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「世界のなかの日本アニメ」抄

 

3 日本アニメが向かう先

 スタジオジブリの『かぐや姫の物語』の原作『竹取物語』は日本最古の物語といわれ、詳細は不明だが、平安時代初期の十世紀半ばには成立していた。仮名文字によって初めて書かれたこの物語は、いままでに何度となく映画化されただけでなく、海外ではオランダでバレエとして上演されている。

 竹のなかから生まれたかわいらしいお姫様を主人公にした高畑勲の『かぐや姫の物語』は、日本公開の翌年二〇一四年五月に、フランスで開催された第六十七回カンヌ国際映画祭の「監督週間」部門で上映された。この年、カンヌ国際映画祭に日本から選ばれた長篇映画は、河瀬直美監督の『2つ目の窓』と『かぐや姫の物語』の二本だけだ。

『かぐや姫の物語』がカンヌ国際映画祭「監督週間」で上映された背景には、フランスの配給をディズニーが手がけていることがあげられる。「監督週間」の作品選定プログラマーで日本映画をはじめ、アジア映画に精通するバンジャマン・イロス氏(三十五歳)は「私たちは、すでに高畑勲の長いキャリアを評価していました。けれども、新作『かぐや姫の物語』のなかの創造性、想像性は、いままでのどの作品よりも際立っているものでした。高畑勲監督ならではの物語へのアプローチ、オリジナリティー、その色使いが、見る人の気持ちを感動させます。その卓越した美の技術は、この美しい物語を素直に見る側に伝えてくれます」と『かぐや姫の物語』を高畑勲の最高傑作と評価して、カンヌ国際映画祭「監督週間」部門に招待したと語っている。

 その後、『かぐや姫の物語』は海を渡り、九月にカナダの第三十九回トロント国際映画祭で上映された。そして十月にアメリカで公開され、週を経るごとに着実に上映都市を増やした。十二月には、ロサンゼルス映画批評家協会の長篇ベストアニメに輝いた。この賞を日本アニメが受賞するのは『千と千尋の神隠し』以来のことだ。

 二〇一四年六月、アヌシー国際アニメーション映画祭で『かぐや姫の物語』の高畑勲は名誉クリスタル賞を受賞している。そもそも高畑勲は、一九九五年にも『平成狸合戦ぽんぽこ』でグランプリを受賞している。九三年に宮崎駿が『紅の豚』でグランプリを受賞した二年後だ。アヌシー国際アニメーション映画祭のグランプリから、オスカーへ。二人の巨匠は同じ道を歩みながら、アニメーションの世界を広げる。

 高畑勲の『かぐや姫の物語』は、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』と同じように巨匠の代表作だ。フランスの映画評論家でジブリ映画に詳しいキャロリーヌ・ビエは、『かぐや姫の物語』と野坂昭如原作『火垂るの墓』、『ホーホケキョとなりの山田くん』こそが、高畑勲の三大傑作と位置づける。『かぐや姫の物語』はアニー賞では作品賞だけでなく、監督賞、音楽賞(久石譲)にもノミネートされた。

 そして二〇一五年二月二十二日(現地時間)にロサンゼルス・ハリウッドのドルビー・シアターで開催された第八十七回アカデミー賞授賞式の長編アニメーション部門に、『かぐや姫の物語』がノミネートされた。高畑勲にとって初めてのノミネートだったが、スタジオジブリにとっては、前年の『風立ちぬ』に続いての二年連続のノミネートだった。

 だが、最優秀賞に選ばれたのはディズニーの『ベイマックス』で、スタジオジブリの雪辱はならず、高畑勲が宮崎駿に続く日本人二人目の同部門のオスカー受賞者になることはなかった。

 宮崎駿が今後、長篇アニメを制作しないこと、高畑勲が高齢であることもあり、日本アニメの将来を危惧する声もあるが、今回短編アニメーション部門にアメリカ在住の堤大介が共同監督した『ダム・キーパー』がノミネートされたことをとってみても、日本のアニメの担い手の層は厚いのだ。『ダム・キーパー』も残念ながらオスカーは逃したが、日本を飛び出して世界を舞台に活動する若手アニメ監督の存在を知らしめた。

 スタジオジブリとは違うところからキャリアを出発させた原恵一は、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』など、子どもも大人も楽しめるアニメを作ることで定評がある映画監督だ。

 二〇一〇年、原恵一が直木賞作家・森絵都のミリオンセラー小説を原作とした『カラフル』を監督した。『カラフル』の主人公・小林真は中学三年生。内向的で友達もいない、成績だって悪いほうで、優秀な兄とは正反対で劣等感のかたまりだ。ただ絵が描くことが好きで、美術部に入っていた。そんな彼は学校のこと、家庭のこと、さまざまな悩みをかかえて、十四歳で自死に駆り立てられる。けれど小林真は死なない。いや、主人公の「ぼく」の魂が、小林真の体を借りることで生き返るのだ。

