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空襲の朝

 空襲がより激しくなり、川崎での寮生活が危険ということで、僕たち中学生は危険を分散する形で、小田原の自宅から通勤してもよいという許可がおりた。

 その頃、僕のいる軍需会社の化学工場棟には、これという仕事がなく、しかも工場長が長期にわたり病気で不在で、だれも叱り咎がめる者もいないだらけた雰囲気をいいことに、僕は、気ままさ、自由さを求めて、危険なスリルを楽しむように、朝、十時頃出勤してきては、一時になる前に会社の大きな塀を乗りこえて家に帰ったり、また空襲警報がなり、社外待避になれば、空襲警報が解除になると同時にそのまま家に向って帰ったりして、自分でも自分の自堕落ぶりにあきれるほど、わがまま勝手なことばかりして日々を過ごしていた。

 

 そうした昭和二十年の学徒動員のある日の朝のことである。(学徒動員とは、わが国の戦局がきわめて不利になったため、昭和十九年になって学徒動員令が出され、大学生も高等専門学校生も中学生までもが、学業を離れ、軍需関係の会社工場へとかりだされていたのである。)

 僕は、なにか自分の自堕落ぶりが気にかかり、いつもより早目にと思って家を出たが、折わるく、途中で空襲に出会ってしまったのである。そのとき、電車が藤澤を過ぎるあたりで空襲警報のサイレンが鳴ったのをきっかけに、そのまま、それを理由に家に一瞬ひきかえそうかと思った。が、また、いつもよくあるように敵機が一機か二機、偵察にきているぐらいではないかと、多寡をくくり、そのままひき返しもせず電車に乗っていた。この頃、すでに東京、横浜、川崎、平塚など近辺の都市は、大空襲で焼け野原のようになっており、多くの人々は焼けだされ、あるいは焼死し、僕の職場の人々も歯がこぼれ落ちるように、いつとはなしに、一人、二人と減っていき、四十人いた構成員が、いつしか、軍隊にかりだされる人もあったが、五、六人を数えるばかりになっていた。そのうえ、仕事らしい仕事もすっかりなくなり、自分の職場を通じてみただけでも日本全体が空襲による打撃と物資の欠乏ですっかり機能が麻痺し、バカになっているのではないかと思われた。この頃、母は、僕に秘密を教えるように、日本が支那(中国)に対して侵略戦争を昭和六年の柳条湖での鉄橋爆破事件により仕かけ、宣戦布告もなしに、ずるずると支那本土になん百萬という日本の軍隊をながい間送りこみ、そしてその戦いですっかり国力が衰え疲弊しているところへ、昭和十六年になって物資豊かなアメリカとイギリスが参戦したのだから、この戦争は、戦う前から日本が負けるのは自明の理ではないかと言っていた。けれども、僕は、日本は絶対に負けないという洗脳された頭脳で、神国日本の奇蹟を信じて、海外での敗北につぐ敗北の報に接しても、身近の路傍や線路の脇に無数に空襲で焼死した人々をジカにみせつけられても、職場の人が一人二人と消息不明になっていっても、いつか奇蹟がおきて必ず逆転し、日本が勝つのではないかと、そのことを無理にでも信じようとかかっていた。しかし、空襲の頻度が日々高まり、鋭い牙を身辺でむき、鋭い爪をかきたてられるにつれ、僕は、日本が勝つという見通しがたつどころか、これでは負けるという暗い気持ちになり、日本全体の危機感と麻痺の中で、すっかり空襲の怖さなど感じなくなっていた。そして僕は、この日もまた同じような気持ちで、空襲を深く案ずることもなく電車に乗りつづけていた。

 

 この頃、電車の中の通勤時の乗客は、殆んど肩から弁当の入った小袋を斜めにかけ、共に防空頭巾を携え、男は戦闘帽をかぶり、そして脚絆(きゃはん)を巻き、女は、たいていモンペをはいていた。なかには立派な背広を着て脚絆を巻いている人もいたが、なにかその人はこの国にかかわりあいのない人のように映り、時の態勢に逆行しているように思えた。たいていの人たちは、ボロつぎのあたらないものはないほどのうす汚いボロ衣をまとい、靴もぼろぼろで見る影もなく、また(しらみ)が髪の毛や体にわくのが当り前の時勢であった。けれども、みな、心を勝つためにと一つに向けられているせいか、貧しさにも、うす汚さにも、飢えにも耐えているように、警戒警報や空襲警報に対しても、心配こそすれ、いろめきたち動ずるというふうもなかった。

 僕が、横浜で、東海道本線から京浜東北線に乗り換えたとき、通勤時間をだいぶ過ぎたせいか、電車の中は、数えるのももの足りないぐらいに、がらんとすいていた。空間がいやにあり過ぎて、電車に乗っていても、なにか気がひけるほどであった。僕は、もう九時を過ぎているから、これほどのがらすきは当り前のことだし、たいていの会社は、この時間では始まっていると思った。ここに乗っている人たちが時間からしておかしいくらいだと思った。と、僕の頭の中を、ここに乗っている人たちは、どういう人たちだろうということがかすめた。この人たちも、僕と同じように怠けている人たちだろうか、いや、そんなことはないだろうと思った。なにか用事で出勤が遅くなっているのか、それとも所用でどこかへ出かけていくのだろうかと思った。憲兵の腕章をした軍人をよく駅でこの頃みかけるようになったが、これらの人が、もし就業の時間を過ぎている僕たち乗客に声を掛けてきたら、みんな、なんというふうに答えるだろうかと思った。けれども、僕は、就業時間のワクをはみ出た人たちと共に電車に乗っていることが、なにか盗んでことを楽しんでいるようで、なんともいえず心地よかった。

