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福袋

 炎天下、私はさっき会ったばかりの女性と大阪の町を歩いている。あまりに暑く、光景が歪んで見えるせいで、すべてにおいて現実味が欠けている。知らない町を知らない女と歩く夢を、夢と気づかず見ているようだ。

 彼女は山口三重子といい、三十九歳ということだったが、しみの浮き出た肌やぱさついた頭髪、しわがれた声から判断すると五十歳近くに見え、けれどデニムのミニスカート、胸元の大きく空いたラインストーンつきのカットソーという出で立ちやべたべたした要領を得ない話し方は二十代前半の小娘のようで、彼女が(かも)()すその年齢的分裂が私を少々混乱させていた。私よりひとつ年下の彼女は、兄の恋人ということだった。

 新大阪から御堂筋線に乗ってなんば駅で下車し、道頓堀を三重子に案内されるようにして私は歩いているが、私と同様、三重子も大阪の町を知っているわけではないことは、幾度も迷い、行き交う人に道を聞いていることからすぐにわかる。

「それで」人混みのなか、人とぶつかることも気にせずに三重子は私に向かって話し続けている。「なんで私たちがその日に婚姻届を出さなかったかっていうとねえ」なんだってこんなに大阪は人が多いのだろう。向こうからやってくる人もこっちからやってくる人も水流のように入り交じって、しかもみな、一様に甲高くしゃべりながら歩いているので、そこから三重子の声を抜き出し彼女の要領を得ない話の全容をまとめようとすることに私は疲れ切っていた。「ねえあのさあ、婚姻届に不備があって出しなおして、したらまた不備があってもう一回出しなおしたカップルのこと覚えてる?」と、三重子は若い俳優とアイドルタレントの名を出すが、私は話の向かう先がわからず曖昧に返事をする。「私、ああいうのが運命っていうんだと思うのよ。それであの子たち、結婚したらすぐに破局だったでしょ? 私が思うに、あれはその出しなおし出しなおししたのが運命の声だったと思うんだよね、最初で出せなかったらもう一回仕切りなおしをすればいいのに、二日後、今度は三日後って、そういうの、よくないの。絶対によくないの。ね?」

 と三重子は私をのぞきこむ。鼻の頭に玉の汗が米粒のようにのっている。化粧が剥げている。

「それで、それと兄となんの関係があるんでしょう」初対面なのだから一応は礼儀正しくしようと思うものの、声がつい尖ってしまう。

「あっそうだった。それで私たちも一度婚姻届を出しにいったのね、えーとね、それは杉並の区役所に。ほらあのとき、泰弓(やすゆみ)くん高円寺に住んでいたからね。ねえ、牛のおっぱいの肉って食べたことある?」

「はあ?」

「ああっ、見て見て、ねえねえ、あれ、テレビによく出てくるグリコの看板じゃない? うわー、なんかミエ感動しちゃう、本当にあるのねえ。阪神が優勝するとこの川にみんな飛びこむのよね、っていっても川はなんでこんなことになってんのかしら、工事中? 残念よねえ」

 私はため息をついた。私は大阪観光にきたわけではないし、川が見えようが工事中で板でふさがれていようが、どうだっていいのだ。それなのに三重子は、グリコの看板にはじまって、かに道楽の動く蟹やたこ焼き屋や、そんなものを見るたび歓声を上げて、「なぜ婚姻届を出さなかったか」の話はもちろん「牛のおっぱいを食べたことはあるか」までも、どのような話であるのかまったくわからなかった。

 三重子の情報によると、兄はこの繁華街の一角にあるラーメン屋で働いているということだった。私としては、暑いし、人は多いし、三重子の支離滅裂な話につきあわされるのはもううんざりで、一刻も早くそのラーメン屋にいって、兄に会えるのならば会い、会えないのならば会わないで、さっさと今日という日を終わりにしたかったのだが、三重子は「せっかくだから水掛不動にいきたいなーミエ」などと頓狂なことを言い出す。

「私、でも今日は日帰りだし、時間もあんまりないから、それはあとにしませんか」と私は言った。

「でもさー、すぐそこなんだよ。ね、ね、ユミちゃんのいる店は十二時開店だから、まだ少し早いし、ね、ね、いこうよ、すぐそこだから」と三重子は言いながら、通りがかりのおばさんをつかまえ「水掛不動はどういったらいいの?」と訊いている。おばさんは親切に、「ここまっすぐいってな、そんであの角あるやろ、あっこ曲がって……」と、説明してくれている。

