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性と愛

 浴室で、女がシャワーを使っている。扉を閉ざして湯を浴びているのだろうから、その音は聞こえていないのかもしれない。それでも僕には、女がシャワーを使っている様子が浮かぶ。頭から湯を注ぎ、それから首回り、胸、そして、股間にノズルを寄せて、丹念に洗う。そう思うから目覚めるのかどうか、解らない。女が、僕の傍らから離れるのを感じ取って、その時に僕も、眠りから覚めて、意識を取り戻すのだろう。  女が来る夜は何時もそうだった。女は深夜に、つまり、午前0時を過ぎた頃に訪れ、早朝にシャワーを浴びて帰って行く。女が僕の部屋にいるのは、数時間に過ぎない。その間、女は、僕のベッドで僕と交わり、性の快楽に没頭し、まどろむ。それだけだった。僅かな時間を無為に過ごしたくないからなのか、女は、部屋に入るなり、忙しげに衣服を脱ぐ。僕もつられて、パンツを抜き取る。女は、パンティを足先から外す頃になって、ようやく、僕に微笑み掛ける。そして、ベッドにもつれ込む。

 微笑みが挨拶なのかもしれないが、通常の会話はない。浴室から出れば、濡れた髪をそのままに、それでも衣服が濡れるのを気にしてか、髪を纏めてヘアーバンドで抑え、下着を付け、身繕いをして、ドアの外に立ち去る。帰る際にも、挨拶をしない。僕はベッドの上に座ったまま、そんな女を眺めている。女が部屋を出てから、僕はシャワーを使い、腰にタオルを巻いただけの裸身でコーヒーを飲み、朝刊が来ていれば、それを読む。

 女は、予告なしに、突然やってくる。いや、これから行くわよという電話は掛けてくる。しかし、それは一方的な通告だった。一週間に一回ぐらい、あるいは、十日に一回ぐらいか、深夜に近くなってから電話が鳴る。

「貴方、いるのね。それなら、これから行くわ」

 女は、それしか言わない。僕の返事を待たずに電話が切れる。チャイムが鳴って、僕は、マンションの玄関の扉を開けるボタンを押す。同時に、部屋のドアの鍵を外しておく。廊下に、女の靴音が響いて、ドアが開く。女は黙って、僕の横を擦り抜ける。

 僕が、ドアの鍵を掛けて振り返ると、女はもう、僕の方に尻を突き出すようにして、スカートを脱いでいる。全裸になって、僕の首に手を回す。衣服を脱ぎ去るのに、僕の方が遅れる。女は、もどかしげに僕のパンツを剥ぎ取り、僕の股間に、手を差し延べる。僕たちは、絡み合いながらベッドに行く。僕が女の股間を探り、女は僕のブリーフを、時には引き裂くようにして、僕の陰茎を掴む。そして、亀頭を噛む。言葉を交わす暇がない。言葉を交わすまでもなく、僕たちは、体を交えている。

 僕が、舌と唇で女の陰核をなぞり、指で女のアナルを突きながら女の尻を掴み、引き寄せる。女は両足でシーツを蹴ったり、踵を僕の背中に激しく打ち付けたり、足首を僕の腰に巻き付けたりしながら、歓喜を深めて行く。女の体液が溢れる。それが、僕の口から漏れて、僕の頬を濡らす。それで、僕には、女の高まりが解る。そして、女は、昇りつめる。

 それだけではなかった。その次には、乳首や首筋への愛撫を求めて、体を重ねる。僕の陰茎を掴んで、亀頭を陰唇に当てがう。僕たちは、腰を突き付け合って、深く交わり、密着する。当然の成り行きとして、二人の腰が動き、それは互いに激しくぶつけ合う動作になって、ベッドを揺さぶる。女は喘ぐだけだ。僕も、言葉にならない声を出すしかない。喘ぎながら、女は愉悦の中を漂い、歓喜がマグマの迸りになる。その時を待っている。いや、快楽が永遠に続くのを願っているのかもしれない。

 僕が放出しても、それに合わせて、女の体も痙攣するのだが、女は、そのまま、僕の体をさらに、両手で引き寄せ、両足を僕の尻に絡めて、放さない。それが、どれほど続くものか、僕にも定かには言えない。気が付くと、女は僕に背を向けて枕に顔を押しつけている。僕は多分、女が充分に、思いを遂げたと思った時に、女の手足が僕から外れ、女から解放されるのだろう。僕は、女の傍らに体を横たえる。僕は、枕に顔を押しつけている女の肩を見、それから、天井を見上げる。何時も、そんな終わり方だった。二度目の時だったろうか。体が離れた際に、シヤワーを浴びるかいと声を掛けた。

「このまま眠らせて。シャワーで体を洗ったりしたら、貴方と切れてしまうわ。貴方を感じながら眠りたいの」

 女の言い分はそうだった。僕の体液を体内に留めたまま、それは、汗までも一緒に自分の体液をも含めて、昇りつめた状態をそのままに、残しておきたいという欲求によろう。以来、何も言わずに、朝まで一緒に、まどろむようになった。そして、朝早くに、女はシャワーを浴びて出て行く。だから、女が訪れて出て行くまで、僕たちはほとんど、言葉を交わさない。それでも、僕たちは男と女だった。男と女として交わる。それに、何の支障もなかった。

 女が帰った後、僕はコーヒーを飲みながら思いを巡らす。女が突然、訪れると言ったが、その一週間か十日の間隔は、僕にも解るような気がする。男だから、ふと女を抱きたくなる時がある。それが、女の訪れる日に重なる。女と僕は同じように考え、肉体が、それに応えているようにも思える。愛し合っているわけではない。日常の会話もないのだから、語り合って、愛を確かめる暇もない。肉体だけの繋がりだが、それが、男と女だから、成り立っている。

 そうした、男と女の関係が、もう、かれこれ、半年余も続いている。女と出会ったのは、冬に向かう季節だった。その頃、女は、白い豪華な毛皮のコートを着ていた。そんな姿態に、僕は、娼婦を見ていたように思う。パリの娼婦を知っているわけではないが、映画で見たか、小説を読んで想い描いていた娼婦の像が女に重なる。

 妻が僕の所から出て行って二か月ほどした頃だった。所在なく、外で酒を飲んで夜を過ごすしかなかった。行きつけの酒場で、バーテンを相手にウイスキーを飲んでいた。妻についての愚痴を言っていたかもしれない。

「いい女でしたからね。お気持ちは解りますよ」

 僕より、一回り以上は年配であろうバーテンが、灰皿を取り替えながら、僕に微笑み掛ける。

「私は、この年になるまで、いい女に巡り会えないで来たものですから、あんな方とご一緒にいらっしゃる貴方が羨ましかった。本当ですよ。ですから、私はずっと独りで、こんな商売を続けているんですよ」

「何人も、若い子を使ってきているのでしょうし、お客さんにも、いい女がいたのではないかと思いますがね」

「さあね。仕事が仕事ですから、雇人やお客さんに声を掛けるわけには参りません。奥さんに、声をお掛けしても、よかったんですか。それにしても、奥さんは、いい女でしたね」

「いい女だったというのは、どういう意味なんだい?」

「あれほどの美形は、そうざらにおりませんでしょうし、ボディが素晴らしかった。いえ、私は何も、奥さんの体を知っているわけではありませんが、二、三度ここにもお見えになりましたから、およその見当は付きますよ。多くのお客さんを長年にわたって見てきておりますしね。眼力には自信があります。胸の張り具合や腰回りの充実感は、そりゃ、よく解りました。そんな女性を奥さんにしている貴方が羨ましかった。私も、一生の内に一度くらいは、奥さんほどの女体を抱いてみたいものだと思ったほどですよ」

「確かに、いい女だった。何もかもよかった。貴方に言われて、女房の体が目の前に浮かんでくるよ。ほかの女と比較して、どうこうとは言えないけれど、最高の女だったに違いない。すべてに弾力があり、潤いがあり、そして、何時も体が燃えていた。熱かった。僕を炎の中に包み込んで、僕に歓喜をもたらしてくれた」

 そんな所に、女が割り込んで来た。独りなのだろう。だから、特別な意味合いがあって、僕の隣の席を選んだわけではなかろう。独りだから、ボーイがテーブルの席でなく、止まり木のカウンターに案内したに違いない。女がカクテルを注文する。

「何時ものやつですね?」

「そう。ご自慢のカクテルではありませんか」

「火の舞?」

「グラスの中に、赤い炎が揺らめいているように見えるわ。それに、こんな季節ですもの。炎を飲み込んで、体の芯から燃え上がりたくなるのよ。もちろん、暑い時には、もっと熱くなりたいし、こう冷えてくると、炎を絶やしたくない。だから、何時でもあたしは、火の舞を注文するの。燃え上がった体をコートに包んで帰り、そして眠るの」

「さあ、どうぞ。貴女の胸の炎が燃え盛りますように」

「胸を燃やすのは、乙女の話よ。あたしが言った体の芯は、もっと奥深い所にあるのよ」

「失礼しました。マダムは、女の芯を燃え上がらせたいと申されたのですね?」

「もちろん、そうよ。女ですもの。女が熱くなりたい場所をご存じないわけがないでしょうに?」

「いや、私は女性について、とんと、不案内でして、申し訳ありません。今、こちらの方と、いい女の話をしていたのですが、私には、経験がありませんので、弱っていたところです」

 女に、カクテルを勧めてからバーテンが僕に、もう一杯作りますかと訊く。

「そうね」

 僕の方は簡単だ。コップに氷を入れてウイスキーを注ぐ。

「あら、それでは、体が冷えてしまうでしょうに」

「いや、僕はこの方がいい。貴女が一年中通して、燃える酒を所望しているように、僕は何時でも、ウイスキーに氷を入れて飲んでいる」

「こちらの方は、ウイスキーがお好みですから。それに、こちら様は今のところ、あまり、燃え上がらない方がいい。そうでしたね?」

「全く。今は、冷えていた方がいい」

「どうして?」

 僕は苦笑するしかない。バーテンが、代わって答えてくれる。

「悲しみに耐えていらっしゃるからですよ」

「悲しみって、何?」

「お話しても宜しいですか?」

「構いませんよ。女房に逃げられた哀れな男だと言ってください」

「奥さんに逃げられた?」

「そうです。僕を残して出て行ってしまった」

「愛し合っていたのに?」

「それは解りません。僕は愛し合っていたと思っています。出て行く直前まで、彼女も僕を愛していると言っていましたが、それでも、出て行ってしまった。僕を憎んで、とも言わなかったし、別れの言葉も残さずに」

「それは、おかわいそう。でも、愛なんて、そんなものかもしれませんわ。全く、実態がないものですからね。いかがですか。これを召し上がって、炎に火をお点け遊ばせよ」

「せっかくのお勧めですから、お作りしますよ」

 僕の前に出されたカクテルグラスに、僕が手を添えると、女は自分のグラスを合わせた。

「お互いに、燃え上がりましょうよ。それが人生ではありませんか」

 それから、愛の稀薄さについて語り合ったろうか。僕の方から、女房はいい女だったと言ったものかどうか。気が付くと、僕たちは、止まり木を離れて立ち上がっていた。女に誘われたような気もする。