 窓の外には、つい先頃の空襲で、あっというまに密集していた家々が一面に焼け野原になり、どこまでも爛れた姿が拡がっていた。線路脇には焼け野原の中に、無残な恰好をしながらも、なお威を張るようにあか茶けた石倉や金庫が、頭を、がらくたの中で持ちあげたように、あちこちにと点在していた。過ぎ行く車窓からは、広い駅の構内で、爆撃に来て、偶然にも高射砲の弾丸かなにかに当って落とされたのだろう。アメリカの捕虜が二、三人、停められてある貨車から荷物のあげおろしをしている姿が見えた。彼らは、なにか、のんびりと、ことを構えているようにみえた。と、僕の中に、十日ほど前に、横浜の構内地下通路で、五、六人のアメリカ兵が、両手を前に縛られ、うなだれ、数珠つなぎの恰好で当局者に引っぱられ連れられていくとき、無抵抗な彼らに、憎にくしさもあらわに、突如として一人の若い男が襲いかかり、殴る蹴るをはじめると、これにつられるように、多くの群集の中から、われもわれもと男たちがとびだしていき、彼らを殴る蹴るをはじめた姿が思いうかんだ。その二、三日前にも同じようなことがあった。僕は、そのとき、妻や子を、親を、空襲で失ない、しかも家を焼かれた恨みが、こうした形になって現れているのだろうかと思った。しかし、鬼畜米英というが、日本人も鬼畜と同じではないかと思った。僕には、こうした殴る人たちの恐暴性にも似た姿が理解できなくはなかった。けれども、僕は、殴る人がみじめで、しかも殴られているアメリカ兵が、とても可哀そうで見ていられなかった。みんな権力者の、為政者の犠牲者なのだと、その場を通りすぎながら思った。責められるのは、時の政府と権力者なのだ。米兵の一人ひとりには、なにも罪はないのに、と思った。米兵も日本人も、時の権力者たちに踊らされているにすぎないのにと思った。が、それにしても今見るあの荷作業をしているアメリカ兵の捕虜たちは、このような経験があったのだろうに、まるでそんなことがなかったかのように、のんびりと作業していると、彼らの平和にも似た雰囲気が、信じることができないもののように僕には映った。そして、僕は、彼らの身の上を、あれこれと考えるともなしにぼんやりと考えていた。

 

 いつか電車は鶴見の駅を発車していた。

 と、そのときだった。突如として、高く、切れぎれに、悲しく泣きわめくように、狂おしくサイレンが鳴りわたった。と、すわっとばかりの緊張感が電車の中を突走った。僕は、これは大変なことになってしまった、このサイレンの様子では、僕たちの電車は、空襲の真っ只中にのめり込んでいるのだと思った。どうしよう。どうしたらいいのだ。けれども、僕は電車の中。どうすることもできない。電車は急に速度を落し、あたりの様子をうかがうように走りつづけている。と、それまで殆んど動かなかった乗客は、あわてふためくように防空頭巾をかぶり、車窓にすりより、どこだ、どこだと、不安と心配を一杯に空を見あげ、だれもかれも落着く様子もなかった。けれども、どこにも空に敵機が見える様子もなく、僕は、空襲の真っ只中にいるにしてはおかしいと怪訝な気持になりながら空を他の乗客たちと一緒に見あげていた。が、サイレンは、さかんに急を告げ、その悲鳴と恐怖にも似た重い響きが、いよいよヒステリーの度を加えていくように迫り、僕は、そのサイレンの響きに不安と恐怖を煽られていく心地になっていた。

 と、だれかが、電車をとめたらどうだ、と叫んだ。危ないじゃないかと苛立たしく言った。けれども、ほかの者は、ただ、そわそわと、苛立たしそうにするだけで、なにもその声にこたえようとする者はなかった。僕は、ままよ、どうにでもなれ、と思った。ここで生きるも死ぬも運だ。運がわるければ死ぬだけのことだ。早く家を出てきた一時間が、僕の生死を左右している。妙なことになってしまったものだ。少し良心的に早目に家を出てきてしまったのがいけなかったと思った。最悪の事態になってしまったと思った。けれども、僕は、こんなことで、じたばたしたところで、どうにもなりゃしないと思った。電車のままに、じたばたするのをやめようと思った。けれども、僕の気持はなにかせいていた。

 電車は、時には停りそうになり、それでも先があるように、あたりの様子をみいみい、少しずつ先へ先へと進んでいるようだった。電車の中は、いよいよ色めきたち、僕は、人の弱さをみせつけられている思いになって、じっと緊張した重苦しい時間に耐えていた。

 と、南の空で「ドォン!」と、急を告げているサイレンにしては、少し遠い距離を思わせる位置から、思い出したように高射砲の弾丸がぽつんと打ちあげられる音がした。つづいて、間の抜けたように二発三発と打ちあげられた。が、敵機も爆撃をうけている場所も、どうしたことか、僕には見当たらなかった。けれども、サイレンは重苦しく、きれぎれに、せいを切らせて鳴りつづけ、危険を訴えつづけること頻りである。と、だれかが、「あ、あそこに日本の戦闘機が飛んでいく。」と、南の上空を指さした。高射砲は、あい変らず、歯がゆいほど間のびた間隔で打ちあげられていたが、今、飛びあがっていったばかりの日本の戦闘機は、みるみるうちに、あっという間に煙の尾を引いて地上に錐もみしながら墜落しはじめていた。僕は、なんだと思った。と、海寄りの南の空では、敵機のP51戦闘機は低い雲間に、五機、六機と、すっすっと泳ぐように顔をだしては消えていった。B29爆撃機は、そのはるか上空を、なん百機となくゆっくりと編隊を組んで飛んでいた。僕は、まだあの距離なら、ここらは大丈夫と思いながら、川崎駅に電車が停ると、安心したようにホームを出た。が、外は、空襲のサイレンが雨あられとなって充ちあふれ、少しの時間の余裕も許さぬほどに、僕たちに迫ってきた。僕は、その音の嵐をくぐり抜けるように、電車からとびだした乗客たちとともに、ホームに電車が到達するのを待っていた警防団員たちの案内に従い、駅前広場の防空壕へといそぎ、僕は末尾からホームの陸橋をかけ渡ろうとしていた。

