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生と死を考える ―ラジオ深夜便―

♦こんなはずではなかった

 私達のこの日本社会は、たいへんな勢いで高齢化社会になっています。一方では癌などの患者さんがたいへん多くなりました。さらにまた、医療現場では、生命倫理などの問題で、「いのち」ということが非常に強く問われている時代です。この「いのち」、あるいは生とか死という問題について、私達はこれまでそれをタブーにしてきました。しかし、社会がそのような課題を抱えるようになると、もうそれはタブーにできない、真剣に取り組んでいかなければならない情勢になってまいりました。

 私は二十五年ぐらい前に名古屋にまいりまして、今の大学に勤めました。最初はインターンのようなものですから無給の研究員でした。専任講師になっても研究室の雑務に追われていました。

 私はかねてより、「いのち」ということを問うていきたい、しかも、できるだけ実践的な形で問うていきたい、と思っておりました。そして今から十七年前、助教授になった頃、私の研究室に「死そして生を考える研究会(ビハーラ研究会)」という会を作りました。

 これはお医者さんだとか看護師さんだとか、あるいは福祉の方、あるいは宗教家の方、そのような方達と、「生」とか「死」ということを、つまり「いのち」ということを共通のテーマとして、さまざまな視点から学際的に問う研究会です。ここではいろんな問題提起があります。私自身もあちこちの特別養護老人ホームや老人病院へ出かけて、末期の患者さんの心のご相談にのったりするようなこともあります。そんな中で次のような問題を提起してくださった方があります。

 老人ホームに住まわれている人達の多くは非常に(むな)しい思いで過ごしていらっしゃいます。ホームに入っていらっしゃる多くの方が、「こんなはずではなかった」とおっしゃるんですね。「本当の自分は家庭で家の中心にいるんだ。ここにいるのは仮の私なんだ」と。また「こんなはずではなかった」と。中には「亡くなる順番を待つ日々です」、というようなことをおっしゃる方もあるんです。じつはそういった方からいただいたお手紙があるので、ちょっとご紹介してみましょう。

 

 私は五十六歳、(略)現在も入院加療中の身であります。

 いまだいつ退院できるともわからない状態ですが、完治したら一日も早く元の仕事に戻りたいと念じております。こうしているあいだも私の近くでは亡くなっていかれる方もおられるわけで、こんなはずではなかったという思いで、私は毎日悩み考えております。(略)

 当病院には身寄りのない方、生活保護を受けておられる方、孤独な方、といろんな方がいらっしゃいます。そんな方が常住で百五十名くらいおられ、こんな言い方はつらいのですが、亡くなる順番を待つ日々と言っても過言ではないのです。

 

 この方も、この虚しさをどうしたらいいのかということをおっしゃっているわけなんですね。これは何もそういった老人ホームだとか老人病院だけに限ったことではないと思います。ご家庭にいてもそうかもしれません。もう少し言えば、そういった施設というのはたいへん設備が整っております。もちろんバリアフリー、冷暖房完備、三食昼寝付きです。そしてお誕生会とかお遊戯会もあるようです。それだけ至れり尽くせりになっている生活空間におられながらも、「こんなはずではなかった」、「こんなはずではなかった」と言って生涯を終えていかれます。

 行政は多額の予算を福祉に投入しております。それはそれで大変よいことですが、一方で、やはりそれだけでは私達は心の充足感を得られないということを、そのことから教えられます。私達がこの生涯を終えていくときに、どこで「これでよかった」と言ってその生を終えていくのかということです。そういう方からのお手紙を通して、そんな課題を私はいただきました。

 

 それからもう一つ、ボランティアをしている方から、次のような問題提起をいただきました。

 これは寝たきりの方のところへボランティアに行っている人の問いかけです。その方が訪問している先のおばあちゃんはいつも「死にたい、死にたい」と言います。はじめは周囲の注目を引くためにおっしゃっているんだと思っていました。けれどもよくお話を聞いてみると、「私はもうこんな体になってしまって、ちっとも役に立たない、間に合わない。最近は息子から邪魔者扱いされる。息子の嫁からうっとおしい目で見られる。最近は孫にまでばかにされるんですよ。私の生きる意味はどこにもない。早くお迎えが来てほしい」、あるいは「安楽死をしたい」というようなことをおっしゃるんだと。それにどう対応したらよいかということなんです。

