最初へ

今昔物語ふぁんたじあ(抄)

  怪 力

 

   1

 

「あぶないッ、逃げろッ」

「突かれるぞッ」

 とつぜん、わきおこった大声に、『腹くじり』の春王は、おどろいてうしろをふりかえった。

 暴れ牛だ。

 荷はこび用の、真っ黒な大牛が、なにを怒ったか、背に青竹の束を山なりに積んだまま、ひきちぎった手綱をひきずりひきずり、街道をまっしぐらに狂奔してくる。

「とめてくれえ、……だれか、おさえてくれえ」

 牛飼いであろう、わめきながら追ってくるが、手を出す者など一人もいない。店棚(みせだな)の中、曲がり(かど)……。われさきに逃げこむのに、通行人はだれもが、せいいっぱいなうろたえぶりである。

(とっつかまえてやろうかな)

 日ごろの腕じまん、力じまんが、とっさに頭をもたげた。春王はでも、

(ばかばかしい。だいじな勝負を目の前にひかえた身体じゃないか。万一、角にかけられて怪我したからって、だれがほめてくれるもんか)

 思いつくとすぐ、身をかわして、彼もまた他の旅びと同様、かたわらの路地へとびこんだ。

 せつな、ダダッと土煙をあげて、猛牛は路地口をよこぎっていった。

(通りすぎたぞ)

 往来へ出て、行く手を見ると、しかし牛は、道のまん中に立ちどまっている。

 そのうしろに、女が一人いた。茜色(あかねいろ)の小袖の背が見える。髪を(かつら)包みにたばね、頭に魚籠(さかなかご)をのせて、右手をそれにそえただけの、へんてつのない姿だ。ちょっと見は、なにをしているのかわからない。

「とまったぞう、牛がとまったぞう」

 ともあれ牛飼いはじめ、通行人がよろこんで、かけつけてみると、とまったのも道理であった。足半草履(あしなかぞうり)をはいた女の足が、牛の手綱の先端を、しっかり踏みつけていたのである。

「いやあ、あねさま、おかげで助かりました。この通りじゃ」

 ぺこぺこおじぎしぬく牛飼いへ、

「なんの、礼などおっしゃるにはおよびません」

 女はニコッと笑顔を返して、なにごともなかったように歩きだした。

 牛は? と見ると、これも()きものが落ちた顔だ。巨大な腹をまだ、いくぶん波打たせているけれども、もう道ばたの草へ寄って、もぐもぐ口をうごかしている。

 春王が目をむいたのは、土に残った草履の跡だった。ぐいッと深く、石ころ道にくいこんで、女の力の、尋常でない強さを、それははっきり証拠だてていた。

(へええ、世の中はひろいや。とんでもない女もいるもんだ)

 舌を巻いたが、このくらいの力なら、おれにだって朝めし前に出せると、たかをくくった。力よりも、女の顔だちの美しさに、春王は興味をそそられたのである。

 大力なだけに、なみ

よりやや、背丈は大きい。むっちりと肉もついている。髪が黒く、たっぷりして、肌はぬけるほど白い。

 魅力的なのはその眼の表情だ。なんともいえず(じょう)の濃い、愛嬌あふれるまなざしに、春王の好きごころは、そそられずにいなかった。

「ねえさん、おまちよ」

 女を、彼は追いかけた。

「たいした力持ちだねえ。このあたりの人かい?」

「もっと北よ。私の村は……」

「ご亭主や子は、むろんあるんだろう?」

「いいえ、独り身」

 女は首をふった。微笑している。どこやら淋しげな笑顔だが、独りときくととたんに、春王の心中には(あなどり)りが芽ばえて、

「そいつはもったいないや。こんなべっぴんさんをさ」

 女の左の二の腕へ、するッと手をさしこんだ。ふりはらうと思いのほか、

「ホホホホ、いやらしい。なにをするのよ」

 脇の下を、女はじんわりしめつけてきた。

(気があるな。こいつはまんざらじゃないぞ )

 春王は舌なめずりした。

 うららかな小春つづき――。道中、思いのほかはかどって、もうここは琵琶湖の南岸、大津の宿駅である。十日以上のゆとりを()出して、あすは都入りできる勘定だった。 

(三日四日、道草くったってじゅうぶんに合う。ひとつこの女、ものにしてゆくとするか)

 ならんで歩きながらも、うきうきと、春王の胸は(はず)んだ。

「名はなんというのかね?」

「高島の、大井子(おおいこ)

「おれは人呼んで『腹くじり』の春王というんだ。『腹くじり』は角力(すもう)の手さ。ねえさんにおとらず、おれも故郷の越後では、名を知られた力持ち、角力の達者でね。こんど国衙(こくが)の長官に選び出されて、宮中でもよおされる角力の節会(せちえ)に参加するために、はるばる都へのぼる途中なんだよ」

「まあ、あなた、力士なの?」

「そうとも。晴れの勝負に打ち勝って、日本一の(ほまれ)を獲得するつもりさ」

 それはいいが、はさまれた手がぬけない。大井子は、ずんずん歩く。

 歩幅(ほはば)も歩速も合わないくるしさに、どうかして手をぬこうと春王はあせる。しかしだめだ。脇の下をしめつけている女の力は恐ろしいほどだった。

 はじめてゾッと、春王は鳥肌(とりはだ)立った。

「はなしてくれ」

 口もとまで出かかった哀願を、それも口惜(くや)しいのでのみこんで、しかたなく手をはさまれたまま、とうとう女の家までひきずられてきてしまったのである。

 

   2

 

 さほど広くはないけれども、豊かそうに住みなした百姓家だ。

森女(もりめ)、いまもどったよ」

 召し使いにちがいない。大井子の声に、

「お帰りなさいまし」

 十三、四の少女が、洗足の水を()んで小走りに出てきた。

「とりたてのボラを見かけたので買ってきた。塩をふっておいておくれ」

 魚籠を少女に渡して、やっと大井子は脇をゆるめた。

「さあ、足をゆすいであがりなさい。えんりょはいらないのよ。 家族はこの森女と私の、二人きりですから……」

 女の力に圧倒された春王は、日ごろの傲慢(ごうまん)もけしとんで、神妙に板敷きの、()()へ通った。

 大井子も、その向かい側に(すわ)って、

「春王さんとやら、あなた越後では、どれほどの力士かしらないけれど、あれくらいの力で都へのぼったからって、とうてい日本一の呼称など得られやしないわよ」

 さとすように言い出した。

「だめだろうか」

 さしもの天狗の鼻も、折れまがった。

(女でさえ都ちかくなると、これくらいの化け物があらわれる。まして国々から選ばれて、われと思わん剛の者がきそいあつまる宮中角力…… 。日本一の最手(ほて)どころか、ろくに勝ち目もないかもしれないなあ)

 こころぼそげなその顔へ、

「あきらめるのは早いわ。およばずながら私が加勢して、あなたに力をつけてあげます」

 たのもしげに、大井子は約束してくれた。

「まだ、日にちはあるわね」

「ある。十日の余もあるよ」

「しばらくこの家に逗留(とうりゅう)しなさい」

 森女をよんで、飯びつと塩の小壺(こつぼ)半挿(はんぞう)に汲んだ冷水を、大井子ははこばせた。よくよく手を清め、さくら色の爪がきれいにならぶその手で、キュッキュッとむすんでくれたのは、一個のにぎり飯である。木皿にそれをのせて、

「さ、食べるのよ」

 と彼女はすすめる。

 なんの気もなくパクリとやりかけて、

「うッ」

 春王はうなった。歯が立たないのだ。

 たかがにぎり飯、米の飯ではないか。そんなバカな……と()らだつのだが、どうしても、なんとしても()み割れない。つくづくあきれた。かぶとをぬいだ。

「その屯食(とんじき)が、すらすら食べられるようになるまで、がんばるのよ」

 翌日も一つ、大井子はおにぎりを作った。やはり歯が立たない。

 五日目になって、ようよう噛み割れた。

「わあ、割れたぞ割れたぞ」

「あとひといきよ」

 八日目――。どうやらふつうに、食べられるようになり、九日目にはもう、まったく、ただのにぎり飯同様、むしゃむしゃ味わえるまでになった。

「これで百人力だわ。あなたはかならず勝ちぬくわよ」

「ありがたい。恩にきるよ」

「ただしその力、けっして悪用しないでね」

「わかっているさ 。――それより、ものは相談だがね」

 春王は、思いきってきり出した。

「あんた、おれと夫婦になってくれないか」

 大井子の力に恐れをなして、はじめて出会った当座の、みだらな欲望から遠ざかっていた春王も、にぎり飯の威力で自信をとりもどすと、やはりこのままその身体に、指ひとつ触れずに別れるのが、惜しくてたまらなくなったのである。

「あなた、年はいくつ?」

 問い返してきた女の、ながし目の(あだ)っぽさに、脈があると春王は弾んで、

「二十四さ」

 にじりよった。

「あんたは? 大井子さん。おれとおっつかっつだろう?」

「三十二よ。八ッも年上だわ」

「ふーん、とてもそうは見えないけどなあ。なぜあんたほどの女が、独り身でいるのさ」

「力がありすぎるのもよしあしね。気味わるがって、なみの男はよりつかないのよ」

「おれならちょうどいい。つりあうよ」

「私もねえ……」

 しみじみ、大井子は言った。

「力のある男があらわれるのを、じつはながいこと、待ちのぞんでいたんだわ」

「じゃ、承知してくれるね?」

「帰ってきてくださいよ。晴れの勝負が終わったら、かならずここへ……ね?」

「帰らずにいるものか。力のつよい子供を生もうよ。おれたちの子なら、きっと鬼ガ島を征伐するほどの力持ちになるぜ」

「親ゆずりの田畑、宅地を、私すこしは持っているのよ。くらしにこまることはないはずだわ」

 ――その夜、二人は結ばれた。

 そしてあくる朝、逢坂(おうさか)の関まで大井子に送られて、春王はいさましく、都入りして行ったのであった。

 

   3

 

 宮中の角力は、馬場殿の広庭でおこなわれた。

 全国から選抜されてあつまった力士たちは、くじ引きで左右にわかれ、控え所には幕が張られる。

 念人(ねんにん)――つまり応援団の公卿(くぎょう)殿上人(てんじょうびと)らも左方、右方にそれぞれ陣どり、正面、寝殿の(みす)のうちには、天皇はじめ貴族、高官れんちゅうが、威儀(いぎ)をただして居流れた。

 力士は、はだかになどならない。

 衣服をつけたまま土俵にあがり、力と(わざ)をきそうのだが、とり組みが五番すむごとに、伶人(れいじん)どもの詰める幕舎から、ピーロロ、ドドドンと(しょう)や笛、羯鼓(かっこ)や太鼓の(がく)がひびきわたるという悠長な競技ぶりなのである。

 勝ち力士には念人たちから、あらそって纒頭(はな)がさずけられる。

 にぎり飯を仲だちにして、天賦の力の上に、さらに大井子の怪力をあわせ持つことのできた春王は、まさに向かうところ敵なし……。出る相手、出る相手を片はしから倒して勝ちすすみ、とうとう女の予言にたがわず、優勝の栄冠を勝ちとってしまった。

「どんなもんだい」

 彼の得意や思うべしだ。

 みかどから天盃と、日本一の折り紙が下賜される。そのほかの(かず)けもの、くだされものにいたっては、絹、綾、米、太力(たち)、馬、砂金……。とても持ちきれるものではない。

