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カレル・チャペック著『もうひとつのポケットから出てきた話』

  第一話 盗まれたサボテン

「それでは、今年の夏、わたしが体験した愉快な出来事についてお話しいたしましょう」

 クバート氏は語りはじめた。

「わたしは夏の別荘に行ったのです。どんなって、そりゃ、もう、夏の別荘というのはこんなものだという、ごくありふれた別荘でしてね、泳ぐにも池がない、森もない、魚もいない、まったくなんにもなし。でも、そのかわり、そこには大衆党があり、活動的なリーダーが推進する美化協会とか、真珠企業、それに、かなり年をくった鼻のでかい女局長がいる郵便局があったりで、そこに欠けたものを何ら遜色のないまでに補っていたというわけ。まあ、言ってみりゃあ、あまり代り映えがしなかった。つまり、わざわざ出かけていくまでのことはなかったというわけです。

 そんなこんなで、ほぼ二週間というもの、この恵みあふれた衛生的環境のなかで、さまたげるものとて何ひとつない土地で、退屈な日々を費やしているうちに、この土地の噂、それどころか世間の風評といったものが、わたしのことを悪しざまに言っているなという確信をいだくようになりました。

 それというのも、わたしのところに届けられる手紙が不自然なまでによく糊づけされていて、封筒の裏側全体がアラビア・ゴム〔糊〕でテカテカに光っていたからです。

 ははあ、だれか、わたしの手紙を開けているな。そうか、あの女郵便局長のばばあだな! とわたしは独りつぶやきました。ご存じでしょうが、この手の郵便局員はどんな封筒でも簡単にはがすことができるというじゃありませんか。

 まてまて、わたしは自分に言いました。そう言うやいなや、わたしは机の前にすわって、精一杯念入りな文字で書きはじめました。

『この女郵便局長のお化けやろう、ふとっ鼻のくそばばあ、このすれっからし、のぞき屋のおしゃべり女め、この毒蛇、古がま口、ごうつくばばあ、その他その他のあらゆる種類の敬意をこめて、ヤン・クバート』

 いいですか、われわれのチェコ語は豊かで厳格な言葉です。わたしは一気に三十四のこのような表現で紙をいっぱいに満たしました。それらの表現は実直かつ誠実な男性がどんな女性にたいしても、独断的とも、失礼なとも言われずに使うことができる言葉なのです。

 ですからわたしは大いに満足して封をしました。封筒の宛名には自分の住所を書き、いちばん近い町に出かけていって投函しました。その次の日、わたしは郵便局へ急ぎました。そして、これまでにない愛想のいい笑顔を小窓のなかに突き出しました。

『女郵便局長さん』とわたしは声をかけました。『わたしになにか手紙は来ていませんか?』

『あたしゃ、あんたを訴えてやるからね、この悪党!』

 女郵便局長は、これまで、かつて見せたこともないような怖い顔をしてわたしに怒鳴りましたよ。

『それにしても、郵便局長さん』わたしはいかにもお気の毒なという顔をして言いました。

『もしかして、あなたは、すごく、いやーなものを読んだんじゃありませんか?』ってね。そのあとは、もう逃げるが勝ちでしたよ」

「なんだ、そんな話、ちっともおもしろくないじゃありませんか」

 ホルベン植物園の管理主任ホラン氏が批判的に言った。

「わたしがあるサボテン泥棒にどんな罠を仕掛けたかをお話ししたいもんですな。そのトリックというのは、しごく単純なものでした。実は、ホルベン老人という人はすごいサボテンの愛好家でしてね、老人のサボテンのコレクションは、そりゃあ、もう、嘘じゃありません、取っておきのやつを勘定に入れなくても、三十万という値がつこうというようなしろものなのです。そんなわけで老人はそのコレクションを一般の人にも見せようという気になったのです。

『ホランよ』老人は言いました。『こいつはなかなかいい思いつきじゃないか。これらのサボテンも人びとのなかで生活していくべきじゃよ』

 しかし、わたしはまたこうも思いました。もし、どこかのサボテンの小さな収集家が、たとえば、千二百コルンもするこの金色のグルソン・サボテンを見たら、自分がこの種のサボテンをもっていないということで、ただ、いたずらにその収集家の心を苦しめるだけではないかとね。でも、老人がそうしたいのなら、そんなら、それはそれで結構です。

 ところが去年になって、サボテンがなくなっていくのに気づきはじめたのです。それも、だれもが欲しがるようなそんなものではなくて、まさに特殊な種類のものなのです。最初はエキノカクトゥス・ウィスリゼニイでしたし、二度目はグラエスネリイ、それからコスタリカから直輸入されたウィッティア・サボテンがひと株。その次がフリッチュ商会から送ってきた新種。そのあとメロカクトゥス・レオポルディがひと株。こいつは飛びっ切りの代物でしてね、この五十年以上ものあいだヨーロッパでは見たものはないといわれるほどの珍品なのです。そして最後がサン・ドミンゴ産のピロケーレウス・フィンブリアートゥスで、これまでヨーロッパに入ってきたことのない、はじめての品種です。

 よろしいですか、この盗人は、きっと、ある程度の専門知識の持主にちがいありません!――老人がどんなに怒り狂ったか、みなさんには想像もつきませんよ。

『ホルベンさん』わたしは言いました。『いっそのこと温室をお閉めなさいよ。そしたら小鳥とおんなじ、なくなることはありません』――すると、こんども駄目でした。老人は声をあらげて言いました。

『このような高価な趣味はみんなのためのものだ。おまえはその盗人のくそ野郎をとっつかまえにゃならん。見張人を首にして新しいのを雇いたまえ。それから警察とその手の店に手配をするんだ』

 それは難問でした。ここには三万六千のサボテンの鉢があるのですから、その前にひとりずつ見張りを立たせておくわけにはいきません。そこでわたしは監視のために警察を定年退職して森林監視員をしていた男をせめて二人だけ雇いました。そして、まさにちょうどそのとき、例のピロケーレウス・フィンブリアートゥスがなくなり、そのあとの砂のなかに穴ぼこだけが残っていたのです。そうなると、わたしだって怒髪天を衝くというわけで、自分でそのサボテン泥棒の捜索をはじめたのです。

 あえて申しますがね、こいつらサボテン愛好家といわれている連中はね、イスラムの苦行僧かなんかのセクト〔宗派〕みたようなもんでしてね、思うに、やつらの頬っぺたにゃ髭のかわりに(とげ)とか芋虫(いもむし)みたいなもんが生えているんでしょうな。だから、そんなものに夢中になって食らいつくんですよ。

わが国にもそんなセクトが二つばかりありましてね、サボテン愛好家協会とサボテン愛好家クラブというんですが、どこがどう違うんやら、さっぱりわかりません――多分、一方は、サボテンは不死の魂をもつと信じているが、もう一方のほうは、サボテンには血の生け贄を捧げにゃならんとでも思っているのでしょう。

 ところが、早い話、この二つのセクトの連中はお互いにいがみあっていましてね、火と剣をもって、地上であれ空中であれ、追いかけ回しっこしているんですわ。そこで、わたしはその両派閥〔セクト〕の会長のところにご挨拶に行ったもんです。そして満腔(まんこう)の信頼をこめて、それぞれの会長におたずねしました。

 おたくの会員のなかで――まあ、仮に二つ目のセクトのほうとしておきましょうか――もしホルベン植物園のサボテンを盗むとしたら誰だか心当たりはおありでしょうか? とね。

 わたしはどんなサボテンがなくなったかをそれぞれの会長に話しました。ところが両会長とも最大限の確信をもって、敵対する相手側のセクトの誰ひとりとして、そんなものを盗めやしませんと宣言しましたよ。それというのも、やつらみたいな能無しの、良し悪しの区別もつかん、どん素人(じろと)どもに、ピロケーレウス・フィンブリアートゥスは言うにおよばず、どれがウィスリゼンでどれがグラエスネルかなんて区別がつけられるはずがないからだというのです。

 そして、それぞれ、自分のセクトの会員にかんするかぎり、その何とやらいうサボテンはおろか、ほかのなんだって盗むなんてできはしないと、彼らの清廉潔白を保証しましたよ。でも、もしかして会員の誰かがそんなウィスリゼンをもっていたとしたら、ほかの会員にも見せ、そのサボテンを崇めるための宗教的どんちゃん騒ぎ(オージー)でもおっぱじめるでしょう。しかし、今のところそんな話は、彼ら〔両会長〕もまったくご存じないと仰せなのです。