 そこでは「いのち」が、役に立つ、立たないという物差しで計られております。おばあちゃん自身は、役に立たない「いのち」だから自分は死んだほうがましだ、とこう思っていらっしゃいますし、家族の息子さん達は役に立たないおばあちゃんは生きる意味がないんだというふうなことをおっしゃっているわけなんです。そこでもやはり「いのち」ということが問われているわけなんです。

 私は今、二つの課題をいただき皆さんに申し上げましたけれども、そういった問題をどう考えていくのか。じつはそこに、現代人は「いのち」を見失っている、と言えるのです。その物差しが人生を暗くし、「いのち」を見えなくしていると感じます。

 

 

♦「いのち」のモノ化

 現代の私達は「いのち」をモノのように考えております。「いのち」のモノ化です。医療の場などでは、とくにそうです。私は名古屋にある大学の医学部の倫理委員をしております。先端医療の場ではまさしく「いのち」はモノです。それはそういった医療現場だけではなくて、私達の日常の中でもそういう感覚が蔓延していると思います。モノ化されている「いのち」というのは、やはり、計られるものです。どんな形で計られるかといいますと、「いのち」は長いのがよくて短いのは駄目だと。あるいは役に立つ「いのち」、役に立たない「いのち」。さらには、生はプラス、死はマイナスという見方で「いのち」は計られてきているわけなんです。

 そこで私達は、そういった物差しで計った「いのち」を延ばしていこうとします。しかし、例えば長い短いという物差しにとらわれている場合は長くすればそこで満足しますが、ほんとうにこれでよかったと言えるかどうかということです。人類は延命という形で、その無限の課題を追ってきたわけなんです。けれども、じゃあとことん延命したからそれで満足が得られるかどうかということなんです。

 

 中国の『続高僧伝(ぞくこうそうでん)』に、曇鸞(どんらん)という方の伝記が書かれた部分があります。この曇鸞という方は中国の北魏(ほくぎ)時代の浄土教の高僧です。ある時、洛陽(らくよう)の都でお経の翻訳のお仕事をなさっていたら病気になった。それで人生五十年を嘆いて、死を超えるにはどうしたらよいかと考え、ちょうどその頃江南(こうなん)、中国の南に陶弘景(とうこうけい)という仙人がおられた。そして仙術を教えてくれる、不老長生の術を教えてくれるというわけです。それで彼は江南へ行ってその仙人に会って、不老長生の仙術を書いた「仙経{せんぎょう}」十巻をもらって洛陽の都へ帰って来ました。

そこで菩提流支(ぼだいるし)というお坊さんに出会いました。この菩提流支という方はお経をインドから招来し、翻訳なさった方ですから菩提流支三蔵(さんぞう)と呼ばれております。その菩提流支三蔵に曇鸞大師が得意気になって言われました。「流支先生よ、この地にこの大仙術に勝る法ありや(いな)や」、つまり、この大いなる仙術に勝る法があるでしょうかとたずねました。「流支、地につばきして(いわ)く」と『続高僧伝』に書いてありますから、軽蔑しておっしゃったんですね。「あなたは、その仙術によってたとえわずかばかり延命したとしても、三界(さんがい)を流転していることに変わりはないじゃないですか」と切り返されたんです。

 そしたら聡明な曇鸞大師は思わずハッと気がついて、「仙経」十巻を焼き捨てて、そして、そのとき菩提流支三蔵からいただいた『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の教えに帰依したという物語が出ております。「いのち」をそのような形で、たとえ奇跡で延命したとしても、はたして私達は満足な「いのち」だったと言えるかどうかということです。

 私は臓器移植の問題を考える時によく、その仙術を臓器移植に置き換えて考えたりします。臓器移植は西洋医学の一つの手段ではありますが、仮にその臓器移植で五年、十年の「いのち」が延びたとしましょう。けれども大事なことを忘れておれば、いくら「いのち」を延命しても、「こんなはずではなかった」と言って「いのち」を終えていかなくてはならない。臓器移植も結構ですが、もう一つ大事な問題があるような気がいたします。

 

 このように私達は「いのち」をモノ化して考えて長い短いという物差しで計って、それを引き延ばしていけば満足が得られると思っていますが、必ずしもそうではありません。現に、私達はかつて「人生五十年」と言いましたが、今は「人生八十年」の時代です。つまり、六割も延びたのに、その分満足しているかといえば決してそうではないわけです。そうしますと長短で計るということが一つ大きな問題だということもおわかりいただけたと思います。