「どうもありがとう」三重子は彼女に深々と頭を下げて、私に先んじてすたすたと歩いていってしまう。あとを追うように私も歩いた。細い横町に入る。古めかしい店が並んでいる。

「ここいらは古くしてあるけどまだ新しいの。火事になって焼けちゃってそれから再現したからね」

 三重子はおのれの手柄のように言う。細い横町をくねくねいくと突き当たりに寺があった。ちょうちんがぶら下がり、苔むしたお不動さんがある。観光客か、まだ若い男女が順番にお不動さんに水をかけ、手を合わせてじっと祈っている。彼らがいってしまうと、三重子もそそくさと柄杓(ひしやく)を持って水をかけた。そして聞こえよがしに「ユミちゃんが見つかりますよーに」と言い、ぱんぱんと手をたたいて頭を垂れた。「さ、かよちゃんも祈りな」ふりかえってにいっと笑う。彼女に促されるまま水をかけ、ぱんぱんと手をたたいて目を閉じて、さて何を祈ったものかと思う。

 どうぞ兄がどこか遠くにいってしまっていますように。思いついたことをそのまま祈る。遠く、私がさがしあてられないくらい、もう会えないくらい遠くへいってしまっていますように。思いのほか熱心に祈ってしまった。祈りながら思った。もう会えないくらい遠くにいっていてほしいというのは、つまりは兄に死んでいてほしいということと同義だろうか。同義であると、自らの内に答えがすぐ出て私はたじろぐ。その迷いのなさにたじろぐ。私は兄の死を祈るような妹になってしまった。

「長かったね。かよちゃんも泰弓くんが見つかるようにお願いしたの?」

 歩き出しながら三重子が訊く。三重子は兄のことを、泰弓くんと呼んだりユミちゃんと呼んだりし、そのこともなぜか私を苛立たせた。

「見つかるようにって、だって山口さん、居場所を知っているんでしょう。だから私はここにきたんですけど」

「そりゃあ知っているけどさあ、ユミちゃんのことだから、私たちが着く一時間前にもうどこかにいっちゃってるかもしれないじゃん」けろりとして三重子は言った。

 三重子情報では、兄が働いているのは道頓堀の雑居ビルにある「麺キング道頓堀店」ということだった。横町を出た私たちはまた道頓堀商店街に戻り、三重子がだれかれかまわず店の所在地を訪ねて歩いていくのに私はくっついていき、細い路地を入ったところにあるビルの一階に「麺キング道頓堀店」はあった。営業中の店に入り、カウンターの内側にいる金色短髪の若者に「あのー、田辺泰弓さんはここで働いていますか」と、三重子が訊いた。カウンターに座っていた数人が、無遠慮に私たちをじろじろと見る。

「田辺? 知らんなあ、そんなやつ。ここにはおらん」

 金色短髪が答え、私は三重子と顔を見合わせた。

「じゃああの、べつの支店なのかなあ」三重子がやけになれなれしく言う。

「ほかの店のバイトまで、おれはわからへんわ」金色短髪は言いながら、近隣のチェーン店地図がのった麺キングのちらしをカウンター越しに私たちに手渡した。

「大阪の人って、かっこいいし親切だよねー」店を出るなり三重子は言って、

「ちょっと、あの店にいると言ったのは山口さんですよ」私はさらに尖った声を出さねばならなかった。

「うーんほしたら、道頓堀店じゃなくてパークス店だったのかも。ね、こっからすぐだし、いってみようよ今から」

 そうして私と三重子はまたしても炎天の下、肩を並べて混維のなかを歩き出した。地下鉄かタクシーに乗るのかと思ったが、三重子はただ炎天下の道を歩き続ける。おのおの勝手に突きだした看板の下、暑さなどまるで感じないようにすたすたと歩きながら、三重子はようやくさっきの「婚姻届を出さなかったわけ」に戻った。

 三重子は私の兄との結婚にあたり、原宿のある占い師の元を訪ね、婚姻にふさわしい日を六千円出して選んでもらったらしい。日にちだけではなく時間までも占い師は指定し、だからその十月一日午前十一時から十一時二十分までのあいだに、提出するばかりの婚姻届を持って三重子と兄は杉並区役所にいった。が、泰弓の泰の字が「秦」になっていた。兄は「泰」と書いたと言い張ったがどう見ても「秦」に見える。それで書きなおすことになり、十一時まではあと七分あったので大急ぎで訂正し捺印もして、また窓口に持っていったところ、今度は兄の住所の間違いが指摘された。兄は三年ほど前に住んでいた練馬区から住民票を移していなかったのだった。