 そのあとで高潔なる両会長は、公認されるか、または、しかたなしに黙認されているセクトのほかにも、まだ礼儀作法をわきまえぬサボテン愛好家たちがいるのだが、その連中はあらゆるサボテン愛好家のなかでも最悪で、自分の野心のゆえに平和的なセクトにあきたらないか、いろんな妄想や暴力までも賞賛するにいたっている。だから、そんな反社会的なサボテン愛好家なら何をするにも手段を選ばないだろうというのです。

 そんなわけで、二人の会長のとこでは何らの成果も得られなかったので、わたしは植物園のなかのみごとな(かえで)に登り、考えをめぐらせました。みなさんはご存じないでしょう、木の枝の上というのは考えごとには最適な場所なのです。木の上にいると人間はなんとなく解放されたような気分になり、枝と一緒に少しばかり上下に揺れながら、同時に高い視点からすべてを見ることになります。たぶん昔の哲学者たちはコウライ・ウグイスのように木の上で生活していたのかもしれませんね。それで楓の上でこんなプランを思いついたのです。真っ先に知り合いの庭師のところをまわって話しました。

『なあ、兄弟、あんたのところに、何か腐ったサボテンみたいなものはないかね?うちのホルベン老人が、何かの実験に必要だと言うんだよ』

 こうしてわたしは数百本の腐ったサボテンを夜通しかかってホルベン・コレクションのサボテンのあいだに差し込みました。二日間、わたしは沈黙をまもっていました。そして三日目にすべての新聞に次のような報告を送りました。

 世界的に有名なホルベン植物園のサボテン・コレクションが危機に瀕している。われわれの知るところでは、ホルベン植物園温室内の貴重なサボテンの大部分がこれまでのところ未解明の新しい病菌に冒されている。ボリビアから移入されたものと推定される。この病菌はとくにサボテンを冒し、一定の潜伏期間ののちに、根と首と胴体部分の腐敗という症状としてあらわれる。この病気は非常に伝染力が強く、目下、未確認のヴィールスによって急速に広がると思われることから、ホルベン・コレクションは閉鎖される。

 それから十日ほどして――その十日間、わたしはサボテン愛好家たちの質問攻めにあわないため、身を隠していなければなりませんでしたよ――新聞に二度目の報告を送りました。

 われわれの知るところでは、ロンドンのキュー王立植物園のマッケンジー教授は世界的に著名なホルベン・コレクションにおいて突如発生した病気を熱帯性の特殊な黴(マラコリーザ・パラガエンシス・ウィルド)であると特定し、感染植物にたいしてハーヴァード=ロツェン・チンキ液の散布を薦めている。現在、ホルベン・コレクションにおいて大々的におこなわれている同薬液によるこれまでの実験はきわめて好ましい結果を得ている。ハーヴァード=ロツェン液はわが国においても、しかじかの製薬会社で入手可能である。

 この記事が出たころ、その「しかじか」の製薬会社にはすでに一人の刑事がすわっていました。で、わたしは電話のそばでくつろいでいますと、二時間ほどして『ホランさん、もう、そやつをつかまえましたよ』と刑事から電話がかかってきました。

 十分後には、わたしはその小男の襟首をつかんで、そいつをゆさぶっていました。

『だけど、旦那』とその小男は抗議しました。『どうしてあたしを振りまわすんです? あたしゃ、ただ、その有名なハーヴァード=ロツェン液を買いにきただけなんですぜ』

『そんなこたあ、わかっている』とわたしは言いました。『ただなあ、そんな薬なんてありゃせんし、そんな新しい病気なんてもんもありゃせんのだよ。だがな、おまえさんはホルベン・コレクションのサボテンを盗みにきただろう、このうすのろの盗人野郎!』

『なんでえ、ちきしょう』小男は激しく叫びました。『そんじゃ、あの、なんとやらいう病気はまるっきりありもしない作り話だったんですかい? あたしゃあ、おかげで、十日間というもの一睡もしなかったんだ。あっしのほかのサボテンが病気にかかったらどうしようかと、心配でね!』

 そこで、わたしはそやつの首根っこをつかまえて車のなかに押し込み、刑事と一緒にそやつの家に行きました。ところがどうです、正直のところ、わたしもね、あんなコレクションなんて、これまで見たこともありませんでしたよ。

 その小男はヴィソチャニ区の屋根裏に薄暗い小部屋をもっていましてね、そう、幅三メートル、奥行き四メートルくらいでしょうかね、部屋の片隅には掛布団が床の上に直に置いてあり、あとは小机と椅子、そのほかの隙間はみんなサボテンでうずまっていました。ところが、まあ、どんな種類やら、どんな秩序で整理されているのやら、ちょっと見ただけではとても見当もつきませんでしたよ。

『ところでと、あなたが盗まれたというのはどのサボテンです?』

 刑事が言いました。それでわたしはその盗人野郎のほうに目を向けると、やつがぶるぶるふるえながら泣きじゃくっている様子が見えました。

『ねえ、刑事さん』わたしは言いました。『これにはね、もともと、わたしらが思っているほどの値打ちのあるものではないんですよ。署長さんに言っておいてください、その人が持ち出したものは五十コルンほどのものだったと。で、その交渉はわたしが自分でやりますからと』

 刑事が去ったあと、わたしは言いました。

『さてと、親友、まずおまえさんが持ち出したものを、ひとまとめにしばってくれ』

 その小男は目をしばたきました。目じりに涙がたまっていましたのでね。そしてささやきました。

『すみませんが、旦那、そんなことするくらいなら、あっしゃ、むしろ監獄に入ったほうがいいくらいですよ』

『だめだ』わたしは小男を怒鳴りつけました。『おまえさんが盗んだものを返すのが先だ』 そこで小男はひとつひとつ選んではその鉢を脇へ置きはじめました。その数はおよそ八十もあったでしょうか。――いったい、わたしたちのコレクションからどれだけなくなったのか見当もつきませんでした。ただ、言えることは、ずいぶん長い年月をかけて持ち出したんだろうなということです。念のために、わたしは『これで全部なのか?』と小男に怒鳴りました。

 すると、目からまた涙があふれ出しました。彼はさらにもうひと鉢、白っぽいデ・ライティーと角形(コルニゲル)のを選び出して、先のものに加えました。

『旦那、あなたのところから盗み出したのは、誓って、もうこれだけです』

『もうひとつ、はっきりさせなきゃならん』わたしは大声を出しました。『じゃあ、今度は、どうやったらこれだけのものを持ち出せたのか言ってみろ』

『それはこんな具合でした』小男がしゃべりだすと、のどぼけが神経質に飛び跳ねました。『あっしゃあ・・・・、あっしゃあ、つまり、あの服を着ていたんで・・・・』

『どんな服だ?』

 わたしは大声で問いつめました。するとその小男はひどくどぎまぎして、顔を赤らめながら、どもりどもり白状しました。

『実は、女の服で・・・・』

『なんだと』わたしはいぶかりました。『なんでまた、女の服なんぞを?』

『なぜって』小男はすすり泣きながら言いました。『なぜって、こんなくたびれた婆さんに、誰がまともに目を向けますかい。だもんでね・・・・』

 彼はほとんど勝ち誇ったように言い加えました。

『そんなくたびれた婆さんがね、そんな大それたことをしようなんて、だれひとり思いつきもしませんやね、当たり前でしょうが!で、ねえ、旦那、女ってやつあ、なんにだって、どんなことにだって夢中になるくせに、なんかを収集するってことだきゃ、金輪際、しませんやね。旦那だって、切手収集とか、昆虫採集とか、千五百年以前の活版印刷本の収集とか、そんなふうなことをしている女なんてものを見たことがありますかい? 絶対なしだね! え、旦那、そうでしょうが。女ってもなあ、この 〃とことんやる〃 っていう根性というか・・・・つまり、そのう・・・・何かにのめり込むということがないんですな。女がそれほど冷静だなんて、おどろきでさあ! だからね、ここがわれわれ男性と、やつら女性との最大の違いですわ・・・・っていうのも、わたしらだけが収集(コレクション)をしますんでね。そう考えてきますとね、宇宙だってただの星のコレクションにすぎませんやね。それをやったのはきっと男の神様ですな。で、その神さんが世界ってもんの収集をしているもんだから、世界ってもんがピンからキリまで、こんなにたくさんあるんでしょうな。ちきしょう、もし、あっしに神さんみたいに場所と金がありゃあねえ!

