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仕立屋マリ子の半生

     

 

 馭者(ぎよしや)権六(ごんろく)氏の女房のマリ子が、まだ権六氏の存在を知らないで、ちんと愛くるしく引き緊つた(あご)を、あ・ら・もおどの、三角に背筋へ(たら)した、幅の広い肩掛の襟に埋めて、初めて東京へ出て来た時、彼女はもう、二十五になつてゐた。

 二十三で女紅場(ぢよこうば)(裁縫学校)を出、その方の腕は、「オッショサン」達の折紙がついてゐたし、またその後の二年間、実地に当つてみて、一本立ちの自信をお(なか)に持つて居り、それに、健康で、身綺麗で、その頃、もおだアんな、網を冠せた低目の束髪のよく(うつ)る彼女だつた。

 この束髪は、女紅場の若いオッショサンや生徒の急進派が、東京のハシリをいち早く真似て()ひ出したのだが、それを見て、古い連中が、耶蘇(ヤソ)だ、耶蘇だ、と攻撃し、そこで殆ど皆が、島田、きく(まげ)、ゆひ綿、唐人髷(たうじんまげ)と、またもとの世界へたあいなく逆戻りした中で、(すくな)くともマリ子だけは、その束髪を押し通して、からつと晴れた顔をしてゐた。

 ――()レ女子ハ終始夫ニ(シタガ)ヒ世ヲ過ル者ニシテ一家ノ盛衰ハ妻ノ良否ニヨルモノナレハ幼年ヨリ(アラカジ)メ夫ヲ助ケ産業ヲ興スノ道ヲ心掛ルコト肝要ナリ――などと女紅場開設の告諭にもあり、読本(とくほん)の「女心得草」でも、そんなことは(そら)んじたが、マリ子には、先づ自分自身を助ける必要があつて、従つて、彼女がお屋敷の馭者の権六氏と結婚したのも、二十八の晩婚で、権六氏は、むろん、ずうつと()けてをつた。

 眼が明るく、声がよく弾み、淡紅(ほのあか)い手の貝爪の間に、精妙な運針のコツを宿してる彼女で、望みては権六氏以前にも、女紅場時代から上京前へかけて、ふんだんにあつて、もう馴れつこになつてゐた。それに、自活の自信もついて、自然と、人生には、恋と世渡りの外に何かがありさうだとそんな気が(きざ)し、そこでオッショサンから、お屋敷の奧女中へ宛てた添へ状を貰って上京して、それから足掛け三年、糸錦、紋お(めし)絽縮緬(ろちりめん)金緞子(きんどんす)などと眩耀(まぶ)しいお屋敷仕事をつゞけ、そのうちに、貯蓄銀行の預金掛りと顔馴染になり、郷里への送金為替(かはせ)の受取が溜り――だが、「何か」は遂に来ずじまひで、日は急ぎ足に明け暮れた。

 お屋敷の金の紋章の入つた馬車が、時折り、出先で、或はお屋敷の門前で、その彼女の眼の先を、鷹揚(おうやう)(ほろ)を揺つて通り過ぎた。乗り手は、いつも、貴人らしく眸を静めたまゝで、目礼を黙殺した。その幌の間にチラチラする衣裳が、大抵、彼女の可憐な貝爪の間から生れたもので、初め、彼女は、あの製作者のみの知る関心をもつて、ぢつとその冷々(ひやびや)と過ぎゆく幌を見送つたのだつたが、いつか、それにも馴れて、いや、むしろ、漠然とした不安さへ感じるやうになつて、何かしら怯々(おづおづ)と眼を()らした、その彼女の視線に、高い、高いシルク・ハットが写り、それから、白い手袋を()めた鞭の柄を握つた片手が、心あるやうに陽気に街の空に躍り、さうして軟い口髭の伸びた馭者権六氏の顔が、ちよいとこちらを振り返り、やさしい鳶色(とびいろ)の眼で笑つて、すぐにまた揚々と鞭を挙げて向うへ……