 あるいはまた私達は「いのち」をモノ化して、役に立つ「いのち」、あるいは役に立たない「いのち」というふうな見方で「いのち」を計っております。役に立つ「いのち」がよくて、役に立たない「いのち」が駄目だ。ですから先程のような高齢の方を邪魔者扱いする、いわゆる俗に〝シルバーハラスメント〟なんてことが言われておりますけれども、そんなことが起きているわけなんですね。だけどこれとて「いのち」がそのように計れるかどうかということです。

 この「いのち」を役に立つ、立たないという物差しで計る我々に対して、たいへん大きな問いを与えてくれる文章に私は出会いました。

 

 

♦人は存在そのものに意味がある

 岐阜県の飛騨高山に平野恵子さんという方がおられました。この方は四十一歳で末期癌で亡くなりましたが、お子さんが三人おられまして、その方達に手記を残して逝かれました。私はその手記を遺族の方からお預かりしまして、京都の出版社から出版するお手伝いをさせていただいたんです。そのお子さんに宛てた文章の中にハッとさせられることが書いてありました。三人のお子さんのうち真ん中のお子さんには重度の障害がありました。それで一番上のお兄ちゃんに宛てた文章の中にこんな一節がありました。

 

 あなたは覚えていないでしょうが、昔、お母さんが由紀乃ちゃんの身体のことで悩み、一緒に死のうと思った時、あなたが助けてくれたのです。

 「お母さん、由紀乃ちゃんは、顔も、手も、足も、お腹も、全部きれいだね。由紀乃ちゃんは、お家のみんなの宝物だもんね」

 幼いあなたの、この一言が、お母さんの目を、心を覚ましてくれたのです。そして、それからはずうっと、あなたのお陰で生きてこれたような気がしています。

 お人形さんのように可愛(かわい)らしい由紀乃ちゃんが、重度の心身障害児であることを告げられてから十五年、ずっしりと重い十五年間でした。眠れないままに、小さな身体を抱きしめて泣き明かした夜。お兄ちゃんと三人で、死ぬ機会をうかがい続けたつらい日々もありました。

 「この子の人生は、一体何なのですか。人間としての喜びや悲しみを何一つ知ることもなく、ただ空しく過ぎてゆく人生など、生きる価値もないではありませんか」

 

 このお母さんは、重度の障害をもった由紀乃ちゃんをおんぶして、そしてお兄ちゃんの手を引いて、何度か死ぬ機会を窺い続けたつらい日があったというんです。ところがそれからしばらくしたある日、お兄ちゃんが外から駆け込んできて、そして「お母さん。由紀乃ちゃんは顔も手も足もお腹も全部きれいだね。由紀乃ちゃんはお家のみんなの宝物だもんね」と言って頬ずりをしていました。その様子を見てお母さんはハッと気づかされたんです。人のいのちを役に立つ、立たないという一つの物差しだけで計れるかどうかということです。仏さまの目から見たらいろんな見方がある。私達の一つの都合の目で見ても、しょせんそれは絶対的なものではないんだということに気づかされました。言ってみれば「人は存在そのものに意味がある」ということなんです。

 

 大きな問い、無言の問い、由紀乃の問い……。それに気付かされた日からお母さんは変わりました。自分自身の生き方に対して、深く問いを持つこともなく、物心ついた頃より確かに自分の手で選び取ってきた人生の責任を、一切他に転嫁して恨み、愚痴と怒りの思いばかりで空しく日々を過ごしてきたのが、実はお母さんの方だったと、思い知らされたからです。

 気付いてみれば、由紀乃ちゃんの人生は、なんと満ち足りた安らぎに溢{あふ}れていることでしょう。食べることも、歩くことも、何一つ自分ではできない身体をそのままに、絶対他力の掌中(しょうちゅう)に抱き込まれ、一点の疑いもなくまかせきっている姿は、美しくまぶしいばかりでした。抱き上げればニッコリ笑うあなたは、自分をこのような身体に産み落とした母親に対して恨みも見せず、高熱と発作を繰り返えす日々の中で、ただ一身に病気を背負い、今をけなげに生き続けているのでした。

 

 由紀乃ちゃんは、重症心身障害児という身をもって、

 「お母さん、人は自分の力で生きているのではないのですよ。生かされ、支えられてこそ、生きてゆけるのですよ」

 と教えてくれたのです。

 自分が世界の中心であり、自分の力で生きているとばかり思っていたお母さん。何もかも、思い通りにならないと気がすまなかったお母さんに、その心の(おろ)かさ、(みにく)さ、(おそ)ろしさを、ハッキリと教えてくれたのがあなた達だったのです。