「係の人はね、まず住所変更して、それから婚姻届を出さなくちゃだめだって言うわけ。そしたらユミちゃん、きれちゃって。なんで結婚すんのにそんないろんな紙に名前書いて判子押さなきゃいけないんだって騒ぎ出して、警備員みたいな人に外に追い出されて、その時点でもう十一時二十分は過ぎちゃってたの。だからね、そのとき私、あのタレントカップルのこと思い出して、ああこれは今日結婚するなってことなんだな、原宿の占い師はインチキだったんだなって思って、それで私たち、高円寺にある焼き肉屋にいったの。その焼き肉屋は食べ放題なんだけど、なんとメニュウに牛のおっぱいがあってね」

 途中途中で、あれがかの有名なグランド花月よ、とか、あっちに見えるのがなんばシティ、などと地図を確認しながら叫びつつ、三重子は途切れなく話し続け、暑さに朦朧(もうろう)としながらも私はようやく、婚姻届を出さなかったわけも、また牛のおっぱいへの連想も理解できたわけだが、しかし自分の名前すらきちんと書けない兄や、放置された住民票や、警備員まで出てきた区役所での騒動は、聞くにつれあまりにも兄らしきエピソードで、原宿の占い師を訪ねるこの三重子という女ですらも、いかにも兄のエピソードの一部に思え、私はますますげんなりした。

「あとどのくらい歩くんですか。タクシーに乗るとか、地下に入るとか、べつのいきかたはないんですか」

 私は言ったが三重子は無視して歩き続ける。

「そんでね、あらためて別の占い師に日時を見てもらってね、今度は信用できる人で費用は一万円、それが十二月だったから、ユミちゃんの手続きもミエ全部やって、あとはもう本当にその用紙を出すだけだったの、そしたらユミちゃんいなくなっちゃうんだもん……あっ、見えてきた、あれがなんばパークスよ、かよちゃん」

 あそこは元は野球場だったのだという三重子の説明を聞き流し、ハンカチで額や首筋をひっきりなしに拭い、三重子に従って歩いた。兄と三重子が婚姻届を書いたり、区役所で一悶着起こしたり、また三重子が占い師を訪ねたりしている時間と、私の過ごしてきた時間を頭のなかで重ね合わせた。昨年九月の終わりに私の母は入院し、私は土日に二時間かけて病院に通っていた。十月の半ばまで母の頭はしっかりしていて、兄のことを話すのを慎重に避けていた。一度だけ、「あの子に死ねって言われたからこんなことになったのかしらね」と笑ったことがある。冗談のつもりらしかった。

 パークスというところは、うねうねと曲線ばかりの、真新しい珍妙なかたちのビルだった。一歩なかに入ると冷房がきいていたのでほっとした。三重子は急に無言になって、足早にフロアを歩きエスカレータ一に乗る。足は痛み、のどは渇き、汗で湿ったシャツが気持ち悪かったが、どこかでお茶を飲もうとも言えず、黙ってあとについていった。

 ラーメン屋のテナントが軒を連ねる一角があり、三重子は急に駆け足になってフロアをまわり、「麺キング」を見つけるとダッシュで店に駆けこんでいった。あとを追う気力もなかった私は、店の前に並んだ入店待ちの丸椅子にへなへなと座りこんだ。数分もたたずのれんをくぐって三重子が出てきた。三重子はあからさまに肩を落としており、ああここにも兄はいなかったんだなと、すぐわかった。

「あーもう、いやんなっちゃう。ガセだったのかなあ、でも立花さんはガセを言うような人ではないし……ひょっとしてなんばじゃなくて、こっちの、鶴橋店とか心斎橋店とかなのかなあ、ねえ、どうよ、かよちゃん」

 さっきの店でもらったパンフレットを広げたり閉じたりしながら三重子は言う。兄がいるはずの場所にいない、ということもまた、私には今さらながら兄に見合ったことであるように思えた。

「私はできれば五時前後の新幹線で帰りたいから、それまではさがしてみますか。『麺キング』で間違いないのならば、近くにあるべつの店にいくのもかまいませんけど」

 また延々と直射日光のなかを歩くことを考えればぞっとするが、しかしこのまま帰るのも後味が悪かった。せめて一日さがして、兄はいなかったと結論を出したかった。

「なんかさーあ、かよちゃんって……」三重子は私をじろじろとねめつけるように見てつぶやく。

「なんですか」と訊くと、

「ううんなんでもない。じゃ、いこっか。天王寺店にでも」三重子は大儀そうに立ち上がった。

 