 そんなことが幾度かつゞいて、結局、彼女は、恋も結婚も何もかも一緒に、兎も角、お屋敷の囲ひ(うち)の権六氏の住居へ移り、二十八の、幸福な、花嫁だつた――

 権六氏は若い衆時代に、東京、横浜通ひの乗合馬車にゐたことがあり、その頃は、がんばの鉄と云ふその馬車屋の親方が、団十郎の蝙蝠安(かうもりやす)から思ひついたあの鼠の小弁慶の浴衣地(ゆかたぢ)に、柿の算盤縞(そろばんじま)の三尺を締め、ばら緒の冷飯草履(ひやめしざうり)を白足袋の爪先につつかけて、「馬車の馬丁(べつたう)さんは小弁慶の揃ひ、東京島原迷はせる」と小唄になつたあの連中の一人だつたと、いつかマリ子に笑つたが、そんな勇みはもう悉皆(すつかり)剥がれ、髪を左の眼尻の真上で綺麗に分け、手袋を穿きつけた手はいつも(きよ)らかに柔く、眼も髭も、始終マリ子の心を(つちか)ふやうな(おだやか)な艶を持ち、さうして道楽と云つては、(たばこ)のパイプ造りか、釣りだけで酒はほんの少し、それもぢきに酔つて、酔へばますます彼女を愛撫する。

 美男かづらの這つた四ツ目垣、春日(かすが)型の木燈籠、薮柑子(やぶかうじ)など、お屋敷の庭が遠眼に写る、然しそちらからの展望なり風致なりを汚さぬやうに気配りをして、一隅に慎ましく建てられた平家が、権六氏の住居で、馬車の出ぬ日は、夫妻が、縁側の日なたに(かゞ)んで少し離れた馬小舎の足掻きの音を笑ひながら、パイプ造りに日を暮した。

 流行(はや)りの、琥珀口(こはくぐち)のメションとか、北海道の山アヂサヰで製したサピタなどは、高いのみでなく、第一権六氏の趣味に合はない。そこで彼は異人の女帽子を真似て作つたあの、黒天鵞絨(くろびろうど)の前の皺んだ鳥打帽を冠つて、何処かへ出かけ、百日紅(さるすべり)の枝を()りとつて持つて来、それを更に好みの形に切り、細い(きり)で煙の道を通し丸鑿(まるのみ)(たばこ)の盛り口をあけ、刀を入れて形を直し荒仕上げをする。それを木賊(とくさ)で磨いたり、藁煙で古びをつけて、呉絽(ごろ)光沢(つや)を出したりするのがマリ子の仕事で、すつかり出来上つたのを、(はこ)に収める前に、権六氏がおもむろに口に(くは)へて、二三服こゝろみるが、その打ち込んだ容子(ようす)に、彼女まで、何となく釣り込まれて手を出し、すぐに煙りに()せて、あゝお前の泣くのを初めて見たと、権六氏が髭を歪めて、欣々と手を拍つ、そんな平和なパイプ造りだつた。

 権六氏は、またよく、新宿の御料地の野布袋(のぼてい)で作つた自慢の釣竿を担いで、潮の上げはな引きはなを窺つて、お台場や大川筋へ出かける。それが、夜更けも、未明も、霜も、小雨も、釣にかゝるとてんで夢中で、第一、花嫁になつて三日目のマリ子を、夜半の牀に独り置きつ放しにして、髪も髭もひよつとこ冠りの手拭に崩し、襯衣(シヤツ)古股引(ふるもゝひき)の上へ黒羅紗の外套を羽織り、手製の龕燈(がんどう)を提げて、飄々と出てゆく彼だつた。

 初めは彼女も、潮風や寒む空を案じ、自分も心細く、そつとお屋敷の懇意な人に訴へたりしたが、あの善良な権六を! と却つて責められて、身を縮めて引き退つた。それに権六氏の獲物が、メナダとか(はぜ)とかカイヅとか青鱚(あをきす)白鱚その他季節々々の魚のほかに、古代紫の天鵞絨の鼻緒のついた小町下駄などと、やはり季節的なプレゼントが時々混つてゐて、それを買つて来る気持ちに、つい甘えて笑つてしまふ。すると権六氏が、すつかり安心して