 僕が、女の分も含めて支払いを済ませると、バーテンが片目をつむって見せた。

「楽しい夜を」

「ありがとう」

 クロークに預けておいたのだろう。ボーイが、女のコートを差し出す。日本人には珍しい豪華な毛皮のコートだった。僕が受け取り、女の肩に当てがう。

「嬉しいわ」

 僕は僕の冴えないコートを纏って外に出る。

「これなら、貴女の言うように、僕も、燃え上がった火を消さずに帰れる」

「貴方も、そう思う?」

「もちろん」

「貴方も、火を消したくないのね」

 女の右手が、僕の左腕に絡まる。そうして、深夜に向かう銀座通りを歩いていると、女に言われるまでもなく、僕の中に燃え上がった炎は、消え去るどころか火勢を増し、僕の男を奮い立たせる。

 今しがた、酒場で出会ったばかりの女だった。それでも、腕を組んで歩いていると、昔からの恋人同士のように思えて来る。腕だけでなしに、腰を引き寄せたくもなる。行き交う男と女たちも同じだろう。それぞれに想いを巡らせて、きらめく繁華街を行く。それが都会だった。その中には、愛も憎しみも、そして、悲哀もあろう。しかし、すべてが、男と女でしかない。もちろん、今では、男同士のカップルも珍しくない。そんな時代になっていても、性の交歓は、男と女の営みとして、相互に、快楽をもたらしてくれている。

 女が、僕の行く手を遮る。腕を組み、並んで歩いていたのに、突然、女の顔が目の前に迫り、僕を見詰めている。

「火が消えないうちに、暖かい所に行きましょうよ」

「え?」

「二万円で、いかが?」

 僕は女の顔を覗き込む。女は僕の視線を避けてか、顔を伏せる。そして、小さく言う。

「高い?」

「いや、いいんだ」

 金額の問題ではない。僕は女が娼婦だったのに、驚き、しかし、納得する。女の、白い豪華な毛皮のコートに、僕の娼婦への想いが重なる。僕は銀座の街角で、娼婦に出会い、歩いている。そんな気分にもなる。もちろん、女が娼婦であっても構わない。いや、娼婦でよかったとの思いも湧く。娼婦なら、面倒な思惑なしに、一夜を過ごせる。愛を語らい、女を高揚させなくても、体を重ねるのに不都合はない。女は、娼婦だから、あんなふうに、酒場に顔を出して、獲物を探しているのだろう。さりげなく、カクテルを勧めて、男を物色する。それが仕事なら、商売上手な誘い方としか言いようがない。

「何処に行くんだ?」

「ホテルがいい?」

「何処でもいいが、それなら、僕の所に来たらいい。僕はどうせ、独りなんだ」

「そうでしたわね。貴方は、奥様に逃げられて、独り住まいだとおっしゃった。お独りなら、貴方の所に行ってもいいわね?」

 女は、僕に微笑み掛け、また、腕を絡めて歩き出す。

 女に言われるホテルに行って、それが、娼婦が使うような曖昧宿だったりしたら、惨めな思いにもなろうし、そんな所だったら、女のヒモに脅かされでもするような事態にならないとも限らない。もし、そこが一流ホテルだったりしたら、解っていますよという笑顔に迎えられて、チェックインしなければならない煩わしさもあろう。僕の所なら、手間がかからない。それに、僕のマンションまで、銀座から、タクシーなら、十数分で行ける。

「その方が、いいわ」

 女が、小さく言う。

 僕は直ぐにタクシーを止めて、僕の住所を告げる。深夜に近い時刻であれば、僕のマンションには、管理人がいない。僕は自分の鍵で玄関の扉を開け、僕の部屋に辿り着く。エレベーターでも、廊下でも、だれにも会わなかった。僕はそっと息を吐き、女の腰を押して、部屋に滑り込む。

 明りを点けてダイニングに入り、振り返ると、女はコートを脱ぎ捨て、もう、スカートを足から抜こうとしている。

「暖房を入れるよ。直ぐに温風が出るから、部屋が暖まってから、脱いだ方がいい」

「駄目よ。早く、熱くなった方がいいわ」

 それが、娼婦のやり方なのだろうか。商談が成立したら、さっさと事を済ませてしまった方がいい。そして、次の獲物を求めて街に出て行く。それが、二万円の商売なのだろう。そのように、理解する。僕も、急いでコートを脱ぎ、上着を放り出し、ネクタイを抜き、ワイシャツのボタンを外す。それにしても、女の作業の方が早い。僕が、パンツのベルトを取る頃には、すでに全裸になっていた。裸身を晒していながら、恥ずかしがる様子を見せない。明りを消して、とも言わない。

「ここで、いいの?」

「僕のベッドは、向こうの部屋にある。でも、お好みなら、ここのソファでもいい。いや、ここの方がいい」

 僕を残して出て行ったとはいえ、ベッドでは、妻との交わりを重ねている。娼婦とは、ベッドでない方がいいかもしれない。

「早く、しましょうよ」

 女は、そう口走ると、まだ、パンツを脱ぎかけている僕をソファに押し倒し、体を重ねて来る。僕は慌てて、パンツとブリーフを剥ぎ取り、女の裸身を受け止める。ソファの上では、手足がままならない。足が宙を蹴っている。女の尻を抱えようとすると、それが、ソファからはみ出していたからなのか、僕たちは床に落ちた。そうなれば、僕たちは互いに、自由に動ける。

 女は、体を回して僕のものを口に銜え、僕の顔を両膝で挟む。そして、前のめりになって、僕の亀頭を吸う。膝で、僕の顔と肩を抑えるようにしているから、股間が僕の目の前に広がり、女の陰毛が見える。それも、娼婦のサービスなのかもしれない。黒い毛を掻き分けたい想いに駆られるが、娼婦に、こちらから手を出して、嫌がられるのも困るから、手が出せない。しかし、想いは募る。亀頭に絡まる女の舌の動きに、僕は、我慢ができなくなって女の両腿を撥ね除け、体を起こして女の上に胸を重ね、女の足を広げる。女の太腿の間に腰を入れると、女は両足を立て、腰を持ち上げるようにして、僕を迎える。

 女は喘ぎ、立てていた両足を僕の腰に絡ませ、両手で僕の尻を抱え込む。演技なのだろうか。それが、男を歓ばす手立てでもいい。女は、僕に合わせてというのではなしに、勝手に、僕以上に激しく腰を動かし、僕を求めている。僕の男を感じ取ろうとして、股間を突き付けて来ている。あるいは、股間を締めて、それを、貪っている。それが、女が言った体の芯を燃え上がらせる行為なのだろう。

 僕は、一気に昇り詰めて、放出してしまう。妻が出て行く前に、そんな交わりがあったろうか。妻との交わりには、何時も満たされていた。しかし今、その女との交わりには、それとは違う感触を味わったように思う。女が、娼婦だったからだろうか。娼婦だから、金額に見合う奉仕をした。そのようにも思えるのだが、僕が何回か交わった娼婦は、それほどまでには、しなかった。早くに、事を終えようと、声を上げたりするが、それだけでしかなかった。その女は、例え、演技であったにしても、僕と一緒に、セックスに没入し、愉悦を共にした。しかも、それは、あまりにも粗野で、男と女の本性をむき出しにした交わりだった。

 絨毯が敷いてあるといっても、堅い床の上だった。女の肩を抱いている僕の腕が痛い。体を回して腕を抜く。その動きに連れて、女が僕の上に体を重ねる。僕のものはまだ、女の中にあった。女が両腿を合わせて、銜え込んでいる。女が、上から、僕の顔を覗き込む。

「あたし、まだ、燃え尽きていないわ」

 僕は顔を横に振る。僕はすでに、放出してしまっている。男は、それで、満たされる。

「貴方は、そのままにしていていいのよ」

 女は、僕の上に腰を据え直し、それを上下に動かす。女の中にあっても、僕のものは前ほどの張りがなかろう。それでも、女は僕に体を押しつけ、行為に没頭している。それは、僕に関係なく、彼女自身の快楽を追及する姿勢なのだろうか。しかし、萎えかかっていた僕のものが、女に導かれて、再び、燃え上がる。僕は身体を起こし、僕の上に乗っている女をもう一度、押し倒し、女の上になり、改めて、激しく女を突く。女は、同じように喘ぎ、両足を僕に絡めて、身悶える。

 しかし、今度は、僕が果てると、女も静かになった。それだけではなしに、僕を押し退けて、下着を付け始めた。

「充分に、燃え上がれたわ」

 尻を僕の方に突き出すようにして身支度をしながら、顔を僕に向けて微笑む。僕も慌てて、パンツに足を入れる。

「もう、帰るのかい?」

 一回、幾らというのが、娼婦の商売だろう。僕は、そのように受け止める。僕は立ち上がって、背広のポケットから財布を取り出し、一万円札を数えながら言う。

「二万円でいいのかい?」

 女の表情が一瞬、強張る。しかし、それは直ぐに、笑顔に戻る。

「お約束でしたわね」

「二万円で、いかがかと貴女は言った」

「そうでしたわね。それでしたら、二万円、頂くわ」

 あらかた身繕ろいを終えた女は、僕が差し出した二枚の札を無造作にバッグに入れる。

「ご免なさい。お化粧だけ直したいの」

 洗面所のドアを開け、そこを指し示してから、僕は急いでワイシャツに腕を通す。暖房が効いているといっても、十一月も末である。女との交わりで、汗まみれになっているのだが、それだけにかえって、冷気を感じる。

 化粧を直した女が現れる。

「出る時には、鍵なしで、玄関の扉は自動的に開く。送って行って、だれかに会ったりしたらまずいから、送らないよ。この時刻でも、この辺りではまだ、タクシーが幾らでも走っている」

「そうね」

 女が微笑み掛ける。愛人ではなく、娼婦であっても、情を交わした女だった。女に、いとおしさを覚える。

 女の肩に、毛皮のコートを掛けてやる。

「ありがとう。また、来てもいいかしら?」

「僕は独りだから、何時来てもいいけれど、来る時には、電話ぐらい掛けてくれよ」

 女が手帳を出したので、それに電話番号を書き込む。そんなふうに、客を確保しているのかもしれない。

「また、来るわね。きっと」

 女は、手を挙げてドアの外に出る。女の方からドアが押されて閉まる。

 女が去って、僕は息を飲む。二万円の遊びなら、悪くはない。女との交わりがまだ、股間に残っている。女の濡れた肌合いを感じて、僕のものが疼く。女ともつれ合った姿態が浮かぶ。それが、客へのサービスだったとしても、女は女を露わにして、僕に絡んだ。いや、女をさらけ出して、僕を歓ばすというだけでなしに、自分の行為を通して、自らの快楽に浸った。そんなふうにも、思える。そうした交わりは、妻との間でもなかった。娼婦に、男と女のありようを知らされたようにも思う。

 ただ、女に住まいを知られてしまったのが、何処かに、わだかまりを残している。再度の交わりを期待して、電話番号も教えてしまった。脅迫めいた電話が掛かってこないとも限らない。しかし、女に改めて、金を要求されるような事態になったとしても、それはそれとして、女を許せるような気分にもなっている。

