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小説三派

   総評

 

「新作十二番」とは春陽堂より発兌(はつだ)せる美本の読切物にていづれも名家苦心の小説也。第一番は竹のや主人の「勝鬨」第二番は紅葉山人の「此ぬし」第三番は美妙齋主人の「教師三昧」第四番即ち最近の発行は三昧道人の「桂姫」なり。いづれあやめ草ひきもわづらはれておのおのおろかなるは無けれど、(うぢ)(そだち)流石(さすが)(こと)なるこそをかしけれ。先づ「勝鬨」と「桂姫」とは色も香も大同にて小異也。然るに此の二つと「此ぬし」とを比ぶれば心も形も大異にて小同なり。さて又「此ぬし」と「教師三昧」とを比ぶれば色も香も大同にて小異也。然るに「教師三昧」と前にいへる二つとは、心も形も大異にて小同なり。(つぶさ)にいへば「勝鬨」と「桂姫」とは着想も文章も専ら在来の粋を採れるに、「此ぬし」と「教師三昧」とは新文脈をまじへ用ひて着想も(すこぶ)る外國ぶりなり。詳きことは次々にいはん、(ここ)には便宜のため仮に「勝鬨」と「桂姫」とをもて同類の固有派と名づけ、「此ぬし」と「教師三昧」とを一味の折衷(せつちゆう)派と称す。

 所謂(いはゆる)固有派とは、物語を作るに事を主として人を客とし、事柄を先にして人物を後にする者也。人間の浮沈栄枯流離転変を語るを主として、(かたは)ら種々の人物を点綴(てんてい)し、正邪順逆の跡を紙上に躍然たらしむるもの也。此派の物語ははじめより事変を主とすれば、奇異の事をも偶然の事をもさしはさむ。且又(かつまた)必ずしも主人公を設けず、たまたま主人公を設くるも、事(話)の脈絡を繋がん為也。(けだ)し大かたの事変は主人公の性行より来たるとせで、偶然に外より来たるとする故に必ずしも主人公を要せぬなり。()の固有派の巨擘(きよはく)曲亭(馬琴)の作を見るに、悪人は暫く措き忠良の人の上に起れる禍は、大抵(たいてい)天の為せる災にしてみづから招けるはいと稀なり。其他(山東)京伝種彦の作も、転変流離の誘因を偶然に帰したるが多し。例へば里見伏姫の不幸も、自意識を標準としていへば自ら致せるにはあらで、全く(その)意識の外より(きた)れり。又芳流閣の災難も信乃(しの)が心の罪にはあらで、(はか)らず外部より来れるなり。即ち事と人の心との間に(災厄と性行との間に)必ずしも密接なる関係無し。事を主として人を客とし、事を先にして人を後にしたればなり。所詮此派の作者は俗にいへる三世因果の説を理法とし、(もし)くは天命の説を理法とするなり。就中(なかんづく)曲亭の作はをさをさ三世因果の説によれり。「八丈綺談」「春蝶奇縁」「累解脱」等を見てもしるけし。それだにおしなべて小乗の心なりまして、其末流に及びては此の理やうやうおぼろげなれば、人心と事変との縁ますます遠くなり、(やゝ)もすれば宿命説(フヘタリズム)の趣に似たるものあり。草双紙などに見えたる忠臣孝子の災厄は間々(まゝ)宿命(フヘート)の所為とも見えて()無し、有為転変諸行常無しと解せば解すべし、しからざれば巻を措きて天道の是非を疑はざるを得ず。在来の作者が筆を曲げても(つね)に団円をめでたくせしは、一つには此不審を()かんが為なりしならん。恐らくはおのが心にも(やすん)ぜざる所ありければなるべし。到底近年の固有派は天命の説を(作者みづからは意識せずもあれ)奉じたりと見て可なり。栄枯福禍を必ずしも人に帰せざればなり。此派は外國にも多かりき。中古の物語類はいふも更なり、スモーレット、フヒールヂングの徒頗るよく性情を写せれど、其実は事を先としたる也。スコット、ヂッケンスも亦間々(しか)り。只後者の旨としたる所は、事のみにあらで人にも在り、事を先にすれど事を主とせざる所異なれり。此差別は次の折衷派と共に説くべし。

