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惜しみなく愛は奪ふ

 概念的に物を考へる事に慣らされた我等は、「愛」と云ふ重大な問題を考察する時にも、(ごく)習俗的な概念に捕へられて、正当な本能からは全く対角線的にかけへだたつた結論を構出してゐる事があるのではないか。「惜しみなく与へ」とポーロの云つた言葉は愛する者の為す所を的確に云ひ穿(うが)つた言葉だ。実際愛する者の行為の第一の特徴は与へる事だ。放射する事だ。我等はこの現象から出発して愛の本質を帰納しやうとする。而して直ちに愛とは与へる本能を云ふのであり、放射する勢力(エネルギー)を云ふのであるとする。多くの人は無省察にこの観念を認めてゐる。世上一般の道徳の基礎はそこに据ゑられてゐる。利他主義の倫理の根拠とする所のものはこの観念に(ほか)ならない。従つて人間生活に於ける最も崇高な義務として犠牲献身の徳が高調される。而してこの観念が利己主義の急所を衝くべき最も鋭利な武器として考へられてゐる。

 私の小さな愛の経験は、然し、愛の本質を前のやうに考へる事を許さない。私の経験する所によれば、愛とは与へる本能である代りに奪ふ本能だ。又放射する勢力(エネルギー)である代りに吸引する勢力だ。

 愛は心を支配する数多き神秘的な力の中でも一番興深い神秘的な力である。その作用を不完全な言葉の助けを借りて他に伝へやうとする試み程無謀に近い試みはない。私は能ふ限りあからさまな言葉を使つて、私の意味する所を表白しては見るが、そこに暈翳のつきまつはるのを如何(どう)する事も出来ないだらう。私は(むし)ろ言葉の周囲に漂ふ隈取りをも私の言葉と共に摂取して欲しく思ふ。

 他の為めにする行為を利他主義と云ひ、己の為めにする行為を利己主義と云ふのなら、その用語は正当である。然し倫理学の定義が示すやうに、他の為めにせんとする衝動又は本能を利他主義と云ひ、己の為めにせんとする衝動又は本能を利己主義と云ふのなら、その用語は正鵠を失してゐる。夫れは当然愛他主義愛己主義と書き改められなければならないものだ。利する――夫れは結果であり行為であり、愛する――夫れのみが原因であり動機であり得るからである。こゝにも旨く用語の上に本質と現象との錯誤の行はれてゐるのを我等は容易に察する事が出来るではないか。この本質と現象との混淆から愛に対する我等の理解は思はざる岐路に迷ひ込んで行くのだ。

 私は己を愛してゐるか。私は躊躇なく然りと答へ得る。私は他を愛してゐるか。是れに肯定を与へる為めには私はある条件と限度とを附する事を必要とする。私は到底己を愛する如くには他を愛してゐないと云はなければならない。夫れではまだ尽してゐない。切実に云ふと、私は己を愛し得るが故にのみ他を愛するのだ。夫れでもまだ尽してゐない。更らに切実に云ふと他が己の中に摂取された時にのみ私は他を愛するのだ。然し己の中に摂取された他は、実はもう他ではない、己の一部だ。畢竟私は己を愛してゐるのだ。而して己のみをだ。

 私はそれほどに己を愛する。それに(いさゝ)かの虚飾もなく僭誇もない。ありのまゝを告白してゐるのに過ぎない。然し私が私自身をどれ程深くどれ程よく愛してゐるかと省察して見ると、問題は(おのづか)ら新たになる。私の考へる所が誤つて居ないなら、是れまで一般に認められてゐた愛己主義なるものは主に功利的の立場からのみ見られてゐたのではないだらうか。即ち生物学上の自己保存の原則からのみ算出されたものではないだらうか。「生物の発達の状態を考察して見ると、愛己主義は常に愛他主義以上の力を以て働いて居る、夫れを認めない訳には行かない」と云つたスペンサーの言葉は何んと云つても愛己主義を主張する上の基調となつてはゐないだらうか。私も夫れを認めないと云ふのではない。然しそこで満足し切る事を私の本能は明らかに拒んでゐる。私の生活動向の中にはもつと深くもつとよく己を愛したい欲求が十二分に潜んでゐる事に気付くのだ。私は自己の保存が保障されたのみでは飽き足りない。進んで自己を押し拡げ、自己を充実しやうとし、而して休む時なくその願望に駆り立てられてゐる。アミイバが触指を出して外物をかゝへこみ、やがて夫れを自己の蛋白素(プロトプラズム)中に同化するやうに、私は絶えず外界を愛で同化する事によつてのみ成長し充実する。外界に愛を投げ与へる事によつて成長し充実するのではない。例へば私が一羽の小鳥を愛するとする。私は夫れに美しい籠と新鮮な草葉とやむ時なき愛撫とを与へるだらう。人はその現象を見て、私の愛の本質は与へる事によつてのみ成立つと推定しはしないだらうか。然しその推定は根抵的に(あやま)つてゐる。私が小鳥を愛すれば愛するほど、小鳥はより多く私その者である。私にとつて小鳥はもう小鳥ではない。小鳥は私だ。私が小鳥を生きるのだ(Bird is myself, and Live a bird.)私は美しい籠と新鮮な草葉とやむ時なき愛撫とを外物に恵み与へた覚えはない。私はそれ等を私自身に与へてゐるのだ。私は小鳥とその所有物の凡てを外界から奪ひ取つたのだ。愛は与へる本能ではない。愛は掠奪する烈しい力だ。与へると見へるのは(ごく)外面的な現象に過ぎない。