「屋敷へまいれ。馳走してとらせよう」

 招宴も、連日連夜 …… 。あかぬけた都上*(じょうろう)のもてなしに、酒びたり、色びたりになり、春王はすっかり思いあがった。大井子のおかげで勝てたてんまつなど、けろッと棚にあげて、

「へん、あんなトウのたった姉さん女房に、一生、飼いごろしにされてたまるもんか」

 帰るといった約束を、勝手にやぶり、洛中に家を借りて、気ままざんまいな日を送りはじめた。

 もともと春王は、男ぶりのよい若者である。勝負に勝ったおかげでひと財産でき、おまけに力はありあまる。三拍子そろっているから、こわいものなしだ。

 酔っぱらって、人にけんかを吹っかける。けがをさせる。器物をこわす……。

 しまいには色町の女を、むりやり手ごめにしようとして、窒息死させるという大それた事件までひきおこしたが、召し捕る側の役人たちにひいきが多く、顔もきくため、事はうやむやに葬られて、被害者は泣きねいりとなった。

 ますます、春王は(おご)った。肩で風きってのし歩くが、

「それ、『腹くじり』だぞ。言いがかりつけられて痛い目をみるな」

 逃げまどうばかりで、こらしめようとかかる者など一人もいない。

 たった一度、あまりに腹をすえかねて、蹴りグセのある荒馬を、春王の通る道すじにつないでおいた者があった。うしろを通過しかけたせつな、あんのじょう馬はしたたかに春王を蹴った。しかし足を折ったのは馬の側……。蹴られた人間はアザ一つ、負わなかったのである。

「不死身じゃ」

 ひとびとは、ふるえあがった。魔神のように、春王を恐れ合った。それをよいことに、ほんのすこしでも気にくわぬことがあると、彼はたちのよくない腹いせをして、溜飲(りゅういん)をさげるようになった。

 大石をはこんできて用水をふさぎ、あたりを水びたしにしたり往来を止めたり、力をたのんでの悪行をほしいままにするばかりか、とりのけ作業にひとびとが大さわぎをするのを、

「ざまァみろ。人夫や馬力を百人前使おうと、おれ一人の力におよびはしまい」

 そらうそぶいてながめているといったありさまなのだ。

 ――月のうつくしいある晩。

 そんな春王が、例によって大酔して、都大路をわがもの顔に、あちらへよろよろ、こちらへよろよろ、猪熊(いのくま)の色町から宿所へ向かって、もどりかかった鼻さきへ、

「おまちッ」

 大手をひろげた人かげがあった。

「やッ、そなたは大井子!」

 ゾッと、春王の背すじに寒が走った。

「あなたを見そこなったわ。うわさは村まで聞こえています」

大井子は、じりじり寄ってきた。

「力を善用できないバカ者に、力をあたえたのは私の落ち度……。責めは私にあるし、いまや天下に、あなたのその力を封じられる者も、私ひとりしかないと知って、迎えにきたのよ。――さあ、帰りましょう」

「どこへ?」

「私の家へ……」

「しゃらくさい。おれはもはや、あのときのおれじゃないぞ」

 肩ひじを、まんざら虚勢でもなく春王は怒らせた。彼自身の力に、大井子の力が上積(うわづ)みされている今なのだ。

(くらべるまでもない。おれのほうがずんと優秀なはずではないか)

大井子は、だが春王の言葉になど、耳をかさなかった。いきなり近づきざま、その二の腕をむんずとつかんだ。

「おのれ、なにをするッ」

 満身の力をふりしぼって、春王はあばれた。地ひびきが立つ。かたわらの小家が震動する……。大井子はしかし、ビクともしない。春王をとってひきよせ、身をひるがえすと、あっというまもなくその背へおぶさってしまった。

「さ、歩きだしなさい」

「ちきしょう、おりろッ」

 ふりもぎろうといくら(たけ)っても、大井子は落ちない。あべこべにすごい力で、その両足は春王の腰をしめつけてきた。

「あッ、痛ッ、いたたたッ」

 思わず悲鳴をあげた。腰骨がくだけるかと思う(もも)の力である。

「前非を悔いた? けがさせた人、殺した人、迷惑のありったけをかけた世間さまに、心からわびる気持ちになった?」

「なったよ大井子、だからかんべんしてくれ、ゆるめてくれこの股を……」

 大井子は力をぬいた。観音さまの緊箍咒(きんそうじゅ)から、一ッ(とき)のがれた孫悟空にひとしい。

「やろうッ」

 すきをねらってまた、春王はふり落とそうとし、大井子の股はその腰を、ふたたび猛然としめつけてきた。

「ひゃァ、助けてくれッ、肉がちぎれる、腰骨が折れるッ、おれがわるかった、ゆるしてくれえ」

「本心ね?」

「しんそこ悔いた。誓うよ、誓うよッ」

 力はゆるんだ。春王はもう、抵抗しなかった。底しれない相手の力に、いまこそ一言もなく、屈服しきったのであった。

「では、もどりましょう、わが家へ……」

「このままそなたを、おぶってか?」

「お月さまがきれいねえ。琵琶湖のほとりは、なお、すてきでしょうよ。あなたの背中でお月見してゆくことにするわ」

 春王はうなだれた。

(女じゃない。おれの背中にのりかかり、首すじをしっかりおさえつけているのは、たぶん……たぶん、“運命”とかいうえたいの知れない怪物なんだろうな)

 青い月光の下を、彼はとぼとぼ歩きはじめた。

 

 

  猫をこわがる男

 

   1

 

 勝尾明神社(みょぅじんしゃ)の社司たちのあいだに、近ごろ、おかしな噂がささやかれだした。

禰宜(ねぎ)大中臣助友(おおなかとみすけとも)は、どうやら猫が苦手らしいぞ」

 でも、だれもがはじめのうちは、

「まさか」

 本気にしなかった。

「可愛らしい生きものじゃないか。猫の、どこがこわいのだろう」

「わからんさ。おれにも……。しかし中には、変わった人間もいるぜ。蛇、百足(むかで)(ひき)などを毛ぎらいするなら話はわかるが、蝶を気味わるがったり、流れる水に目まいを起こしたり、兎の耳の、長いのを見ただけで、ゾッと鳥肌立つという奇妙なやつも、ひろい世間にはいるくらいだからね」

「猫が、助友をひっかきでもしたのかな」

「なあに、ただニャゴウと鳴き鳴き、身体をすりつけていっただけさ。それなのに助友め、まっ青になってとびあがった」

「ほんとうか?」

「ほんとうとも。なんなら、ためしてみろよ」

 巫女溜(みこだま)りで飼っている『讃岐(さぬき)()』という(めす)猫を借りてきて、大中臣助友のそばへ放つと、あんのじょう、

「ぎゃッ」

 彼の口から悲鳴がほとばしった。

 顔色をかえ、ぶるぶる(ふる)えながら、それでも中腰になって猫とにらみ合っていたが、たちまち我慢が切れたのだろう、

「助けてくれえ」

 こけつまろびつ逃げ出してしまった。

「これは面白い。あんなやつにも、泣きどころがあったんだなあ」

 手をたたいて、人々はよろこんだ。

 神職にたずさわる者にあるまじき、助友は守銭奴(しゅせんど)であった。親ゆずりの田から()れるわずかな米を、知人友人に貸し廻って、倍にして返済させる……。

 ながいあいだに、そんなあこぎなやり方で万石(まんごく)もの米を貯えたので、世間の口は彼を『万石の助友』とよび、(つま)はじきして憎んでいたのだ。

「よし、()づらかかせてやれ」

というわけで、それからは悪戯(いたずら)好きの若い禰宜、(はふり)神人(じにん)など、すきさえあれば猫をけしかけて、助友の狼狽(ろうばい)ぶりに溜飲をさげるようになった。

 評判は、巫女たちのあいだにもすぐ、ひろまった。

「人は見かけによらないって、ほんとうね」

「こんどから『万石の助友』じゃなくて『猫()じの助友』ってよびましょうよ」

「それがいいわ」

 染め供御(くご)をつくりながら、巫女たちは笑いころげる……。洗米(せんまい)のひと粒ひと粒を青、赤、黄などに染めて、筒型にした生漉(きず)き紙のぐるりに貼りつけ、きまりの文様を浮き出たせる神饌(しんせん)の一種だ。

 うつむいて、巫女の左由良(さゆら)も、染め供御づくりに精出していたが、

{猫怖じの助友……? (おか)しいなあ}

 朋輩(ほうばい)たちの談笑に、ふっと、疑いを持った。

 彼女は助友を憎悪していた。恋人との仲を裂き、助友は強引に、左由良の姉を宿の妻にしながら、その妻が病死すると、まちかまえていたようにこんどは義妹の左由良に(いど)んだ。ゆだんを襲われて、左由良は男の力に屈した。十五にしかならない骨細な、小がらな身体は、相手の(たけ)りの意味を、とっさには理解できなかったほど、まだ幼かったのである。

 気性の勝った左由良は、しかしそれ以後は、二度と助友を許さなかった。おなじ(やしろ)に勤める身だし、杉、(ひのき)のおいしげった神域は、ひるまも薄ぐらく危険だったが、彼女はたえず男の動静に注意し、つけ入るすきを与えなかった。

 さすがに神のみそなわす浄地では、助友もはばかって、無謀なふるまいには出なかったけれども、

「男に汚されながら口をぬぐって、神前に奉仕しつづけるとはずぶとい女だ。大宮司(ぐうじ)に事実をばらすぞ」

 と、威嚇(いかく)した。清浄な処女(おとめ)であることが、巫女の資格の第一条件だったのだ。

「おお、どうとも言うがよい。(いつ)()を汚した男こそ、万石の助友ですと、私も大宮司に告げてやるから……」

 左由良は応酬し、けっして(ひる)みを見せなかった。それを憎んだ助友は、こんどは彼女の両親を責めて、うるさく貸し米の催促をはじめた。

 左由良の父は、()えた烏帽子(えぼし)によれよれの白水干(すいかん)……、(はかま)くくりを膝まであげて、寒中でも痩せ枯れた空脛(からすね)をむき出し、境内の落葉を掃いたり灯籠(とうろう)に油さして廻るしがない仕丁(しちょう)のひとりだ。母が病身なため生活はくるしく、米の返済はながびいていた。

婿舅(むこしゅうと)の義理も妻が生きていてこそだ。やもめになった今、そんな遠慮はなくなった。貸したものは返してもらおう」

 と、助友はいう。

「それがだめなら左由良を後添えに……」

 とも、あからさまに申し入れている。

 両親にすれば、亡くなった姉のあと釜に、妹むすめが坐るのを、あながち不都合とは思っていない。

「なぜ合点(がてん)できぬのじゃ、左由良よ」

 もどかしげにたずねるが、じつは彼女には、ひそかに想っている相手があった。小宮司をつとめる佐伯師純(さえきのもろずみ)である。

 位階を持ち、昇殿さえゆるされている貴族の子弟だから、彼女とは、身分がちがいすぎる。とげるあてのない片想いだとは、じゅうぶん承知していた。おくびにも、だから左由良は、想いを外にあらわさなかった。巫女仲間は知らない。当人の師純も、むろん気づいてはいない。鼻のきく助友すら、左由良の胸の内を()ぎつけてはいないのだ。

 神事の夜、燎火(にわび)の揺れに、若々しい束帯すがたを浮かびあがらせて、祝詞(のりと)をよむ師純のうしろで、倭琴(やまとごと)を弾き、(れい)をふり、神楽(かぐら)が舞える巫女づとめの、身のひきしまる充実感……。同じ神に共に仕えるよろこびに、さわやかに酔うだけで、左由良はまんぞくしていたのに、助友とのあいだにあやまちを犯してからは、そのよろこびに(かげ)がさすようになった。

