお伺いが立てられた。

――吉良義周殿を高島城へお移しするにあたりまだ傷が全治しておりませぬ故、義周殿お抱えの医師栗原道有を諏訪に同伴させてよろしゅうございましょうか――

栗崎道有は、信頼していた吉良上野介との友情の証しとしてせめて生活に慣れるまででも義周と共に諏訪に行こうと心に決めていたのである。しかし、

「しばし返事を待つよう」

との達しがあり、翌日老中小笠原長門から冷ややかな返事が諏訪邸に届けられた。

『流人、吉良左兵衛義周に医師同伴の要、全くなし』

 この冷たい幕府の態度に、担当の役人の中には、

 「義周殿を目に見えて大切に扱ったりしては幕府の逆鱗にふれるやも知れぬ」

「何事であれ伺いを立ててするに限る。そうすることが諏訪家の無事」

と細かい神経を使う者が出た。それはまるで義周が咳をするさえ幕府の許可がいるのかといいたいほどに……。

 例えば、

――義周様お休みの折りの帯は三周りでよろしいでしょうか――

――食事はどの程度に差し上げましたらよろしいでしょうか――

と馬鹿馬鹿しいほどの気の配りようであった。もちろん諏訪家の人々は、

――この度の討ち入りに何の関わりもない義周殿が流罪とはお気の毒――

と心から同情してはいたけれども……。

――幕府の命に逆らってまで、流人を大事に扱うことはない――

との声が高かった。その一方の旗頭が清水宗清で、宗清は義周に同情する人々にこう言った。

「御身大事、お家大事が世の常。いったん坂道を転がり始めた人を助けようとすれば、自分も巻き込まれて共に転がり落ちてしまう。犠牲者を少なくするためには気の毒ではあっても坂道を転がり出した人を見ても手を出さず、助けようとしないが賢明な生き方。

 ゆえに、世の中では人の情けより何より、御身大事と考える人が結構無事に人生が渡れるもの。諏訪家をあずかる要職にある者は己一人ならとにかく諏訪家に関わる全ての人の生活がかかっていることゆえここのところがわからねばならぬ。

 情けを大切にして損得勘定なしに行動できる人は腹が座り慈悲深く仏と共に生きている人か、お人好しの世間知らずかであって、藩の要職にある者にはそのような心地良い生き方は許されぬ」

と。清水宗清の言うとおり罪なくして流罪となった義周に暖かく接しようとすることは、個人で責任をとれる範囲内では出来ても、組織の人としては許されない事であった。

  流人駕籠

 流罪が言い渡された七日後の二月十日。義周は老中の命令通り市ケ谷の諏訪邸を出立し諏訪に向かうと決められた。

出立の直前に四十代と思われる温和な感じの中肉中背の武士が、

「この度、諏訪まで義周殿をお送り致します役を仰せつかまつりました千野兵部法親にござります。義周殿流罪と聞き、途中を襲おうとする赤穂の浪士がいるとの噂もございますゆえ、警護には腕ききの武士がついております。お心安うなされますよう。慣れぬ旅のこととて何の遠慮もいりませぬ故、何かお気付きのことがございますればこの千野にお申し付けください」

と我が子に言いふくめるような口調で慇懃に挨拶する。義周は、少年の持つ澄んだ目で千野をまっすぐに見たが、

「よしなにお願い致します」

と言葉少なに答え、千野に案内されて外に出るとすでに流人駕籠が用意され、供の武士が並んでいた。

「どうぞ、ご不自由とは存じますが、お乗り下され」

と千野。義周が乗り込むと諏訪邸の門が開けられた。門前に物見高い人が集まっている。

 さすがに駕籠が門を出ても江戸城から諏訪邸に送られた時のような罵声は聞かれなかったが、

「こんなに若い人がまあ……」

「武士の風上にも置けん奴だってことだ」

「吉良様の御世継ぎならどこから見たって甘く育ってるはず。流罪に耐えるは人一倍辛かろう」

などとささやく声が聞こえ、その興味深げな目にさらされていることに義周は傷つき、体を固くしていたが次第に衆目に慣れたのか慣れるしかなかったのか、義周は駕籠に揺られながら父上からの、『義周の帰りをひたすら待ちわびている』との口上を思い出していた。

 諏訪邸を出て間もなく甲州街道に通じる道角で、駕籠が止まった。

「人数そろえである。人数を確認せい」

千野と名乗った武士の声がする。

――なんでこんなところで……。人数の確認など邸を出る前にしそうなものを……――

と思いながらも、義周はその声を遠くの世界のもののように聞いて目を閉じていた。

 と足音が近付いて千野が駕籠の引き戸を開け、

「お目を開け、右手を御覧くだされ」

と低い声。

 義周は言われるままに初めて目を開け右手を見た。そこには人目を忍ぶ姿ながら父、綱憲。母、為媛そして祖母で養母である尼姿になった上野介の妻富子がそろって立っていた。三人の前には浪人風にはしていても上杉の家臣と思われる者たちが姿勢を正し横列に並び片膝をついている。

 義周が目を開けたとわかった綱憲は何度も大きくうなずき、母も祖母もたまりかねて下をむいては涙を抑え、それでも義周をよく見ようとすぐに顔を上げる……。

――こんな寒さの中を父上はご家来衆の反対を押しきり見送りに来て下された――

義周には体調が悪いと聞いていた父綱憲の厳寒の朝の見送りが嬉しくありがたく、父上の体に障らないかと心から案じるのだった。

 それはほんのわずかな時間であったが、限りなく深い時間であった。

「出立っ」

の声と共にすぐに駕籠の引き戸が引かれ駕籠が動き出した。と、

「若殿、お達者で……」

「若殿……」

口々に別れを惜しむ声。

 父母の前に片膝ついていた浪人を初めその周辺には吉良と関わりのある人々が集まっているらしい……。

 義周の目からとめどなく涙が流れ落ちた。しかし一言、

「お達者でっ」

と大きな声で義周は流人駕籠の中で叫んだ。

 今まで聞いたこともない義周の声……を聞いて母為媛が思わず一歩前に出ようとして父綱憲のさえぎったのが義周に分かった。

 すぐに駕籠は道を曲がり、父も母も見えなくなった。が、義周は父母の立っていた方角をいつまでも見つめていた。

父母の祖母の姿を描き続ける義周に道の周囲に立つ人々の冷たい罵倒は耳に入らなかった……。

やがて中野を過ぎ、三鷹を過ぎるころは、雑木林や田畑が広がって衆目にさらされることもなくなり、はじめて義周は本当の自分に帰れたような安らかな気持ちになれた。あの事件以来、本所では味わったことのない安らかな気持ち……。

 駕籠がとある代官邸に小休止した時、武士たちにあつい茶が行きわたるよう手配していた老婆を呼び止めた者がいた。

「お女中。済まぬがこの布を流人駕籠に入れて下さらぬか。この刺し子を渡すようにと頼まれ困り果てています」

と、職人風の男。

「はいはい。承知いたしました」

女中頭らしいその老婆はあっさりと承知してすぐに流人駕籠に近付き、

「刺し子をお届けするよう言われましたので」

と、駕籠の中に分厚いひざ掛けにも肩かけにもなる大きめの刺し子を入れた。

「かたじけない」

義周の言葉を最後まで聞かず老婆はすぐに駕籠から離れてゆく。刺し子を渡されただけで 義周の手がぬくい。老婆と入れ替わるように、

「お寒うございましょう」

と、人の良さそうな爺が火鉢を駕籠の隅に置いた。

 千野が命じたのである。

――歩いている自分さえ体が冷たいのだから籠に揺られる義周殿はどんなに冷たいことか――

と。そして、

――もし、咎められたら部屋で休んでいる少々風邪気味の部下の所に持って行くよう爺に命じたところ、間違えて義周殿に届けてしまったが駕籠の中のこととて一向に気がつきませず……――

と言い逃れようとはじめから考えていた。

 あつい茶をいただき、火鉢が入れられ、刺し子を届けられた義周はほっとし、いつの間にか動き出した駕籠の中でうとうとし、気がつくと小鳥の声の楽しげな武蔵野の雑木林の中を一行は歩いていた。北風は激しく吹き抜けてはいたが……。

 時折、千野が駕籠に近付いては、

「八王子千人衆のお長屋の前でござる」

などと説明するが、義周はうなずくばかりで声を出さない。

 甲州街道を下りながら義周は目を閉じて、寒さの中を立ちつくし、別れを惜しんでくれた父や母、祖母そして多くの人々の姿を幻のように描き続けることで行く先の不安に耐えていた。

 千野兵部の言ったとおり、諏訪藩の腕ききの武士四十人程が駕籠の前後左右を警護しているものものしさにも次第に慣れてきた。

 実際周囲の雪を頂いた山の景はすばらしく流人でさえなければ楽しい道行きのはずであった。

 休憩の時は千野兵部が義周の相手をし、暖かい茶など進めながら、

「甲斐の山並みはさすがに天下一と甲州人が自慢するだけのことはあります」

「諏訪は温泉が豊かに湧いております。温泉は体に非常によく百薬の長と言われています」

などと、諏訪湖の美しいこと、諏訪の歴史の古いことなど話しては義周を慰めようとする。義周は千野の言葉に素直にうなずいていたが自分からは何一つ話そうとしない。

黒い影

「この台が原の地は諏訪に近うござります。長い間、駕籠に揺られてお体が傷みましょう。ゆるりとお休みください」

との口上があって着替えが用意され、風呂を進められた。義周は今までになく広々として真新しい部屋を勧められたために、

――ここで殺されるのか。わずか十七年の短い生涯……――

とひそかに心を決めた。ただ、

――父上や母上が我の死を聞いてどんなにお嘆きになるか――

と、それだけが気になったがそれでも義周は、

――このように美しい山国で人知れず死を賜る。それも良い――

とかえってさばさばした気持ちになって、進められるままに風呂を楽しみ、出された真新しい着物に着替えた。

――ああ、良い気持ちだ。こんなすがすがしい思いでこの世と別れられるのもみ仏の恵みに違いない……――

義周は天空いっぱいにあふれんばかりに輝く無数の星々を仰ぐ。と、

「若殿、お久しゅうござります」

と聞き慣れた荒川由定の声。義周は声のした闇へ目をやりながら、

――あまりの人恋しさにとうとう狂ってか。捕らわれのこの身には狂うことも救いとは言え――

と思った時、護衛の武士が黒い影に切りかかった。影は飛鳥のように飛んで庭の右手に消えて行った。

「義周殿、ご油断召されますな。赤穂の浪士が狙っているもようです」

すぐに千野が駆けつけて言う。

「心得てござる」

――しかし荒川ではないだろうか。赤穂の浪士とは合点が行かぬ。殺そうと思えば討ち入りの日に殺せたゆえ。いっそあの日に殺されていれば憂き目を見ずにいられたが……――

遠い目をしている義周に千野は笑みを含んで座り込み話し出した。

「実は上杉綱憲殿より吉良の家臣二人を義周殿につけて送れるよう曲げてご許可いただきたくと幕府にお伺を立てた由にございます」

「二人の家臣とは……」

「一人は藩内唯一の知恵者と知られる左右田孫兵衛殿、一人は評定所へ付いていった荒川何とか言う武士。ところが幕府からは『かねて申し渡したとおり吉良義周は罪人である。罪人に供は要らぬ。衣服は木綿布子、食事は朝夕二回、それも一汁一菜で良い』との達しがあり、上杉の殿は仕方がないとあきらめられたとのことでしたが……」

――先程の声はやはり由定ではなかったろうか。由定が幕府の許可のないまま父上に頼まれてこの義周を追っているのかもしれぬ――

 荒川や左右田が来る来ないに関わらず、二人をつけてくれようとした父の心の暖かさが義周にはうれしい。

 翌朝もよく晴れていた。千野は、

「若殿、この甲斐の山の景を心ゆくまで御覧なされ。今日で甲斐の山々ともお別れでござります。正面が冨士、右手が甲斐駒ケ岳、連山の中でひときわ高いのは北岳、そしてこちらが八ヶ岳にございます。

 このように雄大な景を見ておりますと人の世の出来ごとなど、何ほどのこともないとの思いが沸いてきます。実際大自然の前で人の行為など何ほどのこともないのかも知れませぬ。

 義周殿。甲斐の山をご覧くだされ。自然こそが人の心をいやす最大の医師とのこと。荘厳な山脈をご覧になられれば少しでもお心が晴れましょう」

誘われるままに義周は千野と並んで北風の吹きすさぶ中にその全容をあますところなく見せる厳かなほどの美しい富士や甲斐の崇高な山脈を見る。

義周は千野と並んでいるといつの間にか父と立っているようなぬくもりを感じるのだがその一方で、                            

――この北風の激しさがこれからの人生の厳しさ。身ぐるみはぎ取られ裸一貫で立たねばならぬあり方……――

裸一貫の言葉が小さくくちびるから漏れたらしく千野の、

「さようにございます。裸にて生まれて来たに何不足と申します。不足を数えては罰が当たると教えられております」

の言葉を聞きながら義周は、

――どんなに人の世が厳しく冷たくともこの寒風の中の山のようにこの世には動かしがたい美しさがある。その美しさに心をやっていればきっとこの難局が乗り切れる――

と思うのだ。

「義周殿、お寒くはござりませぬか。余りに長く立っていては風邪を引きます」

例え役目柄罪人を病にさせられないのではあったにせよ、自分の身を案じてくれる千野のやさしさにぬくもった心を抱いて部屋に戻ると義周を待っていたように

「熱い茶をどうぞ」

と女中が茶をすすめる。そんななんでもない人のやさしさが今の義周には身に沁みてありがたい。

  高島城到着

 

 氷で覆われた諏訪湖の上を風が薄い絹布をなびかせるように幻想的に流れ、諏訪大社の上社から下社へかけてお神渡のあった氷の筋がうねうねとのび、鈍色の光を反射させ、寒そうに鴨があちらこちらにたむろしている。