 と、その時だった。南西の空は、照明弾が地上から天井へと連らなる黒い色に全面が覆われた煙の中で、祭の花火を思わせるように、バラバラと、明るく、綺麗に、整然と、きらびやかに落下し、その中を爆弾の雨が、次から次へとすばやく走り抜け、とどまる様子もない光景をそこに見た。僕は、なんという、すごさの中の美しさだろうと思った。僕は、いつまでもこのすごさの光景を見ていたいと思った。けれども、低いド、ドッと轟きをあげて迫る爆弾の地響きと、高い空の雲間や煙の間に、時折顔をのぞかせるように迫るB29爆撃機の編隊を見るにつけても、P51戦闘機が低く機銃掃射をしている音を彼方に聞き、見るにつけても、なにか、いつまでも陸橋にとどまっていることがそら怖ろしく、僕は、気を取り直すように陸橋の階段を一人降りていった。駅の周辺は、すでに過日の空襲で焼け野原になっていて、所どころに焼け残ったレンガ造りやコンクリート製の建物が無残な姿をさらけだしているほかは、殆んどが掘立小屋のバラックで、南西のはるか彼方の空まで、すぐ間近かのように、空襲の凄絶さを身近かく映しだしていた。

 僕は、どこに防空壕があるのだろうと思った。ここ暫くの間、川崎の駅前に下車していないので、駅前広場の勝手がわからないと思った。僕が、かって、そう空襲がはげしくなる前に川崎駅に下車したときには、まだ駅周辺には空襲もなく、雑然とながらも家屋が建ち並び、防空壕など、どこにも見ることがなかったのに、と思った。それが、いつ、防空壕が掘られるようになったのだろう。しかし、警防団員が、駅前広場の防空壕に行けというからには、どこかに防空壕が掘られているのだろうと思った。けれども、僕は、なにか勝手がわからず、心配になっていた。と、焼けだされたあとの一時しのぎの粗末な駅の階段を降り、駅前広場へ出ると、駅前広場は、以前とすっかり変りはて、がらんとしていて、あっちこっちにと、地面に土を盛りあげた格好で、防空壕が点在し、ところどころに、警防団員と思われる人々が立っていた。僕は、どこでもいいから身近かな壕にとびこもうと思った。けれども、どの壕も、ぴたりと入口を閉ざして、とびこんでいくのに隙がないように映った。僕は、どうしようと思った。先方には、壕が一杯だということで弾きだされた格好で、新たな壕を求めて三人一群となってかけ走っていく姿があった。僕は、これはいけないと思い、自分なりに壕を求めて、夢中で、目についた火消しの格好をしている警防団員のもとに近づき、「中にいれてください。」と頼んだ。が、その警防団員は、大きな体で、目の前の壕に仁王立ちになって立ち塞がり、「ここは駄目だ!あっちへ行け!ここはオレの場所しかあいていないのだ!」と、僕を荒あらしく突きとばし、顔を真赤に鬼のような剣幕で叫んだ。僕は、凄い剣幕だと思った。怖ろしい人だ。この人は、なんというつれない人でなしだと思った。少しぐらい融通をきかせて、防空壕の中の人に少し中の方へ詰めてもらうように頼んでくれればいいのにと思い、なにが警防団員だと思った。くそったれと泣きたい気持で、あたりの壕を目で素早くまさぐっていた。と、たまたま、はるか遠くの方で「こっちへこい。」と手をあげ、僕の様子を見ていたのか、僕を招き呼んでいる警防団員の姿が目にとまった。僕は、地獄に仏の思いで、そっちの方にかけ走り、その案内された防空壕の中へと夢中でとび込んだ。サイレンは頻りに鳴りつづけ、僕は、これで助かったと思った。が、かけ走った呼吸は荒あらしく、いまは、空襲を受けている所が美しいなどバカなことをいっている余裕すらなく、ただ防空壕を得たということで、ほっとした気持になるのを覚えるのがせい一杯であった。

 防空壕の中は、こんなに大勢の人がいるのかと思うほどに、中の中までぎっちりと、身動きができないほどに詰っていた。僕は、五十人や六十人は、いるだろうかと思った。みな、身に危険が迫っているせいか、騒ぎ、はしゃぐものは一人もいなかった。みな、これが人間かと思うほど無口になり、しいんと息を殺して、外部の様子に耳を立てているようであった。僕は、人間とは怖いものだと思った。この自然に起る規律を犯せば忽ちのうちに叩きのめされてしまうのではないかと思った。喋る言葉も、身の動きも、ここにいる限り自由はないと思った。暗い壕の中で、緊張にひきつった目だけが、あふれるばかりに、ギラギラと輝いていると思った。けれども、この壕の中では、運命を共にしているというだけで、共になごむ空気が流れているように思われた。そうした気持が、遅れてとび込んできた僕を、弾き返すことなく、すんなりと僕を入口の片隅に受け入れてくれたのだろう。それにしても、僕は、「ここは駄目だ!あっちへ行け!」と、鬼のような形相になって仁王立ちに僕の前に立ちはだかり、僕を突きとばしたあの警防団員が憎い、と思った。なぜ、あんなにしてまで、僕を受け入れてくれなかったのか、タチの悪い奴だと尾を引くように思った。思い出すだけでも気持がむかむかする、腹立たしくてかなわぬと、僕は、その場面を思い出しては、暫くの間、唇を噛む思いになっていた。

 

 防空壕の中へは、たえず危険からやや遠い距離感を伴って爆弾が頻りに投下されている音が、軽い振動とともに伝わりつづけていた。この、やや危険からほど遠い距離感が、壕の中の人々の気持を幾分か柔らげ、安心させているのだろうか。みな緊張の中にも落つきに似たものがあるような空気が、いつか流れはじめていた。

 ――空襲は、どこらあたりでしょうね?