 僕はワイシャツを脱ぎ、パンツを外して、浴室に向かう。途中で、よれよれになったシャツとブリーフを拾い、洗濯機に放り込む。

 しかし、シャワーを浴びながら、また、来てもいいかと言い残して帰った女だが、もう再び、訪れはしないだろうと考える。女は、僕から金を受け取って帰った。男との交わりによって収入を得ている娼婦だった。娼婦が一人の男に執着するわけがない。交わった女の体液を洗い流してしまったから、そんなふうに思うのかもしれない。女が、電話番号を書き留めたのは、それも、客の気を引く手立ての一つとも思える。だが、娼婦であっても、僕はその女に、思いを残している。タオルで体を拭っていると、僕はそこに、独りでいるのに、苛立つ。

 

     *

 

 女に会いたいと願っても、こちらからは、女の所在が掴めない。女に出会った酒場に行き、バーテンに訊いてみるしかない。

「火の舞の女は、よく飲みに来るのかい?」

 さりげなく、バーテンに声を掛ける。

「火の舞の女ですって?」

「三日ほど前だったかな。僕の隣でカクテルを注文し、貴方も僕に、そのカクテルを勧めた」

「ああ、あの女性ですね。お気に召しましたか?」

「面白い女だった。そんなふうに感じた」

「結構、際どい話もなさいましてね。ご一緒なさったお客さんは、皆さん、そうおっしゃいます。しかし、それは、ここだけの話のようでして、何時も、お一人で帰られます。この前のように、殿方をお誘いして帰られることは、これまで、ありませんでした」

「それじゃ、僕は光栄に浴したわけだ」

「ようございましたね。それで、あの夜は、いい思いをなされた?」

「いや、そういうわけではない。ただ、銀座通りを歩いただけだが、また、会ってみたい、そんな気分になる女なんじゃないかな」

「時々は、お見えになります。でも、常連というほどでもありません。二、三日、続けて来る場合もございますが、一か月も二か月も顔を見せない時もあります。お勤めなのか、自営業なのかも解りません。いや、何処ぞの奥さんかもしれませんね。お若くはないので、私は、マダムとお呼びしているのですが、もちろん、お名前も知りません。先方がおっしゃらなければ、私どもが詮索するわけにもまいりません」

 女に会いたければ、僕は毎晩でも、酒場に立ち寄って、女が現れるのを待つしかない。娼婦であるなら、何時も同じ酒場で、客を物色するわけにはいかないのだろう。それでは、噂になってしまう。酒場に顔を見せるのはまれで、酒場とは関係なく客を拾い、商売している。そう考えるのが自然だろう。

 そんな思いに駆られている時に電話があった。僕は一瞬、胸が締め付けられる思いがした。待っていた電話だった。その夜も、所在なく酒を飲んで眠りに就いた直後で、頭が朦朧としていたのだが、それは瞬時に吹き飛んだ。

「これから、行ってもいい?」

 間違いなく、あの女の声だった。

「待っていたよ。直ぐに来られるのかい?」

「直ぐに、行くわ。お酒を飲んでいたら、貴方が欲しくなったんですもの」

「玄関の所で、部屋番号を押したらいい」

「解っているわ」

 僕は、毛布を蹴って起き上がり、パジャマの上にガウンを纏う。何も、着替えて、女を待つ必要はないだろう。乱れたベッドを見て、その方が、女を誘うのにいいように思う。僕は、部屋の暖房を強めにし、キッチンのテーブルにワインを用意して、女を待つ。チーズの買い置きがあるのを思い起こす。女の声を聞いた時から、僕のものは大きくなってしまい、パジャマの下履きを突き上げている。椅子に腰を下ろすと、そこが突出してしまう。僕は椅子に手を掛けて立ち、女を待っているしかない。

 ふと、時計を見る。すでに、午前一時を回っている。電話が掛かってきてから、どれくらい経つのだろうか。まだ、僅かかもしれない。すでに、一人か二人、商売を済ませ、深夜の街に出て、行く当てがなくなってしまい、僕の所に電話を掛けて来たのかもしれない。それでもいい。僕は、女を待っている。

 ようやく、玄関からのコールがある。僕は、ドアの前に立ち、女の足音を聞き出そうと身構える。女が、近付くのが解る。ブザーが鳴る前に、僕は、ドアを開ける。女の艶やかな顔が、そこにあった。

 見ると女は、この前と同じに、豪華な毛皮のコートを纏っていた。僕は、その姿態に娼婦を感じる。映画か何かで知っている娼婦は、そんな格好で街角に立っている。僕は、娼婦に声を掛ける気分で、女の耳に口を寄せる。しかし、手の方が素早く動き、女の腰を抱き寄せて、ドアの中に入れる。鍵を掛けて振り返ると、最初の時と同じように、女はもう、コートを足元に落として、スカートを脱ぎに掛かっていた。

「ワインを用意しておいた。一杯飲んでからに、しようや。慌てなくても、いいだろう?」

「お酒は、もういいの。それより、あたしは、貴方が欲しくなったの。お酒より、貴方を飲みたいわ」

 僕だって、そうだ。しかし、普通の男と女であれば、例え女が娼婦であっても、ベッドに入る前に、シャワーで体を洗うなり、ワインで乾杯するくらいの時があってもいい。それなのに、女は、部屋に入るなり全裸になり、僕のガウンの前を開く。僕は、女に押されて後退り、ベッドに倒れ込む。

 初めての時には、妻への思いもあって、ソファでと言い、床に転げ落ちて交わったのだが、痛みが残った。それなら、ベッドの方がいい。女も、拘りを見せない。当然のように、僕をベッドに押し倒すと、僕のパジャマの下履きを抜き取って、僕のものを口にする。お酒より、貴方を飲みたいと言った言葉通りに振る舞う。

 最初の時は遠慮したが、僕ももう、大胆になっていた。僕も、女の股間に顔を入れる。女も、それを感じ取ったのか、太腿を広げる。僕は、女の陰毛を分け女の体液を貪る。女は、僕の舌の動きを求めるかのように、陰唇を動かす。

 

    *

 

 一時間ほども、まどろんでいないだろう。女が、起き上がる気配に、目覚める。

「シャワーで、体を洗ってもいいでしょう?」

「構わないよ。タオルを出してあげる」

「ありがとう」

「一緒に、シャワーを浴びてもいいかね?」

「駄目よ。貴方とは、セックスをするために来たんだわ。それだけよ。貴方と二人して、シャワーを浴びるだけなんて、意味がないわ。浴室で、シャワーを浴びながら、また、セックスしたら、あたし、帰れなくなってしまうもの」

 夜明け前に、といっても、もう、あらかた、夜は明けているのだろうが、朝までには帰らなくてはならないのが、娼婦なのだろうと受け止める。

「だから、シャワーはシャワーだけにしたいの。いいでしょう。貴方は、あたしが帰ってから、一人で、シャワーを使いなさいよ」

「ああ、そうするよ。残念だけれど、今は、諦めるよ。しかし、シャワーを浴びながら、君の裸身を観賞してみたいものだ」

「それは、セックスと違うわ。でも、そうしたいのなら、今度は、浴室で、セックスしましょう。その方が、貴方のお好みならね」

 僕は、浴室に押しかけるのを断念する。裸身を曝しながら寝室を出て行く女を目で追いながら、ベッドの上に座っているしかない。女と過した時間を想いやる。それでもう、充分に満たされてもいる。僕は、ゆっくりと立ち上がり、汚れたパジャマの下履きに足を通し、素肌の上にガウンを羽織る。そのまま、足を運び、クロゼットに掛けてある上着のポケットから財布を取り、一万円札二枚を引き抜く。そして、浴室から出て、身繕いをしている女に、この前と同じように、その二枚を差し出す。女が、顔を上げて僕を睨む。女の鋭い視線が、僕を射る。

「お金なんか、頂けないわ」

「どうして?」

「お金を貰いに来たんじゃないもの。貴方とセックスしたくなったから来たんだわ。それだけよ」

「しかし、君は、二万円でどうかと、僕に、言った」

「それは、この前の話でしょう。あの時は、そうとでも言わなければ、誘いようがなかったからだわ」

「二万円で遊んでくれる娼婦だと思って、僕は、君の誘いに乗った」

「あたし、娼婦じゃないわ。お金を貰って、男の人を歓ばせようと考えたわけではないの」

「じぁ、何故、僕を誘ったんだい?」

「だから、言ったでしょう。貴方と、セックスしたかったからって。それだけなのよ」

「それだけ?」

「そのほかに、何があるの?」

「男と女だ」

「そう、男と女よ。貴方が男だったから、貴方とセックスしたかったのよ。それで、いいでしょう?」

 それだけ言って、女は出て行った。テーブルの上に、一万円札二枚が、切り裂いたノートの端くれのように、残されている。

 男と女なら、愛があると言いたかった。その女は簡単に、セックスという言葉を使ったが、男と女の間にセックスがあるのは、愛の介在があっての話だろうと考えている。妻との場合もそうだった。最初は、妻の肉体に魅かれたからといっても、妻との交わりには、愛があった。例え、男同士であっても、その交わりには、愛があろう。愛に拘らない男と女のセックスなら、そこに、なにがしかの代償があってもいい。それが、二万円なら、格好のやりとりになる。

 初め、女に、二万円でどうかと誘われた。二万円の関係を納得して、女と交わった。それが今、女は二万円を受け取らずに帰った。二万円の関係ではないとの態度を見せた。男と女だから、セックスしたのだと言った。確かに、僕と、今出て行った女とは、男と女でしかない。

 しかし、僕が、男と女だと言ったのは、その間に介在するもの、例えば、愛とか、金銭の絡みがあって、男と女の交わりが成り立つのではないかという思いがあっての言い方だった。妻との間では、もちろん、金銭の授受があったわけではない。愛があっての交わりだったと言いたい。それなのに、今、僕と交わって帰った女との間には、何もない。

 

     *

 

 僕は、妻を想い浮かべる。僕は、妻を愛していた。いや、今でも、愛している。だから、妻と生活を共にし、交わって来た。経済的な面を言うなら、妻は、僕と一緒になる前からの仕事を続けていて、僕に依存する立場にはなかった。何とはなしに、日常の生活費は妻が支払い、僕が居住費などの支出を受け持ってきた。大きく言えば、妻は僕に、将来にわたる生活設計を委ねていなかったわけでもなかろうから、その間に、つまり、男と女の間に、金銭の絡みがなかったとは言えない。しかし、それを言う前に、僕たちは男と女として、愛しあっていた。そのように考えている。

 妻は、いい女だった。何がいいかと言えば、まず、整った顔立ちを挙げなければならないだろう。眉毛と目のつくり、そして、鼻といい、唇といい、男を魅了する輝きがあった。それに、魅かれた。しかし、それだけだったろうかと思う。妻の場合、胸の突起が男を誘っていた。それ以上に、括れた胴の下で揺れる尻の膨らみが、男を魅きつけていたに違いない。つまり、それは、愛を語らう前に、そうした女体との交わりを求める気持ちが先行して、男と女の関係が成り立ったのだと言えなくもない。