「ぼく」は、小林真が最初ごく普通の家庭で暮らしていると思ったが、やがてそれが間違いだったことに気づく。真をバカにしきっている兄、フラメンコ教室の講師と不倫に走る母、そんな母に何も言えないでいるふがいがない父。小林家の人々の心は、バラバラだった。中学校には真が思いを寄せる二年生の桑原ひろかがいるけれど、ひろかは援助交際をしているという噂が校内で流されていた。

 二子玉川や世田谷線など東京の西部の静かな住宅街を舞台にした『カラフル』 は、淡々と物語が進行していく。『カラフル』というタイトルながら、ここに鮮やかな色はない。この映画の世界は地味な色合いで構成されている。主人公の真たちが通学する中学校の制服の濃紺、両親も兄も黒やグレーなど地味な色合いの服装をしているばかりか、家族団欒の鍋料理の具材さえも鮮やかな色とはいいがたく、肉や野菜の色も抑えめだ。けれど作りたての料理の温かさは、浮かび上がる湯気で表現されている。この原恵一独特の表現描写が、目に見えない温かさを映し出しているのだ。

 そして、決して華やかでない色合いは、主人公の少年の心模様をも映している。やがて真には友達ができる。そして真のことをメガネの奥からじっと見つめていた美術部の唱子の存在を知る。高校受験、決して成績がよくない真に与えられた選択肢は限られている。両親は真の将来を思って、真でも合格できそうな、ある高校の案内書を取り寄せている。夕食時に母から話を切り出させたとき、真は自分の考えを言う。「むずかしくて無理かもしれないけれど受験したい高校があるんだ。友達と同じ高校に通いたいんだ」。友達とはクラスメートの早乙女君のことだ。予想していなかった其の言葉に驚いた両親だが、同時に真の主張に心の安堵を覚える。このことは真が大人への、一人の人間として歩み始める一歩となる。

 三十六歳の若さで直木賞作家になった森絵都は、児童文学の書き手としても根強いファンをもっている。森絵都が書きつづる中学生・小林真の、傷つきやすくもろいガラスのような感性に色がつくと、派手な色彩ではなく、地味で暗い色合いになる。この色合いこそが、いまの小林真の世界なのだ。そして『カラフル』という映画のすばらしさの一つは、テーマ曲がまさに小林真の心模様であることだ。疾走するように二十六年の短い人生を生きた尾崎豊(一九六五―九二)の「僕が僕であるために」がイメージソングとして使用されている。『カラフル』は、僕が僕であるために、決まった色に染めようとする大人たち、社会に対してもがいている姿を描いた映画なのだ。『カラフル』とは何色かと聞かれたら、人々の数だけ色彩があるのだから。

 歌詞に込められた尾崎豊の切り裂くような叫びを、尾崎豊ではなくmiwaが歌うことで、正反対のおとなしい小林真の心の声と重なる。真は生きることを放棄したあとで、優秀な兄ばかりをかわいがっていたと信じ込んでいた両親が自分をこのうえなく愛していてくれたことを知るのだった。なんにもわかっていない、と思っていた父親が母の事情を知っていて、あえて思いやって黙っていたことを知る。そしてそれが大人の優しさであることを、一度命を放棄してから知るのだった。

 誰にも見てもらえないと思っていた僕を、メガネの奥からじっと見つめていてくれた同級生・佐野唱子がいることを知る。そしてそのメガネをはずすと、実はけっこうかわいい十五歳であることも、真は生きていたときには想像することもなかった。そして中学だけで別れ別れになるには、あまりに忍びない友達が、とても近いところにいたことも知る。そう、誰よりも真を見ていなかったのは、真自身だったのだ。住宅街を舞台にした物語『カラフル』、そこには海外でも知られる渋谷のスクランブル交差点もなければ、東京タワーやスカイツリー、レインボーブリッジの光景などひとつもない。

 けれど『カラフル』は、二〇一一年にフランスで開催されたアヌシー国際アニメーション映画祭で、長編部門特別賞と観客賞を受賞した。アヌシー国際アニメーション映画祭で観客賞を受賞した日本映画は、いまのところ『カラフル』だけだ。アヌシー国際アニメーション映画祭事務局のローラン・ミリオン氏(五十歳)は「『カラフル』は自殺というタブーな行為をテーマにしながらも、家族や友達との関わりのなかで、少年期のもろさや繊細さを描き出していることに、観客は価値を見いだしました。非常に精巧な脚本をもとにした日本のアニメ映画を代表する秀作です」と『カラフル』を評価している。

