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泉鏡花とロマンチク

   

 

 はでやかで鮮かで意気な下町風の女の夕化粧じみた紅葉の小説や、哲理とか何とか云つて重つくるしい露伴の小説や、基督教趣味で信仰で固めて、ちと西洋臭い様な蘆花の小説や、それから此頃名高いこれこそ本当の小説家である漱石、殊に智慧にも富み機智にも充たされて、飽くまでも西洋の学問と文化とを日本の趣味に醇化したこの新小説家の小説を読んでから、(ひるがへ)つて鏡花の小説を読めば、丸で変つた国に這入つた心地がする。例へば(にはか)に寂しい夕暮に闇路深い谷間の森に迷つたやう。(ふくろふ)も人真似して啼きさうな、螢が飛び出しても直ぐに人魂と思はれさうな物凄い感じがする。(しか)し嬉しい事にはそれは涼しい夏の夜で、空は海の底を見るやうに晴れて居る、月はやがて冴え冴えとして照して来る。あゝこの夜の美しく清く、いかにも真昼の蒸暑い熱が無い月の光に照されては、情自(おのづか)ら燃え想自ら躍りて、而かも真昼の世に為さるるとは事変はりて、少しも熱もなく苦しくもない、云はば大理石像に血が通うたなら感ずるだらうと思はるる様な心持になる。思へば今の世の写実小説とか家庭小説とか翻訳された小説の大方は、蒸暑くつて汗臭くつて堪へられぬ。畢竟鏡花は初めての夜の小説家である、月夜の小説家である。日本の文学は鏡花に到つて初めて夜になつたのである、夜の秘密は彼に依つて初めて日本に伝へらるるのである。幽霊、怪異、物凄さ、神秘、幽玄などが、殊に彼の小説中に現はるるのも何の不思議はない。是等は凡て夜の児であるからである。

 是に到つて、誰か十九世紀の初めに独逸に起つたロマンチクの文学に想ひ及ばぬものがあらうか。シュレーゲル兄弟の一派がロマンチクと銘を打つた文学、即ちヘルデルリン、ノヴァリス、チーク、ホフマン、アイヘンドルフ等を経てハイネに及んだ一団の思想傾向によりて生れた文学は、畢竟夜の産物であつた。独逸の文学は(こゝ)に初めて夜になり、星も冴え月も照らす、梟も啼けば幽霊も出て来る。抑々(そもそも)夜は差別を没する、従つて差別の依つて生ずる理性も理会も無くなる、最後には唯心持ち、情感のみが残るのである。()て理会の状態は古今東西甚だ差別があるが、情感はそんなに異なるものではない。従つて夜に生れた鏡花の小説が、百年の昔独逸に起つた夜の文学即ちロマンチクの文学に甚しく似て居るのも、何の怪しむ所がなからう。

 

   

 

 鏡花とロマンチクと似たと云つても、勿論()の点も似たとは云はれぬ。この十九世紀初期の独逸のロマンチクは、決して単に神秘幽玄恍惚の情感を描いたから、今日不断に用ゐる意味でロマンチクと呼ばれるのではない。否々尚深大なる意味をもつて居る。つまりはあの独逸であつたから、殊に十九世紀の初めに哲学界文藝界等あらゆる思想界に起るべき運命をもつたのである。(しか)らば如何なる点に於て鏡花はこのロマンチクと似て居るか、これが問題である。それを研究する前に、先づロマンチクは如何なるものであつたかを考ふる必要がある。

 哲学者なるカントは、哲学界宗教界倫理界乃至(ないし)あらゆる学術界に於て、全く新しい近代的の思想を開発した第一の哲学者であることは云ふまでもない。彼は実に近世の思想界の父である、新光明世界の創造者である。哲学界では在来の知識理会を第一義とする所謂啓蒙主義を一撃の(もと)に征服して、認識論から先天的実在論を唱道し、兼ねて信仰に基いた道徳を提唱して万有神論の基礎を固めた。シェリングやへーゲルは、実にこの系統の中に生れたのである。文学界ではシルレルが即ちカントの道徳論を詩に歌つた詩人であれば、これも(まさ)しくカントの継紹者である。(しか)して不思議な事にはシルレルやへーゲルとは、主義に於ても主張に於ても全く容るる所のないロマンチクも実はカントから生れたものである。カントがなかつたら恐らくはあんなシルレルやへーゲルが出なかつたと同じく、あんなに銘を打つたロマンチクも亦決して生れなかつたらう。カントは誠に近代に於けるあらゆる思想や傾向の父であつた。

 カントは先づ啓蒙主義を打破してしまつた。啓蒙主義では感情や意志などは下らぬものとなつて、理会が万能になる。この知識や理会を以て色々に()ね合はして世界の実体を判断し、何んでも論理で哲学的臆測を構成したものである。そこでカントは第一にこの説に反対して云ふのには、「知識と云ふものは、万物が如何なる風に吾等に見ゆるかを識り得るものであるが、万物其者は何であるかは識り得ない。吾等は万物の実体を知ることが出来ない。これ故に知識や理会の上に世界観を組み立つることは出来ぬ」と。この言はカント哲学の鉄案であると共に、ロマンチクの人生観世界観の根蒂(こんてい)である。ロマンチクとは、即ち万有不可解の哲理の上に立てられた新しい人生観に外ならない。

 この一言で知識を万能とせる者は大打撃を受けた。併し吾等にとりて、万有不可解の哲理程悲しいものはなからう。吾等が信仰に依つて神を信ずるのも、不断に道徳的に健闘するのも、汲々として哲学を(きは)めて冥想するのも、実はこの我と云ふものと万有との交渉融通を求むるに外ならぬ。吾等は決して棄てられたる野の石の如く、茫然として独り万有の中に転がつて居る存在に堪ふる者でない。然るに万有は不可解と云ふではないか。この我を没すべき融合すべき万有が何であるかも、また何処にあるかも知らぬ。即ち人生と云ふ旅路の目的物が、忽焉(こつえん)として幻よりも淡く消えて了つたのである。(ここ)に於て吾等は(たし)かに慟哭する、絶望する、憤死する、狂死する。あはれカントの哲学の鉄案は、正しく人を殺さなければ止まぬ。(もと)よりカント自らは自殺もしなかつた。彼は信仰の上に道徳的世界観を立てて復活したが、こは(もと)より、彼れの崇高にして而かも普国的の義務を(おもん)ずる男性的道徳的人格の然らしめた所である。併しこんな偉大なる道念を有し得ない人にありては、慥かに彼れの哲学は狂死の基となるに違ひない。詩人クライストの死んだのは全くこの為である。彼は知識が()うしても万有の実体を闡明(せんめい)し得ないので、煩悶して自殺したのである、否、彼にありては生きて居る間には許されなかつた真理即ち万有の実体の世界を見んが為に、「探見旅行」を企てたのである。あはれクライストを殺したものは誰れでもない、カントの「純粋理性の批判」即ちこれである。あはれはかない限りではないか。

 こんな万有不可解の哲学は、如何にしても吾等の堪へ得るものではない。即ち吾等の狂死を救はんが為に、カント哲学の不満を充たす者が(おのづか)()で来なければならぬ。フィヒテ及びロマンチク即ち是れである。是に於てカントの先天的二原論は積極的となる。即ち「我」と云ふものが極度迄に拡充されて、遂には万有をも一呑みにして了ふ。カントの不可解であると云つた万有其者は、つまりはこの「我」に外ならない。かくてカントの哲学は全然主観的となりて、「我」の無限絶対の自由と独立を規定するものとなつた。(もと)よりこの「我」とは最早野中の石ではない、活動する、発展する、創造する。外界にある一切の物象は、かくして「我」によりて創られたるものである。これ故に「我」とは同時に、無限に物を産出する独創力である。(かく)の如くにしてカント哲学の不満は全く充たされて、万有不可解で自殺する必要は最早(もはや)無くなつた。しかしフィヒテとロマンチクは此処迄は道連れであつた。即ち世界観は両者共に出発点を(いつ)にして居るが、これからは両者全く違つた発展を為した。取りもなほさずフィヒテは「我」の本体をば道徳的意志とした。故に「我」によりて創らるる外界は、道義的秩序に依りて成立する。こんな厳粛な崇高な思想は、ロマンチクの(もと)より堪ふる所ではない。即ちロマンチクにありては、「我」と云ふ者の本体は意志の反対なる感情である。この感情を対象とする藝術は、ロマンチクの世界に外ならぬ。而して感情の極致は天才である。依つて天才はロマンチクの理想の頂点である。カントは既に「天才とは藝術上の法則を授くる生れながらの情感の要素を指すのである」と云つたではないか。而してカントによれば、外界の現象は全く吾等の理会から出来るものである故に、この天才も亦外界の世界を創る事勿論であらう。かくて「我」と云ふものの極致は天才である。従つて天才なる詩人は、初めて万有を創り抽象のものを闡明する。彼こそ本当の哲学者と呼ぶべきである。かくて天才に依りて啓示せられたるものは、初めて之を真理と称すべく実体と名づくべきである。