 私より二歳年上の兄を、私はかつて心から愛していた。世界でいちばんかっこいいのも、世界でいちばん物知りなのも、世界でいちばん勇敢なのも、兄だと思っていた。小学校に上がるまでは兄のそばをかたときも離れなかったし、小学校に上がってからは兄のすることはなんでも真似た。ゴムボールで野球のまねごとをし、兄といっしょの水泳教室に通った。兄にはじめて恋人ができたとき私は小学校六年生だった。兄の恋人出現によって、私は自分の兄に向けた気持ちが、はっきりと愛であると理解した。私は兄と同い年のその恋人に狂おしく嫉妬したのである。さんざん嫌がらせをした。とはいえ小学校六年生にできる嫌がらせなど限られている。電話をとりつがなかったり、伝言を無視したり、彼女が兄に贈ったものを捨てたり、当時はやっていたまじないで彼女を呪ったりするのが精一杯だった。

 彼女の兄に宛てた手紙を盗み読み、彼らがはじめての性交をしたと知ったのはその年の冬休みで、私は嫉妬と焦りと怒りを抑えきれず、父のゴルフクラブで兄が大切にしていたステレオをたたき壊したほどだった。そんなことをしても兄は怒らなかった。困ったような顔で笑いながらなんとか修理しようとしていた。

 中学に上がると、兄への気持ちは変化した。きっかけは、私が呪った彼女の妊娠だった。両親は私に隠し通したが、私は兄の部屋にしのびこみ、前回と同様彼女からの手紙で事態を知った。中学三年の兄の恋人はやむなく堕胎する。たぶん私の両親は、少なくはない見舞金を包んで相手方に謝りにいったはずだ。私も兄もその彼女も同じ中学だったから、彼女の堕胎の噂が中学じゅうに広がったことは私もよく知っている。兄はなんにもしなかった。噂をうち消すことも、彼女をかばうことも、なんにもしなかった。「かよ子、いっしょに登下校してくんない?」と言って、私と毎日登下校した。私と登下校しないと、その彼女がいっしょに登校しよう、下校しようとしつこくつきまとってくるのだと、あとからわかった。その彼女は、兄と私がいっしょにいるところを見ると、私のことをにらみつけて去っていった。兄は始終へらへら笑っていた。

 兄は高校に上がってぐれた。といっても、本気でぐれたのではなく、はったりのためにぐれた。(おか)サーファーのようなものだ。剃り落とした眉毛も、改造した制服も、ひさしのような髪型も、みな単なるファッションだった。兄は、その攻撃的なファッションのせいで本気の不良にカツアゲされ、親の財布から金を盗み、近所の商店街で万引きをくり返し、自分より弱そうな中学生をカツアゲし、そうしてまた別の女の子とつきあって、彼女を妊娠させた。父と母はなんとか兄をまともに(金を盗んだり女の子をかんたんに妊娠させたりしない高校生に)しようと、日々額を寄せては何ごとか話し合っていた。両者とも兄に説教をしたり、問題児を扱うサマースクールに入れたり、親類の家に預けたりしたが、みな無駄だった。兄はあいかわらずへらへらと笑ってばかりで、笑いながら、怒られれば謝り、サマースクールでは新しい恋人を見つけ、親類の家では金目のものを盗むといった具合だった。

 両親ほどには実害のない私は、兄を嫌ってはいなかったが、けれどさすがに、この男の恋人になる女は馬鹿だ、と思うようになった。次々と入れ替わる兄の恋人に、嫉妬を感じることも焦りを覚えることももうなかった。

 兄は高校卒業後、「自分の力を試したい」と殊勝なことを言って家を出ていったが、兄は断然兄のままで、警察から電話がきて父が兄を引き取りにいったことは、私が知るかぎり三回ある。バリ島から大麻を持ちこもうとして一回、酔っぱらって乗った電車で女の子に抱きついて一回、ラブホテルの備品をめちゃくちゃに壊して一回、である。