 

 さらに付け加えるならば、日本国内では、二〇一〇年度日本映画プロフェッショナル大賞ベスト10にも『カラフル』が入っている。見る人はアニメーションというカテゴリーのなかでだけ見ているわけではなく、映画として見ているのだ。

『カラフル』は現在タイで実写映画化が進行中だ。監督は『アタック・ナンバーハーフ』のヨンユット・トンコントーンだ。

『カラフル』を監督したあと、原恵一は『二十四の瞳』などで知られる映画監督・木下恵介の若き日の姿を実写で描いた『はじまりのみち』を監督した。太平洋戦争時代を舞台にしたドラマである。加瀬亮、田中裕子主演で、まるで二十四の瞳』のヒロインのような教師役で、メガネの同級生の唱子役で声の出演をした宮崎あおいが特別出演していたのはご愛嬌だった。そしていま、期待を集めているのが、二〇一五年五月公開の新作『百日紅(さるすべり)――Miss HOKUSAI』だ。『百日紅』は、江戸風俗を描く杉浦日向子の代表作を原作にしている。『百日紅』は杉浦文学のバイブルのような存在であるという声も高い好著で、主人公は江戸時代の浮世絵師として名をはせた葛飾北斎の娘のお栄だ。当初、原恵一は杉浦日向子の別の作品の映画化を考えていたという。

 二〇一四年六月、アヌシー国際アニメーション映画祭で、『百日紅』の映画化が発表された。このとき、三百人収容の会場は、日本からどんなアニメが新しく生まれるのか誰よりも早く知ろうとするアニメ映画ファンが詰めかけて満員となり、徹夜組まで出るほどの注目の高さだった。

 さらに二〇一四年十月二十五日、第二十七回東京国際映画祭のなかで日本橋にあるTOHOシネマズ日本橋でスペシャルプレゼンテーションがおこなわれた。

 日本橋や両国、隅田川にかかる橋や通り。空がいまよりも青い。その江戸の青さを表現するために人々の服の色を抑えるというアイデアが生かされている。

 北斎の娘お栄は美人ではなかった、という話も伝えられているが、「美人は見続けるとつらい」ともいう。この映画のお栄は魅力的ではあるが、美人ではなく描かれる。お栄らしさは、原恵一の意向でおでこを広くすることで描写される。

『ももへの手紙』、『攻殻機動隊ARISE』シリーズなどを制作したProduction I.Gは、『百日紅』はアカデミー賞を視野に入れて制作するという。浮世絵がかつて日本が誇る輸出品だったように、アニメは日本が誇る当代の輸出品であり、二十一世紀の動く浮世絵ではないだろうか。時代劇、江戸ものというと、観客が構えてしまいがちだが、どこまで物語に観客を引き込めるか、どれだけフレッシュな時代劇アニメに仕上がるだろうか。『カラフル』でフランスを魅了した何げない、たわいない思いに色をつけて具象化した原恵一の感性ならば、きっと誰もが足を踏み入れたことがない、いにしえの江戸時代の息吹さえも伝えてくれることだろう。しかもヒロインお栄の声は、渡辺謙の娘でいま乗りに乗る杏が務める。誰も知らない江戸時代、『百日紅』の世界を心待ちにしている。

 いま、原恵一に託されているのは、日本人としての感性をもとに、独自のアニメーションワールドでどれほど、世界の人々を感動させるかだ。

『カラフル』が二部門を受賞したフランスのアヌシー国際アニメーション映画祭は、アニメーション映画だけを扱う世界最高峰の映画祭である。一九六〇年にカンヌ国際映画祭のアニメーション部門から独立したこの映画祭で二〇一四年に初めてのできごとが起きた。『かぐや姫の物語』を監督した高畑勲の名誉クリスタル賞だけでなく、三本の日本のアニメーションが同時受賞を果たしたのだ。そのなかの一つ、審査員特別賞を受賞したのが、西久保瑞穂が監督した『ジョバンニの島』だ。

『ジョバンニの島』の舞台は、一九四五年の北方四島の一つ色丹島(シコタントウ)だ。父が愛する宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の主人公のジョバンことカムパネルラから、兄と弟の名前は純平と寛太と名づけられた。十歳の純平と七歳の寛太は父と祖父と一緒に暮らし、仲良く小学校に通っていた。だが四五年八月、日本は敗戦を迎える。敗戦直後から色丹島にロシア人が押し寄せて、島に住み着いていた日本人の財産や家を奪っていく。純平や寛太の部屋もロシア人家族に取られてしまい、彼らが通う小学校も半分はロシア人に占拠される。