 旦那はあたしが新しいサボテンを考え出したのをご存じですか? あたしは夜、そいつの夢を見るのですがね、金の房があって、リンドウのような青い花をつけるんです――あっしはそいつにケファケレウス・ニンファ・アウレア・ラチェックと命名しましたよ――つまり、あっしの名前がラーチェクですからね。またはマミラリア・コルブリナ・ラチェック、またはアストロフィトゥム・カエスピトームス・ラチェックですかね。旦那、ここにはなんと蠱惑的な可能性があることでしょう! おわかりになりますかねえ――』

『ちょっと待て』わたしは彼の話を中断しました。『おまえはこれらのサボテンを何に入れて持ち出したのかね?』

『実は、オッパイのところです』彼は恥ずかしそうに言いました。『そりゃあ、旦那、結構、ちくりちくり刺しましたよ』

『いいかな』わたしはすでにこの男からこれらのサボテンを取り上げる気がしなくなっていました。『いいかな』わたしは言いました。『わたしはおまえさんをホルベン老人のところへ連れていく。そしたら老人はおまえの両耳を引きちぎるだろう』

 ところが、みなさん、こともあろうに、その二人が完全に意気投合してしまったのです。一晩中温室のなかに入り込んで、三十六万個のサボテンの鉢を見てまわったのです。

『ホランよ』老人はわたしに言いました。『この男はサボテンの価値が本当にわかる第一人者じゃよ』

 そして一カ月もたたないうちに、ホルベン老人は涙と祝福をもって、このラーチェクをサボテン収集のためにメキシコに送り出したのでした。二人は 〃ケファロケレウス・ニンファ・アウレア・ラチェック〃 がメキシコのどこかに生えているものと本気で信じるようになってしまったのです。

 それからちょうど一年たったころ、ラーチェク氏が崇高なる殉教の死をとげたという風の便りがとどいてきました。彼はかの地で、あるインディアン族のところにチクリーと称するサボテンを見にいったのです。言っておきますがね、このチクリーというのは、そのインディアンの種族にとっては神なる父の実の兄弟なのです。それで、彼はそのサボテンに頭をさげなかったか、あるいは、その程度ならまだしも、そのご本体のサボテンを盗んだかしたんでしょうな。要するに、親愛なるインディアンたちはラーチェク氏をしばりあげ、エキノカクトゥス・ウィスナガ・フーカーの上にすわらせたのです。このサボテンの大きさというのが象くらいもあろうかという途方もないやつで、体中に生えたトゲはロシア兵の銃剣くらいの長さで、その結果、われらの同胞は自らの運命に身をまかせ、命を失ったというわけなのです――と、まあ、これがサボテン泥棒の末路です」

 第四話 チンタマニと小鳥の絨毯

「えへん」とヴィターセク博士が言った。「よろしいですかな、わたしはね、ペルシャ絨毯には少々うるさいほうでしてね、言っておきますが、タウシッヒさん、いまでは、もう、昔みたいなことはありませんよ。いまではオリエントのぺてん師どもにしたって、毛を染めるのにケルメス〔ケルメスナラに寄生する虫、赤い染料のもと〕やインジゴ〔藍〕やサフラン〔濃黄〕、アラビアン・ラクダの尿、五倍子(ごばいし)〔ヌルデの葉にある種のアブラムシが産卵して出来たこぶ。染料、インキの原料〕、その他の高価な有機染料で染めるような仕事をしようなんてやつはいませんよ。

 それに、昔のような、そんな毛だってもうありゃしません。わたしがもし模様や柄のことについてまでお話ししなければならないとしたら、もう、泣きたいくらいですよ。ですからね、これらのペルシャ絨毯はもはや失われた芸術と言わざるをえません。

 そんなわけで、一八七〇年以前に作られた古いものだけが、多少なりとも価値があるんです。しかしそんなものは、ただ上流の家庭では負債と言われているところの 〃家庭の事情〃 によって、ある名門の家族が父祖伝来の骨董品を売りに出すときだけ、うまく購入できるのです。

 いいですか、わたしはね、ロジュンベルク〔南チェコの村、チェコ貴族の名より〕の城で本物のセドミフラジャーク〔トランシルヴァニア(ルーマニア)産の絨毯〕を見ましたよ――それはすごく小さな絨毯で、祈りのときに使うものですがね、十七世紀にトルコ人たちがトランシルヴァニアを占拠していたときに作ったものです。

 ところが、その城を訪れた観光客たちが、靴底に鉄の(びょう)を打った靴で平気で踏みつけていたんですよ。つまり、それがどんなに高価なものか誰も知らなかったのですね。もともと、そんなことを気にするような観光客なんていやしませんからね――まあ、言っちゃあ何だが、そりゃもう嘆かわしいかぎりですよ。でもね、世界で最高に高価な絨毯の一枚はプラハにあるのです。そのことはわたし以外には、誰も知りません。

 それはこういうことなのです――わたしはわが国にいるすべての絨毯商人とつきあっています。それで、ときどき、彼らがどんな絨毯を仕入れて倉庫にしまっているか見るために訪ねてまわります。ところがです、彼ら、つまりアナトーリア〔小アジア〕やペルシャ〔現イラン〕にいる代理人たちは、ときには、たしかに何か古いものをイスラム教の寺院とか、どこかから盗んできたものを手に入れて、それをほかの切り売りの品物とまぜこぜにして、たとえそれがどんな来歴のものであれ、やがて、ひと山いくらの量り売りで売るのです。

 わたしは考えましたよ、もしそのひと山のなかに、ラディク物やベルガモ物のような貴重なものが紛れ込んでいたら、いったいどんなことになるだろうってね! わたしがあちこちの絨毯商人のところに飛んでいっては絨毯の山の上に腰をおろしてタバコを吹かしながら、彼らがどのようにしてお人好しの客に、ブハル、サルク、テブリーズといったような絨毯を売るかを見物にいったのには、そんなわけもあったのです。わたしはあちこち歩きながら『あんたはどうしてあんなもの、あの黄色いものをあんな底のほうに置いとくのだ?』と言います。すると『ああ、あれか、あれはハマダン〔イラン西北部の織物産業の都市〕産の絨毯だよ』そこで、わたしは『ああ、そう、あれがハマダンかね』といったような会話をかわすわけです。

 まあ、こんなふうにしてセヴェリーノヴァー夫人のような人の店にも立ち寄るのです――彼女は旧街区〔スタレー・ムニェスト〕の建物に大きな店を構えているのですが、いつかなど、わたしは美しいカラマン産とケリム産の絨毯を見つけましたよ。

 彼女は丸々と太った、陽気な奥さんで、大のおしゃべりで、雌のプードル犬を飼っていましたが、その犬の太りようといったら、まったく、いやになるくらいでした。このような太った犬にかぎってすごく気むずかしく、喘息病みみたいな声で反抗的に吠えるものです。わたしはそんな犬は好きませんな。

 ところで、みなさん方のなかに、若いプードル犬を見たことがあるという方はいらっしゃいますか?わたしはありませんな。思うに、プードル犬というやつは、どいつもこいつも検札係や経理主任や税金取立係みたいに、みんな年寄りなんですよ。たぶん最初からそういう血統なんでしょうな。

 でも、わたしはセヴェリーノヴァー夫人のお目見えをよくするために、そのプードルのアミナが四つ折りにして部屋の隅に置きっぱなしになっているすごく大きな絨毯の上でウーウーうなったり、くんくん鼻をならしていつも嗅ぎまわっている、その脇に腰をおろして犬の背をなでてやっていました。そうされるのがアミナはすごく好きだったのです。

『セヴェリーノヴァーの奥さん』と、あるとき、わたしは言ったものです。『あなたもずいぶん、()のわるい商売をなさっていますね。わたしがすわっているこの絨毯だって、もうここに三年間も置きっぱなしじゃありませんか』

『あそこにあるものなんて、もっと長いわよ』セヴェリーノヴァー夫人は言いました。『あれなんか、あそこに折りたたんだまま、もう、かれこれ十年になりますわ。でも、あたしの絨毯じゃないんです』

『ああ』わたしは言いました。『これは、このアミナのものなんですね』

『そうじゃありませんわ』セヴェリーノヴァー夫人は笑いました。『それはあるご婦人のものなんです』そして彼女は言いました。『そのご婦人がおっしゃるには、家のなかにはそれを敷く場所がないんですって。ですから、折りたたんでそこにおいてあるんですわ。あたしにはすごく邪魔なんですけどね、でも、せっかくアミナがその上に寝てますからねえ、そうでしょ、アミナや?』

 そこでわたしはその絨毯の端をめくってみたのです。アミナが怒って吠えたってかまうもんですか。

『こいつは、なんだかすごく古い絨毯ですね』わたしは言いました。『これ、拝見してもよろしいですか?』

『ええ、どうぞどうぞ』そう言って、セヴェリーノヴァー夫人はアミナを腕にだきました。『いらっしゃい、アミナちゃん、この方はね、ほんのちょっとだけ、あなたのベッドを見たいんですって。だからね、またすぐアミナちゃんのベッドになるのよ。しっ、アミナや、吠えちゃだめ! じゃあ、行きなさい、このおばかちゃん!』

