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ニュールネサンス クラブ 創設マニフェスト 2006年6月

創設パートナー(川口健一、寒河江正、田原茂行、角田勝彦、野崎茂)

 

1. われわれは、第二次世界大戦後の日本と世界で生じている大変容が、解放と発展の反面、人々に不安と閉塞、不満と抗争をもたらしていると認識する。われわれは、いま、混迷の漂流に抗する確固たる碇を必要としている。

(説明)

 二十世紀は、戦争と激動の世紀であった。とくに第二次世界大戦後の世界で生じている政治、経済、科学技術、社会、文化など各面での大変容が数百年に一度の規模のものであることは、多数の認めるところである。十七世紀以来の「近・現代」は終わった。

 二十一世紀になった今も続いているこの大変容は、とくに2001年の9・11(米国同時多発)テロ以降、広く世界の人々に、発展の反面、不安と閉塞、不満と抗争をもたらしている。

 十九世紀末より続いた、帝国主義、植民地主義、超国家主義、国家社会主義、開発独裁主義から共産主義に至るさまざまな信条とその司祭たちは、歴史の現実と対峙して権威と信頼を喪失した。前衛を自称するインテリや第四の権力と称されるマスメディアの指導力は低下している。実存の困難さと被差別の意識もあいまって、将来への懐疑と不信が増大している。

 近・現代の理性中心主義から非合理主義への傾斜すら生まれており、呪術や魔術が人々の心を捉えている。理性より感情に依存する大衆運動が頻繁に行われるようになっている。不滅の真理を求める人々の間で、宗教的原理主義が人気を博し、ナショナリズムが心を捉えている。マモン崇拝と刹那主義も横行している。

 実存への不満がもたらす、既存の政治・経済・社会システムへの怒りと反発がこの動きに輪をかけ、抗議・抗争と国際テロが世界的広がりを見せている。1990年代の日本の失われた十年は、政治変動、不況、犯罪増加、教育崩壊、自然災害などを特徴とした。

 この間、ほかの信条と異なり、歴史の挑戦を生きのびてきた民主主義についても、主に開発途上国で、その普遍性はともかく、有効性への疑問が表明されている。一方、パンと劇場の衆愚政治と化す民主主義から僣主制への移行の危険性が、現実の問題になっている。

 一部の途上国では開発独裁が再び国民の支持を得ている。不安感と危機感の増大は、国家の介入への大衆の期待感を引き上げ、国権への社会の許容範囲を広げている。

 民主主義の担い手である市民、とくに、せっかく、この大変容のなか大学教育の一般化などから誕生しITなどで連携と結束を強めている「知的大衆」も、自立し主体性を確立しようとしながら、渦巻く混迷の潮流に流されて行方定めぬ漂流を始めている。

 いま、われわれは、この漂流に抗する確固たる碇を必要としている。

2.この大変容は、主権国家並立体制の変化、「知本主義」の誕生、世界一体化、さらに個人の全人的解放とひとりだちを中心としている。われわれが「ニュールネサンス」と命名するこの大変容の内容を正しく理解することこそ、不安と不満を和らげ、漂流、ひいては衝突の危険を免れるための碇となる。

 われわれは、この認識の拡大に努める。

(説明)

 この大変容は、近・現代の根幹をなしてきた主権国家並立体制と資本主義体制の変化、及び世界一体化、さらに精神と肉体の両面での個人の全人的解放と自立を中心としている。

 秩序の面では、中世のカトリック教会と神聖ローマ帝国の束縛と支配を覆して諸国家に対し主権の平等と内政不干渉を認めた1648年以降のウェストファリア体制が、絶対不可侵の主権概念そのものとともに揺らぎつつある。「現代」において超国家主義・民族至上主義の下、国家は新しい神、政府はその教会となったが、人類に原爆を含む未曾有の惨禍をもたらした第二次大戦を経て、この新しい神と教会の絶対性への反発が生じている。

 各国国内において全体主義・独裁主義は勢力を失い欧米型民主主義が一般化している。

 信教の自由・政教分離を含む基本的人権、民主主義、自由と法治主義、平和主義(紛争の武力による解決の否定や非核武装)などが、人類に共通する理想と信条になりつつある。

 経済面では、IT革命など科学技術の画期的な相互連関的進展に支えられて、資本に代わり「知」が生産の原動力になる「知本主義」が生育し始めた。「知財」保護が重要になった。知本主義での生産は創造と結びつく。人間疎外の労苦は減少する。

 かって農村主体の中世の停滞のあと、ルネサンスが都市中心の繁栄をもたらしたように、知本主義が、開発途上国を含み、「ニューエコノミー」の発展と繁栄を生み出す可能性は大きい。財政均衡原理主義は、中世荘園の自給自足主義と同じ運命を辿る可能性がある。

