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怒らねば

 ふりかえってみると、果てなく続けられるのかと思われたパレスチナ人の対イスラエル人テロ・・・とくに自爆テロは、ニューヨークでの、乗客をそっくりまきこんでの同時多発自爆テロの発生で世界が恐怖のどん底にたたきこまれたせいもあり、パレスチナ政府がテロ撲滅をいち早く承認決定したこともあってか、このところは対イスラエル人自爆テロは発生していない。

 ところで、今回の同時多発テロはあちらでは“KAMIKAZE”と呼ばれているらしい。爆弾を抱いて自死するという日本の太平洋戦における神風特攻隊の攻撃手段や、1972年にテルアビブ空港で乱射事件を起こした日本赤軍事件などを通して伝えられ、アラブテロリストがテロ戦術に組み込んだのではないかとの予測を呼んだのではあるまいか、と思えるふしがある。

 日本の特攻隊はそもそもが、隊員が爆弾と一体化した兵器であった。自死を決定的な前提にされていた。生還を考えない人と化して出撃させられたといえる。また、生還を考えない、または考えたとしてもその意思のままに行動できない枠のなかに嵌めこまれたのだ、といえる。

 さらに言えば民衆は大日本帝国臣民として、幾世代にもわたっての神道による「天皇は神」とする宗教的洗脳教育を受けさせられ、遂には政権を掌握した軍権力と軍規律による抑圧が加えられて,自死を恐怖しない狂信者に化したのであったと思う。

 教育こそが人間を人間ともし、悪鬼ともする。人の幸福、不幸をも決定するものだといえる。“KAMIKAZE”と、アラブテロリストがイスラム原理主義信奉の狂信者となって自死のテロ行動へ突っ走ったのはほぼ軌を同じくしているのではあるまいか。

 しかし、考えてみると、日本人はあのハワイ不意討ち攻撃も特攻隊も軍艦だけを狙った。日本の自爆攻撃は民間人を狙いはしなかった。アラブテロリストと日本人の自爆自死攻撃は共にアメリカを攻撃目標にしながらも、この点に大きな相違点があるといえる。

 両者は宗教的にも文化的にも大きく異なっているのだが、どちらもアメリカを目標にしているのに、その実行行為に大差があったのはなぜか。アラブテロリストは、実に民間人を巻き添えにするのを気にもかけない風に、いともあっさりと6000余の人命と文化的な建造物や人々と公共の施設資産を虐殺・破壊したのであった。

 “自死”を攻撃の手段としたことは日本の特攻隊に学んだのかもしれないが、民間人をあっさり殺戮したのは、原爆まで使った広島・長崎空爆を含めたアメリカ空軍の無差別空爆に学んだのではなかったか。

 いや、まさしくアメリカ的攻撃を承け継いだものにちがいない。

 アメリカはきわめて傲慢で独善的であり、国連の負担金納付をサボったり、京都議定書破棄もアッサリと――そのエゴイスト的で地球の保安官ぶった在り様が、どうにもがまんできない、いのちを投げても一矢報いたいといった気にさせるといったハナ持ちならないところのあるのを否定できまい。

 これもまた、“怒らずにはおれない”気分にならされる。せめて国連を重視・尊重することで国際問題の処理にあたる姿勢をとることが世界とアメリカのためになることであり、地球民衆のためになることだ、と直言したい。ともあれ、地球上から飢餓に襲われている民衆を“人間の生活”に救い上げるため、“戦費のすべてを投入する”こと。ただちに殺戮をやめること。そうやって“対話のテーブル”に着かせ、着くことを強く希望してやまない。

 

  許せぬ

 

テロ それを 絶対に許せない

 

テロは無辜の人間を闇打ちで殺傷した

極悪の犯罪人だ

わたしは たとえば テロが

予め名乗りをあげ

己れの信ずる「聖戦」の主張をかざして

やったとしても

全く因果の枠外の六千余人の人命を

一瞬に奪ったのを

絶対に許せない

続けての細菌テロは

世界中の人間を恐怖の底にたたきこんだ

さらに「報復」の渦に捲き込んで

対象を特定できない相手への

際限のない殺し合いが始まったのだ

 

討たれた者の親か子が

討った相手を討ちとる 仇討ち

仇討ちされた者の親か子らが

仇討ちした相手を仇討つ

――これは日本の昔の話――

正か邪か はともあれ

報復 復讐は因果となって果てがない

でも現代社会は仇討ちを禁じ

国権に拠る司法機関が裁く

 

世界は第二次大戦終結に

軍事裁判所を設け戦争犯罪人を処罰した

人類は国際裁判をすでに経験ずみだ

 

われわれには国連がある

世界の英知は望んでいる。

国連に国際犯罪者捕縛検挙の機関と

裁判機関設置を躊躇すべき秋でないことを

またテロの撲滅に共闘をきめた国々は

その意志と力を人類の共生に注ぐべき秋であることを

 

戦争の21世紀を予感させるいかなる行為も

ただちに停止せよ

 

卑怯な闇打ちテロを停止せよ

報復の戦争をやめよ

戦費のすべてを注いで

テロを生んだ国々の民衆に

殖産と職業と学校と病院と希望ある生活を

與え 保証し すべての差別を取り払え

国利優先をやめ

民衆は互いに長短を補いあって生きよう

そのためのテーブルを設け

テロの被害者も 加害者も

戦争の被害者も 加害者も

対話の席に着け

ただちに 人類共生の平和をめざすあすへの歩みを始めよ

 

国連はそのテーブルを設け

人類の英知を結集して

平和へ立ち向かえ

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2001/12/04

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大林 しげる

オオバヤシ シゲル
おおばやし しげる 詩人 1923年2月1日生まれ。2010年8月6日没。

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