 わたしはそのあいだにその絨毯を開きました。そしたら、みなさん、わたしの心臓はどきどきしましたよ。そいつは十七世紀の白いアナトリア産だったんですからね。ところどころすり切れて穴があいていましたがね、でも、言っておきますが、それは鳥の絨毯といって、チンタマニ〔トルコ風の図柄の一種〕の図柄に小鳥の絵をあしらったものでしたよ。つまり、それは神聖な、禁忌(きんき)の模様だったのです。いわば、そいつは途方もない貴重な品物でした。そしてここにあるものは少なくとも幅六メートルに縦五メートルもあろうという代物でね、美しい白い地にトルコ石の青とサクランボのピンク色が・・・・。

 わたしはセヴェリーノヴァー夫人に顔色を読まれないように窓際に立って言いました。

『こいつはかなり古いぼろ切れですね、セヴェリーノヴァーの奥さん。それなのに、ただここの場所をふさいでいるだけじゃありませんか。ねえ、その奥さんがこれの置場に困っておいでなのなら、わたしが買いましょうとお伝えねがえませんか?』

『それはちょっとむずかしゅうございますわね』セヴェリーノヴァー夫人は言いました。『この絨毯は売物ではないし、その奥さんはいつもミラノとニースにお出かけになっていますのでね、あたくしも知りませんのよ、いつ家にもどってこられるのか。でも、なんとかご意向をお伝えするようには心がけておきますわ』

『それはまたご親切に』わたしはできるだけ無関心に言い、仕事に出かけました。実際のところ、何でもいいのですが、高価なものを安く手に入れるというのは、収集家にとっては大いに自慢するに値することなのですよ。わたしは本を収集しているある富豪の大人物を知っていますがね、その人にしてみりゃ古いがらくた本に数千コルン払うことなんてへいちゃらなんです。ところがどこかの屑屋で詩人のヨゼフ・クラソスラフ・フルメンスキー〔一八〇〇~一八三九〕の詩集の初版本を二コルンで買ったりしようものなら、小躍りして喜ぼうってもんです。それは、もはやカモシカを狩るようなスポーツですな。そこでわたしはこの絨毯を安く手に入れなくちゃならん、そのあとで博物館にでも寄贈しようと心にかたく決心したのです。だって、こんな貴重な絨毯は博物館以外にはふさわしくありませんからね。ただし、それには『ヴィターセク博士寄贈』という札が付いていなくちゃなりませんがね。だってね、みなさん、人間、誰にだって野心というものはあるんじゃありませんか? 正直のところ、わたしはそのことで頭が熱くなりました。

 わたしは自分をおさえつけ、次の日、すぐにも 〃チンタマニと小鳥〃 の絨毯のところへ駆けていかないようにするのは、そりゃあ、もう、大変な苦労でしたよ。わたしはもう、ほかのことは何も考えられませんでした。あともう一日我慢だと、毎日わたしは自分に言い聞かせました。わたしは自分で自分の意思とは逆のことをしていたのです。人はときに苦しむのを喜ぶものです。しかし二週間ほどして、あの 〃小鳥の絨毯〃 をだれか別の人が発見するかもしれないと気がついたのです。それで、わたしはセヴェリーノヴァー夫人のところへ飛んでいきました。

『どうなりました?』わたしはドアのところで勢い込んでたずねました。

『どうなりましたって?』夫人は驚いて問い返しましました。

 わたしはほっと一安心しました。でも口では『たまたま、そこの道を通りかかって、ふと、あの白い絨毯のことを思い出しましてね。持主の奥さんはそれを売ると言ってくださいましたかしら?』とたずねました。

 セヴェリーノヴァー夫人は頭をふりました。

『それどころじゃありませんよ』彼女は言いました。『あの方はいまビアリッツィにいらっしゃるの。でも、いつ戻っていらっしゃるのやら誰にもわかりません』

 そこで、わたしはその絨毯がそこにあるかどうか見ました。当然のことですが、その上にアミナが寝そべっています。これまでよりも太った感じで、ぺろぺろとなめて、わたしが背中を掻いてくれるのを待っているのです。

 そんなことがあってから、ある日、わたしはロンドンに行く用事が出来ました。そしてわたしはロンドンに着くと、ケイト氏のところに立ち寄りました――ご存じかもしれませんが、ダグラス・ケイト氏というのはオリエント絨毯の、現在、最高の権威なのです。

『先生』わたしは言いました。『ときに、チンタマニと小鳥のアナトリア産の白い絨毯はいくらくらいしますでしょうね? 大きさは五メートルに六メートル以上はあります』

 するとダグラス卿は、わたしの顔を眼鏡越しにじっと見すえてから、ほとんど爆発せんばかりに憤然として言い放ちました。

『そんなものはありません!』

『なんですって、値段がないんですか?』わたしはびっくりして問い返しました。『それはまた、なんで・・・・、なんで一文の値打ちもないのです?』

『なぜなら、その種の絨毯で、そのサイズのものは存在しないからです』ダグラス卿はわたしにむかって叫びました。『きみい、わかるかね、わたしがよく知っているチンタマニと小鳥の絨毯でさえ三メートル掛け五メートルがいいとこなんですぞ!』

 そりゃあ、あなた、わたしはもう喜びのあまり、顔がかっかと火照りましたよ。

『でも、仮に、先生』わたしはさらに食いさがりました。『そんなサイズのものが存在するとしたら、どんな値段がつくでしょうね?』

『はっきり言っておきますがね、きみい、そんなものに値段はありません!』ケイト卿は叫びました。『あるとしたら、そいつは唯一無比のものですからな、比較するものが無いということです。比較のしようのないものの価値をどうやって量れとおっしゃるのです。値段などつけようがないじゃありませんか? もし、ある品物が無比のものなら、千ポンドであろうが一万ポンドであろうが、そのほかどんな値段をつけようが、おんなじことじゃありませんか。どうしてそんなことがわたしにわかるのです? だいいち、そんな絨毯は存在しないのですからな。じゃ、失礼するよ、きみい』

 わたしがどんな気持ちでロンドンから戻ってきたか、そりゃあ、もう、みなさん方にはとても想像もおできになれませんよ! よし、聖母マリアさまに誓って、なんとしてもチンタマニを手に入れなくちゃ! こいつは博物館物の価値があるんだからな!

 でもねえ、いいですか、わたしはね、収集家として、けっして変にせっついたりしてはいけないのです。だって、それは収集家の本道に反しますからね。それにセヴェリーノヴァー夫人はアミナが寝っころがっている古いぼろ切れが売れようが売れまいが、まったくどうでもいい人でしたし、絨毯の持主のけったいな婆さんといったら、これがまた、ミラノからオーステンデに行ったかと思うと、バーデンからヴィシーへと旅をしてまわっているんですからね。

 この婆さんは何かの医学辞典みたいなものをかかえ込んでいるにちがいありませんよ。つまり、いろんな病気もちなんですな。ですから、絶え間なく、あっちこっちの温泉保養地を訪ねあるいているんです。

 そんなわけで、わたしは二週間に一度は、あの隅っこに、小鳥たちの描かれた絨毯が、まだ、あるのを一目見るためにセヴェリーノヴァー夫人のもとに足を運び、あのいやなアミナが歓喜のあまり、わんわん吠えだすまで背中をごしごしと掻いてやっていたのです。そしてわたしのふるまいが妙に目立たないようにするために、その度に何かの絨毯を買っていました。

 いいですか、わたしの家にはね、シスラー産やシルヴァーナ産、モスル産、カブリスタン産、そのほかにも 〃一メートルなんぼ〃の切り売り絨毯までもが山のようになっていたのです――でもね、そのなかには古い時代のデルベント〔カピス海西岸に面した港湾都市〕産のものもまぎれ込んでいました。言っておきますがね、それはきわめて短期間に一般には見られなくなったものなのですよ。それにもう一つ、古い青色のコラーサーン産のものもありました。

 でも、わたしがこの二年間努力してきたことは収集家にしかわからないことです。恋の苦しみですって? ハハ、ばかばかしい、そんなもの収集家の苦悩にくらべたらなんでもありませんよ。でもね、それと同時にまったく不思議なことに、収集家の苦悩がそんなに大きいという割りには、収集家が自殺したって話はこれまでのところ、聞いたことありませんな。逆に収集家は、通常、長生きします。たぶん、それが健全な情熱だからでしょう。

 ある日、セヴェリーノヴァー夫人がわたしに話してくれたところによると、例の絨毯の持主ザネリオヴァー夫人がいまプラハにもどってきておられるので、夫人に『あの白い非売品の品物に買い手がいるんですがどうでしょう、どうせあの絨毯はあそこに置きっぱなしなんですから売ってもよろしいかしら』とたずねたのだそうです。すると彼女は、あれは家族のものであって彼女に売る気はない。だから絨毯はそのままここに置いておいてくれるようにと頼んだのだそうです。