 独逸のロマンチクは、こんな風に発展したものだ。フィヒテとは無論兄弟分で、共にカントの子であるから、あの独逸の崇高雄大なる哲学と同一の深い根柢を有するは固より当然である。然らば鏡花は如何なる哲理の上に立つか、鏡花は果してカントの哲学に影響せられたか、或は万有不可解の哲理に其発足点を求めたか、予は(もと)より之を知らぬ、知る手蔓は勿論ない。此故に哲理の上で、即ち其根本主義に於て予は鏡花とロマンチクとを比較せんとするものでない。この点に於ては恐らくは少しも似通うて居るものはなからう。

 予が両者似て居ると云ふのは、天才の要素なる感情が、外界に対して起す心理的傾向に就て云ふのである。

 

   

 

 鏡花の小説中の感情とは如何なるものなるかを見んには、先づ其人物を知らねばならぬ。而して鏡花の人物では女が不思議な程優ぐれて居るから、先づこの女を一通り研究せねばならぬ。世に鏡花の小説の女ほど、美しく優しく燃ゆる様な情があつて、而かも涼しい程透き徹る様な少しも濁りけのない智慧をもつて、さばけて、意気で、粋で、而かも照り輝くばかり品が可い女は無からう。そして銀杏(いてふ)返しや島田が尤も()く似合つて居る、つまりこれ程日本趣味に出来て居る女は無い。予の知れる範囲では西洋などには勿論居ない、今迄の日本文学にも見当らぬ。遠い昔は知らぬ事、西鶴にも京伝にも馬琴にも紅葉にもこんな女は見当らぬ、まして現代の非日本式の写実主義や翻訳主義や基督教主義の小説家などには思ひも寄らぬ。予には白百合の花にも譬へられたつゝましげに清らかな日本の女が、初めて今日生れた様に思はれる。

 予の第一に好きな女は、「誓の巻」のお秀である。「振仰ぎ見返れば、襲着(かさねぎ)したる(たへ)なる姿、すらりとしたるが立ちたりき。(その)美しさ気高さに、まおもてより見るを得ず、唯真白なる耳朶より襟脚にかけ、頬にかけ、二筋三筋はらはらと後毛(おくれげ)の乱れかゝりたる横顔を(そつ)と見たるのみ」にて、読者も新次と共に恍然たらざるを得ない。お秀は母の無い十四歳の新次に非常に同情を寄せて可愛がる。さうして是からこの新次がお秀を懐かしがる愛情は、誠にたとしへなく美しい。「誓の巻」は実はこの美しい愛情を描いて居るのである。一体鏡花の人物は他の小説家のと異つて居る様に、男と女との関係が世の常の恋と云ふものと甚だ違ふ。それで鏡花はまだ幼い男の児が若い娘に対する愛情を能く描く。「誓の巻」はこの好適例である。併しこの男の児が若い女に対する愛情も、決して世の常の異性の間に成立つ恋とは全く別物である。世の常の恋とは(こゝ)に詳しく説く迄もなく、経済問題実用問題と、更に異性間の愛情とが(もつ)れ合つて成立するものである。故に家庭とか新生涯とかが其理想となる。併し鏡花にある男と女との関係はさうでない。先づ第一に注目すべきは、男の児は大抵お母さんが無い事である。それで母なる女性に対する憧がれと懐かしさの情は非常に強い。さうして自分を可愛がつてくれる純潔な処女に対して、初めてこの亡き母に対する憧がれと懐かしさが具体的に起るのである。鏡花の愛情と云ふのは、(かく)の如くにして成立する。即ち哲学めいた詞で云へば、万有を愛護する所謂マリヤの様な慈母の女性に対する憧憬が、鏡花の愛情の根柢を為すのである。故に鏡花の愛情の目的は、夫婦になることではない、家庭を作る事でもない。つまり母と子になるのである、姉と弟となるのである。あゝこの小児の無邪気と其母を慕ふ心と、更に処女の純潔と、其愛憐の情とが相結ぶ時は、どんなに美しい仲となるのであらう。世の家庭を理想とする愛情は、兎角(とかく)我執の念と利己心に充ちて居る。だから恋の裏面は嫉妬である。又家庭の道徳なる貞操も、多くは悋気(りんき)や嫉妬の上に建てられる。だから暑苦しい、飽き果てられる、時には醜悪である。よしこんな世俗のものでないとしても、あのロマンチク文学の描いた恋、例へばクライストのトゥースネルダのアシレスに対する恋や、グリルパルツェルのメヂヤのヤソンに対する恋や、それからダンテのパオロとフランチェスカとの恋、ワグネルの詩作に於ける大方の恋などは、如何にも先天的な超世界的の磁石力の様な魔力から成立して居て、真に人を魅する、痛切に感ぜしむる、感激せしむる、果ては恐ろしく成る、(さな)がら夢見ながら(うな)さるる感じがする、苦しさ例ふるに物ない。吾等の弱い心は最早こんな激烈なデモニックな感情に堪へられない。鏡花のは少しもこんな恐ろしさがないと同時に、我執の念もない。経済的乃至(ないし)世俗的の観想をも伴はぬ。全く清い美しい姉と弟との関係に外ならぬ。我執の念と利己心と、更にあらゆる悪徳の上に()た暑苦しい熱情の上に超然たるは云ふ迄もない。併し姉と弟との関係と云つても、決して世にある家庭内の姉弟の関係ではない。そは精神的である。而して一切の悩みや罪や煩ひから自由にしてくれる所謂(いはゆる)久遠(くをん)の女性」としての姉との関係である。そしてこの姉は血もある涙もある活きて居る女であることは勿論である。故に鏡花の女は単に姉や又は母たるのみならず、あらゆる秘密を()めてゐる女らしい女である。だから鏡花の愛情とは、母の慕はしさと、姉の懐かしさと、更に女の恋しさとに依りて成立する。あゝ之を愛と呼ぶも未だしである、恋と呼ぶも猶及ばずである。この愛憐の心持ちを何と呼ぶべきか、予は(もと)より適切の文字を知らぬ、恐らくは日本にはまだ無いのであらう。西洋の辞書にも無論なからう。

 新次がお秀に対する感情も、正しくこのまだ無名の心持ちである。新次がお秀と別れて帰る時分に、

 

……と背後より裳を軽く捌きつゝ、するすると送り出でしが、「宜しく」とばかり云ひ棄てて、彼方向きたまひし後ろ姿、丈は予よりも高かりき。

 

と云ふあたり。それから鳩の時計で鳩が鳴くのを、新次はどうしても鳩が鳴くのとは思へない、お秀が鳴く真似をするのだと云ひ争うた時に、お秀は「そんなら私の口を圧へなすつて居らつしやいな」と云つて、

 

熾ゆるが如きわが耳に、冷たき秀の鬢触れて、後毛のぬれたるが左の頬を掠むる時、わが胸は彼が肩にておされぬ。襟あしの白きことよ。掌は其温き脣を早や蔽ふたり。雪は戸越しに降りしきる。

 

と云ふ一段の如きは、至情言外に溢れて(たし)かに読者の魂をとろかして了ふ。こんな美しくも可憐な哀感は又とあるまい。かくて新次のお秀に対する愛は、命と共に痛切になる。お秀は最早お嫁に行つた。併し新次の愛は決して失はれたる恋を悲むのではない。つまりはお秀と兄弟の様にして暮せば、新次の望みは足るのであらう。併しこんな事は、とてもこの世の中に出来るものでは無い。殊に母とも思つた新次の師なるミリヤードは、基督教の立場から固く新次にお秀の事を思ひ切る様に命じた。彼は臨終の刹那にも新次にこの事を云つた、果ては母の心を以て叱つた。

 

秋に沈める横顔のあはれに尊く、うつくしく気だかく清き芙蓉の花片、香の煙に消ゆるばかり、亡き母上のおもかげをばまのあたり見る心地しつ。いまはや何をか云はむ。

「母上」とミリヤードの枕の元に(たふ)れふして、胸に縋がりてワッと泣きぬ。誓へとならば誓ふべし。

 

 あはれお秀を忘るる様に誓はねばならぬのか。こんな悲しくはかない心細い哀れさは又世にあるべきか。この一段は真に人をして泣かしむる。思へば基督教の文化は、新次の心持ちを解するに適しない、否、今の世の道徳は大方こんな感情の独立と存在を許さぬのであらう。つまりはまだ何ものたるかを知らぬからである。