 と、中の方で、だれかがぽつりと言った。

 ――日本鋼管ですよ、あのあたりは。

 落着いた調子で、その言葉をひき受けるように、だれかが、それに応えた。みなの視線は一せいにこの会話の方に向けられたように思えた。僕は、みな、わかっている空襲を、もっと深く知りたげに、貪欲になっていると思った。

 ――ここらへんは大丈夫でしょうね。

 はじめに言葉を切りだした方が、心配そうにあとの方に訊ねた。

 ――あの方向なら大丈夫ですよ。弾丸を落とされても。

 あとの男が、勝手がわかっているように答えた。

 と、僕に近い方の位置で、初老と覚しき人が、落着いた調子で、

 ――ここで、みなさんと、こうしているのも、なにかの縁ですね。死ぬも生きるも一つですからね。なにかの因縁ですよ、ここにいるのも。

 と、ぽつりと言うと、先の会話もピタリととまり、防空壕の中は、一瞬、水を打ったようにしいんとしてしまった。と、こうした空気に耐えきれなくなったのだろうか。僕の脇にいた少年工と思える僕と同じ年恰好の男が、防空壕の蓋を、そっと、まわりを気にしながらも、外が気にかかってしょうがないように、少しあけた。僕は拙いことをこの少年がすると思った。みなの意思と反対のことを、どうしてするのだろうと、この少年工と覚しき男の非常識性を思った。けれども、僕も、この少年工と同じように、怖いものみたさで、外の様子を、ちょっとでも盗み見たい気持になって外を見ていた。

 外では、敵機が落した親子焼夷弾のケースらしい軽金属の破片が、がらん、がらんと地面を叩きつけ、爆弾が投下されている音と、機銃掃射を受けている音が、やや遠くながらも、緩と急をまぜた強い迫力で僕の耳に迫ってきた。僕は、すごく生ぐさい気配だと思った。サイレンは、あい変らず、低く、高く、きれぎれに、地面をあえぎ匍うように鳴りつづけていた。

 ――だめじゃないか!バカ者!どういうつもりでいるのだ!早く蓋を閉めろ!バカヤロ!

 中の方で、だれかが、苛立たしく戸口の方に向って怒鳴った。少年工は、叱られ、身をちじめるようにしながら、そっと押しあげていた蓋を閉じた。僕もまた叱られたような気になり、一緒になって外を盗み見していた首をひっこめた。と、そのとき、光の加減で、僕のすぐ近くに、同じ軍需会社の同じ職場にいる鍍金工の弘岡が、ややうつむき気味に、しゃがみ込んでいるのに気がついた。僕は、これはあまりにも偶然の出会いすぎる、こんな場所で弘岡に会うなんて、と思った。まさかと思い、そっと彼かどうか確かめるように、暗い視界の中で、彼をまさぐって見た。まさしく弘岡だ。いやな奴に、こんな所で出会ったものだと思った。僕は、この弘岡に、いつも、「キミが怠けていられるのは中学生だからだ。」と毒づかれていたので、こんな嫌な奴はいないと、いつも口もきかずに、職場の中では避けられるだけは避けてきていたが、同じ防空壕の中に、しかも顔をつきあわせられる位置にいて口をきかないのもどうかと思われ、下を向いている弘岡に、そっと、

 ――弘岡さん。

 と、声をかけた。僕は、自分にしては、珍らしい自分に対しての妥協の仕方だと思った。けれども、いまは、面と向いあってでは致し方がないと思った。知らぬ顔をしているのも気詰りだと思った。

――お、キミか……。こんなところで……。

弘岡は、びっくりしたような声で言った。

――珍らしい所で一緒になったな。

 その声には、いつも横柄な彼にしては似合わぬほどの親しさがこめられているように思えた。僕は、どうしたことだろうと思った。身近かの空襲が、危険を防空壕の中で共にしていることが、彼をそうさせているのだろうかと思った。けれども、僕たちの間に、暫くの間言葉がなかった。と、弘岡は、ぽつりと、

 ――いよいよ、オレも赤紙だよ。

 と、力なく言った。僕は、「え!」と思った。まさかあのことが本当になってしまったのかと、不意に胸を突かれた気持になり、もしあのことが原因ならばと、僕は、なにか彼に対して申しわけないような、すまないような気持になるのを覚えた。そして、もしあの日、あの若い海軍将校の監督官に出会うことさえなければ、こんなことにはならなかっただろうにと、その日のことをつらい気持で、ふっと思いだしていた。

 

 その日、僕は、出勤するとすぐに、事務所の自分の机の上に弁当の入った布片の手製の鞄を置くと、そのまま職場の建物の裏に積み重ねた材木の上に寝転がり、いつものように陽なたぼっこをのんびりとしていた。既に就業時間は二時間も過ぎていて、僕は、いささか守衛とか監督官の目が気になったが、就業中、職場の建物から離れて外にいる開放感の魅力には勝てず、この日も、材木の上で時を過ごしていた。

 