 雪を頂いた周囲の山々は神いますかと思わせるほどに澄んで冬の日をふんだんに浴び、そのふもとに諏訪大社の森が厳かに鎮まる。

「若殿、諏訪湖をご覧くだされ」

縄を手にした千野に声をかけられ、駕籠から降ろされた義周の全身に冷たさというより、痛さが沁みる。

 夕暮れの柔らかな光りに満ち、浄土かと思わせられるほどの諏訪湖の全景を義周は幼い日から知っていたような錯覚に陥りながら見つめていた。千野は義周の傍らに立ち、

「ここからは諏訪湖の全景が見渡せますので若殿に一目見ていただきたく少し回り道を致しました」

と言ってから、

「寒さが厳しゅうござれば」

と駕籠に戻るよう促した。義周は再び山と湖の織りなす大いなる景に目をやって、

――ここがしばらく身を置くべき信濃の国。どんな処遇が待っているかは分からぬながら、とにかく景は素晴らしい――

と景の秘めている限りない慰め故にほっとしながら駕籠に戻ろうとした時、じっと自分を見つめている視線に気付いた。うら若い女性が花柄の模様を上品に着て義周と目を合わせると、わずかに会釈した。そのあでやかなこと……。義周が目礼を返そうとした時、千野が、

「失礼ながらお手を。城も近うござれば……」

と両手に軽く縄をかけ駕籠に誘った。

 ほどなく高島城の裏門につくと、義周は駕籠から降ろされ、南の丸の囲み屋敷に引き立てられた。

 高島藩がどのように義周を扱うか隠密の目がどこかに光っていると考えるのが当然な時、ましてや衆目を集めている義周の扱いである。諏訪藩にすれば幕府の定めに従い罪人として引き立てるしかないのだ。

 南の丸は高島城の城郭の外にあり、城の一番奥まった所に長崎の出島に似て諏訪湖に突き出している所。

 三方は沼に囲まれ一か所、深い堀に人一人が通れるだけの細い橋が架けられて本丸とつながっている。

 しかもその深い堀に沿って番小屋があり、柵も二重に巡らされていて南の丸の住人はどんなことがあっても決して逃げ出せない幽閉のための完全な牢屋敷になっている。

 南の丸に着くやすぐに縄ははずされ旅の疲れを落とすよう、義周は温泉をすすめられた。南の丸を包み込む塀の中に湯が引かれているのだ。

 義周は進められるままに湯に入った。透明な、ほどよい暖かさの湯でゆったりと手足を伸ばし体をぬくめていると評定所に呼ばれて以来味わったことのないたっぷりとした時間が帰ってきた。

と、同時に、この諏訪でどれだけの年月を過ごすのか……との思いが足の底から突き抜けるほどのわびしさを呼び覚ます。

 父母や祖母、新八などの友人や孫兵衛など身辺にいた者たち誰一人の声も聞こえないことの何というわびしさ。

 湯から出て部屋に座り戸を閉ざした。新しく替えたらしく、藺草の香りを残している畳から冷たさが全身に広がってくる。座敷につくねんと座っているとこの世のすべてから忘れられてしまったような恐れを感じるほど人の気配がない。 義周は端然と畳に正座していた。すっかり暗くなってから一人の老婆が物の怪のようにゆるゆると入ってきて明かりをつけ、初めて義周をやさしく見て、

「あれまあ、なして炬燵に入らんですか。こんなに寒いだに……。炬燵には炭を起こしておきましたでぬくいですから入って下さい」

とやさしい口調ながらさばさばと言い、義周が炬燵に入ったのを確かめると、

「今日から若様のお世話をさせていただく婆です。どうぞよろしくお願いいたします。寒さがひどいだで、温かなそばを作ります。お口に合いますかどうか」

とすぐに立って台所でしばらくごとごと音を立てていたがやがて、湯気のほくほく立ったそばを持って炬燵の板の上に置いた。

 しかし、どこかで胸がいっぱいな義周はその婆やの好意に対して悪いとは思いながらも食欲がなく、わずかに箸を付けただけ。

 第一、炬燵でものを食べることなどそれまでの生活には全くないことだったので食欲がそそられないのだ。婆やは、

「お若いだに無理して飲み込んででも食べんとこの寒さに体がやられてしまいます。ここはお江戸と違って寒さが厳しいですから」

と、心配してくれる。

「かたじけないが今日はまだ旅の疲れが抜けぬと見え、さして欲しゅうない」

詫びるように言う義周を、婆やは気の毒そうに見たものの、

「一口でいいから飲み込んで下さいな」

と、義周に一口を強要してから、

「ふとんは炬燵でぬくめておきましたから冷えんうちに早く寝て下さいよ」

と言って帰って行く。

翌朝婆やは早く来て、

「今朝早うにうちの近くで殿様が食事を召し上がったかと見たことのないご浪人さんがわざわざ聞きに参りました」

「……」

――浪人なら……あの甲州の台が原で闇に消えた荒川であろうか――

「その浪人の名は」

「名乗りませんでした。すまんですなあ。お聞きせんで……」

「いや、いいのだ」

「殿様はとんだ災難で諏訪に流されたと聞いてます。何一つ悪いことせんだに流されなさった。で、大事にしてくれるよう諏訪の殿様からのご伝言がありました。

 ただお役人さんが言いますには幕府の目がどこに光っているかもしれませんで、幕府から許可されたことしか出来ん、せめて丁重にと言われております」

――この婆やが世話係らしい。人の良さそうな。良い方を選んでくれた――

と、義周はほっとする。

「何か不自由があれば言って下さいよ。お役人に申し上げますから。それにいつでも湯に入れますから体をぬくめてください。ここの湯は百薬の長で芯からぬくもります。

 そうそう読みたいものがありましたら遠慮なくとのことでした。他にも何かご希望があればどんなことでもとにかく役人さんに伝えますから。

 余り我慢せんで、長いことここで暮らさにゃあならんだし、ゆったり構えて何でも言って下さいよ」

そう言いながら婆やはせっせと室内を拭き清める。

――何とやさしく働き者の婆やであることか――

と思った時、義周は声をかけていた。

「婆やの年でそのように働いては疲れようが」

「何の何の。若様はきっとすごくきれいなところで暮らしていられたでしょう。それを思えば少しでもきれいにして居心地をよくしてさしあげんと罰が当たります」

南の丸の生活

 次第に義周は婆やに親しみを感じ、日を重ねるうちに、

「その方はどこの生まれだ。家族はどうしている」

などと尋ねるようになった。婆やは、

「この在の者ですがな。家族はおりません。もう十年も前に、おとうは一人しか恵まれなかった子供と一緒に山に登ったですが、その時、天候が急変して三日も雨がやまず、二人いっしょに死んでしまいました。

 もし息子が生きていてくれたら若様より少し上でしょうか。二人に死なれてしまってからというもの若様と同じく天涯孤独です。いえ若様にはお父上やお母上がいられるとお聞きしております。それだけでもお幸せですがな。世の中には身寄り一人ない私のような人も結構おるですから。

 たくさんの人が、一人きりで魂の底から込み上げてくるような寂しさに耐えているですよ。息子に死なれてから畑仕事にかまけて何一つ息子に、母親らしいことをしてあげなかったと気付きましたけんど、どうしようもありません。息子に尽くせなかった分、恐れ多いですが息子と思い若様に尽くさせてもらいます」

婆やのやさしさが気弱になっている義周を涙ぐませる。

「さあさあ出来ました。暖まりますからたっぷり食べて下さいな」

前掛けをはずして、婆やは義周の前に雑炊の椀を丁寧に置く。

 しかし義周は例によって食欲がなく、雑炊に箸をつけただけでいると、

「しっかり食べて、早うお父上の所に帰られませ。それが何よりの親孝行ですがな。親孝行したい時分に親はなしって巷に言いますでしょうが、親が元気な内に帰ってあげるが何よりの親孝行、体を大切にせにゃあいけません。気持ちで欲しくなくても体は食べてほしいですから飲み込んででも召し上がって下さいな」

婆やの言葉に義周は、雑炊をふーふー吹きながらほとんど流し込んで行く。

――このやさしい婆やが付き人でなかったら体が持たなかったかもしれぬ――

と思いながら。

 ある寒い朝、いつもより早々とやって来た婆やは、冷たい手をこすっていたが、すぐに火鉢の火種を中央にきれいにならべると、包みから炭を取り出し、

「この寒さにお上のくださるだけの炭では体が凍えてしまいます。ですからうちから炭を持ってきました。

 私はなあ、山に雪が来ると我が子や夫が寒かろうって思うですよ。そう思ったところで死んでしまっている人にぬくさをあげられんことが切なくて、ですから山に眠る夫や子を暖めてやりたい分、若様に炭を運ぼうと決めたです。気にせんでください。藩がもっと炭をくださるまで、この婆が運んできますから。それに炭は若様の炭です。何でも山で炭を焼いているという例の浪人さんがやって来まして、若様が寒くないようにしてほしいと炭を一俵も置いていってくれたです。ですから炭はこの婆のものでなく若様のものですから」

――やはり、左右田か荒川が来ているのだろうか。慣れない炭焼きなどして……――

そう思うだけで義周の胸は熱くなる。

「婆やの親切は身にしみてありがたい。しかし、炭とてこの寒い国では貴重なのではないのか。家から炭など持って来ずとも良い。炭焼きがくれたというなら婆やが使えばいい。我は若い。寒さは平気だ。寒さより何より何もすることがないということの方が何ともつらい。

 俗に言うではないか。一日作さざれば一日食せずと。何もせずにこうして炬燵に入ってぬくもり二度も食事を食べていていいものかどうか」

「若様は何も悪いことせんのに流されて辛い目にあっていなさる。その立場に耐えることは立派に勤めを果たしていることですがな。ですからぬくもって食べて当たり前です。

 それというのも仏様が若様を大人物と見込んで苦難を知らせ、たくさんの人を救う人になるようにと今の立場をお与えになったではないですか。若様程の人は、忍んで耐えて人間がますます出来てご赦免の後には世のため、人のために生きられる人になるはずです。

 ここでのつらい毎日は人々のために生きることの準備に違いないですから」

義周は巷の人々の持つ深い人生の知恵や限りないやさしさに今さらのように教えられながら、

「ありがたい言葉ながら我が今の境遇にいつまで忍べるやら心もとなく……」

「いえ若様は大丈夫です。ご赦免の日まで耐えられます。耐えねばならぬのです。大丈夫ですとも。そうそう、どこぞの木こりが特に若様にと碁盤を作りまして、きれいな川原の石を拾い番所に持ってきたそうです。番所では諏訪の殿様に渡していいかどうかお訪ねしているとのことでございます。嬉しいではないですか。若様に碁盤を作って下さる人がこの諏訪にいるってことが……」

「そんな奇特な人は一体何者であろう」

「それは分かりません。しかし諏訪の殿様は優しい方ですからきっとお許しになりましょう。若様を大事にして差し上げたいと思っていられるのは殿様だそうですから。

 それにしても若様の着物の替えが欲しいとか、着ていられた着物を洗っていいかまで一々上の指示を仰がなくては何も出来んつうですから、侍ってのは不自由なものです。着物は汚れたら洗うのが当たり前、指図を受けるほどのことではないはずです」

と笑って、

「では、今日はこれで、また明日参ります」

と帰って行き、本丸との境の橋を守っている番役人に、

「この寒さで大切な幕府からのお預かりの若様が凍え死んでもしたら一番お近くにいらしたお役人さんたちが無事ではすまないです。

 一日も早くしかるべきところに申し上げて十分な薪や綿入れの類を南の丸の囲み屋敷に運ぶようにして下さいませんか。といいますのはね。昨日私が近くの御店に醤油を買いに行ったです。そしたらそこで山師らしい人が吉良様を凍え死になどさせたら幕府からどんなお咎めがあるかわからん。最悪の場合には諏訪家がお取りつぶしになるってこともあるなんて言っていたですよ。

 まあそんなことは万が一にもないでしょうけど、世の中には吉良の若様のことを心配してる人もいるってことではないですか。幕府の上のお人の中にもそんな人が一人や二人はいるかも知れません。何かあってからでは間に合いません。では部屋が寒過ぎるってこと確かに私はお役人様に申し上げましたから」

と言ってる声が義周に聞こえて来る。

――やさしさとは強さなのだ。やさしい者だけが権力を恐れない――

と義周は思う。

――幕府のこたびの処置には何のやさしさもなかった。ということは権力者とは形を変えた弱者ということか。手にした権力を保持したいばかりに弱者になり果て、弱者故に多くの人々の幸せな生活を奪ってしまう……――

義周は権力者である幕府に何一つ逆らえぬ立場に追いやられている自分がもどかしい。赤穂浪士のように幕府のやり方に集団で否を唱えられたなら例え殺されても本望であったに違いない、と自分を追いつめた浪士たちさえあおぎ見る。

 ある日婆やが部屋に入るなり、

「若様、山がきれいに見えております。ぜひ御覧ください」

といつになく義周をせかしたが義周は婆やの声を背で聞いて、

「今、歌を書こうと思い立ったところ故、後ほど……」

「若様、山は天気が変わりやすく雲が出ればすぐ見えなくなってしまいます。今なら雲一つなく山が全部見えます」

と義周の手を引かんばかり……。 義周は静かに筆を置くと、立ち上がって庭下駄を履き、一、二歩前に出て大きく伸びをし、まず山の大景に目をやった。

 婆やの言うとおり雲一つなく澄みわたった空にくっきりと連山の峰はみ仏の具現のように静まっている。

義周は山の姿に心奪われていたが、ふと白いものの動くのに気付いた。諏訪神社の上社の森近くのやや高い場所で誰かが大きく白い布を振っているのだ。

 一見して、背格好が荒川由定に似ているが炭俵を背負ったまま誰かに合図を送っているようす。

――この世にそっくりな人が三人居ると聞いていたがあの男、荒川によく似ている。そう言えば、松坂町のみんなはどうしたのだろう。邸が没収された以上散り散りになり、みんなどんなに苦労していることか――