 純平と寛太の家に住み始めたロシア人の家族には、純平と同じ年頃のターニャという少女がいた。日本の敗戦でこれからの生活の不安におののく大人たちと違い、小学生たちは最初こそ戦々恐々としていたが、ロシア人の子どもたちと純平や寛太たち日本人の子どもたちは、しばらくすると親しく心を通わせるのだった。小学校のロシア人の教室では「カチューシャ」を歌い、日本人の子どもたちは「赤とんぼ」を歌っている。物覚えが早い子どもたちだから、日本人生徒は「カチューシャ」のロシア語の歌詞を瞬く間に覚えてしまう。ロシア人の子どもたちだって、日本の童謡「赤とんぼ」を覚えて、教室は別々でも互いに大きな声で合唱する。

 アニメには誰もが口ずさめる歌が必要だ。だから『ジョバンニの島』を高く評価するのは、この二曲の選曲である。特に「赤とんぼ」が、両国の子どもたちの間で歌われている、ということで物語の奥行きが増している。

 童謡「赤とんぼ」の作詞者が三木露風であることは知られている。けれど、歌の詞に込められた三木露風の思いを知る人は、いまでは少ない。歌詞のなかに、十五歳の姉が結婚して、故郷への手紙はやがて届かなくなってしまうという部分がある。これは三木露風少年が十六歳のときに、実母が三木家を出て北海道の碧川家に嫁いでいったという事実をもとにしている。新聞記者の妻になり、やがて子どもたちに恵まれた母から三木露風少年への手紙は少なくなり、いつしか届かなくなったという、三木露風少年の母への思いの丈が詰まっている。実写では「キャスティングが決まったら、映画の八〇パーセントは完成したようなもの」という映画監督がいるが、アニメーション映画の場合、そのアニメにぴったりはまる音楽に出合えたら、映画の成功を半分は手に入れたといってもいいだろう。

 原作・脚本を手がけた杉田成道は、一九八一年から始まったテレビドラマ『北の国から』で知られるフジテレビ出身の演出家である。映画化に際して、はじめは実写の可能性を探ったが、いま色丹島で撮影をすることは不可能であり、敗戦当時のセットを作ることも膨大な予算を必要とするためにやはり無理である、というのが『ジョバンニの島』がアニメ化された事情らしい。杉田成道にとって『ジョバンニの島』は、初めてのアニメーション映画となる。

 二〇一一年十一月、杉田成道は自分の足で樺太(カラフト)の地を踏み、その足で根室に向かう。そこには主人公のモデルになる人物が、いまも実在しているからだった。

 敗戦が純平と寛太の生活を一変させてしまう。色丹島の防衛隊長をしていた父がソ連軍に捕らえられ、シベリアに送られてしまったのだ。幼い二人は、父親に会いたい一心で、寒さと空腹のなかをシベリアへ向かう。漁師として生きてきた祖父は「漁師は海で死ぬ、丘には上がれない」と一人で島に残り、孫たちの幸せを願う。

 幼い二人は父がいる収容所を目指して、暗い雪道を歩き始める。まだ七歳の寛太は、止めても小さい体で父に「会いたい」と言ってきかない。それは幼いなりの父への強い思いだ。収容所にいる父と純平と寛太は危険をかいくぐりながらの一瞬の再会を果たす。

 束の間の柵越しの再会のあと、純平と寛太は教師のおじと一緒に日本に向かう船に乗る。長い列に並ばされた幼い二人。そこで体力がない寛太の命の炎が静かに消える。寛太は幼いながら、いま、ここで行かなくては、寒くても倒れようとも二度と父の姿を見ることができないと知っていたのだ。金平糖の甘さにほっぺたが落ちそうだった寛大は、お星さまになってしまった。でも、もしもここでソ連軍に寛太が死んでいることが知られたら、寛太は一緒に日本には帰れない。この場でゴミのように捨てられてしまい、葬ることが許されない。純平は寛太を背負うと、大好きだった宮沢貿治の『銀河鉄道の夜』を声に出して、背中の寛太に語りかけるように暗唱する。北国の凍てついた空には、星が輝いている。人々の目には背中の弟を寝かしつけようとして語りかける兄の姿として映ったはずだ。寛太はみんなと一緒に船に乗ることができた。