 空は青あおとしてどこまでも拡がっていた。白い小さい雲が、一つ二つ、動くこともなくぽつりと置かれたように浮いていた。冬の陽差しは程よく、材木置場に寝転がっている僕には心地よかった。僕は、時折、材木の上に寝転がりながらも、あたりの視線に用心ぶかく目を配り耳を立てていた。守衛や監督官の監視の目が、いつものように気にかかり、また、その目を盗んでいることに、なんともいえぬスリル感を味わっていた。職場の、材木置場に一番近い北側の実験室では、作業時間だというのに、休憩時間の雰囲気が、楽しく陽気に遠慮会釈もなく外にはみだしていた。だれかが、いつものように、面白い下卑た話をして、みなを笑わせているのだろう。絶え間なく笑い転げるさまは、波がおし寄せてはおし返すふうで、なにものも憚り知らぬげであった。なかでも、弘岡の、人を小馬鹿にしたような声と下卑たイヒッイヒッといったひきつった高笑いが一段と際立ち、僕は、その笑いと声を聞くたびごとに、嫌らしさを覚え、あのヤロウといった気持になっていた。いつも僕のことを怠けている、いい加減なヤツだといっているくせに、自分だって、僕に勝るとも劣らないじゃないかと思った。けれども、僕は、こんな作業時間に、いつまでも休み時間のように騒いでいては拙いではないかと思い、はやく止めてくれればと、自分の自堕落な陽なたぼっこをよそに、そんなことを考えていた。こんなことをいつまでもやっていれば、いつかは、守衛や監督官の目や耳に入ってしまうと思った。けれども、そうかといって、塗装作業場にも鍍金作業場にも、事務所にもこれといって仕事があるわけではなしと思い、しぜん、こうした雰囲気になるのも無理がないことだと思った。この頃、毎日、東北地方から学徒動員できている僕より一学年上の女学生たちが、仕上・組立工場から仕事を運んでくるはずなのに、全然といっていいほどに仕事を持ち運んでこなくなっていた。

 しかし、化学工場(塗装・鍍金工場)には、仕事があるなしにかかわらず、体質的にこうした雰囲気が、はじめからないわけではないと思った。ここは異常が常になっている職場だと思った。僕が、はじめてこの職場に高専の学生の岩崎さんに拾われる形で連れてこられたときもそうだった。(その頃、僕はひょっとしたことで、職場の機械工場をとびだし広い会社の中を疲れはてるまで放浪していた。)僕は、その時、勤労課の三十にはならない若い青白い顔をした係長に、そのことでさんざんに油をしぼられたあげく、非国民とののしられ、見捨てられるように、「勝手にしてくれ、こんな中学生は手におえない」といわれた形で、岩崎さんにこの職場へと連れてこられたのだが、僕は、この職場はなんとのどかで、のびのびとした暇そうな職場だろうと思った。もう作業時間にとっくになっているのに、一人の若い小粋な芸者のような女性を囲んで、事務所の中で、事務員も工員も一緒になってお茶を飲んで楽しく談笑しているなんて、この、同じ会社の中では信じられないことだと思った。こんな職場が、同じ会社の中にあったのかと思った。機械工場と比べれば、戦争と平和の違いだと思った。機械工場にいたとき、みな人間性を無視され、檻のような大きな建物の中で、鋭い監視のもとで作業し、ちょっとしたことでも鬼のような班長に殴りとばされ、半殺しにされてしまうような重苦しい、いまにも窒息しそうな雰囲気が滲みでていたが、それとは雲泥の差だと思った。どうしてこんな夢のような世界が、同じ会社の中に存在していたのだろう。こんな所があれば、いや、こんなところにはじめから配置されていれば、僕は、機械工場にいたときのように、義憤を感じて班長に油を叩きつけ、職場を放棄し、広い会社の敷地内を、空いている廃家の建物の中を、同級生たちのいる各職場を、なにするあてもなく、苦しい日々を、どうしたらいいのだ、どうしようと思い、毎日、人の目をかすめて、野良犬のように悶々と疲れはてるまで放浪もせずにすんだかもしれないのに。とにかく、ここは、いつも危険が一杯だと思った。

 

 と、僕は、なにげなく、守衛や監督官のことが気にかかり、躯を少しおこして顔をあげると、二十米前方の化学工場の建物の角に、海軍将校の作業衣と帽子をかぶった監督官が立っていた。僕は、とっさに危険を感じて逃げだそうかと思った。が、逃げだすとそれがかえって自分の非を自から証明することになり、危険を感じた。それなら、仕事が職場に全然ないことを楯に開きなおった方がましだと思った。僕は、よし、なんとかやってみよう。どうにかなると思った。と、僕が気持にゆとりを持った瞬間だった。

 ――だれか!そこで怠けとるヤツは!

 と、ばかでかい、たけり狂ったような声が、僕をめがけて襲いかかってきた。もうこの調子では一つや二つは殴られても仕方がないと覚悟した。しかし、僕は、仕事がなくて遊んでいるという正当化した弁明を用意しているだけに気持の上に、なんともいえぬ余裕を持っていた。

 監督官は、地面を荒あらしく蹴たてて、いまにも僕に襲いかかる剣幕を全身に発散させながら近づいてきた。僕は、おもむろに上半身を起し、監督官が近づいてくるのを見ていた。監督官は、つかつかと、いまにも僕の首を締めつけるばかりにして、僕の前に立った。僕は、つとめてこともなげに平然とした気持をよそおい、監督官に顔をむけた。監督官は、僕を目の前にしていながら、まるで聾を前にしているように、頭上から叩きつけるような声を張りあげ、眼鏡ごしに、材木の上に腰かけている僕を睨みつけた。

 ――キサマ、いま、なんの時間と心得とるか!いまは就労時間だぞ!判っとるか!