と思っている間も、炭俵を背負った男がしきりに何かを指さしている。

――我に見ろと言ってるような――

誘い込まれて男の指さす方を見ると、江戸の屋敷からも見えていた端正な富士が、山と山の程よい合間に、青空をさえぎり、光を含んでくっきりと濃紺の姿を見せているではないか。

 それは涙ぐまずにいられないほどの懐かしさであり、荘厳さであった。

――諏訪から富士が見える……――

義周は全身が震えるほど感動し、富士に見入っていたが、ふと気付いて炭俵の男に大きく両手で富士の形を作って見せた。と、その男もすぐに富士の形を作って答えた。

 嬉しかった。荒川に似た男が、義周に確かに富士の姿の見えることを知らせてくれたのだ。

――何かほかに手まねで話せないか。しかし寒いところにいつまでも相手を立たせておくわけにもいかぬ――

義周は改めて大きく手を振ると炭俵の男も手を振る。その時、

「向こうで手を振っているあの男は何者だ」

と、番所の武士の声がした。

「怪しげな、捕らえてこい」

二、三人が駆け出したらしい。

義周は思わず、行け、行け、というつもりで合図を送った。

 炭俵の男は気付いてか、すぐに見えなくなり、ほっとして部屋に戻った義周は目を閉じ、たった今富士の在りかを教えてくれた荒川に似た男のほっそりと高い姿を目に浮かべた。

――荒川が来ているのだろうか。いつか甲州の台が原で聞いた声は幻聴でなく荒川だったのだろうか――

 役人はまだ帰ってこない。もし帰ればあの炭俵を背負った不思議な男が捕らえられたのか、捕らえられたのなら何者か伝わってくるはず……。

 しかし、いくら待っても何の気配もない。

――荒川に似た男は捕らえられなかったらしい――

 それからというもの朝に夕に義周は庭に出ては森山と唐沢山と婆やから聞いた二つの山の間に見える富士を眺めながら、荒川に似た男を待ったが、いつぞや富士を教えてくれたのは夢の中のできごとだったかと思うほど二度とその男を見ることが出来ないまま月日は流れて行った。

――単に山男が荒川に似て居ただけのことに違いない。山男がたまたま義周を見かけて富士が見えると教える気になっのだ――

そんなことを考えながら富士を見ると必ず江戸にいる父や母の幻が浮かんでくる。

  出会い

 その日、千野が仲間と久しぶりにそば屋に入ると、続いてすぐ後からふらりと入ってきた男が背中の荷物を置き、

「失礼しますよ」

と相席になって座った。そして親しげな話ぶりで、

「ぶしつけですが諏訪藩の方とお見受け致しますが」

と声をかけた。

「さようですがお主は」

「私は伊勢神宮の神官でわずかばかり医薬にも通じておりますが今はご弊を売りさばいております。聞くところによりますとこの諏訪藩には吉良義周殿が流され南の丸に幽閉されたままで、誰一人見かけた者がないとのことですが江戸から流された吉良の若殿が、来る日も来る日も同じ屋敷内にいては気がめいってしまいましょう。それがもとで病になるやも知れませず、大切な幕府からの預かり人を早々に病にしては何かと面倒ではございませぬか」

「確かに……」

「長のお預けに致しましては厳し過ぎないかとそう思ったまでのことですが」

「厳し過ぎるというよりは大切にしていると言ってほしいが……」

と千野。

「例え義周殿を諏訪湖畔に出しましてもどこからでも見えるのですからどのようにでも見張ることができましょう。諏訪湖畔に出してあげるくらいのことは出来るのではございませぬか」

それを聞いた千野は、

――なるほど、言われてみればその通り。この男は各地をあるいているとのこと。他藩ではそのように外に出すこともするのであろう――

と素直にその神官の言葉を聞き、千野は願い出て殿の許しを取った。

 義周はある日、役人から、

「今日未の刻限に半刻ほど諏訪湖のほとりに出てよろしい」

との許可が言い渡された。

 流人故とあきらめてはいても諏訪湖を眼前にしながらその岸に立てなかった義周は、岸まで出ていいと言われて喜色を浮かべた。

 義周に蓑が貸し与えられ痛いほど冷たい外に出ると、婆やが走ってきて自分の襟巻を差し出し、

「良いものではありませんけんどお使いください」

と義周の手に押しつけるようにして部屋に戻って行く。

 襟巻がぬくい。人のやさしさがぬくい。

 諏訪湖畔に出ると、三々五々諏訪湖に穴を開け釣りを楽しんでいる男の姿がある。氷上の魚釣りなどみたこともなかった義周はとある男に近付いて、

「何を釣っている」

と声をかけた。

「ハゼでござる」

風邪声ではあったが帰ってきた侍言葉に、

――侍か――

と、義周が目を凝らした時、

「村人と口をきいてはならぬ」

と、清水配下の役人が叫ぶように近付いた。義周は役人に言った。

「こんなに厚い氷の下で魚が生きて居るとは……」

「春になれば氷は解けます。魚たちはその日をじっと待っていると思われます」

先程の見幕と比べて、役人は意外にやさしく義周に答える。

――我の今は氷の下の魚に同じか。ただひたすら来たるべき春を待つしかない……――

義周は諏訪湖の光をいっぱいに受け、青く輝く空に流れる雲を見て大きく息を吐いた。

――空の青も、浮かぶ白い雲もその下の氷った湖も……何という美しさだ。この世のものはこんなにも美しいのに、なぜ人の世ばかりが悲しみに満ちているのか……――

 悲しみの多い人の世で氷湖の畔に立つ、そんな小さな幸せがかけがえのない確かな人生の喜びであると知らされる至福の時……。

釣りの男は義周をじっと見ていたが空を見上げている義周は気付かない。

 釣り人が何かを言おうとした時、突然吹きつけた冷たい風に花柄の襟巻をとられそうになって必死で押さえようとしている娘の姿が義周に見えた。

 娘は恥ずかしそうに襟巻をかけ直すと真っ直ぐに義周に近付き微笑んでいった。

「吉良の若様……」

そして深々とお辞儀をした。

  上野介贋者説

 妻の居ない千野は娘が出かけているときはそば屋に行く。千野がそば屋に入ると珍しく清水宗清が江戸から帰ってきたばかりの武士とひそひそと話している。たまたま上野介殿と聞こえたので引き込まれたように、千野は清水と背中合わせの席についた。二人の話は小声ながらつつぬけである。

「吉良上野介という殿様は討ち入りの日に討たれていず討たれて死んだのは贋物だというもっぱらの噂です」

「ほう。そのようなことがささやかれているとは驚きというしかないが……。上野介殿が贋物なら今もどこかに生きているはず」

と清水宗清。

千野は若殿が縫い合わされた遺体に殿がこよなく気にいっていた着物を着せたと話した時のことを思い出しながら耳を澄ませた。

「幕府の斡旋で、東叡山や日光山、比叡山延暦寺などを所管している上野輪王寺法親王の側役として、人目にふれることなく仏門に入っているという噂でござる」

千野はあまりのことに馬鹿馬鹿しいというよりおかしくなったが、宗清は大まじめに、

「上野介贋物説とは面白い。しかしちょっと考えればすぐに眉唾物だとわかるはず。吉良家への厳しい世評が高まった時、態度をひるがえして吉良つぶしにかかったのは他ならぬ幕府であった。

 その幕府が上野介殿の隠れ家を斡旋するはずがない。吉良家嫡流の断絶を幕府が図ったことは、流さずにいられたはずの若殿をこの諏訪に流したことではっきりしている。

評判の悪い吉良上野介殿を助けては、幕府批判が高まって、窮地に落ちる可能性がある。そんな計算に合わないことを幕府がするはずはござらぬ」

冷静な清水宗清に武士は答えて、

「たしかに、幕府が損なことに手を出すことなぞありませぬ。人間としてやるべきことであっても損なことは立場上行えないのが幕府……。とにかく上野介殿が贋物ということはござりませぬ。吉良邸の庭に残されていた上野介殿のご遺骸を上野介殿を見たことのある目付の何人もが見ていますので……」

「その通り。第一、御殿医栗崎道有は刃傷事件以来上野介殿についていた医師、その医師が泉岳寺の内匠頭の墓前に置かれた首と本所の邸に残されていた胴とを縫い合わせたというのだから贋物ならすぐにわかったはず。栗崎道有殿お一人でなく弟子の医師二人も常に同道していたということでごまかせるはずがない」

宗清は酒を飲んでいるらしい口ぶりで続けた。

「しかし上野介殿贋物説は話としては面白い。まず高家筆頭の吉良家に隠し部屋のひとつもないのはおかしいとか、上杉綱憲様が討ち入りと聞いて駆けつけようとした時、お家大事と色部又四郎殿が必死で止めているうちに上野介殿は抜け穴から脱出し御無事との報が届いたために駆けつけなかったとか、高家筆頭の方が炭小屋に隠れるのは合点がゆかぬ……とか」

「言われてみればその通りです。世の中の人はよくいろいろと詮索し想像で無責任にものを言うようです」

「無責任とは限りなく楽しいものよ……。上野介殿贋物説は家来を殺しても自分は生きのびようとした卑怯者よと噂したい者が考え出し、せっかくの大事件ゆえ面白がろうとしたものであろう」

「多分そうでありましょう。実際には上野介殿はたいした人物だったとのことです。常に生も死も一如と死ぬ覚悟をされ、赤穂浪士の面目を保つためにその討ち入りを待って暮らしていたと、千野氏が義周殿から直接聞かれたとか……」

千野は己の名が出てあわててそばを飲み込んだ。が、千野に気付かず、

「上野介殿がなぜ炭小屋にいられたのか我にはいまだ分からぬが……」

「ご家来衆が殿さえご無事ならお家は存続すると考え、上野介殿を気絶させて、赤穂武士の思いもしない炭小屋に運んだところ、討ち入り途中で気がつかれた上野介殿が声を出され結局討たれてしまったと言うことのようですが」

「なるほど、それならわかる……」

と言いつつ立ち上がり、卓上に銭を置くと、

「馳走になった」

と二人はそば屋を出て行った。

  遅い春

 台所の裏手に薪を運んでいる村人がいる。朝から何度か行ったり来たりして背負い子で運んできた薪を壁に添って並べている様子。

 村人は時折、南の丸の屋敷の中をそれとなくのぞき込んでいる。が、積み終るとすぐに橋を渡り、番所の前を通って帰って行く。

「あとどの位だ」

番所の役人の声。

「はい、もう一度運べば終わります」

「たいへんですなあ」

「いや、仕事ですから」

その話し声を聞いて義周は礼を言わなくてはならぬと席を立ち、庭下駄を履いて台所裏へ回った。

――何ときれいに積み上げたことか――

村人は相当に几帳面であるらしい。すぱっと切ったように薪がそろっている。感心して眺めていると村人がやって来て、義周に近付き、低い声で、

「若殿」

と呼ぶ。

 義周は耳を疑いながら村人を見ると、低いながらはっきりと、

「若殿」

と再び呼びかけ、顔全体になつかしげな笑みを浮かべる。

「若殿、お久しぶりです」

「……」

見たことがあるようにも思うが、一向に覚えがない。若殿と呼びかけたということは吉良と関わりのある者か……。

「お騒がせ致しまして」

男は、役人に聞こえるような大きな声で言ってから目で義周を呼ぶ。

 義周が村人に近付くと、仕事の手を休めずに、

「若殿、お久しぶりです。やっとお目にかかれました」

「その方は一体……」

誰かと言わずに顔を見る。確かに見たことのある……。

「殿、学問所でのことをお忘れでございますか。佐助が親から預かった金が無くなったと言い出して、部屋に一人でいたこの康則が盗ったとみんなが攻めた時、殿は康則は盗ってない。この澄んだ目を見れば分かると言って下さったことがありました」

「すっかり忘れていたが確かにそんなことがあった。あの時は佐助の勘違いで親から金は預かってなかったと後で分かったが」

「あの時、この殿に必ず恩返しをしようと子供心に決めていたのです。ただあの後すぐに三河に移りまして、わずか三年ほどで父が逝き、後を追うように母も逝ってしまいました……。

 その上お家も断絶となり、浪々の身となった上は若殿のお世話をさせて頂こうと思い決めこうして諏訪にやって参りました」

義周は胸が痛くなった。親しい人、自分に好意を持っていてくれる人に逢える何というあたたかさ。

「かたじけない。このような遠国までたった一人でよくぞ……。先程康則と言ったが……」

「山本康則と申します。学問所でも足軽の身、若殿とはほとんど話したこともありませんでした上に三河に移ってしまいましたから覚えておられないとは存じますが」

「今はどこに……」

「炭を焼いたり運び屋をしたり、何でも頼まれたことをして過ごしております。若殿、何かご不自由なことがおありでしたら何なりとお申し付け下さい。もうすぐ諏訪にも遅い春がやって来ます」

「春が来る……か」

義周は春が来るということを忘れていた自分に気がついた。失意の中で緊張しきり時の移りに心をやるゆとりを失っていた……。

「若殿にお目にかかれたらあれも話そうこれも話そうと思っておりましたが、いざこうしてお逢いできますと何も浮かんで参りません。残念です。しかしもうお暇いたします。番所の役人が不審に思うといけませぬので。お寒うございますれば若殿はお部屋にお帰りください。あっ、そうそう。この康則はここに来る婆やの近くに住まいしております。若殿にはお目にかかれませぬがご様子は時折聞いております」

