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同胞姉妹に告ぐ

  其 一

 

 吾が親しき(うつく)しき姉よ妹よ何とて()くは心なきぞ。などかく精神(たましひ)麻痺(しび)れたるぞ。(わらは)のかく無礼(なめげ)にも世の姉妹に向ひて言上(ことあげ)するぞならば。人々はあやしみ怒りて()は物狂へる女かも。嗚呼(をこ)なる婦人なんめりと。擯斥(しりぞけ)玉はんかも知るべからず。然れど妾が斯く自由燈(じいうのともしび)の文壇をかりて。世の人々に狂女とも嗚呼なる婦人とも指笑(さしわら)はるゝことをも(はゞ)からで。同胞の姉妹(おとゞひ)に親しく告げ申さんと欲するものは。深く所以(ゆえ)あることにして。国を思ひ世を憂ふるの赤心(まごゝろ)に外ならず。吾が親しく愛しき姉妹の自由幸福を進めんと望める精神に(いで)ぬるものにぞはベるなり。いで(おもむ)ろに其の(ことはり)説明(ときあか)しはべりなん

 我邦(わがくに)古昔(いにしへ)より種々の悪き教育(おしへ)習慣風俗のありて。文明自由の国人に対しては(いた)()ぢ入る事のはべるなり。其の悪しき風俗の最も大なるものは男を尊び女を賎しむる風俗これなり。蓋し此風は東洋亜細亜の悪弊にして。(はなは)だ謂なく道理(ことはり)なきものにぞはべる。試みに思ひ玉ヘ。人間世界は男女(なんによ)もて成りたるものにて。男子(なんし)のみにて世の中を作るべからず。社会(よのなか)一日女子(をんな)無くんば人倫は亡び国は絶ゆるに至るべし。且つ其の霊魂(たましひ)より四肢五官に至る迄男女均しく自然の固有(もちまへ)を得て完備(そなは)らざる所なく。彼のなりなりてなりあまれると。なりなりてなりたらぬ処の如きも。相待て人類の社会を作ることにて。所謂(いわゆる)同等同権のものと云ふベし。然るを斯く我邦の風俗の如く男を旦那亭主御主人と尊びつ。女は下女(げぢよ)婢妾(はした)御召仕(おめしつかひ)と賎しめられて絶えて。同等の待遇(あしらひ)受けざるは。甚だ遺憾の極ならずや。或は曰ふ男は強し女は弱し故に同等なること能はずと。(そもそ)も強し弱しとは何の力を指して申するものぞや。若し腕の力の強弱に依りて尊卑貴賎の別の分るゝと云ふならば。男子の仲間にも強弱の差異種々あること角力の番附にて知るべく。一般の人間は兎ても角力取りに勝つこと能はず。梅ヶ谷(うめがたに)楯山(たてやま)は正一位摂政関白にならねばならず。色の生白い華族方は新平民の下にでも位せねばならぬ筈なり。世の中に何とてかゝる道理のはベるべきや。又いよいよ腕の力の強きが尊くして弱きが賎しきものとせば。鞆絵板額(ともゑはんがく)の如き勇力(いうりき)たぐひなき女は男子よりも立まさりたる尊貴の位を有ち。其の権力も遥かに諸々の男子の上にあるべき筈なるが。論者 (すこし)もこれを論ぜず。只これ男子は強し女子は弱し故に同等ならず。同権ならずと孟浪(まんらん)に論じ了れるは何ぞ議論の(をろそ)かなるや。故に或論者の謂ゆる強弱を以て尊卑貴賎を定むるの論は道理なくして取るには足らざる愚論にぞはベるなり

(「自由燈」第2号 1884年5月18日)
 

  其 二

 

 (いそ)(かみ)(ふり)にし代には世の(ことわり)の明かならず 人の道(くら)くして人間の交りは只(かひな)の力のみ依りつ 絶えて智識のはたらき道徳の交りと云ふことなかりければ 腕の力の強きものは富み且つ貴く弱きものは貧しく且つ賎しきありさまなりし (けだ)しこの時代のありさまは人間の交りといふ名のみにて 其実は禽獣(とりけもの)の交りにひとしきものにぞありける 試みに思ひ見玉へかし 禽獣といふものは礼節もなく道徳と云ふこともあらぬものどもなれば 只菅(ひたすら)其の強弱のみより頼みて相交はれり 故に 弱き鳥獣は常に強き同類の為めに殴殺(うちころ)され咬殺(かみころ)されて無惨の死を遂ぐるが故に平生(つね)に於ても惴々(ずゐずゐ)として畏懼(おじおそ)れて其の下に屈下なし 相戒めて其の怒りに逢はざらんこと願ひ居れり 即ち鷲鷹の類の鳥類の内にて威をふるひ 獅子虎の如きものゝ獣の内にて権を得たるもの 皆な其の力の強弱によりて差別(けじめ)の別れたるものにて 智識なく道理を知らぬ人々の群れ集まれるさまとさも似たるありさまにぞはベるべし 然れば今の世にても道理によらずしてことを為すものを野蛮の行ひと云ひ 道理に依らずして戦をなすを野蛮の(いくさ)と申すなり 野蛮とは智識をも用ひず道徳にも依らず一向(ひたふる)力の強きをたのむの謂にして 文明の人の最も賎しみ嫌ふ所の悪しき行ひにぞはべる かゝる(ことはり)は今の世に於ては尋常(よのつね)の人にても能く知れるものなるに 堂々たる論者にしてこれをしらず 否これを知りても知らず(がほ)して女の軟弱(かよはき)を侮り軽しめて人間の卑賎なる部分におかんとなすは そもそも如何なる心ぞや

