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立ち葵咲く

 俺の名あは太一。つい先日、北海道からもどったところや。愛媛の南の、宇和島の町外れにもアパートが増え、一戸建ての家も以前よりずっと大きゅうなった。

 あれから三十年近く経つのか……。

 さすがに四国やなあ、五月の末ともなると、その庭先に立ち葵が咲き始めた。赤色のや、薄桃色、芯が濃紅(こいべに)なのもある。

 

 あの日、サキの庭の立ち葵は、まっ盛りやった。 

 あの家は、ここからずっと離れた伊予長浜の外れの山懐にあり、目を細めて眺めると長く延びた海岸線の向こうは瀬戸内海だった。その穏やかな海風と日の光を贅沢なほどに受けて、夏は涼しく冬暖うて、まこと住みよい家やった。サキどうしてんかな。

 俺も五十の坂を六つも越したから、サキは五十八か。それじゃあ、あんときの腹の子も二十七、八になるのやなあ。男の子やったから、きっと嫁もろうてるやろ。

 娘のユリコは、子うの二、三人は産んでるやろう。

 汗ばむほどに蒸して、入梅が待たれる六月半ば、俺はサキの家を出た。立ち葵があかあかと燃え立っていた。

 婿に、と望まれてサキの家に入った俺は、憧れていながらまったく諦めていた「家庭の味」に、頭の天辺から足の爪の先っぽまでずぼりと漬かって幸せだった。が、それは二年ほどのことやった。一人でも家を出ようと決めるまでの、それからの一年半に比べると、あれは夢の中のできごととしか思えない。姉さん女房のサキは、細かく気が利くくせに、のんびりしたところがあって、屈託がなく、俺にはもったいない嫁はんやった。

 二歳のときに、腸チフスでいっぺんに両親を亡くし孤児になってしもうて、親戚を盥まわしされた俺の生い立ちをあわれんで、サキはよく、俺をあの太い体でゆったりと抱き込んでくれた。ユリコを産んでからはぐっと体が柔らんで、顔に胸を押しつけられると、俺は息ができずもがいた。赤ん坊は、その、サキの乳を喉を鳴らして飲んでは、機嫌よく眠った。

「ウチは一人っ子やったし、おまんさんも寂しい身の上やった。だからウチは、ぎょうさん子う産むよってに、ええ子産ましてや」

 サキは、俺を思いどおりに操った。そんなサキがいとしゅうて奴隷みたいに命令を聞いてやるのんが喜びやった。

 サキとの時間を思い描けば、炎天の農作業などもののかずではなかった。あの家に入るまでの俺は、父の実家など、松山や八幡浜の親戚にいて、孤独と重労働で、暗くなっていく自分をもてあましていたのだから。

 六年生の秋から、ようやくおちついて五年間も母方の叔父の家で居候やっていた俺は高校へ入れてもろうて従弟と一緒に学校に通った。終戦後の物の無い時分やったし、母の弟である叔父は、中国の東北部で戦死していたから、俺は小さくなって暮らしていた。従弟が大学に進むと聞いて、俺は高校を中退して働きに出た。

 どこも建築ブームで仕事はいくらでもあった。すぐにも家を出て独立しようとする俺に、叔母は押さえた声で言うたんや。

「太一、おまえ、まさかお礼奉公もせんで出て行くんやないやろ。うちやって有り余って面倒みたんやない。そりゃあ、おまえのおっ母さんかてこの家の人や、新憲法では相続権はあったかもしれん。だけんど、五年も面倒みさせられて、こんなちいっとばかりの田畑もろうても割りの合わんこっちゃ。そこんとこ考えなあかんやろ」

 それからの俺は意地づくで働いた。従弟が受験に失敗して、香川の高松にある予備校に行きたいと言いだしたときも、黙って費用を出してやった。昼はなるべく給金の高く取れる現場を渡り歩き、夜は、定時制高校に通った。五年かかったが卒業した。五年のあいだ、月づきの生活費として十分な額を、叔母は当然な顔で受け取り、(ねぎら)いのことばひとつないのだ。

 俺は、定時制を卒業した日、黙って叔母の家を抜け出した。抜け出るってこんなに気持ちいいものか、と、体がふわっと地面から浮き上がっている軽さを味わった。唐突な涙が唇を伝わって口内に塩っぱさを広げた。うれしいはずなのに、細い涙のすじは、なかなか止まらんかった。生まれて初めて温かい家庭が欲しいと、心ん底から思うた。

 村の若い衆たちの夜遊びにも加わらず、家の設計の本ばかり読んでいるので「変人」と呼ばれるようになったけど俺は構わなかった。いつか(ぬく)うい家庭を作るんやって、夢を追うていたけんなあ。狭いアパートでいつも未来の自分の家族を思い描いていたんや。

 独り立ちして二、三年したころ、アパートの管理人のおばさんが縁談をもってきてくれた。それがサキや。(まつげ)が長うて丸い目がかわいらしいと思うた。おばさんが見せてくれた写真をみて俺はいっぺんに気に入って、言われるままに見合いをした。

 おばさんに連れられてサキの家に行った俺は、サキの柔らかい眼差しに出合うて、体が震えてどうしようもなくなった。「よろしゅうお願いします」と、やっと言うて、出された茶碗をつかんで一気に飲み干した。サキはそれを覚えていて、いつまでも俺をからかったもんやった。

 アパートのおばさんは別れるとき、いつもの割烹着を外して羽織を着ていたのを脱ぎながら、

「あの家は、おっ母さんがちょっとむずかしい人やが、田畑もあるし、あんたならうまくやれるやろ」

 と、ちょっと心配そうな顔を笑顔にしながら言ったのも気にならなんだ。俺はもう、心を決めていたから。

 サキの家に入ると、俺はまるで生まれ変わったように、別人みたいに心が弾みよく働いた。働くことひとつひとつが頬をゆるめさせ、いつも笑っていた。

 サキも明るい笑い声を立てながら一緒に働いた。

 夕方になると、鍬を担いだ俺と、ユリコを背負うたサキは、山田の薄暗くなりかかった畦道を大声で喋りながら家に帰ったもんや。目の下いっぱいに、島々の黒い影が延びて、遠く近く、何隻かの漁船が夕闇に溶けかけている。瀬戸の海は、東の片側だけがまだ日の名残りを見せて薄明るく、小さく弱く耀(かがよ)うていた。俺のいちばん気に入っている景色や。サキは足を止めてその風景に見入りながら、俺に言う。

「あの海を渡ってみたい。あの海の向こうには、きっとええことがいっぱいあるんやろな」

「どこも同じや。サキは俺とこうして暮らすのんが、嫌なのか」

「ううん、そやないけど……」

「そやないけど、なんや? 変やぞ」    

 俺はおどけて言いながらも、サキが浮かない顔をして見せる理由を思い巡らせる。まさかあのことを知るわけはない、と打ち消してみても憂鬱になる。

 二人は急に疲れを感じて、黙ったまま家に帰る。

「どこに行ってたんや、こんなに暗うなるまで。ユリコが腹空かしてるのに、かわいそうとは思わんのか」

 おっ母さんの声に俺は耳を塞ぎたくなる。

 赤ん坊が歩き始めたころから、おっ母さんの機嫌がだんだん悪うなって、日ごとに(ひど)うなってきていたのや。「この大飯食らい」とか「気の利かんデクノボウ」ぐらい言われるのやったらまだ我慢もできる。

