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悼心の供え花

目次

  悼心の祭り(序にかえて)

東京には東京の

悲しみがある

みちのくには みちのくの

悲しみがある

みちのくに赴任してきて十八年

ネオンとビルとバイパスをぬけた

道の辺のあたりには

いたるところに

悲しみがつまっていた

みちのくに暮らした四季は

春には

村人を救った義民が祀られた小さな社に

悲しみ色の桜が散り

夏には

山すそ近くまでくい込んだ田圃に

悲しみ色の稲穂がそよいだ

秋には

里山近くのすすきの原に

悲しみ色の風が吹き

冬には

畦道に立つ小さな野仏の上に

悲しみ色の雪が舞っていた

みちのくの悲しみは いとおしい

名もなく逝った人々の

心の叫びが聞こえてくるから

生きることを拒まれた人々の

魂がよんでいるから

北の地は厳しいところ

北の地はやさしいところ

たくさんの魂が漂っているところ

だから みちのくには

祭りが多い

死者を悼む

祭りが多い

これは

透きとおるような心の人たちへの

祭りの(うた)

声も出さずに逝った人々への

鎮魂の詩

  墓 石

にぎやかな街を

一歩ふみだすと

そこには

竹林にうもれたような

古寺がある

境内のこけむした墓石には

童子や童女の

おびただしい数の名が

刻まれている

それでも

墓石に名前を残せた

幼児たちは幸せ

この世に生を受けたとたん

産声を上げることもなく

母の胸の温もりも知らずに

間引かれていった赤子たち

その児らには名前はない

墓石のどこにも

残ってはいない

雪深い冬の間

ひそかに闇送りされた

水子たち

その児らにも名前はない

親のそばに居たかろうと

土間のワラ打ち石のそばに

埋められた

境内へと続く

細く曲がりくねった坂の一角に

小さな水子地蔵がおかれ

赤い風車(かざぐるま)が回っていた

  盆踊り

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

これは祭りだ

みちのくの祭りだ

死者を弔う祭りだ

今あるものは その生を喜び

逝きし者には弔いをする

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

「じゃんがら念仏踊り」は盆踊り

新盆を迎えた人の家をめぐり歩く

まだ名前もない赤子や

童子や童女

弟や妹たちのために身を売って

無縁仏となった娘たち

だからこの祭りは「念仏踊り」

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と唱え歩く

みちのくには南無阿弥陀仏がよくにあう

  (いらか)