 だから、僕は妻を求めて、愛を語った。それに、妻が応じた。それが、男と女だった。そして、僕たちは結ばれた。男と女として、交わった。しかし、考えてみるに、僕が愛したのは、妻ではなくて、妻の女体、つまり、胸の突起や、腰周りの曲線だったのかもしれない。そうした肉体に、僕の男が触発されて、僕は妻を求めた。それを、否定できない。

 妻に比べれば、僕を誘った女は、それほど豊満ではない。直ぐに、全裸になって、僕に、それを晒すから、僕には、女の胸の突起や、腰周りの肉付きが見て取れた。しかし、それをどうこう吟味する暇もなく、女は僕に体を重ね、セックスに没頭する。妻のように、胸や腰で、男を魅きつけようとの素振りは見せない。男と女であればいいだけであって、セックスにのめり込む。そして、それを言うなら、セックスに熱中する度合いが、妻よりも深かった。妻は、交わる前に、僕に愛撫を求めたが、女は愛撫でなしに、セックスそのものに身を焼く。妻の場合は、妻が自分の肉体に誇りを持って男を迎え入れているというのか、男に愛されるのが当然だという交わりだったように思う。

 一週間か十日の間隔で訪れる女とのセックスに、僕は、掴み所のないもどかしさを覚えながらも、男と女の交わりに、喘いでいる。愛を語らう暇がないのも一つだが、僕に、女が見えないのが恨めしい。妻のように、女体の輝きを見て取れれば、それなりに、納得できようと、女に、女の肉体を感じ取りたいからと、浴室に誘ってみたものの、そこでも、僕たちは浴室に入るなり体を絡み合わせ、セックスに没頭してしまう。確かに、セックスを終えて、浴室を出る際など、女の胸の突起や、尻の盛り上がりが見られるのだが、そうなると、その時にはもう、それがそこにあるだけでいいというような気分になってしまっている。

 妻の裸体と比較してみても意味がない。僕と女は、交わるだけの間柄になっていて、それに、満足している。そうしたセックスのありように、僕は引き込まれ、女が来るのを待っている。もどかしいのは、女が現れるのを待っているしかない立場だった。こちらから、女を求められない。それが、僕の苛立ちにもなっている。しかし、女は確実に、一週間か十日の間隔で、電話を掛けて来る。僕はそれに、依存するしかない。

 寒い季節が過ぎると、女は、コート無しで、訪れるようになった。初夏を迎える頃には、薄物で現れるようになり、交わるまでの手間が、さらに、短縮された。その頃にはもう、僕たちは互いに、慣れた関係になっていたので、それが当然のように、直ぐに全裸になり、セックスに没頭する。いや、初めからそうだったのだが、僕たちは全く言葉を交わさずに、肉体だけを絡ませる行為に終始し、女は帰って行く。慣れた関係になっているものだから、女が一人で、シャワーを使って帰るのも、言葉を交わすまでもなく、流れる。

 

     *

 

 暑い季節に向かっている。その日も、テレビの気象情報が熱帯夜になるだろうと報じていた。一週間以上も暑い日が続いている。日中、三十五度を越えてしまうので、夜になっても、気温が下がったとは思えない。コンクリートの建物のためもあってか、室内に籠った熱気が、そのまま残っている。クーラーを入れなければ、過ごせない。

 六月に入って、まだ、日が浅い。梅雨どきだというのに、晴天が続き、早くも、真夏の様相を呈している。それで、クーラーを入れたまま眠っていると、訪れた女が、クーラーを切って欲しいと注文する。

「雨の日もいいけれど、暑ければ、暑い方がいい。自然を、そのまま受け入れるのが、あたしの考えよ」

 女は、そう言った。

「汗が吹き出るのって、気分がいいじゃない。クーラーの冷たい風で冷やされでもしたら、せっかく、燃え上がった体が凍ってしまうわ」

 女と交わっていると、汗が滴り、熱気で息苦しくもなる。しかし、女の言う通り、燃えた後の火照りは、それなりに、気分がよかった。

 女に言われたからでもないが、僕は、ベランダに面したガラス戸を開け放ったままで、クーラーを入れずに過ごしている。もちろん、それは、僕が僕の部屋に帰ってからの話で、僕が、仕事に出ている間は、すべてを締め切っておかなければならない。帰ってからガラス戸を開け、そのほかの窓も開け放し、風通しをよくして、女を待つ。そんな日々が続く。クーラーを入れずに我慢しているというほどでもないが、女の言い分に従っているのに、苦笑するしかない。

 その日、窓を開けてくれたのは、義妹だった。以前は、それほど気にしてはいなかったのだが、マンションは通気性が悪いから、窓を開けておいた方がいいわと、何時か、義妹が言った。それはまだ、寒い頃だったが、それ以来、僕が締め切って出て行ってしまう僕の部屋に来て、窓を開けているらしい。

 近くに住んでいる、妻の妹だった。老いた母親の面倒を見ている。僕と一緒になるに際して、妻は、母親の面倒も見なければならないからと言って、実家の住まいの近くに、マンションを購入するよう求めた。僕は、何処に住んでもよかった。しかも、深川に近いその辺りは、僕の通勤にも向いていた。しかし、母親の面倒を見なければと言いながら、妻は、自分の仕事にもかこつけて、実家には、寄り付かなかったようだ。結局は、妹に母親を任せている。

「彼女も若いんだし、独りでは大変だろう。何なら、僕たちが向こうで、一緒に住んでもいいんだよ」

 結婚して、マンションに住むようになってからしばらくして、僕は妻に、そう言った。

「貴方、妹にも、興味があるの?」

 妻はすぐさま、反発した。

「ブタ娘にも、手を出したいのかと思ったわ」

「そういう意味で言ったわけではない」

「あの子は、ただのデブよ。それだけの女でしかないわ」

 妻は何故か、妹を悪し様に言う。自分の女を意識して、それに対して、妹を女として認めたくないという思いが強いのだろうか。

「いや、僕は君のお母さんを気遣って言ったまでだ」

「だったら、親の面倒は、彼女に任せておいたらいいのよ。貴方が気を回さなければならないような問題ではないわ。あの子には、それが打って付けなのよ。どうせ、男には持てないんだし、人の面倒を見るのが、好きなんだから」

 妻の実家で、一緒に住んだらと言う提案は、それ以来、口にしていない。恐らく、妻は学校を出て直ぐに、今の仕事に就いたに違いない。それは、家計の助けのためにというような名目もあったろう。しかし、それ以上に、妻は、外に出たかったのだろうと思う。だから、義妹は、母親のためにというより、学生時代から、家事の面倒を見ていて、それが続いている。僕たちが結婚する前からだろうから、それはもう、十数年にも及ぼう。性格にもよろうが、妻は、義妹について、家事をするのが好きな子だからと言う。確かに、義妹は、妻のように美貌でもなければ、体も、単に、太っているという感じでしかない。町中を歩いていても、取り立てて、目に付くような娘ではなかった。今も、質素な、ごくありふれたブラウスとスカートを纏っている。

 義妹に、僕の提案が伝わっているのかどうか知らないが、彼女は苦情も漏らさずに、母親の面倒を見、妻が出て行った後には、僕の生活にも、気を遣ってくれている。

 キッチンで、僕がそのままにしておいた食器類を洗ってくれている義妹に声を掛ける。

「クーラーを入れようか」

「どうぞ、そうなさいませ」

 義妹が僕の所に来るようになったのは、妻が出て行って、直ぐの頃ではなかった。年末になって、おせち料理を届けに来たのが、最初だったように思う。

「独りでは、何も、お作りにならないと思って」

 義妹は、そう言った。それから、毎日ではなかったが、僕が帰ると、テーブルの上に、料理が載っていたりするようになった。料理といっても、だいそれたものではなく、野菜の煮物であったり、魚の煮付けだったりという、粗末な一品に過ぎないが、僕には、嬉しかった。僕が、合鍵を渡したわけではない。ずっと以前に、それは、妻から受け取っていたのだろう。義妹が合鍵を持っていて、僕の部屋に出入りしているのに、苦情は言えない。掃除もしてくれているらしい。下着類などは、僕が浴室で洗い、キッチンにロープを張って干しておくのだが、それが、取り入れられたりもしている。義妹とはいえ、娘に、下着を晒してしまうのに、後ろめたい気がしないでもないが、僕はそれに、感謝している。

 その日は、女が帰った後、僕が不覚にも寝込んでしまい、昼近くになって目覚めたので、体調の不良を告げて仕事を休んだ。午後になって、街に出、遅い昼食を採ったり、涼しい喫茶店でコーヒーを飲んだりして時間を過ごして帰ると、義妹が来ていた。部屋で、義妹と顔を会わせるのは、年末に、おせち料理を届けに来てくれた時以来、数回しかない。

「何時も、ありがとう」

 僕は素直に、そう言った。そうとしか、言いようがない。実家は知っているが、こちらから、わざわざ礼に行くのも、憚かられる。妻が、僕の所から出て行く理由を実家の方に、どのように告げたのか知りようがないが、僕に、非があったとは思えない。母親はともかく、義妹は、姉の身勝手さに胸を痛め、負い目を感じながら、僕の部屋の掃除などをしてくれているに違いない。それは、姉から、母親の面倒を押し付けられている思いとも重なろう。

「義兄さんも、独りで大変でしょう?」

「いや、何とか、やって行けるよ。気を遣ってくれなくてもいい」

「ご迷惑かしら?」

「迷惑だと言っているわけではない」

「姉さんも勝手ね。義兄さんを独りにしておくのなら、ちゃんと、離婚したらいいのに」

「そうも、いかないのだろう。彼女には、彼女なりの考えがあるに違いない」

「どうして、出て行ったのかしら?」

「僕にも、解らない。いずれにしても、僕より、いい男に出会ったからだろうと思う。そう、考えるしかない」

「そんなものかしら?」

 キッチンに立っていた義妹が、振り向いて、僕に微笑み掛ける。その表情に、僕は妻とは違う女を見る。同時に、そこに、妻が立っているようにも感じる。妻とは、そういう存在なのだと思う。僕は、慌てて、義妹から視線を逸らす。

「後は、僕が自分でやるからいいよ。肉や野菜は買ってあるから」

「せっかくですから、何か作ってから帰りますわ。肉を焼きますか。サラダを作りましょうか?」

「それなら、肉は後で、自分で焼くから、サラダを作って、冷蔵庫に入れておいてくれないか。それより、クーラーを点けたらどうかな?」

「マンションは風通しが悪いし、熱が籠ってしまいますものね」

 僕は、ガラス戸を閉め、クーラーの風を受ける。汗が、冷えてくるのが、解る。それより、シャワーを浴びて、裸になりたい。そこにいる女が、妻ではないのに苛立つ。妻ではなくても、あの女なら、断るまでもなく、浴室に行って、全裸になれるのにと思う。