 私が高校三年生だった夏、兄は父に金を出させて実家の庭にプレハブを建てた。カラオケボックスを作って儲けようとしたらしい。当時、カラオケといえばスナックにある装置のことで、カラオケボックスは登場していなかったことを考えれば、兄の慧眼(けいがん)を褒めるベきだろうが、しかし兄はここでもどうしようもなく兄だった。真四角のプレハブ部屋にカラオケ装置を入れ、どこで見聞きしたのか卵のプラスチックパックが防音材の役目を果たすと言い張り、隣近所から卵パックをもらい集めて壁一面にはった。が、当然のことながらプラスチックのパックが防音材になどなるはずがなく、兄が友人たちに有料でその部屋を貸し出すたび、ものすごい大音量が近所じゅうに響きわたった。兄の友人たちのつてで、一部屋きりのカラオケボックスはずいぶん先まで予約で埋まっていたが、近所からの苦情に耐えかねた両親が封鎖した。夏休みが終わるころには兄はまたもや実家から姿を消し、庭には不格好なプレハブ部屋だけが残された。兄に金を貸した父は、損失を損失と認めたくなかったのか、カラオケ装置は近所の居酒屋に売り、卵パックをていねいにはがし、プレハブ部屋をみずからの書斎にした。

 高校を卒業して家を出るまでの数カ月、私は毎日、自分の部屋の窓から真四角のプレハブを見下ろして暮らした。不格好で醜いその建物を見ているうち、だんだん、兄なんていなければいいのにと思うようになった。きっと兄は、いつか私の未来を壊しにやってくるだろうと想像した。私は兄から、あるいはその想像から逃げるように、都内の大学を受け都内に下宿した。その後、兄がどのような件でどのような迷惑を両親にかけたのか、よくは知らない。しょっちゅう電話をかけてくる母は、「どうしてあんな子に育ったのか、不思議に思う」といつもこぼしていたが、その具体的内容を私はあえて聞かずに話を()らした。

 果たして私の不安は的中した。七年前、私の結婚話がまとまりかけたとき、兄は詐欺罪で逮捕されたのである。なんでも兄は、友人たち数人とで、怪し気な健康食品やサプリメントを売りつけた詐欺行為で、懲役一年の実刑判決を受けたのである。私と結婚する予定だった人は結婚の意志を変えなかったが、彼の両親は私を犯罪者の家族呼ばわりして猛反対した。私たちは意地になって駆け落ちをしようと言い合ったが、しかしなんとなくぎくしゃくするようになって、一カ月もしないうちに自然消滅のようにして別れた。冷静になって考えてみれば「呼ばわり」ではなく、私は事実犯罪者の家族だった。

 父と母と私は、実家の食卓に暗い顔で座り、兄とは金輪際縁を切ろうと話し合った。兄なんて最初からいなかったことにしようと、子どもみたいなことを真剣に言い合った。けれど私は思っていた。縁を切ったっていないものとしたって、きっと兄の存在は私たちを追いかけてくるだろう。過去からの亡霊のように、忘れたころに私たちの元に帰ってきて、そして苦しめるだろう。母は泣いていたが私は泣かなかった。この先、両親の亡きあとも私の人生に入りこんでくるであろう兄の存在を思うと、おそろしくて泣けなかった。

 刑務所から出た兄は音信不通になり、その後しばらく、私たち家族は安らかに日々を送った。結婚話がだめになって以来私に恋人はできなかったが、それを兄のせいにするつもりはなかった。盆暮れの休みに遣う予定のないボーナスをはたいて、私は父と母を九州や北海道や、ときには海外まで旅行に連れていった。ひとり娘としての親孝行のつもりだった。

 ひとり暮らしをする私のアパートを母が訪ねてきたのは二年前である。仕事を終えてアパートに戻ると、共同ポストの前にぽつねんと母が立っていた。部屋に招き入れると、あの子から電話がきたのだと母は言った。借金の申し入れがあったらしい。もちろん母は断った。縁を切ったのだ。最初からいない人なのだ。すると兄は「おまえなんてさっさと死ねばいい」と捨てぜりふを残して電話を切ったらしかった。ねえ、かよ子。私のアパートで、並べて敷いた布団に正座して、母はつぶやくように言った。私は何を産んだのかしらねえ。何を育てたのかしらねえ。

 母が入院するのはその一年後、つまりは去年のことで、入院したときは手術すら不可能である末期の胃癌だった。強いストレスを感じて胃に腫瘍ができることがあると医者から聞かされたとき、私が真っ先に思ったのは兄だった。ああ、兄は言葉通り、母を殺してしまうんだなあと思った。