 監督官は、いきおい叫んだ。

 ――判っています。

 僕は、さりげなく、わるびれずに答えた。監督官は、まだ三十にも程遠いようにみえた。襟章は中尉を示していた。

 ――判っていたら、なぜ仕事をしないのか!なぜ、怠けとるのか!

 僕に追い打ちをかけるように迫った。

 ――仕事がないからです。

 僕は、こともなげに答えた。

 ――仕事がない?!

 監督官は問いつめるに尻上りのきつい語調で言った。

 ――はい、仕事が全然ないのです。職場の中にいても、この材木置場にいても、どうせ遊んでいることは同じだと思いまして……。

 僕は、用意してあった言葉をすらすらと述べた。

 ――そうか、そんなに仕事がないのか。

 ――はい、全然ないのです。

 ――本当だな?!

 ――ええ。

 ――キサマの職場はどこだ?

 監督官は、たけり狂うのに目標を失ったように、次第に静かな語調になっていた。

 ――そこです。

 僕は、目の前の、北に面している裏側の白い建物を指さした。そこでは弘岡たちの、憚りしることもない高笑いが、そのまま外に筒抜けていた。僕は、これは拙いことになってしまったと思った。彼らは、早く、僕が監督官に咎められているのに気づいて、騒ぐのをやめてくれればいいのに。知らないこととはいえ余りにも憚りしるところがなさすぎると思った。曇りガラスの向う側の実験室の中では、ふざけ笑う人たちの影が、うすく揺れ動いていた。僕は、もし、この監督官が僕の職場に今踏みこんでいったら、どうなることだろうと思った。彼らは、うろたえ、じたばたすることになるだろうと思った。けれども、僕は、今、僕の職場に踏みこまれたら、そのことよりなにより、仕事が全然ないと言った手前、だれか一人でも仕事していたら困ることになるのだと思った。僕が外に出るとき、中では鍍金作業場で四十をすぎた小柄の金谷という工員が、黙々と一人で、内職でもしているのか鍍金作業をしていたので、僕は、それを口実に監督官に咎められてはひとたまりもないと思った。僕は、監督官が、僕たちの職場の中に立ち入らないことを祈る気持で念じていた。しかし、ひとたび開きなおってしまっていた僕の気持は、僕を、なぜか別人のようにすっかり落着かせていた。

 監督官は、僕を頭から足の爪先までなぜおろすように見たかと思うと、急にこわばらせた表情を崩して、親しみやすい語調で、

 ――キミは中学生だね。

 と言った。僕は、中学生の服装の上に作業衣をひっかけ、つぎだらけのズボンに脚絆を巻いていた。

 ――はい、そうです。

 僕は答えたが、今ごろ僕が中学生であることに気がついたのかと、そのことを不満に思った。僕が、自分が工員などに見たてられていたことに、なにかプライドを傷つけられたような気持になっていた。けれども同時に、僕が中学生であることがわかり、それによって、監督官が僕に好意を持ったのではないかという気持にもなっていた。

 ――それは失敬なことをしたな。ワシは、キミがこの会社の従業員だとばかり思っていた。本当に失敬した。

 監督官は言い、なにを思ったのか、僕の腰かけている材木に並んで腰かけようとした。僕は、小さな小学生が、こわい先生に傍に坐られるような煙ったさ重苦しさを同時に覚え、一瞬身がひきしまる思いがしたが、なにか身の危険が遠のいていき、緊張がゆるんでいくのを覚えていた。しかし、監督官という立場の人が、自分の傍にいるということで、僕は、その不安と警戒心で身がかたくなるのを覚えていた。監督官は、僕のすぐ隣りに坐ると膝の上に上半身を軽くかぶせるように折りながら、左右の指を膝の前で組み、一呼吸おくと僕に静かに、親しいものに訊ねる調子で、

 ――ところで、キミのいる化学工場のことだが……。キミは自分の職場を、どう思っている?

 と、訊ねた。僕は、一瞬、これは大変なことを聞かれる、うかつなことを喋っては、職場にも、一緒にいる仲間にも迷惑が及ぶかもしれないと思った。いくら相手が、僕に対して親しそうにしてきても油断してはならぬと思った。どんなことがあっても、一緒にいる仲間を、職場を相手に売り渡すようなことをしてはならないと思った。そして、僕は、どう返事をしようかと、ためらっていると、

 ――なにか、率直に感じるところはないかね?

 と、監督官が言った。

 ――さあ……。

 僕が返事に困っていると、

 ――なにかあるだろう?怠けているとか、やる気がないとか……。

 監督官は、僕を誘いだすように言った。僕は、

 ――そんなことを言われても、困るし……

 と、言いながら、仕事が自分のいる職場に殆んどまわってこないことを話し、職場の面目をたて、いま、面前の実験室で、無遠慮に遊んでいる仲間たちの面目をたてることにやっきとなっていた。ここは、僕の正念場だと思い、懸命に監督官と戦う思いになっていた。

 と、監督官は、

 ――キミの言うことは、よく判る。でも、キミのいる職場は、この会社の中で、一番怠け者が多くて、だらけているという評判だ。だれが中でも一番怠けていると思うかね?

 と、言った。

 ――さあ……。

 僕は言葉を濁した。自分のことはとにかく、弘岡のことが頭をかすめた。

 ――さあ、だれかな?

 監督官は、小さい手帳をポケットから取りだして言った。僕は、弘岡のことは言ってはならぬ、と思った。

 ――いま、話をしましたように、仕事が全くないから、だれが怠けていると、名前をあげて言うことはできません。ちょっと名前をあげることは無理だと思います。

 僕は、仕事がないことを楯に防戦するのが上策だと思い、このことにこだわるように言った。

 と、監督官は、

 ――それは尤もなことだ。

 と、理解があるようなことを言い、それからおもむろに

 ――でも、なかで、一番に怠けているような者がいるだろう。そいつは、だれかね?