 それで、わたしはね、当然のことですが、そのザネリオヴァー夫人のところへ飛んでいきましたよ。わたしは、どうしてだかはわからないけど、とても優雅で愛想のいい夫人だろうと心ひそかに期待をしていたのです。ところが、なんと、その夫人というのが、赤い鼻をして、かつらをかぶり、顎が左の耳の下までとどくほど絶えず顔面神経痛で痙攣しているような、そんな醜悪な婆さんだったのですよ。

『奥様』と言いながら、わたしは彼女の口が顔面の上で踊りまわるのを見つづけなければなりませんでした。『失礼ながら、わたくし、あなたさまの、あの白い絨毯をお譲りいただきたいのでございますがいかがなものでございましょう? あの絨毯はたしかに、もうぼろ切れに近いものです。しかしながら、まさにあの絨毯が・・・・わたくしどもの住まいの前室にちょうどぴったりなのでございます。ねえ、いかがでございましょう?』

 そして、彼女の答えを待っているあいだにも、わたしは自分の口がぴくぴくしだして、左の耳の下まで飛んでいくのではないかと感じたほどでした。彼女の口の痙攣が伝染性なのか、それとも興奮のせいなのかどうかは知りませんが、自分でも止めようがありませんでしたよ。『ぼろ切れだなんて、あんた、よくも、まあ、ぬけぬけと言ったわね!』その恐ろしい婆さんはわたしにむかって『たったいま、ここから消えなさい、すぐに、すぐにだよ』と、それはもう耳が痛くなるような甲高い、きいきい声で叫びました。

『いいかい、あれはね、グロッスパパ〔お祖父ちゃん〕の代からの家族伝来の品物ですからね、誰にも売りません! さあ、さっさと出ていかないと、警察を呼びますよ! あたしはフォン・ザネッリ家の者です。どんな絨毯だろうが何だろうが絶対に売りません! マーリヤ、この旦那様を玄関にご案内おし!』

 いいですか、みなさん、わたしはね、怒りと無念さで泣き出したいような気分で、階段を子供のように駆けおりていきましたよ。でも、わたしに何ができるっていうんです?

 わたしは一年中、またセヴェリーノヴァー夫人の店に通いました。その間にアミナはいよいよ太くなり、ほとんど丸裸のように毛をかられていて、うーうーうなるのにもなれてきました。

 一年ほどして、ザネリオヴァー夫人がまたもどってきました。今度はわたしも、直接、説得することはあきらめました。でも、その陰で、収集家としては風上にも置けない、まったく死ぬほど恥ずかしいことをしていました。わたしは彼女のもとに友人で弁護士のビンバルを寄越し――彼は非常に繊細な人間で、髭を生やしていましたが、その髭のおかげで女性からもこの上ない信頼を得るのです――その小鳥の絨毯にたいして、それがいかほどであれ、しかるべき金額を支払うだろうと提案させたのです。

 その間、わたしは下で、返事を待つ求婚者のようにいらいらしながら待っていました。三時間ほどして、そのビンバルがよろめきながらその家から出てきて、汗をふきました。

『この唐変木め』彼はわたしに濁声(だみごえ)をあびせました。『貴様を締め殺してやる!いったい、なんで、おれがおまえさんのために三時間もザネッリ家の歴史を聞かされに、こんなところへ来なくちゃならないんだ?言っとくがな』彼は復讐心もあらわに叫びました。『あの絨毯は絶対おまえのものにはならない。もし、家族の記念品が博物館に行かなきゃならんとしたら、ザネッリ家の十七人の者たちがオルシャニ墓地の墓のなかで騒ぎだすだろうよ! こんちきしょう、貴様、おれに一杯くわせやがったな!』

 そう言うと、わたしを置き去りにして行ってしまいました。

 そこでです、いいですか、ある男が何かをしようと決心したらです。そうしたらね、その男はそうやすやすとあきらめはしませんよ。それが収集家だなんてことになったらなおさらです、人殺しにだって出かけていきますよ。だって収集という行為は――原始の時代にそうであったように――まさに英雄的行為なのですからね。

 そこで、わたしはチンタマニと小鳥の絨毯を、いっそのこと単純に盗んでしまおうと決心したのです。真っ先にわたしは周囲の様子をうかがいました。セヴェリーノヴァー夫人の店は建物に囲まれた中庭に面しています。しかし中庭への入口は夜九時に閉まります。でも、針金みたいなものでこじ開けるなんてことは、わたしの好みに合いません。だってわたしにはそんな真似(まね)できないからです。

 この中庭への通路から地下の物置へ通じていますから、門が閉まる前だったらそのなかにかくれられます。中庭にはもう一つ小屋があって、その小屋の屋根にあがりさえすれば、隣の酒場の中庭に乗り越えられます。酒場からならどこへ行こうがおかまいなしです。

 そんなわけで、そこまではいとも簡単至極な(わざ)なのです。でも、どうやって店の窓を開けるかが問題でした。その仕事のために、わたしはガラス切りを買い、自分のうちの窓ガラスでガラスの切り方を練習しました。

 ねえ、みなさん、ものを盗むってことは、いとも簡単至極なことだとは思わないでいただきたいですな。早い話、前立腺の手術をしたり、人間の肝臓を摘出するほうが、よっぽど簡単ですよ。

 まず、第一にむずかしいのは、誰からも見られないということ。第二に、そのためにはかなり長いあいだ待たなければならないということと、そのほか、いろんないやなことが付随してきます。そして第三には、盗む際の不安があります。何が待ち受けているかわかりません。言っておきますがね、盗みには困難がともない、割に合わない商売ですよ。

 もし、わたしがわが家に押し込み強盗を見つけたとしますね。そしたらわたしはそやつの腕をつかんで、やさしく言ってやりますよ。『きみい、なんでそんな苦労をするのかね。君にしたってほかの人からものを盗むなんて、けっしていい気分じゃあるまい?』とね。もちろん、ほかの連中がどんな気分で盗んでいるのかは知りません。でも、わたしの経験から言えば、あまりいい気分のものじゃありませんね。

 問題のその日の夕方、何と言いますか、わたしはその家にまぎれ込み、地下室に通じる階段の上に隠れていました。警察の調書にはそんな具合に書かれていますが、実際は、次のような具合になります。

 わたしは半時間ほどのあいだ雨に降られながら門の前を行ったり来たりしていました。それだけだって、わたしは誰の目にも奇妙にうつっていたのです。とうとう最後に、わたしは自分で自分の歯を抜く人のような絶望的な気持ちで覚悟をきめ、通路のなかに足を踏み入れました。そして当然のことながら、主人の申しつけでビールを買いにいくどこかの女中と出会いました。わたしは女中を安心させるために、『かわいこちゃん』とか『小猫ちゃん』とか、何かそれと似たような言葉を低い声でささやきかけました。ところが、それがかえって驚かせたのか、女中は一目散に逃げていってしまいました。その間にわたしは地下室に通じる階段の上に隠れたのです。

 この建物の住人はそこに灰とかがらくたを入れたバケツかなんかを並べておくべきでしたな。そうしたら、わたしが忍び込むときにけつまずいて、そいつはものすごい音をたてながらころがり落ちたでしょうからね。

 間もなくビールをもってその女中がもどってきて、『どこかの知らない男が物置のなかに忍び込んでいる』と、こわごわ、管理人に報告していました。しかし、その勇敢なる管理人は女中の話を十分聞きもせずに、『そいつは隣の酒場と入口を間違えたどっかの酔っ払いだ』と断定をくだしました。それから十五分ほどして、管理人があくびをし、咳払いをしながら門の鍵をかけ、あとはまったく静かになりました。ただ、上の階のどこかで女中が大きな音で一人でしゃっくりをしました――この類いの女中がこんな大きな音を立ててしゃっくりをするなんて、ちょっと変ですよねえ、もしかしたら人恋しさのあまりでしょうかね。

 わたしは少し寒くなりはじめました。そのうえ、そこは酸っぱい、カビくさい臭いがたちこめていました。それに、触るものすべてがべたべたしているのです。わが国における泌尿器科医学の大権威であるヴィターシェク博士の指紋がここに残りでもしていようものなら・・・・おお、いったい、どんなスキャンダルが巻き起こることでしょう!

