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テロと報復軍事行動の狭間で

Rさん。

 ニューヨークに住むあなたからの手紙を受け取りました。

日本でもアメリカのマスコミに続いて自粛をしたため、見られなくなった9月11日の衝撃的な映像を伴った同時多発テロのニュースが、テレビの画面 から飛び込んできたときに、まず、思い浮かべたのは、あなたが、事件に巻き込まれていないかどうか、ということでした。

 手紙によれば、日本からのマスコミの取材者のための通訳兼コーディネイトという仕事をこなすという仕事をなさっているということですね。普段なら、コマーシャルや音楽の仕事をしているというあなたが、この事件以降、日本からの取材陣と一緒に現場を飛び回っている様子を日本のA4版よりやや小ぶりの「コンテ用紙」の裏側2枚に、びっしり書いているのを拝見するだけで、現場の緊迫感とその合間に手紙を書き連ねたであろうあなたの姿が伝わってくるような気がします。

 超大国・アメリカを相手に、「窮鼠猫を噛む」ようなテロが発生し、その後のアメリカ当局の捜査の結果 、イスラム原理主義を標榜する、ある非国家組織の「犯行」という疑いが強まりました。なぜ、このようなことが起こったのか。それを充分に解きほぐさないまま、事態は推移して行きました。さらに、アメリカは、この組織とそれを匿うアフガニスタンに対して、リーダーの身柄を引き渡さなければ、報復攻撃をすると宣言しました。

 私は、ジャーナリストの一人として、テロから軍事行動までの報道を見守るなかで、奇妙な記事を読みました。非国家組織のリーダーが、フランス在住の母親に架けた携帯電話の内容がアメリカの当局によって、傍受(盗聴)されていて、その内容が、テロ関与の証拠のように報道された記事でした。ところが、記事では、それが、どのような手段で傍受されたのか、それが、私たちの生活に、「普遍的には」どういう問題性をふくむのかということの検証が、一行も触れられていませんでした。記者の目が感じられない記事でした。当局の発表なのか、「リーク」という名の報道操作なのかも不明です。犯罪捜査だから、許されるのか。私たちの生活で使う衛星を利用した携帯電話も同じように盗聴されているのかも知れません。盗聴という事実もさることながら、そういう情報を「垂れ流している」ような記事の書き方に私は強い危惧を持ちました。さらに、メディアで働く人間として、今回の事態は、非常時だから、時限を切った措置だからと、当局による「メディア規制」をなし崩しに強化するおそれがあるのではないかという恐怖感も抱きました。実際、アメリカでは、当局による電話の盗聴やインターネットの監視の権限を強化するという法案の「改正」が、審議されているという記事も見ました。 こうしたなかで、一連の日米の報道に対するアメリカと日本のメディア・ウオッチャーの記事が、10月6日の日本の新聞に載っていました。その記事の主な内容は、次のようなことです。

 アメリカの報復攻撃について、アメリカのメディア・ウオッチャー「FAIR」によると、「アメリカの報道では、リポーターが、『兵士』になっている、番組では、戦争を支持している」という。反テロ法案で、電話の盗聴やインターネット監視に対する捜査当局の権限強化の報道も、アメリカのマスコミでは、殆ど取り上げられていないということです。 Rさん。そうなのでしょうか。  こういう事態をきっかけに、将来に禍根を残すような「普遍的な」あるいは「根底的な」人権の侵害が行われるのは、権力の歴史の示すところですが、そういう指摘をしないマスメディアなど、己の存在原理の放棄でしかないと思いました。これでは、アメリカも、まるで、日本の戦前の大政翼賛、大本営発表と変わりがないのでは、ないでしょうか。

 さらに、この新聞記事は、日本の動きも伝えています。

 それによれば、日本のメディア・ウオッチャー「メディアの危機を訴える市民ネットワーク(略称「メキキ・ネット」)」は、近く「9・11報道に関するジャーナリスト・シンポジウム」を開くという。「メキキ・ネット」の事務局では、日本のマスコミの報道姿勢について、大局的な視点が欠けていて、権力へのチェックがおざなりで、充分な確認や検討を経ないまま、情報を垂れ流している。その結果 、実質的な改憲の流れを後押ししている。こういう状況を生んだ歴史的な背景や市民として、いまできることをシンポジウムで考えたい、ということでした。

 10月8日、アメリカの報復軍事行動が始まりました。アメリカの爆撃は、その後も、連日、続いています。

 心配したとおり、アフガニスタンでは、一般市民に犠牲者が出始めています。国連関係の施設も「誤爆」され、NGOの4人が亡くなりました。アメリカの攻撃開始を前に、アメリカの治安当局は、「報復をすれば、100%報復テロがある」という状況認識を上げていて、ブッシュ大統領らは、それを承知で攻撃に踏み切ったという記事も出ていました。この記事は、スクープで、この記事については、その後、「大統領、情報漏れを激怒」という記事が載り、今後は、極秘情報の説明を受ける上下院の議員の数を減らすという、「メディア規制」の指示を大統領が出したという記事が10月10日に載っていました。「暴力の連鎖」は、承知の上という権力者たちの判断です。そのあげく、「誤爆」をふくめて、一般 市民の死者です。権力者にとって、やましいことは隠すという「メディア規制」も、見えない形で進行しています。 Rさん。あなたも私も、長いことテレビの報道で仕事をしてきました。

 ブッシュ大統領は、アメリカのCNNなどのテレビを利用して、政治的なプロパガンダをしています。一方、非国家組織のリーダーも、「中東のCNN」と言われるテレビ局「アルジャジーラ」を利用して、自分たちの都合の良いメッセージを世界に届けるという「メディア合戦」を繰り広げています。今回の事態は、国家対非国家組織との宣戦布告なき「新しい戦争」なのかもしれませんが、一面 では、デジタルという最新技術を利用して、インターネットもテレビも操っての「メディア合戦」の様相も濃くしています。