 なにもかもを、見透(とお)しておいでの神のおん眼は、むしろ恐くはなかった。罰せられるべきは、助友の側ではないか。

 左由良が悲しんだのは、小宮司の明澄な挙措進退(きょそしんたい)に、ひけ目を隠しているおびえから、もはや気持ちの上で彼女一人が、ついてゆけなくなってしまったことだった。遠かった恋人とのへだたりが、さらにはるかなものになりはてたのを、左由良は感じ、

(おのれ、助友……)

 煮えたぎる思いに、歯をくいしばっていた昨日今日なのである。

 猫をこわがる男――。

 猫怖じの助友と、人々は笑うけれども、亡くなった左由良の姉は、生前、猫を飼っていた。助友もそのころは、平気で頭などなでてやっていたのを、左由良はおぼえている。

{なぜ急に、猫ぎらいになったのだろう}

 その疑問を、彼女は口にしてみた。

「そういえばずっと前、助友どのは昼()の残りを『讃岐の御』に食べさせていたことがあったわ」

 と、巫女の一人が言い出した。

 抱いた、じゃらしたなどと、つぎつぎに思い出して言う者があらわれ、こんどはだれもが、左由良と同じいぶかりを、やかましく話題にするようになった。

 

   2

 

 噂はすぐ、助友の耳にはいった。

「もっともな疑いだ。私自身、いままで何とも思わなかった猫が、なぜこの年になっていきなり、恐ろしくなったのか、ふしぎで仕方がないのだから……」

 そう前置きして、彼は禰宜仲間を相手に、つぎのような打ちあけ話をはじめた。それは、なんとも凄惨(せいさん)な、身の毛のよだつ見聞だった。

「半年ほど前だ。みなも知っての通り、私はすこし身体をこわし、大宮司に申し出て十日の休暇をもらった。紀州の温泉(いでゆ)に、ゆあみに出かけたのだよ」

 その、途中のことである。

 ある村里を通りぬけ、山路にかかってまもなく、助友は農民とみえる五、六人が、一枚の平板の上に何やら乗せて、こちらへ近づいてくるのに出遇った。

 道幅はせまい。やりすごすつもりでかたわらによけながら、見るとはなしに板の上に目をやって、彼は思わずあとずさった。まだ八ツか、九ツぐらいにしかならない切りさげ髪の少女と、その少女の身長とおなじくらいにみえる黒毛の大犬とが、組みちがうかたちで板に乗せられていたのだ。

 少女の口は犬の片耳を噛みきり、両手は犬ののど首をかたく緊めつけている。そして犬の口は、少女ののどを深く咬み裂いて、双方ともが血まみれのまま、すでに息絶えている様子だった。

 あまりのふしぎさ、少女と犬の形相(ぎょうそう)のすさまじさに、助友は行きすぎかねて、一行のあとについていま一度、里へひき返した。

 村道には、いつのまにか里人たちが大ぜい立ち群れてい、あきれ顔に、

「やはりやられた!」

「けっく、こうなる宿業だったのか」

 二つの死骸をとりかこんだ。うちの、一人の袖を引いて、

「どうしたわけです?」

 助友はたずねた。相手は首をふり、嘆息まじりに言った。

「前世は、(かたき)同士ででもあったのかなあ。この小娘は村長(むらおさ)の家の召し使い、犬は隣家の飼い犬だが、おたがいに嫌いあうこと、ひと通りではなかった。綱を放たれていれば、犬はつけ狙って娘に襲いかかろうとし、つながれているとみると娘は娘で、(がん)にかけて犬を(さいな)みぬいた」

 そのうちに少女が疫病にかかった。医者も匙をなげる重症だった。こんな場合、どこの主人もがするように、村長の家では少女に少量の食物を持たせて山の中に捨てた。他の召し使いへの感染をおそれたのである。

「おねがいです。どうぞ聞いてください」

 立ち去ろうとする主家の人々の(すそ)をとらえて、少女は哀願した。

「捨てられるのは恨みません。ただ、私が息をひきとるまで、犬を放さないでくれるように、隣の人にたのんでください。こうして身うごきもできずに草の上に打ち臥しているのを知れば、あいつはきっとやってきて私を咬み殺すでしょう。病死するのはいといませんが、あの犬にやられて死ぬのだけは、がまんできないのです」

 日ごろの仲の悪さを、主家の人々も知っているから、少女のたのみ通り隣家に申し入れて、犬を厳重につないでもらった。

 ところがその翌日、綱を咬み切って犬は姿をくらました。

「すわこそ!」

 と、村びとたちが棒ちぎれをつかんで、山へかけつけたときは遅かった。両者は死闘のあげく、血海の中にこと切れていたのである。

 

「なんという憎しみの深さだろう、犬と娘のあいだには、目に見えないどんな悪因縁が結ばれていたのだろうと、気味わるくなったけれども、なに、これだけならば旅の土産話にすぎなかったのさ」

 助友は語りついだ。

「紀州の温泉に着いて湯治(とうじ)しているうちに、行脚(あんぎゃ)の乞食坊主に()った。観相の術にたけているという。そいつが私の顔をつくづく見て『お前は前世、ねずみだった』というのだ」

 聞き手の禰宜たちは、ここで、いっせいに吹き出した。

「いや、笑いごとじゃないぜ」

 助友の表情は、しかし、深刻だった。

「お前はねずみだと言われてみると、どうも真実のように考えられてくる。小娘と犬の、あの容易ならない関係を思い出してみても、人間には、生まれながら相()れない仇敵(きゅうてき)というものがあるのかもしれないという気になる。……と、とたんだ。なにやらおれは、猫が恐ろしくてたまらなくなった」

「はははは」

「笑いごとじゃないってば……。おぬしらにはわからないのだ。自分をどう、はげましてみても、猫への恐怖がとりのぞけない苦しさ……。つくづくあの乞食坊主がうらめしいよ」

 ばかげた妄想だ、湯治に行って、かえって脳をこわして来おったと、(そし)る者がいる。いやいや、あんがい世の中には、そんなふしぎもあるかもしれぬと、助友の述懐に共鳴する者もいる。

「毛虫がこわいところをみると、おれは前の世で、桜の葉っぱだったのかな」

 などと、しばらくは神社じゅうが、この話で持ちきったが、やがて申し合わせでもしたようにぴたッと、だれもが猫とも、助友とも言わなくなった。それどころではない災難が、とつぜん、神官たちの身の上に、ふりかかってきたのだ。

 いきなり、ある日、検非違使(けびいし)庁から召し捕りの役人がのりこんできて、境内をくまなく捜査した上、大宮司、小宮司をはじめ、おもだった神官を一網打尽に、つれ去っていってしまったのである。

 

   3

 

 勝尾明神社は京都の西郊に位置し、(たた)りするどい荒神(こうじん)ということで、洛中(らくちゅう)の人々の畏敬(いけい)をあつめていた。

 その奥宮に人形(ひとがた)を立て、神職たちは呪誼(じゅそ)の祈祷をおこなった。(のろ)った相手は関白と、いま堂上に勢力を持つ関白の一族。呪術を依頼したのは彼らとは、政敵の立場にある某有力公卿というのが、逮捕の理由だった。

 身におぼえのない濡れぎぬだ。

 老大宮司は、必死になって弁疏(べんそ)したが、じきじき取り調べにあたった検非違使別当(べっとう)は、

「うごかぬ証拠がある」

 と、あとにひかなかった。

「庁に投げこまれた落とし(ぶみ)にしたがって、走り下部(しもべ)、放免らを神域にはなち、密々、探索させたところ、奥宮の(ほこら)のうちより毎夜、怪しい灯火が()れ、祈祷の声が聞こえたばかりか、召し捕りの当日ふみこんで祠を調べた廷尉(ていじょう)の手で、呪法に使う品々まで押収された。のっぴきならぬ証拠――。この上はすなおに、事実をみとめたがよかろう」

 胸に釘を打たれた人形(ひとがた)(ぬさ)、灯明皿、生きながら蠑螈(いもり)を封じこめた壺など、ぶきみな法具をつきつけられても、知らぬものは知らぬと言い張るほかない。

 別当は業を煮やして、

看督(かど)(おさ)に命じ、拷器(ごうき)にかけても白状させるぞ」

 と息まいた。

 さすがに身分をはばかって、大宮司、小宮司には手を出さないが、下っぱの禰宜、(はふり)らから、まず責め問うてみようということになったのを、放免の一人が聞きつけて、耳よりな進言をした。

「猫怖じの助友と仇名されている男が、禰宜の中にいるそうです。猫を使って、まず、この男の口から割らせてみてはいかがでしょうか」

「よし、ためしてみろ」

 さっそくあちこちから、猫が集められたが、効果は、なるほどてきめんだった。

 素裸にされ、全身にまたたびの粉をなすりつけられて、大猫が十匹も待機する小部屋に閉じこめられるといなや、助友は殺されそうな声をあげ、

「申します申します。なにもかも逐一、申しあげますから、どうぞ外へ出してくださいッ」

 板戸を叩いて号泣したあげく、

「某公に依頼され、神宮一同、関白家呪誼の秘法をおこなったに相違ありません」

 すらすら白状してしまった。

 抗弁は、もはやきかない。

 罪が決定し、大宮司は隠岐(おき)へ、小宮司の佐伯師純は、佐渡島へ配流(はいる)された。

 禁獄、追放など、以下の神官もそれぞれ処罰されたなかで、大中臣助友ひとりは、

「猫におどされて口を割るとは可笑(おか)しなやつ。手間ひまかけずに事を落着させた功に免じて、連坐(れんざ)の罪はゆるしてやれ」

 関白家の鶴の一声で赦免となった。

 

 いそいそ、助友は自宅へもどってきたが、思いがけず待っていたのは、巫女の左由良であった。

「ごめんなさいね」

 恥ずかしそうに、彼女は言った。

「いままで、私はかたくなでしたわ。どうか亡き姉と同じように、これからはいとしんでくださいましね」

「ほうほうほう。この固い木の実は、やっと熟したな」

 風向きの、とんとん拍子の変わりように、助友はすっかりやにさがった。そしていつとはなしに気をゆるして、左由良がおずおず飼いはじめた猫にも、さほど注意をはらわなくなった。

 彼の役割は終わったのだ。面倒な『猫怖じ』の仮面など、いつまでもかぶっている必要はなかったのである。

 助友のこの、態度の変化を、左由良はじっと、観察しつづけた。

 共棲みの二年間――。

 もういくら、猫が近づいても、いっこうに助友が、こわがらなくなるまで見とどけたあげく、忠実な召し使いを幾人も証人に立てて、

「いま一度、勝尾明神社の呪詛事件、調べ直しをねがいます」

 と、要路に訴えて出たのであった。

 政局は、二年前とはちがってきていた。

 天皇が交代し、官界の情勢は、そのころ、大きく逆転しつつあった。関白家の一族は、先帝時代の権勢をうしない、かわって、敵対関係にあった某公卿とその一派が、ぐんぐん廟堂(びょうどう)に、勢力をのばしはじめてきていたのである。

 検非違使別当も更迭(こうてつ)した。新別当は左由良の訴えをとりあげ、ふたたび助友を逮捕して、こんどは本ものの拷器にかけた。

「く、くるしい。(むち)をとめてくれ。(かせ)を、ゆ、ゆるめてくれい」

 苦痛にたえかねて、助友はついに、(たくら)みのいっさいを白状に及んだ。政敵を()落とすため、罪もない神宮たちを巻きぞえにしてまで、呪誼事件をでっちあげた張本人――関白家の人々の名を、片はしから並べあげて、