 この知本主義に支えられ、「グローバリゼーション(世界一体化)」も進展している。経済面のみならず、温暖化など地球環境、エイズなど新感染症、さらに天災地変などに関しても、人類一体化の意識と目標設定、そしてその実現を目指す共同行動が生まれている。中核的目標である貧困の減少には、分配より発展が基礎となる。支援が必要である。

 精神面では、「豊かな社会」の誕生と知的大衆の主体化により、肉体を含む人間の全人的発展が探求されている。新しい「人間解放(エマンシペーション)」が進んでいる。各人が、芸術文化・スポーツ・趣味・社会奉仕などあらゆる分野で自らの輝きを求め、実現している。

 1960年代から、米欧日など先進諸国をさきがけとして世界で展開しているこの大変容は、十四世紀から十六世紀にかけ、ヨーロッパに広がったルネサンス、宗教改革、科学技術の飛躍的進展、新大陸など地理上の発見、さらには商業革命(近代資本主義に続く)などを想起させる「人間の解放」である。米ソ冷戦が終わり世界一体化が進展した1990年代から、この大変容は、すでに後期に入っている。

 われわれは、この大変容を「ニュールネサンス」と命名する。

 ニュールネサンスを認識することこそ、不安と不満を和らげ、漂流、ひいては衝突の危険を免れるための碇となる。

3.ルネサンスが近代への扉だったように、ニュールネサンスは、「近未来(超現代(メタモダン))」への扉である。超現代(メタモダン)を間近に控え、いま、日本と世界は、歴史の分水嶺にある。

(説明)

 ルネサンスが近代への扉だったように、ニュールネサンスは「近未来(超現代(メタモダン))」への扉である。超現代(メタモダン)を控え、いま、日本と世界は、歴史の分水嶺にある。核兵器による人類絶滅の可能性を考えても、もっとも重要な分水嶺は、平和と武力紛争の分岐点にある。

 かつてのルネサンスは三世紀にわたったが、急速に進むニュールネサンスは数十年で完了しそうである。中世がルネサンスと三十年戦争の後の1648年のウェストファリア条約で、絶対主権を持つ平等な国家が併存する、ウェストファリア体制の「近代」へ変わったように、超現代(メタモダン)が近付いている。

 湾岸戦争から9・11テロ、アフガニスタン戦争からイラク戦争と続いた「新しい三十年戦争」も先が見えてきた。国連改革の進展も見込まれている。

 その背景には日本など先進国をさきがけとした人類の一体感と共生の意識の強化がある。人権の伸張がある。人類の成熟がある。世界人口も先が見えてきた。資源と地球環境の限界を考慮して、青年期のやみくもな成長路線にも歯止めが掛かっている。知足である。

 メタモダンの具体的姿としては、(1)多強対立(米中など大国間のウェストファリア体制への回帰)、(2)新「帝国」(世界連邦を含む)、(3)乱世(国際テロ、反米勢力台頭)、(4)アソシエーションズ(国家を含む各種共同体の国境を超える目的別連合)、(5)これまでの歴史上、人類が経験しなかった未来(超科学技術など良い未来と人類絶滅など悪い未来の二つがある)の六つのケースが考えられる。

 六つのケースのどれになるかは予見しがたい。もちろん、全世界が共通の体制下におかれるのでなく、欧州やアフリカなどの地域により、異なった体制が生じる可能性はある。

 ルネサンスの後も今に至るまで神と教会が強い力を保持してきたように、国家と政府はニュールネサンスの後も重要な存在であり続けよう。

 国家は、新興国においても、もはや想像の共同体ではない。愛国教育などにより、威信を含む情念の共同体に化している。さらに国家は、国民の利益のための共同体である。国民は、国家による自己の利益の保護と増大を求める。

 もとより、国家は、第一に、安全を求める共同体である。現在、主権国家並立のウェストファリア体制が今後とも踏襲されることを、無意識にか、当然の前提として、中国と米国間などの大国の対立という、不安を駆り立てる古いシナリオが関心を集めている。

 

 しかし、国家主権の絶対性は失われた。未来を過去の継続として捉え、主権国家のみが社会秩序を与える枠組みであり、主権国家併存のウエストファリア体制のみが世界に秩序を与える枠組みである、そして富国強兵こそ求めるべき価値である、と考えてはならない。経済面でも、いたずらに資源不足の恐怖などに踊らされてはならない。分ければ足りる。