 夫れ人を自分の力の下に指揮して自分の命令のまゝ違背なく従はしめんとするの欲心は 野蛮の欲心と申すものにぞ侍る 蓋し命令と云へるものはこれに従はねば腕の力を借り強迫しても服従さするの意味を含み 必ず強迫の力を要するの道理なれば 不服の者はこれを腕の力に訴ふるなり 故にこれを野蛮の欲心と申す (わらは)の目を以て社会を見れば 東洋諸国の男子は野蛮の欲心に富みたる人々なり 否野蛮の欲心を縦横無尽にはたらかせぬる兇暴恐るべきの動物なりと申さんもさまで過言にははべるまじ かゝる恐ろしき動物に支配されたるの婦人社会(をんなしやくわい)の不幸は如何にはベるべき習慣(ならはし)の久しき これを憂しとも痛しとも思はざる吾が同胞姉妹のうたてくはかなさよ 妾はこれを思ふごとに袖に涙をしぼらぬはなし あはれ吾が親しく愛しき姉妹よ 今はたいかに思ひ考へ玉ふや

 又或論者ありて曰へらく 婦人は男子に比ぶれば精神力大に劣れり従ふて智識少なし 故に同等なること能はずと 是れまたいとおろかなる(あげつら)ひにして取るには足らぬものに侍り 蓋し男子に学識多くして女子には少なしといふことは自然の性にて然るにはあらず これを教ふると教へざるとの区別にあるなり 試みに見玉へ 我朝にても女子にて人に(すぐ)れたるものは千剣破(ちはやぶる)神代のむかしにては申すもかしこけれど 天照大神を始めとし天鈿女命(あめのうずめのみこと)あり 人皇の代に及びて息長足姫(おきながたらしひめ)皇后あり衣通姫(そとほりひめ)あり 紫式部あり 泉式部(注 原文ママ、正しくは和泉式部)あり 清少納言あり 其他やごとなき上臈(じやうらふ)よりいやしき(しづ)()に至る迄歌をよみ文をつゞり夫を(いさ)め人を(さと)すなんど 男子に立ちまさりたる行ひあるもの数ふるに(いとま)あらず 又漢土(もろこし)にても魏の甄后(けごう)は九歳にして女博士の名あり 徐孝徳の(むすめ)は八歳にして能く文を属す 蔡邑(さいいう)の女は六歳にして夜る絶えたる琴絃を弁ず 韋逞(ゐてい)の母朱氏は講堂を立て百余人の生徒を教授なせしめし類 其の他賢媛淑女(けんゑんしゆくぢよ)の学識ありたるもの数を知らず 其の詩を作り文をつゞるが如きものは歴代幾百人の多きあるを知るべからず 又かの西洋の如きに至りても女王「ケセリーン」あり 女王「マリヤ、セレザア」あり 学術を以て名を得たる「ソーメルビール」あり 経済学に著名なるものは「ミツス、マルチノー」あり 一般の理論に長じたるものは「マダム、ド、スタエル」あり 専ら政治学を修め世に高名なるものは「マダム、ローランド」あり 有名なる詩人に「ウヰリヤム、ブラツチフヲルド」氏の娘にして「タイス」と云へるあり 「へマンセス」と云へるもあり 「ランドンス」あり 「ブローウヰングス」あり 其他名ある婦人の世に出たること一々指をかゞむるにいとまあらず 然れば斯く和漢洋ともに婦人の智識あるものゝ出たること盛んなるにあらずや 斯くても尚論者の()ひて婦人は精神力の劣れるものとするや いといはれなく理あらぬ愚論にやはべるぞかし

(「自由燈」第4号 1884年5月21日)

 

  其 三 

 

 婦人の精神力の男子に劣らざる例証は右にかゝげてこれを明になしぬ 心ひがめる男どもゝ口を(つぐ)みて再びこの点をあらがひ論じ得ざるべし 然れど尚情剛(じやうこわ)き男どもは執念(しうね)く説を作りて謂ふめり 曰く昔より婦人のすぐれたるもの無きにはあらざれども 男子のすぐれたるものゝ多きに比ぶれば九牛の一毛にも()かず 是れ女子の男子に劣れる例証(あかし)なりと 嗚呼この説を為すの男は何とて斯くは古今の世態に通ぜざることの甚しきや 試に思ひ見よ 古より東洋の習慣として男子たるものは教育の法備(ほふそな)はり 文学(ふみまな)びの道より武芸の術までそれそれに師を撰び場を設けて教授なしけり 然れば男子たるものは心なくして自ら(すつ)るものか 学を嫌ひて自ら(そこな)ふものか或は貧しく賎しくして学ぶに(いとま)なきの人をのぞくの外は大抵教へを受けざるはなし よしや教へを受けざるも男子は世の中に奔走して(ひろ)く人と交るが故に 女子の閨閫(けいこん)の中にとぢこもりて人交りも得せぬ様にせられぬるものとは 其の智識の進みも大なる差異(たがひ)あらねばならぬ訳なるべし 然ればむかしより男子のすぐれたるもの女子よりも多かるの理は教ふると教へざるとの(たが)ひ 又世に交ることの広きと狭きとに依るものにて 自然に得たる精神力に於て差異あるものにははべらぬぞかし 且つ教育と云ふものはその方法宜しきを得ざれば効益なきものにて 益なき教育は骨折損のくたびれ儲けとなり 婦人の精神力も自然に得たるだけを尽さず其のまゝ宝の持ぐされとなりて朽ち果つること其の数を知らず 又教育に依りては(たゞ)に益なきのみならず害を為すことも少なからず 即ち我邦古来より女の文学びの道は大抵その方法をあやまり 婦人社会の智識の発達を妨げたるもの多し 婦人のすぐれたるもの少なき所以に候はずや かゝる原因理由のあることをも探り(たゞ)さで漫りに女子を侮りかろしめ()ひて女子を男子に劣れるものと(あげつら)ひ定むる僻説論者(ひがみろんしや)小面(こづら)の見にくさよ