 折衷派とは、人を主として事を客とし、事を先にして人を後にする者也。前の固有派と(なかば)は似たれど半は異なり。人を主とするとは人の性情を活写するを主とする(いひ)にて、事を先にするは事に()りて人の性情を写さんとすれば也。性情は形無きものなれば、有形の事変に縁らざれば為しがたき故也。(つぶさ)にいへば或る特別の人物を作りて其人の栄枯転変に於ける心の有様を写すなり。前の固有派にては事主にして人物客たれば、人はおのづから事の附物(つきもの)となりて客観なり。しかるに此派にては人を主とするが故に、人物おのづから主観なり。換へていへば人物の哀歓悲喜を外よりのみは見で内よりも見るなり。英雄の心緒(しんしよ)(みだ)れて絲の如しと客観的に叙し去らで、時としては其の乱れたる様を写すこともあり。但し人物と事変との間に主客先後の関係こそはあれ、未だ因果の関係なければ人物必ずしも主観とはならず。(けだ)し此派の本意は或特別なる事変に於ける或特別なる性情の状態を写すにあれば、未だ必ずしも事変をもて其人に由来すとせざるなり。是別に人を因として事を縁とする派のある所以なり。

 

   二

 

 新作十二番を評するに()かる管々(くだくだ)しき弁何の要かあるといぶかる人もあらんが、評者は此弁の止みがたきを知る也。今の批評家中には、間々(まゝ)第二派の眼をもて第一派を評し、(もし)くは第三派の眼をもて第一派を評し、徹頭徹尾(ことごとく)取る所無しと抹殺する者あり。かゝるはホーマル、ワ゛ルジルを評するにソホークリズ、ユーリピヂズの眼をもてし、ミルトン、ダンテを評するにシェークスピヤの眼をもてするものに似て少しく理にたがへり。げにや叙事詩(エポス)もドラマも(その)詩たるや一つなり。梅も桜も其花たるや一つなり。然れども花に種々の別あるは争ふ(べか)らず。桜或は花の王なるべく、梅或は花の兄ならん。さりとて梅は梅桜は桜なり、桜をめづる眼をもて梅を評する人をば、色をも香をもよく知るものといふべきか。烏呼(をこ)風流雄(みやびを)汝桜の外に花なしと信ぜば、何ぞ先づ桜の梅にまさるを説き、(かね)ては梅を枯らすべき(はかりごと)を講ぜざる。(ふり)たる梅園に就きて其花の桜ならざるを笑ふ風流雄(みやびを)の名にも似ではしたなきかな。

 西詩に三派あり、抒情詩と叙事詩とドラマとなり。其中(そのうち)ドラマをもていと高しとすれど、抒情詩も叙事詩もまためでたし。案ずるに小説にもそれに似たる派あるべし。前にいへる固有派は更に名づけて主事派(もし)くは物語派ともいふべく、其次の折衷派は又の名を性情派若くは人情派とも称すべし。さて別に第三派を置きて(これ)を人間派と呼ぶべし。即ち人を因として事を縁とする派なり。第一派(即ち物語派)は(いと)広き意義にていふ叙事詩の形にて、第三派(即ち人間派)は(いと)狭き意義にていふドラマの結構なり。(しか)して第二派(即ち人情派)は(その)事を先とすること甚だしければ叙事詩となり、其人を主とすること重ければドラマの形とならん。常は両派の界に立てり。さて物語派と人間派との別は明かにて、物語派と人情派との相違も(すで)にいへり、ひとり人情派と人間派との別はなほおぼろげなれば今少しく次にいはん。