 二十一世紀は、「絶対主権の国家」でなく「人間」が主体となる繁栄と平和の世紀になり得るのである。

 各国国内でも、二十一世紀は、独裁的一方的統治でなく、「協治」、すなわち社会(各種共同体の集まり)の基本的単位である、「自立した個人」の合意に基づく自治の時代、分権・分極の時代になり得る。たとえば日本では、高度経済成長と同時期に始まったニュールネサンスは、バブル崩壊と五五年体制の終焉ですでに後期に入っている。ボス型政治の弱体化とともに、明治維新、戦後改革に次ぐ「第三の改革」とも位置づけられる地方分権も進んでいる。権限と税源の移譲によって独自に地域を支え得る地方公共団体への分極化は、該当する地域の共同体化と独自の文化の再発見・再生を促進するのみならず、日本全体を活性化しよう。ここにも一つの分水嶺がある。

4.われわれは、われわれが属する歴史的地縁的民族共同体である日本(ニホン)が「ニュールネサンスのフィレンツェ」になり得ること、そして、日本 (ニホン)が平和と文化と人間尊重を追求することによって、世界による望 ましい近未来(超現代(メタモダン))」の選択に貢献できることを確信し、 政治的主義主張に偏することなく、本クラブのパートナーとして、その追求 に参加する。そして、海外への同ビジョンの発信により世界における日本(ニホン)への評価がいっそう高まるよう努力する。

(説明)

 日本を含み、世界は、超現代の六つの進路を前にして、分水嶺にある。そして少子高齢化にかかわらず「大国」である日本は、世界の方向付けに大きな影響力を持つ。

 日本は、米国に次ぐ世界第二位の経済大国、援助大国、さらに文化大国であるのみならず、近隣の僅かの例外を除く世界各国から、その不戦・非核、自由、人権、民主主義、法の支配などの政治的価値を高く評価されている。 

 われわれは、二十一世紀の世界、とくにその中心となるアジアが、相互不信と対立でなく国際協調を基礎とする平和と繁栄の世界になることを希求し、そのため努力する。

 日本は、民主主義に基づき平和と文化と人間尊重を追求し、その国力に見合った責任を果たさねばならない。日本にとり国際貢献の最重要分野は経済協力である。

 また、われわれは、その中で生まれ育ってきた歴史的地縁的民族共同体である「ニホン」が、世界のなかで敬愛されるよう努力する。

 「自立する個人」への人間解放の動きの中で、知的大衆が多い日本(ニホン)は、知が生む富及び伝統的・当世的文化(「和」や「知足共生」の概念などを含む)を基礎に、繁栄と文化創造の道へ向かう、ニュールネサンスのフィレンツェになり得るのである。

 われわれは、政治的主義主張に偏することなく、これらの目的の実現のためパートナーとして参集し、ここにニュールネサンス クラブの結成を宣言する。

June, 2006
 

1. Japan and the world have experienced asignificant transfiguration since World War II. We recognize that thishas caused a sense of anxiety, blockage, dissatisfaction andcontention, though this same transformation, on the other hand, hasprovided liberation and progress.

Today’s world needs a firm anchor with which to counteract the drift created by confusion.

2.The worldwide transfiguration centers on a changein the system of rivalry among sovereign nations, the birth of a new"knowledge-based economy” (chihonshugi in Japanese), Globalization, andthe emancipation in all aspects of individuals standing by themselves.

We name this change "The New Renaissance".

Correctly understanding the substance of this vitaltransfiguration results in the softening of anxiety anddissatisfaction. This recognition becomes the anchor with which weprevent further drift towards an untimely crash.

We shall therefore make the utmost effort toward the expansion of this recognition.

3.As the Renaissance was a door to the modern era,the New Renaissance is the door to "the Meta-Modern era” (thenear-future). The Meta-Modern era is just in sight. Japan and the restof the world find themselves at a watershed in history.

 

4.We are convinced that Japan (Nihon), which is ourhistorical ethnic community with territorial bonds, may become the"Firenze of the New Renaissance". We are also convinced that Japan cancontribute to the appropriate choices of the near-future (theMeta-Modern Era) of the world through the pursuit of peace, culturalunderstanding and human respect.

We hereby declare, as partners in this Club, that wewill participate in the pursuit of these objectives without biastowards any political principle or opinion. Finally, we promise tostrive to transmit this vision to the nations of the world, thusfurther enhancing the worldwide estimation of Japan.

著者注)英訳は、本文のみ。(説明)の英訳はない。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/01/27

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角田 勝彦

ツノダ カツヒコ
つのだ かつひこ 評論家・元大使 1937(昭和12)年 東京都生まれ。

掲載作は、「変えるのは総理かあなたか いまニュールネサンスからの国際関係」(2006年8月中央公論事業出版刊)所収。著者含め5人連名で発表。文責は著者。

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