 しかし、そのうちに俺たちの寝間を覗きにきて咳ばらいなんかするようになった。それだけやない。

 その日、田んぼに出ていて、俺だけ納屋に鋤を取りに帰った。日差しの強い外から入って、目が慣れるまえに足を払われて俺は転んだ。おっ母さんや。おっ母さんは、藁束の側で機械を回して縄を綯うていなさったんや。おっ母さんは筵に倒れこんだ俺が起き上がれない間に抱きついてきた。すごい力で、もがいても振りきれなんだ。

「太一、このおっ母あの気持ち分かってるやろ。サキには言わへんけん。な、一度だけでええ。もう、嫌がらせはせえへん。な、な、一ぺんだけやよってに」

 しばらく揉み合っていたのやが、俺は抵抗するのを止めた。ほんとうにこれであの嫌がらせが止むのやったらと、頭の隅で考えたのや。おっ母さんは俺を無態な目に合わせて、ようやく離れてくれた。なんちゅうおっ母あなんや、こんなことがあるなんて信じられん。

 俺は腹が立って、情けのうて、おっ母さんを睨んだ。おっ母さんは黙って身じまいをしているのやが、そのときおっ母さんの大腿から脛までが見えた。

 思いがけず白い肌は膝の辺りが薄紅色にぼかされている。見てはならないものをみたような気がして俺は目を逸らした。いつも地味な衣服に包まれ、顔や手は真っ黒に日灼けし皺の目立つおっ母さんの、隠された部分はまだまだ女やったのや。俺は強い衝撃でしばらくぼんやりしてしまっていた。

 そのときのおっ母さんは、何歳ぐらいだったのやろ。もう、六十過ぎには見えたけんど、五十二、三歳やったかもしれん。お父っつぁまがあのとおりだったから、と、いまなら少し分かる気いもするけど、それにしても酷すぎる。そのことは、いくらなんでもサキには言えんことや。お父っつぁまだって、そのころはまだ生きとらっしゃったのに、どういう料簡なんやろか。

 お父っつぁまも婿養子で、家のためによう尽くしなはったそうやが、脳溢血で危ないところを助かったのやって。まこと温和なご病人で、表座敷から障子を開け放して、田んぼを、よう眺めておらっしゃった顔が、その日はいっそう寂しそうで、俺はまともにはよう見んかった。

 俺はときどき納屋のなかのできごとを思い出すと、気色悪うて、自分も嫌になって、体を震わせた。それなのにおっ母さんは、誰もいいひんときを狙うては言い寄ってくるようになった。俺が逃げるもんやから、誰もかもに八つ当たりして、サキを悲しませた。

 俺はサキに別居しようと言ってみた。一人っ子で父親思いのサキが承知するはずはなかったけれど、俺はサキを失いたくなかったから、一所懸命、別居を言い立てた。それがサキを困らせる結果になることはわかっている。でも、ほんとうのことは言えないのだから俺だって辛かった。

 俺が家を出た日は、朝から蒸し暑く、雲の垂れ込めた空からは、すでに幾粒かの雨が落ちてきたり止んだりしていた。

 十日ばかり前に植えた稲の、成育の悪いのや、植え残しを探して、新しい苗を植え足す作業を俺は終えかけていた。サキは、雨を気にして少し早めに家に駆けて帰った。食べ残しの弁当の包みと空のヤカンを手に、ユリコを負ぶっていた。

「サキ! 転ぶなよ。流産するぞ」

 俺は、誰もいないと思って叫んだ。サキは振り向くと笑ってヤカンを大きく振り回した。

 昨夜、二人めができたのよ、とサキが打ち明けたんや。

 それはこのところいつも、おっ母さんに監視されている不愉快さを吹き消してくれる喜びやった。だから俺もつい、大声を出してしまったのやが、すぐそこにおっ母さんが立っていたとは、間の悪いことやった。聞かれてしもうては仕方がない。俺はむすっとして俯くと稲の苗を植えるふりをしていた。晩生の蜜柑が匂うた。

「へえ、また赤ん坊ってかい、この種馬が。うちは、このわしもサキも一人娘だ。子うは、ユリコだけでたくさんや。淫乱めが」

 淫乱やと? それは誰のこっちゃ。もう嫌だ、こんな家には一分も一秒もいてやるものか。俺ひとりだって出る! 俺は家に駆け戻り、驚くサキにもなにも言わず着替えだけ持って戸口をとびだそうとした。一歩出た途端、突然、滝壺に立ってでもいる感じでどしゃ降りの雨に行く手を遮られたのだった。蜜柑畑の木々が雨に打たれ葉裏を見せて躍っていた。

 気がつくとサキが、コーモリ傘を差し出している。  

 乳をふくませていたのか、左手にユリコを抱いて、はだけたブラウスの合わせめから真っ白な胸乳の隆起を覗かせていた。俺はサキを、心底抱き締めてやりたかった。

 しかし、先ほどの怒りが、波のように俺を襲い、体がまだ小刻みに震えていたからそんな気持ちは瞬時に消えてしまった。

 サキは一言も喋らない、俺も。

 豪雨のすだれ越しに、まっ赤な立ち葵が大揺れに揺れている。コーモリを開くと、俺は雨の中へ足を踏み入れた。振り向かなかった。サキも追ってこなかった。

 それっきり、一度も家には帰らなかった。

 

 ウチはあのとき、分かっていたの……。

 もう、どんなに止めてもおまんさんが出ていってしまうだろうって。

 けど、女房なら、分かっていても止めずにはいられんものでしょう? ウチだって縋って泣いて止めたかった。でも……、それはできんかった。できんことやった。ウチにはあの中気の父さんがいる。父を放って出て行けるわけはないもの。それになにより悪い母さんもいた。あんな恥知らずな人が生みの親の母さんやなんて。ウチはなにも聞かんでも、母さんがおまんさんにどんなことしかけていったのか、感づいていました。

 ウチは恥ずかしゅうて、おまんさんに合わす顔もないくらいやった。それを黙っていてくれるおまんさんにウチは辛うて腹も立った。そんなおまんさんにどんな顔して抱かれたらええというの? ウチは。自分が情けのうて堪らんかった。それなのに母さんは平気な顔して、

「あんな穀つぶし、いんようになってせいせいした」

 と、言い放って、ユリコを猫撫で声であやしてるの。

 そんな親を持ってしもうたウチが不運やったんや。

「サキにはすまんことをした」

 父さんは悲しがってくれたけど、その父さんは二年後に亡くなってしもうた。寂しい人生をやっと終えなはった。

 ウチは正式に離婚話になろうとも、お腹の子うは産むつもりだった。母さんは堕ろしてしまえ、とうるさく言ったけれど、こればかりは聞かなかった。いまでもあんときの、一歳のユリコと大腹抱えた自分を思い浮かべると涙が滲んでくる。でも、産んでよかった。

 生まれたのは男の子で、強く元気にと願ってタケシと名づけたの。おかげさんで二人とも仲よくって、丈夫に育ったわ。二人が大きな声でふざけ合って、笑ったり泣いたりしているのを見ていると、兄弟っていいもんやなって思うたもんや。