 仮りに男のいふごとく男をもて女にまさりたる才智ありとせんか 男は女より権利多きものと定めはべるべきや 然る時は男同士の間にも才智の多少深浅の(たが)ひあるべし 其の権利は如何に定め申すべきや 若し才智に依りて人間の権利を定むるとせば 多数の男子おのおの政府か博士の試験を受け 小学生徒のごとく人々等級を立て権利の多少を定めねばなり申すまじ かゝる煩はしきことの為し得られはベるべきや 故にかの男等の随意に申す如く仮りに男をもて女子にまされるものと定むるも その才智の多少深浅をもて権利の程を定むべからず ()いて才智もこれにゆづらざるものに於けるをや

 試に今の社会を見玉へかし 女をのせて走れる人力車夫あり 芸者の後に随ふ箱屋男あり 娼妓の下知を(かしこま)る若者あり 女の憐みを乞ふ俳優(やくしや)あり 其の外中等以下の生活(なりはひ)をなすの男子にして女に依りて世を送くれるの数ふるに遑あらず これ等をさヘに論者は猶女子の男子に劣れるありさまと()ひぬるにや 又かゝる場合に至りては現に女子の男子にまさりたることあきらかなるものなれば 女子をもて男子の上となし男子より幾分か多量の権利を与へて然るべきや 如何に心僻(こゝろひが)み情剛く舌滑らかなる男の論者にても此に至りては口を(つぐ)みて又言(ことば)なきに至りはべらん 吾が親しく(うつく)しき姉よ妹よ 気を強うし心をたしかにして 世の心ひがみ情剛き圧制男子の前に同権の理を唱へ玉へや

(「自由燈」第9号 1884年5月27日)

 

  其 四 

 

 婦人の精神力が男子に劣りたりと云ふをもて婦人の権利は男子より小なるものなりと申せる(ひが)める説も 前に述べつる議論にてうちつぶされて跡なくなりしならん 然れば心ひがみ情剛き男等は何をもて再び口実となして妾の議論に敵せんと欲しぬるか 想ふに財産と云ふものにつきて説を作り強ひて勝を貪らんと試むることのはべるべし いでやさらば財産と云ふことにつきて(いさゝ)か思ふ所を申述べはべりなん

 財産と申すものは家土蔵(くら)衣服道具なんど其外所有の田地貨幣公債証書より炬燵(こたつ)の上に眠れる畜猫(かひねこ)(かまど)の下の灰までも含める言葉なるべし この財産につきて僻論者(へきろんしや)は曰へらく 我邦の女子は財産を所有するもの甚だ少なし (およ)そ一家をなせば必ず男子たるもの其の戸主となり家土蔵より竃の下の灰に至る迄我物として自由にする権あり 其の妻たるものは唯その男の為めに養はれて男の使令に(そむ)かず家事を治め枕席に侍するの職を尽すのみ 早く申さば其の戸主たる男子の雇人も同様なり 其の他権妻(ごんさい)囲者(かこひもの)は云ふも更なり 芸者娼妓に至る迄男子の憐みを受けて生活するものなれば 世の財産の権と申すものは男子にありて この一条より考ふる時は男子は十分の権利を有するものにて女子は奴隷にも異ならずと 嗚呼さても男子たるものは何とて斯くも我儘勝手に言のゝしりて恥づることなきや 蓋し男子たるものはむかしよりの慣習に目を(おほ)はれ己が勝手に心うばはれて 今の世のありさま又は平かなる()(こゝろ)づかぬまゝ 斯くは世のさまに疎くして(ことはり)なき説も(はゞか)りなく論じ出せるものにやはべるべし いざさらば妾が思ふ所をかゝげて男等が心の迷ひの夢おどろかさん

 (そもそ)も男子に財産の権ありて女子にその権なかりしは其のむかし封建の時代をもて甚しとす 封建の世には大名と云ふものありて 其の扶持をもらひて生活をなせし家来の侍どもは元来軍役に出るが為めに奉公せしものなれば 女子にては間に合はず一家の戸主は必ず男子と定めてありしゆえに戸主の死せし時は其の家督は又かならず男子ならでは相続なしがたかりし 若し不幸にして男子の跡つぐべきもの無き内に戸主の死ぬることなどのある時は(あはたゞ)しく養子をなして其の死ぬ前に届けおくなり 或は未だ養子の定まらぬ間に戸主の男の死失(しにう)せぬることのありても 其の死を秘しかくして先づ養子の願を出せしほどなりき 然れば此の場合には家に如何程の美人ありとも いかばかりの才女ありても 家督相続の益に立ざりしは今の世の人も能く記臆なし居れるにはベるぞかし 従つて百姓町人なんども自らその傾きありて内証は女将軍山の神などゝ称へらるゝ程のものにても 家に伝はる家号暖簾に拠り 或は幼少の男児を戸主と立て其の暖簾又は名前の蔭にありて(よろづ)の事を取りあつかひしありさまなりし 然れば其の財産の権の男子にありて女子にあらざりしは封建時代一般のありさまにて 其の制度は破れたるもその慣習は尚存して 今の世に至りても自ら財産権の男子に多くして女子に少なき事とはなりぬるなり 然るに世の心ひがめる男の論者はかゝる縁由(えんゆ)より生じたる悪しき習慣なるをも悟らで 只に世のさまを瞥観(べつかん)し何の思慮もなく財産権の多少を論じ 男子に財産権の多くして女子に少なきは正しく天理自然の然らしむるものゝ様に申しなし 強ひて男子を女子の上におかんとするは かへすがへすも理知らぬ申分にぞはべるなり 且つ今の世にては女にして戸主たるを得ることは華士族平民を問はず一般に許されたることなれば 数万町の田畑を()てる婦人もあり 数千円の公債証書を蔵せる女子もあり 其の他家土蔵衣服諸道具のたぐひまで数多(たくは)(をさ)めて裕かに暮しぬる女戸主のあまたありて 堂々たる鬚眉(しゆび)男子も其下に支配せられぬるもの少なからぬにはあらずや 今より後十数年を経ば社会のありさま甚麼(いか)に変化して女子の財産家を出すこと多数ならんやをも知る可らず 若し此に至て女子財産の富み男子に勝れることあらば男子の権利は遙かに女子の下に位せしめて可なるや 想ふに男子はこれを(がえ)んじ申すまじ 然れば財産所有の多寡を以て男女天然の権利を定むるは(つたな)くおろかなるものにぞはべるなり 権妻芸娼妓なんどの男子の憐みを乞ふて生活をなすてふ議論に対しては妾また大に説あり 他日端をあらためて明らかに論じはべらん

