最初へ

桜の記憶

 画面の中央にある歪んだ球体は太陽らしい。球体は黄色と白の絵の具が幾層にも塗り重ねられており、手前には樹木が描かれている。樹は幹も枝も赤い。周囲の大気も薄紅色に染められている。太陽の位置といい、構図からしても夕映えの光景ではない。白昼の鮮烈な光線を受けた逆光の中の樹ならば、黒い影として描くのが素直だろう。

 その絵からは特別な才能も機知も感じられない。ただ奇を衒うことで個性を主張しているかのようですらある。それでも野沢浩司には、何か訴えてくる〈気〉のようなものが知覚された。それが何に由来するのか、よくは分からない。が、不可視の光線に射すくめられたように、絵の前から立ち去ることができなかった。理由の判然としないもどかしさを残したまま、漠とした揺らぎの感情が野沢の胸奥に広がっていった。

 その日、野沢は蔵王山系の山麓にある老人保健施設「ゆうばえの園」を訪ねた。このところ、すっかり体力が衰えて歩行にも困難をきたしている、父の入所について相談するためだった。体力だけではなかった。父は米寿を迎えたころから痴呆が始まり、最近は徘徊する体力をなくした代わりに、失禁を繰り返すようになっていた。

 昼夜を分かたぬ介護は母を疲れさせた。子どもたちの前ではいつも毅然としていた母だったが、八十代も半ばになり、ときどき弱音を洩らすようになっていた。このままでは遠からぬうちに母も倒れてしまうだろうことは目に見えている。どうにかしなければならない状況に迫られており、札幌に住む兄や仙台の弟にも(はか)ってみた。いずれも父たちを引き取って生活できる状態にはなかった。

 野沢は知り合いの医師や何人かの民生委員に相談してみた。返ってきたこたえは、「そんな状態では素人が看るより、介護のプロに任せた方が本人のためにもいい」と「本人にとっては住み慣れた家で、家族とともに暮らすのがなにより」というものだった。野沢の妻は世間体が悪いと施設へ入れることに反対した。しかし、そんな感情だけで解決できないことは妻にも分かっていた。みんなが納得しての結論ではなかったが、入所させるしかないだろうということで落ち着いた。そう決まってからも躊躇(ためら)い、野沢の頭には〈遺棄〉という言葉が張りついていた。

「ゆうばえの園」を選んだのは、庄内に適当な施設がなかったこともあるが、野沢の住むアパートから車を飛ばすと、四十分ほどで行けるというのが一番の理由だった。森林地帯を拓いたらしく喧騒からは遠く、広々とした敷地の中を流れる清冽な小川が、夏には螢を招くという環境も好ましいものだった。三年ほど前に開設されたばかりで明るく、こうした施設にありがちな特有の臭いもなかった。医師が常駐し、二十四時間態勢で介護してもらえることも安心できるものだった。

 そこで、野沢は、その絵に遭遇した。

「ゆうばえの園」では、生きがい対策として趣味の活動に力を入れているようだった。ホテルのロビーを思わせる開放的なホールには、入所者による書道や俳画や手芸などの作品が展示されていた。その一角に絵のコーナーがあり、壁に大小さまざまな作品が三十点ほど飾られていた。平凡な風景や単純な構図の静物が並ぶ展観の中にあって、赤い樹木を描いた十二号ほどの絵は一際目立った。絵には「さくら」と題がつけられていた。

 野沢は絵に近づき、画面を舐めるように視線を這わせた。が、桜の花らしいものはどこにも見られない。薄紅色の大気は桜吹雪を描いたものだろうかとも想ったが、流れるように染められた筆の跡からは、靄か風を表したとしか考えられなかった。

 野沢は絵の前に立ったときに覚えた、不可思議な揺らぎの感情に拘っていた。揺らぎの中に匂い立ってくるものは、妙に懐かしい色調を帯びていた。遠い記憶の海へ意識を泳がせていると、ある季節の光景が不意に立ち上がり、その中から瀬尾寿美の姿が炙りだしのように浮かんできた。一瞬、まさか、と想ったが進藤の電話のことも頭を()ぎり、次第に確信めいたものに変わっていった。

 