 もう、そろそろ夜中の十二時だろうと思ったのですが、まだ、やっと十時になったばかりでした。わたしは忍び込みを真夜中にはじめたかったのですが、十一時にはもう我慢ができなくなって、遂に盗みの行動を開始しました。

 人が暗がりのなかで音をたてずに歩こうとすると、どんなに大きな音をたてるか、あなた方にはとても信じられませんよ。でも、この建物は至福の眠りのなかにありました。ついに、わたしはその窓にたどりつき、キーキーと恐ろしい音をたてながらガラスを切りはじめました。なかでは息をつまらせたような鳴き声がします。

 なんてこった、アミナがそこにいる!

『アミナ』わたしは小声で呼びかけました。『こら、おまえ、静かにしろって! おれはおまえの背中をごしごししてあげにきたんだぞ』

 しかしね、みなさん、暗がりのなかで、まえにつけた傷跡とおなじところに、また重ねてガラス切りで引っかくなんて、そりゃ、もう、ほとんど不可能なことですよ。ですから、わたしはガラス切りで窓ガラスの上をあっちこっち引っかきまわしましたよ。そして最後にちょっとばかり強く押したのです。そしたら窓ガラス全体がはずれて落っこち、すごい音をたてました。

 今度こそ誰かが駆けつけてくるぞと覚悟して、どこか隠れるところはないかと見まわしました。しかし、何ごともありません。そこでわたしはまたもや、なんとなく異常ともおもえる慎重さで、もう一枚の窓ガラスをはずして、窓を開けました。中ではアミナが任務をはたしているんだといわんばかりに、ほんのちょっとのあいだ口を半分ほど開けて吠えていました。ですから、わたしが窓からはいり込むと、真っ先にこの邪魔なめす犬のほうに飛んでいきました。

『アミナちゃん』わたしは親愛の情をこめてささやきました。『おまえの背中はどこなんだい? いいかい、かわいこちゃん、この小父さんはね、おまえの友だちなんだよ――おい、このいたずらっこ、こうするのが、おまえ、大好きなんだろう?――』

 アミナは気持ちよさそうに体をまるめました。もちろん、この太っちょのちび公にできる範囲でではありますがね。わたしは親しみをこめてちび公に語りかけました。

『さあてと、じゃあ、今度は、そこをどくんだよ、おちびちゃん!』

 そしてわたしは小犬の下から、その高価な小鳥の絨毯を引き抜こうとしたのです。ところが、今度はどうでしょう。たぶん『これはあたしのものよ』とでも言ったんでしょうな。いきなり怒鳴りはじめたのです。そりゃ、もう、吠えるなんてもんじゃありません。まさに絶叫でしたよ。

『おお、どうしたっていうんだよ、アミナちゃん』わたしはすぐになだめにかかりました。『さあ、静かにするんだ、このけだものめ! ――ちょっと待ってなよ、もっといいものをベッドにしてあげるからな! よいしょ!』

 わたしは壁からおそろしく金ぴかのキルマン絨毯を引っぺがしました。この絨毯はセヴェリーノヴァー夫人が自分の店で最高に高価な品物だと評価しているものでした。

『ほうら、アミナちゃん』わたしはささやきました。『この上だったら、ぐっすりおねんねできるぞ』

 アミナはわたしのほうを興味ぶかげに見ていましたが、わたしがアミナの絨毯に手をのばしたとたん、あらためて、また、絶叫をはじめたのです。その声といったら、もう、プラハの郊外にまでとどきそうなくらいでした。

 そこで、わたしはふたたびその怪物を、特別念入りに快感の引っ掻きでエクスタシーに導いてから、犬っころを抱きあげました。ところが、わたしがチンタマニ模様と小鳥の柄の白い貴重品に手を触れるやいなや、また喘息病みみたいに吠えて、わたしを非難しはじめました。

『やれやれ、このけだものめ』わたしはすっかり絶望的な気分になりました。『こうなったら、おまえを絞め殺すしかないな』

 でもね、聞いてくださいよ、わたし自身にも理解できないのですがね。わたしがかつて自分のなかに感じたことがない、非常に残忍な憎しみをもって、このいまいましい太った、いやらしいメス犬を見ていました。でも、わたしは不愉快この上もないこの動物を殺すことができませんでした。わたしはよく切れるナイフをもっていましたし、革のベルトもしていました。わたしはそいつの首をかき切ってやることも、締め殺してやることもできたのです。ただ、そんなことのできる心臓をもっていなかったのです。

 わたしはその神聖な絨毯の上でめす犬と一緒にすわって、その犬の耳の裏っかわを掻いてやりました。『この意気地なし』わたしは自分に言いました。『腕のひと振りかふた振りすればすむことじゃないか。おまえは大勢の人間の手術をした。恐怖と苦痛のなかに死んでいく彼らを平然と見くだしていたくせに、なぜ、小犬一匹が殺せないんだ?』

 わたしは、そりゃあ、あなた、勇気を出そうとして、歯をくいしばりましたよ。でも、できませんでした。そこで、わたしは泣きだしました――たぶん、恥ずかしかったのです。すると、アミナはくんくんと鼻を鳴らしながら、わたしの顔をなめはじめました。

『このいまいましい、豚みたいに太った、役立たずのくそったれめ』

 わたしは小さな犬にむかって言いながら、毛を刈られた、そいつの背中をなでてやりました。

それから窓を通って中庭に出ました。それはすでに敗北と退却でした。それから、わたしは木造の小屋に飛び上がって、屋根づたいに隣の中庭に出て、酒場の外に出ようとしました。でも、わたしには力が少々足りなかったか、わたしがあらかじめ目測したよりは屋根が高かったからでしょう。結局、わたしは屋根にあがることができませんでした。

 わたしはへとへとにくたびれて、死んだようになって地下室の階段の上に横たわり、朝までそこにとどまりました。わたしは、まったく馬鹿でしたよ。わたしはあの絨毯の上で寝ることだってできたのです。でも、そんなことはつゆ思いつきもしませんでした。

 朝になって、わたしは管理人が門を開ける音を聞きました。しばらく待って、それからまっすぐ外へ出ました。門のところにはその管理人が立っていました。そして廊下から見知らぬ人物が出てきたのを見て、大声で呼び止めるのも忘れるほど、びっくりしていました。

 数日後、セヴェリーノヴァー夫人を訪ねました。窓には鉄柵がつけてありました。チンタマニ模様を織り込んだ聖なる絨毯の上には、もちろん、あのいやらしい犬の姿をしたヒキガエルめが寝っころがっていました。わたしを見ると、うれしそうに、普通の犬なら尻尾と呼ばれている黒いソーセージを振りまわしていました。

『ねえ、ヴィターシェク博士、アミナったら、わが家の宝、わが家の大切な番犬ですわ』セヴェリーノヴァー夫人は顔を輝かせて言いました。『先生はご存じかしら、つい、せんだって、盗人があの窓から忍び込んだんですの。でも、うちのアミナちゃんがですよ、その盗人を追っ払ったんですの。あたし、この子はもう絶対に何ものにもかえられませんわ』

 彼女は誇らしげでした。『でも、あなたは好きですわ。この子は信用のできる人がわかるんですよ、きっと。アミナや、そうでしょう?』

 そういうわけで、話というのはこれですべてです。その貴重な小鳥の絨毯はいまでもそこにあります――それは、思うに、世界でも最高に貴重な 〃絵織り絨毯〃 です。そして今日もその上で、あの醜悪で、皮膚病やみのアミナがいやな匂いの息をはきながら、いい気になってキャンキャン吠えているのです。

 あいつは今に、脂肪ぶとりで、窒息しますよ。そしたら、わたしはもう一度、やってみようと思っています。でも、そのまえにあの窓の鉄柵を切断する、鉄切りノコの使い方からはじめなければならないかもしれませんね」

 第二十三話 陪審員

「実は、わたしも一度、人を裁かねばならなくなったことがあるのです」フィルバス氏が咳払いをしながら話しはじめた。「というのは、わたしが陪審員に選任されたからなのです。そのとき陪審員の前に提出されたのは、自分の夫を殺害したルイザ・カダニーコヴァーの事件でした。陪審員は男八人、女四人から構成されていました。『いまに、神が貴様を』と、わたしたち男どもは口には出しませんでしたが、前もって、心のなかで言いあっていました。四人の婆さんどもは、あの女が釈放されるようにがんばるだろうな! と、そんなわけでわたしたちはもう裁判がはじまるまえから、そのルイザにたいして反発を覚えていました。

 この事件は全体として見れば、不幸な結婚生活の結果起こった、ごくありふれた事件にすぎません。夫のカダニークは民間の測量技師でした。そして二十歳も若い女性と結婚したのです。ルイザは結婚したとき小娘でした。そして若奥さんは結婚式の直後から、すでに、新婚の夫が彼女に触ろうとすると、泣きだし、真っ青な顔をして、ふるえていたと供述する証人も見つかりました。こんな無垢で、未経験の娘は結婚式のあとの扱い方によっては、ときにはひどい事態になるかもしれないなというようなことを、いろいろと考えてみました。仮に、彼女の夫が女の扱いに慣れていて、その経験にしたがって振る舞ったと、まあ、考えてみてください。どういうことになりますかね。要するに、そんなことは他人には想像できないということですよ。