 僕は、氷を浮かべただけのウイスキーを口にする。そうして、妻が作る料理が運ばれて来るのを待つ。そんな光景を想い浮かべる。

「遅くなってはいけないから、適当でいいよ」

「母は今日、鰻が食べたいと言っていましたから、鰻重を頼んで、用意して来ました。ですから、遅くなっても大丈夫なんです」

「それなら君も、ここで、食べて行ったらどうなんだい?」

「そうしても、いいかしら?」

「歓迎するね。ここのところ、何時も独りの食事だから、だれかと一緒に食べられるなんて、願ってもない話なんだ。昨日、買った肉だけれど、四枚、パッケージになっていた。冷凍庫に入れてあるから、二枚出して、焼いたらどうかね」

「サラダを作ってから、肉を焼きますわ」

「それなら、ウイスキーをやめにして、ワインにしよう。ワインで乾杯だ」

 あまり、飲めませんからと言いながらも、義妹はワインを口にした。確かに、直ぐに顔を赤くし、上気した表情を見せる。しかし、会話は弾まない。僕たちには、語り合うべき事柄がない。言葉を交わすのに、ためらいがある。それでも、独りで食べるより、僕は満たされる。何時もより、早い時刻の夕食だったが、窓の外では、臨海副都心の方角になろうか、高層ビルの明りが輝きを増している。

「眺めが、いいんですね」

 義妹が、控えめに言う。何か、言葉を交わさなければいけないという思いがあるのだろう。

「こちらも、高い建物だからね。結構、眺めはいいよ。満天の星とは違うけれど、人工の星が視界いっぱいに広がる。でも、あまり、見ていないね。作り物の風景のようにも思えるしね」

 義妹が、ふっと笑う。

「作り物でも、綺麗ですわ。美しい夜景を見ながら、こんなふうに、お食事ができるなんて、羨ましいわ。母とでは、だだ、何となく食べるだけですからね」

「ここで、食事をしたかったら、時々、来たらいい」

 義妹が、顔を左右に振る。

「姉さんに、悪いわ」

「勝手に出て行ったんだ。ここで、僕と食事をするより、いい所があったのだろう。もっとも、互いに、行き違いになる夜が多かったから、こんなふうに食事をした思いが残っていない」

 食事を終えて、義妹が食器をキッチンに持って行く。僕はまだ、飲んでいたい。

「後は、僕が片付けるからいい。サラダが残っているし、チーズもあるから、僕は、ウイスキーを飲むよ。だから、そのままでいいよ」

 僕は改めて、ウイスキーをコップに注ぎ、氷を浮かべる。煙草に手を伸ばす。ライターを点けようとすると、明りが消えた。

「どうしたんだ?」

「だって、明るいと恥ずかしいんですもの」

「え?」

 立ち上がった僕の胸に、義妹の体がぶつかる。義妹の手が僕の首に絡まる。義妹の体臭というか、汗を感じる。

 明るいダイニングでウイスキーを飲もうとしていたので、突然、照明を消されてしまうと、僕には、何も見えない。窓の外で輝いている高層ビル群の明りは、そのまま広がっているのだが、それが、遠い星空のように映る。僕は、闇の中に立っている。義妹は、照明を消す前に、僕の位置を確かめておいて、キッチンからの歩数も頭に入れて行動を起こしたのだろうか。

 義妹を受け止めはしたものの、ダイニングの木製の椅子では、彼女を持て余す。足で椅子を押しやり、義妹を抱えて、絨毯の上に倒れ込む。自然に、義妹が下になり、僕は、体を重ねる。妻と同じに、肉付きがいいのは知っていたが、胸から下腹部にかけて体が密着すると、改めて、肉厚な体を感じる。唇を吸う。それは、閉ざされたままだった。僕は、唇を外し、左手で義妹の首を抱え、右手で義妹の胸を開く。そこに、深い谷が感じられない。妻の場合は、突出した峰があって、その間が際立っていた。義妹の胸は、ただ、弾力のある厚い肉の上に、乳首があるというに過ぎない。

 その頃になると、目が慣れたのか、外界の明るさもあって、義妹の顔が見えてくる。薄明の中に、白い頬が浮かぶ。

 改めて、唇を合わせる。微かに開き、僕の舌が入る。義妹は、何も言わない。僕の舌が義妹の舌に絡み付いているのだから、何も言えない。僕は、義妹の唇から乳首に口を移す。そして、左手を義妹の首に添えたまま、右手で義妹のスカートを分けて、股間を探る。

「いいのよ」

 義妹が小さく言う。

 腰を浮かせて、自分の手でパンティを抜き抜く。

「いいのよ」

 もう一度呟く。

「でも、初めてだから優しくしてね」

 まさかと思う。三十も半ばになっている。それに、初めての女が自分からパンティを脱ぐだろうか。僕は、自分のパンツとブリーフから足を引き抜きながら思いを巡らす。母親の世話をしているからと、独り身でいるのを語っている。だから、三十も半ばになっていながら、男と接していないと言うのだろうか。

 しかし、手を差し延べると、股間は熱く、濡れていた。暑さのためかもしれない。僕のものはすでに堅く、大きくなっている。僕は、義妹の両足を開き、その間に腰を入れて、肉厚な腿を広げる。そして、何の手立てもなく、直ぐに、両腿の付け根を覆っている陰毛に、その辺りは、薄明の中で、黒く見えていたのかもしれないが、その中に、挿入する。

「痛い」

 腰を引く。体が離れる。

「大丈夫だよ」

「ええ。本当に?」

「じっとしていればいい」

「義兄さん、それでいいの?」

 義妹の首に掛けた左手で彼女の肩を抑え、右手で、僕の亀頭を濡らす。そのまま手を添えて、義妹の陰唇に当てがう。今度は注意深く陰毛を分け、陰唇を押し広げる。そして、深く差し込む。義妹は、あっと声を上げたようだったが、それだけだった。後は、僕の頭を抱え、顔を横に向けた。何も言わない。明りを消していても、僕には、義妹が見える。しかし、僕は義妹の首筋に顔を押しつけているのだから、表情を確かめるわけにはいかない。義妹を、彼女の姿態を感じ取るしかない。一瞬、声を上げはしたが、痛みに耐えているわけでもなかろう。いや、いろいろな思いを込めて、唇を噛んでいるのかもしれない。腰を僕に、突き付けるようにしていながら、それを動かす術を知らない。両足を開き、突っ張っている。

 僕は改めて、右手を義妹の尻に回し、大きな肉の塊を抱え込むようにして、亀頭を動かす。義妹は動かない。ただ、僕の胸の下に体を投げ出して足を開き、僕の腰の動きを受け止ている。声も漏らさない。

 妻との時は、そうではなかった。僕が初めて挿入した際に、痛いとは言わなかった。僕たちは何の支障もなく結ばれ、妻は僕に、足を絡めた。そして、僕の動きに応じた。途中から、歓びを表す声も漏らした。それで、僕の気分も高まり、激しく腰を動かした。妻は、僕が初めての男ではなかったのかもしれない。

 義妹が、どういう想いで、実の姉の夫である僕に、初めての体を開いたの解らない。姉さんも、勝手ね。ちゃんと離婚すればいいのにと言ったのだから、僕たちがまだ、夫婦であるのを承知の上で、義妹は僕に、体を開いた。

 僕は、思いを込めて、義妹を抱いている。優しくしてねと言われたからばかりではなく、僕には、義妹をいたわらなければならない気持ちが疼いている。妻を求めて、初めて交わった時のようにはなれない。妻とは、初めから激しい交合だった。しかし、挿入している形は、妻の時と同じであっても、結ばれ方が違うように思う。僕の下に、ただ、横たわっているだけの女体だが、僕は、それに慈しみを覚え、苦痛をもたらさないようにして交わっている。

 ましてや、あの女との交合とは違う。僕は、自分の高まりを抑え、義妹の中を行き来する。そうして交わっていると、それが、愛なのだという思いに駆られてくる。

 義妹に、歓びはなかったろう。僕が果てると、それは、女だから、終わったのだと感じ取れるのかもしれないが、体を起こして、下着に手を伸ばした。そして、僕に背を向けて、かすれ声で言った。

「ありがとう」

 僕は、答えようがない。それに、義妹が口にした言葉の意味が、理解できない。僕はむしろ、それが、義妹から持ち掛けられた結果であったとしても、妻の妹と交わってしまった行為に、後ろめたさを感じている。

「明りを点けないでね」

 暗闇と言っても、外からの明るさもあり、身繕いをしている義妹の姿態は見える。それに、外の高層ビル群の輝きが重なる。僕は、幻想的な舞台を見ているような気分になる。その中で、義妹の所作が進む。彼女の動きが、優雅に思える。それは、愛を語っている舞踊であろうか。一連の所作を終えて、義妹は、僕に顔を向け、頭を下げる。

 僕は、気付いて、声を掛ける。

「シャワーで、体を洗ったらいい」

「結構です。近くですから、帰ってから、お風呂に入りますわ」

 それだけ言って、義妹は背を向ける。ドアが開く。廊下の明りが差し込む。その照明の中に義妹が出て行き、ドアが閉まる。そこでは、振り返って、挨拶をしなかった。

 ドアが閉じられると、部屋の中に薄明の空間が戻った。僕は、そのままに、窓の外に広がる輝きを見る。煙草に火を点けて椅子に座り、輝きの一つ一つを追う。そこには、現実がある。それに引き換え、薄明の中には、何もないように思えてくる。そこに、義妹がいたのも、そこで、義妹と交わったのも、実態のない男と女がいたのではないかという気分に追い込まれる。

 

     *

 

 義妹が、僕のマンションを訪れる回数が多くなったように感じる。前には、一週間に二回ほどだったように思うが、暑い日が続いているので、日中にガラス戸を開けておかなければならないとの考えがあってか、一日置きぐらいには来ているらしい。そんな形跡がある。

 しかし、仕事先からの僕の帰宅が遅いために、顔を会わせる機会がない。僕に遠慮して、ことさら、早くに帰ってしまうのだろうか。遠慮というより、僕を避けている。そのようにも思える。義妹が届けてくれた煮物に箸を付けながら思いを巡らす。この頃では、惣菜を届けるだけでなしに、こちらに来て作るのであろうサラダが冷蔵庫に入っていたりもする。時には、皿に盛った刺身や鰻がラップにくるまれて冷蔵庫に入れてある。そんな時には、テーブルの上にメモが残されていて、刺身は早くに召し上がれないようなら捨ててくださいとか、鰻は蒸して、召し上がってくださいといった添え書きがあった。

 その、どちらかと言えば、たどたどしい筆跡に、僕は、義妹の心情を見る。彼女の濃やかな心遣いを感じる。そんな女が、キッチンに立っている姿を想い浮かべる。それが、男と女の繋がりのように思う。男と女ではなくて、僕と妻とのありようを、僕は見ているのかもしれない。

 僕は、午後の仕事を早めに打ち切って帰る。そうしなければ、義妹に会えない。会って、礼を言いたい。いや、感謝の気持ちを伝えたいのではなく、彼女に会いたいとの思いが高じている。深夜に訪れる女と交わっていながら、それとは違う女を、僕は、義妹に求めている。