 昨年の暮れ、庄内に住む進藤秋男から連絡があった。進藤は「瀬尾先生なんだけど、半年ほど前から身体の調子を崩してて、今年の〈もせす会〉には出られないそうだ。息子さんからの連絡なんだが、なんでも、こんど実家の近くの施設に入るという話だった」と用件だけを伝えると電話を切った。声はどこかくぐもっていた。進藤が施設と言ったことにちょっと引っ掛かったが、その時は病院のことだろうと解釈した。野沢にしても最近は体調を崩すことが珍しくなく、瀬尾についてもことさら気にはしなかった。進藤の電話は、野沢に瀬尾の実家が山形市の隣町にあることを思い出させただけだった。

 進藤は野沢の中学時代の同級生だ。中学を卒えると町を出て県外の高校に進んだ野沢にとって、大方の同級生とは疎遠になっていた。が、進藤とは進学の相談を受けたことがきっかけで再会し、それから手紙や電話のやりとりがつづいていた。

 同級生で高校に進学したのは三人にすぎなかった。いつも野沢より成績が上位だった進藤だが、中学を卒えると酒田市内にある精密機械の製造会社に就職した。東京に本社を持つ一流メーカーへの就職は、学校からも仲間からも祝福されたものだった。しかし、勤めているうちに社員の殆どが高卒以上であることを識った。このままでは将来が不安だと相談を持ちかけられたのは、野沢が大学二年のときだった。勤めをつづけながら高卒の資格をとりたいと言う進藤に、野沢は通信教育部への進学を勧めた。

 進藤は仕事に追われスクーリングにも満足に出席できなかったこともあり、単位を取得するのに七年を要した。卒業した進藤は町役場に勤めを替え、一昨年、福祉課長のポストで定年を迎え、いまは自適の生活を送っている。

 瀬尾寿美は進藤の通信教育部での恩師だった。結婚した翌々年に子供が産まれて退職したが、進藤のクラスは卒業後も〈もせす会〉と称し、毎年正月に集まり交流をつづけている。生徒たちには評判のいい教師だったようだ。

 いつだったか〈もせす会〉の名前の由来を訊いたことがある。進藤は「理由は意外に単純なんだよ。瀬尾先生の担当は国語だったし、〈いろは歌〉の最後は〈もせす〉だろう。瀬尾先生が教員生活の最後の年に受け持ったのが、俺たちのクラスだった。そんな訳で仲間の一人が言い出して、〈もせす会〉ってなったんだ」と言った。野沢が「なかなか洒落てていいじゃないか」と言うと、「そうねえ、若いころはいい名前だと思ってたけど、こう、だんだん歳をとってくると、少し考えちゃうよ。〈浅き夢見じ酔ひもせず〉なんて、何だか余命幾許もないって言うか、もうすぐあなたの人生は終わりですよ、って言われてるロートル連中の集まりみたいじゃない」と言って笑った。

 結婚して姓は安藤となっているが、瀬尾寿美について野沢には忘れられない思い出があった。

 

 瀬尾寿美は、野沢と大学で同期の佐久間哲雄の恋人だった。

 佐久間は理学部に籍をおいていた。秋田にある実家は中規模の農家だというので、農学部に進むのが本筋のように思えたが、佐久間は農業の将来に不安を抱いていた。かあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんが働き手になったことを意味する〈三ちゃん農業〉という言葉がマスコミに登場するのは、もう少し後のことだが、若者だけでなく、壮年層までもが就職や出稼ぎの形で農業から離れ、農村の過疎化が進んでいたからだ。

 野沢と佐久間は学部は違っていたが学生寮で同室だった。佐久間は入学して間もなく、野沢と共に入った部活の新聞部で瀬尾と知り合った。佐久間は農村の出に似ず女性に臆することがなかった。瀬尾は野沢が籍をおく国文科の一年先輩だった。

 初めはグループ交際をしていたが、二人は少しずつ仲間と距離をおくようになっていった。野沢たちが「瀬尾のいるところに佐久間あり」と言い、「年がら年中会っていて、よくもまあ話すことがあるもんだ」と陰口するようになるまでに、それほどの時間はかからなかった。実際、呆れるほど二人はいつも一緒だった。野沢たちは「一卵性双生児」と呼び、「あれでは女房の尻に敷かれるダメ亭主になるだろう。ヤツの未来は絶望的だね」と憎まれ口を叩いたりした。飲んでいる席で面と向かって言う者もいたが、佐久間は照れたような表情を見せるだけで動じなかった。自足しているさまは、からかってやろうとする野沢たちの気力さえ失わせた。