「片手落ちをするなよ。黒幕はこいつらなんだ。おれはほんの手先にすぎない。罰するなら忘れずに、大物のほうこそ罰してくれよ」

 わめきたてた。

 それにしても、利にさとい『万石の助友』を、褒美(ほうび)の金銀で釣り、ふだん人の行かない奥宮の祠の中に、あやしげな呪法の品を置かせたばかりか、半年も前から『猫怖じ』の演技をさせて、まんまと偽りの自白にまで持ちこませた関白家派の周到さ、根気のよさに、あらためてだれもが眼をみはった。

 二ヵ月のあいだ、助友は北堀川の獄屋(ひとや)につながれていたが、性のわるい牢湿(ろうしつ)に身体中をむしばまれ、斬罪をまたずに獄死した。

 配所へは、赦免の使がさしたてられた。

 老大宮司は、しかし隠岐で病没し、天下晴れて都へ帰ってきたのは、小宮司の佐伯師純ひとりであった。

「あなたの冤罪(えんざい)がはれたのは、助友の後添えになった左由良が、夫を訴えたからなのですよ」

 と、赦免使に、師純は告げられた。

「ひとこと、礼を言いたい……」

 つれそう夫を罪に落としてまで、なぜ、自分たちを救ってくれたのか、その理由を聞きたかった。

 左由良はだが、師純の帰洛と入れちがいに、都から姿を消していた。さがしても、さがしても、それっきり、とうとう行くえはわからなかった。

「なぜだ、なぜ、いなくなったのだ左由良」

 師純はつぶやいた。

 おぼろげな記憶の底から、彼はかろうじて、愛らしく悧発(りはつ)そうな、一人の巫女の面輪(おもわ)をよみがえらせたが、その内奥(ないおう)にひそむ女ごころにまでは、ついに一生、理解はとどかずに終わってしまった。

 

 

  蘆刈りの唄

 

   1

 

 狛直方(こまのなおかた)は、宮中の楽所(がくしょ)に所属する伶人(れいじん)である。笛、(しょう)、琴、琵琶(びわ)、それに舞まで、いちおうはくろうとの水準に達しているけれども、特になにか、ぬきん出た(わざ)があるかといえば、それはなかった。

 まじめで、気だてはおとなしく、口べた、社交べたなため、楽所でも目だつ存在とはいえない。上司にも同僚にも、かくべつ憎まれもしないかわりに、目をかけられ、可愛がられて、出世してゆく型からは遠い。

 よく見れば、顔だちはわるくない。(しま)った、なかなか(りん)とした風貌(ふうぼう)なのだが、(つぼね)歩きをするわけではなく、たまになまめいた歌など渡されても、どぎまぎして、返歌もできない無器用さだから、ことし、二十四という若ざかりのくせに、女とのうわささえ、ろくに立たない男なのである。

 ――そんな直方が恋をした。

 しかも相手は、()りに選って、ひとの家の畑仕事、(くりや)仕事に追い使われている(はした)であった。

 そのころ直方は、軽い(おこり)を病んで、半月ほど勤めを休んだ。そしてちょうど、近所にすむ虫麿(むしまろ)という扇折り職人が、有馬の温泉へ出かけるのに同行して、保養がてらの湯治(とうじ)をたのしんだが、恋の相手には、この、有馬からの帰り道、摂津(せっつ)の国、生瀬(なませ)の里のはずれで、はじめて逢ったのである。

 秋の気配が濃くなりだした七月末だが、日中まだ日ざしがつよく、だいぶ軽快したとはいっても、病みあがりの直方には、道中がつらかった。

「だいじょうぶかね? すこしそこの木かげで休んでいこうか」

 虫麿はいたわってくれた。

 大きな(えんじゅ)が枝をひろげ、道ばたに涼しげな蔭をつくっている。そのしたに腰をおろして、竹筒の水を分けあって飲むうち、

「なんだろう直方さん、へんな声が聞こえるじゃないか」

「女の、うめき声のようですね」

 二人は異常に気づいた。

 かたわらの、桑畑の中だった。踏みこんでみるとあんのじょう、桑つみ娘であろう、(かご)を背に負った十六、七の少女が、土にうずくまってみぞおちのあたりをおさえていた。

「腹痛かね?」

 虫麿が声をかけた。

「はい……」

 ふり仰いだ顔には、いちめん油汗がにじんで、死人さながら、血の色がまったくない。

「こりゃひどそうだ。直方さんなんぞ薬の持ち合わせはないか」

「あります」

 肩荷をほどいて丸薬をとり出し、竹筒といっしょに娘に渡した。

「申しわけございません」

 おしいただいて口へ入れる手が、痛々しいほどふるえている。直方はにじり寄って娘の背中を押してやった。胃が痛むときそうすると、ふしぎなほどらくになるのを、直方は知っていたのである。

比左女(ひさめ)ッ、比左女はどこだッ」

 畦道をこのとき、わめき声が近づいてきた。粗末な麻の労働着を通して、直方の手に、ぶるッと娘の戦慄(せんりつ)がつたわった。

「ここだよ、娘さんならここにいるよ」

 虫麿が応じた。

「なんだお前ら、どこの者だ」

 畑の持ち主にちがいない。(むち)がわりのつもりか、片手に弓の折れをにぎった、見るからに憎々しい(ひげ)男だ。

「どこの者でもない。通りがかった旅びとさ。この娘さんが腹痛を起こしていたので、いま、薬を飲ませたところだよ」

 礼をいうと思いのほか、男はにがりきった仏頂づらで、

「ちッ、またぞろ病気か」

 舌を鳴らした。

「役立たずめ、()()めるの腹をこわしたのと、年がら年じゅう弱音ばかり吐きおって、ひとの半分も仕事をしくさらぬ。――さあ、とっとと桑の葉をはこばんかい」

 娘を追いたてたあと、聞こえよがしに、

「金で買った(はした)を姫さまあつかいしていたら、こちとらの(あご)()あがるわ」

 うそぶき散らして去ってしまった。

「無慈悲なやつだなあ。田舎地主には、えてあんなのが多いんだ。あの娘もかわいそうに、病身そうだが、ろくに食い物ももらってはいまい」

 虫麿の同情も、しかしそこまでで終わりらしい。けろッと気をかえて、

「とんだひまをつぶした。――行こうぜ直方さん」

 先を急ぎはじめ、やがてそのままつれだって、京都四条の自宅へ帰ってきてしまったけれども、直方の、比左女に対する感情は、もうとても、そんな通り一辺の、行きずりなものではなくなっていた。

 彼は娘が、(いと)しくてならなかった。あの年ごろにしては肉づきが薄く、骨ぐみなども驚くほど華奢(きゃしゃ)だったが、身分の卑しさに似合わない気品が、身体ぜんたいから匂い立っていたし、女らしい血のあたたかみも、ほんのりと手に感じられた。心より先に触覚が、魅せられてしまったのだといえるかもしれない。

 母や乳人(うば)の思い出は、直方の記憶に残っていない。じつをあかせば女の肌に、衣服をへだててでも手をふれた経験など、生まれてはじめての直方なのである。ふだんの彼なら、できっこはない行為だ。それがあの、比左女にかぎって何のためらいもなく触れられ、触れた瞬間、(さき)の世からの約束ででもあったように、すうっと脈博がひとつに溶け合って、なんともいえない安らぎに(ひた)れた。恍惚とさえなったのだ。

「恋と、これをいうのだろうか」

 直方には判断がつかない。ただ、比左女を、むざんな境遇から救い出したい、そばに置いて、いとしんでくらしたいと、()かれたように願望しただけだ。

 さいわい彼には、故障を言い立てる親兄弟、親戚など一人もなかった。日ごろ、したしくしている虫麿にさえだまって、直方はいま一度、摂津にくだり、因業(いんごう)(やと)い主に会って、

「比左女をゆずってください」

 交渉した。

 足もとにつけこんで、髭男は法外な値を吹きかけた 。それはとうてい、直方の手に負える値段ではなかった。

 

   2

 

 彼はしかし、くじけなかった。

 親からゆずられたたった一つの財産である住居を、人に売り、たりないぶんは楽所の同僚三人にたのんで借金してまで、砂金十両という傭い主の要求を通した。

 虚弱な比左女の体質に、業を煮やしつづけていた髭男は、買い値より高く彼女を売り渡せたことに、内心ほくほくしていながら、いざ、つれて出るときには渋面つくって、いかにも惜しそうに比左女と直方を送り出した。

「ありがとうございます。おかげで地獄から救われました」

 泣いてよろこぶ娘を見ると、

(十両ぐらい何だ。借金がなんだ)

 苦にならないどころか、むしろ砂金ひと袋が、生き身の女に変わったふしぎさに、直方は呆然とするのである。

(買える相手だからこそ、とげられた恋なのだ)

 ありがたかった。運がよかったとさえ、彼は思った。

 虫麿は眼をむいた。宮中での、伶人の身分は低い。俸給は多くはない。しかし天皇、皇族はじめ、公卿、殿上人の面前に出て仕事をする特殊な技能の持ち主である。市井の職人、労働者などとは、世間も、同列には見ていない。

「それに直方さんの男ぶりなら、もうちっとましなところから縁の話もあろうじゃないか。なにも好きこのんで、(はした)奉公の女などを、借金してまで引っぱってくることはあるまいになあ」

 こっそり、妻にだけは(そし)って言った。

 ――比左女をつれて帰洛したものの、住む場所に、直方はさっそく困った。

「わしの家でよかったら、きていいよ」

 虫麿が助け舟を出してくれた。一介の扇折りだが、虫麿は職人を四人も使い、大きな仕事場、間かずの多い家、妻子眷族(けんぞく)をたくさんかかえて、毎日をにぎやかに、食うにはもちろん、事欠かずにくらしている男であった。

 ()いている西のはじの部屋を、厚意に甘えて直方は借り、比左女とつつましい新世帯を持った。

「私にも、こんな日がめぐってきたのか」

 信じがたい思いでつぶやくほどに、毎日が直方は幸福だった。ぜいたくはできない。でも、人なみに食べさせ、着せているうちに、土中に埋もれていた白珠が、研磨師の手に渡って光芒(こうぼう)を放ちはじめるように、比左女の天性の美しさは、めきめき磨きだされてきた。彼女自身は人がほめるほど、それを自覚していない。誇り顔も、だから当然、しようとしない。

 なによりは性質が温順なのだ。じつは没落した、ある富農の娘だったのである。父母の死後、田畑を親類の者に横領されたあげく、人買いの手に渡って(はした)の身分に()ちたのだが、その悲境から救い出してくれた直方を、たんに夫とだけ思うことはできないらしい。

「一生の恩人……」

 口にこそ出さないけれど、感謝を身体中にあらわして、慕い、(すが)ってくる様子は、いじらしいばかりだった。

「いやあ見そこなった。顔だちといい気だてといい、比左女さんは掘り出し物だよ。砂金十両でも安かった。どうしてどうして直方さん、あれであんがい目がたかいや。すみにおけない眼力だぜ」