「この青鱚つて奴はね、とおんとおんとかう(おもり)を水底へ当てて(はり)を浮かせてるうちに、ぶるッと来ると、素速くとんと合せ、ぶるぶると引いてゆくやつを釣りあげるんだよ。」とそんな仕方話(しかたばなし)を懸命につゞけ、それから、時折り、馭者台で、此のコツを思ひ出し、それが思はず手綱へひゞいて、あの大きな馬を釣ることがあるなどと笑ふ……

 家は平家(ひらや)だが、台所も、茶の間も、居間も、みんな明るく、其処にマリ子は、身分一杯の美食を整へ、明日の苦労なく眠り、むろん、お屋敷の仕立物は、こちらから進んで貰ふ必要がなく、暇にまかせて照降人形を造つてみたり、硝子(ガラス)の壷に紅白の縮緬(ちりめん)で大々とした錦魚(きんぎよ)の細工物を生けて、権六氏に好々と眼を細めさせたり、例の自然木のパイプは、百日紅の外に、古葡萄の(つる)紫陽花(あぢさゐ)の根と、数と種類を増し、兎に角、善良で、幸福で、健康な五年間が、マリ子の上に流れた。

 子は――無かつた。

 

     

 

 結婚して六年目の、(かん)中のうしの日、マリ子が、お高祖頭巾(こそづきん)(かぶつ)て、小間物屋へ「うし紅」を買ひにゆき、景品の土の牛を、小娘のやうに悦んで帰つて来ると、その留守に、権六氏が行火(あんくわ)の傍に倒れて、鈍い眸をみはつて(あへ)いでゐた。皮膚が変に白み、毛孔が開き、そこに気味の悪い汗が盛り上つて、それが、彼女を認めると

「慌てるな、慌てるな、医者を。」と何処か土の中からでも聴えさうな声で云つた。

 その日から、もうあの街の空にシルク・ハットを聳やかして、頚絡(けいらく)の美しい鹿栗青(かげくりげあを)(かけ)る揚々とした権六氏も、野布袋を担ぎ、龕燈を提げて、ひよつとこ冠りでへうへうと出かける権六氏も、それからパイプ造りの権六氏さへ、永遠に姿を消してしまつた。

 彼はたゞ、無細工な、重い、鈍い、生きもの、むしろ、肉塊としてマリ子の手に残つた。

「どれ位かゝるでせうか?」とマリ子がそつと訊くと、医者が「さあ、」と首を(かし)げた。「癒るんでせうか?」とこはごは突つこむと、やはり「さあ、」と首を傾げた。

 この二三年、権六氏は眼に見えて肥つてゐた。年の所為(せゐ)か、あちこちのお屋敷や料理店などの供待部屋の寒さがこたへ、道楽のメナダ釣りにさへ、愚痴が多くなり、それを治す為に呑んだ酒が、だんだんをあげて、さうして皮肉も、腹もまるまると出つぱり、頬にもまるまると肉がのり、血色は日の出で、マリ子も、そんな彼を嫌ふ筈はなく、別に節酒を薦めもしなかつた。それがいま、五体の色素と運動を、ふいと中風に(さら)はれ、ぶよぶよと牀に伸びて、胃と腹と膀胱の悪魔のやうな跳梁(てうりやう)に、身を委せてゐるのだ。

 マリ子は、健康な食慾を持つた自分のほかに、先づ此の権六氏をこれから養つていかねばならぬ。彼女は、一度止したお屋敷仕事を、またせつせと始めた――

 二ケ月後――ほえ籠を長くしたやうな担架一つと、そのうしろへ家財を積んだ荷車が二台、お屋敷の通用門を忍び足に出て、立ち樹の青を吹いた柳の枝を潜つて、坂道を下へ、権六氏夫妻の新居へ向つた。担架の蔽ひの隙間に、剃り跡の際立つた、髪を丁寧に分けた、水気に拡がつた権六氏の顔が、大きく白んで見え、その傍を、別人のやうに痩せ細つたマリ子が、朱のさした眼を伏せて歩いていつた。

 新居は、お屋敷から十町許り離れたある裏町のしもた家で、玄関も水口(みづくち)(くら)く、茶の間は始終夕闇が溜り、僅に居間の半分だけへ、縁先の空明りが落ちてゐた。やはり二階がなく、低いトンネルのやうな家だつた。