 十月の半ばを過ぎると、痛みを和らげる強い薬が投与されることになった。ほとんど眠っている母が、目を覚まして話すのは兄のことだった。今まで封じていたものが一気にあふれ出すように、兄のことばかり話した。母の日にやっちゃんがひとり芝居をして見せてくれたとうれしげに話すこともあれば、ついさっき廊下をやっちゃんが通ったけれどあの子も入院しているのかしらと幻覚を語ることもあった。薬で朦朧とする母の内から、縁を切らねばならないような兄の姿はすっからかんに消え、幼く無垢で、心根のやさしい兄だけが残っているようだった。母が、自分の息子であったころの兄しか思い出さないことについて、私は神さまに感謝したが、同時に苛つきもした。目の前にいる私に向かって「あんたはだれ」と言い出す母が、とうに息子でなくなった兄のことばかり言うのは、幼稚な嫉妬だとわかりながらも腹立たしいのだった。

 あんまりやっちゃんやっちゃんと言うものだから、「泰弓に会いたいか」と父が訊いた。もし会いたいと母が言えば、父はどんなことをしても兄をさがして連れてくるだろうと思った。母は「やっちゃんに余計な心配をかけたくないから連れてこないでほしい」と、そのときだけはしっかりとまともな声で答えた。

 そうして十一月のあたまに母は亡くなった。意識がなくなる直前に私の手を驚くほど強い力で握りしめ「あの子をよろしく」とくり返した。

 なんだったんだろうな、と母の葬儀のあとで父がつぶやいた。泰弓っていうのは、かあさんにとっていったいなんだったんだろうな。どこにいるのかわからないまま音信の途絶えた息子を、母に会わせなかったことに罪悪感を覚えているような口ぶりだった。

 山口三重子と名乗る女から実家に電話が入ったのは初七日の日で、私は忌引きでまだ家にいた。電話に出た父に、自分たちは結婚するから近いうちに挨拶にいくとその女は言った。泰弓を息子だとは思っていないので、挨拶にくる必要はまったくないと父が言ったところ、女はけらけらと笑い、息子だと思っていなくたって息子じゃあありませんか、と言ったらしい。

 次に彼女から電話がかかってきたのは正月で、実家に帰っていた私が電話に出た。泰弓がいなくなってしまった、と電話の向こうで女は泣きながら言うのである。借金はありませんかと私は訊いた。借金は私がなんとかしましたと、どうでもいいことのように女は言い、泰弓の居場所に心当たりはないかとさらに泣いた。また連絡しますと言う女に、私はひとり暮らしのアパートの電話番号にかけるように言った。母が亡くなってから、無口に拍車がかかって植物のようである父に、兄のことで心を砕かせたくなかったのである。

 泰弓が見つかった、大阪にいると聞いた、いっしょに会いにいこうと女から電話をもらったとき、会うつもりはないと言いかけ、いきましょうと言いなおした。私は兄に言ってやるつもりだった。私は何を産み何を育てたのかという母の言葉を言ってやるつもりだった。あんたの言葉通り母は死んだのだ、満足したかと言ってやるつもりだった。ひっかき傷でもかすり傷でもいいから、兄を傷つけて、傷ついた兄を見ても自分がなんにも感じないことを確信したら、もう二度と、本当に二度と、兄とは会わないつもりだった。

 

 串カツ食べたい、と、麺キング天王寺店を出た三重子は言った。天王寺店にも兄はおらず、私は兄に会うことをほとんど諦めていた。兄に会えないのならばこの見知らぬ女と串カツなんか食べたくはなかった。私は食べたくない、と言うと、山口三重子は「食べよう食べよう、せっかく大阪なんだしせっかくの天王寺なんだから新世界で串カツぅ」と、だだをこねるように言い、私の手を引いてぐいぐいと歩いていく。喉も渇いていたし、兄の借金を返したという女に多少とも思うところはあったし、彼女と会うのももう最後なんだし、まあいいか、串カツくらい、とぐずぐず思いながら、私はおとなしく手を引かれた。

 通天閣の周囲には古めかしい路地がほうぼうにのびていて、串カツ、たこ焼き、どて焼きと書かれたのれんや看板がひしめいている。日は斜めに傾いているが、町が夕暮れの色に染まる気配はなく、路地も看板も真っ白に光っている。

 串カツ屋は何軒もあるが、三重子には心当たりがあるらしく、迷いなく路地を進んで一軒の店に入った。午後四時過ぎという中途半端な時間なのに、カウンターしかない店は混んでいて、私たちは隅にちょうど空いていた席に押しこめられるように入った。冷房はきいているがガラス戸を開け放っているのでなかは蒸し暑く、思い出したように汗が噴き出した。