 歳月が流れ、再び島を訪れる年老いた純平は、両親を失った彼を育ててくれた女教師と一緒だった。島に着くとまず彼が向かったのは、父と弟・寛大が眠る墓だった。年老いた純平の前に一人の少女が現れる。その少女はまるでターニャの生き写しだった。それもそのはず、ターニャの孫娘だった。孫娘が手にしていたのは、その昔、十歳の純平がターニャを描いたスケッチブックだった。十歳の少年の心に宿った淡い思いが、再び心にともる。だが不幸にもターニャは、純平との再会を心待ちにしながら一年前にこの世を去った、とターニャの娘から告げられた。二人の再会はかなわなかった。純平とターニャが失ったものは、あまりにも大きい。

『ジョバンニの島』は、二〇一四年六月にフランスのアヌシー国際アニメーション映画祭で受賞したあと、一四年十一月にエジプトで開催された第三十六回カイロ国際映画祭のコンペ部門に日本からたった一本選ばれた。アフリカ・アラブ地域で古い歴史をもつことで知られるこの映画祭では、コンペ部門に劇映画だけでなく、ドキュメンタリー映画もアニメーション映画もジャンルにこだわらずにコンペ出品された。イスラム圏の休日にあたる金曜日の昼に公式上映され、エンディングテーマが流れると温かい拍手が湧き上がった。

 上映会場になっている映画祭のメイン会場であるオペラハウスのロビーには、十九世紀のイギリス・ロイヤルオペラハウスの椅子や衣装、そして古いピアノが無造作に置かれている。そのなかで 私の目を引いたのは一枚のポスターだった。会場のオペラハウスは日本から寄贈されたものだと、地元の人から何度となく聞いた。こけら落としの記念公演だろうか、そのポスターには歌舞伎の名作『俊寛』(通称)が大きく映っていた。江戸時代、訪れる船もない離れ小島で一人取り残された 俊寛と、自分の運命を受け入れて生きる昭和の時代の人々を措いた『ジョバンニの島』の人々の姿が二重写しになる思いだった。

『ジョバンニの島』に内在するもう一つの物語が、宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』だ。ここでは兄がジョバンニで弟がカムパネルラだ。宮沢賢治の原作どおり、カムパネルラは天国に旅立ってしまう。鉄道ではなく、船の旅でジョバンニは生きていくが、幼い寛太が砂糖を欲しがるシーンでは、原作に出てきた甘い角砂糖を思い出させてくれる。この二つの世界を見事に融合するためにも、アニメーションの必要性があるのだ。アニメだからできることが、『ジョバンニの島』にもちりばめられている。アニメでなければ描けない世界は、子どもたちの無限のイマジネーションの世界だ。純平たちの家の曖炉が蒸気機関車の火室に瞬く間に変わる瞬間は、なんともいえないファンタジックな場面だ。

 

4 最強アニメの条件とは

 なぜ日本のアニメがここまで評価されるのか。それはビジュアルの完成度ばかりではない。声優や声の出演をしている俳優たちの力量にもあるはずだ。例えばいま、国際線の飛行機に乗れば、機内上映の映画は新作から名作まで豊富なラインナップだ。ひと昔前まで、エコノミークラスに乗れば決められた映画を決められた時間に見ることを強いられたが、いまでは自分の座席で自由に見たいものを選ぶことができる。ただときとして、前に見たことがある映画を機内で見直したときに、 以前ほどの感動が得られないという思いに駆られる。その原囚を、最初は小さな画面で見るからだろうと思っていた。もちろん小さな画面にも原因があるが、携帯やスマホの画面に比べたら、飛行機の前の座席の背中に設置されている画面のほうが大きい。なのに、どうして……。その理由の一つが吹き替えの出来だ。

『ジョバンこの島』の主人公・晩年の純平の声を担当したのが、黒澤明の『乱』や『影武者』を演じた仲代達矢だ。このことを外国人に知らせると納得の声が上がる。また、年老いた女教師の声は、ベテラン女優の八千草薫が担当している。そして若い時代の教師役は仲間由紀恵だ。力量ある俳優が声を担当してこそ、アニメーションは高い評価を得るのだ。『千と千尋の神隠し』には菅原文太、『かぐや姫の物語』には地井武男と実力派ベテランが顔をそろえているのも日本アニメの特徴だ。