 

 由紀乃ちゃん、お母さんがあなたに対して残せる、たった一つの言葉があるとすれば、それは「ありがとう」の一言でしかありません。何故なら、お母さんの四十年の人生が真に豊かで幸福な人生だったと言い切れるのは、まったく由紀乃ちゃんのお陰だったからです。(以上、平野恵子『子どもたちよ、ありがとう」法藏館より)

 

 と言われています。

 当初、お母さんは、由紀乃ちゃんは体も動かせない、言葉も(しゃべ)れない、虚しく過ぎていくだけだ、生きる意味はどこにもない、と思っていました。ところがこの由紀乃ちゃんからお母さんはたいへん大きなことを学んでおられます。癌で四十一歳で亡くなっていくお母さんが、真に豊かで幸福な人生だったと言い切れるのは、まったく由紀乃ちゃんあなたのおかげです、とこうおっしゃっています。

 私達は自分の都合で善し悪しを計っております。しかし、仏さまの目から見たらいろんな見方がありますし、いろんな価値があります。だから「人は存在そのものに意味がある」と言えるのです。先程、寝たきりのおばあちゃんが、「役に立たない、間に合わない」と言って自分を卑下している。あるいは周囲の息子達がそのおばあちゃんを邪見に扱っているというようなことを申しましたけれども、そのおばあちゃんにしても、何も役に立つ立たないという物差しにとらわれて卑下する必要はどこにもないわけなんです。

 もっと言えば、いま有頂天になっている息子達に「よーくこの姿を見なさい。いま有頂天になっているあなたもやがてこのように老いて病んで死にいく身なんだ」という人生の厳粛なる事実を教えているんです。それだってたいへん大きな働きなんです。ですから、堂々と寝たきりになっていればいいわけなんです。

 

 

♦自己を超えた大きな手の中で

 このように「いのち」を私達は自分に都合のよい物差しで計って、そしてそれにとらわれて、そしてその物差しを延ばそう延ばそうと思っております。しかし、これはどこまで延ばしても思うようにはなりません。モノ化されている「いのち」というのは所有化されていきます。

 「自分のいのちだ。自分の人生だ。だから自分で思いどおりになる」と私達は思い込んでしまっています。しかし本当に、自分のいのち、自分の人生なのか考えてみましょう。自分のいのち、自分の人生と言うなら、自分の力でこの世に生まれてきたのでしょうか。「私は私の力で今の住所に生まれてきました」という人がおられるなら、ぜひお会いしたいぐらいです。そんな人は誰もいらっしゃらないわけです。父があり、母があり、祖父があり、祖母があり、綿々と続くご縁の連続によって「いのち」をいただいたのです。そして、幼稚園か学校に行く前にたまたま親に住所を聞いてみたら、そこが今のあなたの住所だったわけです。

 そうしますと、思いより先に「いのち」があったということなんです。いのちは思いを超えたものなんです。同時にまた自分のいのちとか自分の人生と言うならば、自分で思いどおりに死んでいけるはずです。「上手に死ぬ」とか「美しく死ぬ」、と言う人がおります。けれども本当にあなたは上手に死ねますか。上手に死ぬのがよくて犬死にをするのが駄目だという物差しにとらわれていたら、それこそ何もできません。死は思いがけずやってきます。あるいは思いもよらず私達はいのちを終えていきます。ですから死もまた思いを超えたものなんです。

 だって今寝たきりになっていらっしゃる方達は、なにも好きこのんでそうなっているんじゃないんです。それも思いもよらず寝たきりになっていらっしゃるんです。ですから死というのも思いを超えたものです。その思いを超えたものを思いどおりにしようしようと力めば力むほど、それは苦しみになっていきます。だったらどうしたら一番楽かといえば、痛いときは「痛い」と言い、苦しいときは「苦しい」と言い、どんな死に方をしてもよしと腹が据わったら一番楽なんですね。それを「自然(じねん)」と親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)はおっしゃっています。あるがままです。そこに腹が据わったら落ち着けます。

 

 自然(じねん)というは、もとよりしからしむるということばなり。(略)行者(ぎょうじゃ)のよからんとも()しからんとも思わぬを、自然とは申すぞと聞きて(そうろ)う。(親鸞聖人「自然(じねん)(ほう)()章)