 一方、検察側は、またもや――そのルイザは結婚のまえから、どこかの学生といちゃいちゃしていて、結婚後も手紙のやりとりをしていたという――別の証言を聞き出してきました。つまり、結婚の直後から結婚生活はぎくしゃくしていたということがわかったわけです。妻のルイザは夫にたいする生理的嫌悪感を隠そうともしません。一年後に流産し、そのときから何やら婦人病を患ってしまいました。測量技師氏はその代償を別の場所に求め、家ではわずかな金銭をめぐっての言い争いが絶えませんでした。

 そんな不幸な結婚生活のある日、クレープ・デシン〔フランスちりめん〕をまとった女〔娼婦〕か何かのことで大喧嘩になり、測量技師氏は家にいても退屈なばかりだというわけで、また靴をはきはじめました。その瞬間、ルイザは後ろから夫に近づいて、ブローニング〔ピストル〕で夫の首筋めがけて発射したのです。

 そのあと、ルイザは廊下を走って、隣の部屋のドアを大きな音でたたき、夫を殺したこと、あたしは警察に自首しに行くからと告げ、うちの夫のところにいてくれるように頼みました。しかし階段の上で引きつけを起こして、転げ落ちた――というのが、この事件のあらましです。

 いま、わたしたち十二人は彼女の罪を裁くために席についています。そのルイザという女はかつてはかわいらしい娘だったそうですが、それがです、拘留中の取調べのせいでしょうか、美しさはすっかり影をひそめ、まるでぷくんぷくんにふくれあがっているように見えました。ただ彼女の青白い顔から、ひどく陰険な憎悪の目だけが灼熱の火のような光を放っていました。

 正義の権化たる裁判長はいちばん高い席にすわっていました。おっそろしく威厳があり、黒い法衣をまとった姿はまるで高僧のようでした。国権の代弁者はなかなかハンサムな検事でした。わたしは以前、どこかで見かけたことがあります。雄牛のように頑健で、いい餌で飼育された虎のように体には緊張感がみなぎり闘争的です。そして、いかにも権力と優位性をほしいままにできるある種の快感を体中にみなぎらせながら、あの燃えるような狂気の目で、少し離れた下のほうから自分を見上げている獲物に、攻撃的弁論で襲いかかっています。

 被告の弁護士はそのたびに挑発的に椅子から飛び上がり、検事に反撃の論戦をいどみます。わたしたち陪審員にとっては、これはややつらい仕事でした。それというのも、ときどき論戦は殺人を犯した女の裁判ではなく、弁護士と検事同士の単なるいさかいのようにも見えたからです。

 それから、この法廷にはわたしたち人民のなかから選ばれた陪審員がいました。わたしたちは自分の人間的良心にしたがって判定をくだすために来たのです。しかし、どんなに贔屓(ひいき)目に見ても、あの弁護士の冗舌と裁判手続きのまわりくどさには、わたしどももすっかりまいり、ほとんどが精魂がつきるほどくたびれ果てていました。

 後部の傍聴席には人がぎっしり入っていて、ルイザ・カダニーコヴァー裁判の行方をかたずを飲んで見守っています。ときどき、ルイザが窮地に立たされたり、放心の体で沈黙したりしていると、傍聴者たちがそれぞれに、ざわざわ、くちゃくちゃと、てんでにささやき合うのが聞こえます」

 そこまで話したとき、フィルバス氏は汗でもかいたかのように、額をぬぐった。

「わたしは時折、自分が陪審員に選任されているのではなくて、拷問にかけられているのだというような気がしました。ですから、わたしは自分で立ちあがって、わたしはすべてのことを自白しますから、みなさん、わたしと一緒に何でも好きなことをしましょうよと叫びだしたくなりました。

 やがて裁判は証人喚問ということになります。その誰もが、何かを知っていることを、なんとなく自慢げに、重大そうに証言しました。それらの証言を聞かれたら、みなさん方は、この小都会の悪意、うわさ話、えこ贔屓、陰口、ねたみ、陰謀、駆け引き、退屈などが、何もかもわかるような気がしたでしょう。

 これらの証言によると、被害者は誠実で実直な男、そして、最高に評判のいい非の打ちどころのない市民でした。その一方の証言では、娼家通いの常連、守銭奴、残忍な性格、不道徳、好色漢、品性下劣ということになります。まあ、言うならば、何でもござれというわけです。

 ルイザ夫人のほうはもっとひどくなります。彼女は男好きの尻軽女で、金遣いのあらい奥さんで、絹の肌着をつけ、家事のことはほったらかしにして、借金を重ねていた、などなど。検事は氷の微笑を浮かべながら慇懃にお辞儀をしました。

『被告、あなたは未婚の時代に、すでに、ある男性と親密な関係にあったのではありませんか?』

 被告は黙っていました。ただ、彼女の頬にかすかな紅がさしただけでした。弁護士は椅子から飛び上がりました。

『失礼ながら、彼女の別のこともここで明らかにされるべきであります。彼女は、つまり、彼女がカダニークのもとで女中奉公をしていたとき、彼はそれをいいことに彼女を凌辱し、子供まで作ったのであります――』

 裁判長は顔を曇らせました。『やれやれ、こいつは、いつも弁論を長引かせやがる!』という、裁判長の思いが、はっきり見てとれました。――そのあいだにも、痛ましい家庭の事情が延々と果てしなく述べられていました。結婚生活の不和の原因を持ち込んだのは二人のうちのどちらであるか。ルイザ夫人が毎月生活費として受け取っていたのはいくらだったか。彼女の夫が嫉妬する根拠があるか否か――

 わたしにはこの裁判のあいだじゅう、どうかすると、弁論の対象になっているのは死んだカダニークや、彼の結婚生活のことではなくて、むしろ、わたしとか、それとも、ほかの陪審員の誰かとか、それとも、誰かはわかりませんが、われわれ世間の、すべての男性のなかの誰かのことのような気がしてきました。

『これはどうしたことだ、いま、ここで死者について言われているようなことなら、おれだって、実際に、やっている! この程度のことなら、どこの家庭でだって起こっているさ。なのに、どうしてそんなことが、ここに、法廷に持ち出されてこなければならないのだ?』

 わたしには、わたしたち全員が、男も女も、まるで自分の着ているものを一枚一枚はぎ取られているような、まるでわたしたち自身の夫婦げんかが洗いざらいにされ、わたしたちのプライバシーの恥部がのぞかれ、わたしたちのベッドでの営みや、長年のあいだに培われた習慣といった秘め事までが、公衆の面前で白日のもとにさらされているかのような、そんな気がしてきました。

 その弁論で述べられているのは、まさしくわたしたち自身の生活です。しかし、あまりにも醜悪に、いささかの容赦もなく冷酷に暴露されるので、それはまさに地獄絵そのもののように思われました。

 当のカダニークは、本来、そんなに最低と言われるほどの男ではなかったのです。ちょっとばかり育ちが悪かった。女性にたいして乱暴だった。女性を馬鹿にしていた。偏屈でけちだった。それだって汗水たらして働いても稼ぎはわずかだったから。彼は女好きだった。女中を手ごめにした。その女中と結婚したあとも、どこかの後家との関係を続けていた。だけど、それはルイザ夫人からゲジゲジのようにきらわれ、はねつけられ、男の自尊心を傷つけられたから。だから、彼の一連の行動はその腹いせだったのだと……。

 ところが、みなさん、不思議なことに、ある弁護側証人が、被害者がいかに喧嘩っぱやく、くどくどとつまらないことにこだわり、暴力的で、性的には貪欲で自分勝手な男だったと非難する証言をしたときのことです。わたしたち男性陪審員たちのあいだに、反感と連帯感のようなものが駆けめぐりました。『おい、やめてくれよ! 〃そんなこと〃くらいで射殺されなきゃならんとしたら、たまったもんじゃない』

 それから次の証人は、ルイザが跳ねっ返りで、派手好みで、ああで、こうでと、いっそう彼女に罪をきせるような証言をしたときには、陪審員席のわたしたち男性は、ぎゃくに何か寛容な気持ちというか、彼女を庇護してやりたいというような、何かそんなものを感じました。その一方で、わたしたちのなかの四人の女性陪審員は口をキッと結び、同情の余地なしという目つきになりました。