「それはかたじけない。その方も体に気をつけて、また機会があったら訪ねてくれぬか」

「はい。また、きっと参ります」

康則は笑みを浮かべ、

「お騒がせ致しました」

最後の薪を並べ終ると大きな声で言い、

「かたじけない。おかげで寒さがしのげる」

と言う義周に康則は近付いて声を低め、

「若殿、法華寺の僧はできた方とのこと。お話相手を願ってはいかがでしょう。いつもお一人ではお寂しいと存じますし……」

と口早に言うと、

「失礼致します」

と帰って行く。

 本所の吉良の屋敷を知る者に始めて会った義周はもっと康則にいてもらいたかった。何という懐かしさを残して康則は帰っていったことか。

――村人が来ていることを知っていたのだからもっと早く出て行けば良かった――

義周は何度もそう思って悔いたが……。

 康則の勧めもあり、義周が僧侶の話を聞きたいと千野に申し出ると千野は大きくうなずき、おだやかに、

 「拙者も若殿のお話し相手にお進めしようかと存じていた所でございました。

 多分許されるとは存じますが何事も一存ですることを禁じられておりますので、さっそくお願いしてみようと存じます……」

と言ってくれたが何日待っても何の音沙汰もない。多分その話は許されなかったのだろうとあきらめていると、千野が、

「蕗の薹を煮たので少しですが、これが結構うまくて、いや親ばかでしてな、娘が煮たものですが……」

と言って入ってくるなり義周の前に芳しい蕗の薹と竹箸を包みから取り出して義周に進める。一口食べて義周は、

「わずかに苦みがある。それが何とも言えぬ甘さ、春の味覚ですね」

「お気にいりましたようで、またいずれお持ち致しましょう」

千野は顔をほころばせながら、

 「ところで先日の話でございますが、住職の中には流人と関わりたくないという保身の者もおりまして人選故に遅くなり、申し訳ございませぬ。しかし、殿に最もふさわしい方が来てくださることになりまして……。

 初めから法華寺さんにお願いすれば良かったのでございますが……。大寺院ゆえ遠慮致しまして。ところが思いきってお願いしてみますとご住職がすぐご承知下さり、出来るだけ早くお訪ねさせて頂きたいとのことにございます。殿からも面会の許可をいただけましたので遠からず法華寺のご住職が訪ねて来られると存じます」

「法華寺のご住職……」

「法華寺は臨済宗の大寺院で諏訪神社上社の別当寺です。このあたりきっての古刹でして、そこの十一世春巌和尚がいつなりとここをお訪ねくださるとのことです」

「ご配慮かたじけなく存じます」

 多忙の千野はすぐに帰っていった。千野が帰ると急に屋敷はひっそりし、ほの青い暮色が下りてくる。その沈んだ光に浮かぶ庭石の上を何を間違えて今ごろ出てきたのか弱々しく虫が這う……。

 旬日ほどたって案内を乞う声がした。義周が出て行くと、

「これは初めて御意を得ます。法華寺の春巌にござります。今日は御挨拶代わりに、教典などお持ち致しました」

と紫の包みを差し出す。義周は喜んで春巌和尚を迎え入れた。

 義周より十才ほど年上であろうか。清楚な感じで底抜けに明るい。

 座布団が一枚しかないので自分の座っていたものを裏返し和尚に進めると、

「やあ恐縮ですなあ。ありがたく」

と、座り込み、

「若殿には、これまでに仏の教えに触れたことがおありですか」  

と座るなり真正面から聞く。歯にものを着せぬ人らしい。

「特別には……。ただ吉良家の旦那寺は曹洞宗で日常何事も修行の場と心得よと教えられておりました。また三河出身のこととて何かにつけて念仏の教えを耳に致しておりました。念仏に生きるとは今を大切にし、あるがままを素直に受け取り、人力でならぬことはみ仏に任せ、出来ることは全力を尽くし、常に正しく生きることであるなどと……」

「それは良い環境に恵まれていられお幸せですな。仏の教えと大げさにいいましてもどうってことはない。日常茶飯事すべてのことでして……」

「といわれますと……」

「春巌はこのように考えております。この世のものは移り変る。諸行無常はすべてのものに行きわたる絶対の真……」

「人は死に。花は散る」

「さよう。刻々に世の中は変化する。人の成長も財をなすも失うもすべてこれ無常、人は無常の事実に立って生きているもの……」

「無常の事実に立つ……のでございますか」

「若殿の流罪も生活の変化ゆえ無常の事実の現れでございましょう。人はこの無常の事実が気に入るの入らぬのと注文をつけることはできませぬ。ただ事実を素直に受け止めて善処してゆくしかない」

「常に善処するそんな心を持って生きることが弱い人間にできましょうか。この義周は流罪にされて世を恨み人を恨みたくなっております」

「当然です。しかしその恨みの思いさえ永続は致しませぬ。すべて移ろうもの……」

その時小僧が春巖和尚を呼びに来た。

「今日はお顔を拝見しに参りましたまで。……、次にはゆるりと楽しい話でも……。そうそう若殿は茶をたしなまれますとか。粗末なものではありますが茶道具一式すぐに寺の者に届けさせましょう」

「かたじけのうござります」

「また折を見てお訪ね致しましょう。では今日はご挨拶のみにて失礼致します」

と、早々に座を立つ。春巖和尚は大寺院の高僧、一時のひまもないらしい。

諏訪忠虎の訪問

 義周は諏訪に流されてからというもの鳥の声で目覚め、寺の鐘で時刻を知り、日が沈むと横になる。そんな素朴な生活をしているうちに次第に幕府のありよう許せじとかたくなに張りつめていた心が和らいでいった。

 山本康則に会えたことが人の心のぬくみを思い出させたのかもしれない。

 草が萌え出し春が忍び寄ったある雨の日であった。雨が心をやさしくするのか、義周は今までこんなにも雨の降る様に心奪われ、雨降る音の美しさに感動したことはなかった。

――流人の生活も楽しんでしまえればいいもの――

と思っていると ものを打ちつけているような低い音、雨音かと耳をそばだてるとやはりものを打ち続ける音。と、

「何の音だ……」

音に気付いた番所の役人が庭に入ってきてあたりを見回していたが、

「あっ、塀の外だ」

と、叫んで出ていった。がそれきり静かになった。役人が大回りして沼を見に行った時には音をさせていた者はすでに姿を消していたらしく大分たってから役人が再び庭に来て不審そうにあちこち眺め回し、音のしていたあたりの塀を一枚一枚たたいてみて、

「単なるいたずらか。人騒がせな」

とつぶやいて出ていった。

 その日、午後遅くなって雨が上がった。義周は庭に出てふと思い出し、

――確かこのあたりで音がしたが――

と近付いて、思わず、

「あっ」

と小さく声を立てた。昨日まではなかった小さな穴が塀に開けられているのだ。そこに顔を近づけると何と薄明に光るこの世のものとも思えないほど美しい諏訪湖が見えるではないか。

――康則が開けてくれたのだろうか――

義周の胸が熱くなる。危険を侵してまで義周のつれづれを慰めようと、二重にめぐらされている塀に穴を開けようと用意万端整えて雨の日を待っていた者……。

 小さな穴から見える諏訪湖は凍りついて、生きることの容易でないことを示している。

 あの氷の下で動きをやめ、光がふんだんに降り注ぐ輝かしい春の訪れを待っていた魚たちは春の訪れを喜んでいるのであろう。

――しかし春が来ても我は依然として氷下の魚である――

と義周は改めて思い、広らなる大空を見る。

ゆったりと気持ち良げに流れる雲は義周に無心になって生きよ、 己を空しゅうせよ……とささやくような。

――人生に注文をつけるな、といつぞや殿が言われたが。名誉も地位も財も要らぬ。ただあの雲が大空を流れるように囲われの身を解かれ、大地に立ち、自分の進みたい方角に疲れ切るまで、歩いてみたい――

 その日、春巌和尚が姿を見せ、義周の立てる茶を楽しみ

「蜂が飛ぶのをやめた時はどんなに天気が良くても遠からず嵐がやってくるものです」

など昆虫と天気の関わりのこと、古典のことなど話題が豊富で何かと楽しげに話して帰って行った。それは義周が想像もしなかった充実したひと時であった。

 正月には婆やが切り餅を持ってきてくれ火鉢で焼き、寂しいながら新年を祝い、義周は若水を組んで墨をすり、名号を書いて粗末な仏壇をせめて新しくし、事件で亡くなった祖父上野介を初め家臣の誰彼の菩提を弔うため般若心経を読む。

 こうして月日は何事もなく流れて行く。

 ある日、義周が庭に立って大空を流れる雲の自由さをまぶしく眺めていると、

「若様、まだ外は寒うございます」

婆やが錦の座布団を部屋に運び込んで、義周に声をかけた。ぼんやり空を見ていてすぐには婆やに気付かなかったがいつの間にか台所にも誰かが陶器を運び込んでいるらしい。

義周は婆やが置いた座布団に目を止め、

「ほう、立派なもの……」

「はい。ただ運べと番所のお侍さんに言われたです」

婆やは不審顔をし、

「若様、何だか今日は騒がしいです。やはり何があるのか聞いて参りましょう」

と腰を浮かした婆やに笑みかけながら、義周は、

――いよいよ死を賜るか。捕らわれの身、なるようになるだけのこと――

と不思議に心は静かである。

千野がやって来て、

「若殿実は……」

と話しかけた時、

「千野殿、千野殿」

と呼ばれ急いで出ていった。

――やはり死か、それにしては千野殿に弾むような明るさがあったが……――

と思う間もなく千野はすぐに戻ってきて、

「実は殿がお越しになられます」

「諏訪忠虎殿が……」

「お忍びにございます。雨も上がったゆえ義周殿に逢いに行くとの急な仰せで急ぎ用意致しております」

間もなく見慣れぬ上品な初老の武士が玄関に立って、

「殿のお成りにございます」

と告げる。

「はっ」

忠虎のお成りと聞いて義周はすぐに立って狭い入口に平伏した。すぐに忠虎は柔和な笑顔でもの珍し気に囲み部屋を眺めていたが、両手を突く義周に、

「ご挨拶いたみいります」

と丁寧に挨拶し部屋に上がった。

 前もって錦の座布団が形ばかりの小さな床の前に置かれ火鉢が置かれている。義周は上座に忠虎を迎え、

「ご多忙にも関わりませずお見舞いただきまして恐悦に存じます」

と挨拶する。義周の品のいい端正な相貌を見て忠虎は、

「今日は忍び。着流しでござるゆえお気を楽にして頂きたい」

と声をかけながら、

――あたらりっぱな若者をこのような所に幽閉し、惜しいことだ――

としみじみ思う。

 義周は春巌和尚から送られた茶道具で茶を立て忠虎に勧めながら、

「無調法ではございますが一献どうぞ」

「かたじけない。では……」

忠虎が作法通り茶を喫すのに目をとめながら義周は、

「諏訪家は全国でも珍しい由緒正しい旧家とお聞き致しております。お目にかかれうれしく存じます」

「確かに相当古くからこの地に住んでいたと聞いております」

「かって甲州の武田信玄公と諏訪頼重殿とが戦いました折に頼重殿の流れは滅んだと書物で読んだ記憶がござりますが……」

「さすが吉良殿は学がおありですな。確かに諏訪の正統は諏訪頼重が武田信玄に殺されて滅んだのでございますが、頼重の叔父の子、頼忠の時に旧領を保証され、そのまま続いております。この忠虎は頼忠から数えて四代目に当たり、今では三万石を拝領しております。

諏訪家が由緒正しいというなら、吉良家も由緒正しいお家柄、もし、刃傷事件が無ければ江戸城内ではこの諏訪のような小藩の予はとてもお目にもかかれなかったはず、高家筆頭となれば飛ぶ鳥を落とす勢いでござれば」

「とはいえ、諏訪氏の古さの比ではありませぬ」

「聞くところによりますと、何の落ち度もない吉良義周殿お気の毒と江戸城内にささやく声がありますとか」

「そのような……」

「大きな声では言えませぬが赤穂殿の裁きの場を設けず即日切腹させることで事件の背後に幕府有りとの事実を闇から闇に葬ったという人もおります」

「……」

義周は忠虎の余りにはっきりした物言いに驚きながら深い親しみを感じた。

「吉良家お取りつぶしは徳川家の発祥について吉良家は余りにもその詳細を知ってしまっていたためとの説もささやかれておりまして。征夷大将軍になるためには源氏でなければならず、家康公には正統な源氏である吉良家の一族ということにして将軍になれたのですから当初はありがたかったのでしょうが、今ではそのことがかえって重荷になったと聞いております」

「……」

「その噂が正しければ吉良家断絶は幕府の予定に入っていたのかも知れませぬ。しかし事実は見えても真実は見えぬが世のありようでして……。もう一献所望してもよろしゅうございますか」

「ご所望かたじけのうございます」

心を込めて茶をたてる義周に幽寂な時が流れる。

「頂戴いたします」

と忠虎。そして、

「いや結構なお点前でした」

と満足気に茶わんを置き、

「気になっておりましたがお目にかかれ心が晴れました。何かご不自由なことがありましたら何なりと千野にお申し付け下され。千野は心がけの正しい武士にござる」

「良い方にお世話頂きかたじけなく存じます」

その時、薄紅色の着物を着た娘が酒の用意をして入ってきた。

「ここで、義周殿と酒を酌み交わしたいと思い酒の用意をさせました。諏訪は酒所にござりますれば……」

「かたじけのうござります。無調法ながら遠慮なくいただきます」

「さあどうぞ。諏訪の名酒をお飲みくだされ。ところでこの娘は義周殿をお迎えに参上致しました千野兵部の娘、春美という者。義周殿がこの諏訪に着かれ諏訪湖畔を眺めておりました時に見染めて以来忘れられぬそうな……」

義周ははじめてその娘の顔を見た。たしかに諏訪湖に着いた時に会った女性であり、初めて諏訪湖の氷上に立った時、花柄の襟巻をしていた女性である……。

「殿様、ご冗談が過ぎましょう。お見染めしたなどと……。ただ遠くからお姿を拝見したのみにございます」  

「しかし、城に着いたらすぐ医者が手当てするか聞いたそうではないか」

「長の旅でお疲れと思いましたのでそうお尋ねしたまでのこと、諏訪の殿様は少々軽口をたたかれ過ぎます」

 春美は可笑しそうに笑いながら義周に酒を注ぐ。義周は今まで見たこともないほど大胆にものを言い、それでいてどこか可愛げな娘にどぎまぎしたが春美は、

「これにて失礼致します」

と両手をつき、早々に帰ってしまった。それが義周になにかもの足りない。

 千野の娘が自分を見染めたという忠虎の話は冗談と知っていても義周は嬉しい。

「ところで義周殿には草花は何がお好きでございますか」

と忠虎。

「何もかも草花は好きです。しかし捕らわれの身となりました今は大きな花よりなぜか小さな菫の可憐さのようなものに心が引かれる気がいたします」

「なるほど、義周殿はやさしい御心をお持ちでござりますな。上野介殿も善政を布き、産業を興し、家臣や領地内の人々に慕われていたとお聞き致しております。では今日お訪ね致しました記念にこの囲み屋敷の庭をせめて菫で埋めて進ぜましょう。