(「自由燈」第16号 1884年6月4日)

 

  其 五 

 

 男女の間は愛憐(あいれん)の二字をもて尊しとす 恋と云ふも情といふも皆この愛憐の二字に外ならぬことにぞはベる 然れば男女の間は相愛(あひいつく)しみ相憐みて憂きも楽きも相共になしてこそ真の恋とも情とも云ふめれ むかしより恋道(こひぢ)をたどり情の世界に遊ぶものゝ境界を見玉へかし 或は虎伏す野辺に手を取りてさまよひあるき 或は鯨寄る浦に相抱きて溺るゝなど あはれに傷ましきふるまひの多かり これ等の男女は憂艱難(うきかんなん)はつらかるべけれど 其の愛憐の情の深くして其の間にたのしみの深きことあるは 世の情知らぬ男等の夢にだも想ひ得がたき事になんはべるなり 憂艱難の間においてすら男女愛憐の情深かければ楽みの深かきものにぞはベる ()いて通常の世にありて愛憐の情深かりなば 如何にたのしみの深かりなん 外見(よそめ)見るだに羨しき心地ぞするなり 然るに今の世には(別きて我邦には)男子に一種の権柄(けんぺい)といふものを固有なして このありがたくたのしき愛憐の情を打ち破りたゝきくだかんことを企てつるおそろしき悪魔の威を張り力を(ふる)ひ居れるなり 蓋しこの権柄と申せるものは同権の権の字とは大なる差異(たがひ)のはべるものにて 道理にも依らず情愛にも拘はらず唯我儘勝手にふるまはんとするいとも悪しく(つた)なき威力にて 文明をしたひ自由を愛する人に対しては大に(はづ)ベく慎しむべき行ひにぞはべるなり されば権柄と云ふものは其の心服不心服を問はず其の納得するとせぬとをかへりみず 命ずる人の心のまゝになさんと欲し己れの命令を無理無法にも行ひおほせんとする時に必要の道具なれば 彼の男女が相互に()で憐みて苦楽を共にするのやさしき情とは全く反対にて 常にこのやさしくありがたき愛憐の情を撲滅(うちけ)さんことを企てぬる恐ろしき悪魔怨敵(をんてき)にぞはべるなり (そもそ)も世の心ある人が社会の事物を改めて善きが上にも善きを競ひ衣服より家財道具にいたるまで美麗結構を極めたしと思ひ 詩人歌人(うたよみ)その外歌舞伎浄瑠璃(じやうるり)なんどの作者などが心を用ひて物するも大抵男女の間を親しく睦しくせしむる所の愛憐の情より起りたるものなるに 彼の権柄てふ恐ろしき悪魔の一たび来りて威をふるひぬれば (たちま)ち其の功なきものとなりぬるは悲しく嘆かはしきことの限りに候はずや 蓋し愛憐の情と申すものは人間最良の感覚より生じぬるものにて 天然の美徳とも申すベし 之れに反して権柄と云ふものは人間最悪の慾心より其の根を生じ(いだ)しぬるものなれば 其の悪徳たることは申さずとも明らかならん (ことば)をかへて申さば愛憐の心は有情より(おこ)り 権柄の慾は無情より発るものなり 又愛は人を恵むの(もと) 漢土(もろこし)の儒者の尊める仁の道にて 権は己を私する(もと)所謂(いはゆる)不仁の行ひにぞはベる 然れば愛あれば権なし 権あれば愛あらず 権と愛とは両立なし得るものにははべらぬぞかし 然るに我邦の習慣として斯くまで不法不徳なる権柄の行はれ 男子たるものは(みだ)りにこの権柄をふりまはして縦横無尽に威をふるひ 女子たるものはその恐ろしき権柄の下に()ぢ縮みて只管(ひたすら)男の怒りに逢はざらんことをのみ務め 恋も情も打捨て悪魔の使令のまゝ従ひぬるありさまは 哀れともはかなしとも申すべき様のあらぬぞかし 此は只女子のみ不幸なるのみならず 男子においても人間第一の幸福たる男女愛憐の楽みを撲滅(うちけ)して共に面白からぬ境界に陥り居れるものといふベし ()におろかの極ならずや あはれ我邦の男等こゝに心づかば 己が手に持ちてふりまはしぬる権柄をなげうちて 真正の情愛をたのしまんことを勤めよ 又女子どもは智をふるひ力をつくして彼の悪魔をはらひ除かんことを務められたき事にこそ

(「自由燈」第18号 1884年6月6日)

 

  其 六 

 