大きな寺が甍をきそっている

ここは何もない北国(ほっこく)の街

大きな甍は

その昔

浄土を思い

彼岸を求めた人々のあかし

自然の厳しさと過酷な年貢との前に

生をまっとうすることができず

ひたすらあの世を願った人々のあかし

一瞬の此岸(しがん)から

永遠の彼岸を求めた人々のあかし

黒びかりする寺の甍は

貧しい中から

浄財を出し合った人々の

究極の願い

  彼岸花

雨もようの東北の空の下

真っ赤な彼岸花がさいている

彼岸花はあの世の花だから

みちのくの道の辺には

緋色の彼岸花がよくにあう

都から遠く

いつも貧しいみちのくは

どこをみても

かなしみだけがただよっている

この道は

その昔

何人もの娘たちが

廓へと売られていった道

娘たちは

夜ごとその身をひさぎつつ

心は故郷(ふるさと)の野辺をさまよい

まっかな情念を彼岸花にたくして

短い生涯をとじていった

いちめんに真っ赤な彼岸花がさいている

その山の辺の道にそって

ひっそりとかやぶき屋根の寺が立つ

新しい墓石がならぶその奥の

うっそうと木々が茂った窪地のすみに

いくつもの小さく丸い墓が

つみ上げられている

ここは

だれもおとずれない

無縁仏たちの

終のすみか

でも

ここに葬られた遊女たちは幸せ

愛するふるさとの空の下

真っ赤な彼岸花につつまれて

永遠の時の中に

眠ることができたのだから

  あったこと

貧しい北の村では

天候が命

不順な年には僅かな金で

娘がよく売れた

幼い順に一人へり二人へり

赤子や幼子たちは

共同墓地の小さな穴に

ひっそり埋められた

稲も実らず畠もかれた

そんな時には村に女衒(ぜげん)が列をなし

まずしい身なりの娘たちがその後ろに列をなす

娘の家は遠いほどによい

親も会えぬし 娘も帰れぬ

すまぬ すまぬとわびる父や母

いぐな いぐなと追ってきた弟や妹たち

いつも思うは故郷(ふるさと)のこと

故郷の山川に恋い焦がれ

つましい夕餉をなつかしむ

死ぬと分かっていても

シャケが川を上るように

そこは故郷の川だから

古巣だから

でもどんなに愛した故郷も

すきとおる青空も野の草も

二度と目にせず逝った娘たち

そんな人たちがいたことなど

そんな時代があったことなど

今はもう

だれも知らない

   (女衒) 娘を遊女に売ることを業とした人

  うまかもの

いっとう うまかもの

それは

水のような雑炊飯

中味がなくなってしまうのを

ひやひやしながらすすり込んだ

囲炉裏端での 貧しい夕餉

トトがいてカカがいて

ジッチャもいて バッチャもいて

弟たちや妹たちといっしょに囲んだ

囲炉裏端での そまつな夕餉

それが

いっとう うまかもの

{大見出し  さ ち{大見出し終}

秋の実りが豊かな年

黄金の穂がたわわにたれた年

幼いさちは小踊りをした

白い米さ食えると思い

いつまでたっても砂芋の雑炊

腰曲がりのバッチャが言った

小作人は作るだけ

いくら植えたとて他人の田圃

荒地で作った砂芋は

そのまま食っては

すぐなくなってしまう

練って 丸めて 汁入れて食う

さちは妹を背負い

弟の手を引いて

甘芋をほおばりながら遊ぶ子を

いつも横目で見つめてた

くいたい くいたいとせがんだ弟も

すなおに育ち 少年兵を志願した

それから南の島に送られ

戦死した

  弟は三つ

山育ちの娘は素直で真面目

五歳の頃からおがちゃのかわりに

洗いものから汁たき

弟や妹のめんどうをみた

はしかで苦しむ弟をまかされた姉六つ

腹がすいたと泣く三つの弟に

ありったけのものを集めて煮て食わせ

うまい うまいと食った後

死んだ弟

廓に入って

食事が三度におどろいた

魚の煮物を見ては泣いた

腹がすいたと泣きつつ死んだはしかの弟に

この白い飯 食わせたかった

魚を骨ごと 食わせたかった

いく年たっても幼い弟は三つ

心の中に住んでいる

  ヤ マ

ヤマ(炭坑)で生まれて

ヤマで育った若者は

先山(さきやま)として

裸でツルハシを握り石炭を掘る

炭塵で真黒くなった体からは

脂汗が流れおち

地の底での血と汗の労働を生きた

一日で一番の幸せは

地上の光が見えた時

うまい空気と

生きてた実感

ヤマで生まれて

ヤマで育った娘たちは

後山(あとやま)として

短い腰布一つで地底に入り

先山が掘った石炭を選別し モッコを担ぐ

炭塵ですすけた顔と裸の乳房からは

いくすじもの汗が流れおち

短い腰布を濡らしていく

地底の奥のその底の

いく重にも曲がった坑道は

若者や娘たちのまだ開かぬ生を

ガス爆発や炭塵爆発で奪っていった

爆発による

火災の延焼を止めるため

坑口をふさがれた者たちは

真暗になった地底から

聞こえぬ叫び声をあげ

塗炭の苦しみの中 蒸し焼きになり

必死に這い上がろうとした者たちの

怨念にみちた屍体を 累々とさらした

熱と蒸気で膨れ上がった

娘たちの白い肉体は

真黒やみの地の底で

性へのめざめも知らぬまま

怪しい光を放っていた

それはヤマで生まれたものの定め

おとうも おかあも

おじいも おばあも

短い一生をヤマで生き

ヤマで閉じた

今はもう ヤマはない

石油にとってかわられた

そして

昭和六十三年

北の炭坑の灯は消えた

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2009/04/17

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谷口 典子

タニグチ ノリコ
たにぐち のりこ 詩人・経済社会学者。1943年東京都生まれ。第1詩集『あなたの声』。

掲載作は、詩集『悼心の供え花』(2009年 時潮社刊)に初出。

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