 この外この感情を描いて居るので、予は「照葉狂言」が大好きである。この小説のお雪と貢の仲もお秀と新次とのそれと同じであるが、更に痛切で可憐である。お雪はお秀よりもつゝましげに鬱気(うちき)で、物憂きことにやつれては弱々しく風にも堪へぬ女である。まるで野の繁みの中に人知れず露も重げに首垂(うなだ)れて居る白百合の花である。さうしてお雪は残忍な継母の娘ではないか。継母と云へば油が惜しいから夜はランプを点けないのである。薬であるからと云つて木槿(むくげ)の花まで粥に入れて食ふのである。梨の核をも棄てないで勿体なさに絞つて其汁をも飲むのである。お雪はこんな継母の許に暮して居る可憐極まる女ではないか。貢はまだ十歳足らずの男の児でこれも母が無い。お雪は非常に此児を可愛がれば、貢も懐かしがつて始終姉さんと呼んで居る。母が亡くなつた時はお雪は遠慮して毎日弾いて居た琴を俄にやめる、貢はこの事を知つて非常に嬉しがる、それに幼いながら継母に育てられて居るお雪の境遇を可愛相に思つて満腔の同情を捧げる。ある時隣のをばさんの嘘で、お銀小銀の継母に(いぢ)めらるる昔話を聞いて思はず声を立てて泣き出した。これもお雪の運命を悲しむ為であつた。程近い鎮守の森でお能の舞台があつた時には貢は毎晩見に行つた。帰りには何時でもお雪が自分の庭の門口の所で見送つてくれるので、貢は非常に嬉しがる。本当に清い仲である。然るに或夜(ゆゑ)があつて、貢の身を寄せて居る婆さんが逮捕せられる。貢は全く独り児になる。お雪は貢を自分の家に招いたが継母が恐いので、貢は遂にお能の女なる旅藝者の小親(こちか)と云ふのに其身を任す事になる。この小親も何処迄も鏡花式の女である。是から貢とは姉弟の仲になるのである、美しい愛情の成立てるは勿論であるが、貢がお雪を懐かしがつて居るのも無論である。それから八年も経つた後で、貢と小親とは藝人となつて再び貢の故郷に来る。お能は依然として鎮守の森で挙行される。此時お雪は継母よりも更に残忍非道な婿養子を強ひられて、昔よりも更に酷薄な運命の下にあるを聞いた時の、貢の悲しみはどんなであつたらう。姉とも懐かしく思へる人はこんな非運に遇つて居るのに、自分は小親と共に美しい愛に酔うて居る。是に到りて、生きて居る(うち)にせめて一度でも貢さんの顔を見たいと云つて居るお雪の為に、貢は安眠して居られない。併しお雪を救ひ出だす手段はなからう。貢は夜半密かに互に弟とも姉とも恋ひ慕つた小親を(とこし)へに棄てて、自ら寂しき運命を辿つて山路に逃げて入る。

 

 ……いでさらば山を越えてわれ行かむ。慈しみ深かりし姉上、われはわが小親と別るるこの悲しさの其れをもて救ふことを為し得ざる姉上、姉上が楓のために陥りたまひしと聞く其運命に報い参らす。

 

 果敢ない運命ではないか。こんな風に姉弟の愛情を描いたものは外にもある。短篇ではあるが「清心庵」も面白い。それから特に注意を惹くのは、鏡花の愛情には少しも嫉妬などの世俗的の反感を伴はぬ事である。「照葉狂言」中の貢がお雪と小親とに対する情は、全く姉弟の関係で、此間に妬みや嫌ひなどの(やま)しい情が(すこ)しもない。小親がお雪に対する情の中にも、恐らくはこんな感情はあるまい。この関係に就て、殊に適切に尤も美しく描いたのは、「無憂樹」である。

 兼次と扇屋のお(せん)とは従兄弟で許婚(いひなづけ)である。このお扇は藝者屋の養女であるが、品が善く麗しく、目元の愛嬌(したた)るるばかり。(たし)かに「湯島詣(ゆしままうで)」の蝶吉以上で、鏡花の女の中で(もつと)も秀でた者の一人である。又無邪気と純潔とあでやかさとは、殊にこの小説の「花鳥たがね」と「扇折」の二章に遺憾なく描かれてある。兼次がお扇の部屋に尋ねて行つた時に、お扇がいろいろの無邪気なあどけない怨みを云ふ、

 

「あれは何といふ口でせう。そんな気におなんなすつたもんだから、それだから厭なんだわ、先には御飯も一所にたべりや、一所の炬燵藝。」といふ時、裏階子(うらはしご)を上る聲。不圖(ふと)火鉢のふちで男の手に、手を重ねて居たのを見て、はつと擦り退くと、襖の外から少女の聲……

 

 あはれ神が二つの魂の相通ふを許すのはこんな時であらう。兼次もお扇も共に母がない。兼次の父は名高い打金匠である。彼れの造つた千鳥の香合と云ふのは金の無垢で、彼が一生懸命に精進して亡き妻の名を念じながら(こしら)へた物である。他の作は女性的であるのに(かかは)らず、こればかりは立派に男性的に出来上つた。つまり魂が這入(はい)つて居るので、それで亡き妻の名をそのまゝに、千鳥の香合と呼んだのである。これは津田屋の宝であるが、今の主人は我慾の人、はては飾屋と相談して此香合を鋳直して鎖にしようとする。兼次の父は非常に悲しむ。彼れの作中第一の入魂の香合を(こぼ)つのは、(まさ)しく其生命を断つのである。わけて亡妻千鳥を亡ぼすのである。彼は殆ど狂するばかり。兼次は非常に心配する。遂にお扇と謀りて津田屋の妹のお米に嘆願して、この香合を毀つのを止めようとする。あゝこのお米こそは、鏡花の女の中で恐らくは第一の美しい女であらう。さうしてお扇が兼次の前で、お米を嘆美する詞の美しいことは又例ふるにものもない。如何なる人もお扇以上にお米を褒め(たた)ふる事は出来まい。津田屋は旅館である。それで嘗てお米は何処かの代議士の(とも)をして扇屋に来た。其折にお米の美しさと而かも品の()いのに楼中の女共は総岡惚れして、洋服の代議士などは却つてお伴の人に見えた。殊に帰つて行く折に、お米は皆様お世話でございましたと云つて、ちやんと手を()いてお礼をいふ。楼中の女共は五両づゝ戴いたよりも嬉しがつた。あはれ自らを卑下して頭を垂るる時ほど、人の威厳と本性の現はるるはない。此折のお米は正しくこれである。お扇は更に感嘆する、

 

 そのあなたが召した半纏(はんてん)はね、その晩お嬢さんが着て居らしつた羽織とおんなじ柄ですよ。紺地にね、銀鼠(ぎんねず)(あか)の縦縞、可いでせう。お色の白いのにどんなにうつりがよく、真個(ほんと)にほれぼれするほど、島田が似合つて、お人がらで、しつとりして、それで粋でおいでなすつたでせう。余りすいたらしかつたから、私もあやかつて拵らへましたがね、私はこんなんですから、遠慮して半纏に拵へました。

 

 お扇とお米の両女性の理想的の美が遺憾なく発揮せられて居る。お扇と云へば正しく下町風と云ふべきである、但し白粉(おしろい)臭くないのは勿論である。小親(こちか)や蝶吉や、それに「三枚続」のお夏もこのタイプに這入る。之に対してお米は山の手風である。お雪やお秀などこの仲間である。鏡花の女は、大概この間に彷徨して居る。(しか)し粋でしかも気品のある所などは、とても今の世の文明の下には生るるものでない。つまりは日本の固有の文化の上に起つたロマンチクに依りて初めて生れ得べきものであらう。

 兼次とお扇との願ひは達し得なかつた。併し摸造するからと云つて、兼次の父は一日丈千鳥の香合を借りる事が出来た。然るに兼次の弟なる腕白の次郎助は、父の為に(ひそか)にこの香合を(ぬす)んで、亡き母が常に祈願した摩耶夫人の御像の陰に(かく)す。詐欺隠蔽(いんぺい)の名の下に、兼次父子は縛につく。しかし次郎助は(すこ)しも香合のありかを白状しない。お扇はこれ等の事に就て非常に悲んで、この小弟を助けんために遺言状を書いて、(つひ)に銀の矢の根の(かんざし)で自殺して了ふ。この状はお米に宛てたもので、まことに可愛相なものである。この中にはお扇がお米をば兼次程に、恋ひ慕つて居た事や、お米と兼次とは宿世(すくせ)の縁があるやうに思ふことや、此後には二人共なかよく栄えるやうに神かけて祈つて居ることを記して居る。あはれ兼次とお米と、まことに宿世の縁があつた。二人の母は摩耶夫人の崇拝者である。二人がまだ腹の中に居る時に、二人の母は何時(いつ)も摩耶夫人参詣の帰路で逢つたではないか。お扇は死んだ。今や摩耶夫人を御母として、お米に兼次との兄弟の縁を結ばせたのである。其後月裏の法廷で、千鳥の香合が飛んで現はれて来る、次郎助も(ゆる)さるる。かくて兼次とお米が夫婦になるのは勿論である。

 この中でお扇がお米に対して尠しも嫉みの根性がないのは、真に美しい極みである。さうして自分の恋人を喜んでお米に捧げたのである。つまりはこの三人は摩耶夫人から生れた同胞に外ならぬ。あはれ恋程美しいものはないが、恋の半面の嫉み、利己心程醜いものはない。薔薇の花蔭の蛇よりもなほ憎らしい。鏡花の愛は、凡てこの残酷な人情の欠点に超然として居る。従つて世俗の様な蒸苦(あつくる)しい心持ちがない。夏の夜の月に照さるる心地は、独りこれに(くら)ぶべきものであらう。鏡花はたしかに、まだ世に知られて居ない、しかも尤も人の感を動かす新しい感情を描いた。

 

   

 