「闇いでせう?」

「闇くて好い。」

「せめて二階でもあると好いんですのにね。」

「二階はいらん。馬車に乗りつけてる。」

「さうでしたわね。でも、まあ安いから……」

 縁先の上に忘れられたまゝ、ほそぼそと芽を出してる釣しのぶを仰いで、夫妻は、そんな会話を交した。

「闇く」が「クロク」に聴え、「馬車」が「ビャシャ」にも「ボシャ」にもなり、権六氏の呂律(ろれつ)は、漸く此頃馴れたマリ子に判るだけで、それも、五分間も喋りつゞけてると、彼女にも何のことやら見当がつかなくなる。それに、手はやつと尿瓶(しびん)を抑へ得るだけ、脚は敷布の上を少し(ばか)りにじらせるだけ、寝返りはむろん出来ない。

 でも権六氏は、実に素直な病人で、どこまでも思ひ遣りのある所天(をつと)だつた。

 移るとすぐ、彼は、彼女の手を省くために、あの大事な口髭と髪の毛を、すつかり剃り落させた。さうして、急にその為に輪郭のハッキリした柔和な茶色の眼を、二六時中彼女に注いで、仕事の切り目などが来ると、敏感にそれを捉へて、お屋敷の奧うちの話とか、自分が馬車を乗り着けた先々の、つまり、そんな世の中を、話題に持ち出して、彼女が憂鬱に蝕ばまれないやうにと努力する。それから、もし、うつかり彼女の膝もとに針でも落ちてると大変で、権六氏は瘋癲者のやうに口早やに叫び、それが通じないと、眼をそちらへ注いで(はげ)しくしばたゝき、手首で敷布を掻き、さうして尚、彼女が気がつかぬ場合には――さうだ、そんな時に初めて――権六氏の茶色の眼に、悲しげな涙が湧きあがるのだつた。

 夜半に(しも)を催し、――それも権六氏は彼女の為に異常な意力を働かせて朝の習慣をつけようと企てたのだが――隣りに死んだやうに眠つてゐる彼女を起す時にさへ、彼は、決してこんな騒ぎはしない。もつとも、その為に、彼女の寝巻帯に、細引の一端が結びつけられてあり、他の一端が権六氏の片手の手首に輪になつて嵌つてゐると、そんな工夫が凝らしてはあつたが……

 マリ子はマリ子で、その気配りが、彼の比ではなかつた。彼女は、よき看護婦で、よき扶養者で、よき愛妻だつた。それは、彼女が権六氏の傍で仕事をしてゐる時、権六氏を素裸にして(しら)べたら、いつとうよく判る。爪の間にも、耳の皺にも、その他どの部分にも、一点の汚れがなく、それはもう神に見せたつて、恐らく

「こんな清浄な肉体は、太初のアダム以外に、予は之を見ない。」と云ふかも知れない。

 むろん、マリ子が仕立物を届けに出た留守の間とか、また買物に出かける間は、判らない。それが心配で、彼女自身も、自然と猫背に、小刻みに歩く癖がついてゐた位だつた。

 持薬の胃腸薬は別として、評判の薬は皆買つて呑ませ、お護符(ふだ)も集め、お呪禁(まじなひ)も試み、「白あひるの生血」が好いと聴くと、それも買つて、彼女は彼に飲ませた。さうしてその一つ一つにみな、善い効験(しるし)があると、権六氏は、例の眼を悦ばし()に彼女に向けて云つたが、どれもこれも、彼女から見ると、権六氏の腕に五分の距離だけの自由を与へたものはなかつた。

 だが兎に角、権六氏の眼が嬉しさうに輝くと、もうそれで彼女は満足した。

 仕立物の収入(みい)りの多い時は、それを彼女は権六氏に示して一緒に喜んだ。(すくな)い時は、知らせなかつた。

 悲しみは、お互にお肚中(なか)でし、よろこびは、屹度(きつと)ともにして、妙な、実に妙な幸福に浸りながら、一年二年三年と経つた――

 

    

 