 (ここ)に男女同等の説に対して一の強き反対説のはベりて 我邦の今日の有様にては男子の方に大なる口実を与ふることのはべるなり 其の議論に曰く 男女を同等となし又同権となすこと男子において異論なし 然れど我邦今日の景況(けいきやう)にては行はれがたし 又強ひて行ひては大に風俗を害し人間の快楽(けらく)を減ずること多し 其故如何にとなれば 今茲に男女を同等とし夫婦を同権とする時は一家の内に物云ひ口舌は絶えざるべし 今若し夫たる男が(つま)たる女に向ひて此事を斯くせよ彼の事をかうせよと命ぜし時 婦なる女が心に欲せざる事か気の進まぬ時ならば容易(たやす)くは命に従はず 此時男は気をいらちて責めはたるべし 女は(かへつ)てこれに口答へなすに至らば 遂に世に謂ふ犬も喰はぬ夫婦喧嘩となりて擂子木(すりこぎ)擂盆(すりばち)の立廻りを始め 終りには三行半(みくだりはん)の別れに至るベし これ今日の世の未だ同権論ならぬ時においてすらかくのありさまなり ()いて公に男女は同等なり夫婦は同権なりと申すことに定りたらば (かゝあ)大明神山の神尼将軍嬶天下なんどの威権は赫々(かくかく)としてあたりへも寄られぬばかりのさまとなり 朝より夕まで議論の絶え間もなく ランプコップのたぐひは毎日こわれて家に全き器物なきに至らん かゝるありさまにては一家の間の和睦すること無く人間の快楽(けらく)と云ふことはなきものなるべし 故に男女同権と云ふこと行はれなば 一家の幸福を失ひ社会に争ひを作るものなり云々(しかじか)とあり この反対の説は成程一寸聞きぬれば道理あるものゝ様にぞ聞えはべる 然れど(つまびらか)に聞き深く考ふる時はあさはかにして取るには足らぬ(あげつら)ひにぞある いでやその解を述べて世の(かたく)なに杞憂を抱ける男等の心を安んじはべらん

 凡そ夫婦喧嘩と云ふものは犬さへも喰はぬてふはしたなきふるまひにて 醜き行ひなることは世の人々も自ら知る所なれば 誰も好みて為せるものはあらざるべけれど 世間にはまゝこのはしたなき振舞ひをなして近所隣家に厄介かけ世の物笑ひとなりはべる事あまたこれあり 嘆かはしき事の限りなりかし 然るに従来我邦の習慣にてはこの夫婦喧嘩を以て全く婦人の罪となし 婦人の嫉妬或は口はしたなき事より起りぬるものゝみの様に申し()しぬるは いと片手打ちなる裁判にて(いた)く不服の事にぞはべる 然ればこそ男の論者には只管(ひたすら)これを女の罪とし 男女同権の説の世に行はれなばこの喧嘩の絶えざる世とはなるべしと杞憂(きづかふ)なれ 然れど能く心を(むなし)ふし気を平かにして考へ見れば この夫婦喧嘩と云ふものは全く婦人のみの罪にあらず 多くは男子より(かも)しなすものなり 仮令(たとへ)ば女の嫉妬より争ひを起すにもせよ 男の行ひ正しくて(ねた)むべき事あらぬ時は如何に心かたくなゝる女も争ふことあたはざるべし 流連(いつゞけ)の朝戻りに口舌の(かまびす)しきは世に珍らしからぬを見て知り玉へかし 或は又貧しきより起りぬる争ひも女の締りなきもあるべけれど 男の怠りなまけて勤めざるも多く又は賭事に打負けて女の衣服まで売らしむるなどの悪事より起れるも少なからぬなり 或は女の性あしくして口はしたなく云ひのゝしりて男に一々口ごたへなしぬるより起れる争ひもあるべけれど これも其の言ひつることの可否を裁判なして後ならでは其の曲直(きよくちよく)は定め得がたかり 男の無理なることを云ひし時も女は(おし)だまりて得答へぬが女の道なりと云ふことは 何時の世いかなる人の定めけん 世にも理ならぬ道ならずや 然れば夫婦喧嘩てふことは女のみを責むべからず 男にして若し男女同権の理を知り身を慎み礼を正うして女に対するの道を尽しなば 心やさしく体よわき女の身のいかで猛く言罵(いひのゝし)りて争ひを求むべきや 世の女たらんものはかゝるやさしく情ある男のみの世となりなば 礼を正うし言葉を(うやうや)しうして婦人の美徳を尽さんこと疑ひなかるべきなり 世の(かたく)なにひがめる男らよ いたくな杞憂をなし玉ひぞ(注 原文ママ、「そ」の誤記と思われる)

(「自由燈」第23号 1884年6月12日)

 

  其 七

 