 鏡花の女性は先づこんなものである。こんな女は独逸のロマンチクにもない。鏡花独特のものである。而して女の根本は意志でも何でもない、やはり感情と云ふより外ない。而してこの女と共に在る男は殊に感情的であるのは云ふ迄もない。意地と云ふ様な堅苦しいものや、道念とかそんな真昼に起る現実的のものは見当らない。(いづ)れも柔和でおとなしく多少鬱気(うちき)である。何時でも姉様を欲しがつて、其愛情に自己を没し果てたいと云ふ様な女々しい男である。即ち「死ぬも生きるも情ばかり」とは決して女ばかりでは無い。貢や新次は好模型である。併し女々しいと云ふのは穏当でない。感情に漂うて居ると云ふ方が適切である。この感情の人なればこそ、鏡花の人物は皆薄暗がりの場所に現はれる。夢見て迷へば妄想を起す。ロマンチクと似たのは実はこれからである。

 第一に鏡花の描く景色と云ふのは、凡て霞がゝつて居るとか、霧が深いとか夕暮とか、殊に月夜が多い。ロマンチクの詩人の景色は即ちこれだ。彼等は薄暗がり、殊に森の中の寂しさ等を尤も好く。何でも夜の闇、深山の谷間など、即ち殊に吾等の心を怖れさす様な物凄い、しんとした場所を好いたものである。而して月の光は、正しく現実界を消滅した後の世の、魔力ある光である。月の夜は誠に自然の最古の、(とこし)へなる秘密のメールヘンを啓示する。例へば、チークの月の歌は、ロマンチクの景色の好代表として有名である。

 

 小川の波よ、汝はそも月の懐かしく満ちたる影を慕うて波立つか。森も嬉しさに動くものを。木々の梢もこの魔力ある光に其枝をばさし拡ぐ。

 

 彼も正しく月光に酔うて躍つたのである。昼ならば霞たなびく春景色が好く、何でも朦朧として遠く見ゆる景色は憧がれの対象となる。即ちロマンチクの感情の好対象である。従つて行方定めぬ形も影もない白い雲の流れなどは、ロマンチクの詩人の殊に好める所である。ノヴァリスの名高い「青い花」の小説等は、殊にロマンチクのこんな景色を描いて居る。

 鏡花の感情の人物が働く場所も正しく是である。先づ「照葉狂言」中の出来事は大方夜だ。貢がお雪の姿を見たのは多くは月の夜である。最後に貢が小親を棄てて行つたのも月の夜である。

 

 渡り越せば仮小屋と早や川一つ隔てたり。麓路は堤防とならびて小家四五軒、蒼白きこの夜の色に氷のなかに()てたるが、すかせば見ゆるにさも似たり。月は峰の松の後になりぬ。

 

などは彼が独特の景色である。それから「田毎かゞみ」の中の「玄武朱雀」中の冬の月の夜を

 

 宛然{さな}がら海の底にでも入つたるやうな景色ですぜ、更けました。

 

の如き極めて可い。それから「無憂樹」の景色は殊に霊妙である、

 

 (いえ)、向の森にお月様が見えたから吃驚して、私、見たんだよ、どうして急に夜になつたらうと思つてね。まだ、あれ、田畝(たんぼ)が薄赤い、夕映ね。……厭だ、通りの方にはちらちら燈が()いててよ。まあ、森も學校もはつきりと見えるのに、今日は夜も昼も一所かねえ。

 

 こんな夕暮とお扇との配合が甚だ気に入ると共に、最後の月夜の景色は喩ふるにものない程麗はしい。

 

 夜は早や初夜を過ぎたであらう。冬枯の月、中空に、樹の幹、小草の裏透くばかり、川の面も浮き出でて野よりも蒼く(おもかげ)立ち、神路山(かむろやま)かけて伊勢の海迄、一点の(くま)あらず。

 かゝる時、()きも世にある程の形骸は皆眠り死して、清き曇りなき霊魂は凝つて一輪の月となつて、其気喨々として、醜く邪なる魂魄は散つて、尾なき頭なき蛇と化して、暗く朦朧として地に潜むのである。

 

 予の知れる範囲内では、ハイネは確かに月の詩人として尤も秀でて居る一人である。それから此頃のズーデルマンは殊に麗妙な月の小説家であらう。其小説「フラウ・ゾルゲ」と「カッツェンシテッヒ」中の月夜は、真に人の魂を(とろ)かす。「フラウ・ゾルゲ」の主人公のパウルは、非常に夜が好きだ。月の夜に出ては何時でも独り野辺を逍遙して、口笛で自分の一切の感情を洩らす。恋人のエルスベートと逢つたのは、やはりこんな月の夜であつた。それから他の小説の主人公のブレスラウが故城に帰つてレギーネに逢つたのも、それから終りに於てレギーネと別れたのも、レギーネを葬つたのも皆月の夜半であつた。あゝこの月夜。而かも両方の小説を織り為して居る感情と尤も()く配合されて居る。即ち読者は、終始月夜と同じ憂鬱で陰気で寂しく、而かも懐かしく静かで、而かも動いて清く涼しく、而かも熱して感激に溢れて、時には熱情に燃ゆるけれども、再び平和に静寂に立ち帰る心持ちに支配される。これほど自然と人物を能く調和した小説は(けだ)(すく)ない。とりもなほさず自然は凡て人物の動作及び感情を語る言葉になる、かうなれば写実主義乃至(ないし)心理的小説の極致である。ズーデルマンが近代の大なるロマンチクの理想小説家たると共に、写実主義の人と呼ばるるはこの為であらう。

 鏡花の「無憂樹」は確かに佳い。(しか)しズーデルマンの様な熱情熱誠の憂鬱な感を与へぬは先にも説いた通り、鏡花の感情の人物が他の人のと甚だ異なるからである。つまりこれがズーデルマンは春の夜、鏡花は冬の夜や秋の月夜を描いた差別である。とにかく鏡花は明かに日本の月夜の詩人と呼ばれて差支はない。

 それから「女仙前記」の湯の谷を説明する。

 

 高山の下でござりますから、いつも白い雲が行つたり来たり、彼方にも此方にも雪が消えずに居りまするし、唯今頃は藤の花が、それはそれは見事に咲いて居ります。

 

の詞を読んでは、誰れでもロマンチクの雲を思ひ出すに違ひない。藤の花などのおぼつかなげに咲くなどは、尤もロマンチクの花と云はねばならぬ。総じて独逸のロマンチクは果実の()る花は嫌ひで、実の無い、つまり実用的で無い花を好んださうだ。鏡花はどうか。なるほど藤の花も乃至黒百合も実がないと云はれようが、併しロマンチクのこの趣味はちとひねくれて居るかも知れぬ。次に「春昼」に現はれたる春の日の青麦と、菜の花(まじ)りに桃の花が咲いて、野も山もはては海も一抹の霞にぼかされて、唯空にも地にも蒼い薄い光の漂うて居る夢の様な景色などは、尤もロマンチクを極めた昼である。

 ロマンチクは星好きで、それから無論飛ぶ星も好きである。「湯島詣」の主人公は、飛ぶ星を人魂(ひとだま)とも見て居る。これ故にこの世の活きて流るる星である螢は、亦鏡花に殊に気に入らねばならぬ。螢は西洋に居るものか、居るならば日本の様に詩的に賞翫せらるるか、予はまだ之を知らぬ。とに角こんなロマンチクな虫はまたとなからう。丑三つの頃などふはふはとこの蒼い光りが飛んで来ると、亡き人の魂ではないかと我れながら物凄く思へる。さうして熱のない情のない清らかな涼しい光の螢、何んで鏡花は之を逃がさうか。「黒百合」の螢は即ちこれだ。星が飛んだと思ふと、奥庭が深いから(かたは)らの騒がしいのにも係はらず、(しん)として藪蔭に細い青い光物(ひかりもの)が見えた。それは石瀧から来た螢であらう。

 

 さあ団扇(うちは)……手を返して爪立つて廂を払ふとふツと消えた、光は(ひるがへ)した団扇の絵の瀧の上を這うて其流も動く風情。

 

 まことに美しい。思へばこの石瀧、「其は昼も夜も真暗で、いかいこと樹が繁つて、満月の時も光が射さず、一体いつでも小雨が降つて居るやうな陰気な処」は、(あつら)へ向きのあのロマンチクの好いた、物凄い感じを起す「深山(みやま)の谷間」である。それから「田毎かゞみ」中の「簑谷」にも螢に就いて面白い物語りを載せてある。

 鏡花の景色はこんなもので、ロマンチクの景色そのまゝと云つても可い。あんな感情の人がこんな景色の中に動く。今度は錯覚(イリュージョン)が起らなければならぬ、夢を多く見なければならぬ。果ては幻覚(ハラスネーション)をも起さなければならぬ。幽霊は茲{ここ}に初めて現はれる。ロマンチクの資格はかくて初めて生ずるのである。

 

   

 