 そんなとき、仲間の一人が替え歌を仕入れてきた。学生の間で流行っていたロシア民謡「仕事の歌」の曲で歌うもので、歌詞は「おいしい女、まずい女、たくさん食べた中で、忘れられぬ一人の女、それは寿美という女」というものだった。「寿美」のところを替えれば、どこでも通用するのが受けた。そんな他愛も無い歌を歌うことで、野沢たちは恋人も見つけられない腑甲斐なさを、自ら慰めては鬱積をはらしていた。佐久間をいたぶるという感覚はなかった。それらの言動が羨望の裏返しであることを知っていたから、なんの呵責を感じることもなく、遊び感覚で悪態をつくことができたのだ。本心を言えば佐久間は野沢たちの夢であり希望だった。自分たちに代わって是非とも恋を成就させて欲しい。そう仲間の誰もが願っていた。だから、佐久間がときおり話すデートの様子に野沢たちは一喜一憂した。

 三年の月日が流れ、卒業期を迎えた瀬尾は教員採用試験を受けた。眷族が教育者の家庭に育った瀬尾にとって、教師になることは順当な選択だった。

 教師の道を選んだことに対し、野沢には危惧のようなものがあった。新採教諭は県内のどこへ飛ばされるか判らない。離れてしまうと、どうしても疎遠になるだろうから、彼女を山形市内の企業に就職させるべきだと野沢は言った。経済は高度成長期にあり、就職先はいくらでも見つかる時代だった。しかし、佐久間は自分たちの仲は、そんな脆いものではないと微笑を浮かべて断言した。笑みは野沢を納得させるものだった。

 庄内地方の県立高校に赴任することが内定したとき、佐久間は瀬尾を二泊三日の旅行に誘った。旅行計画を打ち明けられたとき、野沢たちは「頑張ってこいよ」と妙な励ましの言葉を掛けた。

 三月上旬のことだった。北国の街には、まだ冬枯れのおもかげが色濃く残っていた。

 佐久間たちが行ったのは出羽丘陵の山麓にある、桜の名所としても知られる袖の浦温泉だった。袖の浦温泉への交通手段は、奥羽本線の最寄りの駅から一日に三往復のバスしかない。そんな辺鄙なところだから、知っている人に遭う心配はないだろう、との理由で選んだと言うことだった。

 奥手だった野沢は旅の様子が気になった。男と女が一夜を共にするとき、どんなふうに時間を過ごすものなのか。いろいろ想像してみたが、何ひとつ具体的な像は浮かんでこなかった。野沢は、しばらくもんもんとして落ち着かない日を送った。幾晩か艶かしい女体の夢に悩まされ、思い出しては身体を熱くした。

 二人の旅行に興味を抱いていたのは、野沢だけではなかった。仲間の間で意識的に避けてきた感じもあったが、いつしか関心は沸点に達していた。

 そんな日、誰からともなく〈凱旋記念〉の飲み会を開こうということになった。そこで野沢たちは、渋る佐久間に旅の報告を無理強いした。

 佐久間たちが袖の浦温泉を訪れたのは、平日の正午過ぎの早い時刻だった。こぢんまりした土産店と二軒の食堂のほかには、これといった目立つ建物のない駅前を発つと、ボンネットバスは間もなく山峡にさしかかった。傾斜の急な川沿いの狭い道を縫うように三十分ほど進むと、右手に歓迎の立て看板が見え、やがて道は行き止まりになった。袖の浦温泉は、どん詰まりに古びた二軒の旅館が建っているだけの温泉郷だった。

 旅館は木造の二階建てで、六畳の粗末な箱のような部屋が廊下の片側に連なっていた。部屋の前に七輪などの炊事用具が備わっていることから、長期間の湯治を目的にした人たちのための旅館のようだった。季節がずれていたこともあり、泊まり客は佐久間たちだけだったという。仲間の一人が、「ついてたよなあ。貸し切りみたいで最高じゃないか」と言うと、佐久間の端正な顔がちょっと歪んだ。野沢は、そんな旅館のことなんかどうだっていいのに、と想いながら聞いていた。