 四年目も、もう時雨(しぐれ)になつた。

 ある夜更け――マリ子は低く下げた吊り洋燈(ランプ)の下へ、縫ひ上つた(ばか)りの子供の祝着を拡げて、裾のあけぼのに載つた鶴亀を、ぼんやりと眺めてゐた。

 マリ子の貝爪の魔術はまだ決して衰へてゐない。権六氏の五体を清浄に保ち、家うちの其処此処に霰の走りさうな光澤を出し、余つた時間で、三ツ(がさ)ねの上二枚を充分に縫ひ上げる彼女だつた。その代りに睡眠時間が乏しく、それさへ、寝巻帯にとりつけた合図の細引に小切られたが、近頃は、すつかり境遇の叩きのかゝつた躯で、別にこたへもしなかつた。

 ふと雨が風に乱れ、その(ざわ)めきの底を縫つて

「七−五−三……」と間伸びのした権六氏の(しはが)れ声が、彼女の耳を打つた。

「まあ」と首をあげて、彼女は彼の枕許へにじり寄り、その鼻の高まつた、口の辺りにまで白髪の芽の出た権六氏の顔を覗き込んだ。

「起きてたの?」

「夢を見た。」

「あら、涙がこんなに!」

「夢、夢だよう。」

「夢、何の夢?」

「七五三…………」

「七五三?」

「子供…………」

 権六氏の眸が、一杯に溜つた涙の底を、ぐるつと上向きに彼女を見、得体の知れぬ、寂しい、笑ひ声らしいのが、つゞけざまに淡紫色の唇を洩れ、さうしてまた涙が、凹んだ米噛(こめかみ)の、やはり白髪の光つてる中へ流れ落ちた。

 彼女は、枕許の手拭で、それを拭ひとり、その湿つたのを、しつかりと自分の眼にあてがつた。

 権六氏は五十に近かつたし、マリ子はやがて四十で、いつまでも子の無い二人だつた――

 

 七五三の祝着は、お屋敷関係(ばか)りでなく、近所からも随分、マリ子のところへ持ち込まれ、従つて、この時雨の晩の記憶は、祝着の仕事の続く間、不可避的に、毎日、新しく、根強く、二人に迫つて来たが、それが、恐らく、きつかけとなつて、権六氏の彼女に対する態度が、少しづつ変り始めた。

 ある朝、いつもの通り、マリ子が、味噌汁を匙で掬つて彼の口へ流し込むと、どうしたのか舌で口の外へ押し出して終ひ

「ばかア」と叫んだ。

 そんな罵声を彼女が彼から聞くのは、結婚以来それが初めてで、冗談にして微笑んだら

「ばかア! 尿瓶(しびん)。」と云つた。

 眼を見ると、其処にも、いつもの優しい抱擁的な表情は影を隠し、劇しい怒気のみが、露骨に現れてをつた。

 かうして一度堤が切れてからは、権六氏は、事毎に、「ばかア」と怒鳴つた。

 それから――喰べ物の撰り好みが劇しくなり、注文の品を彼女が整へに出かけると、いちめんに縮尻(しくじ)つてゐたり、諦めてゐた煙草を喫ふと云ひ出して、彼女が泣いて止めると、今度は、絶食で彼女を脅かしたりする。

 何かが不満で

「死ぬ、今夜死ぬぞ。」と殺気ばんで云つたことがある。

 彼女が仕事に(かこ)つけて、徹夜の覚悟で警戒してゐたら、夜半に、ふと寝息の音が消え、同時に、一方は眼尻へ、一方は眼がしらへ、眸を惹きつけて、しばらく凝然とこちらを見、それから、そのまま、何のこともなく朝まで寝つゞけた。

 以上の状態が半年ほど続いて、とうとう権六氏の最後が来た。

 権六氏は、此の家へ来てから毯栗(いがぐり)で通した頭を、もう一遍昔の馭者時代通りに分け、口髭も伸ばして、牀に仰臥してゐた。すつかり(かさ)が落ち、皮膚は土気色をし、その髪も髭も、(かつら)やつけ髭のやうで、それが、もう、一刻もマリ子を傍から離さなかつた。彼女が仕事の都合でお屋敷へ出ようとすると、あの「馬車の馬丁さん」時分の口調で、皮肉と罵詈(ばり)を浴せて足を()める。夜半は夜半で、合図の細引を引きづめで、彼女も、彼の眠つてる間に(すゝ)ぎものなどを手早く片づけ、そして横になるのが精一杯で、とても仕事へは手が廻らなかつた。