 ドアを開けると、義妹の靴があった。僕は、小さく息を吐く。いてくれて、よかった。姿は見えない。多分、キッチンにでもいるのだろう。脅かしてやろうかとのいたずら心が湧く。しかし、それより早く、ドアの音に気付いたのか、義妹が顔を覗かせる。一瞬、強張ったような表情を見せた。しかし、直ぐに笑顔に戻り、駆け寄る。新妻の出迎えを受けたような気分になる。

「早いお帰りですね。何か、あったのですか?」

「いや、別に。人に会う約束が、先方の都合で、明日に延期になったので、今日は仕事がなくなってしまった。それで、早いけれど、帰って来た」

 君に会いたいために、早くに帰ったのだとは言えない。それでも、付け加えた。

「この前、一緒に食事をしようと言ったのに、機会がなかった。今夜はどうなの?」

 義妹が、小さく頷く。

「何時も、風通しを考えてくれて、ありがとう。もう、いいから、ガラス戸を閉めて、クーラーを入れたらどうかね」

「そう、しますわ」

 僕は、寝室に入って上着を脱ぐ。ネクタイを外す。何時もなら、そのまま全裸になって、シャワーで汗を流すのだが、義妹がいては、そうもできない。すでに、体を交えた関係になっていても、まだ、裸身を晒すわけにもいくまい。上半身だけ裸になり、タオルで汗を拭ってから、薄物のシャツに腕を通す。

「夕飯には、何をお作りしましょうか?」

 部屋の外で、義妹の声がする。妻なら、一緒に寝室に入って、僕の着替えを手伝ってくれるだろう。義妹に、その気持ちがあっても、彼女はまだ、遠慮している。それが、いまいましい。僕は、寝室を出る。義妹は意外に、ドアの直ぐ近くに立っていた。僕が、上半身にしろ、裸になったのを見ていたかもしれない。

「この前は、肉を焼いたから、今夜は、和食にしないか」

「お刺身でも、見て来ますわ。それから、何か」

「お母さんの方はいいのかね?」

「買い物のついでに、何か作って参りますわ」

「買い物を頼んでしまっていいのかな。何なら、僕が出掛けてもいい」

「気にしないでください。お買い物は慣れていますから」

「それじぁ、頼む」

 僕は慌てて、一万円札を渡す。

「これで、足りるだろうか。それに、何時も、いろいろなものを買ってもらっている。それは、後で払う」

「男の人から、お金を頂くなんて、何だか、変だわ」

 娼婦の気分だと言っているわけではないだろう。ただ、義妹には、そんな機会がないものだから、例え、夫からでも、金を受け取って、買い物に出掛けるのが妙だと思えたに違いない。

「君が、買い物に行ってくれるのなら、その間に、僕は風呂に入る」

「どうぞ。そうしてください」

「君も、買い物から帰ったら、風呂に入るといい」

「それじぁ、うちに寄って、浴衣を持って来ようかしら」

「その方がいい」

 義妹は、媚びるのとは違う、さわやかな笑顔を残して出て行く。

 シャワーではなく、バスタブに湯を満たして入る。久し振りだった。妻が出て行ってからは、どうせ、独りだと思うから、ダイニングで全裸になって、シャワーを浴びていた。そして、洗面台で、下着類を洗う。そんな毎日だった。もう、一年近く、バスタブに体を沈めていない。手足を伸ばすと、湯の中に、僕の陰茎が立っていた。義妹の肉厚な股間を想って、そうなっている。それは、あの、深夜に訪れる女の場合も同じだが、何か、それとは違う印象を抱く。あの女を迎える時には、もっと猛々しく、僕の男が、そこに集中しているように思う。今は、同じに、義妹の潤いのある谷間に想いを寄せていても、それに、いとおしさを感じている風情がある。僕は、目を瞑る。

 所詮は、男と女の交わりでしかない。それが、いかに激しい交接であろうと、陰部の結ばれ方に、変わりはない。しかし、考えてみるに、娼婦との場合には、それなりの交合をしているし、妻を抱く時には、深夜に交わる女とは違う接し方をしていたように思う。だが、今はまた、違う。同じように、男と女であっても思い入れによって、それは、異なる。そのように、思う。

 義妹が、浴衣を持って来ると言ったので、僕は浴室から出て、白絣を探す。ブリーフを履いただけで、素肌の上に羽織る。その方が、後が簡単だと、企んだわけでもない。せっかく、和食を用意してくれると言ったのだから、シャツ姿でテーブルに着くより、いいに決まっている。

 戻って来た義妹は、目を丸くした。

「お似合いですわね。お義兄さんの、そんなお姿を見ていなかったものですから、驚きましたわ。そうしていらっしゃると、家庭を感じますわね」

「君も、汗を流したら、どうかね」

「汗臭い格好で、お食事をご一緒するわけには参りませんわね。でも、下拵えを先にしなければいけないでしょう?」

 義妹は、キッチンに行く。その所作に、僕は触発される。新妻を追うような気分で、僕もキッチンに入り、義妹の肩に手を掛ける。そして、抱く。唇を合わす。この前と違って、義妹の方も積極的に、僕の舌を吸う。そのまま、もつれ合って、結ばれたい。しかし、唇が離れると、義妹は直ぐに俯いて言う。

「汗臭い体で、ご免なさい。ですから、汗を流してからにしますわ」

 義妹も、そのつもりでいる。一度、体を交えてしまえば、それに傾斜するのが、自然だろう。そして、二人の間を隔てていた紗幕がなくなる。義妹も多分、僕に会える機会を待っていたに違いない。

 食事の前に浴室に入るのに、義妹はためらいを見せなかった。汗臭くては、食事を一緒にできないと言ったのだから当然だろうが、そこで、彼女は全裸になっている。それができるのも恐らく、僕と体を交えているからで、そうでなかったら、例え浴室の中とはいえ、男と二人の所で全裸にはなりにくい。義妹は、全裸になって、バスタブに身を沈めている。いや、肩から胸にシャンプーを塗り、さらに腰を、太腿を、そして、股間を洗っている。裸身の動きが伝わって来る。

 バスタブの中で揺らめいている肉体を想い浮かべ、僕は立ち上がる。そして、浴室から出て来た義妹を、直ぐに抱く。シャンプーの香りを嗅ぐ。それが、新鮮に思える。湯に漬かっていたからなのか、熱い体を感じる。唇を吸う。浴衣なので、前を開くのが簡単だった。手を差し延べると、股間も熱かった。パンティが濡れている。義妹は、何も言わない。

 僕は、義妹の尻に手を回し、彼女を抱えるようにして、寝室に行く。ベッドに横たえ、そのまま体を重ねる。僕が、義妹のパンティを下げるのに、彼女は腰を上げ、帯をほどきながら、応じる。二度目だからか、何の支障もなく、僕のものは直ぐに、義妹の中に深く入る。二人の身体が、ひとつになる。ベッドが軋む。今度もまだ、義妹は腰を使うまでには至らない。足を絡めても来ない。僕の動きで、ベッドが撓むのに身を任せている。それでも、この前と違って、歓びを感じている様子が伺われる。

 僕が果てても、直ぐに起き上がらない。目を閉じて、息を漏らしている。その表情に、いとおしさが募る。僕も、深く挿入したまま、胸から下腹部を密着している。薄明の中に、時間が流れる。僕は、その移ろいを噛み締める。

 また、汗をかいてしまったわと言う義妹を促して、浴室に入る。それが当然と受け止めて、一緒に入ったものの、そこで、裸身を晒すのに、まだ、ためらいがあったのか、義妹は僕に背を向けて湯を浴びる。僕が、シャワーで自分の汗を流し、股間を洗ってから、義妹の肩に湯を掛ける。

「ありがとう」

 湯の飛沫の中で答える。それでも、僕の方には向かない。あの女とは違う。あの女は、直ぐに、僕の方に向き直り、体を絡ませて来る。片足を上げて、そこに、挿入するように催促する。そうでなければ、僕の前に膝を着いて、僕の亀頭を口にする。僕に背を向ける時は、尻を突き出して、その形での交合を求める。義妹は、ただ、ひっそりと立っているだけだった。僕が、湯を掛け続けているものだから、断れないと思ってか、そのまま、じっとしている。後ろからだが、肉厚な体は感じ取れる。尻も大きい。腰の括れがないから、それは、横に広がっているように見える。そのように見ているからかもしれないが、それは妻のように、あの女のように、迫っては来ない。そこに、ただあるだけのように思える。妻に言わせれば、女を主張していない体かもしれない。しかし、それでも、僕は、そんな腰の義妹に、女を見ている。女を主張していない、女を誇示していない形に、何故か、魅かれる。

 食事の後、手を取ると、直ぐに、僕の胸に顔を寄せた。そして、それも自然の流れのように、僕たちはベッドに移り、改めて、体を合わせる。それが澱みなく流れ、歓喜を共にする。

 何回か、ベッドを共にしていると、義妹の歓びが深まって行くのが解る。微かにではあるが、腰を動かすようにもなった。しかし、義妹は愉悦をあまり露わにはしない。声を出すのではなく、息を漏らす程度だった。それでも、いや、その方が、僕には、充実した男と女の交わりに思える。妻との間には、こんな時間が得られなかった。妻は、直ぐに歓喜を露わにした。その中に、僕は没入し、喘いでいた。義妹との交わりには、妻とも、あの女とも違うセックスがあった。

 あの女と、深夜のひと時を過ごすのは、別の出来事のように思える。それは、互いに性器を弄び、歓喜を高め、挿入して終わる。それだけだった。しかし、それも、男と女のありようかもしれない。

 義妹は、歓びを口にしないけれど、僕を求めて訪れる。掃除をしたり、食事を作るためというのは、むしろ、口実のようになった。僕の帰宅を待っている。そして、何時も、食事の後、僕と交わって帰る。それでも、深夜まで待っているわけにはいかないと考えているのか、僕が仕事で遅くなった時などには、また、来ます、というようなメモが残っていたりする。その筆跡に、義妹の想いが感じられる。

 義母を引き取ってもいいと考える。それなら、義妹も、帰る時刻を気にしないで済む。僕が、そちらに移り住んでもいい。そして、義妹と暮らす。妻とはまだ、正式に離婚しているわけではないのだから、夫婦とは言えないけれど、それでも、いい。義妹と過ごしていると、安らぎを覚える。そんな男と女の生活を想う。しかし、そうなると、僕は、あの女の来訪が受けられなくなる。まだ、しばらくは、このままの過ごし方がいいのかもしれない。僕は、できるだけ早く帰るように努め、義妹との時間を慈しむ。

 日を追って、義妹との間が密になる。交わる前に、バスタブに漬かり、交わってから再び、湯で体を洗って帰るのが、澱みなく流れるようになった。

 

     *

 