 旅館や袖の浦について一通り語った佐久間は、

「無理しても、もう少しいい旅館に行くべきだったよ。木賃宿って言っちゃなんだけど、記念すべき初めての旅行だったんだからなあ……」

 と呟くように言った。そのとき佐久間の表情が少し曇ったのが気になった。しかし詮索することもなく、そんな気持ちのひっかかりは、好奇心の前ではたちまち(しぼ)んだ。

 いつまで経っても興味の核心に触れる話題は出てこなかった。みんな苛々し始めていることが、酒を飲むピッチの早さに窺われた。そんな野沢たちを無視して、

「そこでなあ、すごいものに出遇ったんだ。桜なんだがね」

 と、急に話題を変えた。

「冬の桜なんて、冬の花火ほどの興味もないね」

「花火なら、まだ風情があるから救われるさ。でも、桜の枯れ枝に鴉がとまっていた夕暮れの光景に感動した、なんていう年寄りくさい話はごめんだぜ」

 野沢たちは一様に、そうしたことを口にした。

 佐久間は、「まあ、聞けよ」と制止しながら話し始めた。

 部屋にいても手持ち無沙汰だった。いつもと雰囲気も違い話は少しも弾まない。それに火鉢が一つだけの部屋は深々と寒かった。淀んだように進まない時間を持て余した二人は温泉に入ることにした。そこで佐久間はちょっと言い澱み、一呼吸おいてから再び話をつづけた。

 湯殿は男女別にあった。佐久間は男湯に行ったが、足を入れることもできないほど熱かった。蛇口をひねっても水は出ない。浴衣のまま仲居さんに訊きに行くと、「湯殿は一日交替で使って貰ってます。せっかく来てくださったお客さんに、水道水で薄めた温泉に入って貰うのは失礼でしょうから、源泉を湯槽に張って一日放置して、冷ましてから利用して貰うようにしてます。ですから、今日は女湯を使ってください」と言われたという。野沢が「それって、早い話が混浴ってことじゃない。それで一緒に入りましたってわけか」と言うと、佐久間はむっとした顔をして「仕方ないだろう」と言った。

 硫黄の匂いが強く、膚にまとわりつくような粘性をおびた温泉は熱かった。お湯からあがると佐久間は火照った体を外気に当てようと、瀬尾を散歩に誘った。二人は浴衣の上に褞袍を羽織り下駄をつっかけて宿を出た。

 上空は霧に閉ざされ、峡谷の大気は凛然としていた。桜並木を歩いていると、急に強風が吹き霧がはためき流れた。山の尾根がくっきりと現れ、そこから碧空が急速に広がっていった。わずかに中天を過ぎたあたりに太陽があり、目の奥が痛くなるほどの眩しい光線が降り注いできた。そのとき逆光の中で桜の樹容が一変したのだという。その現象に気づいたのは瀬尾だった。

「俺も初めて見る光景だったけど、桜の樹皮が鮮やかな紅色に染まってるんだ。それで改めて周囲を眺めると、並木全体が、ぼおっとした薄紅色の靄のようなものに包まれてるんだよなあ。それって強烈な日光で枝を透かして見たときに現れる光彩なんだろうな。そうそう、幼児の耳たぶを逆光で見ると、透き通るように鮮やかな紅色に浮き上がるだろう。あれと同じ現象だと想うんだ」

 佐久間は興奮気味に、言葉を捜すのももどかしげに話した。

「日の光が堅い樹皮を通過するなんて、まるでレントゲンみたいな話じゃない。ちょっと信じられないよ、なあ」

 と、仲間の一人が言った。同調するように座が騒立(さわだ)った。佐久間は、

「俺だって信じられなくて、最初は目を疑ったさ」

 と言い、どう説明すれば納得して貰えるだろうと、顎に手を当て思案するようなポーズをとった。しばらくして佐久間は、

「それってなあ、簡単に言えば、春に近い季節になると、これから花芽に吹き込まれる樹の中の紅の色素が、枝の表層に集まってくるんだ。それを太陽光線が浮き上がらせ、解き放つってわけさ。きっと花芽を持つ寸前の桜の樹に、強い逆光の中で出合ったときだけに見られる現象なんだと想うよ」