「ビールふたつ、それから豚とアスパラとチーズと特製を二本ずつ」

 座るなり三重子は私のぶんまで注文した。ビールが運ばれてくると、三重子はジョッキを持ち上げて乾杯をうながす。乾杯するべきことは何もないと思ったが、断るのも子どもじみているので、ジョッキを軽く合わせた。口をつけるとするすると液体はのどに流れこむ。おいしかった。

「ねえ、かよちゃん、一泊して明日もさがさない?」三重子は私をのぞきこんで言う。

「いえ、私は今日帰ります」

「そっかー。じやあ私だけでも一泊しようかなー。お好み焼きも食べてないし、鶴橋で焼き肉も食べたいし」

 カウンターには銀色の網つきバットが置いてあり、そこに串が二本置かれる。串熱いから注意してな、とカウンターの内側から金髪のおにいさんが言う。

「山口さん、兄の借金はいくらあったんですか」私は串を手にして訊く。

「えー、そんなのもうどうだっていいの。返しちゃったんだから」あち、あち、と言いながら串をソースに浸して食べ、「きゃーおいしーい」と叫ぶ。カウンターの客たちが三重子に笑顔を向ける。三重子は調子に乗って、次の串も「きゃーおいしーい」次の串も「あちーっ、やーん、おいしー」と叫びつつ食べた。

「兄なんか、見つからなければどんなにいいだろうって私は思います。このまま無関係の人間になっていてくれればって」ソースの容器に串をつっこんで私は言った。

「そう? 私は見つかればいいなって思うけどなー。おにいさん、今度はね、海老、ホタテ、茄子、トマト、それからも一回豚を二本ずつくださーい」

「見つかったってまた借金して、それをあなたに押しつけてどこか逃げていくだけですよ」私は言って串にむしゃぶりついた。チーズが口のなかにどろりと流れ出す。

「ううん。今度は私、占いなんか頼らないでさっさとユミちゃんと籍を入れるの。それでさっさと子ども作っちゃうの。そんなふうに家庭ができればユミちゃんは逃げたりしないよ」

 兄の家庭。兄の増殖。ぞっとする。この人はそんなにおそろしいことを考えているのか。私はまじまじと三重子を見た。

「家庭があろうとなかろうと逃げる人だと思いますよ」

「ううん、ユミちゃんはそんな人じゃないわ」三重子は言い張る。三重子が見る兄と、私が見る兄はきっとまったく別の人間なんだろう。そう考えるしかないようだった。「ビール、もう一杯ずつおかわりくださーい」三重子は陽気な声で注文する。

「どうして兄と結婚しようと思ったんですか。借金を自腹で返してまで、どうしてあんな人といっしょにいたいんですか」

 私たちが見ている人間が別人である以上、何を訊いたって無駄だと思いつつ、それでも私は何かひとつでも知りたくて訊いた。兄を肯定し兄を愛し兄をさがす理由の、何かひとつでも。

「そうねえ、まずユミちゃんはかっこいいし、やさしい。ミエのことよーくわかってくれてるし、なんていうかミエたちは魂で結ばれてる感じがする」

 要するに三重子は兄のことなんかまともに見てはいないのだろうと思いつつ、それがそっくりそのまま、小学生のころの私の兄への気持ちではないかと気づいて唖然とする。ただし「魂で結ばれている」とは思わなかった。私たちは血で結ばれていると思い、そのことを特権のように思っていたのだった。この人もいつか私のように、あるいは兄と関わりを持った幾多の女性のように、いつか兄を見限り、疎ましく思い、いなくなってくれと願うのだろうか。でもそうしたらこの人は、兄なんか見捨ててどこへだっていくことができる。そのことを私は猛烈にうらやましく思う。

 五時近くなると、店の外に行列ができはじめた。満腹だった。「もう帰ります」と鞄から財布を取り出すと、「いーのいーの、ここは私が払うから」と、大げさに私を制して三重子が勘定を持った。店の外に出て、ごちそうさまでしたと私は三重子に頭を下げた。