 と、僕を困らせるように迫った。僕は、

 ――さあ……

 と再びためらい、どうしたらいいかと黙っていると、

 ――だれかいるだろう?

 と、監督官は、強く迫ってきた。僕は、

 ――でも、仕事が全然ないから。

 と、同じことを繰り返し、繰り返し言っていると、監督官は、

 ――しょうがないな。

 と言いながら、手帳をたたみ、ポケットにそれをしまおうとした。と、そのとき、弘岡の一段と下卑たイ、ヒ、ヒとひきつった、腹をかかえ笑い転げているような声が、みなの声に混って聞えてきた。

 僕は、タイミングの悪いときに、いやな声が聞えてきたものだと思いながら、実験室の方を見ると、監督官もその声が気になったのか、その方を見て、

 ――あの、さっきから妙な笑い方をしている者は、なんという名前かね?

 と訊ねた。しまった、これは逃げきれないと思った。でも、名前をあげるのに強い抵抗を覚え、一瞬、黙っていると、監督官は、僕のためらいをよそに、

 ――なんという名前かね?

 と、強く切り込んできた。僕は、いよいよ追いつめられた形で、

 ――弘岡といいます。

 と、答えたが、いい気持がしなかった。僕は、遂に仲間を、相手側に売ってしまったと思った。弘岡に申しわけのないことをしてしまったと思った。すまないと思った。弘岡になんといって詫びたらいいか分らぬと思った。そして、やや沈んだ気持でいると、監督官は、

 ――弘岡、なに?なんというのかね?

 と、一度しまいかけた手帳を取り出し、万年筆で、彼の姓名を書きはじめた。そして、名前を僕から聞き出すと、それをも書き記し、手帳をおもむろに閉じたかと思うと、こともなげに、

 ――こらしめのために、軍隊にほうりこんでやる。

 と言った。僕は、これは大変なことになってしまったと思った。とんでもないことをオレはしでかしてしまったぞと思った。けれども、僕にだけしか判らないことで、僕が黙っている限りだれにも判りはしないのだと、僕は、俄かに秘密を持った心地になるのを覚えていた。

 

 弘岡は、なにを思い込んでいるのか、ほとんど黙りがちであった。僕は、なにもそれ以上声をかけたくなかったので黙っていた。しかし、いつも下卑たことを言っては、はしゃぎ笑い、人に嫌味を言っては毒づく弘岡が、意外なほどに静かに口を重くしているのは、やはり召集令状がきて、こたえているのではないかと、いささか気にかかった。僕は、本当に拙い結果になってしまったものだと思った。あのとき、どうにもならない状態で監督官に彼の名前を言ってしまったにしろ、軍という敵に、味方を渡してしまったことは自分に責任の一端があると思った。本当に悪いことをしてしまったと思った。けれども、僕は、じっと、自分を責めながらも黙っていた。

 壕内は、一つの生命体のように重く息づいていた。だれもが黙りこくり、外に対して耳を立てているようだと思った。爆弾が絶え間なく投下されている音が壕の厚い土を通して、遠い距離感だが、次第に緊迫した感じとともに伝わってきていた。僕は、これは大変なことになってきていると思った。いまは、空襲は、日本鋼管ばかりではないと思った。しかし、まだ少し遠い距離感があり、安心だと思った。と、その矢先だった。突然、頭の上で、

 バリ!!バリ、バリ!!

 と、激しく空気をかき裂く音がしたかと思うと、ヒュ!と無気味に糸をひき、重量感のある金属音を伴い、身近かに、すごい勢いで爆弾が迫ってきた。僕は、瞬間、至近弾だ、やられる、と思った。僕は、思わず身を低くし、頭を深くさげた。もう駄目だと思った。と同時だった。近くの地上で、爆弾がものすごい音とともに炸裂したかと思うと、僕たちのいる防空壕は、その爆風で激しく揺れ動かされていた。ばらばらと、防空壕の天井の砂が崩れ落ち、僕たちは、その砂を防ぐ余裕もなく一杯にかぶっていた。が、だれも砂をかぶったことにこだわり、気にかけているふうもなかった。いや、それどころか、次に襲いかかってくるかもしれない爆弾の恐怖とその不安に、耳に全神経を集めるように、しいんとしていた。と、そのとき、だれかが、中の方で、隣りのものに、なにかを話しかける声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、その声の主は、「シ!」という端からの鋭い制止の声の血祭りにあい、と同時に壕内の気に圧殺されるように黙りこくってしまった。僕は、いまや壕内は、おそろしい気に満ちていると思った。一つの細胞の謀反も、壕内の一つの生命体は許さなくなっていると思った。

 しばらくは、重苦しい沈黙の空気がそのままつづいた。耳は、外に向ってすべてが立っているように僕には思われた。けれども、爆弾は、続いて身近かに落ちてくる様子もなかった。僕は、もうひと安心だと思った。と、みなもそう思ったのか、しぜん、どちらからとなく緊張がほぐれ、重苦しい空気が、とけていくように感じられ、互いに傍にいる知人や友人に、いや見知らぬ人にさえ「よかったね。」と話しかけているような空気が伝わってきた。僕も同じで、近くにいる弘岡に「よかったね。」と、いまし方落ちた至近弾について話しかけたが、弘岡は、なにを思ってか「ああ。」と低い声で答えただけで、それ以上、なにも言いたくないのか黙っていた。僕は、どうしてだろうかと思った。やはり、この男には召集令状がきたことが、自分が兵隊にとられていくことが、非常に重荷になってこたえているのだろうかと思った。