 例えば『千と千尋の神隠し』で菅原文太が声を担当した釜爺役は、頑固で言葉は少ないが優しさを秘めている。釜爺の延長線上に『おおかみこどもの雨と雪』に出てくる村の農民・韮崎があると私は位置づける。千の道しるべとなる釜爺、そして農業のイロハも知らない花(声は宮崎あおい)に農業を教える韮崎、この二つのキャラクターの声は菅原文太あってこそだ。二〇一四年、菅原文太は星になってしまったが、高倉健の死を追うような最期だっただけに、二人の昭和の名優は比較される。二人の違いは晩年、自分に残された人生の時間を考えながら役を選んだ高倉健、『わたしのグランパ』や『千と千尋の神隠し』『おおかみこどもの雨と雪』の二本のアニメーションのように次の世代に何かを託す役を選んだのが菅原文太だった。菅原文太という名優の頑固で温かくて味わいがある声があるからこそ、日本アニメが大人のエンターテインメントとして世界で認知されたと私はいいたい。この二つの役は、菅原文太が一九七〇年代に演じた『仁義なき戦い』の広島ヤクザのクールな冷淡さも、『トラック野郎』で演じた星桃次郎の好きな女性に出会うと☆きらきら、舞い上がってしまうドジな男の姿もない。だが釜爺にしても韮崎にしても、人生の酸いも甘いも噛み分けた人間の温かさが表れている。

 アニメーションにとって声が大切な要素であることは、ディズニー映画の吹き替え版でもいえることだ。子どもたちをターゲットにするディズニーアニメに吹き替え版は不可欠だが、各国独自にキャスティングすることはできない。必ずディズニー本社によるオーディションを経て各国の吹き替えキャストが決定されている。

「アニメは子どものもの」ということは世界共通で存在する考えだ。そしてアニメは大人も楽しむもの、大人も感動させることができるもの、としたのが世界的には宮崎駿といっても過言ではないだろう。

 日本のアニメは、決してハッピーエンドとはかぎらない。『風立ちぬ』ではヒロインが死に、『ジョバンニの島』では純平は父も弟も失い、住んでいた家も島も追われる。

 日本アニメがすばらしいのは、現実世界の苦さのようなものも描ききってしまうところだ。『百日紅』のお栄の人生は、ある種、父・葛飾北斎のゴーストという陰の存在で、決してスポットライトが当たらなかった。人々の心に残る浮世絵をこの世に残しても、父の名前の前にお栄の名前は消えていった。

 そもそも日本映画が半世紀以上にわたって世界で高く評価され続けている理由の一つは、日本映画の物語のおもしろさにある。欧米に比べたら、世界的なスターは少ない。日本映画が最初に評価されたのは六十年以上も前に、イタリアのベネチア国際映画祭で黒澤明の『羅生門』が最高賞の金獅子賞を受賞したときだろう。主人公三人三様の主張や言い分を描いた芥川龍之介原作の物語は、 題名そのまま「ラショーモン」として世界中の映画ファンの間で通っている。監督の黒澤明、主演の三船敏郎の名前も世界で認知された。ほかにも日本映画で名作とされるものには、歌舞伎十八番や長く読み継がれた古典をもとにしているものが多い。日本は物語の宝庫なのだ。

 そんなバックボーンをもつ日本のアニメが世界で評価されるのは、至極当然のことだろう。第八十六回アカデミー賞で『アナと雪の女王』や『風立ちぬ』とともにノミネートされたフランス映画『アーネストとセレスティーヌ』(日本未公開)は、『かぐや姫の物語』同様、カンヌ国際映画祭「監督週間」に二〇一二年に出品されたアニメーション。主人公は熊とネズミで、ミュージカル仕立てである。熊の役は、フランスを代表する俳優ランベール・ウイルソン(『マトリックス』シリーズほか)が演じて、ステージ『王様と私』などで鍛えた歌声も披露している。

 フランスでは『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』『暮れ逢い』などを監督した恋愛映画の巨匠パトリス・ルコントもアニメを手がけている。『スーサイド・ショップ』は、自殺グッズを売る家族の物語でフランスらしいブラックコメディーアニメである。物語のなかに「ミシマ」という三島由紀夫を思い起こさせる名前も出てくるので、パトリス・ルコントに日本アニメの影響を受けたかと尋ねたが、返ってきた返事は「ノン!」だった。フランスのコミックバンドデシネがベースになっているという。

 例えばポーランド映画の『カティンの森』。ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督が描いた第二次世界大戦中のポーランドの悲劇の物語だが、このなかのワンシーンで若者が女性をデートに誘おうとして映画を話題にする。このとき、若い二人の間で話題になるのが、ディズニーアニメの『バンビ』なのだ。