 ロマンチクの人間は凡て感情の人である。動かされ易く夢想に耽り易く、常に幻に酔うて浮動し易い。殊に夕暮や月夜の寂しさが好きである位だから、尤も神経質である。こんな資質の人間であるから、錯覚は不断に起る。外界の物象は最早静止して居る沈黙の無生物にあらで、石でも土塊でも木でも草でも皆活動し意識し感動するものとなる。かくて世界は、花も小川も鳥の様に歌つた昔のメールヘンの世となるのである。こんな世界に育てばこそ、クライストのホンブルグ公は、ナタリー姫に憧がれては月の夜半に夢見ながら迷ひ歩く。疑ひもなく夢遊病者である。併し錯覚ではまだ外界の物象に刺戟されて色々の色相を現ずる、即ち心理状態が他動的である。ロマンチクは飽く迄も自我の自動と活躍を主張して、万象(ばんしやう)が正にこの活現の中に没して其の所在を失ふ程であるから、錯覚は当然幻覚(ハルスナチヨン)に入る。夢と(うつつ)の境が既に無くなつてから、更に人間の心は独り手に空想を描く、幻を見る。世は茲{ここ}に於て妙音天に満ちて霊光六合に(あまね)く照す新しき世界を現ずる、これ即ち天才に創られたる唯一の真理の世界である。此{かく}の如きは幻覚の極致で、ロマンチクの所謂(いはゆる)霊妙不可思議と神秘幽玄の意味が、茲に到つて初めて解せらるる。畢竟ロマンチクは人間の情感乃至(ないし)心持ちが、如何なる世界を造り得るかを示したのである。

 かくの如く、錯覚より幻覚に移り行く主観的直覚的情感の心理的経過は、ホフマンに依つて尤も能く描かれてある。例へばホフマンの「デア・ゴルデネ・トップ」などは極めて面白い。色々の事を空想して居る青年アンゼルムには、梢を渡る夕暮の風にも人の言葉が潜む、木の葉の戦{そよ}ぎは最早(もはや)ある者を囁く、繁みの中の小草の花も金鈴の響を伝へる。梢にも金鈴のひゞきがすると思うて仰ぎ見れば、それは緑色の黄金に輝いて居る三匹の小蛇が夕日の影に梢を伝ふのである。葉隠れに這ふかと思へば、幾千の光り輝く宝石が、さながら葉蔭から撒き散らさるる。果てはこの小蛇が木を降り草叢を這ひ脱けて、小川を渡つて(さざなみ)立てて(およ)いで行く。見失つた浪間には緑の火が燃えて居る。此んな風にアンゼルムは、終始錯覚より幻の世界に逍遙(さまよ)うた。同時にホフマンは物恐しさ物凄さを心理的に描いた人で、恐らくは此方面で世界第一流である。幽霊は夜のもの、幻の世界に住むのであるから、ロマンチクは一面に於て幽霊を尤も美しく霊妙に描いてある。(しか)しホフマンは物凄さを描くに、決して恐ろしい妖怪や幽霊その者を描かなかつた。彼は飽くまで心理的である、即ち恐しがる吾等の感情を基として、(さかん)に錯覚や幻覚を利用して吾等自らに物凄い闇の世界に降つて、自らの影を踏み、自らの声に耳側立てて、身慄(みぶる)ひする心理作用を尤も巧妙に描くのである。殊に彼は常に錯覚の尤も起り易い夜の舞台を好く。自分の跫音(あしおと)にもぞつとする丑三つ時の出来事を(えら)ぶ。故にホフマンを読むには、真夜中の蝋燭の火影(ほかげ)が尤も能く適すると共に、読む度毎に、日の暮れかゝる野路を急ぎながら、夜半には血だらけな女が出ると云ふ諏訪の明神の(しん)とした森の側を暮れぬ先にと思ひつゝ、星も無い闇の宵に通る様な心地がする。読者は絶えず見えぬ或者の恐ろしさに追窮される。今にも化物に掴まれる様に思はれて、息さへも安心してつかれぬ、心臓も冷めたくなりさう。はては火影に動く自分の影にぞつとする。勿論化物は出ない、実に自分の心持ち一つなのである。併しこれ程人を恐ろしがらせ、身慄ひさせる小説家はまたとあるまい。一筆毎に読者の心を魅する、二頁目には既に読者は捕はれてしまふ。三頁目には其薬籠(やくろう)中のものとなる。これが他の妖怪小説家と異なる所で、又ホフマン独特の名誉である。例へば「マヨラート」にあつては、冬の狩猟に出かけて故城に宿つた晩に、シルレルの「ガイステルゼーエル」を読む。色々の空想に駆られて、はては自然界の現象を化物の様に見る。それから物恐ろしい幻に自ら(をのの)いて冷汗が流れる刹那、隣の部屋の人の夢に魘さるる声を聞いてぞつとする。今度は丑みつ時、人気なき静けさの下の部屋の戸が俄かに開く、重さうに悩める様な跫音が聞ゆる、太息(といき)(あへ)ぎの声もする、之を聞ける者は思はず真蒼になる。これこそは実は此古城の先主を殺した従僕の幽霊が、罪の苛責(かしやく)を負うて当時の様に今も月影に迷ひ出るのである。この他殊に「エリクスーレン・デス・トイフェルス」は尤も読むべきである。其主人公メダルドゥスは昼の世界よりも夜の森の寂しさを好んで、而かも自分の影、自分の幽霊と共に自分の社会を作つて居る様なロマンチクの人間の好模型である。「子は眠らなかつた、独り物思ひに沈む時、色々の考へによりてさまざまの影は壁の上に現はる。はては恐しき姿となつて自分を睨む、恐ろしさにランプを消して了ふ……突然声が聞ゆる、それは自分の名を呼んで居る、我ながらぞつとした、併しそれは唯自分の心からの声であつた」。是に到つて夢から幻覚を経て気違ひに這入つたのである。ホフマンは何時でもこんな風に、幻に伴うて起る物凄い感じを心理的に描いて居る。外界の物象は、唯々この幻又は聯想を起さしむる仲立ちに過ぎぬのである。

 ロマンチクの景色が好きで、何時でも夕暮の暗がりに起居する鏡花の人物の心理的状態も、亦正しくこの径路を()んで居る。暗がりの故に彼等は常に錯覚を起す、而して鏡花は勿論妖怪談や恐い(はなし)を巧みに書くが、大方はホフマンの様にこの錯覚に基いて瞑想を辿つて物凄い感じを起さしむるのである。「春昼」の主人公が緋桃菜花の彩つて居る夢の様な春の野を辿りながら、いろいろに空想をめぐらす心的状態は、正しくこの風景に相応して甚だ宜い。

 

 うつとりとするまで、眼前真黄色な中に、機織の姿の美しく宿つた時、若い婦女の()と投げた()の尖から、ひらりと燃えて、いま一人の足下を閃いて、輪になつて一ツ刎ねた、朱に金色を帯びた一條の線があつて、赫燿として眼を射て、流れのふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くにやがて失せた。赤棟蛇(やまかがし)が菜種の中を輝いて通つたのである。

 

の如きはロマンチク独特の美しい幻である、予は思はずホフマンの「デア・ゴルデネ・トップ」の蛇を思ひ出すを禁ずることが出来ぬ。「無憂樹」の兼次の弟の腕白な次郎助が、夕暮にお扇の訪ねて来たのを物蔭から(おど)かして、

 

 夜が深々と更けて来て、風が颯と鳴り出して、谷川の流がざあざあ、物凄くなつた処ヘカラコンカラコン、遠くから跫音だ。そら来やがつたと待つて居ると、真紅な襦袢をちらちらと見せやがつて、格子から雪のやうな真白な顔を出して、可愛らしい造り声で伯父さんもないものだ。

 