 こうしたなか、世界各国の「表現者」の集まりである「世界ペンクラブ」、あるいは、日本を含む各国のペンクラブは、こうした権力者たちの「メディア合戦」が、今後の表現の侵害に及ぼす問題点までふくめて、幅広い人権擁護のために、発言すべきでしょう。この事態は、優れて表現の問題だ、と思います。世界ペンクラブをふくめて、各国のペンクラブは、今回の事態について、どういう対応をしているのでしょうか。アメリカのペンクラブの動きなど、伝わってきませんが、「表現」が、政治や歴史を質すことは、どんな時代にも必要だと思います。政治や戦争を質すのは、政治家には、できません。それは、「表現者」の役割では、ないでしょうか。 Rさん。

 例えば、アメリカの作家たちは、いま、この事態について、どういう発言をしているのでしょうか。次の手紙かメールにでも書いて下さい。

 あなたは、手紙のなかで、次のようなことを伝えてくれています。

 事件後、ボランティアとして、ビルの崩壊現場付近の後始末に精を出す大勢の「アメリカ人」(多分、多国籍の人たちだと思います)の姿とブッシュ大統領のアフガニスタン攻撃(同じような一般 市民の被害者を出していると言うのに)を90%の「アメリカ人」たちが支持するという大政翼賛の現象とが、私のなかでは、一致しないのです。何故、自分の痛みを他人の痛みにできないのかと私は思います。善人たちこそ、無差別 殺人となる軍事行動を支持するということでしょうか。

 今回のテロは、原因が解明されていませんが、冒頭にも書いたように、これは、「窮鼠猫を噛む」という問題でしょう。何故、猫は、鼠を追いつめたのでしょうか。私は、次のように思います。

 冷戦終結後、世界は、ただひとつの超大国・アメリカによる一極世界支配(それを「グローバル化」と呼ぼうと、本質は変わらないでしょう)という閉塞状況に対して、従来の国家に替わって、「窒息死」を拒否する非国家組織という「窮鼠」が、手段を選ばずに、テロという形で「爆発」したのだ、と私は思います。

 テロは、アメリカ人だけでなく、多くの国籍の一般市民を無差別殺人するという結果 を引き起こし、世界各国から顰蹙を買いました。当然です。テロでは、問題の状況は、解決しないからです。それなら、そういう非国家組織に、アメリカのように武力という暴力で報復することが、問題の解決になるかというと、これも、テロ同様、解決には繋がらないだろうと思います。アメリカの治安当局が予測しているように、報復された側は、「100%の報復テロ」を引き起こすだろう、と私も容易に想像できます。こういう事態の推移となれば、暴力の無限の連鎖が、この先も続くばかりだろう、と思います。

 では、現実的な解決は、世界各国の英知を寄せ合って、国際機関で、冷静に問題状況の解消の途を探るということだろう、と私は思います。その場合、日本政府がなすべきことは、世界でただ一つの被爆国であり、戦争放棄という人類の理想を体現する憲法を持っている日本の政治理念の実現の必要性を声高に主張することではないだろうかと考えます。この主張は、実は、極めて説得力のある論理なのだと思います。ところが、小泉総理ら日本政府の責任者たちは、いたずらにアメリカ政府に同調するばかりです。「現実」の超大国・アメリカに対する「理念」の超大国・日本。ふたつの国家を軸に、非国家組織を国際政治の舞台に引きずり出し、一極支配構造という閉塞状況を改革する途を探ることが、いま、大事なように思います。小泉総理の「聖域なき構造改革」の、「聖域」とは、超大国・アメリカのことであり、アメリカ一国の行動を見て見ぬ 振りをするように、超大国に口を出さないというような「聖域」を国際政治の場からなくすことが必要です。さらに、その上で、「聖域」とか、「聖戦」とかいう思い詰めた「宗教概念」から、多元的な価値観を持つ生活者の「現実感覚」へ目覚めよ、と旗を振り、新世紀の世界各国に、未来像を見せるよう、「ショー・ザ・フラッグ」してみせることが、本当は、アメリカ政府に対する日本政府の「誠意」の見せ方ではないだろうかと思っています。

 私の所には、マスメディアからの情報のほかに、インターネットを利用したメールでも情報が届きます。権力による「マスメディア規制」を監視しながら、市民による「マイナーなメディア活用」も、あわせて必要な時代に来ているのかも知れません。権力者は、メディアを利用したり、規制したりします。そういう実状のなかで、市民サイドのメディア活用が、市民情報の連鎖として展開し、冷静で、落ち着いた情報の授受が、マスメディアの情報欠如の「隙間」を埋め、客観的な世論形成ができるように、人類の英知が働かないものかと痛感しています。デジタル時代は、技術的にそれを可能にすると思います。歴史が示すように、権力者は、ときに、過ちを犯します。それを正すのは市民たちです。21世紀という新しい時代に入っても、それは変わらないようです。 Rさん。

時代は、激しく動いています。長い手紙になりました。ご自愛専一にて、お過ごし下さい。

                     Y.O.(2001・10・11 出稿)

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2001/11/26

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大原 雄

オオハラ ユウ
おおはら ゆう ジャーナリスト・評論家。1947年 東京に生まれる。『ゆるりと江戸へ ~遠眼鏡戯場観察(かぶきうおっちんぐ)~』(1999年 現代企画室刊)がある。→ホームページ「大原 雄の歌舞伎めでぃあ」。