 でも……、いつもウチの心にかかっていたのは、誰にも言わないけれど、おまんさんのことだった。

 おまんさんの噂には、どんな小さなことでも聞き耳を立てた。昨日、川砂を採りに来てるのを見たとか、風邪ひいて医者さまの待合室で座っていたとか。

 山一つ向こうの村で部屋を借りたらしいと教えに来る人がいたりして、ウチは、そのたびに心配したり、安心したりしていた。村の人たちは、母さんがおまんさんをイビリ出したって、ウチに同情してくれていたから、母さんには内緒でさまざまなことを囁きに来た。

 おまんさんが、母さんの勢いに押される形で、正式に離婚してほどなく、隣村の絹江さんと一緒になったと聞いて、あの人だったら働き者だしやさしいし、と、安心していたのに、あんなたいへんな目に合うやなんて……。

 あの報せを聞いたとたんに、(たが)が外れてしもうて、おまんさんのところへとんで行きたくなって、心がどれだけ揺れたか。でも、母さんや村の人の目えがあって、それはとうていできんことやし、案じながらもどうすることもできずにいたの。ウチらは憎み合うたわけやないのにと思うと、情けのうて切なかった。

 

 サキの家をとびだしてからの俺は、毎日、自分を責めて暮らしていた。おっ母さんを否めなかったことも、サキから逃げてしもうたんも、俺が弱いけんや。あんなに気のええ女は絶対にいないのに、いくら母親に振り回されたといっても、よくサキを見捨てられたもんや。子どもが二人になって、苦労が増えるのも分かってるのに、と。  

 でも、後悔だけはしたくなかった。自分でやってしもうたことやもの。そして、あのおっ母さんがいるかぎりいくら後悔したって、いまさら戻れはしないのだと何度も言い聞かせては、土木工事に従った。力仕事に夢中になって、サキを忘れたいと願ったんや。

 俺はサキの家を出て二、三か月後に、川で倒れている女を助けた。みんなは、自殺しようとしたのだと言うけど、夫に死なれて四十九日の法事の日に、そのあとを追おうとするやなんて、よっぽど気の弱い女やな。

 その後家はんは、サキの隣り在所の絹江だった。

 自分の田んぼに水を引く小川に、顔を漬けて気を失っている所へ俺が通りかかったわけなんや。

 絹江に頼られているうちに、自然のなりゆきで、一年経って一緒になった。静かで平凡な日の繰り返しだった。

 絹江もサキに負けんくらい働き者やった。サキとちがうのは、三十八歳というひけ目からか、こっちから話しかけるまで黙っていることと、ほっそりした体つきだ。

 黙っているのは、あの時分の俺には大層助かった。でも、絹江にはすまないが、体を重ねるときは、俺はいつもサキを思っていた。

 たっぷりして吸いつくような、サキの肌を忘れかねていたのだ、正直いうと。

 だから罰が当たって、絹江を取り上げられてしもうたんや。

 せっかく拾った命やったのにと、あんときは悔やんでも悔やみきれんかった。絹江が哀れで俺はいつまでも涙が止まらんかった。

 そやけど、絹江はやっぱり元の夫のところへ戻っていったんや、きっと。

 この辺りは、たいてい月遅れの盆で先祖祀りをするから、盆休みも八月十三日から始まる。

「あと、三日働けば盆休みや」

 手拭を首に回し掛け、にっと笑って工場へ出かけて行った絹江が、二時間後には、あんな姿になるやなんて、誰も思えんことやった。

 絹江は、ずっと前から、親戚の製材工場を手伝っていて、普段は、電話を取り次いだり、伝票を切ったりしていた。でも、仕事が立て混んでくると、丸太のコッパ拾いなどの片づけもやっていたらしい。もう、長年のことで、いままでどおりに、その日も盆前の忙しさに追われるように、作業場へ入っていったんや。 

 モーターが唸り、ワイヤーがしなって、金属音を立てる円盤の大鋸が、一抱えもある丸太を二、三分の間に厚板に変える。周りは、オガ屑の散乱で目が開けていられない。男三人で、丸太を押し出す者、できた板を受け取り積み上げる者、それを外へ干し並べる者と、分業で仕事が進められていた。

 絹江は、屋内に入るなり、丸太の向こうへ歩み寄ったんやって。いつもは、床に投げ出された長いコッパを拾い集めるのに、その日に限って、緩く移動する丸太に手を出したんやと。目えに見えん運命の糸に引っ張られていたにちがいない。

 男の大声と同時に、絹江の絶叫が三人の耳を切り裂いた。けど、急停止させた大鋸は、すでに絹江の片腕と胴体を切断してしまっていたのや。

 現場検証の結果は、首に巻いていた手拭がコッパの切れ目に挟まれたのを慌てて取ろうとして、手を伸ばした拍子に、つづいて半袖のブラウスの袖がコッパの先に引っ掛かったんやろうって。それをはずせないまま、体ごと引きずられた模様と、翌日の新聞にも書かれていた。   

 きっと死んだ亭主に魅入られたんやろう、と、人々は怯えて囁き合っていた。盆の時期やもんな。

 俺はその日、サキの村の村長ん()に頼まれて、納屋のトタン屋根を剥がしていたのや。熱いトタンを扱うのは楽じゃあない。顎から滴る汗を手拭で擦って、サキの家のほうを眺めた。白い布団の干してあるのが見える。

 ユリコのやつ大きくなったやろう。産まれた子どもは元気かしらん。サキ、すまん……、許してくれ。俺は逃げ出してしもうた卑怯な男や。俺はこのごろよくサキのことを懐かしく思うようになっていて、絹江と喋っていても、返事にまごつくほど気を取られていた。

 半年前にサキが男の子を産んだって、最近になって聞かされたからやろうな。気がつくと、いつもサキのことばかり考えてしまっている。

「おうい。早う降りてこい、早う」

 気がつくと相棒の定やんが、汗と埃で斑らになった顔を向けて下から叫んでいる。お茶休みにしてはさし迫った声だ。急いで屋根から降りた俺に、絹江の事故が知らされたのやった。

 俺はバイクで製材所へ駆けつけた。どこをどう走ったかも覚えていない。あんな惨たらしい最期だなんて聞かされていなかった俺は、警官に顛末を説明されて頭ん中は、脳味噌が空っぽになり真っ白になっていた。それなのに目だけは絹江を、美しい、と思って見ていた。翳っていて晴れることのなかった表情は、長い苦しみから解放されたみたいに安息に満ちていて、運命の残酷をけなげに否定しているようで、涙が吹き零れた。作業場は、オガ屑が血を含み取ってくれたため、思ったよりきれいに片づいていた。絹江は外科医の処置を受け、一旦、布団に寝かせた。絹江の叔母の、せめてもの心遣りで、ほんのり紅を刷いた小さな顔は透きとおっていて、蝋細工の人形のようやった。

 慌しい人々の動きに流されるまま、葬儀も、納骨も、初七日の法事も、みんな他人事のように終わった。絹江の骨は前夫の墓に納まった。そうして絹江と住んだ家は、前夫の親族たちによって遺産相続のために処分されることになった。子どもはなかった。

 当然、内縁の俺の出る幕はない。

 俺は、一年足らずの絹江との生活に別れを告げるとまた、独り暮らしに戻った。アパートは、面倒がなくていいや、と割り切った。

 でも、夜になると、やっぱり絹江のことを考えてしまう。俺はほんとうに、絹江を愛していたのだろうか。サキのことばかり思って、絹江は単なる性欲のはけ口に過ぎなかったのではないか。