 夏になりましたらご一緒に諏訪湖での船遊びなど致しとうございます。では名酒を置いておきますゆえ、寒さの厳しい折におたしなみくだされ」

忠虎は真に心優しい藩主で、

――大切な幕府の預かり人、この目で確かめておかねば――

と言って忍んできたのは表面上のこと、実は義周を慰めようとしたのである。

 忠虎を送りに出た義周の目に幾層にも重なった周囲の山々の頂上からふんだんな光が天空に吸い込まれて行く神々しいほどの景が見える。

 何という豊かな光の量。

 こうして天空に吸われた光が遠からず春となって空から降りて来るのに違いない。そんな気がする。春が来る……のだ。

  恩は石に刻め

「待てっ」

背の高い浪人が大工道具を担いでいる職人を呼び止めた。

「その方が南の丸の塀に細工しているのを確かに見た。その方は何者か」

「お侍さん。間違いではありませんか。南の丸なんて近付いたこともありません」

振り返った職人は年の頃二十二・三、丸顔で細く目がやや下がっている。

「その方、吉良家と関わりのある者か。さもなくばなぜあの時、番所の役人に追われたのだ」

「冗談おっしゃっては困ります。番所の役人に追われたのなんのって、全くのお人違いです」

「実はあの時、その方を助けようと思ったのだが巧みに身を隠したので安心した。あの時その方、他人の家に『おい、今帰ったぜ』と入っていったのはすごい。家の者が驚いているうちに役人は通り過ぎ、その方は裏手からドロンを決めた」

「そこまで見ていなさったでは仕方がない。はい。その通りです。しかし、お侍さん方こそ何者で。まあいい。先にこちらが名乗るのが礼儀。俺は流れの職人で六でなしの六という者。親父も、お袋も知らぬ天下の捨て子。だから俺は世の中から捨てられた吉良の若殿って人を見たくてちょっと小細工して小さな穴を開けて覗いただけですよ。番所の役人だって決して気付かない穴を……」

「まあ立ち話もいいが、そこのそば屋に入らぬか。信濃のそばは格別だ」

二人は連れ立ってそば屋に入った。食事時ではなかったので客は一人もいない。

「ちょっと話がある。四半時もしたら盛りそばを二枚運んでくれ」

「はいよ」

そば屋は心得て奥へ引っ込む。浪人は職人と向かい合って座り、

「ところで先程の塀の穴だが、その方がいや、六でいいのかな。六が覗くためといっていたがあれ以来塀に近付いておらぬではないか」

「これは驚いた。この俺を毎日見張っていたような。確かに近付いてない。役人が目を光らせていて危ないのだ」

「しかし塀は南の丸を完全に囲んで四方に作られているが、なぜあの方角に穴を開けたのだ。あの方角は沼がやや深いはずだが……」

「お侍さんは江戸の人だな」

「……なぜわかる」

「話し方でさあ。江戸で吉良様と関わりがあるって言うとまず吉良様の手の者か上杉様か」       

「吉良家にかかわる者とだけでいいかのう。とにかくその方は若殿のお味方。何故かわからぬが若殿を慰めようと諏訪湖の見える方角に穴を開けた、そうであろうが」

「そこまでわかってらしたら聞かずとも……。俺はね。富岡八幡宮に捨てられていたのを大工の山藤のとっさんに拾われて育てられた親なし子さ。とっさんは口は悪いがやさしい人で俺に大工仕事を仕込んでくれた。そうさ、四年前になるかなあ、とっさんと一緒に下谷に仕事にいった帰りだった。三つくらいの子がふかし芋を持って歩いていると野良犬がその子をねらって飛びかかり、その子を道に押し倒した。

 そうと気づいた俺は夢中で棒を振り回して犬を追ったが甘やかされている犬は人間様を馬鹿にして逃げようとしない。で、俺は仕方なく犬をぶった。すると犬の奴、キャンキャンとわざわざでっかい声で悲鳴を上げたから、すぐに役人が飛んできて棒を持っていた俺を捕らえようとした。そこへたまたま通りかかった吉良の殿様が、

『なぜ捕らえる』

と、役人に声をかけると役人が、

『いや、この男が棒を持っているし犬がキャンキャン鳴いていたのでお犬様をぶったに違いないと存じまして』

『その方、ぶったのを見たのか』

『いえ、見てません』

『見もしないでいたずらに罪人を作るでない。この者は犬を追い払おうとはしたが犬をぶってはおらぬ。犬が逃げようとして慌てて塀にぶつかったまでのこと。予がたしかに見ていた』

と言ってくれて役人に、

『生類憐れみの令はお犬様ばかりでなく人にも及ぶ法であることを忘れるでない』

と諭されて俺を救ってくれたです。命の恩人である吉良の殿様にとっさんは心から感謝してましたけれど、昨年おっ死んでしまいました。

 ところでこの度は命の恩人吉良様の一大事、とっさんが生きていたらどうしただろうと考えまして、結局渡り職人になって、こうして諏訪まで流れてきたのです。

 吉良の若様が諏訪にいられるかぎり、俺は諏訪にいると決めてます。どうせ独りぽっち。一人に耐えてる若様のお近くにいる方が心がなごみます」

「なるほど、話はよくわかった。恨みは水に流せ、恩は石に刻めと言われることわざ通りに生きている六は見上げた人よのう」

「ほめられるほどのことでは……。で、お侍さんは、やはり吉良様の関わりの方……」

「荒川と申す。付け人を許されなかったが若殿の影になるべく左右田殿とひそかに二人でやって来た。これは秘密でござる」

「で、そのことを若殿はお知りになっていられるんで……」

「いや、若殿の世話係をされている千野殿はうすうす気がついた様子ながら何も言われはせぬ。いつぞやは我らが釣りをしていることに気付いて千野殿が若殿を連れ出してくれたが、幕府の目がどこに光っているやも知れず、結局若殿は我らに気付かれたかどうか分からぬまま帰られたが……。この諏訪の地に少なくとも若殿の味方が三人はいることを若殿がお気付きくださると良いが……。ただ我らが吉良家に関わる者とわかっては諏訪にいられなくなる。そこがむずかしい」

  囲み屋敷の菫

「ではまた夕方参ります」

朝食の片付けを終えると婆やが帰って行く。婆やが帰ってどの位たったのか義周はふと人の気配に庭を見ると囲み屋敷に菫を植えている者がいる。

 籠に一杯掘り採ってきた菫を狭庭に丁寧に一本ずつ植えている。

――忠虎殿が約束通り庭を菫で埋めてくださるのだ――

と喜ばしく思ってみていると、その動作はきびきびし、手ぬぐいをかぶっていてはっきりしないが若い娘らしい。

 義周の視線を感じたのか、娘が振り返った。とすぐに義周は言った。

「そなたは先日の千野殿の娘……」

「はい。春美にございます」

「なぜそのような仕事をそなたが……」

春美はおかしそうに声を立てて笑ってから、

「父がここに菫を植えるといっておりましたので、父に頼みまして私が植えさせて頂くことにしたのです。菫は丈夫ですから誰が植えても育ちますので父はしぶしぶ承知しましたけれど、フフフ。で、私、さっそく野へ行って菫を堀り、それをここに植えているのです。楽しゅうございます。若様は……私が来てうれしゅうございますか。それともご迷惑……」

「迷惑などと……」

「迷惑なことはございませんのね。では嬉しいのではございませんか。私はうれしゅうございます」

春美はちょっと首をかしげていたずらっぽく義周を見てほほえむと、すぐにしゃがみ込んで楽しげに菫を植える。

「菫を植えることはそんなに楽しいのか……」

義周は我ながら下手な聞き方と思いながら声をかけると、春美は菫を一本義周の前に差し出し、

「若様も植えて御覧なさいませ。ご自分の植えた菫が花をつける、と思っただけでも素敵ではございませんか。植えてごらんなさいませ」

その明るさに引き込まれるように義周が庭下駄を履き土にしゃがみこむと、

「だめだめ、若様、そんなひらひらした袂のままでお仕事など出来ませんわ」

と、体をちょっとひねってどこからかひもを一本取り出し、ちょっと小首を傾げて、

「これをたすきになさって下さいな」

と渡す。義周が困り果てていると、

「まあ、若様は本当に何にもお知りにならないのですね。たすきのかけ方も……」

「いや、たすきのかけ方は知っているがそなたの身につけていたものなので……」

「よろしいではございませんか。臨機応変と申しますわ」

――なるほど――

と義周がたすきをかけると、

「よくお似合いですわ」

と義周を見上げる。

「ではどうすればいいか教えてもらおう」

義周の言葉に、

「若様は先程から春美が菫を植えるのを御覧になっておりましたわ。どんな方でも手をこまねいて人の教えを待つなんてのんびりしておれませんのよ。やりたいことがあったら人のやることをよく見て覚えるのです。手に取って教えてもらおうとは甘えです。春美は若様にお教えいたしません」

義周にはそんな春美がまぶしい。

「ではすまぬが、もう一度植えて見せてくれぬか」

「一度で覚えて下さいね。そんなに難しいことでなし、それに人は常に頭を働かせぼんやりしていてはいけませんの」

その時老婆がやってきて、

「若様。菫ですか」

と声をかけながら春美に丁寧に挨拶すると、ずけずけとものを言っていた春美は丁寧に、

「毎日大変ですね。父が良い方が若様の世話してくれていると喜んでおりました」

と頭を下げる。

「それはまあ、ありがたいお言葉。お父上によろしくお伝えください。煮物を届けに参りましたのでこれで失礼致します。若様火鉢にかけておきますのでいつでもおめしあがりください」

と帰って行く老婆に向かい春美は深々と頭を下げる。それが義周に好ましい。

春美の植える手許に注意しながら義周は息苦しいほどの春美のなまめきに引きつけられ、

気付かれぬようそっと生つばを飲み込んでから、土を掘り菫を植えた。

 土の何という柔らかさ、ほのかな日のぬくみを潜めているその感触の何という心地良さ。

 春美は、義周が植えはじめると立ち上がって義周の手元を見ていたが、

「お上手ですわ。若様」

とほめる。義周は春美にほめられて嬉しい自分に驚いたが春美はかまわず、

「でもゆっくり植えて下さいね。菫がすぐ植え終わってしまってはこのお屋敷に来る口実がなくなってしまいますの。ゆっくり、ゆっくり」

とちょっといたずらっぽくウインクする。 それが限りなく愛らしい。

「ではゆっくり植えることにしよう。春美とやら。口は動かしても手を動かすな」

春美は笑いだしいつまでも笑っているので、つい義周も誘われて少し笑った。やっと笑いがおさまると春美は、

「母の口癖は手は動かしても口は動かすなだったそうですの。それを若様ったら……」

とまた笑いだし、

「まるで反対……」

といいながら涙を流して笑う。義周もさそわれて思わず笑っていた。

 義周は気付かなかったが何もかも忘れて笑ったのは、あのいまわしい刃傷事件があって以来はじめてであった。

 春美は、菫を植えようとしている義周に、

「若様、土の塊がありましたらほぐさなくてはなりませんの」

「ほぐす……ほぐすとは……」

「このように……」

春美は土の塊を両の手のひらで抑えるようにすると、小さな土の粒がリズミカルにほんのすこしずつ落ちて行く。

 そんな他愛ない話しを楽しみながら籠一杯の菫を植え終わるのにさして時間はかからなかった。

「楽しみは後に延ばせって言いますわ。また明日来ますから。とても楽しゅうございまし

た。若様は苦虫をかみつぶしたような方かと思っていましたら明るい方で安心しました」

「苦虫をかみつぶしたようだとはひどい」

「でも、そうですの。笑っては人間失格というようなまじめくさったじめじめしたご様子で、こんな甘えん坊、私、大嫌いって思ってましたの。悲しみや苦しみや不条理などを笑い飛ばすくらいの人生の勇者が春美は好きでございます」

「なるほど……」

「でも若様は御無理。お育ちが良過ぎますの。もっとどん底生活を知っていれば、ここの暮らしも悪くないと思えるはずですけれど」

「ここの生活が悪くない……」

「食べるもののない人もおりますし、吉良家がお取りつぶしになって路頭に迷っている方もいるのではございませんか。人を思い遣れば自分のいる場所に注文はつけられません」

――注文をつけない。なるほど、殿もそのようにいつか言われていた……――

「今後その方にいろいろ教えを乞わねばならぬ」

「お教えすることなぞありませんわ。だって若様は難しい本をたくさんお読みでしょう。ただ私が若様なら、ここに幽閉されてるのでなく出かけるのが嫌いだからここにいるのだと思うようにしますわ。そうすれば、惨めさが消えますもの」

「なるほど。春美は人生の知恵者……」

「まあ、お世辞のお上手な。でも……人ってどんな場合にも幸せに生きて自分をみじめにしてはいけないとお思いになりませんか・・。と、春美は偉そうに言って去る。今日は楽しゅうございました」