などは「牡丹燈籠」のお露に相応(ふさは)しいロマンチクの錯覚的表現である。さうしてお扇自らは、自分の紅と白粉のあでやかな姿に顧みて、「お妖くさいでせう」と云つて居る。さうしてお扇が自殺する晩に、浅黄の長襦袢で暗い仏壇に立て居る其姿を見て、禿(かむろ)初め女房が慄然としたのも甚だ(よろ)しい。其夕にはお(よね)もお(せん)の幽霊を見たのである、たしかに此辺鬼気人に迫る。それから「清心庵」の少年が、夕暮に自分の庵室に帰つて来たのに何の答がない。唯衝立(ついたて)の蔭から、つと立ちて白き手ついて烏羽玉(ぬばたま)の髪のひまに微笑み迎へた摩耶の顔を見た時、亡き母上そのまゝの(おもかげ)なのに、思はず身の毛よだつたのも極めて麗はしい。それから「田毎鏡」の「処方秘箋」の中で、何時でも薄暗い湿つぽい風の吹く薬種屋(やくしゆや)の、十年この方姿変らぬと云ふ女の黒髪の中の大理石のやうな顔が、如何にも薄気味悪い。夕暮れに出遇ふなら小さい者は、はや震へ上がる。殊にこの女を怖はがつた少年が、若い女のお辻の所に泊りに行つた晩に、お辻が「恐ろしい人だこと」と云つたその薬種屋の女が、恐ろしい姿してお辻を責め殺して其黒髪を断つた夢を見て慄然とする所など、殊に面白い。而してお辻は其後十九で煩つて死んだ。仏教を信ずる国の習慣として、其黒髪が断たれたのである。(ここ)に於て読者は其少年と共に真に身の毛もよだつ様に覚ゆる。鏡花は同時にロマンチクと同じく怪談を描くが、此{かく}の如くホフマンと同じ様に常に錯覚、聯想、それから幻に移り行く心理的径路に応じて物凄さを叙し来るは、頗る進歩した巧妙の筆使ひと云ふべきである。元来日本にも此れ迄怪談小説家も少くないが、多くは強て奇形妖怪変形を外から携へ来りて盛に人を脅迫する、鬼面人を脅かすとは此事である。併しこんな事に驚く無智の時代は既に過ぎ去つたのである。羅生門の鬼の面は今では滑稽物の中に這入つて居る。之に比べると鏡花の態度は、(たし)かに一段の進歩を示す。今では化物は外にあらずして、人々の心に潜んで居る。薄暗がりに働くその心理的状態に依つて、化物は物凄さの感情となつて、独り手に現はれて来る。併し鏡花はホフマンの様に飽く迄も心理的に幻覚を描かなかつた。故にホフマンの一面の深酷と悽愴は、とても鏡花などの企て及ぶ所でない。併し鏡花はこの幻覚に沈む代りに、他面には事実上の反感情、即ち嫌悪の情に基づいて物恐ろしさを描いて居る。これは吾等日本人の日常の見聞と感情に直接に触れて居るが上に、心理的径路に依つて描いて居るから、鏡花は此方面で慥かに成功して居る。例へば彼は物凄い対象として、よく蛇を描く。外国では蛇は智慧の化身となつて居る。併し之と同時に希臘(ギリシヤ)神話では尤も恐ろしいメドウサの髪が蛇である。それに地獄の悪魔は能く蛇を使つて居て、随分恐ろしさの対象となつて居るが、日本では是れ以上に更に別種の意味がある。即ち陰険で邪悪で、あらゆる人類の悪徳不浄の化身として恐れられるが上に、忌み嫌はれることが非情である。蛇が(たゝ)りを()る物語は、恐らくは西洋などには見当らぬ事である。この日本独特の蛇の物凄さを()らへた鏡花の手腕は慥かに非凡である。「照葉狂言」には蛇使ひの恐ろしさを描いて居る。「田毎鏡」の「名媛記」には昔切支丹(キリシタン)禁制の時分に、此禁制を冒した若い女が、遂には大瓶の中に幾千の蛇と共に入れられて、生きながら埋められた物語を記してある。「続風流線」には、蛇の様なあらゆる悪虫を捕へ来りて、呪ひに用立てる老婆がある。希臘(ギリシヤ)神話の地獄のエリニエンを思ひ出して、我(なが)ら身の毛がよだつ。「春昼」の青大将も亦慄然とする。それから日本では入道、山伏、坊主、盲人の類も人間以上の怪物として、昔から恐れられて居る。或人が山伏が無理に其子を奪つて行くのを夢に見て、驚き覚めて見ると、其子が(すで)に死んで居つたと云ふ物語もある。山伏が遺恨の為に祟つたので、其家の総領が代々変死した物語もある。「誓の巻」の盲人の富の市や、「海異記」の入道は、たしかにこの怪物の類である。富の市がお秀に魅入(みい)つて、果てはお秀も其幼児も悩み煩つて痩せ衰へるなどは、鬼気人を襲ふ。抑々(そもそも)歴史上にも実際にも、幽霊譚よりも尚物恐ろしい出来事が沢山ある。西洋ではロンドンの疫病や、セント・バーソロミューの虐殺や、カルカッタ黒獄舎の話、近くはナポレオン大帝のモスコー退却等、信ぜられない程に怪談じみて、思ひ出しても真に身の毛がよだつ。日本でも切支丹宗徒の虐殺や、維新前の刑罰や、それに佐々成政が愛妾小百合を殺した話などは、物恐ろしさの絶頂である。「黒百合」にもぶらり火の怪談が一寸出て居る。併しロマンチクの人々は、決してこんな残虐非道の事実に依つて物恐ろしさを描かなかつた。つまり恐ろしい事実のものよりも、彼等は唯恐ろしがる感情を面白がつたのである。試みにポーを読むが宜しい。彼も亦ロマンチクではあるが、独逸のロマンチクと趣が違ふ。独逸の人々は夕暮や月夜に遊んで居る。ポーは月も星もない丑三つ時になつて、やつと床の中から這ひ出してくる。恐らくは地の底の光も届かぬ黒闇の穴の中に住んで居るのだらう。故に彼れの怪談はロマンチクの人の様に、彩りある幻を描くとは事異なりて、常に恐ろしき事実に基いて恐怖戦慄する出来事を記述する。(もと)より鬼面人を脅かす怪談とは、根本から違つて居るは勿論の事、事実に基いて居る事から、(もし)くは世上の普通の出来事や信仰を土台とする事から、実際ポーの怪談は非常に人を(こはが)らす、何時迄も残酷な物凄い厭な感じを残さす、この点はホフマン以上である。例へば死人が蘇がへつた事や、この蘇生した人が猶土の中に埋まつて居る間の苦悶と苦痛や、それから自分が殺して空倉の中に隠してあつた女が、数日の後に血だらけになつて現はれ来た事や、催眠術にかゝつた人が、死んで身体が硬くなつてからも猶問答した事なども書いてある。これに比ぶれば鏡花は全然類が違ふ。彼とても勿論事実その者を全く書かないわけではないが、独逸のロマンチクの様に恐ろしい事実よりも、(むし)ろ心理的に恐ろしがる感情を書いて居る。彼も畢竟感情その者を好くのであらう。これ故に鏡花は明かにホフマンよりもポーには尚遥かに遠い。両者の与へる陰鬱悽愴の感は、全く質を(こと)にして居る。

 

   

 

 鏡花とロマンチクとの類似はこゝ迄である。鏡花は日本人である。日本人には古来空想がない。空想の天地に夢幻の世界を創り出すは彼れの適する所でない。彼は見聞と経験との外に働くことが出来ぬ。鏡花は是だから錯覚の境に止まつた、自由なる幻の世界に入ることは出来兼ねて居る。併し文学にはどうか知らぬが、日本のこれ迄の口碑や伝説には、幻の世界の閃きが間々現はれて居る。日本人は慥かにこの幻の天地を見んとしてあせつて居る。鏡花にも確かにこれを力めた跡が見える。鏡花がよく夢を描くのも、錯覚の世から幻の自由な自動的の世界に入らんと試みた証拠である。元来日本の小説家には事実の解決上、苦しまぎれに能く夢を書いた者がある。空想に乏しく、幻の世界のあるや無しやも知らぬ者が、なんで夢を描いて成功しようか。痴人夢を説くとはこの事である。紅葉の「金色夜叉」の夢なども、この一例として善からう。さすがに鏡花は巧みである。「誓之巻」の夢などは至極佳いし「田毎鏡」の「星あかり」、「処方秘箋」の夢は一層佳い。夢を越え過ぎて、更に「さゝ蟹」に於ける名工の造つた花橘の簪が真夜中になつて薫つたのや、同じく彼が造つたさゝ蟹が、人なき時に這ひ出るなどは非常に面白い。日本では名工の造つた作物には魂が宿る。この幻の世界の信仰を、鏡花は尤も能く描いたのである。「無憂樹」の香合の千鳥が、亡き妻の魂を宿して自らちりちり啼いたのも極めて宜しい。併し月裡法廷にこの千鳥が飛んだ文は、少しく種彦の時鳥的で却つて感興が索然として居る。鏡花の描いた世では、まだまだ千鳥が飛ぶに適しない。之に比ぶれば、さゝ蟹は遥かに宜しい。非凡なる鏡花の天才は明かに認めらるる。「白羽箭(はくうぜん)」の中で月の夜に女が松毬(まつかさ)を耳に当てて、亡き母の声を聞いて男の名を()てるなど、それから栄螺(さゞえ)を耳に当てて海の底の竜宮の世界を聞くなどは、予の非常に好く所である。あゝ貝殻の秘密、ロセッチの海の歌は、何人(なんぴと)も思ひ出さざるを得まい。

 鏡花の幻の世界は、こんな風に本当にまだ門戸を(たた)いたに過ぎぬ。兎に角、彼がまだ幻の世界の人でない事は、彼は常に今日の事を描くことでも明かである。今日のこの地上に居ては人間の飛び上り得る距離は五尺に過ぎぬ。幻の世界などは思ひも寄らぬ。これ故にロマンチクの人々は、(すこ)しも現在の事を描かぬ。何時でも中世紀の出来事を基とする。これ畢竟吾等の知らぬ過去は未来と等しいからである。即ちかゝる世界は、初めて幻の世界の入口となる。鏡花は然らず、彼は今日に生活する。未来よりも遥かなる幻の世には、とても達し得られない、この点で間々鏡花は失敗するのである。「三枚続」の幽霊談は(まさ)しくこれだ。「海異記」の入道も亦失敗である。