 自分では家庭の味を欲しがっていながら、俺はいったい絹江にどれほど家族らしくしたといえるのや。

 かわいそうに、絹江はきっと寂しかったにちがいない。

 俺は仕事に出る気を失い、絹江に家族らしさを味わわせず逝かせてしまったことを悔やんで日を過ごしていた。それでも日が経ち、相棒の定やんに強く勧められているうちに仕事に出られるようになった。

 体の内に少しずつ活力が漲ってくるのが分かった。そして絹江への心残りや後ろめたさは、日ごとに薄らいでいった。

 翌年の初盆が過ぎて、俺は絹江の墓参りに行った。

 心のうちでは、絹江に決別をして区切りをつけたい気が湧いてきていたからやった。

 絹江がいなくなって見ると、ときには絹江の透きとおった顔が浮かぶことはあったが、俺の胸ん中に、あの、サキが、いつのまにか大写しで膨らんできていたのだ。

「サキ……」

 俺は、仕事に出始めると、現場に向かうふりをして、よく、サキの家の畑の前を通った。サキはいないかと窺うまえに、あのおっ母さんに出くわしはしないかと足が竦んだ。だから、たいていは脇目もふらずに早足で通り過ぎるんやけど、それでもたまにユリコらしい声が聞こえたり、赤ん坊の乳母車が見えたりすると、そこにサキがいるような気がして心臓が破裂しそうになりながら駆け抜けたもんや。 

 

 絹江さんが亡うなられてから、おまんさんが気の毒でウチは、いてもたってもいられん気持ちやった。ああ、どうしてるんやろか、せっかくええ女と一緒になれてよかった、と思っていたのに、かわいそうな太一さん……。太一、と口から出てきて、ウチはほんまに驚いたの。そんな、名前でおまんさんのこと呼ぶなんて、結婚前のしばらくの間やった。

 家に入ってくれてからは、

「なにをデレデレしとるんや、ああ、おかしい。タイチサンてか。止めてくれ」

 と、母さんに一言のもとに笑いとばされて、新婚気分を打ち壊された苦い経験から、絶対に口に出したことはなっかったのに。

 一度、おまんさんの名あを呼んでからは、なんや知らん結婚前の気持ちに返ってしもうたみたいで、いや、もっと正直に言うと、ユリコを産んだころのウチらの生活がそのまま逆戻りしてきて、ウチを苦しめはじめたの。会いとうてたまらなくなって、東の空がしらしらと明けるころまで眠られんまま、布団の上で座っていたこともありました。あのとき、太一さんについて出て行けばよかった、と、どれだけ思ったでっしょう。

 そんなときやった。子どもたちの秋祭りの洋服を買いにY町に行って、道を歩きながら、絹江さんの初盆がすんで、太一さん、肩の荷が下りたやろ、などと思うていたら、エビス屋の角でおまんさんに出会った。うつむいてやって来る男の人が、なんか太一さんに似ていると思ったら、その本人だったんだもの。声も出ないでぼうっと顔を見ていた。抱いてるタケシが落っこちそうになるのもかまわずに。

 斜めからの柔らかくなった夕日を受けて、太一さんの顔は血色よく元気そうだった。

「あ、サキ、どうして町へ」

 太一さんもびっくりして、言葉が詰まっている。

「秋祭の買い物にきたの」

 太一さんは、パチンコをしてから、飲んでいこうかって迷っていたんだって。パチンコでとった景品の大きな紙袋をそっくりそのまま、留守番をしているユリコにってくれて、タケシを抱き取っちゃった。

「重いね。丈夫そうだねえ、いつ生まれたんや」

「二月の二十七日。もうすぐ二歳九か月になるわ」

「早いもんだ。久しぶりだなあ。元気だって聞いてはいたんだけど、気になっていたんだ。顔見たくってサキの家の周りをぐるぐる歩いたこともある」

 ウチだって、朝まで眠れなかった夜があると言おうとしても声にならない。というより言葉はいらないのや。

「サキ、俺のこと、恨んでるのやろ? 許してほしいとは言えんけど、心のそこからすまんと思うてる。この気持ちは嘘やない。ただ、あの家ではなあ」

「分かってるから、言わないで」

 エビス屋のウインドに顔を近づけて、太一さんに背中を向けた。飾り窓の中では縫いぐるみの動物家族が、作りもんの幸せを振り撒いている。タケシを抱いた太一さんがガラスに映っている。タケシが不思議そうに太一さんの顔を見つめている。おまえの父ちゃんやないか。タケシの不憫さが改めて強うく胸にきて、唾を飲み込んだ。

 ウチの背中は、太一さん、ちょっとでええから、後ろから抱いて……、と、ほんものの手触りを欲しがっていて、おまんさんに倒れかかりそうになるのを、ようやくの思いで支えていたんだ。その背中へ太一さんが囁く。

「飯でもどうかな」

 だけど、うなずくわけにはいかへん。ゆっくり体ごと振り返り、早く帰らなければ夕食の支度があるしユリコが、と小さく言いかけると、なにも言わずタケシを返してよこした。そして、なにか紙切れに書いてウチの手に握らせると、ウチの左の頬に素早く唇をつけて走ってったの。ウチは思いっきり大声で叫んだ。

「タケシの父ちゃん」

 でも、太一さんは振り向かなかった。

 ウチは、帰りが遅いと母さんに怒鳴られても、晩ご飯を作ってても、自分であって自分でない、まるで夢遊病者だった。体がふわんふわんになってしもうて。

 それでも、風呂に入って顔を洗ったときは、左の頬のそこだけは洗わなかった。朝、顔を洗うときもけっしてタオルで拭かなかった。何日ものあいだ、そこは熱をもっていて、いつも意識から離れない。夜も昼も気がついてみると、そこに指を当ててそうっと撫でているのだった。だけどあんなときに、よくあんなことできたものだと素早さにほんと驚いたわ。でもそのうちに、いつのまにか生活に紛れてしまったんだけど。

 あのとき、掌に押しつけていったものは、アパートの電話番号と、三千円の紙幣だった。

 お札は、郵便局へ持って行ってタケシの通帳作ってやった。父親の味も知らずに育つタケシに、せめてそれだけは残してやりたいと思って。

 会いたい! 心ん中で何十ぺん呼びかけたか分からへんけど、でも、電話はよう掛けんかった。母さんの目えもあったけど、電話を掛けてしまうと、自分がどうなってしまうか分からんのが、恐かったんやと思う。

 でも、ずっとおまんさんのことばかり考えていた。

 涼しい風が吹きはじめた秋には、巻きずしを作ったり、八幡さまに、二人の子を連れて母さんも一緒にお参りに行ったりした。母さんは、石段を上がりながら、腰が痛い、孫を二人も見てやったせいだと、いつもどおり言う。まだタケシを産んだことを怒っているのだ。

 だけど、母さんは口ではそう言っても、タケシが男の子なのがうれしくってたまらないのや。女系家族って言うの? それが男の子が生まれたのだもの。よくかわいがっているくせに憎まれ口利くんやから。

 でも、父さんが亡くなってからは元気がなく、急に年とったみたい。父さんに威張ることが生き甲斐だったのかもしれん。それにしても、もう、還暦もすぐやから、あまりタケシのことで甘えてばかりはおられんやろう。八幡さまでは「子どもが二人ともよい子で育ちますように。いくら悪い母さんでもウチにとっては母ですよって、母さんも息災でいられますように。そして……」とここまでお願いして、ウチの願い事は止まってしまった。