「おかげで楽しかった」

義周は初めて春美の目をまっすぐに見た。春美は男の目をそこに見、体中が熱くなるのを感じて一瞬動けなかった。しかしさりげなく、

「では明日、若様。お風邪など引かないで下さいね。またご一緒に菫を植えたいと思いますので……。そうそう。帰る前に手を洗わなくては」 

と庭の隅に引かれた小川のほとりに座り込み、手を洗いながら 義周を振り返り、

「若様もお洗い下さいな。その手ではお座敷に入れませんわ」

と誘う。義周は春美と並んでしゃがみこむ。命を蘇らせたかのように音を立てて流れる冷たい小川の水の何という気持良さ。

 洗い終った義周に春美は腰に下げていた真新しい手ぬぐいを差し出した。

「いや、いい。手ぬぐいが汚れてしまう。春美の拭くのがなくなろう」

「洗ったらすぐふきませんと、江戸のような温かなところと違って手が荒れてしまいますの」

春美は手ぬぐいを義周に渡すと、自分は頭にかぶっていた手ぬぐいを取って手を拭き、義周から返された手ぬぐいを大切そうに頬擦りして笑って見せ、

「ではまた、参ります」

とにっこりして籠を大きく振りながら二、三歩行って振り返り、小さく手をふって帰っていった。春美がいなくなるとあたりの空気が急に薄くなり、風景がぼやけてしまう。

  うぐいす

「若様、早く早く」

春美の声に義周は飛び出すように庭に出た。

「気の早い菫がもう陽だまりで蕾みをつけてますのよ。たった一本ですけど……」

小さな紫色の菫がたったひとつ、そっとあたりをうかがうように膨らんでいるのをさも大変な発見をしたかのように春美は指をさし、

「さあ植えましょうか」

と、持ってきた男物のたすきを義周に渡すと、自分は深紅のたすきをかけ、

「ここにいられるのはほんの一刻だけですの。後は家で手伝いがあるのです」

と言ってすぐに、

「しっ」

と制し、

「ウグイス」

とささやく。

 耳を澄ますと、確かに小鳥の声。春美はじっと小鳥の声に耳を傾けている。

 やがて風が一陣吹きつけたのを機に義周は、

「ウグイスはホーホケキョと鳴くと思っていたが、今のは本当に鶯ですか」

義周の言葉に春美は笑い出しやっと笑いをこらえながら、

「その年はじめて鳴くウグイスの声を初音といいますの。初音の頃のウグイスはとても鳴き方が下手ですけど、春がたけなわになったころは上手にホーホケキョと鳴きますの。その頃のウグイスは恋をしているのです」 

恋という言葉を羞らって春美はぽっと頬を染め土を掘りだした。義周はしばらく春美を見ていたが、その時、再び鶯が鳴いた。

「あっ。ウグイスの鳴き方が上手になった」

義周が言うと春美は、

「まあ、そんなにすぐには上手になりませんわ」

と立ち上がり、微笑みながら手のひらで額にかかった髪を撫で上げると、

「額に泥がついた」

と義周。

「まあ……」

春美はあわてて庭に流れている小川で手と顔を洗い、

「もう泥が取れましたか」

と水気をふくんだ顔を義周に向けた。

「うん。きれいだ」

と義周は口の中で言い、

「では我も菫を植えよう」

と菫を植えだした。二人は黙って菫を植えてゆく。

 春の浅い日差しが二人に降り注いでいる。

「あっ、鴨が帰ってゆきますわ」

春美が立ち上がって空を指差した。一群の鴨が次々と大空をかけて行く。

「鴨が帰るとは知らなかった。雁が帰るとは知っていたが」

「ええ雁も鶴も鴨も皆春が来ると北に帰ってゆきますの」

二人は黙って空を見上げ、鳥の姿を追っていたが、やがて、

「急ぎませんと私帰らなくてはなりませんの。またしばらくお目にかかれませんわ。何かの口実を見つけなければ」

しばらく来られないとの春美の言葉を声に出さず義周は口の中でくりかえしながら菫の苗を取ろうとするのと、春美がしゃがみ込むのと同時で二人の体がぶつかり、はじけるように春美が遠のいた。そして足元の菫を踏むまいとよろけてかえって義周に倒れかかった。義周が思わず春美を支えると春美の胸の柔らかな膨らみが義周の手に触れる。

義周は息苦しくなってすぐに春美を離すと春美は目に涙をためて義周を見るやそのまま走り去ってしまった。義周は春美の柔らかな感触にどぎまぎしながら残りの菫を植え終えた時、婆やが来た。

「まあ、菫を植えたのですか。咲くのが楽しみですね。片付けは私がしますので若様はもうお休みくださいな」

 次の日は雨。しとしとと降る春雨のほんのりかすむ見事さに今さらのように驚きながら義周は朝から春美の笑顔を幻に見、耳の底に残る笑い声を聞きながらぼんやりしていると、朝食の片づけを終えた婆やが、

「若様。座ってばかりいては体に毒です。雨でも少しは庭をお歩きなされませ」

そう言い残して帰って行った。誰もいないひっそりとした屋敷には耐えがたい寂しさがつのる……。

 ウグイスが鳴いた。

「春美、ウグイスが鳴いた」

義周は声に出して言ってみた。

 しかし答える人はなく、さみしさが深まるばかり……。

  雨

 毎日降り続く雨……。

 今朝も人の気配はしたがいつも通り婆やが来てくれたと思って義周は教典から目を離さない。

 が、いつもなら 「お早うさんです」とすぐ声がかかるのにいつまでも何も言わず、音も立てない老婆をいぶかって、義周が振り返ろうとした時、柔らかな手のひらでやさしく両眼を覆われた。

「誰だ」

その手を振り払おうとする義周の手を押さえて春美が声を立てて笑いだした。

「なんだ。春美か」

義周が振り返ると春美はすぐに手を離し、

「なんだ春美かって私ではがっかりなされた言われよう」

とまた笑う。

 義周は春美に逢えただけで心はずみ、この何日間かの憂さが嘘のように消えていた。

 春美は無邪気に前掛けをかけながら、

「驚いたでしょう。若様。婆やが風邪気味だって聞きましたので少し無理に休ませましたの。でもこれって気がきいてるでしょう。若様が春美を待ってるって分かってましたから……。それに父が『春美に代わってもらおうか』と言ってくれましたの。父は若様がお気に入りみたい」

「千野殿は正しくしかも人の心の読めるやさしく立派な武士と忠虎殿も言われていた……」

「まあ、父上だけですか」

「いや、もちろん春美もだ。毎日春美を待って、こんなに静かに降る春雨をもう少しで恨んでしまうところだった」

「春雨をご自分の都合で恨むなんてとんでもない我が儘ですわ。でもそうだろうと思って来てあげたんです。感謝してくださいね」

春美はいつものように明るい。

「もちろん感謝している」

「まあ若様の素直なこと。本当は私も若様にお逢いしたくて我慢できなかったのです。もう一日待たされたら、気が変になってしまいましたわ」

春美はそう言うと持ってきた野菜をリズミカルに刻み出した。

 義周は、諏訪へ流罪と言われた時、こんなに満ちた時間に恵まれるとは夢にも思っていなかった。

 しばらくして春美の差し出した湯気の上がっている雑炊は義周には本当においしかった。

――世の中にこれほどおいしい雑炊というものがあったのか――

と思うほど。義周は合掌して箸を置き、

「馳走になった。実に美味であった」

と春美のうるんだ目を見た。

春美は義周の目をまぶしそうに避けて、

「待ってて下さいね。大急ぎで片付けてしまいますから」

と、狭い台所に立って茶わんなど洗っている。

待っててくださいね、との春美の言葉を義周は意味深く聞いた。やがて濡れた手を拭き拭きもどった春美が、

「若様、菫が雨をよろこんでいますわ」

と言いながら戸をあけた。二人が植えた菫をよみがえらせるように雨がやさしく降り注ぐ。

「あっ、若様の植えられた菫がつぼみをつけていますわ」

「……」

義周が庭を覗き込もうと身を乗り出すと、春美は身を寄せて、

「あの庭石のはずれですわ」

と指をさす。春美の体温が義周に直接触れて義周は息苦しくなった。と、

「若様、分かりましたでしょ」

と春美が義周を見上げたそのあどけない唇に義周は自然に唇を触れていた。

 小さく口を開けたまま春美は喜びの涙を流す。

 義周は春美を抱きしめ自然にどちらからともなく激しい時間の中へ入って行った。春美はあえぎ、同時に果てた二人はいつまでも抱き合っていた。

激しく揺れる大海の底のような静けさに包まれた甘ずっぱい感触に似た深い憩いの中に二人はいた。

小鳥がすぐ近くで鳴いたのを機に春美はそっと義周から離れ、

「こうしてずっと若様のお世話をさせて頂きとうございます……」

とささやく。

 義周は答えずそっと春美のくちびるにくちびるを重ねた。そんな義周をやさしく離して身を起こした春美は、

「今日は役人の目がありますし、もう帰らなくてはなりません」

と乱れた髪や着物を直して義周を庭に向かせたまま汚れた布をたたんで抱きかかえると、

「もうようございます」

と義周に声をかけ部屋を出ようとした春美を義周は力一杯抱きしめて、

「明日も来てくれるね。待っている」

とささやく。春美は潤んだ目で義周を見上げてうなずき、身をひるがえすようにして、部屋を出た。

 その日は昨日までとうって変わって静かな雨さえ喜びを歌っているように義周には感じられ、何もかも輝やいて見えた。

 しかしその日から、どんなに待っても春美は姿を見せなかった。義周は何か物忘れしたようで落ち着かない。

 部屋の戸を開け、義周は雲の流れを見ていた。

 知る人さえないこの底抜けの寂しさに耐えることが生きることなのだろうか。

 雲はなぜそんなに悠然と大空を流れ、鳥はなぜ、楽しげにさえずるのだろうと思っていると……。

「若様、何をお考えですか」

と声をかけられ、はっと気付くといつの間にか春美が目の前に立っている。

「やあ、しばらく」

義周は春野を見ただけで全身に喜びがあふれてくるのを感じだ。

「忍んで参りましたの」

春野は笑いながら言ったが、緊張しているらしく肩で息をしている。

「どこから……」

「どこかのご浪人さんが若様にお会いしたいのではないかと話しかけてきまして、ええ、と答えましたら会わしてあげよう。役人の注意を引きつけておくからその隙に入れって言ってくれましたの。で、それでは帰れませんわって云いましたら、役人は夜は絶対に外に出ないし、今日は雨だから大丈夫だ。暗くなったら足音を忍ばせて帰ればいいって……」

「……」

「誰なのでしょう。あのご浪人。優しそうな人でしたけど……」

「分からぬ。しかし誰かこの義周を心配してくれている者がいるような……」

「吉良様のご家中でしょうか……。でもそんなことより若様は春美のことを考えていて下さったのですか」

そう言いながら春美は庭から部屋に直接入り、草履を庭石から取り裏にして障子の脇にそっと置いた。

「春美に忍ばせなくては逢えない不甲斐なさが情けないが……」

「いいえ、若様、面白いのです。いつでも大手を振って逢える仲より、大変ですけれど番所の役人さんがわあわあ云っておっとり刀で飛び出した隙にここに入り込むってとてつもなく面白いと思いますの」

「春美、ご赦免になった暁には晴れて共に江戸へ行こう」

「若様のいられるところでしたら江戸でありましょうと地獄の底でありましょうとどこへでもお供致します……」

「それは嬉しいが地獄は無理だ。我は門徒の教えも聞かされている故、念仏すれば必ず行く先は浄土と決められている。地獄へは残念ながら行けぬ」

「まあ、それでは浄土へご一緒致しますわ」

 そんな単純なことで二人は笑い声を忍ばせる。忍んで会いに来た女のいとしさに義周は我を忘れて春美を抱く……。二人は逢いさえすれば幸せではちきれるのだ。

「若様、また来ます。来られる時に必ず……」

暗くなると春美は上げておいた草履を手に取って庭からそっと出ていった。

 義周は庭に下り春美が無事に帰ったかどうかを伺ったが、番所の方からは何も聞こえない。春美は無事に帰ったらしい。

諏訪湖の風

春美は半月も尋ねて来ない

 二人で時間をかけて植えた菫が庭いっぱいに咲き出したのを春美と共に喜びたいと願いながら一人寂しく義周は菫を見て春美との時間を懐古し自分を満たすしかなかった。

 ある夕方、千野兵部がきて唐突に、

「若殿、ずっと諏訪湖畔に出ておりませんでしょう。今日は諏訪湖にご案内致します」

と言う。

――春美が来ているのだろうか。我を外に出すには許可が必要だったはず……――

淡い期待と感謝の思いをまぜこぜにして義周は千野の後ろにつき、囲み屋敷を出、城内を通り抜け、春の音を立て始めた諏訪湖畔に立った。

 一目で春美のいないことが分かり、もの足りないながら、しかし毎日塀の穴から覗き見ていた諏訪湖の雄大な景が息づいて眼前にある。幾層にも連なる山々は雲に溶け込み、湖の向こうに続く雑木林はどこまでも静かである。

諏訪湖の風に吹かれていると、炭俵を背負った山男が義周に近付いて来た。

――いつぞや、富士を教えてくれた男ではないか――

義周は親しみを感じて男の近付くのを待った。男は思っていたよりずっと背丈がありすらりと細めで綿帽子をかぶっている。

「炭焼がなりわいでござるか」

義周は親しげに男に声をかけたが男はただ軽くうなずいただけでたまたまそこを通ったと言わんばかりに通り過ぎて行く。

瞬間、義周を見た目のやさしい光りを不思議に思いながら義周がその後ろ姿を追っていると、千野が、

「釣れてるかも知れませぬ」

と義周を誘って岸辺に俵の蓋らしき藁細工を敷き腰を下ろしている釣り人に近付いた。気配で釣り人は顔を上げ義周を懐かし気に見上げた。

――左右田……――

しかし座り込んでいる上に箕笠を深々とかぶっているのでその顔立ちは分らない。

 義周が声をかけようとすると、

「若殿、こちらはかなり釣れております」

と千野に呼びかけられて、もう一人の釣り人に義周は近付かなければならなかった。

――左右田に似ていたが――

――荒川と左右田の二人がこの諏訪に来ているのだろうか……――

幾度か釣り人を振り返ってみたが釣り人は顔を上げない。

「北風がまともで春とはいえ水辺の風は冷たとうございます。諏訪湖畔に立つだけとのお許しですので」

千野はすまなさそうにそう言って南の丸に帰り、炬燵に義周が入ったことを確かめてすぐに気さくに湯を沸かし茶を入れて勧めながら、

「若殿、江戸からの知らせでは、やがて大赦が行われるとのことにございます。大赦があれば、赤穂四十七士の十五歳以上の子弟で大島へ遠流された吉田忠左衛門の次男伝内という若者を初め四人の者すべてが許されましょう。と同時に、若殿も許されるのではないかとのことにございます」