 アニメが発展するには、その国なりの背景がある。例えばチェコのアニメ映画は、ヨーロッパのアニメーションのなかでもクオリティーが高いと評判だ。チェコがどうしてアニメのレベルが高いのか。カンヌ国際映画祭批評家週間の審査員を務め、チェコ・プラハのオストラヴァ映画祭のディレクターでもあるヤコブ・フェリマン氏は、「二十世紀のチェコは政治的に激動の歴史を繰り返した。劇映画やドキュメンタリー映画を自由に作りづらい環境にあった時代に、映画人は制約を受けずに自由に芸術表現できる子ども向けのアニメを作ることによって映画キャリアを積み上げた。だからヨーロッパのなかでもチェコのアニメのレベルは高いのです。ですから宮崎アニメもチェコでは高く評価されて高い人気です。チェコのテレビでは、宮崎アニメを吹き替えで放映しています。もちろん劇場公開のときは、字幕版でも上映されています」と来日時に胸を張って話してくれた。東のディズニーと評されるチェコのアニメ映画の豊かな土壌があるからこそ、「宮崎ワールドを理解するのはたやすい」と付け加えた。

 

5 日本アニメの可能性

『カラフル』は日本文学のこれからを担う中堅作家・森絵都の原作のアニメだが、映像化・アニメ化されるのが、原作小説がこの世に出てから歳月がかかることもある。それが中村亮介によってアニメ化された眉村卓の『ねらわれた学園』だ。『ねらわれた学園』の原作者はSF作家の第一人者である眉村卓だ。一九三四年に生まれ、いまも健筆をふるう彼の作家人生は、がん宣告された妻のために毎日欠かさず妻にだけ贈る物語を妻が亡くなる日まで書き続けた実話が、SMAPの草野剛と竹内結子主演『僕と妻の1778の物語』として映画化されたことで知る人も多い。

『ねらわれた学園』の実写版は一九八一年当時人気ナンバー1のアイドル薬師丸ひろ子主演で公開された。映画監督は、少女を撮らせては定評があり、いまではAKB48の映像も手がけるコマーシャル界出身の大林宣彦で、角川映画で制作され大ヒットした。『風立ちぬ』のエンディングを歌っているユーミンが「守ってあげたい」をこの映画のために書き下ろし、映画同様、この曲も大ヒットした。当時のことを眉村卓は振り返る。「角川文庫から出した文庫本の表紙は初版当時、同級生が手がけてくれたものでした。校門は私たちが通った学校の正門をイメージしていて懐かしいものでしたが、すぐに映画化が決定して、ヒロインの薬師丸ひろ子が表紙のカバーに変わってしまいました」と苦笑する。まさに時代は出版界と映画界が融合したメディアミックスの時代だった。

 実写版では薬師丸ひろ子がヒロインを務め、峰岸徹、手塚真らが怪演している。

 二十一世紀に作られたアニメ版『ねらわれた学園』では、無限の宇宙をもつ眉村ワールドが遺憾なく表現されている。学園を支配するために生徒だけでなく教師も、学校への携帯電話の持ち込みを禁止する。違反した者は、教師でも登校することが許されない。生徒や教師にコミュニケーションをさせないことで、学校を好き勝手に牛耳ろうというのだ。

 このあたりのことを眉村卓は、「私がこの小説を書き始めたとき、監督の中村亮介〔一九七六年生まれ〕はまだ生まれていなかった。そのころ、もちろん携帯電話はありません。当時を知らない人が、二十一世紀のいま、アニメーション化するのですから、原作にないツールが登場して当然です」と私に語ってくれた。そもそもこの『ねらわれた学園』に登場する阿倍野第六中学校は大阪のどこにも存在しない。眉村ワールドのなかだけに存在する中学なのだ。

 そしてまた、アニメ版『ねらわれた学園』では十七世紀のイギリスの作家ウイリアム・シェイクスピアの『真夏の夜の夢』がシークエンスになっている。『真夏の夜の夢』に登場するいたずら好きな妖精パックと、眉村卓が生み出した地球にやってくる異星人を同じ土壌でとらえている着想がなかなか興味深く、実写とは明らかに違うものに仕上がっている。テレパシーをもち、人の心を読めてしまうことが、優れた才能ではなく悲しい能力でもあることを『ねらわれた学園』は描いている。

『ねらわれた学園』の謎の侵略者のように、日本アニメが世界を占拠しようということは決してない。もちろんディズニーアニメが全世界を独占することもないだろう。アニメは世界各地でそれぞれのスタイルで存在している。

 宮崎アニメの『紅の豚』が二〇一四年十一月にフランスで公開された。この『紅の豚』は吹き替え版であり、日本では森山周一郎が担当した主人公のポルコ・ロッソの声は、『レオン』や日本のコマーシャルでもおなじみのフランスを代表する俳優ジャン・レノだ。冒頭のクレジットとして十ヵ国語がスクリーンに現れ、そのなかには右から左に向かって読むアラビア語のクレジットも含まれている。