 突然、おまんさんと会えますようにって、願いとうなったんや。でもそんなこと神様がほんまに聞いてくれるやろか。しばらく目えつぶって迷っていたのだけど、ウチが悪いんじゃなくて、別れんならんようになったんです。どうか会わせてくださいって一所懸命、手え合わせて拝んどった。胸んなかに、あの日の母さんの顔や雨に揺れる立ち葵の花がぐるぐる回っとった。

 祭の日から、一週間ほど経った薄寒い昼過ぎやった。

「同級生だった岩川さんから電話だよ」

 と言って、農協の山本さんが呼びにきてくれた。電話は、役場と学校と診療所と農協ぐらいしか引いていなくて、みんな、呼び出してくれてたんや。でも、岩川さんなんて親しくしていたわけでもなく、関係ない人なのにどうして電話なんか掛けてきたのか、不審だったけど走っていくと、電話じゃなくって、おまんさんがいた。山本さんは片目をつぶって笑っている。そして農協の宿直室だった部屋でいまは休憩室になっているところへ、二人を押し込んだ。

 おまんさんは、ウチを引き寄せると、黙ったまま力いっぱい抱き締めてくれた。

「なぜ? どうしたの?」

 と言おうとする口はおまんさんの口で塞がれてしまった。なつかしい、一日も忘れたことのないおまんさんの匂いを体じゅうで受けとめてウチは震えた、何度も、何度も……。

 農協の休憩室で、おまんさんと、何度か会った。

 でも、人の目えが気になる。誰かに見つかったらと思うと恐ろしい。これは神様の罰かもしれん。あんな虫のええお願いをしたから、誰かに見つけさせて、笑いものになさるおつもりや、きっと。と、怯えたものやった。だって、あまりにも早く願いが叶ったのだもの。

 しかし、その心配はなさそうだった。いつも、山本さんがうまくやってくれていたの。でも、いくらおまんさんの親友の山本さんが味方でも、そうそう甘えてはいけない、このままではいけないとウチは気になっていた。

 最近、母さんが、サキはこのごろよく外へいきよる。なんぞあるんかって、気にしてるようやし、もし、内緒でおまんさんに会っていると、母さんに知れたらと思うと寒けが走る。

 でも、おまんさんに会えないなんて嫌だ。離れたくない。離れることを考えただけで死にたくなる。

 おまんさんはまた家を出ろって言い出している。

 ウチだって出たい。二人の子うにも、父ちゃんが欲しい。でも、今度は母さんは独りぼっちだ。体の故障も多くなっている。しかも、二人の孫の守りが生き甲斐の母さんから、孫を取り上げられるというのか。

 ウチは迷うた。迷いながらも、おまんさんの胸に顔をくっつけてぐずぐずしていた。子どもを二人とも母さんに押しつけて出かけてくるのんは、後ろめたいことやったけど、少し前から農協の休憩室はやめて、連れ込みの小さな部屋に行くようにしたのは、母さんにさえ分からなければよいと祈るような気持ちからだった。

 その日おまんさんと別れて、水引草のしんと咲き揃ったのをスラックスの裾で揺らしながら、前庭を急ぎ足で通り抜けると、玄関の戸を開けた。

「ただいま。タケシもユリコもお利口やったか」

 一段と声を張り上げて座敷に上がって行ったが、返事がない。人の気配すらしないのや。不安が胸をよぎる。

「お土産買ってきたよ。出ておいで」

 部屋の仕切り戸を開けながら、家じゅうを見て歩いても、静まり返っていた。どこへ行ったのだろう。二人とも連れて出るなんてたいへんなのに。

 腕に抱えてきた、最近できたスーパー・マーケットの大きな紙袋を、台所の板の間に置くと、冷蔵庫を開けた。悪い予感がして喉がからからに渇いていたから、冷えた麦茶を飲みたいと思うて。

 すると、冷蔵庫の中には何一つなく、便箋が一枚、網棚の上に乗っかっていて、怒った字が跳ねていた。

「親を裏切るやつに、食わせるものはない。人を馬鹿にして。どうなるか思い知れ」

 とうとう分かってしもうたんや。どうしよう。

 とにかく母さんの帰りを待つことにした。顔を合わせれば、どうにでも謝ることはできるし、言い訳を聞いてもらうこともできる。きっとバスで一停留所先の、従姉のゆい小母さんの所へ行って、ウチの悪口言って息巻いてるにちがいない。足腰の弱った母さんが手のかかる二人の孫を連れているのだから、他の所へ行くなんて考えられない。ここはおとなしくして、あまり騒ぎたてないほうがよいだろうと判断したのやけど。

 その晩、母さんも子どもも、帰らなかった。

 母さんに味噌煮込みうどんを煮て、子どもたちにはハンバーグを拵えて待っていたんやけどな……。

 タケシは夜中に二回は、小用に起こさなければならない。ゆい小母さんだけならまだいい。でも、お嫁さんの手前、もし、タケシが布団に失敗したら、と気が気ではなかった。ゆい小母さんに電話をしたいが、役場の電話を頼むのはやはり気がひけた。

 午前一時、おまんさんのアパートへ思い切って電話を掛けた。

 緊急の用だと告げると、管理人さんが眠そうな声で出て、それでも意外に快くおまんさんを起こしに行ってくれたので、ほんとにほうっと安心した。

 事情を聞くとおまんさんはすぐに、ゆい小母さんのところへ走ってくれた。もう、ウチらのことがばれるのなんて言ってられない。でも、母さんたちはいなかった。ウチとおまんさんは夜じゅうかかって母さんの立ち寄りそうな所を尋ねて電話をしたり、訪ね回った。どこにも母さんはいないのだった。

「警察に捜索願を出そう。小さな子どもを連れているんや。命に関わることになるかもしれん、早う手を打ったほうがええ」

 ウチは、あんときほど太一さんを頼もしいと思ったことはない。警察で要領よく手続きをすませ、家まで送ってくれてから、薄明るくなり始めた田んぼ道を駆け出して行った。短い言葉がいさぎよかった。

「じゃあ俺、アパートで待っているから。ここにいて、おっ母さんと顔合わしちゃあ、まずいもんな」

 それから、黙ってウチを抱き締めてった。夫婦ってこいうものなんだ……、としみじみした気分に浸かって、つい涙ぐんでしもうたんや、ウチ。

 

 俺は、アパートへの道を駆けて行きながら考えた。

 やっぱりサキは諦めよう。俺があいつの周りにいると、サキは苦労するようになってるんや。

 おっ母さんと子どもたちが見つかったら、俺はサキの前から姿を消すんや。それがサキにとって、家庭の幸せになるんやとしたら、俺は我慢してやらなあかん。俺はサキを離しとうない。サキも俺のこと好いてくれとるし俺もサキに惚れている。俺は以前から家庭の幸せに憧れておった。サキとなら絶対ええ家庭が作れると思うて一緒になったのに、うまく行かへんかった。これも運命なのかもしれん

 

 ユリコとタケシが見つかった。行方不明になってから五日めの夕方、二人手を繋いで高松駅前のマルイチ・デパートの地階であんあん泣きながら座り込んでいたんやって。事情はこうや。