 かく己を愛する事によつて、私は外物を私の中に同化し、外物に愛せらるゝ事によつて私は外物の中に投入し、私と外物とは巻絹の経緯の如き関係になつて、そこに美しい紋様がひとりでに織り出されるのだ。私の愛がより深くなりより善くなるに従つて、より善き外物はより深く私と交渉して来る。生活全体の実績は(かく)の如くして(はじ)めて成長する。そこには犠牲もない、義務もない。飽満と特権とが存するのみだ。

 他の為めに自滅を敢てする現象をお前は認めないか。お前の愛己主義はそれを如何(どう)解釈する積りなのか、その場合にもお前は絶対愛他の現象のある事を否定しやうとするのか。自己を滅してお前は何を自己に奪ひ取らうとするのか。さうある者は私を問ひ詰めるかも知れない。功利的な立場から愛を解かうとする愛己主義者は、自己保存の一変態と見るべき種族保存の本能なるものによつてこの難題に当らうとしてゐる。然し夫れは愛他主義者を存分に満足させないやうに、私をも満足させる答へではない。私はもつと違つた視角から見やうとしてゐる。

 愛がその飽くなき掠奪の手を拡げる時の烈しさは、ありきたりに、なまやさしいものとのみ愛を考へ馴れた人の想像し得る所ではない。仮初(かりそ)めの恋にも愛人の頬はこけるではないか。自己はその成長と充実とを促進する為めに、凡ての障碍を乗り越えて掠奪の力を振へと愛に厳命する。愛は手近い所から事業を始めて、右往左往に戦利品を運び帰る。個性が強烈であればある程愛の活動も亦目ざましい。遂にある世界が――時間と空間をさへ或る程度に撥無する程の拡がりを持つた世界が––自己の中にしつかりと献立(こんりう)される。其世界の()つ拡充性が弱いはかない肉体をぶち壊すのだ。破裂させてしまふのだ。そこで難者の云ふ自滅とは畢竟何んだ。夫れは自己の亡失を謂ふのではない。肉体の破滅を伴ふ永遠な自己の完成をこそ指すのではないか。又功利主義者の云ふ様に、夫れが人類なる種族の保存に資する所のあるのは疑を納れない。然し夫れは全体の効果から見て何と云ふ小さな因子であるよ。

 この事実を思ふにつけて(いつ)でも私に深い感銘を与へるものは基督(キリスト)の短い地上生活とその死である。無学な漁夫と税吏と娼婦とに囲繞された、人目に遠い、三十三年の生涯にあつて、彼れは比類なく深く善い愛の所有者であり使役者であつた。彼れが与へて与へてやまなかつた事実は、如何に自己の拡張の広大なのに満足し、その自己に与へる事を喜びとしたかを証拠立てるものである。やがて彼れが肉体的に滅びねばならぬ時が来た。彼れは苦んだ。それに何の不思議があらう。彼れは愛の対象を、眼もて見、耳もて聞き、手もて触れ得なくなるのを(くるし)んだにちがいない。又肉体の亡失そのものを苦んだにちがいない。又彼れの愛の対象が彼れほどに愛の力を理解し得ないのを苦しく思つたにちがいない。然し最も彼れを苦しめたものは、彼れの愛がその摂取の事業を完成したか否かを迷つた瞬間にあつたであらう。然し遂に最後の安神は来た。而して神々しくその肉体を脚の下に踏みにぢつた。

 彼の生涯の何処に犠牲があり義務があるのだらう。世の人は云ふ、基督はあらゆるものを犠牲に供し、救世主たるの義務の故に凡ての迫害と窮乏とを敢て堪え忍んだ。だからお前達は基督の受難によつて罪からあがなはれたのだ。お前達も亦彼れにならつて犠牲献身の生活を送らなければならないと。私は私として彼れの我等に遺した生活をかく考へる事はどうしても出来ない。基督は与へる事を苦痛とするやうな愛の貧者では断じてない。基督は私の耳に囁いて云ふ、「基督の愛は世の凡ての高きもの、清きもの、美しきものを摂取し尽した。眼を開いて基督の所有の如何に豊富であるかを見るがいゝ。基督が与へ、施したと見える凡てのものは、実は凡て基督自身に与へ、施してゐたのだ。基督は何をも失はない。而して凡てのものを得た。この大歓喜をお前も亦味ふがいゝ。基督のお前に要求する所は唯この一事あるのみだ。お前は偽善者を知つてゐるか。自己に施しせず他に施しせるものを偽善者と云ふのだ。自己に同化しない外物に対して浪費するものを偽善者と云ふのだ。浪費の後の苦々しいaftertasteを、強て笑ひにまぎらすその歪んだ顔付を見ろ。それが偽善の肖像だ」と。