 人間派とは、其結構をいへば人の性情を因として事変を縁とするものなり。其事変を縁とするは前に人情派(折衷派)に就きていへるに、同じく有形の事変に()らざれば人の性を発揮する(あた)はざればなり。これまではほとほと人情派と一つなり。さて其異なる所いへば人情派は或事情に於ける或性情の状態を写せば足れりとし、(もし)くは或事変の或性情に於ける影響を写せば足れりとす。故に性情と事変との間に(人と事との間に)主客先後の関係はあれど、(前頃アンテシデント、後頃コンシクエントの関係はあれど)必ずしも因果の関係無し。即ち人を物語の主題とはすれども、未だ人をもて事の主因とはせぬなり。されば事の起りて後にこそ人の心は動け、人の心まづ動きて後に事の生ずるにはあらず、(この)理茲(こゝ)に尽しがたし。下に「此ぬし」と「教師三昧」とを評するを見て察せよ。(わが)所謂(いはゆる)人間派は然らず。先づ人を因とし事を縁として一果を写し、此果を(若くは他の事変をも合せて)縁として更にまた一果を画き、(つひ)に大詰の大破裂(もし)くは大圓満に至りて()む。偶然の事変を使ふことは物語派と同じけれども、其事と主人公との間に因縁の関係の離れぬ所たがへり。是もとより眼目の差をいへるのみ、小同は三派相通なるべし。管々しくは例をもて證せざれども、シェークスピヤを読みたる人は評者の言の大に誤らざるを知らん。マクベスの逆心まづ(きざ)して弑逆(しいぎやく)の事起り、弑逆の事縁となりて彼が罪悪ますます増長せしを想へ。又ハムレットの懐疑(もと)より存じて膓九回的煩悶となり、オセロの妬疑一たび萌して血涙千行的惨劇を醸せしを想へ。客観的哀歓は概して主観的性情より生れたりしを想へ。則ち人心と事変との間に先後の関係ありて、又更に因果の関係あるを見るべし。されば傑作のドラマを読めば吾人恍として因果の理を見、(かつ)雑然紛然たる人寰(じんくわん)に一定の理法流行することを瞑悟す。而して其理法たるや幽明にまたがり有為無為に(わた)り、虚霊より出でて実相に現はれ実相寂滅してまた虚霊に帰す。例へば「シーザル」のドラマに就きてブルータスを見よ。彼れ思量足らでシーザルを殺し乱を醸し身を殺す、羅馬(ローマ)の内乱といふ実相はブルータスが遠慮の(あまね)からで(ひとへ)に霊界にのみ彷徨せし結果とも見るべし。さすればブルータスの(やぶれ)たるはみづから致せるなり、自業自得なり、天を咎めんや人を怨みんや。主観的ブルータスが客観的ブルータスを造りいだせしなり。ブルータスの失墜は身招自致(しんせうじち)なり。()らば吾人(ごじん)のブルータスに対する感想は、只一の惻隠慈悲の心あるのみかといはんに然らず。吾人は客観的ブルータスを貶すと同時に、主観的ブルータスを貶すこと(あた)はざる(よし)あり。彼れの義と勇とは、吾人遂に貶すこと能はざればなり。彼れ現界に於て敗れたれど、隠然霊界に於て凱歌を歌へるを聴けばなり。吾人が到底ブルータスの義を美とせざるを得ざることを想へ。則ち此明界の背後に、更に又一の幽界ありて人間の妍醜(けんしう)を定むることを見るべし。是前に虚より出でて実に現はれ、実滅してまた虚に帰すといへる所以(ゆえん)なり。而して此理法は吾人がドラマにて暗に観る所にて、また人間に於て暗に見る所なり。(けだ)し浮屠氏の謂ふ三世因果の理も、其底を叩かば此理に外ならざるべし。將た哲学の究めんと欲して未だ明釈する能はざる所も、或は此理に外ならざるべし。現在の人智は(たゞ)瞑々裡に(この)ことわりを知れるのみ、未だ明かに釈すること(あた)はず。

 

   三

 

 上の如く解すれば「人間派」は人と事と相因縁せるを写すをもて足れりとせで、更に虚実幽明の相纏綿(あひてんめん)して離れざる趣を写すものなり。即ち人間の経緯を取りて因果を織做(おりな)せるものといふべし。されば人間派の写す所は、其形は小なれど其心は大なり、其相は一なれども其実は萬なり、其表は特殊にして其裏は普通、其色は偏にして其理は圓なり。夫の人情派の、其形も其心も其相も其実も其表も其裏も其色も其理も大かた特殊なるとは同じからず。又夫の物語派の偏に普通なるとも異なれり。案ずるに、物語派は俗に謂ふ因果説を体し、(もし)くは天命の説を奉じて普在せる事相を写すものから、其相の由来をば明にせずさるが上に、本来人物を主因とせざれば甲人に於ける天命も乙人に於ける天命も汎然漠然として一なるが如く、平等の理はあれど差別の実なし。死したる観念はあれど活きたる観念はなく、ゼネラリチーはあれどインヂヰ゛ヂュアリチは無し。此故に或は読者をして世に因果あることをば知らしむべきが、因果の関係をば知らする(あた)はじ。或は読者をして人間に理法あることを知らしめんが、其理法の人に因縁せる由をば知らしむる(あた)はじ。先天的にものして後天的にものせざればなり。演繹的(えんえきてき)に筋を立てて、帰納的に筋を立てざればなり。