 と言った。そして、

「あの〈願はくは花の下にて春死なん〉の西行の時代から、桜は開花したときが絶頂期だって考えてる人が多いだろうけど、本当の桜の絶頂期は、花芽を持つ直前の季節にあるんだって、そのとき想ったね。花なんてのは、いわば桜の生の残骸にすぎないんじゃないかってね……」

 佐久間は、何かにとり憑かれたように話しつづけた。野沢は、

「さすが理学部のホープ、われわれと目の付けどころが違うねえ」

 と言った。その推論を全面的に認めての発言ではなかったが、すごい観察力だという想いはあった。しかし、彼にはからかいにしか聞こえていないようだった。佐久間は、

「どうも信じて貰えないようだね。でも、これは決して奇想なんかじゃないんだ。草木染めをしてる知人にも訊いてみたんだが、桜の色素を取り出すときは、花びらそのものではなく、桜の生命力が最も盛んな、花を持つ寸前の樹皮を利用するんだそうだ。それに、桜の本当の色はピンクなんかじゃなくて、赤みを帯びたブラウンだっていうことだ」

 と、語気を強めて言うと、急に思い出したようにハイボールを飲み始めた。黙りこくり視線はあらぬ方に据えられていた。もう旅行については一言も話すまいという意志のようなものが感じられた。不満を顕わにした佐久間の顔を見ていると、桜の絶頂期は花芽をつける寸前にあるというのは信じていいことかもしれない、と野沢は想った。

 薄紅色の靄に包まれた桜並木の光景が、野沢の胸の中に広がっていった。

 

 三月下旬、野沢たちは庄内に赴任する瀬尾を山形駅まで見送りに行った。感傷を見せない瀬尾が、ひどく大人びて見えた。佐久間と瀬尾の間に言葉は少なかったが、ときおり交わす視線には信頼と自信のほどが窺えた。野沢は、何年か後には必ず結婚するだろうことを疑わなかった。離れていても恋を成就させて欲しい。それは野沢の希望でもあった。野沢にも文通している女友達がいた。佐久間たちの在りようは、他人事ではなかった。

 野沢は二人に羨望の眼差しを向けつづけた。そのとき、不意に花芽をつける直前の樹皮は逆光の中で紅色を放ち、それが桜の絶頂期なのだという言葉が甦ってきた。

 ・・本当にそうなんだろうか、

 と、野沢は想った。例え情緒的と非難されようと桜の絶頂期は開花にあると想いたい。開花前に拘った佐久間の真意は別にあるのではないのか。そんな疑念を覚えたとき、野沢の裡に漠然とした不安めいたものが湧いてきた。野沢は狼狽(うろた)え動悸を覚えた。「そんなことはうがち過ぎさ」と呟き払拭(ふっしょく)しようとしたが、不吉な色彩を纏った想いは絹雲のように広がって行った。

 翌年、卒業した野沢は山形市内の印刷会社に勤め、佐久間は山形市から電車で二十分ほどの距離にある町の県立病院付属の研究室に就職した。お互いに通勤の便を考えて借りたアパートも近かった。どちらから誘うともなく、週末には決まって一緒に飲んだ。話題の中心はいつも瀬尾のことだった。

 

 佐久間と瀬尾が別れたのは二年後だった。少し前から瀬尾のことが余り話題にのぼらなくなっており、それが気になっていた矢先のことだった。それでも野沢には二人の別れが意外であり唐突にも感じられ、現実を受け入れるのに、しばらく時間がかかった。瀬尾に新しい恋人ができたのが原因で、相手は同じ学校に勤める英語の教師だった。やはり距離を隔てての恋愛は、若さゆえに無理なのだろうか、と野沢は想った。

 ・・本当に別れは突然だったのだろうか……、

 という感懐が野沢の中に突き上げてきた。佐久間が桜の絶頂期は花芽をつける寸前にある、と執拗に説いたとき、自分たちの将来が見えていたのではなかったか。あのとき、野沢が漠然と覚えた不安も、その辺りにあったような気がした。

 そんな推理が当たっており、別れの予感を秘めた交際であったにしろ、その頃の佐久間の憔悴したさまは、見ている方が辛かった。自殺するのではないかとさえ想われ、用もないのに、野沢はしばしば佐久間を訪ね飲みに誘った。

 野沢の前から瀬尾の消息は遠退いていった。

 