 

 つまり善し悪しの分別を離れた立場は、このように死も思いを超えたものです。

 

 では、生まれてから今日まではどうでしょうか。自分の人生とか自分のいのちと言うならば、生まれてから今日までそれこそライフプランにそって計画どおり思いどおりに生きてこられたはずですね。どうでしょうか? 私は私のこの(つたな)い半生を振り返りまして、生まれてから今日まで毎日毎日が思いがけないことの連続でした。今こうして読者の皆さんと文字を通して、こういう場を共有しておりますけれども、これだって思いがけない出来事です。

 そうしますと、誕生も思いを超えたもの、死も思いを超えたもの、日々の営みも思いを超えたものと言えるのです。思いを超えた大きなはたらきの中に私達は生かされ支えられているわけです。ちょうど『西遊記(さいゆうき)』の孫悟空(そんごくう)觔斗雲(きんとうん)に乗って三界を(めぐ)り回っても、最後に気がついたら仏さまの大きな手の中だったということでしたね。そのように仏さまの大きな手の中に私達は生かされ支えられているわけなんです。そういう自己を超えた大きなはたらきの中に私達は生かされ支えられているのです。

 ところが、頭でっかちになった現代人はその「いのち」というものを自分の思いの中に入れてしまって、自分の思いで長くもできる、短くもできる、思いどおりになると錯覚をしてしまっているわけです。それゆえに思いどおりにならない事実を見て「こんなはずではなかった」と言って虚しい思いをしておられるわけです。しかし、もともとは思いを超えたものだったのです。自己を超えた大きなはたらき、それを親鸞聖人は「他力(たりき)」とか「本願力(ほんがんりき)」とおっしゃっているわけです。他力とか本願力に出遇(であ)ったときに私達は何かほっとできるような、安らげるような、「頑張ること、いらなかったんだな」ということに気づかされるわけなんです。

 

 

♦死を見つめて、いのちに目覚める

 自己を超えた大きなものに出遇うといいましたが、じゃあ私達はどこでそういうものに出遇えるのでしょうか。その出遇いの一つのチャンスが、死を見つめるあるいは誕生ということを見つめることだろうと私は思います。

 いのちをモノのように見ておりますと、死は三人称になります。「人の死」というのは三人称ですからモノなんですね。けれども身近な人の死を通してそれを自分の死として置き換えて考えてみる。自分の死とか自分の誕生とか自分のいのちという、そういう見方をしたとき、私達の人生観とか死生観、価値観というものが一変してくるんですね。つまり、一人称の死です。人の死なら「お可哀相(かわいそう)に、お気の毒に」ですんでしまいます。けれども自分の死ということになれば、死を問えば、逆にそこから生の意味に気づかされていきます。

 

 死ということを見つめたときに、今生きているということが実感されてくるわけなんです。同時にまた死ということを見つめますと、こんな悠長なことはしておれないんです。

 蓮如(れんにょ)の『御文(おふみ)』に、「(あした)には紅顔(こうがん)ありて、(ゆう)べには白骨(はっこつ)となれる身なり」という言葉があります。朝、健康な赤ら顔であっても、夕方には白骨となるような身を私達は生きているわけです。その死ということを自分事としてとらえたとき、こんな悠長なことをしておれないと実感するのです。来年もある、再来年もある、平均寿命八十だなんて思って、我々は大事なことをどんどん先送りしておりますけれども、じつはそうではない。その死ということを問うたときに、明日ありともわからない「いのち」に気づき一瞬たりともおろそかにできない、そういう営みが始まるわけです。

 ですから、そういう死の問題を臨終まで先送りせず、今というところで問い直していく。親鸞聖人のお言葉でいえば「現生(げんしょう)正定聚(しょうじょうじゅ)に住する」、あるいはそれを蓮如は「平生(へいぜい)業成(ごうじょう)」と言っておられます。臨終じゃなくて平生なんですよ。もっと平易な言葉で申し上げれば、臨終を現在にとりつめてということです。

 

 死ということを見つめたときに、先程申しましたような大きなはたらきに生かされていたんだ、自分の力ではなかったんだということが実感できてくるわけなんです。

 次のような詩があります。

 

    生死

  死というものを

  自覚したら

  生というものが

  より強く浮上してきた

  相反するものが

  融合して

  安らげる不思議さ…… (鈴木章子『癌告知のあとで』探究社より)