 (こゝ)(くだん)の三派を物に(たと)へていはん。先づ人に配していへば、物語派は支体の如く、人情派は五感の如く、人間派は魂の如し。又之を画に配せば、物語派は文人画の梅の如く、人情派は一枝の梅の密画の如く、人間派は根幹枝花残りなく画ける油画にも似たらん。文人画の梅粗なれども梅の全体を見るべく、密画の梅花細なれど一斑に過ぎず、ひとり油画の梅は其全体を見ると同時に枝、葉、根、幹、花の相関係せる所以を見るべし。又之を學問に配せば、物語派は常識(コモンセンス)の如く、人情派は諸科の理学(天文、地質、植物、動物)の如く、人間派は哲学の如し。常識は広くして淺く、科学は狭くして深く、哲学は広くして深し。

 (しか)しながら此等の比喩は其質を評せるのみ、必しも三派の優劣をいへるにあらず。然るを()し比喩を進めて、哲学は科学の親なるゆゑに人間派は(つね)に人情派に優れり、常識は科学の材たるに過ぎねば物語派は最も下なりといはゞ、是恐らく非事(ひがごと)ならん。猶風韻ある日本画の粗なるを見て密なる油画に劣れりといはんが如く、一向に形に(なづ)める沙汰なり。哲学の名は尊しといへども其の説まことに高からずば、まことに深き科学に及ばざること遠し。ダーヰン、ハクスレーの学説をもて謬妄なる独断哲理に劣れりといふは狂愚なり。さて又物語派を常識に比したるも、只其形の上をいへるのみ。其表に現はるゝ所のいと広くして淺きをいへるのみ。寸鉄よく人を殺す、俚諺に見えたる常識の大独断教に優ることあるを思へば、普通の常識ばかり真理に近きものはあらざるべし。常識(あに)(いや)しかるべき。されど世の物語派即ち事を主として物語を作る人々の中には、間々事を重んずるの余りいつしか事の(やつこ)となりて、我また人物を奴とし()しき事を語らんとて、有るまじき人物を作る事あり。かゝるは常識界を離れて詭弁界に入り、若くは妄言界に踏込めるものともいふべし。文化文政の名家に(この)失多し。

 また案ずるに、我國の純文学の幕の内ともいふべき文学(ならび)に浄瑠璃の多数も、大かたは物語派也。即ち事を主として人物を客とせり。演劇の臺帳すら諸派の雑種にて中には純然たる物語派なるも多し。今の批評家往々(わが)狂言作者を責めて、彼等学淺くして識足らず何ぞ共にドラマを語るに足るべきと(しつ)すれど、是思ふに(まと)を誤りたる沙汰ならん。たとひ彼等狂言作者をして大なる学と高き識とをもたしむるも、今の批評家が望める如き西洋風のドラマをば(いか)()作らん。何となれば(かれ)の主とする所と(これ)の主とする所と全く違へばなり。批評家はドラマを得んと欲し、作者は叙事詩(エポス)を作らんとす。作者批評家に迫られて進退()(きわ)まり、鋭意奮発して「一口劔」の主人公のやうになりて、千錬々萬鍜々吁將莫邪を作り得たりとするもまた益なし。批評家侯の所望は、日本刀にあらず正宗にあらず支那劔にもあらず莫邪にもあらず、ダマスカスの短剣(ダツガル)なるをいかにせん。侯の注文理なくもあるかな。(こゝろみ)に想へ今の文壇誰か(依田)学海居士を推して博学卓識の文人とせざらん。而も居士の作の(かつ)て批評家の旨に(あた)はざるに(あら)ずや。又見よ竹のや主人の近作「太田道灌」の脚本を、誰か彼の作を評して学足らず識足らずといはんや。よし絶対に高くとは云ひがたきも、相対には高かるべし。而も此作を批評家に示さば彼れ果して何といふやらん。吾人は正に美といはざるべきを豫言す。是併しながら両家の技倆の(つたな)きがゆゑに()るにはあらで、作者と評者との間に旨の異なること甚しければならん。作者は水を望み評者は山を望み、作者は東に向ひ評者は西に向ふ、漸く進みて漸く離れ、漸く巧にして漸く拙なるが如くに見ゆるなり。嗚呼(あゝ)西方果して彌陀の浄土か、上人何とて其然る所以を説教せざる。

 

   四

 