「姉になる人間に、そんな水くさいこと言わないの」と、三重子は私を苛立たせる一言をつけ加えたが、私は聞こえなかったふりをした。

 路地はようやく橙色に染まりはじめた。ランニング姿の中年男がよろよろと自転車を漕いでいく。あちこちの店から油のにおいが漂っている。路地を出、通天閣のたもとに出る。観光客らしき一団が、ベンチに置いてある馬鹿でかいビリケンさんと写真を振っている。通天閣入り口の向かい側にタクシーが数台停まっているので、そちらに向かって歩きだしたとき、隣にいた三重子が「ユミちゃん!」と叫んで走り出した。とっさになんのことかわからず、遠ざかる三重子の後ろ姿を見つめていたが、私はあわてて三重子のあとを追った。山口さーん、と呼びかけると、あれユミちゃんよ! と三重子はふりかえらず叫び返した。さっき歩いたのと似たような路地を、三重子は走っていく。三重子の先に走る男の姿がある。兄か。あれが兄か。こんなところで三重子は兄を見つけたのか。でも、兄はあんなに背が低かったっけ。あんなに丸ぽちゃな体つきだったっけ。三重子の見間違いじゃないのか。いや、会わないあいだに兄が変わったのかもしれない。三重子から数十メートル遅れて私も走る。腹のなかでビールがたぽたぽと揺れる。ユミちゃん、待ってユミちゃーん。三重子は叫びながら夕暮れの町を走り続ける。三重子も、三重子の先を走る男も、私からどんどん離れていく。なんかもうどうでもいいやと、息が切れてきて諦めるように私は思ったが、それでも意志と反対に私の足は走り続ける。男と三重子のあとを追い、路地を抜け、大通りに出、ガードレールで区切られた歩道を走り続ける。

 横っ腹痛い、と思ったとき、私の頭になぜか、福袋が思い浮かんだ。母が毎年正月になると買っていた、実家のそばのスーパーマーケットで売り出す赤地に福と白く抜かれた福袋。母はわくわくとその袋を開けるのだが、その中身はいつも母を失望させた。化繊のセーター、ウールだが黄色や紫といったへんな色合いのスカート、フリルのついたブラウス、安っぽいジャケット、ど派手なスカーフ、あきらかに売れ残りといった品々に、「あーあ、だまされた」と母は肩を落とす。もう買うのやめなさいよ、とその都度父に言われるのだが、母は案外けろりとして、化繊セーターやフリルブラウスを着るようになる。「案外いい買い物だったわよ」と、自慢げに言ったりもする。そうして次の年が明ければ、またいそいそと母は福袋を買いにいく。

 ひょっとしたら私たちは、と、兄かもしれない男と、彼を追う兄の恋人のあとをばたばたと走りながら、私は唐突に思いつく。ひょっとしたら私たちはだれも、福袋を持たされてこの世に出てくるのではないか。福袋には、生まれ落ちて以降味わうことになるすべてが入っている。希望も絶望も、よろこびも苦悩も、笑い声もおさえた泣き声も、愛する気持ちも憎む気持ちもぜんぶ入っている。福と袋に書いてあるからってすべてが福とはかぎらない。袋の中身はときに、期待していたものとぜんぜん違う。安っぽく、つまらなく見える。ほかの袋を選べばよかったと思ったりもする。それなのに私たちは袋の中身を捨てることができない。いじいじと身につけて、なんとか折り合いをつけて、それらが肌になじむころには、どのようにしてそれを手にしたのだか忘れてしまっている。安っぽいものもつまらないものも、それはただそこにある。自分だけに持たされたものとしてそこにある。私は何を産み何を育てたのかと母は言った。でも最後の最後に、母はわかったはずである。母が産み、育てることによって兄が出現したのではない。兄は最初から母の袋の中身のひとつだった。私にとってそうであるように。

 息が切れる。足が痛む。横っ腹がじくじく痛む。脂くさいげっぷが出る。

 遠く、人差し指くらいの大きさになってしまった三重子が、男に追いつき、飛びかかるようにしてその背中をつかむのが見える。三重子につかまった男が兄なのか、人違いなのか、ここからではわからない。髪を振り乱して三重子はだれを、いや何をつかまえたんだろう? それもまた、三重子の袋の中身なのか。私は走るのをやめ、そちらに向かって歩く。乱れた呼吸が鼓膜の内側で響く。

 兄に会ったらなんと言うんだったっけ。どうして兄をさがしにきたんだっけ。思い出せないまま、兄ですように、兄ですように、三重子がつかまえたのが兄でありますようにと、-歩踏み出すごとに、祈るように思っている。息が上がってちかちかする目に、実家の庭の、不格好なプレハブ小屋が浮かんで消える。

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2018/09/24

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角田 光代

カクタ ミツヨ
かくた みつよ 小説家。1967年横浜生まれ。1990年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞受賞。

掲載作は『福袋』(2008年2月、河出書房新社)による。なお、International Edition には英訳「Good Lack Bag」を掲載している。

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