 女中、医者、隣人の目から見た、またゴシップによる結婚生活の地獄絵図は何時間も、何日も延々と続きました。夫婦げんかや借金、病気、家庭内暴力、一組の人間に負わされた、あらゆる悪、抑制のきかない感情のぶつかりあい、そのあげくの悲惨。それらは、まるで人間の内臓がその最も惨めで醜悪な姿でわたしたちの前にこれでもか、これでもかとぶちまけられたようなものでした。

 みなさん、わたしにもね、それなりに可も無く不可も無いといった、ごく普通の家内がいます。でも、時折ふと気がつくと、わたしは眼前にルイザ・カダニーコヴァーではなく、自分の夫フィルバスの首筋に一発食らわせて殺害した罪で告訴されたわたしの家内を、リーダを見ていました。わたしは首筋にきりきりと刺すような、その弾丸のものすごい痛みを覚えたほどです。わたしは、口を固く閉じて、恐怖と、嫌悪感と、屈辱に狂った目でわたしに訴えている、青白く、はれぽったい顔をした醜いリーダをそこに見ました。ここでみんなに服を剥ぎ取られ、丸裸にされているのはリーダでした。それはわたしの家内、わたしの寝室、わたしの秘密、わたしの悲しみ、わたしの下品さでした。わたしはいまにも泣きだして、叫びたくなりました。

『いいかい、リーダ、おまえはなんてところにおれたちを連れてきたんだ!』

 わたしはこのおぞましい情景を見まいとして、目をつむっていました。しかし、目を閉じた闇のなかで、証人たちの証言はさらにいっそうわたしを責め苛みました。ですから目を開けてルイザ・カダニーコヴァーを見つめたとき、わたしは胸(ふさ)ぐ思いをいっそう強くさせられたのです。

『おお、リーダよ、おまえはまた何という変わりようだ!』

 わたしがその日の陪審員の役目をおえて家に帰ると、リーダが裁判の結果を知りたくてうずうずしながら待っていました。

『それで、どうなりそうなの、判決は?』

 この裁判はそれなりに、とりわけ家庭の奥さん方の興味をそそるセンセーショナルな話題ではあったのです。

『あたしなら』わたしの妻は押さえがたい好奇心で熱くなり、興奮していました。『あたしなら、有罪にするわ!』

『おまえには関係ないじゃないか』わたしは妻を叱りました。わたしは妻と裁判のことについて語るのが恐かったのです。評決まえの最後の晩、すごい不安がわたしを締めつけました。部屋のなかをぐるぐる歩きまわりながら考えました――たぶん、ルイザを釈放することになるだろう。陪審員のなかの、四人の女性はどちらを選ぶだろう? もう一票の 〃無罪〃 の票があれば、彼女は自由の身になる。じゃあ、その最後の一票はおれが入れるのか?

 それにたいする回答を見つけることはできませんでした。そのとき不意に、ある不愉快な想念がわたしをとらえました。そういえば、おれだってナイト・テーブルの上に弾をこめたリボルバーを置いている。――これは軍隊時代からの、いわば習慣だ。それがいつかわたしの妻のリーダに好都合ということにならないともかぎらない!

 わたしはリボルバーを手に取りました――おれは貴様をどこかに隠したほうがいいのか? それとも、いっそ貴様を処分してしまおうか? いや、まだまだ、その必要はあるまい――。わたしは苦笑しました。ルイザの事件がどう決着するかによってだ! それから、また、あらためてわたしは苦痛を覚えはじめました。そうとも、どう決着するかだ。それにしても、おれは――おお、おれはどうしよう、どっちに投票すべきなのか、このおれは?

 最後の日、検事の論告がおこなわれました。彼は雄弁に、厳しく弁じました。検事は人間の家庭的絆――そんな言葉を持ち出してくる権利をどこで手に入れたのかは知りませんが――という言葉を拠りどころに弁論を展開しました。わたしはまるで遠くのほうの話声を聞いているかのように、家庭や家庭生活、結婚や男と女、女性の責任や義務などの言葉がことさらに、わざとらしく強調される論告を聞いていました。それは判決まえの最も説得力のある弁舌と言えそうでした。

 今度はルイザ・カダニーコヴァーの弁護士が最終弁論に入りました。が、まさに驚くべき問題を突きつけてきたのです。つまり彼は性・病理学的分析に依拠しながら弁護論を展開しようとしました。性的に冷淡な、または、より正確には性的不感症の女性が粗暴な男性・オスにたいしていかなる反発を覚えるか、いかにして彼女の生理的反発が憎悪にまで発展するか、放恣なる性的暴君の恣意と欲望の前に投げ出されたこのような女性がいかに悲劇的生け贄となるかを立証しようとしました。

 この瞬間、陪審員全員の気持ちが逆転し、ルイザ夫人にたいして冷酷なまでの敵意に転化し、陪審員の意識のなかの 〃公序良俗を壊乱し〃人間社会の 〃平安を撹乱する〃 なにか変態的(アブノーマル)なものにたいする潜在的反発が、俄然として目を覚ましたのが感じられました。陪審員のなかの四人の女性は青ざめ、彼女たちの体からは結婚によって生じる義務にそむいた女にたいする激しい敵意が噴出しています。そういう陪審員の反応にも気づかない愚かな弁護士は、熱っぽく、自説のセックス理論をまくしたてていました。

 裁判長は憤然とした陪審員たちの表情をメガネ越しに、おだやかに見やりながら、自らの事件の総括を述べるなかで、なんとか陪審員たちの心理的硬直をほぐそうとしていました。裁判長は家庭のことにも、性的奴隷についても触れませんでした。ただ殺人についてだけ述べました。わたしたち陪審員はすっきりした気分になりました。正直のところ、人が殺害されたという、その事実的側面から見たとき、この事件ははるかに飲み込みやすく、単純明快で、容易に理解できるのです。

 わたしは最後の瞬間まで、有罪か無罪かの質問にどう答えていいかわかりませんでした。しかし、『ルイザ・カダニーコヴァーは夫ヤン・カダニークの射殺に際して殺意があった。同女は有罪なりや否や?』という質問がわたしたち陪審員に提示されたとき、最前列にすわっていたわたしは即座に 〃有罪〃 と答えました。どうしてかと言いますと、彼女には、事実、殺意があり、それを実行したからです。そして、陪審員の十二人全員が 〃有罪〃 と答えました。

 そのあと、意外な評決にとまどったような沈黙が広がりました。わたしは四人の女性陪審員を見ました。彼女らは頑として妥協を許さぬ、ほとんど厳粛ともいえる表情をしていました。それはまさに人間の家庭を守る戦いに勝利をおさめたのだと言わんばかりの表情でした。

 家に帰りつくと、興奮で青ざめた顔のリーダが『結果はどうだったの?』と勢い込んでたずねてきました。

『ルイザのことかい?』わたしは機械的に問い返しました。『有罪、十二票。絞首刑の判決が出た』

『まあ、こわい』リーダは大きな息をついて、無邪気な残酷さで言いました。『でも、当然と言えば当然だわ!』

 その瞬間、わたしのなかで何というか、緊張の糸とでもいうのでしょうか、それがぷっつり切れました。

『そうとも』わたしは自分でもわけのわからない怒りをリーダにぶっつけました。『当然と言えば当然さ、だって、馬鹿なことをしたんだからね! いいかい、覚えとくといいよ、リーダ、もし彼を撃つんだったら、首筋じゃなくて、こめかみを撃てばよかったんだ。それだったら、自殺と主張することもできただろう。わかったかい、リーダ? そうしたら無罪になったかもしれないんだ――いいかい、覚えておくんだぞ、こめかみへ一発だ!』

 わたしはばたんとドアを叩きつけて出ていきました。わたしは独りになりたかったのです。言っておきますが、わたしはそのリボルバーをいまでも開けた引出しに入れたまんまなんですよ。わたしにはそれをしまうつもり、ありませんね」

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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田才 益夫

タサイ マスオ
たさい ますお 翻訳家(チェコ文学) 1933年 福岡県に生まれる。ホームページ→http://members3.jcom.home.ne.jp/cobycat345/

掲載作はカレル・チャペック著『もうひとつのポケットから出てきた話』(全二十四話)から、第一話 盗まれたサボテン、第四話 チンタマニと小鳥の絨毯、第二十三話 陪審員、以上三作を抜粋、掲載した。 特に、「第二十三話 陪審員」は、導入を前に、賛否を呼んでいる陪審員と類似する「裁判員制度」(09年5月までに実施予定)の未来を予想させて、興味深い。(初出『ポケットから出てきたミステリー』晶文社刊 2001) なお、チャペック作品(田才翻訳)は、電子文藝館には、ほかに、「寓話」、「初期短編」、「闘争」が掲載されている。