 遮莫(さもあらばあれ)、独逸のロマンチクの幻の世界は、真に無限の天地である。ロマンチクの不滅の致果と価値とは、一にこの新しい世界に(かかは)る。かゝる世界の幽霊は又となく美しい。日本では幽霊と云へば妄念や遺恨の結晶で何時(いつ)も道徳的である。ロマンチクの幽霊はさうでない。極めて美的である。天地間の見えぬ力や、木や石や水の梢が皆これである。ロマンチクはこんな幽霊を国民の信仰と伝説とに依つて、皆旧世界より蘇返(よみがへ)らしたのである。日本の様に角があつて口は耳まで裂けて居る変化(へんげ)の幽霊は、進化論から見ても亡びなければならぬ。併しロマンチクの美しい幽霊は、人間が進化しつゝある様に益々進化発展して来る。科学の進歩に連れて、この種の幽霊の信仰が消え去るのだらうと思ふのは、耳目の外に働く機関を備へて居らぬ日本人の考である。独逸にありてはこの幽霊の信仰は、万有神論と根柢を一にする。従つてカントやシェリングやショペンハウエルの哲学と其信念を一にする。十九世紀の文運と共に、幽霊の藝術が発展し来たのは(もと)より当然である。如何にも雄大ではないか、予は幽霊の信念がない日本人が、如何にしてプラトーンやカントやフィヒテやショペンハウエルを読む気になるのかと(あやし)まざるを得ぬ。幽霊の存在よりも、此方が余程不合理である。

 ゲーテが国民的詩人として尊敬せらるるも、実はこの国民の信仰に基いた幽霊を蘇返らしたからである。彼はクラシケルであるが、この点はロマンチクと同じである。メフィストフェレスの雄大な幽霊が、独逸独特なるは云ふに及ばず、それから「コリントの花嫁」、「漁夫」、「エルケーニヒ」等は、今でも独逸人の心を蕩かして居る。殊に最後のはシューベルトの音楽と相俟(あひま)つて独逸の第一の藝術作品の一つである。又独逸人が蛇蝎(だかつ)の様に嫌つて居る猶太(ユダヤ)人種で、自分でも独逸が大嫌ひであつたハイネが、今以て独逸人の感情を酔はしめて、ゲーテに(つい)で名声あるは、(たし)かにこの独逸の尤も美しい幽霊界の福音を伝へたからである。此点は彼もまた明かにロマンチクである。例へば「ローレライ」の如きは、今では世界の知識ある人で知らぬ者はない。これ程美しい幽霊は又となからう。

 ロマンチクの詩人小説家は、(ことごと)くこの幻の世界を描いて居る。(もと)よりこれは現在の世界よりも、空想の世界を真と信じた哲学的冥想の結果であるかも知れぬ。即ちこの幻の世界は、吾等の冥想と詩とに依つて()かさるるのである。ノヴァリスの小説「青い花」の終りは、再び希臘{ギリシア}人の夢みたメールヘンの世界に這入る。是処では草も木も人のやうにその感想を言ひ現はす、真に美しい幻の世である。併しロマンチクの幽霊で一番美しいのは、フーケの「ウンデーネ」であらう。この小説は今でも盛に読まれて居る。ウンデーネは水の精である。独逸では昔から木の精なるエルフと並びて、水の精はニクゼとして、美しい若い踊りの好きな女と信ぜられて居る。中にもこのウンデーネは美しい。これ等の幽霊には霊魂がない、併し人間を恋すると魂が出て来る。是からこの幽霊も不滅となるのである。ウンデーネは初め一漁人の養女となつたのが、(はし)なくも騎士フルドブランドを恋ひ()めて(ちぎり)を結ぶ。この騎士が死んだ後では、ウンデーネは其墓場の側に、(とこし)へに泉となつて流れ出たと云ふのである。グリルパルツェルの名高い「メルジーネ」も、亦ウンデーネと同じく水の精である。若いライムンドは端なくも之に恋して、果ては相抱いて幽冥界を辿つたのである。此種の幽霊は独逸文学で甚だ勢力がある。ロマンチクが人生の要求に(とこし)へに応じて居ると同じく、是等の幽霊も永へに人類の精神界の一対象である。画家ベクリンの非常に尊ばれたのも、近年名高いハウプトマンの「沈める鐘」が盛に歓迎されてゐるのも、この幽霊界の信仰を披瀝したからである。独逸人は音楽に恍惚すると同じく、常に此種の幽霊文学に酔ふのである。殊に名高いラウテンデラインは即ち水の精で、ウンデーネやメジーネやローレライの女と系統を同じうして居る。疑ひもなく独逸で尤も美しい幽霊の一人である。近い(うち)に鏡花は(戸張)竹風と共に「沈める鐘」を翻案する相である。あはれ幽玄界の冥想に筆も想も熟して居ない日本人が、どれ程迄にこのラウテンデラインを解し得べきか、(けだ)観物(みもの)であらう。この(ほか)ウーランドやリュッケルトの詩などにも幽霊談が甚しい。こんなものを読んで鏡花の幽霊を見ると、あまりに可愛相である。例へば「海異記」の如き、予は慥かに傑作だと思ふ。若い漁師の恋女房のお浪が、夫の留守に人里遠い浪の音の凄い自分の家で、船幽霊の物語を聞いて慄然とする所などの心理的描写は、たとしへなく奥床(おくゆか)しい。(しか)し最後に入道が現はれて来る段は、あまりに写実で真昼間的で却つて感興を害する。頃は日暮である。今一歩進めてホフマンの態度を採つて、舟幽霊に基いた錯覚から更に幻覚に依りてお浪の恐怖を描いて、最後に幼児のお浜が死んだとすれば、更に一段に深酷と悽愴とを増したに相違ない。若{も}し鏡花にゲーテの「エルケエニヒ」の中の、小児が死ぬに到つた迄の恐ろしさの心理的描写があつたらばと、つくづく惜しく思ふ。「海異記」は明かに(きず)ある珠だ。この一段は、鏡花が幽玄の世界を語るに未熟であることを証拠立てる。

 予は呉々も思ふ、ロマンチクの傾向は人生の本然である。其証拠には日本の在来の伝説や信念にロマンチクに相応して居る者が甚だ多い。日本人は慥かにこの幻の世界に入りたがつて居る。日本にも水の精や草木の精の元素がある。之を発展せしむれば、独逸の幽霊の様に進化し得るに相違ない。ゲーテの「エルケエニヒ」も実は丁抹種(デンマークだね)である。ゲーテは之を独逸的に鍛へたのである。ゲーテの偉大なるは即ち(ここ)にある。ハイネの「ローレライ」も、ハイネが自分で工夫したものであるが、(もと)より独逸の信念に基いたのは云ふ迄もない。故に予は常に思ふ、西洋のロマンチクを見て、今更立ち騒いで不思議がつて輸入する必要はない。必要どころか無益である、文学は常に国民の信念に基かなければならぬ。是だから在来の日本の信仰の上に、日本のロマンチクを進化発展せしめなければならぬ。これは明かに可能である。この点で故小泉八雲氏は明かに成功した。但し当今之を能くする日本の文学者は、恐らくは鏡花の外になからう。鏡花は(すべか)らく冥想工夫して、或は西洋の名著に接して、更に一段の勉強を要する。思へば此の国民の信念に点火して、滅びんとする幽玄の感情を復活せしめて、新たなるロマンチクの幻の世を創るには、鏡花の前途はまだ中々に遼遠である。

 

   

 