 社会の開けゆく度に従ひ人智の進む程に依りて男女の交際も美はしく行はるゝものにて 今の世の下等社会即ち裏店(うらなだ)の八とか熊とか申する人々の境界に就きて其の夫婦の間の(いや)なく作法なきを見て男女同権を許しなば如何なる騒がしき世となるらんと杞憂するは (あたか)も川の流の末の濁れるを見て此川の水は汲むべからずと定むるとひとしきものにて あまりに浅はかに心なき(あげつら)ひと申すべし 川の流の末の濁るとも源の()めるならば其の清めるを汲むべし 又その濁れる部分も時を経なば清める水となるべければ 清めるを待ちて汲みたりとて何の子細かあるべき 且つ人の力もてこれを清める様になし得ベき方もあまたあるにはあらずや 蓋し我邦の下等社会即ち裏店の実況をさぐり見るに 其の夫と云へるものゝ礼義作法なきことおどろくばかりにて 衣食住の整はざるは云ふも更なり 平生のふるまひの不作法なることは殆ど中等以上の人々の夢にだもおもひ至らぬ程のものにぞはべるなり 其は親しく往きて見玉ふにも及ばず 一夕寄席てふものにゆきて落語家(はなしか)の舌の動くまにまに語り出せる滑稽噺(おどけばなし)を聞き玉はゞ 明らかに悟り得はべるものゝ候ふなるべし 其の戸主たる夫にしてかゝる礼なく不作法なるありさまにして 其の妻たり子たるものゝいかで礼法を守り其の夫たり親たる人に敬ひ(つか)ふべきや 然ればこそ時々は井戸端に会議を開き或は長屋の中を鉄棒(かなぼう)ひきあるき 又は擂子木と擂盆の立廻りをなすに至れるなれ 然るを杞憂せる男等が罪を婦人のはしたなきにのみ帰して戸主たる男の罪を申さゞるは そも片手打なる裁判と申すべき事にはべらずや 蓋し世の中の事は其の極めて低き処の者をもて其の弊を云ひ其の害を述ぶる時は 物として善良なるものははべらぬぞかし 火は人間に必用なるものなれども 世の中の広き人間の(おほ)き中にはこの火の為めに火傷をなす人あり 衣服を焦せる人あり 家を()き貨財をやき人を焚き殺すなど其の災害は大なりと云ふベし 然れども人間は其の災害の多きを見て火を廃さんと云ふものはあらず 蓋し火の人生に必用にして 其の災害は人の不用心か或は其の器の全からぬによることを知ればなり 男女同権の理も此の如きものにして 今日我邦のありさまにて考ふれば 或部分に於ては利少なくして害の多き処もあるべし 或は全く害のみを見る部分もはべりなんか 然れども只に其の部分の害のみを見て男女同権の理の天に(もと)り人に背くものと定むることは能はざるべし 試に思ひ玉へかし 女の権利振ひて害あるは一部分にはべらずや 今の男の権利の盛んなるが為めに弊害のあらはるゝは社会の全き部分にかゝりたるものにはベるぞかし 今この全き部分の弊害を除かんとするに当りて 僅かに一部分の害を避け躊躇なしはベるべきや 果断の心に富みたる男らにしては似合はしからぬ説と申すべし 今夫れ世の論者てふ男らの欲し望める国会と云へるものは果して完全無欠の者にはベるや 立憲政体と申すものが無上極度の制度にてはベるや 想ふにこれとても古き政治にくらぶれば稍善良なりと申せる迄の事にて 文明開化の極点よりながめはべりなばいとも低く下れるものにやはベらん 然れば男女の同権も今日の我邦に行ひ始めなば 或家には夫婦喧嘩も起りぬベし (にわか)に離縁を乞ふの(をんな)も出来ぬべし 喧嘩の為めにランプコップの毀物(こわれもの)もあまたあるべし 里帰へりの往返に車代も(かさ)むべし 甚しきは夫を裁判に訴へ或は夫を殺す程の騒動も一時は起りなんか 然れど世の中一般にかくの如くなるべからず 次第に権利の平均を得るに至らば 男女相親しみ夫婦相愛するの真情は(やうや)く深くして真正の愛情を得るに至りはべらん 妾今試に世の自由を愛し民権を重んずるの諸君に(とは)ん 君等は社会の改良を欲し玉へり 人間の進歩を謀り玉へり 而して何とてこの男女同権の説のみに至りでは守旧頑固の党に結合なし玉ふぞと

(「自由燈」第27号 1884年6月17日)

 

  其 八 

 

 己の欲せざることは人に施すことなかれとは赤県(もろこし)の聖人の教なり 己の欲することを人に施せとは西洋聖教の旨にして 仁恕(じんぢよ)の心をもて人に交はるを教となすことは東西ともに符節を合はせたるが如し 仁恕とは人をあはれみおもひやるの心なり 人たるものは男女にかぎらず一日この心なければ禽獣(きんじう)に近きものなり 然れば男たるものゝ忌み嫌へることは女にても好き欲しぬるものにあらず 女の好き欲しぬることは男も()た忌み嫌はざるべきの理にて其の好悪は均しかるべければ 男の方にて忌みきらへることを強ひて女に施さんとするは(いた)く心なき(わざ)にして 人の道を知らざるものにやはべらんかし 今茲に男に向ひて (おんみ)は汝の権利を何とおもひ玉ふにやと問はゞ 必ず答へて申さん 我の権利は之を貴び重んずること金銀珠玉(しゆぎよく)の如しと 然らば隣家の主人の其の権利を重んずるは如何あらんと問ひなば 其は我と同じ様に其の権利を重んじ候はんと答ふるなるべし 夫れ権利と申するものは斯くも自分には貴み重んずるものにはべらずや 又他人が其権利を重んずることも推して知るべきことには候はずや 然るに女の権利のみに至りては貴からず重からず 否女が自分にも貴まず重んぜずとしてこれを顧みざるはそも何事ぞや 仮りに此等の心なき男らをして女の地位にあらしめなば 如何なる心を以て男に対しなんか ()に其の程の極めがたき人々なりと申さんのみ 蓋し我邦の女には古来の慣習によりて(すで)に権利のあることを知らず男の為すまゝ云ふまゝに従ひて其の虐使(ぎやくし)を耐ふるありさまなれば 妾が斯く筆を禿(ちび)らし口を()くなして(あげつら)ふとも さまでに感覚をも動さゞる女も或はこれあるべしと(いへど)も 男が其れを以て女には権利を与ふべからずとの口実になすべき理ははべらぬぞかし 今こゝに人の所有の田地を横領なしぬるものあり 其の横領なしぬるは年久しくして(いつ)の世に斯くせられしや其の所有の主も知らずして年を経にけり 想ふに其の横領せられぬる頃は其の所有主幼く弱かりしゆえに 何時となく強きものに取られぬる事にやありけん 然るに其の田地の吟味の世に明らかになりて 所有主の物たる証もあらはれぬ 此時にあたりては 其の横領なしぬる者は良心ある者ならば自ら恥ぢてこれを返へすべき筈なり 然るを其の者情剛く恥を知らずして其の横領せし田地を返へさゞりせば 世の人これを何とか云はん 我邦にて男が女に対するありさまはまた此の如し 然れば仮令(たとひ)女の古き習慣(ならはし)におほはれて(すで)に権利あることを知らずとも 男においてこれを知りなば(すみやか)にこれをかへし与ふべきは理の当然なり 然るを男たるものが女の得知らぬを幸ひとしてこれを奪ひ居るものならば 其の恥なきも亦た甚しきにはべらずや 且つ男は常に曰へらく女は智なし学なしと 仮りに此言に従ひなば 男の才学は今日においては女にまさりたるものにはべるべきか 若し然らば男は女に先き立ちて同権の理も知り得べき筈なり 婦人の境界を想ひやり得べき筈なり 已に其の理を知り得たるからは一日も猶予(いうよ)なく其の理のまゝ決行すべき筈なるに 斯くも因循(いんじゆん)なし居れるはそもそも如何なる心なるらん 蓋し男子には仁恕てふ美徳なきにや おのれ仁恕の美徳なくして人に柔順の婦徳のみを責むるは苛酷の甚しきものにぞはべる 然れど男らが是に至りて自ら卑うして おのれらは才学なくして同権の理も考へ得ずとの逃げ口上をなすぞならば (わなみ)も亦た夫等(それら)の心なく魂なき男らに向ふて述ぶべき事もはべらずかし