 自分の妻に、やがては虫麿も訂正して言うようになった。

 (そち)の宮から調律を依頼され、楽所の楽器置場の戸棚に、大切に保管してあった高麗(こま)笛が、なに者かに盗まれて消えうせたのは、そんなさなかだった。

 この夜、(じん)宿直(とのい)に詰めていた不運から、直方にまず、嫌疑がかかった。責任を問われ、追求されたのだといってもよい。

 どう、(ただ)されても、しかし覚えのないことは、知らぬと言い張るほかなかった。

 紛失した高麗笛は(とう)から舶載された高価な名器で、その価値は伶人がいちばん知っている。いっさい他の、楽器類には手をつけず、荒らしもせずに、高麗笛の戸棚だけを狙った点も、内部の事情にあかるい者の仕業(しわざ)とみえた。

 調べてゆくうちに、同僚三人に、直方が少なからぬ借金をしていることもわかって、立場はますます不利になった。好事家(こうずか)にたのまれて、金ほしさに盗み出したのではないかと、上司にあたる楽所の預りは疑った。

 帥の宮の意見もあり、事件はだが、外部には伏せられて、楽所の中だけで処理された。

 直方の住居(すまい)――虫麿の家の一室を、床板まではがして捜しても、笛は出ない。直方自身の身がらを内密に帥の宮の屋敷に移して、侍たちの手で拷問させもしたが、

「ぞんじません、宿直(とのい)しながら大切なお品を賊にうばわれた責めは、私にございます。そのための罰ならば極刑もいといはしませんけれども、盗人の汚名だけは承伏しかねます。まったく身におぼえのないことでございますッ」

 彼は白状しなかった。

「強情なやつ……」

 うしろ手にしばった両腕のあいだへ、棒をさし込んで、骨にひび

がはいるまでねじあげた。背中が血みどろになっても、打ちすえる皮鞭の手を休めなかった。苦痛に耐えかねて幾度も気を失いながら、しかし直方は、犯行を否認しつづけた。

 上司は、あぐねた。はっきりした証拠もないまま、結局、宿直としての責任だけを負わせて、彼を楽所から追放したのであった。

 

   3

 

「ざんねんだ。賊はかならず仲間のなかにいるはずなのに、その糺明(きゅうめい)もせず、私ひとりにあさましい疑いをかけるとは…… 」

 男泣きする直方の背を、やはり涙で頬をぬらしながら、桑畑で、あの日、自分がされたように、比左女はただ、せいいっぱいの愛情をこめて撫でさするほかなかった。

 同僚三人からの多額の借りが、疑惑の根になってい、その借りは、彼女自身を買い取るために、直方がつくったものなのだと思うと、比左女はすまなさに胸が凍った。

 ……生活は、みるみる窮迫した。

 直方は衰弱して寝たきりになったが、回復してももとの身体にもどることは不可能だった。なさけ容赦のない拷問の結果、左腕が、常人の半分も曲がらなくなってしまったのである。

「あんたたちの口すぎぐらい、私がまかなってあげるとも。家族のつもりでいていいのだよ」

 虫麿の善意によりかかって、しかし夫婦二人、いつまで居候しているのも心ぐるしい。

 楽器を鳴らし、舞を舞い、唱歌するほかの能力を、直方は持たない男だし、不具になっては、まして肉体労働などむりだった。

 比左女は女房づとめの口をさがしてきた。

「身体を使っての仕事には、私のほうが慣れています。なんの、お屋敷奉公など、むかしのくるしさにくらべれば、極楽でしょうよ」

 大納言藤原行成の邸宅――。

 その北ノ方のそば近くつかえる青女房(あおにょうぼう)の一人に、比左女は採用されたのだ。

「月に一度はおひまをいただいて、かならず帰ってまいります。あなたもどうぞ、訪ねてきてくださいね」

 言い置いて、大納言邸へ移って行ったが、約束通りには、なかなかもどってこられなかったし、直方のほうも人目がはばかられて、妻の曹司(ぞうし)まで忍んでゆく勇気は出ない。

『でも女房たちはだれでも、夫や愛人を(つぼね)にひき入れて夜をすごしています』

 手紙のはしに、邸内の略図まで描いて比左女はうながしてくる。逢いたかった。

 はなればなれにくらしはじめて、すでに二ヵ月ちかくになる。

 とうとう、たまらなくなって、直方はある雨の夜、大納言の屋敷に出かけていった。

 男たちが利用するという築地(ついじ)の崩れから、図が教えるとおり彼も邸内へはいって、菜園をぬけ庭をよこぎり、前栽(せんざい)のささ流れを(まわ)りこんで比左女の部屋のそばに出た。

 ()り戸をすこしあけてのぞいたが、まだ退(さが)っていないとみえて、なかは暗い。しかたなく軒の雨だれを避けながら、中門廊の(きざはし)のわきにたたずんでいるうちに、北の(たい)渡殿(わたどの)をもつれ合って、人が二人、走り出てきた。

 男と女である。ふり切って逃げる女を、男が追っているらしい。

「いけませんッ、お離しあそばせ少将さま」

 比左女の声だ。直方は息をのんだ。

「何度も申しあげたはずです。わたしには夫がございますッ」

「あってもよい。たとえそなたが(みかど)女御(にょご)であろうと、これほどまで思いこんだ恋、とげずにはおかぬ」

 その声を、大納言家の次男、左近少将行径と知った瞬間、直方は気力のすべてを失って、ぬかるみの中へ膝をついた。

「いえ、いえ、いけません」

 比左女は必死にあらがっていた。

「夫を持つ身にいどむなど、ご無体というものです」

「いいや、私は真剣だ。夫がのぞむなら、男らしく剣に訴えてもよい。頭をさげろというなら、地べたに額をこすりつけてもかまわない。そなたが欲しい。誇りに()え、名に代えてもそなたを自分のものにしたい」

「お離しなさらなければ人をよびます。声をたてますが、ようございますか?」

 さすがに(ひる)んだすきをついて、比左女は相手の手をふり切り、夫がひそむ廊の上を、それともしらず走りぬけると、自室にとびこんで掛け金を内から閉めた。

「あんまりだ。あまりといえば冷たい。あけてくれ、せめて話だけでも聞いてくれ」

 あたりの耳を気にしながらも、低く、さけびつづける行径の声に、うそでは出ない涙がまじっているのを、直方は聞き、自由のきく右腕を目にあてて、これも懸命にこみ上げてくる嗚咽(おえつ)をこらえた。

 

『私のことは忘れて、自分自身の幸せをつかんでほしい。いまはもう、それだけが、ただ一つの願いだよ比左女』

 妻にあてて一通――。虫麿へも、世話になった礼手紙を残して、直方はまもなく行くえ知れずになった。

 八方、手をつくして探したけれども、消息は不明のまま年月がたってゆき、今は、

「死んだのだ。それにきまっている……」

 あきらめて、虫麿も手を引いた。

 親木をうしなった(つた)かずらにひとしい。

 二年後、辛抱づよく待っていた行径の腕に、比左女はついに抱かれた。

 正妻に準じるあつかいを受け、少将どのの想い(びと)とうやまわれ羨まれる華やぎの中に、身を置ききながら、しかし一日として、彼女は直方の上を思いやらない日はなかった。

(ほんとうに死んでおしまいになったのだろうか。……どこかで、生きておられるのではないか)

 住吉(もう)でを思い立って、はるばる出かけた車の中でも、摂津の生瀬から、夢のようなよろこびに酔って、直方とともに上京した旅の日の記憶ばかりがよみがえった。

「ちと、景色でもごらんあそばしませ。難波(なにわ)の入江にさしかかりました」

 ふさぎがちなのを見かねたのか、同乗していた女房の一人が、物見窓の外をさしてうながした。

「あれあれ、蘆刈(あしか)りたちが、(すね)まで水に漬かりながら蘆を刈り取っております」

 男ばかりであった。(うめ)きに似たひくい声で、蘆刈りたちは何やら唄をうたっていた。淋しい陰欝な節まわしであった。

 車をとめさせて、比左女はしばらくその光景を見入っていたが、ふと、うちの一人に目を()えると、

「ああッ」

 いきなり、顔色を変えた。

「どうなさいました?」

「あの人を…… あの蘆刈りをよんでください。ここへ……この、車のそばへ……」

 侍がかけてゆき、岸に立って男を招いた。

 左手をぎごちなく腰に回して鎌をはさみ、男はいぶかしげな顔で岸に上がると、侍の背について歩きかけた。

 ほんの二、三歩で、しかしその足はとまった。こけた頬、おちくぼんだ眼……。やつれきってはいても、男は直方にまぎれもなかった。女車を見、前後にしたがう行列を目にして、彼の直感は、待つ相手を、とっさに(さと)ったらしい。たちまち横へとんで、姿は蘆原のかなたに()き消えてしまった。

「こら、どこへゆくッ、なぜ逃げるッ」

 追おうとする侍を、

「いいのです。もう…… いいのです」

 比左女は制止し、(たもと)を噛んで、そのまま(すだれ)のかげへ泣き倒れた。

 蘆刈りたちの唄は、重く、にぶく、つづいていたが、よく聞くとそれは、

 

  月のおもてを、さ渡る雲の、

  まさやけく見ゆる、秋なれば……

 

 一節だけの、単調なくり返しにすぎなかった。

 ただ一人、欠けている声を――直方の声を、比左女の耳は幻聴の中で(とら)え、いつのまにかくちびるは、嗚咽(おえつ)とともにきれぎれに、同じ旋律を追っていた。

 

 

  釜の湯地蔵譚

 

   1

 

 朝からうろうろ、湯にはいったり出てみたり、巨勢(こせ)大笠(おおかさ)は落ちつかなかった。

(いよいよ今日、小笠(こがさ)のやつが、地蔵さまになりすまして、やってくるぞ)

 そう思うと、ちょっと可笑(おか)しいやら心配やら、なんとなくじっとしていられないのであった。

 大笠と小笠は、兄弟分のコソ泥である。

 村から村へ、旅かせぎの泥棒行脚(あんぎゃ)をつづけて、(こし)の国まできたのだが、ここで耳よりなうわさを聞きこんだ。地獄谷の、釜の湯の評判だ。

「名前はおっかねえけど、熱い、まっ白な硫黄(いおう)泉が、ぷくりぷくり湧いている湯治場(とうじば)でね、このあたりの者は身体をわるくするてえと、みんな煮炊きの道具を持って、釜の湯へへえりにゆくんだよ」

 と、里の者は言うのであった。

 なんでもむかしむかし、脚を折った鷺だの矢きずを負った鹿だのが、沐浴(ゆあみ)しに集まってくるのを見て、廻国修行中のえらい(ひじり)さまが、その薬効を発見したとかいう霊泉なのだそうである。

「ひとかせぎ、やらかそうじゃねえか。え? 小笠。釜の湯とやらへ乗りこんでよう」

大笠は、弟分に相談を持ちかけた。

「なにか、もくろみがあるのかね?」

「あるから言うんだ。おめえ、お地蔵さまに化けてみろ」

「あの、くりくり頭で、錫杖(しゃくじょう)ついている地蔵菩薩かい?」

「そうだよ」

「よせやい。坊主になんぞされてたまるかい」

なりはそのまんまでいいんだよ。まあ耳を貸せったら……」

 大笠はひそひそ、小笠に一策をさずけた。

 そして三日前、ひと足先に釜の湯へやってくると、

「あーあ、くたびれた。ちっとのあいだ横にでもなるかな」

 ごろと、手枕でうたた寝したあげく、目をこすりこすりやがて起きて、

「いま、奇妙な夢を見ましたぜ」

 そばにいる湯治客に、手あたりしだい話しかけたのだ。

「へええ、どんな夢かね?」

 と、退屈しているさいちゅうだ。寝そべったり、雑談したりしていた連中が、みんな大笠のそばへ寄ってきた。

「とろとろッとしたと思ったらね、夢の中に、すてきもなくこうごうしい、頭から後光(ごこう)のさしている人があらわれてね『われこそは、地蔵菩薩であるぞよ』って、おっしゃるんでさあ」