『紅の豚』の劇中歌は、加藤登紀子が歌う「さくらんぼの実る頃」だ。この歌がパリ・コミューンの人々への思いをつづっているからフランスでだけ支持されているわけではないことを多言語のクレジットが証明している。英語版のポルコ・ロッソは第八十七回アカデミー賞で作品賞に輝いた『バードマン――あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』で主演を務めたマイケル・キートンと一流の俳優たちが宮崎アニメを彩る。

 二〇一四年にカナダの第三十八回モントリオール世界映画祭では、吉永小百合主演『ふしぎな岬の物語』が審査員特別賞とエキュメニカル賞をダブル受賞し、また池脇千鶴、綾野剛主演『そこのみにて光輝く』の呉美保が最優秀監督賞を受賞したが、この映画祭と同時に開催したカナダ学生映画祭で、東京都出身カナダ在住の青木義乃のクレイアニメ『Unordinary journey in an Ordinary day』に、スペシャルメンション(特別表彰)が与えられた。

 カナダ・コンコルデイア大学フイルム・アニメーション学科の卒業制作『Unordinary journey in an Ordinary day』は三分の短篇クレイアニメ。かわいらしいおばあさんの日常が描かれている。彼女は前年も同映画祭に一分ほどの短篇アニメ『メープルシロップ』を出品、その後、ドイツのライプチヒ国際ドキュメンタリー・アニメーション映画祭でも好評だった。モントリオール世界映画祭のあと、『Unordinary journey in an Ordinary day』はオタワ国際アニメーション映画祭、ロシアのクロク国際アニメーション映画際に招待されるなど世界二十の映画祭で上映され、チェコ国際学生映画祭でプラハ科学技術賞を、ペルーのCINI国際児童映画祭でもスペシャルメンションを獲得した。デビュー作『door』がグアム国際映画祭で最優秀アニメーション賞を受賞したあともアニメ映画作りに励む青木義乃を例にするまでもなく、第八十一回アカデミー賞で『おくりびと』が最優秀外国語映画賞を日本映画で初受賞したときに、短編アニメーション部門を加藤久仁生の『つみきのいえ』が受賞したように、若手アニメーション作家の著しい活躍が世界で注目を集めている。アニメ『つみきのいえ』はその後、童話化され外国語にも翻訳されている。二〇一二年三月パリで開催されたブックフェアの会場に『つみきのいえ』の加藤久仁生の姿が、ノーベル賞作家の大江健三郎とともにあった。

 第八十八回アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされたラテン系のブラジル生まれのアニメ映画『父を探して』(二〇一六年三月十九日シアター・イメージフォーラム他公開)は、ラテンのギラギラした太陽のような強烈な明るい色彩の線でシンプルに描かれ、八十五分の映画のなかで何度となく流れる曲もいたってシンプル、一度聞いたら忘れない。そしてまた「わび、さび」に美しさを見いだした日本が生み出すアニメーションには、日本ならではの色彩があり、そこに美しさを見いだす人が世界中にいる。

 だからこそ、アニメは多種多様に未来に向かっている。幼いころから親しめて、年老いてもなお楽しめるものなのだ。

 そういえば、あるとき、私はフランスで活躍するベルギー出身の女優マリー・ジランに「あなたが最初に見た映画は?」と質問したことがある。そのときマリー・ジランから返ってきた答えは、「家族と見たアニメ『バンビ』だった。白寿でこの世を去った日本を代表する映画評論家・双葉十三郎氏が、最晩年九十九歳のときに「思い出に残る一本の映画」というアンケートに寄せた回答も 忘れがたい。五桁の数の映画を見尽くしたプロ中のプロが選んだのは、アニメ映画『ピーター・パン』だった。子どものころ、動く絵本、アニメに魅せられた人々は、いくつになっても、少年少女の心を持ち続けているものなのだ。

 アニメは人々の心に宿り、人々の心に灯をともす。その灯のさまざまなキャンドルのなかに交ざって、か細くても温かい炎を燃やし続ける日本製のロウソクのように、宮崎駿、高畑勲らのスタジオジブリや、原恵一らが生み出すさまざまな日本アニメが、これからも全世界の人々の心に感動を与え続けていくことだろう。

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2016/10/03

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小張 アキコ

コバリ アキコ
こばり あきこ 映画舞踊評論家。映画、エンターティンメント、旅行関係の著書を持つ。日本ペンクラブ電子文藝館委員。

掲載作品は、2015年4月青弓社より刊行された『このアニメ映画はおもしろい!』(川上大典編、9名執筆)に所収した「世界のなかの日本アニメ」後半部。刊行時に日本未公開で原題表記した映画で、その後、日本公開が決定したものは、電子文藝館掲載にあたり、日本語題に変更して掲載した。