(「自由燈」第28号 1884年6月18日)

 

  其 九

 

 社会(よのなか)の事には反動と云ふ力のあるものにはべりて あまりに人を強くおしつくれば人またつよく我れを()ね上ぐるなり 又人を無下(むげ)に云ひのゝしる時は人も亦た我に向ひて(いた)く云ひのゝしるものと知るべし 然れば我邦にて女子たるものが口はしたなく云ひのゝしり 或は男にむかひてやさしからぬ振舞ひをなすと云ふも大方は其の性の然るにもあらず 其の不智の為すわけにもあらず 全く男子が無理押しに(おさ)ヘ付けたる反動によりて かゝる性に(さか)へる挙動をなすに至りしものにぞはベる 中には女子の生得(たけ)くして口さかしく 夫の温順に乗じてこれを(いさらひ)の下に敷くてふあしきふるまひの人もなきにあらねど 其は百中の一二にして 其の少なきものを以て議論の証とすることを得ざるべし 兎に角世の中に凡ての女の情を考ふるに 其の始めより夫をのゝしり恥かしめ これを臀の下に敷きて(かゝあ)天下の威権をふりまはさんことを欲しぬるものはあらず 男の言行の理に背き道にたがひて我儘勝手に権柄をふりまはしぬるが為めに 激せられてかの反動の力を出しぬるものにぞはべるなり これを物に(たと)ふれば 男は風なり女は水なり 風和(やわら)かなれば水また平かなり 波の荒びて舟を(くつが)ヘすは風の罪とや申すべし さればとて女は水なれば風のまにまに従ふが性なりといふにはあらず 唯この段の一の証となしぬるのみ 故に前段にも述べし如く 男にして女をおしつくる事の理にあらざるを知りて やさしく情あるの世となりなば 風和ぎ波平かにして所謂(いわゆる)四海波静かに枝も鳴らさず 高砂の(ぜう)(うば)との(よはひ)まで睦じく世を送りはべるものゝみに至り申すべし 世の男たらん人々は相戒めてかの反動の力を恐れ玉へや

 右の如くの道理なるを以て 男子は従来(これまで)手に握れる所の権柄を打捨て女子に対するに同等の礼を以てし 其の全き権利をかへし与ふるに至らば 女子を彼の反動激昂(げきこう)の不徳を去り男を敬し夫を愛し 男女互に其の権利を保護し 男は女の権利を重んじ女は男の権利を重んじて互に相侵し(あなど)らず 相褻(あひな)れ犯さず 心優(こゝろいう)(こと)和らぎ 命令は改りて相談となり 相談は熟して一家の和睦となり 争論口舌は痕を絶ちて 台所の擂子木播盆は依然として其の場所に在り ランプコップも普通の粗相(そさう)の外は(こは)るゝことの無きに至るべし 此の如くなれば一家の内は常に怡々(いゝ)として相楽(あひたのし)み 人間最上の幸福(しあはせ)を得んこと疑ひあるべからず 実によろこばしくめでたき事のかぎりにはべらずや

 然るに今の世の男らは世の風俗習慣におほはれて かゝる楽しき境界の世にあることに心もつかず (たゞ)に自己の権力をおしひろめて 其の理なく道なく情なき場合において快楽を求め幸福を得んことを欲しぬるは 大なるあやまりには候はずや 且つ自己(おのれ)(かたく)なに古よりの風俗又は今の習慣に馴るゝまゝに深くも考へ定めずして 世の少しく同権同等の交りをなしぬる男女の在れるを見ては之を悪しさまに評し(そし)(はづかし)むるものあるが如きは 殊に嘆くべきことには侍らずや 嗚呼(あゝ)世の男らよ 汝等(おんみら)は口を開きぬれば改進と云ひ改革と云ふにあらずや 何とて独りこの同権の一点においては旧慣(きうくわん)を慕ひぬるや 俗流のまゝに従ひぬるや 我が親しく(うつく)しき姉よ妹よ 旧弊を改め習慣を破りて彼の心なき男らの迷ひの夢を打破り玉へや

(「自由燈」第31号 1884年6月21日)

 

  其 十

 