 遠くの方では、あい変らず、まだ爆弾が、しきりに投下され、炸裂する音が、絶え間なく轟き、響いていた。戦闘機のうち出すけたたましい連続的な機関銃の弾丸音も、それにおり混ざるように聞こえていた。近くではあい変らずからっ風が吹きあおるのか、軽い金属製の破片の舞う音が、がらんがらんと地上をたたき、かけ走っているように聞え、また、時折、鈍い音が上空から軽く迫り、ばさっと地面になにかを叩きつけていた。おそらく、親子焼夷爆弾のケースが落ちてきているのではないかと思った。

 それにしても、と僕は思った。いまし方落ちた至近弾はどこだろう。僕は、それを一目でもはやく、この目でたしかめたいと思った。好奇心がうずき、早く空襲警報解除にならないかと、その時を待ち望んでいた。

 と、そのとき、僕の傍にいた工員風の少年が、自分の気持を押さえきれなくなったのか、またもや、そっと蓋をあけて外を見た。僕はまた壕の中の人たちに叱られるぞと心配しながら、少年工にあわせて、先ほどから気にかかっている至近弾の落ちたあたりをまさぐり求めた。けれども、どこのあたりかと思うほどに、その見当もつかなかった。少年工は、一度叱られたことが気にかかっているのか、蓋をいまにも閉じようとする仕草を繰り返し繰り返ししながら、未練がましく、短い時間のうちで蓋を閉じた。外は白一色の殺伐な冬景色で、一面に以前の空襲で焼け野原になった惨めな姿が印象的に映っていた。僕は、以前、ここら一帯、空襲で焼かれる前になにがあったのだろうと、そんなことをぼんやりと考えていた。

 いつか遠い距離感を伴い、篠つく雨のような爆弾音がはたと止み、戦闘機の打ちだす機関銃音も止み、おや、空襲の気配がなくなったなと思っていると、間もなく、それと入れかわるようにサイレンがたかだかと鳴り渡り、空襲警報の解除を一つが告げると、あっちからもこっちからも、一せいにサイレンが入り乱れるように鳴り渡った。僕は、なにか、おさえられていたものが、やっと解かれたようにサイレンが鳴っていると、そのサイレンの響きについて思っていた。なにか、陽気に鼻歌をうたっているようにさえ思えた。

 と、そのとき、僕の傍にいた例の少年工は、真っ先に防空壕の外にとび出していた。僕も続いてその後から出た。僕は、先頃から気にかかっている至近弾の落ちた所へ、とにかく行ってみようと思った。職場の方は、あとまわしでかまわないと思った。弘岡が壕の中に一緒にいたことなど気にならなかった。僕は、とにかく、至近弾を受けたその場所を見てからでなければはじまらないと思った。

 広びろとした駅前広場には、まだすがすがしい朝の空気が残っていて、ぞくぞくと、至近弾が落ちたらしい方向に向って――駅とは反対の方向に――人が集まっていく姿がみられた。むろん、そんなことにかまっていられないというふうに、駅に向っていく人の群もみられた。僕は、弘岡にかまわずその方に向って歩きだした。すでに焼け爛れた町の姿は、いま更のようにがらくたに見え、東の空に昇りはじめていた太陽は靄の彼方から、ぼんやりとあたりを照りつけていた。

 僕は、どこだろうと思った。この方向は、さっきオレが最初に防空壕に入れてくれと頼んで断られた方向だと思った。もしや、あの辺りだったら、あの防空壕は、どうなっていることだろうと思った。もし、あの爆弾が、あの防空壕へ落ちていたとしたら、オレは危いところだったのだと思った。もし、あそこだったら……僕は、そう思うと、もう落ついていられなかった。気持がそわそわとし、一刻も早くそこを確かめてみたいと思った。しぜん足ばやになり、そこへと急いだ。

 と、そこは、僕が悪い予感をした通り、僕が最初にとび込もうとした防空壕だった。直径二十数メートルはあろうかと思われる、吹きとばされたあとにできたほら穴の円の周りに人垣ができ、みな息をのむように、抉られた深い穴の中をじっと見入っては、動けないように片唾をのんでいた。僕は、なんという運の強さだろうと思った。もし、あのとき、あの火消し姿の警防団員が、「よし、よし。」と、僕をこの防空壕に親切に入れてくれていたとしたら、僕は、いまごろどうなっていたことだろうと思った。いまごろは、この壕にいた人たちとともに木端微塵になり、あとかたもなくなっていたかもしれないと思うと、僕は、あの鬼のようにして僕の前に大きく立ちはだかり、「ここは駄目だ!あっちへ行け!ここはオレの場所しかあいていないのだ!」と僕を荒あらしく突きとばしたあの人は、なにものだろうと思った。あれは、僕のために身がわりになった神の化身ではないかと思った。そうでなければ、鬼のようになって、「ここは駄目だ!あっちへ行け!ここはオレの場所しかあいていないのだ!」と、僕を突きとばしはしなかっただろう。

 しかし、それにしても危ないところだったと思うと、僕は、急に胸が熱くなり、よかった、よかったという気持の中で、ただ放心したように、その穴を複雑な気持でじっと見いるばかりだった。

 それから、しばらくして僕は気を取り直すようにしてその場を離れたが、死を境にして生きた感激が強く、駅に向って歩きながらもいつまでも現実から浮きあがる心地になるのを覚えていた。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/03/30

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津田 崇

ツダ タカシ
つだ たかし 作家 1929年 大阪府に生まれる。主な著書に「桜の訃報」「悲しい腕」。

掲載作は2003(平成15)年、同人誌「小説と詩と評論」12月号に初出。

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