 瀬尾寿美のことが再び野沢に聞こえ始めたのは、二十年ほど前からだった。記憶の襞に埋もれていた瀬尾を甦らせたのは進藤秋男だった。

 数え年の四十二歳を迎えたとき、厄払いをうたった中学校の同級会が羽黒山麓の宿坊で開かれた。酒を注ぎにきた進藤が「安藤っていう先生、お前、知ってるだろう」と訊いてきた。野沢が怪訝(けげん)な表情をしたらしく、進藤は慌てて経緯を説明した。同級会の少し前に開かれた〈もせす会〉の集まりで、中学時代のことが話題になった。そのとき、安藤先生と同じ大学に行った野沢のことを話したら、彼のことならよく憶えていると言い、ひどく懐かしそうにしていたという。野沢は瀬尾が結婚して安藤姓に変わったことを、そのとき初めて知った。

 二人の間で瀬尾の話題が交わされるようになったのは、それからだった。

 野沢と話すとき、進藤は彼女のことを瀬尾先生で通した。〈もせす会〉のあとは、決まって瀬尾のあれこれを律儀に報告してきた。そんなことから、野沢は瀬尾が二人の男児に恵まれ、その子どもたちが高校、大学と成長し、就職して結婚するまでの逐一を知ることになった。「仕合わせを絵にかいたような家庭」というのが進藤の口癖だった。

 進藤がことあるごとに瀬尾について報せてくるのは、野沢と瀬尾が恋仲にあったと想像してのことのようだった。その誤解を野沢は敢えて訂正しなかった。瀬尾の在りように改めて関心を持ち始めていたからだ。瀬尾には仕合わせな日々を送ってほしい。そう想う反面、かつて仲間の羨望を一身に集めた恋人同士の一方だけが、何の痛手も負わず仕合わせになるのは許せないという想いも、漠としたものとして野沢の胸奥に沈んでいた。

 進藤から届く情報を、野沢が佐久間に話すことはなかった。そうすることが、何か残酷なことのように想えたからだ。瀬尾と別れたあと、佐久間の中を何人かの女性が通っていったことを野沢は知っている。が、結婚するにはいたらなかった。瀬尾を超える女性が現れなかったから、独身を通してきたのだろう。そう考えることは野沢を安堵させた。しかし、何かのときに佐久間は生涯を賭けて瀬尾に復讐しているのではないか、との想いに因われることがあった。

 

 野沢は、「さくら」の絵から離れられないでいた。

 淡いブルーの制服を着た看護師が声をかけてきた。受付にいた女性だった。

「園長がお待ちかねですよ。野沢さん、絵に興味がおありなんです?」

「別に、そんなんじゃないんですが、ちょっと、この絵に……」

「ああ、この絵ね。色づかいが変わってるでしょう」

「なにか不思議な感じのする絵ですよね。描いたのは女性の方?」

「ええ。学校の先生の経験がおありになる六十三歳の方です。やさしそうな方なんですけど、話しかけても返事をしてくれないんですよ……。野沢さん、いま、女性の方ですか、っておっしゃいましたけど、なにか、お心当たりでも?」

 看護師がちらっと怪訝な顔をしたのが視界の片隅に捕らえられた。不意を突かれて動揺した野沢は、冷静を装いゆっくりした調子で応えた。

「いえ。ではないかなって、想っただけです。もう随分昔のことですから、はっきりしませんけど。それで、その方は、いつから、こちらに?」

「もう、八ヵ月になりますかしら。何か事情があるんでしょうか、ぜんぜん家族の方は顔を見せないんですよ」と言い、「ここにいると肉親の面会が一番の楽しみですのに……」と、声を落とした。看護師の口調には入所者の寂しい想いを訴えたいという真情が篭もっていた。少し間をおいてから、彼女が入所して二月ほど経ったころ、一度だけ家族が面会に来たときの様子を話した。そのとき彼女は一時間ほど何の反応も示さなかったが、兄という人が幼いころの愛称で、「とみちゃん」と声をかけたとき、初めて視線を上げてふっと笑った。はっきりした言葉にはならなかったけれど、何か懸命に話そうとしていた。それまで施設の人には見せたこともない、穏やかな表情だったという。そして、

「いまのことは判らなくても、昔のことはよく憶えてるんですよね。それに医師の話ですと、この病気の患者さんに限らず、苦しいことや嫌なことがあると、過去の仕合わせだったころの自分に逃げ込む、そんな性向が本能的にあるようですわ」