 世には嗚呼(をこ)なる論者ありて曰へらく 男女同権てふことは文明開化と称せられぬる西洋にてすら行はれず 其の故は西洋にて男子に参政権ありて国会の議員ともなり又其の議員を撰挙する権あれども女子はこの権なし これ男女同権ならざるの証なり 英国の離婚律に曰く凡そ夫たる者其の妻婚姻の礼を行ひたる後他人と姦通することあらば 是に拠て其妻を離縁するの願書を裁判所に差出すことを得べし 妻たる者は唯其夫の他の婦女(おんな)と姦通したのみにては是によりて離縁の願書を裁判所に差出すことを得ず 然れども若し其夫法律の婚姻を禁ずる近親の者と姦通し又姦通したる婦人を以て本妻と並べ養ひ又は他の婦女を強姦し又は獣畜と交はることある時は離縁の願書を差出すことを得べしなどありて 男女同権ならぬ証は数多(あまた)あるが故に我邦の如き未だ文明ならざる国柄にては行はれがたく 又行ひては害あるものなりなど云々の(あげつらひ)なり 是れ大なる(ひが)める説にして 西洋は文明なりとは他の未開の国と比べて申することにて これを最上の文明と云ふべからず 故に西洋文明諸国にても道なきこと理なきこと醜きこと悪しきこと数多(あまた)おこなはれ ()の道徳てふ事などに至りてはほとんど我邦にも劣れる行ひの(さは)なる程なれば 西洋に行はれたる事物は(ことごと)く宜しとして用ふべからず 又悉く害ありとして捨つべからず 所謂(いわゆる)長を取り短を補ふて我邦の文明を進むるこそ愛国志士の国をおもふの勤なれ この同権てふことも文明彼れが如き英仏諸国にても未だ全く行はれざることにて ホウセット夫人など云ふ女の碩学(せきがく)の世にあらはれて(いた)く其の誤りを正さんと勤むる所なれ 又近頃は婦人の学識ある人々が会合して婦人参政権を得ることを議院に建言する程の勢となり居れるなり 然れば西洋諸国にても遠からず此の真の道理の勝を得て同権の地位に至ることは 今より鏡にかけて見るが如し 蓋し西洋の国々にても昔より強きものゝ弱きものを打従がヘ これを自己の支配の下に(おさ)へ付くるの風は今に至りて尚存し 富みたる者は貧しき者を苦しめ 貴き者は賎しき者を虐げ 強き国は弱き国々を攻滅(せめほろぼ)すなど 道理に(もと)れる行ひの数多あることなれば 男が腕の力の強きに任して弱き女を虐げ苦しめたる遺風は今に至りて尚存し 同権の理の末だ全く行はれざることにやはべらんも知る可らず こは是れ文明の欠点にして西洋の未だ文明の最上に達せざるの証とも申すベし 然るを我邦の改進を期し文明を望む人にして 其の欠点を証として我邦にも同権を行ふことの不利を説かんとするは ()た如何なる心にやはべりなん いとも(つたな)くおろかなることの限りと申さんのみ

 試みに論者の言に従ひて何事も西洋の人の為す事は疑はずしてこれを為すことゝ定むべきか 論者はこの義においては異論もあり申すまじ 西洋にては一夫一婦なり 論者はこれを守り玉ふなるべし 西洋にては婦女は男子に(たす)けられて乗車の昇降なし侍る 論者はこれをも学び玉ふなるべし 西洋にては婦人は男子に先き立て家室を出入なす 論者はこれにも異論なし玉ふまじ 西洋にては婦女が男子をして門戸を開閉せしめ或は饗宴に陪して飲食を先んずるなどの事あり 論者はこれにも異議を唱へ玉ふまじ 西洋にては室内又は汽車の内人衆(ひとかず)多くありて男は安坐することを得ざるも婦女は其坐を占めて坐することを得 又烟草(たばこ)を吸ふに女子の許可を得ざればこれを喫することを得ざるなど種々特権あり 論者はこれをも(つゝ)しみて守り玉ふなるベし 今我邦の男子にして女子に対し上の如き礼儀を尽すものあらば 人はこれを指して如何に笑ひ評しはべらんや 然るを論者が西洋にて為せるだけは何事にても為すべしとの志にてこれを甘んじ行ひ玉ふといふことならば (わなみ)も喜んで其の説に従ひ参政権若くは法律の事のみ他日にゆづりて (しばら)く不同権の位置に安んじつゝもこの西洋同様なる男子の優待を受けはべらんのみ 我が親しく愛しき姉妹は甚麼(いか)に考へ思ひ玉ふや

(「自由燈」第32号 1884年6月22日)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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中島 湘煙(烟)

ナカジマ ショウエン(エン)
なかじま しょうえん 本名:俊子 民権家・思想家・教育者 号湘烟 1863(旧12・5)~1901・5・25 京都下京の呉服質屋の家に生まれる。幼少から文事に優れ、天才を謳われ1879(明治12)年16歳にして宮中に文事御用掛として出仕、皇后に「孟子」等の漢学を進講した。1881(明治14)年には発奮して辞職、母と共に各地を歴遊、自由民権運動家を知り、その運動に飛び込む。女性の権利確立拡張を初めて広く世に説き、凛乎とした演説は時世に魁けた。1883(明治16)年、「函入娘」の演説が不穏当な言論とされ下獄、しかしこの演説は福田英子ら多くの後進に強い刺激を与えた。1886(明治19)年頃、後に初代衆議院議長となる自由党副総裁中島信行(長城)と対等に自由結婚、家庭人となり横浜のフェリス和英女学校名誉教授となり、女性解放のための言論活動を展開した。一方で持ち前の美貌と才知、弁舌で明治の社交界にも活躍したるも、夫妻共に病み大磯に療養、夫を見送って後2年余、享年39歳で死去。

掲載作は、女性解放の必要性を女性側から訴えた代表的な論である。明治17年5月創刊された自由党系小新聞『自由燈』の第2号から32号に掲載、まだ中島と結婚前で、姓表示のない「しゆん女」という署名を用いた。

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