「なんじゃあ? おぬしの夢に、お地蔵さまがあらわれたと?」

「ええ。『釜の湯に集まる病者どもに、結縁(けちえん)してとらせたい。いまから三日のち、(しょう)(うま)(こく)に、人間の姿をかりて出現しようぞ』と言われるのでね『いったい、どんなかっこうで来られるのですか』って、あっしゃあ()いてみたんですよ」

「ふんふん」

「そしたら『紺の綿入れの水干に、侍烏帽子(さむらいえぼし)。鹿の毛の行縢(むかばき)をはき、弓矢を手にした二十二、三の若者になって行くだろう。そういうなりをした者が湯治場にあらわれたら、この地蔵と思えよ。ゆめゆめ疑うことなかれ』って、なんともいえねえ尊いお声でおっしゃったとたん、スーッとお姿が消えて、目がさめたわけでさあ」

「ひゃあ、そりゃおどろいたこんだのう」

 とみんな顔を見合せた。

 今は、冬の農閑期――。泊まりがけで入湯にきているのは、ほとんどが近くの淳朴なお百姓たちである。

「そういえばここは地獄谷の釜の湯……。地蔵さまちゅう仏さまは、地獄に()ちた人間どもを救うて、極楽往生させてくださるおかたじゃげな」

「わしらみな、けが人か(やまい)持ちじゃ。それを哀れんで助けにきてくださるおつもりじゃあるまいか」

 手もなくコロッと、だまされてしまった。

「まあ、お待ちなせえ。夢は五臓の疲れなどといいますからね。あんまりみなさん雲をつかむような夢物語など、本気にしねえでくだせえよ」

 わざと大笠はそのとき気の無い顔をしてみせたのだが……。

 今日が、いよいよ約束の三日目――。

 あらかじめ打ち合わせてある(しょう)(うま)の刻に、もはや間もない。

 小笠を地蔵さまに仕立てて乗りこませ、口から出まかせをならべさせてお百姓連中をけむに巻いたあげく、賽銭(さいせん)や供え物をごってりせしめて、ドロンしてしまおうというのが、大笠の考えついた悪だくみなのであった。

 内心、そわそわしながら、しかし表づらはあくまで落ちつきはらって、湯治宿の炉ばたで大笠が、ひる飯をかきこんでいるところへ、

「たいへんじゃあ」

 わめきたてる声がきこえた。

「みなの衆、来てみろよう。地蔵さまがほんとにござらっしゃったぞう」

 大笠は、ほくそえんだ。

(やってきたな、小笠め)

 彼は、だが、

「ほ、ほ、ほんとかあ」

 びっくりして外へ飛び出した人々の、あとにつづいて、自分もいかにも肝をつぶしたといわんばかりな顔を作りながら、

「どこだどこだ、地蔵さまはどこだ」

 かけ出した。

 釜の湯をぬけて、越後の国府へ達する一本道……。

 なるほどその、谷底のうねうね道を、紺の水干(すいかん)、侍烏帽子、鹿の行縢(むかばき)をつけた若者が、すたすたこちらへやってくる。手に弓矢を持っているところまで、地蔵菩薩のお告げそのままだ。

「やれ、ありがたや」

「お迎えにゆけ、それゆけッ」

 とばかり、若者めがけて湯治客は殺到した。

 釜の湯は、野天風呂(ぶろ)である。もうもうと()きあがる湯気の中から、すっ裸のまんま飛び出して、走りはじめた男や女もいる。

 いそいで大笠も近づいたが、

「あれれ?」

 相手の顔をひと目見るなり、棒を呑んだように立ちどまってしまった。服装はまぎれもなく、しめし合わせた通りなのに、かんじんの若者が、仲間の小笠とは、似ても似つかぬ別人だったのだから、むりもない。

 

   2

 

 いきなりわッと、裸ン坊までまじえた湯治客にとりかこまれて、仰天したのはその、若者である。

「なむ、地蔵大菩薩さま」

 ひざまずかれても、おがまれても、なにがなんだか、いっこうにわけがわからない。

「どうしたのですみなさん。私は国府までゆく旅人です。田辺(たなべ)真人(まひと)という者ですが……」

「お地蔵さま、おとぼけなされてはいけませぬ。ま、ま、こちらにご鎮座あそばしてくださりませ」

 湯宿(ゆやど)の中へ、むりやり招じ入れられのを、大笠は横目ににらんで、

「ちえッ」

 舌打ちした。手ちがいが起こったにきまっている。

「小笠め、なにをしていやがるんだろう」

 みんなとはあべこべに宿を出て、街道すじを見張っているうちに、

「きたッ」

 やっとこさ、相棒の小笠があらわれたが、どうしたことか、荷運び馬の背に米俵といっしょにおぶさって、海鼠(なまこ)さながらグニャグニャ揺られてくるではないか。

「このばか野郎、なにをぐずついていやがったんだ」

 鞍脇へ寄って行って、大笠は腹だちまぎれに、小笠を馬からひきずりおろした。

「いてててて」

 と、小笠は悲鳴をあげた。

 馬子はそのまま、

「はいよ。おさきに……」

 馬を()いて行ってしまう。

「痛いとは、どこがいったい痛いんだよッ」

「足だよほら……。朝がた、ゆんべ泊まった辻堂を出ようとして、釘をふみ抜いちまったんだ」

 右足だ。ぎりぎりしばったぼろ布に、なるほど血がにじんでいる。

「それで(しょう)(うま)の刻の約束が、こんなに遅れちまったのか」

「ごめんよ兄貴。なんしろ痛くて歩けやしねえ。馬に乗っけてもらってここまでくるあいだも、ウンウン唸り通していたんだぜ」

「まぬけめ。ドジをふみやがったおかげで、とんだ番狂わせが起こっちまったぞ」

 偶然にしても、まったく呆れかえった一致だが、そっくりそのまま同じなり、同じ年ごろの若者が先にきたために、お百姓連中はてんからその男を、地蔵菩薩と信じこんで、

「いま、下にも置かねえちやほやの、まっさいちゅうなんだよう」

 と、いまいましげにかたる大笠の言葉に、

「へーッ、おったまげたなあ」

 小笠もあんぐり、口をあけた。

 しかたがない。彼は肩荷の中から別の衣類を出して着かえ、びっこをひきひき大笠の背について、湯治宿へはいっていった。

 中はえらいさわぎだった。

 いっさい弁明に耳をかさなかったらしく、人々は田辺の真人(まひと)と名乗る若者を炉部屋の正面に据え、その頭上に注連縄(しめなわ)、膝さきに香や花を供えて、すっかり地蔵さまにまつりあげ、

「お助けくだされ。脚気がひどうて、畑仕事も思うにまかせませぬのじゃ」

「わしゃ、()が病{や}めるのでござります」

「この子の(かさ)が三年越し、(なお)る気配も見せませぬでなあ」

 あらそって願いごとを、訴えているのであった。

 困りきりながらも、気だてのやさしい若者とみえて、真人は脚気の老人の足を、

「どれどれここですか?」

 なでたり、さすったりしてやったが、なにしろしんそこ地蔵さまと信じこんでいる相手だから、指がふれただけで、

「うう、もったいない」

 びりりと(ふる)えて、(やまい)は気からのことわざにたがわず、たちまち気分だけで痛みが軽くなってしまったし、がんこな頭痛に悩まされていた婆さまは、

「きのどくに……。なんとかすこしでも、よくなるといいのですがね」

 自信なさそうに言いながら、それでも真人が一心こめて、その頭をもみほぐすうちに、

「おうおう、ありがたや。痛みがすっきり、とれましたぞ」

 さけびだしたのだから、気というものは恐ろしい。

 (かさ)に苦しむ十二、三歳の男の子は、これはいかになんでも、急に癒るわけはない。でも真人が、温泉のかたわらへつれて行って、

「せめてかゆみだけでも、うすくなってくれますように……」

 念じながら懸命に、硫黄の湯をその肌にそそぎかけてやった結果、わずかながらかゆみが消えてきたのである。

「けッ、ばかばかしい」

 人垣のうしろにたたずんで、大笠は小声で悪態をついた。

「あいつがなんで、地蔵さまなんぞであるものか。ちきしょう。こうなったら賽銭はあきらめて、湯治客の持ち物をかっぱらってずらかろうじゃねえか。なあ小笠」

 だが、それにしろ、小笠の足のけがが、いますこし、よくならなければ動きがとれない。

「まったくしゃくにさわるなあ」

 と、ぼやきながらも、大笠は弟分につき合って、しばらく釜の湯に泊まりつづけなければならなくなった。

 

   3

 

 人々の素朴な信仰に、熱くとり巻かれているうちに、田辺の真人は自分自身も、

「もしかしたら私には、ほんとうに地蔵菩薩がのりうつって、お手を貸してくださっているのではなかろうか」

 なかば疑い、なかば信じるようになった。

 そして、そうなると、ますます使命感のごときものにとりつかれたらしく、国府への用事を二の次にして、彼は専心、病人の看護に没頭しはじめた。

 気でなおる(やまい)は、なおる。

 しかし、気だけではどうにもならない病気も多い。でも、そういう病人たちも、

「地蔵さまに結縁(けちえん)できた。たとえこの世では病苦にさいなまれても、死後は往生、疑いないにちがいあるまい」

 と、よろこんで、心に張りを持つのである。

 ――そんなさなか、旅の侍が一人、釜の湯へ湯治にやってきた。見るからに勇猛そうな(ひげ)武者だ。

「なんだと? あの若造が地蔵の化身? わはははは、愚にもつかぬことをぬかしおる」

 と一笑に付したばかりか、どうやら、

「世間を、瞞着(まんちゃく)し、ゆだんさせて、悪事でも働こうとたくらんでいる痴者(しれもの)ではないか」

 とさえ、彼はカンぐったようだった。

 大笠は、この侍の太刀と持ち金に目をつけた。

「砂金だぜ。にぎりッこぶしぐれえの革巾着(かわきんちゃく)にぎゅうぎゅう詰めて持ってやがら……。太刀もおめえ、銀蛭巻(ぎんひるまき)だあ。売っとばしたらいい値になるよ 」

 と、小笠にささやき、

「それにしても、しようがねえなあおめえの足……。ちっともよくならねえじゃねえか」

 じれったがる。

 冷淡な仲間よりも、はるかに親身になって、小笠の足を心配してくれたのは、むしろ真人だ。

「痛そうだなあ。ずいぶん腫れましたね」

 巻き布をほどいて、眉をひそめた。はじめの手当てが雑だったせいか、ふみ抜きした個所は()んで熱を持ち、ここ二、三日、小笠は寝たきりのありさまなのである。

「でももう、見たところ膿みきっているようです。口があいて、膿汁(うみ)が出てしまいさえすれば、きっとたちまち、よくなりますよ。私が吸い出してあげましょう」

「およしなせえ、きたねえや」

 あわてて足を引こうとしたが、真人のくちびるが、きず口に近づくほうが早かった。

「だいじょうぶ。膿汁ぐらい口にはいったって、きたないことはありません。みなさんに心から敬愛され、信じ、(した)われているうちに、私はほんとうに自分が、地蔵尊であるような気がしてきました。菩薩の口に入れば、膿汁も、膿汁ではなくなるはず…… 。気がねや遠慮は無用ですよ」