 突然、ドアが開く。入って来たのは妻だった。その時、義妹はまだ、浴室にいた。僕は、義妹より早くに浴室を出て、パンツを履き、シャツのボタンを嵌めている時だった。何時ものように、食事を終えて交わり、風呂に入った。八時を少し過ぎた頃合いだったから、深夜に訪れる女が、顔を出す時刻ではない。義妹との時間に、僕は浸りきっていた。そんな時に、妻が入ってきた。二人して、浴室にいたら、収拾がつかなかったかもしれない。しかし、まだ、義妹は浴室にいる。浴室で、全裸になっていなければ急いで身繕いもできたかもしれないし、ベッドが乱れていても、何とか、言い逃れる方法もあったろう。しかし、僕と義妹が、浴室に一緒にいなくても、そこで、義妹が全裸になって湯を浴びていれば、二人の間に、男と女の関係がないとは言い張れない。

 いや、もっと、あからさまな場面であった方がよかったのではないかとの思いもよぎる。僕たちがまだ、ベッドで睦み合っている時に、妻が入ってくれば、全裸で結ばれている二人を見るわけで、そんな様子を妻に晒してしまえば、何も言わずに済む。妻も、問い糾す言葉もなく、出て行ったに違いない。

「だれなの?」

 僕は答えられない。

「女を引き摺り込んで、適当にやっていたのね」

「君は、どうなんだい?」

 妻は、僕を睨んで立っている。妻にしても、僕の所から出て行って、独りで過ごしているとは言えない。男と一緒に暮らしているのは、明白だった。そうでなかったら、僕を捨てて、出て行くいわれがない。それでも、何か言いたいのだろう。唇が震えている。

 僕は、こんな事態を考えもしなかった。義妹は、あれからも以前と同じように、マンションに来て、ガラス戸を開けたり、掃除をしてくれたりしている。変わったのは、僕の帰宅が早ければ、僕と食事を共にし、その後、僕と交わり、体を洗って帰るようになったことだった。義妹が来るのは、比較的早い時間帯だったから、何時も、僕と顔を会わせるわけでもなく、そんな時は前と同じに、一品か二品の惣菜が残されていた。だから、義妹と顔を会わせ、交わっても、遅い時刻にはならない。深夜になって、電話を掛けてくる女とも、重なる恐れはなかった。

 それで、僕は、義妹との交わりを日常のものとしていたのかもしれない。日常を言うなら、義妹との交わりには、通常の夫婦のような安らぎを覚えていた。義妹には、妻とは異なる妻を感じ、男と女のひと時を持った。もちろん、あの女との交合とも違う。義妹とは、そのような過し方をしていたからか、妻の存在が、僕には希薄になっていたのかもしれない。妻が現われるなど、僕の脳裏から失せていた。

 僕には、女を引き摺り込んで、としか、言いようがなかったのだろうが、妻は、浴室のドアを開けながら怒鳴った。

「出て行って頂戴。裸のまま出て行くのよ。ここは、私の部屋ですからね」

 しかし、その中に、妹を見て、妻は絶句した。そこに、立ちすくんでいる。僕は、二人を見ないように、僕の部屋に入り、ドアを閉ざす。しばらく、声が聞こえない。裸で出て行け、とは言ったものの、それが妹だと解り、衣服を纏うのを待っているのかもしれない。僕は、事態の成り行きに、思いを巡らす。いずれ、三人で話し合わなければならないだろう。不貞を言うなら、妻と僕は同じ立場にあった。それでも、妻は、僕たちが夫婦であって、そこに割って入った妹を責めるのだろうか。

「貴方、はっきり言って頂戴」

 妻の声が響く。ドアを叩く。

「出て、いらっしゃいよ。逃げるなんて、卑怯だわ。妹に責任を押しつけるつもりなの?」

 義妹を悪者にはできない。僕は、ダイニングに出て行く。義妹は、身繕いをして、椅子に畏まっている。俯いていたのだが、僕に哀願するような視線を向ける。

「掃除をしたり、このように、僕のために、夕飯を作りに来てくれている。この暑さだ。汗をかいたろうから、シャワーを浴びて帰ったらどうかと勧めたのは僕だ。それが、いけなかったのかい?」

「それだけ?」

「そうに、決まっているじゃないか。彼女は、僕が独り住まいなのを気遣ってくれている。それだけだよ」

「脱衣所に、浴衣があったわ。あれ、彼女のね。私、知っているわ。彼女のお気に入りの浴衣だったのを。お風呂に入って、浴衣を着て、夫婦気取りで、過ごしていた。そうでしょう?」

「汗臭いといけないからと、それも、彼女の気遣いだ。君のように、大雑把ではなくて、彼女は、いろいろと気を遣ってくれている」

「大変な惚れようね。それで、貴方は、彼女をお風呂に入れて、誘ったのね?」

「違います」

 義妹が、顔を上げて、強く言った。義妹の激しいもの言いを聞くのは、初めてだった。しかし、その後は、何時もの口調に戻った。

「私、母さんの面倒を見ているのはいいのだけれど、それでは、何時になっても結婚できないと考えたんです。それで、お義兄さんのお世話をして、女の生活を知りたかった。そう思っただけです。姉さんが、勝手に出て行ってしまったんですもの。お義兄さんがかわいそうに思えて」

「結婚したかったら、すればいいのよ。男が欲しいんだったら、そこいらにいる男を口説けばいいじゃない。何で、この男でなければならなかったの?」

 義妹は、泣いているようだった。

「貴女が、好きになったのなら、仕方がない。私は、この男が嫌になって出て行ったのだからね。でも、許せないわ。貴方も、そうよ。選りによって、私の妹に手を出すなんて、男らしくないわ。私に捨てられたと思うなら、もっと、いい女を探したらいいのに」

 いい女と言うなら、義妹は、いい女だった。妻は多分、自分よりいい女、美形で、女らしい曲線を持っている女を言っているのだろう。それなら、納得すると言うのだろうか。確かに、義妹は平凡な顔立ちだし、妻のように、豊満ではあっても、腰の括れなどにめりはりがなかった。そんなものは、どうでもいい。今の僕は、義妹の心根に魅かれている。

 妻を求めた時には、美貌と、豊満な肉付きと、胸の張り具合いや腰の括れ、その曲線に目を奪われた。それが、女だと思った。しかし、今は違う。義妹との交わりに、女を感じている。そして、美形ではなく、豊満な肉体を誇るでもなく、セックスだけに没頭する女がいるのも、知っている。

「この人には、女のよさが解らないのよ。せっかく、私を手に入れておきながら、私のよさを称えてくれなくなったわ。私は、もっと多くの男たちに、私のよさを知ってもらおうと、この人を捨てたの。私の女は輝いていなければならない。一人の男のためにあるのではなくて、何人もの男に、女を意識させなければいけないのよ。それが、女の歓びだし、生きている証しにもなるわ」

 そう言って、妻は寝室に行った。シーツが乱れているのやら、そこで、男と女が交わった痕跡などは、直ぐに感じ取れよう。しかし、それはもう、どうでもよくなっている。

「洋服を取りに戻ったのよ。それだけよ。直ぐに、帰るわ。でも、それより先に、貴女には、出て行って欲しいわ。そして、もう、二度とここには来ないと誓ってくれなければ困るわ」

「姉さんは、義兄さんと離婚しないの?」

「貴女に言われる筋合いはないわ。私たちは離婚しないわ。私たちが離婚したら、貴女は、この人と結婚できると考えているの。そうは、いかないわ。この人は、私の女が欲しくて結婚したのよ。これからもずっと、私の女を賛美していなければならないのよ。さあ、貴女は出て行って」

 義妹が立ち上がる。僕が立とうとすると、妻が遮る。

「掃除をしてくれたり、料理を作ってもらったお礼を言わなければならない」

「その必要はないわ。あの子は、好きでやったんでしょう。それだけの話よ。それより、鍵を置いて行きなさい。ここに住むようになった時に、私が母に渡した合鍵を使っているのでしょうけれど、それは、返して頂戴。もっとも、合鍵なんか、幾らでも作れるから、意味がないかもしれないけれど、それが、けじめよ」

 義妹が、手提げ袋から鍵を出して、テーブルに置く。僕の方に目礼する。僕は、頷くしかない。そのまま、背を向けて出て行く。

 それを見届けてから、妻も立ち上がる。

「さあ、私も出て行くわ。妹でない女となら、ここで、一緒に住んでもいい。もともと、貴方名義のマンションなんだから。でも、私はまだ、貴方の妻なのよ。妹を入れたりするのは、許せないわ」

 

     *

 

 妻に、来てはいけないと言われたからといって、同じように訪れて来ても、妻に知れようわけはないのだが、それからというもの、義妹は、寄り付かなくなってしまった。何処かに、妻の目を感じているのかもしれない。

 僕はむしろ、義妹との関係があからさまになって、よかったと思っている。妻への意趣返しというほどの気持ちがあって、義妹と交わったわけではない。確かに、初めは、義妹の方から求めた。それも、初めての体を僕に開いた。しかし、それはどうあれ、義妹が僕の所に食べ物を届けてくれたり、僕と僕の部屋で食事を共にする機会が増えれば、僕と義妹は遅かれ早かれ、体を交える間柄になっていたろう。それが、自然の成り行きのように思う。僕はそこに、男と女のありようを見る。

 確かに、義妹は初めてだった。男と女の歓びを知らなかった。それでも、彼女は、その行為に未知の女の世界を求めて、僕に体を委ねた。そして、女になり、女の愉悦を得た。義妹との交合が重なるにつれ、彼女の女が深まって行くように思われた。控えめながら、声を漏らすようにもなった。僕の動きに、さらに快感を求める腰の使い方をするようにもなった。それが、僕には、嬉しい。しかも、僕と体を交えるようになってまだ、日が浅いにもかかわらずに、彼女は早くも、男と女の交合にのめり込んでいる。そんな義妹の想いが、僕に伝わってきていた。だから、彼女は、僕と交わるようになってから、僕の所に、足繁く来るようになった。そして、僕と体を合わせる機会を求めていた。そのように、感じる。

 それだけに、義妹がどうしているのか、気になってならない。しかし、僕の方から、彼女に声は掛けられない。僕は、義妹を想い、買い置きしてある缶詰類を皿に移して、食事をするしかない。

 ベランダが、南西に面しているのも恨めしい。毎日ではなかったが、義妹が来れば、風を通しておいてくれたのだが、今は全く、暑い大気が籠ったままの部屋が残されている。僕は、ガラス戸を開け、熱気を追いやりながらクーラーを点ける。大気が入れ替わる間に、僕は、シャワーを浴び、全裸になって、腰にタオルを巻き付けただけの格好で、ガラス戸を閉じる。部屋の空気が、あらかた冷えた頃にクーラーを消し、また、ガラス戸を開ける。深夜になって訪れるかもしれない女のためだった。そうして、食卓に向かう。侘しい食事になる。食べたいという気持ちが盛り上がらない。

 ウイスキーを飲むしかない。そして、酔って、ベッドに入る。そんな繰り返しに、僕は、虚ろになる。妻が出て行った後も、同じような毎日だったのだが、それほど、落ち込みはしなかったように思う。所在なく、酒場に寄ったりする回数が増えはしたものの、独りでいるのに、苦痛はなかった。それが、義妹が訪れなくなってからというもの、やりきれなさが募る。外で食事をし、酒を飲み、酔って帰る。下着類の洗濯も疎かになった。ブリーフも、二、三日続けて履き、汚れれば捨ててしまい、新しいのを買う。