と話し出した。

「江戸ではそのようなことが話されている……・。しかし、……」

 義周はいつか諏訪忠虎の〝幕府は吉良をつぶしたいと考えている〟との言葉を思い出していた。

――亡き殿もそのように言われた。それが事実となってこうして流されている以上大赦があっても吉良家の再興はないと思わねば……――

「大赦が早く行われるとよろしいのですが」

「たとえ早く行われても吉良家の再興はないかも知れませぬ……」

義周の言葉に頷いて千野は、

「確かに幕府憎し、将軍憎しの思いを抱く人々に将軍の名代であった吉良殿を憎ませることで、その不満を解消させ、幕政批判を巧みにかわす、幕府の心臓部には恐ろしいほど鋭い頭脳の持ち主がいると思われます。何の罪もなく討ち入りと直接関わりのない若殿を流した幕府の真の狙いが吉良家断絶とすれば例え大赦が行われましても若殿は終生上杉家にお預けかもしれませぬ……」

「そのとおりと存じます。我は殿から、上野介殿からですが素直に現実を受け取り合掌して生きるが人の生き方と教えられて来ました。しかし時にはこの流罪の生活をなぜ自然のことと受け取らなくてはならないかと問いたくなってしまいます」

義周は春美がどうしているのか聞きたかった。なぜ春美が尋ねてくれないのか聞きたかった。しかし、口にすることが出来ない。千野は義周のそんな思いに気付かぬ風に、

「よく分かります。しかし冬来たりなば春遠からじと申します。若殿は今冬の時期、しかし春はすぐに兆しましょう、そうそう、今日城中で、上杉家から若殿に付け人をと改めて幕府に願いが出されたと聞きました。許されると良いのですが」

義周は、深い目をして諏訪湖畔にいた荒川と左右田に似た人の姿を思い出しながら菫の花に目を流す。

  別 離

「春美は我が諏訪に着いたその日どうして我に会おうとしたのか、一度聞いてみたいと思っていた」

義周の言葉に春美は微笑んで、

「私には父はおりますが母はおりませぬ。母は私が幼ない日に父と別れ、家を出てしまいまして……。ですから母の顔さえ覚えておりませぬ。それといいますのも、祖母が母を

気に入らずに出したのです。母は私のことが心配でしばらくはこの諏訪に住んでいたらしいのですが、嫁ぎ先を追い出された女に世間は冷たいため、世話してくださる人があり、上州の吉良様の御屋敷に奉公に上がったと聞いております。

それからずっと吉良様のお屋敷でつつがなく暮らしていると聞いておりまして吉良様とはどんな方で、吉良様の御屋敷とはどんなところかしらといつも思っておりました。ですから子供の時から吉良様吉良様と心の中で思い続けていたその吉良様がこの諏訪に流されて来られると聞きました時には母に会えるような嬉しい気持ちがしたものでございます。吉良様は何の記憶もない母への思いと重なっていたのですもの」

「何と寂しい……」

「はい、幼い日からずっとさびしゅうございました。それで吉良様御到着の日に諏訪湖の見えるあの場所で籠駕を止めると聞きまして、母が吉良様を送って下さったといったそんな大それた気持ちで夢中でお迎えに出てしまいまして遠くから若様を拝見したのでございます」

「それでは我に会いたいというよりは母を偲ぶ心故に吉良という姓に引かれたということ……」

「はい、初めのうちは吉良様のお邸に奉公していると聞く母への懐かしさが吉良様ってどんな方だろうと思わせたのだと思います」

「して、会ってみてどうであった」

「想像以上のお方にございました。今はもう母の幻は消えまして若様一途にございます。もし諏訪に流されるということがなければ生涯決してお会いできないご身分の若様にお逢いできたというだけで深くかけがえのない縁を感じまして……」

「嬉しいことを」

「若様、もし私たち二人に子供が恵まれましたら何となさります」

「そうよのう。本来は子が生まれたら吉良ながら、吉良は世間から憎まれている」

「では、吉良と千野の子故に吉良千では……」

「いやあ、吉良千では不埒と聞こえ音がしっくりせぬ」

「では千吉良では……」

「吉良千よりは良いかもしれぬ」

「男の子でしたら」

「もちろん、春美の春と義周の義で千吉良春義」

「義春ではいけませぬか」

「いや、春義の方が運が強そうだ春義でいい」

「女の子でしたら」

「千吉良春でどうか」

義周は気軽に筆をとると千吉良春義と書き、もう一枚に千吉良春と書いた。達筆である。

「若様、この紙いただいておきます。もし子供が生まれました暁にはこの名をつけますので」

「影も形もないうちから子供の名前をつけるなど聞いたこともないが……」

春美は笑いだしたが、笑っているうちに泣いていた。

「どうしたのだ」

「いえ若様の何もかも知りつくしとう存じましたが……」

いつにない春美の言葉に義周は、

「何かあったのか」

と心配そうに春美の顔をのぞき込んだが次の瞬間には力一杯抱きしめていた。

「若様、もう思い残すことはございませぬ。若様にお会いできたことが春美の一番の幸せにございました」

「今さら、当たり前のことを……」

「そうですの。当たり前のことを言ってみたいのです、女って。若様、これ、春美が縫いました。春先に着られるように。だっていつまでも合わせを来ていられるのですもの。どうぞ、今お召しになって見せて下さいませ」

義周が立つと春美は縫ってきた着物を着せ、

「よかった。とてもよくお似合いですわ」

と笑みを浮かべる。

「かたじけない。このようにきれいな手作りのものをいただいて、何かお礼をしたいが……」

「いいえ。この名前の紙をいただきましたから」

「そうだ。この筆を上げよう。本所から持ってきたたった一本の筆だが、これを春美にあげよう」

「まあ。そんな大切なものを」

「春美以上に大切なものはこの世にはない。いいから使ってほしい」

春美は筆を受け取るとどっと涙をあふれさせた。

「どうしたのだ。今日は泣いてばかりいて……」

「嬉しいのでございます。でも、もう帰らなくてはなりませぬ。父上も若様のお体のことをとても案じております。若様。どうぞお体をお大切に」

「永い別れのようなことを言う。また明日にでも来てほしい。明日が無理なら出来るだけ早く……」

「はい。そう致したく存じます。しかしもう帰らねばなりませぬ」

春美は玄関まで送って出た義周の目をじっと見て、

「さようならは私たち、言いませんものね」

と言って帰っていった。

次の朝、いつもの婆やが来なかった。いつもの婆やよりやや年下の見慣れないしかし人の良さそうな女性がやって来て、

「今日から若様のお世話を言いつかりました花と申します。よろしくお願い致します」

との挨拶。

――花という名に似合わぬ年――

義周は思いながら、

「よろしく。して今までの婆やは風邪でも……」

「いえ、何でもお年で係りを変えた方がいいということになったそうでございます。ここに来ておりました婆やは、今朝も元気で、若様をよろしくってわざわざ挨拶に来て下さいました」

「……」

義周は自分を取り巻く空気が大きく変わり始めたことを感じた。

その日、朝食を済ませると、見慣れぬ武士が尋ねてきた。

「初めて御意を得ます。今日より、千野殿に変わり若殿の世話係を仰せつかりました渡辺吉蔵と申す者、よろしくお願い致します」

「で、千野殿は……」

義周は挨拶より先に千野のことを訪ねた。係が変わったのに挨拶にも来てないのはどうしてなのか。

「昨夜ご挨拶に来られるとのことでしたが……。申し上げなかったのでしょうか。千野殿には一昨日突然江戸屋敷勤務を命じられまして今朝早々に出立なされました……」

「……」

千野が急に身辺からいなくなってしまうことの何というわびしさ。体に力が入らず、何をする気力も出ない……。

――千野殿は挨拶に行くと許可をもらい自分は遠慮して春美をよこしたのだ……。

 春美はどうしたのだろう――

義周は春美を待ち続けた。しかしいくら待っても春美の影さえ現れない。

――春美も江戸へ行ったのだろうか。今思えば昨夜、春美は泣いてばかりいた……。春美は別れねばならぬと知っていて、それを口に出せなかったのではないか。

 そう言えば、さようならは私たち言いませんものね。と言って帰ったが、例え別れても心はいつも一緒だと言ったのではなかったのか。なぜ、あの時、気付かなかったのだろう……――

――それにしてもどうして我にはこのように幾度も突然親しい人々との別れがやって来るのだろう。江戸で別れそしてまた諏訪で別れ……――

  訃 報

 千野が江戸に去り、婆やがお役御免になってからというもの義周はほとんど口をきかない日が続いていた。

まず朝の「お早うさんです」の婆やの声がない。いくら待っても春美は来ない。

 義周は待つことに疲れ、生活のリズムを狂わせて夜明けと共に起きていた生活から小鳥の声を聞いていてもぼんやり伏せ、新しい婆やが台所で音を立て始めると起き出すものの、義周が寝ているので婆やの来方も少しずつ遅くなり、諏訪に来てからの生活習慣が音を立てて崩れ出した。

 そんなある日、屋敷に薪が運び込まれた。

 義周はぼんやりしていたがふと気がついて裏庭に回った。

「若殿。お久しぶりです」

もしやと思ったとおりやはり去年薪を運んできた山本康則である。

「おお山本、まだ諏訪にいたのか」

「当たり前です。若殿。若殿のいられるかぎり諏訪にいると申し上げたはずです」

「良かった。その方がいてくれて。ここへ来て親しくなった千野殿は江戸へ去り、その娘ごも去り、初めから世話してくれた婆やも来なくなってしまったので、この十日ほどは言葉を忘れてしまうほど口をきいてない。もう何年も前からまったく一人でいるようなとりとめのない感じがしていたところであった」

「若様、一人なんてことはありませぬ。我も何とかここに通えるように工夫致します。今日は腹が痛むといって仕事半分にしておきましたのでまた明日参ります。毎日話せた方が若殿の張りになるでしょうから」

「かたじけない。言葉をかわす相手がいるということの素晴らしさがやっと分かりかけてきた……」

「新しく来ている婆やはいかがです」

「良くしてくれてはいる。しかしなかなか慣れぬ……」

実は義周は新しい婆やが来た時に義周の方から話しかけた。すると婆やが、

「若様。流人は恋を禁止されているってことです。禁止を破って恋をするは人の道にはずれています。そんなだから若様は諏訪に流されたではありませんか。前の婆やは若様の間違った恋を見逃していたからお役御免になったです」

と言ってすっかり義周の心をしぼませたのだ。

 そんなところにひょっこり山本が現れた。まさに地獄に仏である。

「山本に頼みがある……」

「はい。何なりとご遠慮なく……」

「実は左右田と荒川によく似た者を二度にわたって見ているのだが、二人なら我に声をかけるはずなれどいつも声を出さぬ。幕府の隠密を恐れてのことか、それとも人違いか、ここの所を知りたいのだ……」

「ご家臣の左右田様と荒川様ですね。諏訪のどこに隠れ住んでいられるやら分かりませんが必ず捜し出し、人違いか本物のお二人かはっきりさせて御覧に入れましょう。時間がかかるかもしれませんが分かり次第必ず若様にお知ら致します」

「かたじけない。よろしく頼む」

「それに春美様がどこに行かれたのかもお調べして参りましょう。若様はお行方をご存じないでしょうから……」

次の日、例の渡辺と名乗った千野の後を継いだ武士が尋ねてきて、

「渡辺吉蔵でござる。本日、江戸からの文で上杉綱憲殿ご他界の知らせが参りました。とりあえずお知らせ申し上げ、心からご冥福を念じ上げます」

と言うではないか。

「お知らせ、かたじけのうござります」

義周は体全体が揺れるのを感じた。

――あれほど帰りを待つと言ってくれた父上が我の帰りを待たず四十三歳の若さで逝ってしまうとは……――

と信じられない気持ちで、

――父上は本当に亡くなられたのだろうか。間違いではなかろうか――

と思いはするものの義周の係という立場の渡辺が間違った報をわざわざもたらすはずがない……。

 義周は庭の小菊を摘むと名号だけの粗末な仏壇に飾り、合掌した。そこへ康則がやって来て、

「若様、若様」

と何度も声をかけた。仏壇の前に放心状態で座り込んでいる義周はなかなか答えない。

「若様」

やや大きな声で呼びかけると初めて気付いた義周は、

「ああ、山本か」

と、振り返った。

「若様、どうされました。いくら声をかけてもお気がつかれず心配致しました」

山本はそう言いながら縁に座り込んだ。

「実はたった今、上杉の父上が死んだという知らせが届いたのだ」

「えっ。上杉の殿様が……」

山本はすぐに小川で手を洗い口をすすぐと上がってきて線香を供え、いつまでも合掌している。父の死を泣いてくれる人のいることが義周にはうれしい。

 たった二人のわびしい弔いではあったが……。山本は、

「若様、今年はやけに太い薪を運び込みました。割りに来る仕事をいただくために。まず、合計五日ほどは来なくてはあの太い薪は使いようがありませぬ。ところで千野殿が江戸に発たれたのは確かですが春美様がご一緒に発たれたかどうかはっきり致しませぬ。千野殿の邸に誰も居ないことはたしかですが・・。