 腫れあがった足をかかえこんで、吸っては吐き吸っては吐き、とうとう一滴のこらず、膿汁を出してくれたのである。

「ありがとう真人さん」

 小笠の目は、涙でいっぱいになった。

 

 げんきんに熱はひき腫れはひき、痛みもとれて、歩きだせるまでに小笠が恢復したのを見ると、

「さあ、それじゃはやいとこ、ひとかせぎして、ずらかろうぜ」

 さっそくある夜、大笠は盗みにかかった。

「仕事はおれがする。おめえはおれが合図したら、すぐ外へ逃げ出す用意をしとけ」

 かねて目をつけていた泊まり客の持ち物……。中でも金目の品は、侍の巾着と太刀である。

 浜にならんだ(かつお)さながら、板敷きにごろごろざこ寝している人々の枕もとを、手さぐりで這い(まわ)って、大笠は盗品をかきあつめ、大きな布包みにまとめあげた。そして最後にぬき足さし足、侍のそばへ忍びよって、太刀に手を、のばしかけたとたん、

「ううん」

 と(うめ)いて寝返った相手の、(すね)のあたりに、いやというほど蹴つまずいてしまった。

「なにやつだッ」

 おっとり刀で侍ははね起きた。大笠はうろたえ、布包みをかかえたまま奥へ走って、突き当たりのひと間にとびこんだ。

 そこは、みんなが掃ききよめて、

「地蔵さまの御座所(ござしょ)じゃ」

 真人ひとりを寝泊まりさせている塗籠(ぬりごめ)だった。

「助けてくれッ、殺されるッ」

 ()のそばで、つくろい物をしていた真人が、

「ここにかくれなさいッ」

 いそいで大笠を、壁代(かべしろ)のかげに押しこんだ瞬間、

「ぬすびと、待てッ」

 侍がおどりこんできた。さわぎに驚いた湯治客たちも、

「なんじゃ、なにごとじゃい?」

 ねぼけまなこでかけつけた。

 うなだれて、何もいわずに、その場に手をつかえた真人を見、布包みを見た侍は、

「さてはやはり、貴様は愚民をたぶらかすまやかし地蔵。しかも化けの皮の一枚下は、盗賊ですらあったのだなッ。ゆるさんッ、成敗してくれるぞッ」

 さけびざま太刀をぬき、やにわにその肩さきを割りつけた。血しぶき、

「わッ」

 (くう)をつかんで若者は倒れた。

「やや、地蔵さまを斬りおったッ!」

「この外道(げどう)ッ、罰あたりッ、叩き殺せッ」

 と興奮し、息まいて、群衆は侍めがけて突進しかけた。多勢(たぜい)無勢(ぶぜい)だ。さしもの髭武者もたじたじして、色をうしなった。 「まってくださいッ」

 と、このとき、断末魔の息の下から、人々を制したのは真人だった。

「お侍さまの推量はただしい。私は地蔵尊なんかじゃなかった。もったいなくも地蔵のお名を(かた)った泥棒です。ご成敗はあたり前……。どうかみなさん、気をしずめてください。乱暴はしないでください。たのみますッ」

 それだけで、気力が尽きたのか、血海の中にのめったきり、真人はうごかなくなった。

 ぬすびとの濡れ(ぎぬ)を着たことで、壁代のかげに(ふる)えている大笠の命を助け、同時に殺気立った群衆の棍棒(こんぼう)から、侍の命を救って死んだのだ。

「どいてくれ、おがましてくれッ」

 人立ちをかき分けかき分け、灯のそばへにじり出て、

「あんたは地蔵さまだ、地蔵さまだよう」

 亡骸(なきがら)にすがりついたのは、小笠である。

 ただの人間にちがいないが、真人の行為は菩薩の慈悲に通じる。ほとけは遠くにいるものではない。人間めいめいの、愛の心に宿るのだと、さとりはしたが、口でうまく言える小笠ではなかった。彼は、ただ、

「地蔵だ地蔵だ。やっぱりあんたは、地蔵さまだったんだよう真人さん」

 まだ、ぬくもりの残る若者の身体をゆすぶり立て、身を()んでいつまでも、泣きじゃくりつづけた。

 

 

  かぶら太郎

   1

 

 京都への、出はいり口は七つある。

 その一つ、粟田口(あわたぐち)の往還を、二人づれの尼が東へ向かって歩いていた。

 ひとりは若い。いまの一人は、年のころ七十に余る老尼である。そのくせ若い尼僧のほうがくたびれたのか、顔いろも青ざめ、うつむきがちに、足をひきずり老尼のあとにしたがってゆく……。

「どうしたのじゃ善信、いつものそなたらしくもないのう。どこぞ、かげんでもわるいのではないか?」

 ふり返って、いたわる老尼へ、

「い、いえ、なんともありませぬ」

 あわてて首をふってみせるが、そのまにも、善信とよばれた若い尼は、くるしげに肩で息をしているのだ。

 愛くるしい、いかにも悧発そうな尼だった。年もまだ、十六か七らしい。花なら、ほころびかけた(つぼみ)の年ごろを、墨染めの僧衣に清々(すがすが)とつつんでいるが、なまじ着かざった在家(ざいけ)の娘より、かえって立ちまさって魅力的に見える。

「ひる日中を、歩きつめたので、暑さあたりをしたのであろ。寺はもうじきじゃ。しんぼうして歩きなされ」

「はい」

 つらそうに伏し目になるのを、老尼は単純に、暑気にやられたと解釈し、また、先に立って足をはこびはじめたが、じつはそれどころではない悩みに、善信はひとり、胸を痛めていたのである。

 月のものが止まって、もう、四ヵ月になるのだ。

(信じられない。…… 信じたくない)

 身体に起こった変調を、はじめ、懸命に否定していた善信も、どうやら、悪阻(つわり)まではじまっては、

(みごもってしまったのだ )

 みとめないわけにはいかなかった。

 口惜(くや)しい。女体とは、なんと(かな)しく、そして(のろ)わしいものなのか。

 ゆだんと責められれば、たしかにゆだんではあったけれど、善信の妊娠は、堕落でも破戒でもなく、まったくの災難からひき出された二重の災厄であった。

 石山の観世音に、お籠りに行った夜――。

 うとうと、まどろんでいる身体の上に、重いものがのしかかってきた。はじめは、夢の中のことと思っていた。くり返し、知覚される異様な感覚に、はッとほんとうに目がさめたとき、

「さわぐんじゃねえよ尼さん、もう、こうなったら、されるままになっているほうが身のためだぜ」

 聞いたこともない男の声が、耳もとでささやいていた。あたりはまっ暗だった。さけぶまもなく、口は、口でふさがれ、息がつまった。

 恐怖になかば、気をうしなった善信を、飽きるまでむさぼると、

「あばよ」

 闇のどこかへ、男はすばやく、消えてしまったのである。

 たった一度きり……。それも善信にとって、苦痛しか覚えなかった交わりでも、子というものはできるものなのだろうか。

(どうしよう。こんなこと、長老尼さまには申しあげられない)

 弟子仲間の尼たちにも、むろんうちあけられる話ではなかった。老尼に目をかけられている善信を、日ごろから(ねた)んでいる尼たちなのだ。

「どこかで、いたずら事をしてきて、うまうまウソをついているのでしょうよ」

 としか、受けとられないのは、わかりきっていた。

 善信は捨て子だった。小さいときから老尼の手もとにひきとられ、学問仏典、尼としての修業をきびしくしつけられた。生まれつき聡明だったためか、めきめき素質はのび、

「ゆくゆくは、寺の跡をつがせよう」

 と、この若さで、老尼にも期待されているまじめな、勝気な尼僧なのである。

「なんじゃろう善信、あの人だかりは……」

 ふいに、老尼は足をとめた。

(いっそ、死んでしまおうか)

 考えあぐねながら、あとについて歩いていた善信は、あやうくその背につき当たりそうになった。

「ほんに、人がたくさん集まっております。なんぞ、あったのでございましょうか」

 行く手の往来……。それも道のまん中に、通行人が垣をつくって、ガヤガヤさわいでいる。

「なにごとでございますかな」

 近よってたずねる老尼へ、

「やあ、浄泉寺の尼公(にこう)さま、行き倒れでごぜえますだ」

 顔見知りの馬子(まご)が、したり顔に教えてくれた。

「ごらんなせえ。まだ屈強の男ざかりだが、頓死(とんし)だねえ。身体のどっこにも、かすりきず一つねえのに死んでまさあ」

 なるほど体躯(たいく)堂々とした偉丈夫が、炎昼の日ざしにさらされたまま、仰向けざまにころがっている。ふしぎなことに、下帯ひとつの裸だった。

「つついてみろやい」

「さんざ、つついただ。でも、ピクリともしねえよ。卒中にやられたのじゃあんめえか」

「そんな年じゃなかろうが……」

「なんにしても、行き倒れにまちがいねえ。やれやれ気の毒に……。なんまみだぶ」

 口々に勝手なことをいう見物のうしろから、

「どけどけ、ご通行のじゃまだぞ」

 郎党らしい権柄声(けんぺいごえ)を先立てて、馬に乗ったりっぱな侍がちかづいてきた。

 

   2

 

 狩りに出かける中途らしい。身分もなかな高そうな武者にみえる。

 六布(むぬの)小袴(こばかま)の、下をくくり、鎧直垂(よろいひたたれ)の片袖をぬいで、生絹(すずし)(あや)射籠手(いごて)をかけ、左右の手には皮のゆがけ(=蝶のヘンが、虫ヘン)をはめている。折り烏帽子(えぼし)の上にいただくのは、これも皮でふちどりした綾藺笠(あやいがさ)……。黄金(こがね)作りの太刀(たち)をはき、腰に弦巻(つるまき)、背に(えびら)、片腕に重籐(しげとう)の弓をかいこんだいでたちは、ものものしいし、なにより人目をそばだたせたのは、物射沓(ものいぐつ)の先までをおおっている行縢(むかばき)の、鹿皮のみごとさだった。

 下民どもはおそれをなして、先を払う郎党の叱咤(しった)に、いっせいに逃げ散った。

「なに者じゃな、あれなる男は……」

 馬をとめて遠くから、侍は死人を見やった。

「行き倒れらしゅうございます」

 郎党の答えに、

「ううむ」

 なお、目をこらして、じっと死人を凝視していたが、なに思ったか、いきなり馬からとびおりると、侍は弓に矢をつがえた。

 射るのかというと、そうではない。狙いすましたまま用心ぶかく、死人からできるだけ遠ざかって、道のはじっこを抜き足さし足、通りぬけていくのである。

 主人のこの、警戒ぶりに、供の郎党たちもおっかなびっくり、足音をしのばせて死骸(しがい)のかたわらを通過する……。

 だいぶ行ってから、やっともとどおり馬に乗り、あとも見ずに立ちさるのを、遠まきにながめて、

「なんだ、ありゃァ」

「臆病な侍もあったもんだな」

「いくら、こけおどしななりをしたからって、死人を見てふるえあがるようじゃァ肝ッ玉もしれてらァ」

「ばかばかしい」

 ヤジ馬はわいわい笑い、もう、それで、ひまつぶしにも飽きたのだろう、三々五々どこかへ見えなくなった。

 老尼はだが、一人、小首をかしげて、

「いまの、お侍さまのそぶり、なんとしても()におちぬ。いましばらく様子をみてみようではないか」

 弟子の善信尼をうながすと、道のほとりの木立ちのかげにかくれた。

 ――まもなく、また、おなじ、京の方角から、馬に乗った武者がやってきた。これは、こんどは旅すがただ。供は一人もつれていない。前の侍にくらべると、太刀も馬も、だいぶ劣るが、ひととおり武具を身につけ、路用とみえる砂金の皮袋まで、腰にぶらさげている。