 愛が()し与へんとする本能であり放射するエネルギーであるならば、世の統合は遠の昔に壊れてゐなければならない。放射は遠心力によつて支配され、遠心力は(いつ)でも物々間の距離を遠からしむる事にのみ役立つたからである。之れに反し愛は相奪ふ力であるが故に、物々は互に相牽くばかりでなく、互に融合して同時に互に深まり高まるのだ。かゝる生活に於て貧しくされるものは愛せられざる者のみである。愛せずして与へやうとするものは偽善者となり、愛せずして受けやうとするものは物質に落ちる。

 私は嘗て人間を知らうとして周囲を観察し歴史を読破した。自己を知らうとする時にさへ伝記と哲学との中を探し廻つた。然し夫れが私に(もたら)す結果は空虚な概念に過ぎなかつた。私はやがて態度を改めねばならなかつた。而して自己を知らうとする時は勿論、人間を知らうとする場合にでも容捨なく自己を検察して見た。而して、見よ、そこには生味の(ゆた)かな新しい世界が開展された。実生活の波瀾に乏しい、孤独な道を踏んで来た私の中に、思ひもかけなかつた個性の多数を発見した時、私は恐れもし、驚きもした。私が眼を据ゑて憚りなく自己を見詰(みつめ)れば見詰める程大きな真実な諸相が明瞭に意識された。何だ夫れは。私は今にして夫れが何であるかを知る。夫れは私と私の祖先とが、愛によつて外界から自己の中に連れ込んで来た捕虜の大きな群れなのだ。勿論その中には私と先祖との下劣な愛によつて(とりこ)にされたものもある。高貴な愛によつて連れて来られたものもある。然し彼等の凡てが愛によつて捕へられ、愛によつて私の(うち)に育てられたものである事を誰れが拒み得やう。

 私は自己を愛する。而して自己を深くよく愛せねばならぬ。自己を愛する事が深く且つ善いに従て私は他から何を摂取せねばならぬかを明瞭にし得るだらう。愛する以上は憎まねばならぬ一面がある事を察する事が出来る。私は愛するものを摂取し憎むものを放抛する。然し私の自己はやがて鍛錬されたに違ひない。よく愛するものはよく憎む事を知つてゐると同時に、憎む事の如何に苦しいものであるかを痛感し得るものだ。私の自己が鍛錬されるに従つて憎んで放抛すべきものの数はへらされて行くだらう。如何なるものも愛の眼には、適当な視角からは、愛すべきものである事を知るだらう。而して凡てのものがあるべき配列をなして私の中に同化されるだらう。かくて私の中には一つの完き世界が新たに生れ出るだらう。この大歓喜に対して私は何物をも惜みなく投げ与へるだらう。然しそれが如何に高価なものであらうとも、その歓喜に比しては比較にならない程些少なものであるのを知つた時、()してや、投げ与へたと思つたその贈品すらも畢竟自己に還つて来るものであるのを知つた時、第三者の眼に私の生活が犠牲と見へ献身と見へても、私自身に取つては夫れが獲得であり成長であるのを感じた時、私は徹底した人生の肯定者でないでゐられやうか。

 更らに残された問題は、私の心の中に烈しく働く愛なる力が大きな神秘な力から分化されたものであるか如何(どう)かと云ふ事である。私はまだこの謎を開くべき鍵を確に握つてゐない。神の愛が私の中にも働いてゐるのか。仮りにさうだとしても、私は神の愛と私の夫れとを異質のものと考へる事は出来ない。神は与へる力ではない奪ふ力だ。神は其力のある分配を私に投げ与へるのではない。其力の全体の中に私を摂取しやうとするのだ。さう感ずる事が私には遥かに合理的である。私は超自然力を感知してゐる人に此大胆に近い暗示を提供して私の小さな感想を終る。

(一九一七、五月一五日)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/08/03

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有島 武郎

アリシマ タケオ
ありしま たけお 小説家 1878・3・4~1923・6・9 東京小石川水道町に生まれる。札幌農学校在学中に入信したキリスト教に渡米中懐疑を抱いて帰国。母校教師のかたわら「白樺」同人となり、長篇「或る女」の前編初稿、「宜言」などを連載。1916(大正5)年、父と妻とに死なれ本格的な作家活動に入る。大正8年、「或る女」を完成。労働運動の盛り上がりに支配階級の一員たる自己の限界を「宣言一つ」で告白、所有の農場も解放したが、しだいに虚無的になり、人妻波多野秋子と大正12年に情死。白樺派作家達の年長者で、不朽の長編「或る女」を遺した。

掲載作は、同題の本に整っていったエッセイの初稿に相当している。1917(大正6)年「新潮」6月号に初出。

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