 今一つ注意すべきは、因縁の観念である。ロマンチクの世界は過去未来を没したのである。従つて過去の事も未来の事も啓示される。かくて因縁輪廻(りんね)の考へは、著しくロマンチクになつて現はれて来た。ノヴァリスの「青い花」の小説には、殊に霊魂の転生や生れ変はりの思想を書いてある。例へば主人公ハインリヒが、東国の女なるツウリーマが十字軍の(えき)に捕はれて欧州にあるのに逢うた時分、ツウリーマはハインリヒを熟々(つくづく)見て、早くから別れた自分の兄なる詩人の面影を認めた。それからハインリヒはマチルダを見た。其折に彼は少からず驚いた。あの青い花を夢みた時、其花の中に現はれた世にも美しい女の顔の面影は、明かに此女ではないか。今迄憧がれて居た青い花の女は、このマチルダに外ならぬ。かくて恋は稲妻の如くに起る。而してマチルダも亦ハインリヒを先きの世より知つてる気がすると云ふではないか。それからハインリヒは洞窟の中に潜んで居た哲人ホーヘンツォレルン伯に、自分の父の面影を見る。そしてこの哲人の書篇には、自分の未来の一切の生涯が書かれてあるやうな気がする。こんな風にハインリヒは常に他人の心の中に自己の魂を見、現在に於て未来を見たのである。併しこの転生輪廻の思想は、ロマンチクにありてはまだ真に初発である。十分にこの観念を明かにするには、時代がまだ熟さぬやうである。故に読者に与ふる感想は甚だ弱い。是に到ると日本は幸ひである。仏教の感化を千年も受けた為に、因縁宿世の観念は大に発達して居る。少くとも、もう吾等の遺伝的信念となつて居る。鏡花はこの信念を掴へて、而かもロマンチクでは夢の様な暗合又は予想を描くに反し、現在の事実を取つてこの因縁説を尤も巧妙に描いてゐるから、吾等に与へる感興は深大である。此点に於ても彼は独得の天才たるを失はぬ。殊に「無憂樹」は尤も美しくこの観念を書いてゐる。それはお米と兼次との関係である。兼次の母は、摩耶夫人の崇拝者であつた。お米の母もさうであつた。それに二人ともまだお腹の中に居る時分に、二人の母は摩耶夫人参詣の道で遇つたのである。あゝ摩耶夫人に対する信仰が、二人の心に閃いた時に、同じ血汐が二人の間に通うたのではなからうか。この信仰の下でお米と兼次が生れたのだ。宿世の縁が(おのづか)ら生じて来なければならぬ。彼等は畢竟魂の兄弟である。これ故に無心の次郎助は、お米を一目見た時に、自分の姉なるべきお扇が、お客になつて行つた様だと直覚した。予は(かつ)てズウデルマンの「フラウ・ゾルゲ」を読んだ。主人公パウルが生れた時に、ドゥグラス夫人が密かに訪ねて来て介抱する、それからパウルの名親になつた。此時既にこの夫人のお腹にも宿つて居る。パウルの母はこの親切に報いんが為に、将に生れんとする子供の名親になる約束をした。この子は女である、パウルの母の名に依つて向じくエルスベートと呼ばれたのである。この小説の第一頁は既にこんな風に書いてある。予は思はずもこの二人の小児の因縁を日本流に趣味深く感ずるを禁じ得なかつた。お米と兼次の縁は尚更に痛切である。殊に鏡花は世の人と違ひて因縁説を逆に解して居る。即ちこんな因縁があつたからかう成ると云ふにあらで、かう云ふ風に感じ又は思へる故にかう云ふ風な因縁であると()し及ぼす帰納法の態度である。(いたづら)に夢の様な事から演繹すると、どうも吾等の感想を支配する事が困難である。ロマンチクの因縁説の与ふる感想が薄いのも、一つはこんな論法を用ゐたからである。鏡花は然らず。正に事実を掴へて其宿縁の深きに思ひ到らしめる。既に事実に於て不思議な感想を吾等に起さしむる、乃ち吾等は魅せらるる。茲{ここ}に於て因縁説を当然是認せなければならぬ。故に世のある批評家の様に、鏡花のこの観念を荒唐無稽となすは甚だ当らぬ言分である。「誓の巻」で新次がお秀を懐かしがつた結果、母上とも思つたのは、正しく因縁説の逆な解釈である。自分を可愛がつてくれるこのお秀を、何んで関係のない人に思はれようか。是ゆゑ新次の弟はお秀が新次に肖通(にかよ)うて居るから、お秀は又亡き母にも肖たであらうと云ふ。其後新次がミリヤードに母の活ける面影を見、ミリヤードも亦新次を自分の子と思つたのも、愛憐同情の結果である。「女仙前記」は殊に宜しい。お雪はあはれな女である。山奥の老爺の手に育つたが、叶ひ難い人を恋して焦れ死にに死んだのである。臨終の折にも其側を離さなかつた兎の児をば、町へ出て優しい美しい女中を見立てていたはつて貰ふ様にとのお雪の遺言に任せて、老爺は町に出る。ふと美しい女に、この兎を是非にと所望せられる。見れば、その気高さ、優しさ、お雪にそつくり生き写しであるのに驚いて、早速この兎をこの女に捧げたのである。而かも此女もお雪さまと云ふではないか。それに兎は慣れたる懐ろに這入る様に、このお雪に抱かれたのである。これ誠に「何かの因縁」であるのに相違ない。神秘幽玄等の文字は、こんな事実を説明するに尤も適して居る。之に次で「白羽箭(はくうぜん)」の主人公が、月の夜に野茶屋の若い女と名を()て合ふのも甚だ美しい。此女は男が先年逗子に遊んだ折の浜辺の茶屋の女で、栄螺の貝を耳に当てて海の秘密を聞て居る(すこぶ)るロマンチクな女に似てゐるのと、優しさ美しさが正しく生写しである所から、其女の名に依つて此女をお房と呼んだ、果して(あた)つたのである。今度はお房が中てる。松毬(まつかさ)を耳に当てると亡き母の声がする、其声の云ふが儘に松坂新三郎と云ふ。是も果して当つたのだ。此一段は確かに妙である、如何にも有り得べき可能である。此等の点では、鏡花は優にロマンチクの詩人よりも能く成功して居る。畢竟これ同情、愛憐、一致、相似等の尤も適切な感動から帰納するからである。彼れの因縁説は明かに近世的で、在来のよりも優に神秘的である。世の一部の論者の様に、予は決して之を浅薄なりとは思はぬ、鏡花独特の長所と云つても不可はなからう。

 

   * * *

 

 予は結論に達した。あはれロマンチク、こは決して新奇なものでも西洋臭いものでも何でもない。故に西洋の文学界の傾向に真似て、この新風潮を伝へよと叫ぶには決して及ばない。畢竟ロマンチクとは、夜もあり月も照らすこの世界に生れた人間の、自然なる感想の傾向である。之に東西今古を別つ必要はない。勿論この感想に特に銘を打つて、一層之を明かにするに到つたのは、独逸のロマンチクが始めであらう。見よ、外国のロマンチクと全く交渉も影響もなかつた日本の文学界、殊に純粋の日本的なる泉鏡花の小説が、かく迄に本家本元の独逸のロマンチクの文学に似た所が多いのは、適々(いよいよ)以てロマンチクの感想は、如何に人類に普遍にして、且人生の本来の要求に応じて居るかを證するに足るのであらう。ロマンチクの哲学的基礎は、(もと)よりカント哲学の影響であるから、あの時の独逸のロマンチク独特のものである。此点迄似るべき必要は(すこ)しも無い。唯ロマンチクの中でも、世界的で普遍的なる部分、即ち外界に応じて色々に発展し来る心理的作用は、確かに鏡花もロマンチクも同一の傾向を取つて居る。その両方の活動する舞台なる風景や、其人物や、直覚的感情や、其錯覚や、其功は符合する位に似て居るので、鏡花自身も驚く事であらう。併し鏡花は日本に生れたから、根本に日本の倫理や哲学的傾向に生れ乍ら支配せられて、ロマンチク特有の空想夢幻の世界に往住し兼ねたのは是非もない。云はば一方は、現実の世界に執着しながら、他方ではロマンチクの幻の世界に到るべき網を握つて居る、即ち中空に懸つて十分に活動もし兼ねて居る。予は敢て云ふ、ロマンチクは人間本然の要素を作る感想である。吾等は古来より日本にも閃き来つたこの感想を更に発展して、幻の世界、光明の天地に想ひ入らなければならぬ。人生其ものの進歩と発展とは、此の如くして完全になり得よう。生中にロマンチクの夢幻の生活を斥けて、西洋思想の病的傾向となし、之に対して現実なる倫理観を唱へんとするのは、人生其ものの学校から見れば、まだまだ幼稚園的の哲学観と云はねばならぬ。こんな事を唱へる人達こそ、一種のお(ばけ)であらう。鏡花は明かにロマンチクの人である。完全なる優秀卓越せる人間を作らんが為にこの人生の本来のロマンチクなる感想を基として、従来の国民の信念と伝説とに連れて、更に光彩ある幻の世界を闡明(せんめい)し得ば、是に到りて鏡花は国民的詩人として、初めて天賦の栄誉を担ふことが出来る。(しか)し今日の鏡花はまだまだ未熟である。予は鏡花の作物を好く。併し如何なる作物をも好かぬ。「無憂樹」「誓の巻」「女仙前記」「海異記」「春昼」等に比べると余りに下らぬものもある。予は決して之を濫作の結果とは云はぬ。少くとも之は名誉ある文学者に対する罵詈(ばり)である。予は(むし)ろ之を以て彼れの余りに出来心に富める結果だと解釈する。畢竟彼にはまだ深い不動の厳粛なる感想の重心がない。故に感情その者よりも、浮気に支配され易い。軽妙で快活なる代りに時には無意義である、空虚である。折角に閃きそめた天来の美しい感想をも時には滅茶々々に自分で毀して了ふ。こんな風であるから、彼にはノヴァリスのやうな無邪気と真面目とがない。ホフマンの様な深酷な冥想、従つて鋭い心理的描写がない。ロマンチケルとしてのゲーテやハイネの、真摯(しんし)や誠実は尚更無い。予は呉々も惜しむ。鏡花は明かに当今第一流の天才である。勉めてこれ等の欠点を避けて、今一層深くなり強くなり熱成にならば、「無憂樹」以上の作は期して待つべきであらう。あはれロマンチクの感想は、決して出来心ではない、浮気の戯れではない、人生に取りては誠に厳粛で真摯であることを吾等は知らねばならぬ。

 

     {明治四十年九月}

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/02/17

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斎藤 野の人

サイトウ ノノヒト
さいとう ののひと 評論家 1878・4・14~1909・8・6 現・山形県鶴岡市に生まれる。抒情詩的心遊といわれた青春期を経て実兄高山樗牛に死なれ沈鬱冥想の人となるも、1903(明治36)年「帝国文学」編集委員、「野の人」の名で評論を書き「時代思潮」にも大いに書いて活躍したが、発禁問題等で筆を断ち閑居、惜しくも30余歳で夭折した。

掲載作は1907(明治40)年9月、雑誌「太陽」に初出の代表作で、この時点で早くも泉鏡花の天才と独自性を深切に指摘しその将来を的確に卜したのみか、「ロマンチク」なる文明思潮を情意豊かに解説し、日本批評史上に美しい足跡を印した。

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