「なんだ、こいつは……」

 やはり死人に目をとめたものの、

「行き倒れだな」

 この侍のほうは用心もなにもなく、うかうか馬からおりてそばへ寄り、

「やい、もう息はないのか」

 持っていた弓の先で、チョイチョイ死体をこづき廻した。

 その瞬間だ。やにわに死人の腕がのびた。弓をひっつかむと、

「やッ」

 おどろいて引こうとする侍自身の力を利用して、ぱっととび起き、相手の腰から差し添えを抜くやいなや、横一文字に高股(たかもも)を割りつけた。

「ぎゃァ ……」

 悲鳴をあげて、侍はうしろへ尻もちをつく。

 おどりかかって、その身体から胴鎧(どうよろい)をはぐ直垂(ひたたれ)をむしり取る太刀をうばう……。熟練した料理人が、筍の皮をむく手ぎわである。またたくまに身ぐるみ強奪したあげく、馬にとび乗ってどこともなく、“死人”は一散に逃げて行ってしまった。

「にせ死人じゃった。あれは音にきこえた盗賊の、袴垂(はかまだれ)じゃよ善信」

 老尼は身ぶるいして言った。

「先刻の武者は、さすがな者じゃ。ひと目でうろんな死人と見やぶったからこそ、あのような用心をしたものを、ひきかえてこのお侍の、考えなしなことはどうじゃ。おなじ、もののふとは言い条、こころがけは天地のちがいじゃの」

 それにしても、けが人はうんうんうなっている。

「しかたがない。寺へつれていって、きずの手当てをしてやりましょう。仏者の勤めじゃ」

 ちょうどさいわい、さっきの馬子が、(から)馬を曳いてもどってきた。

「やァ、尼公さま、まだこんなところにござらっしゃりましただかい」

「よいところにきてくれました。このお待、寺まで運んでくださらぬか」

「やァやァ、えらい血じゃ。目を廻してござらっしゃるの。こりゃまた、どうしたことじゃ」

 かいつまんで事情をはなし、馬にかき乗せて寺へもどった。

「薬はないか」

「それより、医者どのをよびましょうか」

「なんの、それにはおよぶまい。思いのほか浅手じゃ。血止めを出しなされ」

「尼公さま、お召しものがよごれます。わたくしどもがいたしましょう」

 と、寺では尼たちが総出で、一時、ごった返したが、善信尼ひとりは、さわぎもいっこうに身に添わなかった。

(お腹の子……このままずんずん、大きくなっていったら……)

 その心配一つをめぐって、心はどうどうめぐりするばかりなのだ。

(死ぬほかない。とても生きてはいられない。尼の身で、だれともわからぬ男の種を(はら)むなんて、この上の恥はないもの……)

 でも、いざとなると、実行はなかなかむずかしかった。

(首をくくろうか。それとも川へ……)

 とつおいつ、考えあぐねているうちに日かずがたち、けが人のきずのほうは、めきめきよくなってきた。

 

   3

 

 侍は、名を三善小太郎信光(みよしのこたろうのぶみつ)といった。用があって、駿河(するが)の国府までくだる途中なのだという。

「なんともわれながら、不覚をとりました。あの死人が、盗賊の袴垂とは……」

「これからもあることじゃ。のほほんと、なんの用意もなく、面妖(めんよう)なものに近づきなさるなや」

 老尼に意見されて頭をかきかき、

「ご教訓、肝に銘じました。以後、くれぐれも気をつけます」

 誓うけれども、どれほど肝に銘じたかは、予測のかぎりではない。まのびのした馬面(うまづら)は、おでことアゴが出ばってしゃくれて、人は()さそうだが、およそ威厳に欠けていた。若い男の逗留(とうりゅう)なら、歓迎しそうな尼たちまでが、さっそく『馬さん』だの「三日月さま』だのと仇名(あだな)をつけて、

「はやく出立してくれないかしらねえ」

 (つま)はじきする始末である。善信尼だけが、小太郎の存在にまったく無関心だった。

 床あげにこぎつけ、足ならしの散歩がてら、境内をあちこち、小太郎が歩き廻れるまでになったある宵、いよいよ善信は、死を決意した。

 庫裏(くり)のうらには、尼たち手づくりの菜園がひらけている。その向こうは松林だ。善信は、こっそり林の中へはいってゆき、松の木の枝の一つに(ひも)をかけた。

「仏さま、長老尼さま、おいつくしみは忘れません。どうぞわたくしをおゆるしください」

 小さなふみ台を下に置き、しばらく瞑目(めいもく)合掌して、先だつ罪をわびた。さすがに、とめどもなく頬がぬれた。でも、善信は涙をはらうと、台に乗って、輪にした紐を、その細い首に二重にかけた。

「南無!」

 あわや、台を蹴ろうとした瞬間、

「なにをするッ」

 大声といっしょに、抱きついてきた者があった。男の手だ。小太郎の声だ。

「はなしてくださいッ、死なしてッ」

 もがいたが、

「だめだ、その若さで死ぬなんて、とんでもないはなしだ」

 小太郎はしゃにむに、あらがう善信を地上へおろしてしまった。

「わけをきかせてくれないか尼さん。――あんたは善信とよばれている尼さんだね」

「なにも言いたくありません。長老さまにさえ、申しあげられないわけを、行きずりの、あなたなんぞに……」

「風来坊のおれにだからこそ、かえってこだわりなく話せるんじゃないのか? ここの尼公さまに、おれは命を助けられた。その恩返しに善信さん、ない智恵をしぼってでも、あんたを助けたいよ。相談にのろうじゃないか」

 口ぶりはあたたかかった。兄が妹にいうような、親身の情があふれていた。四ヵ月ものあいだ秘密をかかえて、一人、なやみつづけていた善信の胸の氷が、ふっと(=ニスイに、解}けた。

「きいてくれる?」

 声がうるんだ。

「あたし……あたし……」

 参籠(さんろう)の夜の出来ごとを、善信はうちあけた。

「それで……赤ちゃんができたらしいの」

「なんという畜生だ。こんな清純な尼さんを、汚すなんて……」

 歯がみして、宙をにらんでいたが、

「そうだッ、名案を思いついたぞ」

 小太郎はいきなり立ちあがると、松林を走り出てゆき、しばらくして、もどってきた。片手に、菜園から抜いてきたらしい大(かぶら)、いっぽうの手には包丁をにぎっている。

 借り着の袖で蕪の泥を落とし、まん中からすぱッと割って、中央をくりぬいた。

「さ、これを持って(くりや)へお帰り。そして仲間の尼さんたちにこう言うんだ。『だれのいたずらか、こんな穴あき蕪を畑で見つけた。もったいないから食べてしまおう』そういって善信さん、汁にしても煮てもいい、一人でこいつをたいらげておしまい」

 とっぴな進言だ。善信は目をまるくした。

「食べて、どうするの?」

「どうもこうもない。それだけさ。あとはおれがよいように、かならず始末をつけてあげる。あんたは身体をいたわって、だれがなんと()こうと知らぬ存ぜぬの一点ばりを押し通し、月が満ちたら子を生めばいいのだ」

「生むの? 赤ちゃんを!」

「生むのさ。だいじょうぶ。……いま四月とか言ったね善信さん」

「え、四月……」

「あと半年のうちにきっとまた、おれはこの寺にもどってきて、あんたの名誉を挽回(ばんかい)してあげる。親船に乗った気で待っていなさい」

 馬面(うまづら)が、ふしぎにたのもしく、(しま)って見えた。

 善信は信じた。小太郎の救いを信じて、厨にもどり、言われたとおり、

「ほら、ごらんなさい。半分にたち割った上、穴まであけた大蕪が、畑の(くろ)にほうり出してあったのよ」

 仲間の尼たちの見る前で、蕪を煮つけて食べてしまった。

 小太郎が全快し、駿河へ旅立っていったのは、それから五、六日あとだった。旅仕度の一切(いっさい)を、老尼はととのえて出発させたのである。

 さすがに心細かったが、善信は耐えて、なりゆきにまかせた。

 腹部はしだいに目だちはじめ、

「善信さん、あんたまあ、そのお腹はどうしたの?」

あんのじょう、非難攻撃の嗷々(ごうごう)が善信をとりまいた。老尼も案じぬいて、

「相手はだれじゃ。かくさずに、わしにだけは話してみやれ」

 根ほり葉ほりしたけれども、これも小太郎の言いつけを守って、

「知りません。なぜこのようなお腹になったのか、まったくわたしには、身におぼえのないことでございます」

 善信は、かぶりをふりつづけた。

 そのうちに産み月がき、男の子が生まれた。

(どうするの? 小太郎さん、約束をわすれたの? 助けにきてくれないの?)

 気が気でなかったが、そんな善信の不安が通じでもしたように、赤子の誕生から十日ほどして、ひょっこり小太郎がたずねてきた。

「おかげさまで、駿河での用はのこりなく片づきました。これから都へもどります」

 すっかり日やけして、歯ばかり白い。

「それはよかった」

「ですが長老さま、尼寺には似合わぬ泣き声がいたしますな、あれはどこの赤児です?」

 いぶかしそうに、小太郎はきょろきょろ、あたりを見まわした。

「こまっているのじゃ」

老尼はそっと、ため息をもらした。

「じつはそなたの留守のまに、弟子尼の善信が、だれの種ともわからぬややを生み落としてなあ」

「ほう、あの道心堅固な尼さんが……」

 しかつめらしく、腕を組んで考えこんだあげく、その腕をいきなりほどいて、

「こいつはしくじった。その子供の父親、かく申すわたしに、ちがいありませんよ」

 小太郎は笑い出した。

「なんじゃ。ではそなたが、善信を……」

「いえいえ、長老さま、早合点なさってはこまります」

 いそいで小太郎は手をふった。

「指一本、善信さんに、わたしは触れてはいません。――ただし、凡夫のあさましさ……。寺とはいえ若い尼僧がたにきずの看護をされているうちに、どうにも煩悩(ぼんのう)がさし起こりましてな。歩けるようになったある日、うらの畑へ出て大蕪をひっこぬき、穴をくりあけて……」

「前へ、押しあてたと申すのか」

「ははは、お恥ずかしい。でも、それでさっぱり、身体が軽くなりましたが、もしや善信さん、その蕪をめしあがって、懐妊されたのではありますまいかな」

 蕪を犯した男……。

 その蕪を食べてみごもった尼……。

「なるほどのう」

 感に耐えた顔で、長老尼は幾度もうなずいた。

「世の中には、そのようなふしぎも、あるものなのじゃのう」

 謎はとけた。疑惑もはれた。

「と、わかれば、この子はまさしくわたしの子。かぶら太郎とでも名づけて育てましょうよ」

 馬面をニコつかせ、大事そうに赤児をかかえて、小太郎は都へ帰って行った。

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2003/08/25

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

杉本 苑子

スギモト ソノコ
すぎもと そのこ 小説家 1925年 東京都に生まれる。吉川英治文学賞。

掲載作は、1970(昭和45)年1月より翌年12月まで「佼成」に連載された中から、5話を抄録した。1978(昭和53)年、原作は講談社文庫になり、「続」「続々」と出ている。

著者のその他の作品