 怒って家を飛び出したものの、おっ母さんはだんだん疲れが出てきたんやろう。熱を出して病気になってしもうたんやって。幼い二人を連れていては、意地も張っておれんようになったんやと思う。

「ここのおばちゃんに頼んで、お母ちゃんに知らせてもらうんだよ、ええな、分かったな」

 と、役場の電話番号と、サキへ連絡して欲しいと書き添えた紙を、ユリコに渡したらしい。ところが、四歳になったばかりのユリコはタケシの手え引いて、旅館の外へ出てしもうたんや。どうやってデパートの地階に下りていったのか分からんけど、そこで、おばあちゃんが書いてくれたサキへの連絡の、電話番号の紙をくしゃくしゃになるほど握り締めていたということや。

 親切な高校生が、交番に連れて行ってくれたとき、タケシはズボンもセーターもずくずくに濡れて、ユリコは薄黒く汚れて、二人とも空腹と寒さで危険な状態やったって。警官に抱かれると、ガチガチ歯が鳴っていたそうや。報せを受けてからサキが俺に電話をして、大急ぎで電車に乗り高松駅前の交番に行くまでに、おっ母さんも見つけ出されていた。おっ母さんは、疲労と風邪が重なって肺炎になりかかって、安宿に寝ていたというから、サキはどんな思いだったろう。  

 それにしても、高松まで行っていたとは……。

 高松は鉄道で繋がっているが、隣の県なのだ。俺の知るかぎり誰一人知った人はいないはずだ。そんな所へまで、二人の子うを連れて行くなんて、それほどまでに俺を許せないというのか。

 俺は六十を過ぎてもまだ恨みを捨てられんおっ母さんの、女の情念というか、執念いうもんに、息を飲む思いやった。やっぱり、俺はいないほうがええ。

 それから、サキがどのようにおっ母さんと折り合いをつけたのか、俺は知らない。

 俺は、サキから電話で詳しい連絡を受けると、サキの前から姿をくらまそうと決心して旅に出た。

 どこへ行こうとどうでもよかった。どこにいようとお天道さまだけは、ついてきてくれる、と思っていた。

 あれから正しくは二十五年か……。

 いま俺は、宇和島の町に、ビルの塗装の出稼ぎに来ているのだ。ほんま言うと北海道の「わが家」から。わが家、あれでもわが家といえるならばの話だが。

 俺は、サキから遠く離れるために、北海道へ渡った。北海道に知り合いがあった訳ではなかったが、「北の国」がそんときの俺の気持ちには、ぴったりやったのや。

 札幌まで行って、職をさがした。世の中、景気がよくて仕事はいくらでもあった。紹介所からの話で、俺は道路工事の仕事につくと、くたくたになるまで働いた。現場ではきつい仕事を選んでとことん働いた。ときたま鳶職の手伝いをすることもある。鳶の仕事もだんだん覚え、足場を組む要領も分かってきた。すると、道路を掘ったりアスファルトを叩いたりするよりも、壁塗りのほうが楽しいと思うようになってきた。

 学校で図画工作の時間に絵を描いてでもいるようで、気が晴れた。

 気がつくと、二年が過ぎていた。そのころから俺は仕事仲間の正男に誘われると、「すすきの」へ出かけるようになった。すすきのの路地裏の「あき」でよく飲んだ。店はいつも客でごったがえしていた。

 その日も「あき」で飲んでいたら、ときどき、現場で一緒になる塗装請負業のおやじさんが、声をかけてきた。ビールで顔が赤くなっている。

「あんた、壁塗るの、好きだんべ」

「うん、まあね」

「もしよかったらうちへこないか、みっちり仕込んでやんべよ。見ていたらスジがいいでなえ」

「素人でも平気ですか」

「だからスジがいいって言ってるだ」

 そうしていままで続いているってわけや。かれこれ二十年やな。もう俺、塗装工としてはりっぱなもんや。

「あき」の女将は、四十代の後半、五十になるかならずやろう。色が白いのや。白いといっても、雪国の肌というんやろうか、抜けるようなのや。

 その肌を見たとき、俺はサキを思い出した。忘れよう、忘れたと言い聞かせて来たはずのサキが思われて、あきを抱いた。あきは俺を拒みはしなかったかわり、抱くたび金をきっちり請求した。そのほうがいっそさっぱりしていて気持ちがええ。

 あきには娘がひとりいた。高校二年なのやが、髪の毛は金色、手も足もマニキュアたらぺディキュアたらいうて、真っ赤な爪だ。長いスカートに仕立て直した制服をだらしなく着ていて、退学させられるのは当然という格好や。

「あたいは父なし子だもんね。母ちゃんは誰の子か分からん子を産んだんだ。それがあたいさ、このあたい」

 さくら子はそう言うと、噛んでいたチューインガムをまるで自分であるかのように吐き捨てた。俺はそんな娘の生き様を見て、ユリコを重ねた。髪の毛が細くさらさらしたおカッパ頭があどけないユリコ。目の裏で俺を睨んでいる顔なのがせつなかった。

 サキならきっとうまく育てているにちがいない。こんな父はそばにいないほうがええんや。そう思ってもやはり家族は懐かしい。柔らかくてぐにゃっと持ち重りのするタケシの感触を思い出すと空をかき抱いた。

 納得づくの成り行きなのにやはり寂しさは俺を落ち込ませた。サキをまた泣かせてしもうたと気が滅入った。

 どうして俺ばっかりこうなんだ? といつもの愚痴が浮かんだ。満たされない分、俺はあきにのめり込んだ。あきも、他の客はとらなくなって、俺はいつのまにか「あき」に居座ってその一員になってしもうた。

 あきはそんな俺を黙って受け入れてくれた。あきもまた、両の手に余るはどの重荷を持っている身やった。こんな関係を、傷を舐め合う仲とでもいうのやろ。理屈も説明もいらん。ただ、体温を感じていればよかった。

 俺は「あき」に転がり込んでから一週間か、十日、ただ眠っていた。ときどき、サキやユリコやタケシの夢を見て、目覚めてはまた、深く眠った。

 夢の中のサキは、鮮烈にサキそのものであったし、ユリコもタケシも、俺のすぐそばで喋って動くのに、俺は、俺だけが姿を現せないのがもどかしい。

「俺だ! サキ、見えないのか、ユリコ! タケシ! お父さんだよ」

 呼んでも三人は知らん顔している。「サキーっ」と自分の呼ぶ声で目を覚ますと、汗が布団にまで沁みていた。あきは、俺の汗を拭いて着替えさせる。そのうちに男物の着替えが足りなくなって、自分の浴衣を俺に着せていたという。高熱で医師の往診を受けたのは知らなかった。そんな日のあと、俺はようやくおちついた。 

 

 おまんさんが、あの日、急にいなくなっても、ウチは仕方のないことや、と自分に言い聞かせていました。

 アパートに残していってくれた、太一さんの手紙があったから……。手紙はいまもこうして大事にしています。 

 ——俺がいたら、サキや子どもたちを不幸にするんや。あのおっ母さんがいるかぎり俺はサキに近づいたらあかん。それが今度こそ、よう分かった。それでも、あのおっ母さんは、あれで孫たちの面倒はよう見てくれている。

 サキは田んぼや家を守っていかんならん。俺はサキの苦しみはようわかってるつもりや。もう、ついて来いとは言わん。俺のことはすっぱり忘れて、おっ母さんの気に入る人を家に迎えてくれ。子どもたちもだんだん父親が必要になってくる。それは早いほうがええ。

 俺のことは心配ない。どうせ、俺は小さい時からの流れ者、慣れたもんや。男一匹、どうにでもやっていくけん、自分の幸せを考えて暮らせよな。俺は、この秋から冬へかけての幸せな日々は絶対に忘れん、一生かけて! 