 

 鈴木章子(あやこ)さんという癌の患者さんで、自らの死を察知なさり告知された方が、その死を通して逆にいのちに目覚めていらっしゃる。そういう方もいらっしゃるのです。

 

 

♦本願の終バスに 気づかぬまま……より

 同じようなことが他にもあります。私たちの研究会にはそういった体験を発表してくださる方がたくさんいらっしゃいました。岡山大学の教授をしておられました阿部幸子さんという方が――この方も癌で六十歳でお亡くなりになっているんですけれども――、『生命を見つめる――進行癌の患者として――』(探究社)という手記を残しておられます。そしてその手記の中に、「癌死を望む」という短文がありました。

 

 文字通り生の中に死を見つめながら毎日を送っているわけだ。何故、生きながら死を見つめることが絶望に結びつかないのか。その答は単純明快だ、生の実相とは、死があってこそ生が豊かになるという前提によって支えられている。生は死の反対概念であって同時に反対概念ではない。少々矛盾した表現かも知れないが、常に死を念頭に置きつつ生きることは真実の生命を生きることになるのである。

 

 死と一体化した生を生きることは(略)真にダイナミックで躍動的な生命を生きることを意味する。

 旅路の果に死が待っているのではない。死はここに控えている。そして、充実した生命の一瞬一瞬を生きよと常に指示しているのだ。

 

 死を問うことによって逆にダイナミックな躍動的生命を与えてもらう。生と死は反対概念であって、同時に反対概念ではない、とこうおっしゃっているんです。仏教ではそのことを「生死一如(しょうじいちにょ)」、つまり生と死は紙の表と裏のようなものだという言い方をします。私達が言う「生き甲斐」というのは同時に「死に甲斐」です。死に甲斐ということがまたよく生きるということになるわけなんです。死を問うということが私達の考え方をひっくり返してくれるような、つまり、価値観をひっくり返すような大きなはたらきをしてくれているわけなんです。

 阿部さんは最後に、「死を前にして思うこと」とタイトルをつけた文章を残されました。

 

 癌になる前は自分の力で生きているのだと自信過剰な私であった。人生の困難に直面しても、脱出路を見出すことも出来たし、様々の情況に柔軟に反応する能力もある。

 

 癌に直面した私は、(略)それまで、ただひたすら己の信じる道を歩き続けて来たのだが、立ち停まらざるを得なかった。(略)先ず第一に心に浮かんだ疑問は、これまでの人生を本当に自分だけの力で生きてきたかどうかということであった。(略)〝他力によって生かされてきたのだ〟と。何故今までこんな単純な真理に目を閉じていたのだろうか。(略)気が付くのが遅過ぎたと思うと同時に気付かぬまま死ぬより良かったのではないかと、自らを慰めた。やっとの思いで、終バスに乗車出来たのである。

 

 この方はたいへん理知的な方で、てきぱきと何でも仕事をやってこられた大学の先生です。ですからご自身でも自信がおありになった。自信過剰な私であった、とこうおっしゃっていますね。ところが癌に直面した彼女は立ち止まらざるを得なかった。そこで第一に浮かんだ疑問が、「これまでの人生を本当に自分だけの力で生きてきたかどうかということであった。〝他力によって生かされてきたのだ〟と。何故今までこんな単純な真理に目を閉じていたのだろうか」。考えてみれば単純なことなんです。けれども、私達の()が強いものですからそこに気づけない。自分の力だ、自分の人生だ、自分が、とこう思っているもんですから、そこに気づけない。頭でっかちになった現代人はみんなそうだと思います。

 けれども、死に直面してはじめて、自分の力で生きているのではなかった、生死(しょうじ)不如意(ふにょい)(意のままにならないこと)であるということに気づかされたわけですね。そこで「他力によって生かされてきたのだ……気が付くのが遅すぎたと思うと同時に、気付かぬまま死ぬよりよかった」と。私はここがたいへん好きです。手遅れではないんです。「気付かぬまま死ぬよりよかった」その出遇いによって、私の人生はこれでよかったんだという実感が得られているわけなんです。

 

 

♦この身に得る絶対満足

 そうしますと、私達のさまざまな「いのち」に対する物差し、価値観、そういったものがじつは死を問うことによって全部崩れてくるわけなんですね。死を見つめることによって自らの価値観が砕かれる。そして砕かれた果てに出遇える世界が他力の世界であったわけなんです。かつて幼い頃に自坊でお説教してくださった方が言った言葉に、次のようなものがありました。