そのうちに左右田様や荒川様のことも調べてまいります。若様には楽しみに待っていて下さい」

山本が義周を何とかして元気つけようとしてくれることが嬉しく、そしてまたそのことが悲しい。

 夕食を義周は全く食べなかった。しかし今度の婆やはご不幸があれば食べられないのは当たり前と前の婆やのように無理に一口でもいいから食べるようにとは言わなかった。

 義周は昼となく夜となく仏前に座っては般若心経を唱え時間を忘れ、体は疲れ切っていた。

 四日めに山本がやって来た。

 義周は全身のけだるさを感じていたが山本の声を聞くとわずかに体がしゃんとする。

山本は義周を縁先に座らせゆっくり薪を割りながら義周に調べてきたことを話して行く。

「若様お喜びください。春美様はご懐妊なさっていたそうです。それが分かって高島藩では公然とは発表できないながら大変な騒ぎとなり、何とか幕府に気付かれないうちに極秘に事実を葬ろうと、春美様には、江戸の武士と結婚するよう説得されたとのことです。千野殿も突然江戸屋敷勤務を命じられ、二人一緒の旅で出来れば腹の子が流れてくれれば良いと藩は希望したとのことでした。

 あまりにも急激ながら江戸へ明日早朝出立せいとのことで何の準備も出来ぬまま、千野殿は旅の準備をされ若様への挨拶の許可を取って、春美様だけよこされたそうです。

 春美様は江戸でなく上州に行って子供を産むことにし、千野殿も承知され母方の叔父で武士をやめ農仕事に精を出していた方に守られて上州へ行かれたそうにございます」

「誰に聞いたのだ」

「前の婆やです。春美様が上州に立たれる朝、暗いうちに婆やに会いに来てみんな話し、逢う瀬をあんなに喜んでいる若様にもうお逢い出来ませぬとは言えなかったと泣かれましたとか……。しかしこの諏訪で若様の子を産んではきっと育てることができないはず。で、身を隠し丈夫な子を産んでりっぱに育ていつかは若様に見て頂きます。それだけを楽しみにしてと諏訪を去っていかれたそうです」

「……春美は無事に上州についたのだろうか」

「ご無事にお着きになったことでしょう。賢明なお方ですから」

「上州の吉良家もお取りつぶしになったのではあるまいか」

「いえ、お取りつぶしは吉良本家ばかりでご親類衆にはおよんでおりませぬ。上州新田の世良田氏は吉良様と縁続きというだけですからもちろんお取りつぶしの対象にはなってないとのことにございました。顔を知らぬ母を頼れるものなら頼り、そこで子供を育てると春美様は旅立たれたそうにございます」

「春美が無事、上州に着いてくれているといいが……」

「ご心配には及びません。春美様はしっかりなされた女性とのこと。恵まれた命を大切に思い、上州に向かったのですから、千野殿は立派な武士、万が一にもお一人で大切に育てた娘が途中で事故に遭うような旅はおさせにならぬはず」

山本はその時初めて手にしていた小さな包みを取り出し、

「若殿、香りのいい線香が手に入りましたので……」

と仏前に捧げ、芳しい香りが部屋に満ちる。

「すまぬのう。良い香りだ。心が晴れ晴れする。父上もお喜びであろう」

と喜ぶ義周に、

「若殿、体だけは大切になさって下さい。気持ちをしっかり持って、食べる、寝るをきちんとして下さいますようお願い致します。いつかは許されて春美さまのお産みになるお子にお逢いせねばなりませぬ」

と励まして帰って行く。

義周にとって今、心を許せるのは山本康則だけであった。

 一か月近くがたった。その日いつもよりずっと早めにやって来た山本は、

「薪割りをなるべく早く終わらせるように言われまして……」

と早くからまき割りを始めて間もなく、例の渡辺がやって来て、

「今日江戸から新たな知らせがありまして、ご養母富子様ご他界とのことにござる。お気持ちを落とされませぬよう、ご冥福を念じあげます」

と、口上する。

「お知らせかたじけのうござる」

義周は深々と頭を下げて謝したが、父に続いての養母の死に打ちのめされた様子で、仏前に線香を捧げ長い間合掌していたが、話を聞きつけて手を洗い口をすすいできた山本に仏前をゆずろうとして立ち上がり、そのまま義周は倒れ込んだ。

「若殿、しっかりして下さい。お気を確かに持って。お父上もご養母様も若殿のご無事を心から願っていたのでございますから、そのご期待に添うよう、どうかしっかりなさって下さい」

山本は義周をいたわりながら寝かせたが……。

――帰る家がなくなった――

と義周は思ったのだ。吉良家再興はならずとも上杉の食客として父や母の近くに生きることも良いかもしれないと、どこかでずっと思い続けていたのだが……。

――上杉に帰っても、前科者の吉良義周が帰ってきた、迷惑であると考える冷たい他人の目ばかりで、母上は肩身が狭いに違いない。真にこの義周の気持ちになり、包み込んでくれる温かな帰るべき家は江戸にもこの広い天地のどこにもない――

と義周は思ったのだ。義周はほとんど食事をとらず、日を追って衰弱していった。

 あまりの衰弱に驚いた渡辺は、

「流人、吉良左兵衛義周が生きる意欲をなくし、食欲もなく半病人のような生活をしております。このままでは長く持たぬかと存じます」

と報告した。慌てた諏訪藩では上杉の付け人依頼の件を諏訪藩からも幕府に出すことにした。

 義周にもしものことがあった場合に、体調が思わしくないとの連絡もなかった、取扱いが悪いなどと幕府からとがめられることを恐れたための処置であったが……。

――付け人の許可はできぬ――

との口上での返事がすぐに来た。許可はできぬとは許可せずとは違う。許可は出来ぬが勝手に忍び込み、看病するは勝手との意味合いがにじんでいる。と取った諏訪藩では急ぎ上杉に使者を送った。上杉藩からはすでに諏訪に来ている左右田と荒川に非公式を承知の上で義周の付け人として尋ねるよう指示が飛んだ。

 二人は諏訪藩から出入り自由を言い渡されるや喜んで南の丸を訪ねた。

 義周は非常に喜び、

「ではあの諏訪湖の上で魚を釣っていたのはやはりお主らであったか」

と笑うのだが声に力がなく笑むだけである。

 やせ細り、顔の色つやも悪い義周のために二人は滋養のあるものをと諏訪中を走り回り、調理人まで連れてきて調理しては義周に食べさせようと努力した。が……。義周はかろうじて重湯をすする程度である。甲州の台が原で咎められた話をすると

「やはり……。そうではないかと思っていた」

と微笑もうとするが力がない。

義周不調と聞いて尋ねてきた六が、流罪のときに駕籠に近づいて目を閉じなされと言ったと分かって礼を言うものの義周の言葉に力がない。

――長くない――

と感じた荒川と左右田は、義周を案じてやって来た山本康則から春美の安否を義周が気にしていると聞くと、すぐに康則を上州まで発たせることにした。康則が、

「若殿。春美様を尋ねて参ります。必ず待っていて下さい。春美様にきっとお逢いして帰りますから、楽しみに待っていて下さい」

と言うと、

「よろしく」

義周は康則の手を取ったが、その手にまったく力がない。その握力の弱さに山本は南の丸を出るとポロポロ泣いた。

  旅立ち

――もう一か月早くこの屋敷に入ることができたなら若殿をこんなに衰弱させずに済んだものを……――

左右田も荒川も後悔していた。義周がこれほど弱ってしまっていると知っていたらどんな手段をこうじても南の丸に近付いたものを……。婆やが変わったことは知っていた。千野が江戸に発ったことも、上杉の殿様が亡くなったこともご養母富子尼の死も遅ればせながら知っていた。しかし若い義周がこれほど急激に生きる意欲をなくしているとは想像さえしていなかった。

――油断であった。若殿は感受性の強い青年であったものを――

左右田と荒川が来てから四日目のこと、渡辺から母為姫の死が伝えられたが義周には知らせず二人は昼夜の別なく義周の枕元に座り込んで義周が疲れない程度に話しかけると義周は喜ぶのだが、すぐに疲労に耐えられなくなってしまう。

 この二年間にわたる二人の苦労話もいつか若殿に笑って聞いていただけると思えばこそ耐えられたものを……。

 余りにも衰弱してしまった義周に二人は茫然としながら、諏訪藩に願い出てご殿医の診察を仰ぐなどできるかぎりの手を尽くした。……。

その日、いつになく気分がいいのか、義周は二人に話しをせがみ、本所での思い出やら炭焼きの失敗やらを聞いてわずかにほほえんでいた。

 二人はご殿医の薬効があって病いが快方に向かったのだと心から喜んだ。

 何一つねだることをしたことのない義周が、鶴を見たいという。確かにこのところは寝たきりで鶴を見ていない。

「鶴をお見せしても大丈夫でしょうか。せっかくよくなったのにまた病がぶり返すようなことは」

左右田がご殿医に聞くと、

「風に当たることはお命を縮めます」

との返事。

「お命を縮める……。では風に当たらなければ助かる見込みは」

「まったくありません。長くて後三日と存じます」

左右田は荒川と顔を見合わせくちびるをかみしめた。そして、

「結局助からないお命なら鶴を見て頂きましょう」

と決め、庭に立っていた六の、

「鶴が飛び立ちます」

との声を合図に義周を両方から支えるようにして障子を開け、鶴が夕べの空を優雅に飛翔する姿を見せた。折しも鶴が一声高く鳴いた。

「おお鶴が鳴いた」

義周はつぶやくように言った。そして、

「ああ嬉しいことだ。この世の終わりにかすんではいるが富士も見ることもできた」

「ようございました。若殿、さあお休み下され」

二人はすぐに義周を床に寝かせながら、

――もうお目も見えなくなってしまっていられる――

と思った。義周が見えたと言った富士は雲に覆われ見えなかったのだ。

「若殿お具合は」

「今日は体の調子が良い。こんなに気分が良いので湯で体をぬぐってほしいが」

と義周。しかし今度もご殿医はきっぱりと否定した。

「お命を縮めます。体をぬぐうなどもってのほか」

「ではせめて手足だけでも……」

この時すでに諏訪藩の許しを得て前の婆やが手伝いに来ていたが左右田は婆やに湯を汲ませ、丁寧に義周の手足をぬぐう。

「ああ何とも気持ちがいい。湯は諏訪に限る」

気持ちよさそうに言う義周に白湯を勧めると、くちびるをぬらしはしてももうすでに飲みほす力がない。

「山本はまだか」

「上州までなら二日あれば帰って来られます。早馬で拙者が一走り山本を迎えにいって参りましょう」

待ちかねて、若殿の命があるうちにと荒川が上州に発つ準備を慌ただしく始めた時、疲れ切った様子で山本が帰ってきた。

「ご苦労であった。春美様には……」

「お逢いできました」

「それは上々……。お疲れではあろうがすぐに若殿にご報告を」

荒川はあわただしく義周の枕元に山本を連れていく。

「若様ただ今、上州から山本が帰りました」

義周はわずかに目を開け山本を見たが何の表情も浮かべずすぐに目を閉じた。あまりの義周の衰弱に驚き言葉を飲んでしまっている山本に、

「急ぎご報告を」

と左右田が小声で促す。

「若様、春美様はご懐妊とのことにございます。母子ともにお健やかでこの春遅くにはご出産なされますとのこと。若様の仰せられましたとおり男子なら千吉良春義、女子なら千吉良春と名乗らせるそうにございます」

一気に言って山本はこぶしで涙をぬぐうと続けた。

「若様、お分かりですか、春美様はこの春にはご出産のご予定とのこと……」

義周はうなずいたようであったが……。

「ご臨終です」

脈を取っていたご殿医が静かに義周の手を床に返した。わずか二十一歳であった。

「若殿」

山本が声を上げて泣いた。

 部屋の隅にかしこまっていた六も義周の死を知ると北風の吹きすさぶ庭に出で号泣した。

 一月二十日、その夜、左右田と荒川と山本と六、それに前の婆やとでひっそりと線香を絶やさぬだけの通夜が行われた。

 翌日早々に役人がやって来て無造作に、義周の死体を棺桶に入れ塩漬けにした。幕府の検死役の到着を待つためである。

 一週間ほどで検死役は諏訪に到着し、義周について何一つ訪ねることなく、すでに決まり切った手続きを型どおりに、

「死体は取り捨てよ」

と一言。それが幕府の命令であった。死体取り捨てである以上葬儀はもちろんその真似さえ許されないのだ。義周の髪の毛一本たりとも先祖の眠るふるさと三河の花岳寺にも上野介の眠る江戸の萬昌院にも葬ることは許されず、未来永劫に流罪地にたったひとりで眠るしかないのだ。捨て置かれて・・。

 五人はひそかに法華寺の住職に連絡をとると、心ある春巌住職は、

「人は死ねば罪人も何もない。誰も皆御仏のみ胸の中に帰りゆくもの。人の世だけが人を裁き差別する。それが何とも情けない、といって幕府に歯向かうこともならず、寺の裏山に葬ることでお許し願いたい」

と温かな態度で、埋葬の時にはわざわざ裏山まで出向き、和尚一人だけではあったが経を読み義周の菩提を弔ってくれた。

 左右田と荒川が上杉家から預かっていた小判の半金は春美の産む子の養育料に送ることにし、半金を永代供養料として差し出すと和尚は、

「墓標を建て、墓は末代まで守ります。ご安心下され」

と言って左右田たちをほっとさせた。

諏訪藩も義周の墓については死体の片付けを寺に任せるとのみで何事も口出ししなかったのがせめてもの温情であった。

 やがて左右田と荒川は報告もかねて上杉藩に帰り、六は終生、義周の墓守として諏訪でその一生を終えた。

 山本は法華寺裏の義周の埋められた墓地の土を大切に持って江戸の萬昌院の上野介の墓地に詣でて義周の死を報告し、義周の墓地の土を葬り、次いで三河の華蔵寺と花岳寺に立ち寄り吉良家の墓に詣で義周の墓地の土を葬ったところまでは知られているが、その後の行く方を知る者はいない。

 こうして義周が逝ってすでに三百余年、一度の大赦も行われず、義周は罪人のまま今も諏訪の法華寺裏に寂しく眠っている。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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中津 攸子

ナカツ ヨウコ
なかつ ゆうこ 歴史小説家。1935(昭和10)年生まれ。東京都出身。

掲載作は、小説「流れ星―吉良忠臣蔵秘話―」(2006年11月龍書房刊)より抜粋、電子文藝館掲載に当たり独自のタイトルを付した。

著者のその他の作品