 その彼女のほんの一寝入りしてる隙に、権六氏は、すつと心臓麻痺で()つてしまつたのだつた……

 

 百日紅、葡萄、紫陽花などのあのパイプ百本余を胸に抱いて、日暮里(につぽり)へいつた権六氏が、骨壷へ這入つて帰つて来、改めて、家を出る時分には寡婦マリ子は、勤勉で、健康で、身綺麗な、もとの彼女に(かへ)つてゐた。

 隣人達も、お屋敷の人々も、みんなが

「よかつた、よかつた。」と、彼女の為に云ひ合つた。

 誰も彼も、彼女の性行と腕とを信じて、未来を祝してゐたのだ。

 然し――それは間違ひだつた。

 権六氏の七七日が明けると共に、仕事の依頼は八方から来たが、それをマリ子は、お屋敷も何も片つ端から断つてしまつた。お屋敷の奥向の懇意な人達がその理由(わけ)を尋ねると、たゞ厭になつたからと答へた。

「おほかた結婚でもするつもりなんでせう。まだ三十八だもの。」

 さう人々はまた考へた。然し、それも間違つてゐた。

 彼女には、結婚前に働いて貯めた貯蓄銀行の預金が、権六氏も承知で、十年間の利息と共に、そのまゝ残つてゐた。それが続く間は、それでゆくつもりだつた。

 贅沢はちつともしたくなく、たゞ仕事をしないで暮しさへすればいゝと、さう彼女は考へた。

 五ケ月間、彼女は、寝て暮した。そして五ケ月が終ると共に、殆ど無一文になつた。

 彼女は、家財道具を売り払つた。自分の衣類は質屋へ運んだ。さうして権六氏の衣類だけは、位牌を除く外、あの黒天鵞絨の鳥打帽に至るまで、一包みにして、お屋敷の友達に預け、それから、その位牌一つを入れた風呂敷包みを胸に抱へて街に出た。

 恰度(ちやうど)うつてつけの季節で、木枯しが、毛の薄れた彼女の丸髷を震はせる。ふだん着に、ふだん穿き、彼女は――職業乞食になつたのだ!

 佛教や基督(キリスト)教の慈善機関を貰ひ歩き、うまくいけば泊られるだけ泊り、いけない時には、安い長屋の一間を借りて置いてそこへ帰る。そ云つた乞食に、敢て、彼女はなつたのだ。

 だが、そんな慈善団体にも、むろん、あの下宿業組合の自衛策のやうに、要警戒人の配符は廻る。彼女も遂々(とうとう)そこまで落ち

「何故仕事をしない?」と詰問されたが、その時の返事が

「仕事はしました。」と云つてそのまゝ口を(つぐ)んだ。

「何故結婚しない?」と次に問はれ、それには、権六氏の位牌を差し出して

 「この人があります。」と答へた。

 結局、警察までいかないで済んだが、こんなことに恐れて、この乞食を()さうとは、決して考へなかつた。

 孤児院とか、養老院とか、仮病(けびやう)次第で、楽々とベッドに安臥出来る病院も随分あつたから……

 貰ひものは、生活費を余して、彼女の部屋に殖えてゆき、彼女は相変らず身綺麗で、健康で「勤勉」だつた――

 

     (昭和三年七月「中央公論」)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
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十一谷 義三郎

ジュウイチヤ ギサブロウ
じゅういちや ぎさぶろう 小説家 1897・10・14~1937・4・2 兵庫県神戸市元町に生まれる。貧苦の中で苦学力行、新感覚派のモダニティとも古典派のモダニティとも呼ばれる心理描写に、暗澹を極めた家庭事情にも根ざした厭世思想を色濃くにじませ「意志的なニヒリズム」とも評された独自の境地を示した。

掲載作は、1925(昭和3)年7月「中央公論」初出、後期の秀作。前期の代表作「静物」と併せ読まれたい。

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