 臺帳の事はさしおく、小説に就きていはんに、西洋にてもドラマの趣旨のをさをさ小説に用ひられしは実に近きころの(ためし)なり。前にもいへる如く、スコットは物語派と人情派との間にまたがりし作者にて、ヂッケンスの如きもまた然り。さてまたサカレーとても(おも)に人情派の作者と見てよかるべし。「ペンデニス」、「ヘンリ・エスモンド」などを見、「ヴニチ・フヘア」などを見るにも、人の主題となれる跡は明かなれど、人の主因となれる證はおぼろげなり。ジョージ・エリオットの諸作は評者の詳しからぬ所なれど、嘗て見つる「ミッドル・マーチ」によりて判ずれば、(すこぶ)るドラマの旨意に(かな)へり。思ふに英國に於けるドラマ的小説家は(かの)女史ひとりに止めたるにやあらん、知らず女史の外にも尚あるにや。夫の近世の魯独にこそドラマ的小説家も多しとは(きい)たれ、それもいと近き程の事なり。又仏蘭西(フランス)なる諸作家バルザック、ユーゴ、ゾラ、ドーデーの(ともがら)は或は(わが)所謂人情派の界を越えて、人間派に入れりともいふべからんが、これとてもまた近世の作家なり。詮ずる所ドラマ主義の小説界に入りしは、十九世紀に於ける特相といふも誣言(ふげん)にあらじ、尚いと稚き現象なり。ウベルネ、ハッガードの徒はいふも更なり。ホルムス、ブレットハート、ベザントの如きものも、我批評家の評言を聴かば恐らく惘然(ぼうぜん)と自失すべし。批評家の説の非なるにはあらねど其説の新しければなり。然るに何事ぞ今の批評家所謂人情派の小説だにいといと稀にある我小説壇に向ひて、唐突にドラマ(ギョオテの「フハウスト」シェークスピヤの臺帳)を標準として物語派の作を批判し叱咤(しつた)一撃して是小説にあらずと喝破す。嗚呼(あゝ)是文壇の救済主の声か、物語派の名家みづから信ずるに厚く且頑(かたくな)にて、絶えて改進せんの心なくば事も無けれど、改進せんの心あらば彼等そも何の方角に向ひて進むべきぞ。何故にドラマ主義を奉ずべきか、茫々然として知るに由なく、百花爛漫紅雲蒸すが如き中に立ちて、梅まづ畏れて散り桃また次ぎて散り李も散り杏も散り梨の花も散らんとせん。此時に当り幸ひに桜の咲くあらばよし、唯四五の桜の画と只二三の桜の枯枝とが空しく文園に横たはらば、花を散せし(とが)は何れの嵐の罪とせん。吾人は今の批評家の花に慈ならざるを怪しむ。

 斯く長々しく弁じたる、頗る弁を好むに似たれど、吾人は唯標準を別にして諸家を評せんと思へばこそ、止むを得で此断(ことわり)をいひつるなれ。かゝる差別の我文壇に現在せるを信ずればなり。西洋の差別を適用せるにては無し。詩を評するに抒情、叙事、ドラマの三質を別つ如く、小説にも或別を立つることの甚だ用あるを感ずればなり。たとへばドラマとしては上乗ならざるも叙事詩としては上乗なることのあるが如く、叙事詩としては傑作ならざるも抒情歌として傑作なることのあるが如く、人間派人情派の作としては甚だ妙ならずと見ゆる作も之を物語派の作とすれば、甚だ妙なることのあるべければなり。此別を非なりとする人あらん()、其人は事物の平等を見て差別を見ざる人なり、世に絶対あるを知りて相対あるを知らざる人なり、一あるを知りて萬億あるを知らざる人なり、宇宙あるを知りて國家あるを知らざる人なり、國家あるを知りて我あるを知らざる人なり、我あるを知らざるは死せるなり死灰なり。

 此故に評者は「勝鬨」と「桂姫」とをもて物語派の作とし、「此ぬし」と「教師三昧」とをもて人情派の作とし、下に其然る所以(ゆえん)を弁ぜん。敢て此四者の優劣を判ぜんとにはあらず、(その)質の相異なれる所以を分析せんとす。是もまた評判の一種なるべし。但しかの三派の別は(もと)より評者のほしいまゝにせる差別なり。幸ひに十中一の正しきを得ば、好弁の(そしり)をまぬがるゝに庶幾(ちか)からん。

 

   (明治二十三年十二月 讀賣新聞)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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坪内 逍遙

ツボウチ ショウヨウ
つぼうち しょうよう 作家・英文学者 1859・5・22~1935・2・28 現・岐阜県太田市に生まれる。1930(昭和5)年に朝日賞。死に際し勲一等奏請を辞した。紅露逍鴎と謳われた近代日本文学草創期の指導的大家の一人。

掲載作は、1890(明治23)年12月「讀賣新聞」に掲げ、その後の創作と批評に大きな指針を与えた。

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