 そんなところに、女が来る。そして、セックスを重ねる。僕には、それが似つかわしく思える。何の語らいもない男と女が、セックスの快楽のためだけに交わる。僕は、前にも増して、女を激しく扱い、行為に酔い痴れる。女も、それに満足している。しかし、女が帰ってしまうと、僕は、女と交わった後の気怠(けだる)さとは違う虚しさに(さいな)まれる。以前は、そうではなかった。女との交わりに疲れを覚えても、女が帰った後の夜明けに、満たされていた。

 一週間か十日に一度、女と交われれば、それで充分だとは言えないにしても、男は満たされる。しかも、それは、充実したセックスだった。金銭的な負担もなく、生活を共にする煩わしさもない。愛に苛まれる苦痛もない。普通に見れば、男として、得難い日々だろう。

 それでも僕は、義妹に想いを残している。自らの歓びを深め、その中に漂う女を確かめながら義妹と交わる行為に、僕は、本来のセックスを思う。だから、愛が芽生えた。

 いや、義妹にしてみれば、それが愛だと認識したわけではなくても、愛があって、セックスに繋がったと言うかもしれない。しかし、僕は、セックスから愛が生まれたと考えている。妻との場合は、定かに言えない。確かに、妻には、その肉体に魅かれた。それが、セックスの要素だったとしても、交わる前に、妻を愛していた。愛したから、妻を求めた。そのように思うのだが、美貌もさることながら、突出した胸や腰の張りに、のめり込んだと言えなくもない。義妹には、そうした肉体を感じなかった。だから、交わってみて、初めてそこに、義妹の女を見た。そして、いとおしさを覚えた。それが、愛かもしれない。だから、想いを残している。

 あの女には、初めから、何もなかった。今も、何もない。肉体がどうあれ、僕たちは交わった。今でも、そうだった。僕たちは、男と女だから、性器の違いを求め合って、セックスに没頭している。妻と比較してはいけないのかもしれないが、女は美貌でもなければ、妻のように、胸も尻も、それほど豊かではない。それでも、男と女だから、セックスに支障はないし、いや、支障どころか、妻には得られなかった交わりに、僕は、浸っている。それが、男と女であるし、男と女のセックスかもしれない。

 

     *

 

 女が、現れなくなった。そうと気付いたのは、女と過ごしてから、二週間ほどした頃だろうか。すでに、九月も中旬になっていた。九月の初めに、ようやく、いい季節になるわね、これまでは、夜明けの空気は爽やかだと言っても、熱気が残っていたわ、これからは、本当に、火照った頬に気持ちいい風が当たるようになるわ。そう言って、女が帰ってから、一週間過ぎ、十日が過ぎても、女から電話が掛かって来ない。

 何かの都合で、予定していた日が急に塞がってしまったのか、海外旅行でもしているのだろうかと考える。しかし、それが、三週間以上にもなると、女から電話が掛って来ないものかと、僕は眠れなくなる。愛を語らった女ではない。何の繋がりもない。向こうから、僕の所に来て、セックスを共にするだけの女だった。それだけでしかない。しかし、それで、僕は満たされていた。それが、失われると、僕は、僕の突起したものを自分で処理しなければならなくなる。

 僕は、女を求めて、酒場に寄る。こちらから、女に出会う手立ては、そこしかない。

 僕は所在なく、何時もの水割りを注文する。その時、女が僕の横に座る。僕の想いが通じたものと、僕の胸が高鳴る。女は、僕の方に視線を向けずに、カクテルを注文する。

「何時もの火の舞ですね?」

「決まっているじゃない」

「おや、珍しく、お揃いで」

「別に、一緒じゃないんだ」

 僕は、さりげなく答える。バーテンが後ろを向いた隙きを捉らえて、女に強く、しかし、小声で言う。

「どうしたんだ。何かあったのか?」

 女は答えない。バーテンが作って差し出した火の舞を口にする。僕には、勧めない。

「待ち続けているのに、君は、来てくれない」

 女は、グラスに口を当てたまま、呟くように言う。

「貴方とは、うまくいくと思ったわ。うまくいっていたわ。それが、駄目になったの」

「どうして?」

 女は、顔を振るだけで、それ以上に、口を開かない。

「行こう」

「嫌よ」

 僕が、女の腕を取ろうとすると、女が拒む。しかし、それで、諦めるわけにはいかない。女の分も含めて支払いを済ませ、再び、女の腕を取る。今度は、素直に立ち上がる。

 外に出てから、女が言った。

「あそこで、みっともないところを見せたくなかった。それだけよ」

 二人になってしまえば、そこで、多少の諍いがあっても、通行人は気にしないだろう。僕は、女の両肘を抑えて言う。

「どうしたと言うんだ?」

 女は、顔を左右に振るだけで、答えようとしない。

「行こう」

「何処へ?」

「僕の所に決まっているじゃないか」

「貴方が、愛している女が待っている所に?」

「何だって?」

「聞いたわ」

「それは、違う。ちゃんと話がしたい」

 僕は、女に構わずに、タクシーを止める。そして、女を押し込む。女も逆らわずに乗る。しかし、僕が語りかけるのには、口を閉ざして、何も言わない。

 僕のマンションに着く。僕が、ドアを開けて女を入れ、ドアの鍵を掛けて振り返ると、女はもう、脱ぎに掛っていた。何時もの流れだった。僕たちは、そのまま、ベッドに行き、裸身を絡ませる。女が、僕の亀頭を口にし、僕が女の股間に舌を差し延べるのも、そして、僕が女に挿入して、互いに腰を使うのも、何時も通りだった。何も変わっていない。

 終わって直ぐに、女は、シャワーを浴びるわと言った。

「貴方も、一緒に浴びましょうよ」

 そうすると、また、セックスしたくなるからやめましょうよと拒んでいたのが、変わった。女に()いて、浴室に入る。そこで、背を向けている女に、義妹にシャワーを浴びせかけている光景が重なる。しかし、女は、義妹のように、ひっそりと立っているわけではなかった。女は何時も通りに、シャワーを迸らせはしたものの、シャワーを浴びて身体を洗うのではなく、僕に体を突き付け、僕のものを股間に求めた。僕は、女の尻を抱え上げ、腰を落とすようにして、下から挿入する。女が、片足を上げて、陰部を密着させる。そして、僕の肩を噛む。

 女が、浴室から出て、下着を付けているので、僕も、ブリーフに足を通しながら言う。

「これで、いいんだろう?」

 女は、答えない。それでも僕は、女との関係が、元に戻ったと考える。女は、何時ものように、何も言わずに衣服を纏い、そして、出て行く。それで、よかった。

 しかし、今夜は違った。濡れた髪を纏めながら言った。

「コーヒーが飲みたいわ。コーヒーぐらい、入れて頂けるでしょう?」

「もちろん。君と、コーヒーが飲めるなんて、考えもしなかった。君は何時も、さっさと帰ってしまう」

「貴方とは、それで、いいと思っていたし、それだけの関係だったわ。その方がよかった」

 僕が、コーヒーを入れて、テーブルに持って行くと、女は僕の顔を覗き込むようにして、微笑む。

「貴方の奥さんに会ったの」

「何処で?」

「あそこの酒場で」

「それで、何か言われたの?」

 女は、顔を振る。

「いい、女だわね」

「何が、いい女なんだ?」

「綺麗だし、胸や腰の張り具合も、女なら、だれでも、そうなりたいと願う体形だったわ。男が欲しがる女を見たわ」

「それで、僕に、電話を掛けずらくなった?」

 女はまた、顔を振る。

「それは、いいの。だって、その人が、貴方の奥さんだとは知らずに話していたんですもの。その人が、自分の夫の話として、妹さんとの関係を語ったの。夫が、妹さんを愛しているんですって。彼女は、それが問題ではないと言ったわ。彼女の言い分は、自分より劣る女を愛している夫が許せないのだという点にあったようよ。それも、セックスがあって、セックスから愛し合うようになったのが、お気に召さなかったみたい。もっと言ったわ。少しばかり、肉付きがよくて、それで、割れ目があればいいのかしら、とも。男の人って、女に、割れ目があれば、それだけで満足するのかしらって」

 女は、そこで、笑った。

「貴方の奥さん、意外と口が悪いのね。割れ目だなんて言ったりして」

 そして、コーヒーに口を付けた。

「あたし、鼻白んだわ。あたしのことを言われたみたい。あたしは、美しくもないし、肉付きがいいわけでもない。奥さんに言わせれば、割れ目があるに過ぎない女だわ」

「別に、関係ない」

「そうだわね。それでも、貴方とうまくいっている?」

「うまくいっているさ。僕は、満足しているよ」

「そう。貴方とは、うまくいきそうに思えたの。だから、声を掛けたんだわ。奥さんに逃げられて、かわいそうだと思ったからではないのよ。あの時、貴方は、妻に逃げられて独りなんだとおっしゃった。それに、同情して、貴方とセックスしようと考えたわけではないの。貴方となら、セックスだけで、うまくいきそうに思えたの。そう、感じたと言った方がいいかしら?」

「それで、いいじゃないか?」

「そうは、いかないの。貴方が、小太りで割れ目があるだけの女を、それは、あたしではなくて、貴方の奥さんが言ったのよ、そういう女を愛していると言われたのに、やりきれなくなったの。それが貴方だと言われたわけではないけれど、あたしには、貴方だと解ったわ。それだけではないの。割れ目だけという女が、あたしに、重なったの。そう、感じたから、嫌になったのよ」

「気にしなくてもいい。僕たちは、何も語らずに過ごして来た。お互いに、お互いを詮索しない。それで、よかった。だから、今の話もなしにしてしまえばいい」

「あたしも、自分に、そう言い聞かせたわ。あたしと貴方には関係ないと。でも、知ってしまったら、あたしの想いは、砕けてしまったわ。どちらとは言えない。貴方の奥さんの肉体か、割れ目があるというだけの女の肉体か、その両方かもしれない。それが、あたしの目にちらついて、貴方とのセックスにのめり込めそうにないを知ったの。それに、割れ目があるだけなんて、嫌な言われ方ね」

「今だって、僕たちは、これまでと変わりなく、何時もの時が過ごせた」

「そうだったわね。でも、こんなふうに、お話をしてしまった。今までの貴方とあたしではなくなってしまったわ。あたしたちは、何も語らずに、セックスして来たのに、お喋りをしてしまった。これで、帰るわ。それでもう、お会いしないことにしましょう。僅かだったけれど、貴方は、あたしの想いを満たしてくれた。それに、感謝しているわ。だから、なおいっそう、これで、打ち切りにしたいの」

 女は、そう言って出て行った。

 僕は独り取り残されて、そこにいる。それでも、僕は、女を求めて彷徨うしかないだろう。それが、男だった。それに対して、女は、それぞれの想いの中で、男と交わる。愛とセックスが交錯する中で、男と女は、愉悦を追う。

─了─

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2002/03/14

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豊田 一郎

トヨダ イチロウ
とよだ  いちろう 小説家 1932(昭和7)年東京都に生まれる。

掲載作は、「星座」、2002年3月号に発表。