 サキ、おまえをありがとう。ユリコとタケシを頼む。どうか幸せになってくれ。勝手な男やと恨んでくれても仕方ない、二度も逃げ出すんやもんな。

 ずっと遠い地方へ行くつもりやから、どうか探さんでくれ。俺の「最後の気持ち」やと思うてください。太一 ——。 

 太一さんがいないようだと分かって母さんはおとなしく家に帰ってきた。ウチは母さんを心底憎んだ。死んでくれたらどんなにせいせいするか。気がつくと、死んでよ、死んでって心ん中で呟きながら、母さんを睨んでいたの。ほんとに真剣にそう思った。手に縄や包丁を持っていたりして、もしかして、太一さんの手紙がなかったら、と思うと寒気がする……。

 それでも、年月はどんどん過ぎて行った。子育てに追われていることもあったけれど。気がついてみたらあれから二十年? いや、もっと経っているわ、タケシがもう二十五歳になるんやもんなあ。

 おまんさんは再婚を勧めてくれたけど、ウチは、太一さんの子うは独りで育てていこうって決めていた。おかげさんで、ユリコは小学校の先生のところへ嫁入りして、孫が二人生まれてる。タケシは去年、彼女を連れて来て、農業継いでくれるって言ってくれたの。農業高校の同級生なんだけど、婚約して一安心することができた。母さんも太一さんで懲りたのか、縁談についてはとってもおとなしいの。ウチももう五十八、年とりました。稲刈りなんかはタケシがコンバインでやってくれるけど、こまごました仕事を、腰の痛さをこらえながらやってます。今でも母さんは、ウチのすることに文句ばっか言うのは変わってない。八十八歳になってるのに……。少しボケてきてるのに、体は元気でウチのほうが先にいきそうや。

 あれから二十五年ものあいだ自分ながらようがんばったなあって思うわ、ほんまにねえ。

 太一さんは北海道へ行ったんだって、農協の山本さんが教えてくれた。山本さんにはお世話になって。あの人見ると、おまんさんと会うた日のことを思い出して辛うなる。その山本さんもそろそろ定年で、退職後のこと考えてアパート建ててるの。

 北海道って寒いのやろ? なにして暮らしてるんやろうって、いつも心に掛かっていたの。

 

 はっきりしない頭のまま、周りを見回すと、あきの娘のさくら子が、俺を睨んでいた。俺はあまり気にせず暮らすことに決めて、少しずつ働き始めた。

 だが、俺が体力を盛り返し、塗装の見習い工になって仕事がおもしろいほどやってくると、さくら子が荒れだした。

 まじめに働くおっさんなど息が詰まる、と嫌がった。自由にふるまえないので、焦れているのだ。しかし、俺は言葉でこそ言わなかったが、さくら子にも落ち着いた生活をしてほしかった。心の底でユリコが重なっていた。

 あきも娘をまっとうな人間にしたいと意気込んで、うるさく叱言をいうようになっていた。

 もともと、女子高で札つきの不良として退学処分を受けてからは、母親の上をいく荒稼ぎをしていたのだ。俺は、すぐによくなるとは思っていなかったから、少々のことでは驚かないつもりだった。

 しかし、そろそろ、雪の来そうな風の寒い夜、下着一枚の裸で道路に寝ている、と知らされたときには、もう、声も出なかった。

「自由がない。オレは死んでやる」と、叫び、あのクソオヤジ、なんで他人のくせにオレん()に入ってきたんだようっと泣きわめいている。それを、バスタオルと毛布にくるんで家に担ぎ込んだ。酒くさい息を吹きかけ、何度も吐いた。さくら子の辛さが、俺の体に食い込んだ。

 つぎの日、さくら子は手首を切った。風呂場で、湯が赤く染まった中に浮いているのを、あきが見つけた。危ないところだった。さくら子は神経科に入院させた。

 俺はさくら子の父親になろうなんて思ってもいない。

 だが、あの子には、俺が家にいることが我慢ならないのだ。俺は、半年経ってさくら子が退院すると、あきの家を出た。

 あきは、俺がアパートの一室を見つけてくると、一緒に住む、と言って荷物を運んで来た。べつに断るわけはないのだが、さくら子の反応が気がかりだった。

 やはり、思ったとおり、母親の纏めた荷物を見ると大騒ぎして、家を飛び出した。せっかく回復したのに後戻りされては何にもならない。あきは俺との同居をあきらめて、店へ帰った。

 俺があの子の目の前にいるだけで、いままで隠していたものが姿を現してくるにちがいなかった。

 何年経っても、さくら子は俺の立場を拒み続けた。そして自分も結婚したがらない。あの子にとって楽しい家庭は敵なのやろ。それは「父親」に対する異常なくらいの拒絶反応なのやなあ。さくら子の父親は東京にいるらしかったが、あきは、詳しく話したことがない。よっぽど嫌な目に合っているのだろうと、俺は想像しているのやが。  

 さくら子は、もう、四十歳になるやろ。

 それにしても俺は、どうしてこうも「家庭」から見放されるのやろうって、身の不運を嘆いてばっかりや。

 今年になって、俺は思いきって壁屋のおやじさんの出稼ぎについていくことにした。

 ちょうど四国の知り合いから「新築アパートの塗装の仕上げを急がれ、人手がなくて困っている。助けてくれないか」と、電話で頼まれているのを聞いていたから、渡りに船と乗ったのだ。

 半分世を拗ねて北へ逃れた二十五年はなんだったのだろう、と思うと、しきりに故郷への思いが広がっていたんや。この二十五年が絵空事のように思えてならなんだ。同じ根無し草なら四国で流されよう。

 北海道を出るとき、あきには、

「必ず送金するから、心配するな。さくら子の養生を十分させてやって欲しい」

 と、言い残して、四国へやって来た。さくら子はいまでもときどき自殺をしようとすることがあるそうや。俺がいなければ、刺激を受けなくてすむやろ。あきには悪いが、もう北海道には帰らへん。

 懐かしい山や川が変わらない顔で俺を迎えてくれた。高知に近い宇和島の外れの町に来て、正直言って生き返った。まるで、ずっとこの山の町で住んでいたように、なんの違和感もない。電車の窓から入る海のにおいからして、北海道とは違っているのや。

 俺は北海道の厳しい冬を思った。雪が地面から湧き上がり吹きつける。空を渡る寒気の唸りに耐えて人々はじっと春を待つ。ストーブを一年のうち九か月も焚いていなければならない気候は、四国育ちの俺にはこたえた。畑も土じゃあない。がらがらの岩の粒なんや。

 そりゃあ、大きな広い土地で人情は悪くない。大まかでこだわらないし、冬が長く暗い風土に似合わず、明るい性格の人が多かった。春から夏のカラッとした広うい空や、花ばなのうっとりしてしまう周りの景色の、あのまぶしさのせいなのかもしれない。