 と言い、なにかを探るような面持ちで野沢を見てから、また絵に視線を戻した。

 進藤は、瀬尾が明るく円満な家庭を営み、なに不自由のない仕合わせな日々を送っていると言っていた。だから野沢も、彼女は孫たちに囲まれて、穏やかな老後を送っているものとばかり想っていた。進藤が虚言を弄していたとすれば、この事態を受け入れることができる。が、実直な進藤が嘘をついていたとは考えられないし、嘘をつかねばならぬ理由も想いつかない。であれば、彼女が仕合わせな家族を演じていたことになるのだろうか。なぜ、なんのために……。

 野沢の頭の中は混乱し、軽い眩暈を覚えた。

 彼女の病名はアルツハイマーだった。若年性老人性痴呆症を宣告されたのは、五十八歳のときだったという。野沢が、そんなに若くしてと訊くと、看護師からは「この病気の前駆症状の平均的な発症年齢は五十二歳なんです」と抑揚のない返事が返ってきた。

「ここでは、どんな生活を?」

 瀬尾の日常にも関心があったが、父のためにも訊いておきたかった。

「家庭での生活をそのまま延長したような、ごく普通の生活ですよ。食事の後はホールに集まって話し合いをしたり、娯楽室で趣味に勤しむ人も結構います。安藤さんにも、みんなと交わると気が晴れますよってお勧めするんですが、他人には関心がないんでしょうか部屋に篭もっていることが多いですね。一日中、こんな桜の絵ばかり描いてるんですよ。入所した当初から、ずっとそうなんです。うちには絵の指導者も週に一度見えていて、色づかいなんかも教えてるんですけど、どうしても幹や枝を赤く染めるんですよね。樹皮には樹皮の色ってものがあるでしょうって強く言うんですけど……」

「いや、彼女には桜の樹皮が赤く見えるんじゃないですか。これはこれで、なんかシュールっぽくて、面白いじゃないですか」

 そう野沢が言うと、看護師は訝しげな表情を見せた。

 野沢が絵の前を離れたとき、看護師は「どうでしょう。園長との話が終わりましたら、お会いしてみません? いまも、きっと絵を描いてますわ。会ってあげたら、喜ぶと思いますよ」と面会を勧めた。

 瀬尾の今に興味を覚え、野沢の気持ちは少し揺らいだ。が、たちまち会っても仕方がないとの考えに取ってかわられた。二人の間には、四十年の歳月が横たわっている。もう憶えていないだろうし、憶えていたとしても、何をどう話せばいいのか、会話の糸口すら掴めない。それに、こんな状態の瀬尾に会うのは残酷すぎるのではないか。会わないのが賢明だろう、と野沢は想った。

「今日は遠慮しときます。今度来たときにでも……」

 野沢はやんわりと断り、園長室に向かった。

 このことを佐久間に話したら、どんな反応を示すだろう、という想いがちらっと脳裏を掠めた。そのとき、お前には嗜虐の趣味があるのか、と言う声が聞こえて来たようで、野沢の気持ちを少しのあいだ暗くした。

 父の入所は十月末の日曜日に決まった。もう自分のことなど分からなくなっているかもしれないが、たまには面会に来なくてはならないだろう。いつか瀬尾と遭遇することになるかもしれない。が、自分から接近するのはよそう、と野沢は想った。

「ゆうばえの園」を出ると、駐車場には西山の陰が斜めに延び、辺りには薄い紫陽花色に染まった風が吹き始めていた。裏の林から息急き切るような蜩の声が湧いてきた。

 ・・もう秋なんだ……、

 その想いは野沢を感傷的にした。過ぎ去った季節への愛惜と諦念のような感情が胸中で交錯し、不意に熱いものが込み上げてきた。

〈了〉

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/02/10

背景色の色

フォントの変更

  • 目に優しいモード
  • 標準モード

笹沢 信

ササザワ シン
ささざわ しん 小説家 1942年 旧朝鮮・京城市(現ソウル)に生まれる。小説集『飛島へ』で山形市芸術文化協会賞受賞。

掲載作は2002(平成14)年9月、「山形文学」第80集に初出、電子文藝館出稿に際し2004(平成16)年2月改稿。

著者のその他の作品