 

 散る時が 浮かぶときなり (はす)の華

 

 自力で頑張って自分で生きるんだ、「自分が」、「自分が」、「自分でどうにかなる」、とこう思っている。その力が尽きたときに手が思わず離れる。しかしそれが、そっくりそのまま大きな手の中に浮かんでいる。他力に受け止められている。如来(にょらい)の手に受け止められているという実感です。明治の先達(せんだつ)清澤(きよざわ)満之(まんし)という方は、

 絶対無限の妙用(みょうゆう)乗托(じょうたく)して、任運(にんうん)に、法爾(ほうに)に、この境遇に落在せり(『絶対他力の大道」)

 とおっしゃっているんです。「落在(らくざい)」とは意味深い言葉ですね。まさしく落ちたままに、そのまま大きな手の中に生かされていたということに気づける世界なんです。その大きな世界というのが私達のとらわれを離れた世界、自然(じねん)の世界です。

 これも清澤満之の言葉ですけれども、「真正(しんしょう)の独立」と題する文章の中の一節です。

 

 生死は元よりこれ自然の法。我が精神は快くこの自然の法に従いて満足するという決着に至るのである。

 

 自然に乗托(じょうたく)したときに絶対の満足に至るということなんですね。

 インドの天親(てんじん)菩薩(ぼさつ)に『浄土論(じょうどろん)』という書物があります。この『浄土論』の中に、

 

 仏の本願力を観ずるに、(もうお)うて(むな)しく過ぐる者なし

 

 という言葉があります。「(もうお)うて空しく過ぐる者なし」とは、本願にたまたま出遇って、遇いがたくして遇って、そしてむなしく過ぎる者なし。それを親鸞聖人は『御和讃』にしておられます。

 

 本願(りき)にあいぬれば むなしく()ぐる人ぞなき

     功徳(くどく)宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくしい)へだてなし

          (『高僧和讃』)

 

 大きな手の中、他力に気づいたとき、本願力に気づいたときに、虚しさがそっくりそのまま晴れて「これでよし」という満足があるのです。その満足ということを親鸞聖人は、「この身に満足す」という言葉でおっしゃっています。これは『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』という書物の中でおっしゃっているんです。「この身に満足する」とは、何かと比較して満足だ不満だという話ではないんですね。「この身」ですから主体的に自らの上に満足することなんです。

 「生きる時は生きるがよかろう、死ぬる時は死ぬるがよかろう。これ災難をのがるる妙法(みょうほう)なり」。これは、良寛のお言葉ですけれども、生きるもよし、死ぬるもよし、一切を自然に乗託したとき、そこで一切をよしと、絶対満足という形でそれを受け止めていく世界なんです。

 医学あるいは生物学というのは延命という形で死の苦しみを超えようとしてきました。これも大事です。けれども一方では、心を問うことによって主体的に死を超えていくことが必要です。そういう意味では仏法と医療というのは車の両輪のようなものであると私は思います。むしろ、主体的な仏法の学びのほうがより大きな意味をもっているかもしれないです。

 私達がこの生涯を終えるときに、至れり尽くせりの娑婆(しゃば)に生きながら、「こんなはずではなかった、こんなはずではなかった」と言っていのちを終えていくのか、あるいは「私の人生はこれでよかったんだ」と言って、いのちの充足感、絶対満足を得てこの生涯を終えていくのか、そういう宿題が私達お互いに出されているような気がいたします。

 

 

日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on 2016/07/17

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田代 俊孝

タシロ シュンコウ
滋賀県生まれ。博士(文学)。仏教学者・生命倫理学者。ビハーラ研究会代表。「ビハーラ」(Vihara)とは、サンスクリット語で「休息の場所」などという意味。「ビハーラ活動」とは、生老病死の苦を超える仏教の立場からのホスピス活動・ビハーラの理論と方法を研究するものである。永年のビハーラ医療団の運動に対し、第49回仏教伝道文化賞(公益財団法人仏教伝道協会)沼田奨励賞を受賞。編著書は『広い世界を求めて-登校拒否の心をひらいた歎異抄』(毎日新聞社)など多数。

掲載作「生と死を考える」は、NHKラジオ深夜便で放送したもので、『ビハーラ往生のすすめ-悲しみからのメッセージ』(2005年、法蔵館刊)から抜粋。

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