 でも、俺はここがいい。四国の内ならどこだって、お国訛りも柔らかで、野菜や魚が旨いのも、うれしいことや。宇高連絡船の甲板で食べたうどん、あの汁を吸うたとき、俺、涙が出た。あの出汁の味は格別やもんな。

 きょうは、ちょっと松山に用があって出かけた。夕方近く、サキの家の辺りまで行ってみたけど、あの辺も家の数が増えて道路が広うなっとった。サキの家も納屋のところが離れのような造りに変わっていたけど、母屋はそのままやった。懐かしかった。

 

 ウチ、さっきおまんさんを見かけました。この目え疑うたんやけど、確かに太一さんやった。ウチの田んぼの畦道を早足で通っていくの。痩せてちっとも幸せやないみたいやった。だから声を、よう掛けんかった。

 おまんさんには新しい奥さんができてるらしいって山本さんに聞いていたのに、影薄うなって……。

 いつ帰られたのですか、どうして? 奥さん一緒やなかったんですか。なんで、ウチの村、いまは町になってるけど、この辺へ来られたのですか。

 おまんさんに聞きたいことを口ん中でぶつぶつ言いながら、買い物の包みを抱えて家へ帰ってきた。

 家の前の庭に、あの日とおんなじ真っ赤な立ち葵が咲いている。これは、ウチが「絶対に枯らしてはならない」って一所懸命、二十五年間育ててきたものなの。種子をとっては種子を蒔いて。太一さんのションボリしている姿を見て、この赤い立ち葵が眼に入った途端、あの、すごい雨の中をおまんさんがこの家を出て行った日の、ウチ自身の感情がまざまざと甦ってきました。

 つぎの瞬間、山本さんのところへ走りだしていたんや。そしておまんさんの住所を聞き出した。喜びに体が震えてきた。

 大急ぎで家ん中を片づけると、母さんを探した。このごろは、あまり遠くへ行けなくなって、その辺をうろうろしているのだけれど、どこへ行ったのだろう。

 ま、もう、どうでもええこと。もう、いい。

 子どもの責任は果たした。母さんにだって、もう十分孝行したつもりやし。

 ウチは太一さん所へ行く。

 もう、誰にも渡さない。太一さんはもともとウチのものなんや。母さんだろうと、もし、奥さんがいたとしても、奥さんだろうと、だれにもなにも言わせない。二人だけで幸せに暮らすんや、今度っこそ。

 もし、さっき太一さんが幸福な顔してたら、よう決心せなんだやろ。けど、そうやなかった。もう沢山や。太一さんにしても、ウチにしたって、もう十分過ぎるくらい不幸やった。そう思うでしょ? ユリコもタケシも。

 ウチが太一さんの傍に行ったと知ったら母さんは何と言うやろうか。

 どっちにしてももう、決めたことなんや。

 今夜、母さんもこの家もユリコもタケシも、なあんもかも捨てる。もしかしたら、命までもすてるかもしれん。太一さんがそう言うならそうする!

 家の前庭にまわると背丈を越える逞しい立ち葵を、力一杯、引き抜いた。一本、一本、太い幹が倒されていく。これをウチは、二十五年も大事に育てていたのだ、丹精込めて。真っ赤な花が揺れる。散ってしまった花を一つ、手の上に乗せる。

 花が咲くたびに眺めた、心模様まで思い浮かぶ。長かった日々。枯らしませんから、太一さんをきっと返して、と、心狂わしく耕し、肥料をやり、水を撒きながら祈った年月が、サキをなかから衝いてくる。

 でも、もうその必要はないのだと言い聞かせる。

 汗を滴らせて抜いていくのが心地いい。

 全部抜くと、庭が一段と広く見えた。

 太一さんとの幸せだった思い出を消したくなくて、一所懸命、手入れをしてきたけれど、これは不幸の形でもあったわけなの。そう思うと、このさっぱりした庭のように、心の中の不幸の影まで消えていくような気がした。

 手と足を洗って家に入ると、体も洗いたくなって風呂場に行った。汗で肌にくっついたブラウスもスラックスも下着も、ゴミ用の黒いビニール袋に投げ捨てて、浴槽の汲み置きの水を頭から桶で、何杯もかぶった。

 一杯かぶっては冷たさに震え、もう一杯かぶっては迷いを流し、さらに一杯かぶって心を奮い立たせた。しまいには感覚がなくなっていった。が、なおもかぶり続けた。

 ただひたすら、冷水を浴びることがウチにとって欠くことのできない「生まれ変わり」の儀式ででもあるかのように。

 ウチはもう、以前のウチやない。

 生まれかわったんだと自分に言い聞かせると、唇と肩先が小刻みに震えた。

 箪笥の上の白いボール箱から取り出した、買い置きの、新しいものばかりを身に着け、テーブルの前に座る。

 便箋を広げ鉛筆を持つと、濡れた髪から水滴が滴り落ちた。

 涙みたい……。でも泣いていません。だってこれからは、思いどおり通り生きていくのだもの。

 なにか書かなければと思うのだけど、言葉が浮かんでこない。鉛筆じゃなくボールペンにしようと、取り替えた。改まった感じがした。

 母さんに、太一さんの所へ行く、とだけ書いた。なにも書けない。少し考えてタケシと仲良くやってと、つけ加えた。最後に思いついて、騒がないで、と書いて風に飛ばされないように便箋の上に茶筒を乗せた。タケシがうまくやってくれる。

 奥の間では仰向けに体を横たえると手と足を思いっきり伸ばした。天井に蝿捕り蜘蛛が一匹、小さく跳ぶように進んでいくのが見えた。板の木目も汚点(しみ)も見慣れたものだ。

 柱に目を移す。マジックペンで落書きした動物や、クレヨンのフランス人形もお馴染みだ。あのころは忙しさに追われていたから、ユリコとタケシの悪戯書きはずっと後になって気がついた。叱っても、もう後の祭りだった。思い出すと、薄い笑いが浮かんでくる。

 なんて静かなのだろう。   

 ふっと涙ぐみそうになった。なにもかもみんなみんな、もう、さよならねと心の内で囁いた。

 

 タケシは母さんを大事にしてくれている。

 でも、結婚となると別や。ウチと一緒に暮らすと言ってくれる婚約者のミカさんだって、事情が違ったらどう変わるか分からない。それが気にならないわけはないけれど、すべて任せるわ。よく相談してちょうだい。ユリコもタケシも、ウチの突飛な行動に驚くでしょう。でも、わかってくれる?

 夜になった。裏のガラス戸をガタガタさせて母さんが帰って来たようだ。ウチを呼んでいる。

 母さん……、マグロのお刺身、冷蔵庫だからね。その横に財布と、通帳と、ハンコを入れておきます。困ったことができたら、ユリコやタケシに言うといいわ。頼んでおくから。

 あ、それから母さんの好きな、茹で卵を刻んで入れたポテトサラダも拵えて、テーブルの上においてあるからね。

 足音を殺して玄関から外に出る。

 深くなった暗闇をかき分けて、サキは歩き出した。

 

      ————

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2004/02/27

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尾津 晃代

オヅ アキヨ
おづ あきよ 作家 1929年 シンガポールに生まれる。日本随筆家協会賞。

掲載作は、同人誌『季刊作家』1994(平成6)年10号初出、2002(平成14)年5月、菁柿堂刊『立ち葵咲く』に収録。

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